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<東京怪談ノベル(シングル)>


すみれの花の咲く頃に

 それはまだ、ゴールデンウィーク前の話。
「新生活は日が過ぎるのが早いわね……」
 北海道から東京に引っ越してきて数週間。一条 里子(いちじょう・りこ)は、そんな忙しい毎日を送っていた。元幽霊マンションだった新居は、今では大変住みやすく居心地の良い空間になっている。今はまだ空き部屋が多いが、そのうち入居者も増え賑やかになっていくだろう。
 朝食を準備し、家族を送り出すまでの和やかな時間。
「行ってきまーす!」
「車には気をつけるのよ」
 娘は無事に転校先の神聖都学園でも上手くやっているようだ。
 娘は里子がちょっと心配になるくらい人見知りをしない子なので、転校先でもすぐに友人も出来たようで、毎日元気に学校に通っている。
 その様子を見送ると、里子の夫がカフェオレを飲みながら溜息をつく。
「子供は元気でいいなぁ。こっちはチーム内で仲が悪いのがいて、微妙に空気が悪いよ……」
 娘に反し夫は転勤先での人間関係に、ちょっとブルーなようだ。何でもチーム内に犬猿の仲の二人がいて、お互いの連絡にも支障をきたすほどらしい。里子はくすっと笑いつつ、夫の肩をポンと叩く。
「あなた、そんな小さい事気にしてどうするの?しっかりしなさい!」
「そうなんだけどね……」
「もういっそ、あなたもその二人に気とか使っちゃダメよ。あなたってば優しいから、つい間に立っちゃうんでしょ。それで社会人なのに二人とも甘えてるのよ」
 優しいのは彼のいいところなのだが、時々その優しさに甘える者が出てくることがある。今回も、きっと見ていられなくてつい仲立ちをしてしまったのだろう。
「大丈夫よ。ね?」
 もう一度にこっと笑って肩を叩くと、それでやっと夫の緊張もほぐれたようだった。
「そうだね。二人に構って仕事が進まないの本末転倒だし、りっちゃんの言う通りにしてみるよ」
「その意気よ」
 うん、ようやく覇気が戻ってきた。
 玄関まで見送りをすると、今度は家の中の仕事だ。食器を洗い、洗濯をし、掃除をする。日頃からの習慣なので、さほど苦痛ではない。
「東京に来たら、色々楽しみが増えたわ」
 魔都とは言えど、積極的に触れさえしなければなかなかいい街である。里子の住んでる場所は割と下町情緒が残っているので、のんびりしていて暮らしやすい。
 食器を片付けたあと、里子は飾り棚の一角に備えてある義理の姉の写真の前に置いてある水を取り替え、手を合わせた。
「やっと近くに来たから、義姉さんも心配しないでちょうだいね」
 東京には里子の甥っ子がいる。
 義姉が亡くなる前に、里子は甥っ子の事を頼まれていたのだが、今までは住んでる場所が離れすぎていて、時々の電話や季節の食料を送るぐらいしかできなかった。だが最近ようやく面倒を見ることができるようになって、里子もほっとしている。
 里子にとって義姉は憧れていた人だった。
 自分の霊感等についても相談していたし、それを一番最初に理解してくれた人だ。
「これからは一人で食事しないで、家にきて一緒に夕食食べていってね」
 引っ越しの手伝いに来てくれた甥にそう言ったところ、それをすごく喜んでくれた。
 ただ、週に何度かアルバイトをしているということなので、その時はそっちで夕食が出るらしい。確か店の名前は「蒼月亭」と言ったはずだ。落ち着いたら、一度挨拶に行かなければとも思う。何でも、盲導犬のトレーナーになるための学校に行く費用を、自分で少しでも貯めたいらしい。
「男の子って、急に大人になるのよね……」
 ずっと子供だと思っていたのに、そんな立派になるなんて。きっと義姉に似たのだろう。それに関して里子は全身全霊良かったと思う。まかり間違って兄になど似ていたら……。
「そうだわ、大人になり切れてないのがいたじゃない!」
 仕事が忙しいとか何とか理由を付けて、一向に捕まらない兄。
 東京に来たのだから、一度サシで話がしたいと思っているのに、引っ越しの手伝いにも来なかった。しかも警戒されているのか、電話をかけてもそれに出ず、メールで「忙しい」と返事をする始末だ。
「今度襲撃に行かないとダメかも知れないわ……義姉さん、その時は足でも捕まえて、外に出られなくしてやって頂戴」
 そう言ってもう一度手を合わせると、写真立ての中の微笑みが、何故か少し困ったように見えた。

「うーん、家計に問題がある訳じゃないけれど、時間的に問題があるわね」
 食器は洗った。洗濯もした。掃除は日々しているので、さっと埃を取るぐらいで済んでしまう。
 札幌にいた頃は、娘の学校の委員会だとか、カルチャースクールだとかで結構忙しかったのだが、新聖都学園では転校してきたということもあってそういう役員などは引き受けなかった。それに習い事をするにしろ、今のところ何か挑戦してみたいと思うものもない。
「うーん、時間があると有効活用したくなるわよね」
 里子は可愛らしいイラストを描いて、素材サイトなどを作ったりもしているのだが、それも札幌の冬が厳しくて、どうしても家に籠もりがちになるから始めたものだ。ちなみにパソコンは夫が買ったものだが、今では里子の方が使いこなしている。
 札幌ではまだ桜も咲いていない。場所によっては雪も残っているだろう。だが、東京は桜が終わってしまっている。北海道の気温に慣れている里子なら、暖かい日であれば上着なしでも出歩けるぐらいだ。
「ご近所探検でもしようかしら。ずっと忙しくて、商店街とか詳しく回ってなかったのよね」
 幸い今日は天気もいい。カーディガンだけで出歩けるだろう。
 里子はハンドバッグに財布や鍵を入れ、ご近所探検に繰り出すことにした。

 この辺りは、最近再開発でマンションが建つようになったらしい。だが近所には商店街があったり公園があったりする。東京はもっと忙しないのかと思っていたが、こういう風景を見るとやはり結構広いんだなという気がする。
「さて、どこに何があるのかとか覚えなきゃ」
 スーパーもあるのだが、商店街の人と仲良くなっていればおまけがあったりとか、色々お得なことがありそうだ。実際マンションの下見に来たときも、この商店街にお世話になった。
「結構、新旧入り乱れた商店街なのね」
 肉屋に魚屋、八百屋。お総菜の店からは揚げ物の良い香りがするし、ひなびた感じの和菓子屋ではお年寄りが立ち話などをしている。
 でもネットカフェなどもあったりして、新しいものと古いものが共存しているという印象だ。雰囲気はなかなかいい。
「どうせだから、色々寄っちゃおうかしら」
 肉屋の店先で売っていたメンチカツは、なかなか美味しそうだった。味見がてらに一つ揚げたてを買い、店員のおばちゃんと話をしたりしてみる。
「あら、最近引っ越してきたの?」
「そうなんです。四月に越してきたばかりで、やっとこの辺を見て回る余裕が出来ました」
 家の引っ越しというのは何かと手続きが必要だ。引っ越してきたら今度は荷ほどきもしなければならないし、役所に行って入居届けを出したり、娘の転校の手続きをしたりしているうちにいつの間にかここまで過ぎてしまったのだ。
 肉汁たっぷりのメンチカツに舌鼓を打っていると、人の良いおばちゃんは色々と商店街の話をしてくれた。
 それは魚屋ならどこが一番鮮度がいいとか、あのパン屋はテレビの取材が来たことがあるとかそんな他愛ない話。聞く人によってはつまらないと思うかも知れない。
 だが、日常というのはその他愛ない瞬間で出来ている。霊感が強い里子は、何かと非日常的なことに巻き込まれることも多いのだが、だからこそ日常の大事さを痛感する。
 ささやかな幸せ。
 家族が元気で、いつものようにご飯を食べて見送りをして、帰ってきたときには出迎えて。その幸せのために里子は転勤の話が出たときに、夫が契約してしまった幽霊マンション見に来たのであり……。
「あの、お伺いしたいことがあるんですが」
 それでふと思い出した。
 この商店街には小さな弁才天の祠がある。水の気との相性がいいので、あの時も手を合わせたのだが、その時のお礼参りに行かなくてはならない。
「あの祠の手入れは、商店街の皆さんでやっていらっしゃるんですか?」
 小さい祠ではあったが、花も生けられていたし掃除もされていた。商売繁盛の意味でもあるのだろうか。
 だが、おばちゃんはショーケースから身を乗り出すようにしてそっと指を指す。
「弁天様の祠の掃除とかは、あのフラワーショップの店長さんがやってるの。花も供えてくれるから、商店街でお願いしているのよ……なかなかこっちも忙しくて、そっちまで手が回らなくて」
 なるほど。だったら季節の花が生けられていた訳も納得出来る。
 メンチカツを食べ、夕飯用に鶏もも肉を二枚買い、里子は弁天様の祠に向かうことにした。お礼参りもあるが、これからもご縁があるようにと手を合わせたい。
「お供え物……荒らされたりしたら困るから、和菓子でも買っていこうかしら」
 苺大福を二つ買い、里子は祠へと向かう。前回十五円で「充分ご縁がありますように」だった。今回は四十五円で「始終ご縁がありますように」と祈ろうか。
「この前はありがとうございました。遅れましたけど、お供えとお礼に参りました」
 和菓子と四十五円を置き、里子は静かに祈る。すると不意に背後で気配がした。
「おや、お詣りでしたか」
 慌てて振り向くと、そこには穏やかな印象の青年が立っていた。手にスミレなどで作った花束を持っているので、彼が先ほど聞いたフラワーショップの店長なのだろう。
「あ、すみません……」
 掃除の邪魔になってしまうだろうか。そう言って里子が避けようとすると、彼は笑ってそれを止める。
「いえ、気になさらないで下さい。普段は午後から来るんですが、今日は早く来てしまったんです」
「でも、お花だけでも変えなくちゃ萎れてしまいます」
 植物にも水の気が必要だ。そっと横に避けると、会釈をした後慣れた手つきで彼は花を取り替え始めた。そして里子ににこやかに話しかける。
「何かお願い事があっていらっしゃったんですか?」
「いえ……以前お願いをして、そのお礼だったんです。ここは、毎日手入れしてらっしゃるんですか?」
「はい。花には水が大事ですから」
 何だかこの祠と空気が似ている人だ。里子がそんな事を思っていると、彼は供えてあった苺大福を手に取った。
「こちら、お持ち帰りにならないのでしたら、よければ僕の店でお茶でも飲みながら如何ですか?このまま置いておくと硬くなってしまいますし、それにこの苺大福は美味しいんですよ」
 それもまた、弁天様が巡り会わせてくれた縁なのかも知れない。それに邪な気配などはなさそうだ。帰りに花を買って、義姉の写真に供えてもいい。
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます」

 その花屋は小さいながらも色とりどりの花で溢れていた。
 奥のアレンジメントを作るスペースを空け、そこで緑茶を入れてくれる。
「こちら、お一人でなされているんですか?」
 里子が聞くと、青年はポットから急須にお湯を注いで頷く。
「はい。少し前まで午前中パートに来てた方がいたんですが、腰を痛めてやめてしまったんですよ。なので今は一人です」
 小さく、雰囲気のいい店。
 ふと里子の目に、スミレの鉢植えが見えた。そこには花の精がいて、葉に隠れるように恥ずかしそうにはにかんでいる。
「お店、忙しいんでしょうか?」
「午前中は少し忙しいですね。今日はたまたまキャンセルが入ったので暇なんです」
 これは、きっと縁だ。
 祠に供えられていたスミレ。そして鉢で咲いているスミレ。普段であれば会わなかったのに、何かの偶然でこうしてお茶を飲んでいる。
 それに午前中何かしたいと思っていた。ここでなら充実した時間も過ごせるだろうし、娘が帰ってくる前に家に戻れる。里子は湯飲みを置くと、静かにこう言った。
「あの、私で良ければ働かせていただけませんか?」
「はい?」
 唐突なその言葉に、青年の動きが止まる。
「いえ、午前中だけでしたら私も働けますし、アレンジメントの経験もあります。これも何かの縁ですから、どうでしょう」
「そうですね……」
 少し思案し、青年はお茶を啜る。その首をかしげるような仕草は、何か小さな声を聞こうとするようにも見えた。
 やっぱり唐突すぎただろうか。そう思いながら苺大福を食べていると、青年がにこっと笑う。
「これも縁かも知れませんね。アレンジメントの経験もあるということですし、平日の午前中だけお願い出来ますか?」
「はい、よろしくお願いします」
 その瞬間、スミレが小さく鈴が鳴るような音で笑った。

「働きに出るなんて久しぶりだわ」
 札幌にいたときは専業主婦だったが、こうして働くのもいいだろう。里子の手には夕飯の食材と一緒に花屋で貰ったスミレの鉢植えが下がっている。
「きっと義姉さんも喜ぶわよね。家の中でならずっと楽しめるもの」
 これもまた、弁天様が導いてくれた縁。
 東京での生活は、これからも充実したものになるだろう。そんな予感を抱きながら、里子は自宅へと軽やかな足取りで帰っていった。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
今回は「商店街の花屋さんで午前パートとして働き出すくらいまでのノベル」とのことで、このような話を書かせていただきました。スミレの精と弁天様が引き合わせてくれた縁という感じです。
こうしてどんどん東京とも縁が出来ていくのでしょう。そんな感じが出ていたらと思っています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。