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<東京怪談ノベル(シングル)>


美しい世界

「あ、お友達が来てる」
 自宅マンションの郵便受けに入った封筒を隙間から覗きながら、神楽 琥姫(かぐら・こひめ)はいそいそと鍵を開けた。お友達……とは、琥姫流の「手紙」の言い換えである。
 ダイレクトメールに、行きつけのショップからのサマーセールの案内。夏休みに入って帰省した友達からの暑中見舞い。
 可愛いクマがだらっとしている絵はがきの隅には『実家はすることがなくて退屈です。東京帰ったらトマトでも食べながらお茶しよう』という小さな文字。
「実家、か……」
 そう呟き、ダイレクトメールの下になっていた真っ白い葉書に、琥姫はびくんと立ちつくした。
 差出人の住所は実家……父の名が書かれている。裏をめくると時事の挨拶もなしに、素っ気ない文字が書かれていた。

 お盆の行事があるから、その日には実家に帰っているように。

「………」
 カチャ。
 玄関の鍵を開け、着替えもせずに琥姫は部屋のソファに座り込んだ。テーブルに他の手紙を乗せ、パンダを抱きしめながら思わずぽつりと呟く。
「ねえ、もうお盆なんだって」
『………』
 抱きしめたパンダは何も答えない。ただじっと黙って琥姫に抱かれているだけだ。
 知ってる。
 自分が抱きしめてアテレコしているパンダの声は、自分だって事。話をして答えが返ってくるときは、それはもうちゃんと自分の中で答えが出ていることで、それを言い聞かせているだけだって。
 だから……答えが出なければ、パンダは何も答えないただのぬいぐるみ。
「実家、行きたくないな。でも、年に一度の一族の集まりにちゃんと出席することが、東京の大学に行く条件だったんだもん……」
 多分行かなければ、実家に連れ戻される。
 琥姫の実家である「神楽」家は、表向きは大きな呉服問屋だ。だが、裏の世界では由緒正しい退魔師の家である。神のために執り行われる楽や踊りの名を、そのまま模した名字。
 琥姫自体その名で呼ばれることを好んではいない。だから大学やバイト先でも「琥姫ちゃん」と呼んで欲しいと言い、決して「神楽さん」と呼べとは言わなかった。
 行きたくない。
 でも、行かなきゃあの家に連れ戻される。
 毎年やって来る季節。その度に憂鬱になり、自分の非力さに絶望する。
「行かなくちゃ……ね」
 ぎゅ……とパンダを抱きしめ、琥姫は呟く。

 ……闇の中で見るのは、いつも同じ夢。
「ねえ、こひめのお母さんはどうしてお家にいないの?」
 琥姫が物心つく前に母は亡くなった。だから琥姫が知っている母の笑顔は、遺影の中の微笑みだけだ。
 自分の周りの人間達が歪んで見える。それが琥姫にじわじわ近づいてくる。
「いや……お母さんは?助けて、お母さん」
『あら、神楽の奥様はお子さんを産んでから、体調が優れず伏せったまま数年後に亡くなったそうですよ』
『それはそれは。お子さんって、あの出来損ないのことでしょう』
 出来損ない。
 琥姫がそれに立ちつくすと、今度はその歪んだ人々の向こうに父の背が見えた。
「お父さん!助けて、お父さん!」
 だが、父は振り返りもせず去っていく。真っ直ぐと、自分の方を見ずどこまでも。
『神楽の現当主様は、出来損ないの娘が奥様を殺したことを憂いているんですわ』
『そうですねぇ。旦那様は奥様のことを愛していましたから』
 私がお母さんを殺したから、お父さんは私を愛してくれないの?
 それとも私が出来損ないだから?
 じゃあ……お母さんがまだ生きていて、私が退魔の能力を受け継いでいたら……。

 お父さん。あなたは私を愛してくれたの……?

「………!」
 目が覚めたとき、琥姫の目から涙が溢れていた。昨日の夜から実家に帰省していたのだが、どうやら悪夢を見ていたようだ。
 それは、具合が悪くなって熱が出たりしたときや、実家に帰省するたびに必ずと言っていいほど見る夢。
「早く……起きて支度しないと」
 そうしないと、また何を言われるか分からない。家を出たときから憂鬱だったが、それは家に帰っても消えるどころか深くなっていく。一族の集まりだというのに、父は仕事が忙しく帰ってこられないと、昨日家政婦に聞いた。
『……神楽の現当主様は、出来損ないの娘が奥様を殺したことを憂いているんですわ』
 本当に、そうなんだろうか。
 でもそんな事、怖くて聞けなかった。もしそれを肯定されてしまったら、自分は本当に行くところがない。寄る辺のない子供になってしまう。
 朝食の準備が出来たと呼ばれたが、何も食べる気がしなかった。いつもであれば持ち歩いているトマトも、今日は持っていない。多分あったとしても、喉を通らないだろう。
「集まりには、ちゃんと出ます……だから、それまで一人にしておいて」
 実家の自分の部屋であるはずなのに、知らない家に居続けさせられるような閉塞感。
 友人から来た暑中見舞いの『実家はすることがなくて退屈です』と言う言葉が、今の琥姫には心底羨ましく感じられた。

 差別と偏見には慣れている。
 琥姫の親戚の中での評価は、それこそ『出来損ない』だからだ。
 退魔師の家に生まれ、時期当主となるべき位置にいるのにもかかわらず、琥姫自身は戦闘能力が無いに等しい。対外的な技が一切使えないどころか、身体能力的にもかなり劣っているので、低い退魔能力を体術でカバーすることも出来ない。
 ……退魔師としては、クズ同然の地位と実力。
 そんな話を聞いたのは、一体いつのお盆のことだっただろうか。毎年のように何かしら言われ続けているので、もう心が凍ってしまっている。
 でも、そうやって心を凍らせていれば、何を言われても傷つくことはない。あとはこの居心地の悪い集まりが、早く終わってくれることを祈るだけだ。
「琥姫さんは、少しは退魔の能力は上達なされたの?」
 これは一体誰だっただろう。もうどの親戚だったかも思い出せないような、中年の女性が口元に笑みを張り付かせ、琥姫に話しかける。
「い、いえ……」
「受動的な力なら一族でも三本指に入るほど強大なのだから、後は封印具を使わずに制御出来るようにならないと」
 別に、そんな力が欲しかった訳じゃない。
 出来れば普通の家庭で、普通の子供として生まれたかった。幼なじみの家のように、お父さんとお母さんがいて、時々お母さんの手作りおやつがあったり、泣いていたらお父さんが「泣いてばかりいると目が溶けるぞ」と、戯けながら花冠を作って慰めてくれるのが良かった。
 たくさん人がいるはずなのに、世界でたった一人になってしまったような孤独感。目の前にある豪華な料理にも、まったく箸が進まない。
 取りあえず親戚の集まりに出席するという義理は果たしたし、そっと席を立ってしまおうか……自分の隣にあるぽっかりと空いた父の席を見て、琥姫が溜息をついたときだった。
「そろそろ、時期当主様の舞でも見たいものですな」
「神楽の家で、舞が行われないということはあってはならないことですわね」
 それは毎年行われる、退魔の力を使い舞を披露する余興。
 その年によって舞を披露する者は変わるのだが、今年は琥姫に白羽の矢が立ってしまったらしい。時期当主様……と言う揶揄が琥姫の胸に刺さる。
「あの、私は……」
「さあさあ、琥姫さん。舞は子供の頃から習っているでしょう?」
 習っているし、舞える。だけど、退魔の力を使うということは、自分が身につけている封印具を外すと言うことであり……。
「………」
 でも、ここで上手く舞を舞えたら、自分も皆に受け入れてもらえるのだろうか。
 そしてずっと自分に背を向けていた父が、振り返ってくれるだろうか。
「分かりました。お待ち下さい」
 衣装を身に纏うため、琥姫は立ち上がる。だが、その足どりは枷がついているように重たいものだった。

 封印具を全て外すと、琥姫の目と髪の色が銀に変わる。
 そこに赤の着物を着ると、その姿はまさに女神のように麗しいものだった。少しだけ口元に引いた紅が、その幽玄さを引き立てている。
 しゃん、しゃん。
 手に持った鈴を鳴らし、琥姫は舞を舞った。神に捧げる踊り、神楽。
 ああ、思い出した。一度だけ……たった一度だけ、父が舞を見てくれたことがあったはずだ。だが、その時何を言ってくれたのかが思い出せない。
 叱られたのか、褒められたのか。
 そんなたった一度の思い出を、どうして自分は忘れているのか。それが悲しくて、琥姫は涙を堪える。
 お父さん。
 どうして、ここにいてくれないの?
 私がお母さんを殺したから、私を恨んでいるの……?
 その想いに引きずられるように、琥姫の髪が銀の輝きを増す。
『封印具が無ければ引きずりこまれるだけの役立たず……』
『退魔師としての実力は、クズも同然』
 流れ込んでくるのは、自分の向けられる負の思い。封印具を外し、父の心を知りたいと思ったが為に琥姫の力が暴走し、周囲の心の声を無差別に拾ってしまう。
『この神楽家もここで終わりか……こんな出来損ない一人しか残っていないとは』
『でも、親戚の何処かから婿を取れば、その子供に後を継がせられる。生まれた子供にあの能力が引き継がれれば、神楽も安泰ですよ』
『それぐらいしか、使い道はなさそうですな』
 嫌……どうしてそんな事を決められなきゃならないの?
 神楽に生まれてしまった以上、普通の幸せすら求めちゃいけないの?
「………っ」
 しゃん!
 それが限界だった。大きく足を踏みならし、鈴の音を鳴らした後、琥姫はその場に立ちつくしてただ泣くことしかできなかった。

 舞の一つも満足に舞えない。
 宴は続いていたが、そんなムードが琥姫の周りに溢れていた。琥姫を庇護する者は誰もいない。相変わらず、父が座るはずの席は空いている。
 情けなかった。
 せめて舞ぐらいは立派に踊り、自分がちゃんとやっていけることを示したかったのに、すっかり逆効果になってしまったようだ。それが悔しくて、悲しくて……自分がなすべき事も出来なくて。
「………!」
 このままここにいたら、押し潰されてしまう。
 色々な心がない交ぜになったまま、琥姫は家を飛び出した。あの後琥姫はすぐに着替えをして、舞は結局別の誰かが舞ったらしい。封印具を身につけ直し、琥姫はただひた走る。
「うっ……ぐすっ……」
 気がつくと子供の頃よく来ていた河川敷まで走っていた。そこでやっと人の負の感情から解き放たれた琥姫は、背の高い草の間にしゃがみ大声で泣き出した。
 神楽の家になんて生まれたくなかった。普通の女の子でいたかった。
 大学に入り一人暮らしを始めてから、琥姫はたくさんの愛に触れた。幼なじみや友人、見守ってくれる優しい人。それが幸せで、嬉しくて……だから、現実を忘れていた。
 自分は「神楽 琥姫」だという現実。
 封印具がなければ引きずり込まれ、退魔能力も身体能力もない時期当主。自分が生まれたために母は伏せったまま亡くなり、父は自分の事に振り返ってもくれない。
「………」
 今まで、東京で過ごしてきた時間は虚無の夢だったのだろうか。そう思い切なくなった時だった。
「あっ……」
 胸につけていたペンダントが落ちそうになる。それは、幼なじみがホワイトデーにくれたピンクのバラのペンダントだった。多分急いでいたので、止め方が甘かったのだろう。それをそっと受け止めると、優しく手の中で光っている。
 そして、顔を上げると目の前には月見草が広がっていた。夕焼けに揺れる黄色い花、手の中で揺れるピンクのバラ。
 風が吹くとそれは波のようにざわざわと音を立て……。
『琥姫、小さなあなたには分からないかも知れないけど、世界は美しいのよ……』
 不意に、母の声が聞こえたような気がした。
 世界は美しい。今はそう思いきれないかも知れない。やっぱり親戚の人たちは怖いし、父に真実を聞く勇気もない。
 切なくて、悲しくて、胸が苦しくて仕方ないけれど、それでもこれで自分が終わってしまった訳ではない。
「お母さん……」
 そっと手の中にあるバラを握る。それが自分に力を与えてくれるような気がする。
 これが全てではない。今神楽から逃げてしまったら、きっと自分は何にも立ち向かえなくなってしまう。
 神楽の家を捨てずに、自分の夢を叶える方法。それを探したい。
 そうしたらきっと、その時には自分も「世界は美しい」と言えるような気がするのだ。
「家に……帰らなきゃ」
 まずはそこから。
 また負の感情に飲み込まれ、孤独に泣き、闇に怯えるかもしれない。でも今度はきっと大丈夫……。
「私のこと、守ってね」
『一緒だから、大丈夫だよ』
 ペンダントをつけ、琥姫は袖で涙を拭った。天に昇っているのは、爪の先のように細い月。
 揺れる月見草に、琥姫は目を開けて歩き出す。
 世界は美しい。そう言える日のために……。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
今回はいつもと変わって、琥姫ちゃんの過去や家柄に触れる暗いムードの話と言うことでしたので、悪夢や人の心などを取り上げつつこのような話を書かせていただきました。両親についてもさらっと書かれていたので、こんな感じにしてみましたが、如何だったでしょうか。
最後は前を見据えるとのことでしたので、「世界は美しい」というのを使ってみました。普段何気なく過ごしていると気がつきませんが、たまにそんな風に思います。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。