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【歪みの館】地下迷宮へ
「歪みの館へようこそ。……と、お客様。ちょうど良いところへいらっしゃいました」
霧雨が降る肌寒い日の事。偶然か必然か、紗枝が辿り付いたのは霧に包まれた古い館。
窓枠や屋根が奇妙に捻じ曲がり、所々に不可解な文様が浮かんでは消える。
「実は昨日、私の飼っていた獣が逃げ出してしまって。……人の希望を餌にしておりまして、性格も最悪で戦闘能力もそこそこ。美しいのは見目だけ」
紗枝を出迎えたのは青色をした小さなトランプだ。次々に変わる数字とスートはトランプなりの表情といったところか。
やれやれ困ったものだと、芝居がかった仕草で溜息をつく。
「どうやら逃げ込んだ先は……地下迷宮。捕獲の為、どうぞお力をお貸しくださいませ。必要なものがあればご用意致します」
そう言ってトランプはゆるりと一礼をすると、重々しい館の扉を開いた。
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「んー……そうね。話を纏めると、その獣って一角獣じゃないかしら」
シルクハットにマントという衣装を身に纏った紗枝は、奇術師の名に相応しい。万が一に備え携帯するのは愛用の鞭、いつでも使えるよう片手にしっかりと握る。案内役のトランプを肩に乗せ、地下迷宮を進みながら紗枝が呟いた。まだ20にも満たぬ年ではあるが、獣と心を通わせ獣と共に生きてきた紗枝だ。トランプからの情報だけで該当する生物を瞬時に頭の中で検索し、更に見目や普段の飼育データを聞き出し絞り込む。普段から動物に関わっていないとできない芸当だ。
「外ではそう呼ばれておりますか。なかなか博識でいらっしゃいますな」
話が早いとトランプは満足げに返す。
迷宮の中は薄暗く、壁に備えられている灯りは弱く小さい。迷宮というだけあって、細い通路が続き、不規則的に左右へ折れ曲がる。いつまでも終わらない無限迷宮のようにも思えて、紗枝は僅かに眉を寄せた。けれど引き受けた以上、負け犬のように引き返すのはご免だ。気を強く持とうと深呼吸を一つ、また一歩を踏み出す。
「今、何か聞こえなかった？」
そう遠くないところから獣の高い鳴き声が響き、紗枝はぴたりと足を止める。トランプをそっと肩から降ろし、慣れた仕草でマントを脱ぎ捨てる。迷宮の淀んだ外気に晒されたのは、着慣れたステージ衣装。肌の露出が激しく、動きやすさという性能と観客の目を惹き付けるという点を兼ね備えている。薄闇の中、僅かな灯りのせいで日焼けのしていない下肢が一層白く浮かび上がった。
「はい、確かに。……お気をつけくださいませ。お怪我をなさらぬよう」
獣の鳴き声はトランプにも聞こえたようだった。邪魔をしたくないと思ってか、ぴったりと壁際に寄る。
「心配無用。そこで猛獣ショーをご覧あれ！」
物騒な気配をさせ現れたのは、予想していた通り一角獣だった。白い馬のような体躯に赤い瞳、額には名が示すように一本の角。伝説によれば角は万病を癒すとされるが、人間には寄り付かず、清らかな心を持つ乙女だけには心を許すといわれている。けれど、この一角獣は伝説とは少し違うのかもしれない。長い年月、館という歪んだ空間にいたせいで、聖獣というよりは異形のモノ、という印象が強い。捻じ曲がった角がそれを良く表している。
ひゅん、と鋭く空気を切り裂き紗枝の鞭が舞った。鬼ごっこだというように獣は逃げるが、いつまでも体力が続くはずがない。
鞭で打ち付けるという直接的な攻撃の他、不可視の衝撃波を組み合わせて放ち、少しずつ追い詰めていく。目的は討伐ではなく捕獲。紗枝は疲労の溜まり始めた腕を叱咤し、もう一撃力を込めて鞭を振るう。
「……っ、これなら！」
鞭が獣の体躯に絡みつき、その動きを止める。が、それも一瞬のことだった。嘲笑うように一鳴きすると、鞭を振り解いてしまった。それどころか、固く蹄を響かせ紗枝に向かい突進をしてきた。咄嗟のことで反応する間がない。
「ぁ、……く、……」
鈍い衝撃と共に壁に打ち付けられ、一瞬呼吸ができなくなる。背中を打ってしまったようだが、幸いなことに後頭部はダメージを受けずに済んだ。努めて冷静に状況を把握し、ふらつく身体を気力で支え立ち上がる。ちらりと愛用の鞭を一瞥、唇の端を僅かに上げて床に放り捨てた。
「紗枝様？ 一体何を、……」
「大丈夫。必ず捕まえてみせる。負けたままじゃ目覚めが悪いし」
普段は感情を上手くコントロールできるが、仕事……特に鞭を手にすると秘めた攻撃性が表に出てきてしまう。その分幾らか防御が疎かになってしまうが、仕方ない。あまり良くない危険な癖だと自覚しつつも、高揚する精神と身体を快く思ってしまう。
覚悟を決め、大きく脚を開き挑発的な姿勢をとる。仄かに立ち上る情の色に気付いてか、獣が鼻先を震わせた。獣が紗枝に向かい突進してくる度に、軽い身のこなしでそれを避ける。何度繰り返されただろう。
互いの気力と精神を力に変え、睨み合うこと数分。いや、それは僅か数秒だっただろうか。紗枝には酷く長い時間に感じられた。膠着状態を破り、先に動いたのは獣だった。
「獣は獣らしく、ってね。……悪いけど此処で終わりにさせてもらうから！」
紙一重で獣の突撃を回避し、ぱちんと軽く指を鳴らす。一瞬後、獣は黒く頑丈な檻の中に入れられていた。しばらくは興奮抑え切れずといった様子で暴れていたが、トランプがつつ、と寄り何か呪文のようなものを唱えると急に大人しくなってしまった。見れば穏やかな顔をして獣が寝息を立てている。眠りを誘う魔法の類なのかもしれない。
「一時はどうなることかと思いましたが……お疲れ様でした、紗枝様。そしてありがとうございます。躾が行き届かず、お客様にもご迷惑をお掛けしてしまいましたな」
困った子です、とトランプが檻を見遣る。
「ううん、役に立てたようで良かった」
床に落ちたシルクハットとマントを拾い上げ、紗枝は微笑む。
獣との激しい攻防で、いつの間にやらシルクハットまで落としてしまったらしい。軽く埃を払い、元のように被った。
「紗枝が偶然いらっしゃらなかったら、どうなっていたことか。……それでは、上までお送り致しましょう。何、帰り道でしたら私が覚えておりますゆえ」
来る時にそうしたように、トランプがひょいと紗枝の肩に乗る。随分と迷宮の奥まで来てしまったが、言葉通りトランプは館まで道を間違えず案内してくれた。
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「本当に、ありがとうございました。立派な猛獣使いになられるのでしょうね。その日を私も楽しみにしております」
無事に地上まで上がり、館前まで紗枝を送るとトランプが切り出した。
館のまわりは霧に包まれ、遠くまでは見えない。どこから帰るのだろうと困っていると、トランプが先程と同じように何か呟くのが聞こえる。呪文の詠唱だろうが、意味まではわからない。今まで聞いたどの言語とも違う、不思議な響きがあった。
「ところで……、最後に使った檻。あれも奇術でございますか」
声が終わると、空間に裂け目ができる。ちょうど、紗枝一人くらいが通れるくらいの大きさで、先には見慣れた風景が見える。
「秘密よ、秘密。……奇術は魔法、そう見えるのが一番よ」
悪戯っぽくウインクすると、紗枝はくるりと背を向けて現実世界へのゲートへと踏み出した。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【6788／柴樹・紗枝／女／17歳】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしてしまい申し訳ありません。
ご参加ありがとうございました。少しでもお楽しみ頂けば幸いです。
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