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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


廃病院リポート:T


 「お加減如何ですか?」
 翡翠が訪れたのは、とある病院の特別室。
 季節の花と菓子折りを持って部屋へ入れば、病床にも関わらずキチンと身なりを整えた老婦人がベッドから状態を起こして翡翠を迎える。
「相変わらず…だねぇ」
「そちらは随分お痩せになりましたね…」
 元気だった頃の姿を知っているがゆえに、伏せっている姿を見るのは忍びないといった面持ちで翡翠は微笑む。
「だが経過は良好さ。まぁ、当分の間ここで世話になるがね」
 翡翠を気遣って元気に振舞いこそするが、自分で上体を起こすのがやっとで、足は全く動かないと、彼女の助手から聞き及んでいる。
「で、来て早々ではありますが…ご相談とは?」
「うむ、実はね―――……」


【草間興信所】
 「――またアンタか……」
 翡翠が顔を出して早々に半眼で見据え、溜息混じりにそう呟く草間武彦。
「まぁまぁ、そう邪険に扱わないで下さいな。一応お仕事を振りにきたのですから」
「お前の持ってくる仕事は毎回毎回ややこしいんだよ!」
 門外漢だと何度言われたことか。
 しかしオカルトがらみともなれば、草間とその伝手を頼るのが一番早いのだ。
「まぁ話だけでも」
「…何やらそうってんだ……」
「廃病院に巣食う霊団の退治を」
 某所にある廃病院の土地を購入して新たに病院を建て直す予定だったらしいのだが、中に巣食う霊団のおかげで取り壊しが大幅に遅れているという。
「…それこを拝み屋の領分じゃないか」
「そんじょそこらの拝み屋や祓い師では無理だったのですよ。…呪われてしまったのですから」
 呪われた、その言葉に草間の表情が一変する。
 そんな草間の前に、翡翠は傍らに置いていた風呂敷を広げた。
「…ッ!」
「こちらが――あの方の呪いを肩代わりした人形にございます」
 いつか見た天児(あまがつ)に似た、だが布製の女の子のような人形…這子(ほうこ)だ。
 だが上半身がどす黒い色に染まっており、僅かに腐臭もする。
「呪いは祓い師と、それを依頼した依頼人に降りかかりました…勿論、呪殺を依頼してそれが返されたという訳ではありませんので、直接の因果関係はありません」
「祓い師の方はどうなんだ?そっちも同じ呪いが降りかかってんだろう?」
「……祓い師は死にました…即死です」
 廃病院で祈祷をした所、その場で憤死したらしい。
 同じ呪いを受けて何故依頼者が生きているのか、それは翡翠が前もって渡していたこの這子が肩代わりした為、死なずに済んだという。
「―――しかしこれは――」
 半分だけ染まった人形。
 依頼人は入院中。
「そうです…半分だけしか、身代わりになれなかったのですよ」
 だがそれが依頼人の死を回避した。
 この呪いが如何に強力な物なのか、翡翠の話と這子の状態を見れば推して知れた。
「………結局とんでもない厄介ごとじゃないか」
 深い溜息をつきつつ、煙草を取り出し火をつける。
 そして、暫し沈黙がその場を支配する。
「――幽霊退治も呪いも、それぞれ単品で来ることが多いが、今回は両方纏めて……ってことは、現地での退治組と廃病院の周辺調査及び廃院に至った原因の調査…そして現地スタッフのバックアップする連中が必要だな」
「それでは…」
「…必要経費や危険手当はたんまり請求させてもらうぞ」
 またもや深い溜息をつきながら、頭をかきつつ草間そう呟いた。
「恩に着ます」


【某所廃病院】

  誰もいないはずの空間。
 そこに微かに木霊するのは子供の声。

 ――まぁただれもいなくなっちゃった――

 ――つまんないね――

 ――ないね――

 ――またくるかもよ?――

 ――あのおばーちゃんしんでないんだよね。じゃあまたくるよね――

 ――つぎはどうやってあそぼうかな――

 ――こないだはおにいちゃんがまほうつかったね。つぎはどうするのかな――

 ――またおにいちゃんがやるのかな?それともせんせいかな――

 ――ぼくらもなにかしたいよ――

 ――せんせいにきこうよ、きっといっしょにあそべるほうほうおしえてくれるよ――

 そうだねそうだね、複数の子供の声がクスクス笑いながら奥に駆けていく音がする。
 勿論、そこに人影などない。
 暗く生温い空気が漂う廃院の窓に、時折赤やオレンジや青白い光の玉がポッ…ポッ…と漂い、まるで蛍のように点滅している。

===============================================================

□一日目 ― 14:30 ―【廃病院】

  昼日中、残暑厳しい今日日の夏の日差しの中でも、小高い丘の上にある廃墟の周囲だけは異様な空気を醸し出し、人を寄せ付けない。
 この暑い中でも、病院に近づこうとするだけで全身に寒気が走り鳥肌が立つ。
 街の者もあの廃墟にだけは近づこうとしない。
 噂を聞いて興味本位で他都市からやってくる若者達やテレビ局にも、相手が引くぐらい本気で止めにかかる。
 これ以上死人を増やしたくない。もはや朽ちるに任せるより他にない、そう思うようになっていた。
 今ではもう、殆どの者が廃墟のある方角を見ようとしない。


『ふぅん?あの婆さん、強力な助っ人を沢山呼んだみたいだな』
 窓辺から強い日差しが差し込む中、窓辺に佇む少年は陽の光に体が透けていた。
 半袖の、空色のパジャマを着た薄い茶髪の中学生ほどの見掛けをした少年は無表情で照りつける日差しの世界を見つめる。
『…? あいつら…ったく、今度は何でもめてるんだか』
 小児病棟の方からパシンパシンとラップ音が響いてくる。
 少年は最後にちらりと窓辺を見やり、院内の奥へ消えていった。


■一日目 ― 14:30 ―【草間興信所】

  廃病院でそのような出来事があった頃、草間興信所には珍しく人が大勢集まっていた。
 勿論、依頼人ではなく助っ人を頼んだ者ばかりだ。
 今回の依頼に仲介として入っている翡翠が事の成り行きを説明し、呪詛返しにあった這子の包みをテーブルに広げる。
 僅かに鼻をかすめる腐臭に、眉をひそめる者もいればハンカチで鼻を覆う者もいる。
「こちらが依頼主の呪いを半分だけ肩代わりした形代になります。本来ならば全ての呪いを受け止めるのですが、呪いが強すぎて半分しか肩代わりできなかった為にこのような状態になりました。ちなみに、加持祈祷を行った術者は現地でこの呪いを全身に受け、その場で絶命しております」
 依頼人は女性、術者は男性。
 人形を見た藤田・あやこ(ふじた・あやこ)は、上半身だけが呪いに染まっている状態を見て、てっきり女性の病に関して特化した病院だった為にこういう形で呪いがかかっている物だとばかり思ってその線で調査しようとしていた為、宛てが外れたらしい。
「呪い…、ですか。これはひどいですね…。こんなに強い呪い、よっぽど恨みか何かあるんでしょうか」
 樋口・真帆(ひぐち・まほ)はテーブルに置かれた人形をまじまじと見つめ、眉をひそめる。
 一人でこれほど強力な呪いを掛けられるのか。
 これが幽霊たちの仕業なのか。霊団というもの自体現世の理から解き放たれずにいつまでも地上にいる霊たちが強力な霊に引き寄せられ、それが凝り固まった物である事が多い為、一個体がこれほどの力を持つとは考えにくい。
「その人形、見せてもらってもいいでしょうか?」
「構いませんが、『視る』のでしたら…お覚悟を」
 呪いの霊視は危険を伴う。
 下手をすればその呪いが自らに飛び火するからだ。
 勿論、真帆もその程度の事は承知の上での申し出。浅く頷き人形を真正面から捉える。
「―――――…!?」
「樋口さん!?」
 急にこみ上げてきた吐き気。
 心配して顔を覗き込むシュライン・エマや他の者を押しのけ、口を押さえて一番近い台所へ駆け込み、流しに顔を突っ込む真帆。
「っ…!かはっ…」
 真帆の口から流れるのはどす黒い血。
 夢魔の血を引く夢見の魔女であるこの身にですら、霊視でこれほどの反動を伴うとは。
 流しが血に染まり、嘔吐感が落ち着いてきたにも拘らず動悸はなかなか収まらない。
 頭痛もひどく、眩暈がする。
「桐嶋さん」
「了解です」
 この場においてハッキリとした治癒能力のあるのはストーン使いである桐嶋・秋良(きりしま・あきら)だけ。
 回復は持ってきていないと一瞬焦ったが、状況から判断して『呪いの防御』と捉えるべきなのだろう。
 ルーンストーンの中で防御と保護を司るアルジズを取り出し、真帆の体に当て、その力を引き出す。
「…!…ふはっ……ぁ…」
 秋良がそうした途端、真帆を苛んでいたものが全て取り払われ、一気に呼吸も楽になった。
「あ、有難う御座います…」
「よかったぁ…」
 これで効かなかったらどうしようとか本気で焦っていた秋良は、読みが当たってホッとした。
「……」
 翡翠の話を聞いた上でも、今しがたの真帆の状態を見た上でも、何となく気に掛かったのは、病院に居るのは霊だけなのかという点。
 果たしてこれだけ強力な呪いをたかだか霊団の一つや二つでなしえるものだろうか。
「とにかくまず情報が足りない。手分けして情報を集めてくれ。一通り集めて有益な情報が複数出てくれば、そこから現地に赴く」
 草間の言葉に一同頷き、それぞれ考えていた事を実行に移す。
「では私は先に現地へ行っておこう。何、単身突っ込むような真似はしない。あくまでも廃病院周辺の調査を先にするだけだ」
 この中で一番戦闘に特化した天城・凰華(あまぎ・おうか)は調査よりも前衛で進む方が合っているようで、現場に皆が揃う前周辺を見て回っていると先に興信所を出た。
「病院かぁ。僕には縁のない所だけど、行ってみようか。とりあえず…依頼人さんに病院内の状況、覚えてる範囲で聞いておこうかな」
 甘いマスクで深紅の瞳が印象的な屍月・鎖姫(しづき・さき)は、チャリチャリと鍵を弄びながら呟く。
「それと、病院が潰れた経緯も。まぁ、そっちは依頼人さんよりも昔の新聞とか週刊誌とか…いるんなら、病院に勤めてた人とか当たった方が早いかな」
「現土地所有者が持ってるだろう情報…前の病院が潰れた時期や見取図、祈祷場所、前の所有者。廃病院なら廃墟巡りが好きな人達や肝試し等で過去出入はあったと思うの」
 ゴーストOFFや廃墟巡り系サイトで件の病院の目撃情報や何か聞いたり、病院内で事故があったなら何処かや、被害者がそれに遭遇する直前の言動がわかればそれも。
 噂も含め、病院が潰れてから直ぐに怪情報があったのか間が開いているか、その点にも注目して情報収集しなければならない。
 シュラインと鎖姫はまず依頼人の入院している病院へ向かうことにした。
「私も参りましょう。お話が聞ける状態なのでしたら、ね。あとは病院が建つ前の土地は何があったのか、郷土資料が揃っている場所で調べますね」
 ソファーに腰掛けていたセレスティ・カーニンガムは杖をついてゆっくりと立ち上がる。
「霊現象の詳細については…現場へ赴くしかないのでしょうけども」
 そんなセレスティの隣で、御祓いの途中で死人が出たということで及び腰になっていた山代・克己(やましろ・かつき)は、その折に受けた霊症に苦しんでいる人がいる事を思い、決断する。
「死ぬかもしれないってのは恐ろしいけれど、苦しんでいる人を見捨てれはしないよ」
 勿論、克己自身には御祓いなどできない。だが、出来ないなら出来ないなりの協力の仕方がある。
 廃病院の周辺調査及び廃院に至った原因の調査を主にしようと、席を立つ。
「僕も先に現地に行っとく。ついたら連絡してくれ」
 現地で他の皆がする事はほぼ同じであろう。
 ならば二度手間にならないように先に出来る限りの調査をしておけばいい。
 それが今自分に出来る最大のことだと思うから。
「あっと。皆出てくのちょっと待って下さい」
 それぞれがすべき事をしようと出入り口に差し掛かったところで、千石・霊祠(せんごく・れいし)が先ほどからいい香りが漂っていた袋を開ける。
「これ、皮と骨だけ残して中身皆で食べてくれませんか?」
 差し出されたのは香ばしい香りのフライドチキン。
 勿論、さし入れではない。
「あ、なるほど」
 皆の頭上に?は見えそうな中、真帆だけは霊祠がやろうとしている事を察した。
 この場で急にこんな事を言うからには何かしら意味があるのだろう。
 ややぎこちない雰囲気を醸し出しつつも、先に出たもの以外はチキンを口にする。
 皮と骨は霊祠に渡し、さてこれから何が始まるのやら。
「何を始めるの?千石君」
 シュラインの問いに霊祠はニッと笑い、テーブルの上に道具を広げた。
「チキン皮骨とその他少々道具を用いて挨拶がわりに「聖塩の骨呪」をやるんですよ」
 勿論、そんなこと言われてもシュラインには分からない。
「呪い返しですよ」
「って、呪い返しって言っても失敗したらこっちに――…」
「大丈夫。これ西洋の魔術の一つですから、反作用ないんです」
 間違っても自分に呪いが降りかかる事はないと断言する霊祠。
 少々不安げな様子で彼を見詰める一同。
「では―――いきましょうか」
 相手の実力と正体を探る為に。
 病院霊程度がこれほどの呪を使うとは通常考えられない。魔の類かどっかの術者の企み等の可能性もある。
 したらばお手並み拝見といこうではないか。
 まじないは専売特許。そん所そこらの連中や霊になど負ける気は毛頭ない。
 それぞれが食べた中で一番大きな皮を広げ、高さ5cm位の正三角形に切り、黒いペンで図式を描き、その皮の上に塩をひとつまみのせて包み、布紐で縛る。
 木の枝に火を点け、ちゃんと火が点いたら動物の骨を乗せ、動物の骨に火が点いたら、塩包みの皮をのせ、灰になるまで完全に燃やす。
 この場では燃やす場所は草間の持ってる大き目の灰皿でいいだろう。
 かけられた呪い・悪意を解除する「聖塩の骨呪」
 とても強い呪いであれば、かけた相手にはね返る。強さは真帆の状態を見るだけで十分だ。
「お手並み、拝見」
 興信所内が静まり返り、外の蝉の声が嫌に大きく聞こえる。
 テーブルの上の這子が震撼する。
 一瞬、這子を染めていた呪いがぴくりと動いた。
 しかしそれ以後完全に動きを止める。
「―――ふぅ…」
「どうなったの?千石君」
 霊祠は額に浮いた汗をぬぐい、微苦笑した。
「…実体もないのにやってくれますね」
 呪いをかけてきた張本人が見えたのだろうか。
「これから向かう廃病院…三種類います」
「三種類って、何が?」
 草間の問いに霊祠は苦笑交じりに答える。
「力の強い少年の霊が一体、小さい子供の霊が沢山…そして、霊ではないかもしれない者が一体」
「…?」
 呪いは少年がかけたものだとわかった。
 そしてこちらが仕掛けた呪い返しは無効化された。
 少年と少年の傍らにいるよく分からないモノに。
「ちょっとこれは中に入る前に入念な調査が必要ですね」


■一日目 ― 15:20 ―【某市某所病院内】

 「ちょっと待っててくださいね」
 翡翠が先に個室に入り、状況説明を済ませ他の仲間を招き入れる。
「あなた方が、お力を貸してくださるのですね。この度は面倒な事をお頼みしてしまって申し訳ない」
 上体を起こして頭を下げる依頼人。
「いつものことですからお気になさらずに。お辛いでしょう、横になったままで構いませんので」
 そういって依頼人を気遣うセレスティ。
 ではせめて、と翡翠にベッドを起こしてもらい、セレスティたちと視線を交わす。
「――まず、何をお話したらよいだろうか?」
 セレスティと克己はお祓いを頼んだ時、何か気になることはなかったかどうか、そして状況はどうだったのかを問う。
「お祓いといっても、地鎮祭に毛が生えた程度だったような気がするね。…それで、実際こういうことになっているのだから楽観視もできないのだけど」
 足をさすりながら依頼人は視線を外す。
 痛みも感覚もない。
 完全に麻痺している、というより目に見えているだけでそこに足などないのではないかと思わせるほど、存在感が薄いらしい。
 それも『呪い』ゆえか。
「千石君の呪い返しで返せないでしょうか」
「興信所でやったことがもう一度できるか…だろうね」
 一度できたことでも二度目はないと思った方がいいが、この辺はまた後程合流した時に霊祠に聞いてみるといいだろう。
「お祓い…漫画や映画でやってるような呪詛…?に失敗するとその依頼人までもが呪われるとあるが、まさかお祓いでも同じようなことになるとはね。あの霊能者には申し訳ない事をした」
 相手の力量を見誤っていたことで、死ななくていい人間を死なせてしまったことへの自責の念が依頼人の精神を苛む。
「相手の力量を推し量れないのは二流三流だ。結局受けた方にも責任があるんだから、貴方が気に病むことじゃない」
 視線は合わせず、そっぽを向きながらぶっきらぼうに呟く克己を見て少し微笑んだ。年の頃で言えば孫のような年齢だ。
「…呪いの状況から見て、『報復』ととった方がよさそうですね。ちょっかい出した当人と、それをやらせた者への報復…」
 呪詛なら依頼者の念を織り交ぜなければならない事が多い為、死なば諸共なことは往々してある。
「あとは病院内の状況、覚えてる範囲で聞いておこうかな。それと、病院が潰れた経緯も」
 傍にあった椅子に腰掛け、軽く柔らかな物言いで、何故か年上の者に問いかけらているような感覚になり、一瞬きょとんとする依頼人。
 そんな依頼人に鎖姫はにっこりと微笑む。
「そうさね…あの廃墟を下見に行った時から、夏だというのにどうにも薄ら寒くて、あれの敷地内は何処に行っても足元から冷え冷えしていたよ」
 丁度、エアコンのきいた部屋の前に立って、そこから漏れる冷気が足元をかすめるように。
 そして敷地内から出る時も、エアコンのきいていない部屋から出る時、むぁっとする感覚、あれにとてもよく似ていた。
 あの敷地全体が冷気に包まれている。
「それも院内が一番寒い。氷室のようにね…」
「入って、何か気になったことは?」
 克己の問いに依頼人は少し考える。
 あの時、あの場所で何を見たか。
「廃院になってから、やはり若者が肝試しなどで入った形跡があちらこちらにあったが…なんというか、どれも中途半端だった」
「中途半端とは?」
 その表現に思わず首をかしげるセレスティ。
 もしかしたらそれも演出だったのかもしれない。予めそれを伝えた上で、依頼人は見た事を話し始める。

 一階フロアの待合室は、思ったよりも荒れておらず、野良猫がいる形跡があった。
 しかしそれも入り口に程近い場所に集中し、奥へ進む廊下の方には猫の気配はない。
 何故か。
 そんな所も気になりもしたのだが、SPや建築業者、不動産業者を引きつれ建物自体の素材や劣化具合、基礎の状態を調べていった。
 建蔽率から考えても、大分余裕を持って景観を重視して作られた構想で、立地的にはとてもいい物件だと思う。
 ただ、院内の状態だけがどうにもひっかかった。
 書きなぐられたスプレーの落書き。
 それらしい恐怖を煽る言葉が綴られているのだが、それが書いてる途中で途切れた物が幾つも幾つも。
 そのどれにも、こすって消そうとしたような跡が残っている。
 間違った訳でもないだろうに、何故消そうとしたんだろうか?
「三階建て、本館と別館があって、中庭と二本の渡り廊下でそれを繋いでる…病室は山側と海側、どちらも景観は良し…街から少し離れてはいるけれど、バスも通ってたみたいだし、交通の便は悪くない…街にライバルになりそうな病院は特になし…よっぽどワンマンな経営でもしていたかね?」
 青図面や前所有者のデータを眺めながら調査を続けていた所、不動産屋の動向が妙なことに気づいた。
 何か隠している。
 瞬時にそれを見抜き、鎌をかけてみることにした。
「人がいなくなると、建物というのは急に劣化していく…不思議なものだね。幽霊でも出そうだ」
 一番ポピュラーで、一番非現実的なところから攻めてみよう。そう思ったが、意外にもこの言葉に不動産屋は過剰反応する。
 まさか、本気で?
 本気で幽霊が出るとでも言いたいのかと問えば、真っ青な顔をしてとりあえずここから出ようと急かす。
 出たければ一人で外で待っておいで、そう言うと尋常ではない表情で声を荒げるのだ。
 一人で行動するととんでもないことになる、と。
 そのあまりの形相にその場の全員が引いた。
 とりあえず落ち着かせて話を聞く為にも外へ出ようと全員が外に出る。
 そのとき、一人のSPが携帯を落とし、相方が緊張感がないと注意しながらも階段をおりる為、壁に阻まれ相方の姿が視界から消えた。
 すぐに来るだろうと思っていたが、後ろに続いて階段を下りてくる気配がない。
 先を歩く一同を引きとめ、階段を戻ると、そこには拾おうとしていた携帯だけが落ちていた。
 一人で行動してはいけない。
 その話を聞いた矢先の出来事。
 悪い冗談は止せと叫ぶも、反応はかえってこない。
 その場にいる自分たち以外に人の気配はしない。
 周囲を見回しても、あの一瞬で隠れられるような場所はない。
 長い廊下が左右に伸びており、隠れてこちらの様子を伺おうにも隠れられる場所がないのである。
 その瞬間、全員の背筋に言いようもない悪寒が走る。
 出よう、話はそれからだ。
 姿を消したSPのことは当然心配だ。
 しかしこの場で捜索に当たるには人数が少ない上に土地勘もない。
 初めて視察に訪れたこの場で、むやみに動き回るのは危険すぎる。
 同僚を探しに行きたい気持ちはあるが、それよりも力なき主を護る事を優先させるのがSPの仕事。
 後ろ髪引かれる思いで院内から出て、一人減った状態で他にいなくなった者がいないかを確認して、改めて不動産屋に詰問する。
 だから一人で行動してはいけないと言ったのに。そういって震え、俯く姿に苛立ちがこみ上げてくる。
 意気地ががないね、と軽く頬をはたき、目を見つめる。
「あの場所で何が起こったのか、分かる範囲で説明してくれるね?」
 そうして、廃院となる原因になった出来事を話し始めた。

「―――院内で、小児病棟の子供達が全員謎の死…」
 一通り話を聞いた一同は、また一つ増えた謎に困惑する。
 それまでは何事もなく運営されていた病院。ところがある朝、院長回診の時間がきて小児病棟の方に差し掛かった時だ。
 最初の部屋の子供達が全員息をしていなかった。
 慌てて他の部屋の子供達を診に走ったが、どの部屋の子供も亡くなっている事が判明した。
 マスコミに取り沙汰され、訴訟沙汰、他の患者の転院が続出。
 あっという間に病院は潰れてしまった。
「市内の方に行けば、あそこに勤めていた者やその当時入院していた者がまだいるかもしれない」
 無論、あの病院が潰れてから既に十年経っている。
 どれだけの情報を引き出せるか、そこが焦点となるようだ。


□一日目 ― 15:25 ―【廃病院】

  院内は相変わらず静かなものだった。
 病棟の一画で、また同じように窓際に佇む少年がいる。
 小児病棟の方は静かなままで、ラップ音も何も聞こえない。
『やれやれ……先生が決めることで自分らで勝手に盛り上がって喧嘩ってか…メンドクサイなまったく』
 次は誰が人間達に仕掛けるのか。
 分別のつかない子供達には楽しいゲームでしかない。
 それこそ、血みどろになっても、誰かが死のうとも。
 まるでゲーム世界のように何の躊躇いもなくそれを行う。
 無垢の残虐性は時折恐ろしさを感じさせる。
『―――次はどうする?先生』
 少年が振り返った先で黒い影が蠢く。


■一日目 ― 15:30 ―【某市市立図書館】

 「十年前ともなると新聞捜すのも一苦労ね」
 大きな図書館ならば下記の記事は全てデータ化されて閲覧も楽になっているが、地方にはまだそういう設備が備わっていない事が多い。
 ただ、古い図書館の場合、所によっては生き字引のような司書であったり、常連の老人がいたりすることもある。
 幸いここでは長い間司書として勤めていて、今は後任指導でボランティアで来ているという老人がいた為、その記憶を頼りに当時の新聞を探し出した。
「全国紙、地方紙、スポーツ紙…随分大きな事件だったみたいね」
 シュラインはその当時の資料をあたりながら、どれだけ凄惨な事件が起きたのかを紙面に並ぶ活字から想像する。
「こっちの週刊誌もすごいよ。書き方が思いっきりB級ホラー」
 鎖姫がひらひらと古めかしい週刊誌をシュラインの前にちらつかせ、テーブルに腰掛ける。
 途中から合流した鎖姫達も先に調べを進めていたシュライン達に合流し、当時の記事を洗っていた。
「ゴーストネットOFFや廃墟巡り系サイトで件の病院の目撃情報や何か聞いたりとか、事故とか…噂集めをしてみたけれど」
 そういってプリントアウトした情報を各自に見せる。
「…削除されてる?それほど危険な場所と言うことですか」
 あやこはノートからURLにアクセスして同じ情報を探すが、シュラインが見た削除情報からもあの廃病院の情報は削除されているようで、何の痕跡もなくなっている。
「もしかすると目撃者どころか、中に入った者で無事だった人がいない…ということなのかもね。ゴーストネットOFFの方は、あまりにもやばい所だったからって、目撃者が削除申請してきたそうよ」
 投稿者いわく、他の仲間が肝試しに入っていくのをとめたらしいが、誰一人として聞かず、結局足代わりとして車を出させられて現地まで行ったらしい。
 ところが誰一人として帰ってこない。
 冗談はやめろと入り口付近まで行って叫んでみるも、何の反応もない。
 結局朝まで車の中で待っていたのだが、誰一人として戻ってこなかったそうだ。
 あそこはおかしい。
 何か分からないが危険すぎる。
 誰も行かない方がいい。
 そういう理由で、雫宛てにメールが来て、その後削除されていたらしい。
「――依頼人の話と通じる部分がありますね」
 新聞に目を通しながらセレスティが依頼人に聞いた内容を各自に話す。
 一人になった瞬間、消える。
 何処へ行ったのかも分からない。
 ただ確実に、一瞬でも一人になるともうその人は帰ってこなくなる。
 肝試しにいった連中も中で一人になる瞬間があったのだろう。
「建てられた当時の青図面などは確保しましたが、中で行動する際には必ず二人以上で行動する必要があるようですね」
「『呪い』に失踪……ますますわからなくなってきたわ」
 己が推理したことが殆ど外れている中、考えを改めざるを得なくなってきたあやこ。
 ネット媒体、紙媒体で調べられることは調べた。
「記録として残っているものは出来る限り洗ったわ。桐嶋さん、樋口さん、千石君は今商店街で聞き込みをしてるらしいから、そっちへ向かいましょ」


■一日目 ― 15:30 ―【某市内繁華街】

  商店街組とは別に、単独で調査を進めていた凰華は集めた情報に浅く溜息をつく。
「…小児病棟での謎の大量死…子供達と親しかった難病の少年……」
 怪現象の噂が立ち始めてからその当時勤めていた看護婦が気になって同僚数名と無謀にも様子を見に行った。
 そこで見たのは、その当時難病にかかっており、治る見込みが殆どなかったという少年の霊を目撃しているということ。
 更に小児病棟から子供達の声。
 途中で引き返した為、彼女らに何か障りがあったかと言えば、一時的に精神が参ってしまってカウンセリングを受けたということ以外特に何もない。
「キーワードは単独、大量死、少年と子供達…」
 それ以外にも何かありそうな気はするのだが、如何せん情報が集まりにくい。
 十年も前の話であれば、その当時若かった者はこの街を捨て、新天地でやり直していることだろう。
 老人に関してはまだ生きているかどうか。その一点ばかりだ。
「しかも思い出したくもないほどの出来事……」
 事情を知るもの同士はそれについて会話しない。
 他所の者に聞かれても、行かれるのは困る。だから口を紡ぐ。
「病院の概観だけでも見ておくか」
 単独で院内潜入が難しいのであればなおさら。


■一日目 ― 15:30 ―【某市内商店街】

 「かえっとくれ!」
 ぴしゃりと閉められてしまった扉の前で深々と溜息をつく秋良。
「解決する為の調査だって言ってるのに…」
 殆ど聞く耳持たない住民が半分。
 言葉を濁す住民が半分。
 どちらにせよ役に立つようなレベルの情報は入っていない。
「そちら、どうでした?」
「真帆ちゃん」
 全然駄目と溜息混じりに言う秋良。
 次行きましょうと休憩の意味も込めて近くの店先で売っていたグリーンティーを差し出す真帆。
「…やっぱ見た目もあるのかなぁ」
 確かに肝試しに行ってそうな年齢ではある。
 そういう年齢であることは認めざるを得ない。
「聞く相手により…ですかね」
 苦笑する真帆。
 ただ、霊祠も真帆も魔女であるがゆえに、人の心を読むのは慣れている。文字通りに読むわけではなく、あくまでも読心術として。
 人の心を掴む術も魔女としての資質の一つでもあるわけだが。
「?」
 先ほどからチラチラと視線を感じる。
「…あの病院のこと聞きまわってるから、それでかな?」
「だと思います」
 ちょっと拙い雰囲気かな、と思いかけたその矢先、霊祠が合流してきた。
「お待たせしました。そちらはどんな感じですか?」
「十年前に入院していたという話は所々で聞けましたが、何分一般病棟だったので小児病棟について詳しい事は分からないという方ばかりですね」
 小児病棟は面会禁止は鉄則である。
 中には親と会える所もあるのかもしれないが、基本的に親がマメに見舞いに来てくれる訳ではない。
 そうなると来てくれる子供と来てくれない子供との差が生まれてしまう為、そして親恋しさにぐずる子供が出るとそれが一気に子供達の間に伝染して手がつけられなくなるのを防ぐ為、小児病棟への立ち入りは医者と看護士に限定され、差し入れなども基本的に不可となっている。
 一般病棟と小児病棟を隔てるものは一枚のガラス扉。
 勿論、特殊な作りになっているから割れにくい。
「お見舞いに行くとさ、一般病棟との境の扉の前でたまに子供がジッとこっちを見てたりするんだよね」
「一般病棟とは違ってあちら側は退院するその時まで外出はできませんしね」
「少なくとも、子供達と少年の関連性が見つかればいいんですけど」
 呪い返しによってあちら側に三種の存在がいることはわかっている。しかし、少年と子供達の接点がつかめない。
 一般病棟と小児病棟を繋ぐその道はどこに?
「オイ、あんたら」
 考え込む三人の所に、麦藁帽子をかぶり、手ぬぐいを首からさげた老人が声をかけてきた。
「何でしょうか?」
 秋良が前に出ると、その老人は三人の顔をジロジロと凝視する。
 値踏みの目。
「あの病院の事をかぎまわってるみてぇだが…お前さんら何モンだね?テレビか?それとも肝試しか?」
 どちらでもないと三人とも頭を振る。
「あの土地を購入した方からの依頼で、あそこで起こっている事を解決する為に情報収拾している者です」
 あんたらが?と更にいぶかしまれたが、他にも仕事仲間が何人も来ていると説明して、危険な所であると分かった為により細かな情報を必要としているを説明すると老人はしばし黙り込んだ。
 これで頭のおかしい奴だと判断されなければいいのだが。
「………わかった。あんな恐ろしい所をどうにかできるかもしれんと言うなら人を集めよう。ただし…」
 解決できないならば即出て行け、老人の言いたいことなど推して知れた。


■一日目 ― 16:10 ―【廃病院前】

 「…確かに、霊の気配が強いな」
 病院の前までやってきた凰華は、そのおどろおどろしい建物をゆっくりと見上げる。
 夕暮れ前とはいえ、来る途中まで蒸し暑いことこの上なかったのに、院の敷地内に入った瞬間から空気が変わった。
「のっけから反発…か」
 弱い霊は部外者がくればなりを潜める。逆に何かアクションを起こしてくるのは反発、それも力のある霊。
 幸い気配は院内に強くある。
 外にいるこちらに注目しているようではあるが、仕掛けてくる様子はない。
 これ幸いと病院の周囲を歩き回っていた所、茂みの中からこちらにずっと視線を向けている者がいる。
「誰だ」
 振り返った瞬間茂みがざわつき、凰華の声に驚いた様子だった。
「ここは危険だ。興味本位で来たのならやめておけ」
「…やっぱり、危ない所、なのですか…?」
 か細い声が茂みの奥から返ってきた。
「子供…?」
「深久は…ただの猫です…」
 しかしおどおどしながらも顔を出したそれは、何処をどう見ても人間の男の子。小学生ぐらいだろうか。
「ここで何をしている?」
「仲の良い子が縄張りの近くの廃病院が変な感じで怖いと言っていたので……散歩がてら様子を見に…」
 そしたら凰華の姿を見かけたという。
「名前は?」
「黒祈・深久(くろき・みく)です…ここ、何があるの?」
 凰華はまだ分からないと目を伏せる。
「この病院に沢山の霊がいることは確かだ。お祓いしようとした者が死んで、それを依頼した者にも呪いが降りかかって下半身不随に…足がまったく動かない状態になって今も市内の病院に入院している」
 自分は他の仲間と共にこの廃病院に巣食う霊団の一掃と、依頼人に降りかかった呪いを解く為に調査をしている途中だと説明した。
「深久もいきます!」
「何だって?」
 人間は怖いけれど友達の為もあるし、何より誰かが困っているというならそれは何とかしてあげたい。
 自分だって歩けなくなるのは嫌だから。
 もし自分の友達にそんな呪いが降りかかったらと思うといてもたってもいられない。
「深久もお手伝いする…です」
 どうしたものかと溜息をつく凰華。
 確かに、何か異能を持っている気配はするが、明らかに見た目どおりの年齢にしか思えない。
 子供に子供の霊と対峙させてよいものだろうか判断に悩む。
「……協力するその意志はありがたいが、僕の一存で決められることではない。あと一時間もすれば仲間と合流する。そこで他の仲間に聞いてみるといい」


■一日目 ― 17:00 ―【廃病院前】

 「あれ?天城さんの横に…」
 分かれて活動していたメンバーそれぞれが病院の前に集合するまでそれほど時間差はなかった。
 ただ、やはり凰華の傍にいる子供に自然と目がいってしまう。
「――ほら」
 自分で説明するんだと促す凰華。
 目の前に立つ大勢の人間が、聳え立つ山のように見えて深久はしり込みしてしまう。
 近くにあった木にそろそろと隠れ、顔を半分覗かせて事情を説明する。
 こんな状態で本当に大丈夫なのだろうかと不安な表情で深久を見やる一同。
「――深久、くん? その、今回のことは命がけなところがあるから、子供は流石に…」
 シュラインが言葉を濁すその心中を皆が察している。
 ところが深久は自分は猫だから、といって目の前で猫に変身してみせる。
『深久は猫ですから、人じゃないから大丈夫です』
 可愛らしい黒猫姿になった深久を見て、猫又の類であれば、と少し安心したような素振りを見せるが、その傍らで凰華はあれは猫ではないと呟く。
 何がきっかけなのか分からないが、少なくとも獣化能力のある人間であって、猫又などの化け猫の類ではないという。
「変身以外にも何か能力はあるようだが…どうする?猫の手も借りるか?」
 こんな時に上手いこと言われても、と薄笑いを浮かべる草間。
「人手は多いに越したことはないと思います。能力者なんですし、いざとなればフォローもしますから」
「そうですよ、友達の為に何とかしたいって言ってるんですし…協力してもらいましょうよ」
 真帆と秋良が後押しすると、草間は仕方ないなと苦笑する。
「子供に子供の霊と対決させるのは…アレだが、な」


■一日目 ― 17:25 ―【廃病院一階フロア〜三階フロア】

 「寒…っ」
 思わず身震いするほどの冷気が院内に立ち込めている。冷房をガンガンきかせたオフィスの方がまだ暖かいと思えるほどに。
「依頼人の話では一階フロアのこの辺りは何も起こっていないんだな?」
 瓦礫を足蹴にして除け、奥の方へ目を配る凰華。
 現状直接的な攻撃手法を用いるのは彼女のみ。
「ええ、少なくとも二階に通じる階段の近くに行くまでは安全圏と言えるでしょう」
 先に入手した院内の見取り図のコピーを凰華に渡し、現在位置及び上の階の構造を頭に叩き込む。
「でもさぁ?よっぽどばたばたしてたんだね」
 会計横のカルテを管理しているデータベースへ進入した鎖姫が中に残されていたカルテを幾枚も発見する。
「カルテが幾つも残ってる」
「例の少年のカルテはありそう?」
 秋良の問いかけにどうだろうね、と肩をすくめつつ、鎖姫は少年の名前を探した。
 岡崎十夜。この病院に今でも残る霊の一人。
 元看護士たちがみたという、難病を抱えた十四歳の少年。
 先天性の循環器疾患により、処置で痛みを和らげはするものの、決定的な解決策にはなっていなかった。
 最後には苦しんで死んだのかもしれない。
 そう思うと居た堪れない。
「?どうしたんですか、草間さん」
 しきりに時計を気にしている草間に気づいた真帆が聊か苛立っている草間の様子を伺う。
「ん?あ、ああ…こんな時間だってのに、アイツが来ないと思ってな」
「アイツ?」
 北城、そう言われてああ、そういえばと相槌を打つ真帆。
「え、北城さん来てるの?」
 シュラインの反応も当然である。何しろ始めの時点で全く彼のことなど聞いていないのだから。
「全く連絡よこさねーから言おうかどうか迷ってたんだよ」
 そうやって迷っているうちにいつの間にやら全員集合で今に至る。
 情報も一通り集めた中で、今更彼が出てこようものならハッキリ言ってたこ殴りの刑でもいいところだ。
「もしかしたら既に院内にいるのかも。ちょっと様子見てきますよ」
 霊祠がそう言い出し、一人で行く気かと誰もが動揺した。しかしそこは魔術を駆使する者。
 持てる限り持ってきた魔法陣の描かれた紙を媒体に、自らを霊に見えるよう化けさせる。
「いざと言う時は召喚帰巣用の術を自身の帰還術として発動待機状態を維持しておきますからご心配なく」
 二点間を結ぶシンボルをベースに置き、一つを自分が持つことで魔術的な道が出来上がる。
 やばくなれば瞬時に戻れるように。
『じゃあ行ってきます』
 霊祠の体が変化していく。
 すると瞬時にその場から掻き消えた。
 一階にはいない。
 二階、渡り廊下、病棟。
『あ』
 黒がっぱな金髪にサングラス。夏だというのにまっ黒なスーツ。
 そして傍らには一頭の大きな狼。
 彼で間違いないだろう。しかし、様子がおかしい。
 床に這いつくばったまま片手でずりずりと移動している。
 まさか――…
「さっきからそこで見てる奴、トドメ刺しにきたんならさっさとやれや」
『あ、僕は違います。なんていうか…援軍?今草間さんたちが一階でベースを組んでます」
 霊のような姿をして見えるのはそういう魔術だからと説明し、他も一通り見たら伝えに戻ると言って霊祠はその場から離れようとした。
「待て。例え霊の姿であってもすぐにばれるぞ……ここにはガキと黒いのしかしねぇからな…」
 いる数は決まっている。だから浮遊霊を装っても無駄だと。
「…下手すっと黒いのに呑み込まれるぞ…」
『見たんですか?』
 一人の霊と共に院内を移動している黒い塊がいて、退治しようとしたが逃げるのが精一杯だったと。
「…半分持ってかれちまった…ざまぁねぇな」
 左腕と左足が動かなくなってしまった善。
『それは、岡崎十夜君は今どこにいるんですか?」
 小児病棟にいる。そういって善は倒れこむ。
 左腕と左足から精気を吸い取られているようで、徐々に消耗していっているらしく、意識を失わないでいるのがやっとらしい。
『今ベースの皆さんに知らせてきますから、頑張ってください』
 悪い、と一言呟いてそのまま善は突っ伏した。
 霊祠はすぐにベースへ戻る事はせず、小児病棟へ通じる三階へ向かった。
 状況を確かめておかねば来た意味がない。
『…!』
 三階に入った瞬間、凄まじい重圧が圧し掛かってくる。
 そこいら中に気配が溢れており、気を抜いたら押しつぶされそうなほどだ。


―――オマエ カ―――

『!?』
 耳の傍で誰かが囁く。
 拙い。
 闇が迫ってくる。
『っ…!』
 スタンバイしていた召喚帰巣の術を発動させ間一髪、自分を包み込もうとしていた闇から逃れた。


■一日目 ― 18:05 ―【廃病院一階フロア】


 「千石くん!?」
 霊祠が消えた場所に再び霊祠の姿が瞬時に現れ、疲弊した様子の霊祠が虚空を見つめている。
「何があったの?」
 秋良とシュラインが駆け寄ると、未だ整わぬ息のまま、二階に善がいて助けを求めていると告げ、壁にもたれかかった。
「北城さんが!?行かなきゃ!」
 秋良が慌てて向かおうとするのを引き止める間もなく、走っていってしまう。
「私も行くわ」
 秋良の後を追ってあやこも走った。
「てか動けねえんだろ?女二人で担いでここまでこれるのか!?」
 しょうがないとばかりに克己も後を追った。
 バタバタと二階に駆けていく三人の背を見つめながら、心配そうに受付のカウンターから顔を覗かせる真帆。
「…大丈夫でしょうか…」
「…岡崎十夜君とあの黒い塊は今小児病棟に…それに通じる三階にいます…早く引き上げてくれば、大丈夫かと…」
 それもあちらが攻め入ってこない事が前提の話だが。
「何を見たんですか?」
 霊祠に水を渡し、落ち着いてからでいいからとセレスティが囁く。
 水を一気に飲み、深く息を吐いてホンの数秒。
「闇が…」
 それ以外に何も言いようがなかった。
 意志を持った暁闇の闇。
 それ以外表現しようがない。
 あの存在は何なのか。
 何故岡崎十夜と共に行動しているのか。
「それってさぁ、もしかしたらこの人かもよ?」
 受付から顔を出した鎖姫が何枚かのカルテを並べた。
 中には岡崎十夜のカルテもあった。
「それ、子供達のカルテだけど、それ以外の共通点があるよ」
 言われてカルテを余す所なく見る。
「―――間宮、まどか…?」
 どのカルテも担当医師の名前が間宮まどかになっている。
 それに付け加えその全てが子供のカルテ。
「その黒い影って、その人なんじゃない?」
 子供達の謎の死も。
 岡崎十夜を操っているのも。
 その『間宮まどか』ではないか。
「十年前の小児病棟大量死、その時の担当医が『間宮まどか』、一般病棟にいた岡崎十夜の担当医も『間宮まどか』…そして――」
 今この廃病院に巣食っているのは小児病棟の子供達と岡崎十夜、そして黒い闇。
 状況から考えてもそう見るより他にない。
「いったい、何の為に…」
「戻りましたぁ!」
 シュラインの呟きとほぼ同時に秋良の声がして、二階にいっていた四人がフロアに戻ってきた。
「善、大丈夫か?」
「大丈夫じゃねーよ…半分、持ってかれた」
 動かない左半身。
「――その手…スミマセンが上だけ脱いでもらえます?」
 善の左手の異変に気づいたセレスティは、下はいいから上だけ脱いで左腕を見せるよう促した。
「うわ…」
「何これ…」
「ひどい…」
 善の左腕を見た一同が呟き、女性陣は思わず目をそむける。
 興信所で見た這子のように、善の腕は黒く変色していた。
「かすった程度…だったんですかね?興信所で見た這子は腐臭も漂ってましたし」
「翡翠が予め肩代わり用の形代を人数分用意してくれてるからな、あとはコイツの反射神経と彩のおかげでこの程度で済んだのかもしれん」
 ふいに院の外を見やる。
 もうじき日が暮れる。
 夜がやってくる。
「――とりあえず、不明要素が多すぎます。一度情報を整理しましょう」
 もう一度市内に戻って再調査しなければならないかもしれないが、今日は一先ずここでビバークするしようと提案する。
 行って戻ってを繰り返すのは非効率的だ。
「あ、さっき商店街で話をしてくれたおじいちゃんがこの病院に一番近い家が協力してくれるって言ってました。食事とかお風呂とか」
 病院からの往復は歩きで十五分ほど。
「それじゃあ桐嶋はその家に説明に行ってくれ」
「一応、こちらでも必要物資の手配はしておきましょうか」
 さらりと言ってしまう辺りはさすが財閥総帥か。
「僕はもう少し調査を続けてみよう」
 凰華が立ち上がり、階段へ向かうのを草間が止める。
 すると凰華は上には行かないといい、階段を指差した。
「上以外にもあるだろう?下の、霊安室とか」
「じゃあ僕も行こうかな、どうせ鍵かかってるだろうし?」
 自分がいれば鍵には困らないよと軽く笑う鎖姫。
『深久もいきます』
 そうして三人が地下の探索にあたった。


■一日目 ― 18:10 ―【廃病院地下一階】

 「地下に霊安室あるの定番だけどさぁ、ちょっとこれは某ゲームみたいなかんじ?」
 明らかに何かいる気配がぷんぷんする。
 深久も何かの気配を感じて地下に降りた瞬間から全身の毛を逆立てた。
『あそこ、何かいる』
「セオリーから行くと、ゾンビが出てきて…といったところか?」
 呆れた様子でそう呟きながらも、凰華は剣を構え、攻性魔術を展開させる。
「霊安室、鍵かかってるみたいだけど開けちゃう?」
 壊すのか、と問われれば、まさか、と笑う。
「鍵師が開けずに壊してどうするのさ」
 そういって小道具でいともたやすく霊安室の鍵を開けてしまった。
 ところが、開けた瞬間鎖姫は扉の前から急いで離れる。と、その瞬間、それを待っていたかのようにほぼ同時に中から何かが飛び出してきた。
「あ〜やっぱり?」
 霊安室から出てきたのは大量のゾンビ。
 恐らく、肝試しに来て消えたという若者たち。それに依頼人のSPも含まれているだろう。
「死者は死者に、死にぞこなっていつまでも出歩いてるのは関心しないな!」
 氷結魔術で全体の足止めをして、光の攻性魔術で死者をあるべき姿に返していく。
 凰華に続いて深久も風を呼んだ。
 彼は風に浄化作用を持たせる事が出来る為、この効果は凰華の魔術の助けとなった。
「なかなかやるな」
 ゾンビを一掃した後、霊安室の中に入る三人。
『くさ…』
「今の深久にはきつそうだ。廊下で待っているといい」
 凰華に促されるまま廊下に出る深久。
「さすがに霊安室自体には何もないかぁ」
 遺体安置所があるような大きな病院ではない為、室内にあるのは神棚があった痕跡のみ。
 あれだけのゾンビがいたのでは神棚も何もあったものではない。
「まぁあれが上に上がってくる前に始末できただけでもよかったかもね」
 もう何もないことだし戻ろうか、鎖姫がそう言ってきびすを返したその時、凰華が天井を見上げて言った。
「いや?何もないわけじゃないようだ」
 言われて彼女の視線の先を追うと、天井一面に描かれた魔法陣に鎖姫の表情も強張る。
「マジでいかれてんな…」


■一日目 ― 19:00 ―【廃病院一階フロア】

  地下へ行っていた三人が戻ってきて、そこで起きた事見た事を報告する。
 霊安室に閉じ込められていた失踪者のゾンビ。
 その室内の天井に描かれていた魔法陣。
「何が何なんだか…」
 日が暮れてから病院の全景を見る為に箒に跨って上空から観察きた真帆は、周囲から霊を集めている様子はないと報告。
「地下にあった魔法陣、あれはその陣が向けられている方向から力を奪い取るものだった。…失踪した者は全てあの部屋に入れられ、精気を吸い取られ続けていた…ということかもしれない」
 人の精気を何の為に使おうというのか。
 今も疲弊し続ける善の状態からしても、生者の精気を必要としているのはわかる。
「依頼人に降りかかった呪いは報復…この場所から追い出そうとした者とそれを指示した者だから」
 手帳を取り出し、分かった事を箇条書きで纏めていくシュライン。
「霊能者の霊を呼ぼうとしてますが、全く呼びかけに応じない…というか、存在自体が残っていないのか、はたまたあの闇に吸収されてしまったのか…」
 あの闇に一番近づいた自分だからわかる、自分が消されるという恐怖。
 名前が分かっている岡崎十夜や、恐らく死んでいるであろう間宮まどかも死霊術で配下に引き入れようと試みるが全く反応がない。
 まさか、既に『死霊』ですらなくなっているというのだろうか。
「病院自体が怪しい実験をしていたとかではなく、恐らく『間宮まどか』医師の独断」
 組織ぐるみで何かを行っていたとするならば、子供の大量死がきっかけで潰れることもないだろうと考えた。何かしらの隠ぺい工作を行うはずだと。
「当時の裁判記録は流石に閲覧できなかったけど、なんつーかな…院長の裁判を傍聴しに行ったって人はいたよ。自分はやってない自分は何も知らない。錯乱状態だったらしくてさ。今でも鮮明に覚えてるって」
 図書館で資料を当たっている最中、克己が調べて聞き込みしてきた内容は、院長は何かに怯えていたようにも思えた。
「院長は『間宮まどか』医師自体に、医師の行動自体を恐れていたのかもしれない…何か恐ろしい新薬の実験でもしてたんでしょうか?」
 あやこの言う新薬の実験はともかく、少なくとも院長が間宮まどかを恐れていたことは当たっているはず。
「小児病棟の子供達…何故一人の医師が全員の担当者となりえたのか。何故、子供達を殺す必要があったのか…岡崎十夜君を子供達のまとめ役にすえた理由は何なのか…」
 『間宮まどか』医師がすべての出口の鍵になっている。セレスティがそこまで口に出さずとも全員が胸のうちにそう思っている。
「そちら、北城さんの様子はどうですか?」
 治療に当たっている秋良と深久が先ほどよりマシにはなって来ていると告げる。
「今すぐには無理かもしれませんが、治すことは可能なようです」
 善の左腕を染め上げていた部分が先ほどよりも減っているのがわかる。
「明日、『間宮まどか』医師について調べ上げましょう。事は全てそこに繋がっている筈です」


□一日目 ― 20:00 ―【廃病院三階小児病棟前】

  一階フロアのいる草間たちの様子を、岡崎十夜は時折気にしていた。
 何故先生は一気に片をつけないのだろう。
 何故自分は一階に出られないのだろう。
 生きている間、患者だった頃に病棟から出られなかったせい?
 小児病棟の子供達がそこから出られないように。
『…生きてる連中なんて何もできないのにな』
 自分の胸の痛みも、孤独も何一つ取り払ってはくれなかった。
 死んでからも痛みに苛まれ続けた。
 それを先生が救ってくれた。
 もう胸の痛みはない。
 あれだけ変形して、変色していた爪も、普通の人と同じ。
 もう馬鹿にされることもない。
『先生が僕を救ってくれたんだ…』
 だから先生の邪魔をする連中は許さない。
 先生に教わった方法で全員皆殺しにしてやる。

『早くこっちに全部戻ってきてよ、まどか先生――』
 十夜の傍で黒い闇が蠢いている。



あと少し


あと少しで完成する
死ぬことのない完全なる肉体
死と言う呪縛から解き放たれ、新たなる力を得た



私の新しい体





―了―
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2562 / 屍月・鎖姫 / 男性 / 920歳 / 鍵師】
【2981 / 桐嶋・秋良 / 女性 / 21歳 / 占い師】
【4634 / 天城・凰華 / 女性 / 20歳 / 退魔・魔術師】
【6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生/見習い魔女】
【6540 / 山代・克己 / 男性 / 19歳 / 大学生】
【7061 / 藤田・あやこ / 女性 / 24歳 / 女子大生】
【7086 / 千石・霊祠 / 男性 / 13歳 / 中学生】
【7132 / 黒祈・深久 / 男性 / 8歳 / 野良猫(人)】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、鴉です。
界鏡現象〜異界〜ノベル【廃病院リポート:T】に参加頂き、有難う御座います。

ノベルに関して何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せ下さい。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。