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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


涼みに潜む怪

「お姉さま、何処へ行かれるのです?」
 白いワンピースに細く小さな身体が前を歩く女性を覗き込むようにして追う。
 街から少し離れてはいるが人通りは少なくは無い、流行のファッションや高層ビルの立ち並ぶ道筋ではなかったが図書館や博物館に街路樹が美しく並ぶこの場所で。
「ああ、美術館へとでも思ってな」
 少女よりも少しばかり背の高い女性は薄い紫の衣を纏って同じ色の日傘を差し、覗き込んでくる紫色にも見まがう赤を見やる。

 この夏の日差しが照りつける中、静かな道を歩む二人の向かう先が決められたのはつい数時間前の事であった。



 夏になれば暑い。それは日本という島国に暮らす者ならば当たり前に感じることだ。東京ともなるとその暑さは沖縄などの離れた場所とは違う、独特の蒸し暑さをもって住む人間を責めさいなむ。
(しかし暑いな)
 閑静な住宅街に佇む一軒の住宅内。ベランダに白いパラソルを差し本に熱中していたシリューナ・リュクテイアはじりじりと照り付ける日差しと耳に障る蝉の鳴き声に眉を潜め、手にした本を消した。
 魔法。現代ではあり得ない現象を人間さ様々な形で言葉にしてきたが、シリューナの専門は主に魔法、しいてはその薬の作成にある。
 実際にこの普通の住宅に見える自宅も魔法で広く、中だけは上手く実験用に拡大させているのだから普通と名の付く者ではない事だけは確かだ。指先一つで使用できる魔法もあれば大掛かりな設置が必要な魔法もある。それらを熟知している彼女だからこそ、もう一人。
「お姉さまー! 買出しはこれでいいでしょうか?」
 魔法のかかった空間で移動できる人物は少ない。元々空間を歪ませる等と工夫を凝らし他所の人間には分からないようにしてあるのだから。その中をシリューナに向かって一目散にかけてくる少女――ファルス・ティレイラを除いては。
「日の当たらないテーブルに置いておいてくれ。 ティレ、今日は随分と暑いじゃないか?」
 買出し、というのは魔法に関するものではなく一般的なパン屋のそれだ。茶色い袋に自分も食べたいのか沢山のパンを積み上げたティレイラは突如発音された彼女の師匠である女性の言葉に首を傾げ、瞳を数秒泳がせたと思うと。
「はい、お外なんて凄かったですよ。 あの、でも暑いのは夏だからじゃ…」
「まぁ、そうだがな」
 ティレイラは少女であるからか、それとも気の強い体質であるからか夏とはいっても『夏バテ』という言葉とはあまり無縁に見える。ただ、そう感じるだけで違う可能性も否定は出来なかったが、シリューナは我ながら当たり前の事を口にしたと喉だけで笑った。
(そうだな、あまり家に篭っていても仕方が無いだろう。 外の涼みでも味わえばいいのかもしれぬな)
 弟子はよく外の空気を吸いながら元気に飛び回っている。ならば自分もそうすれば多少この暑さは凌げるのではないか、それがシリューナのティレイラには言葉に出さぬ結論であって。

「ティレ、外へ出るぞ。 支度をしろ」
 思い立ったが吉日。日差しはあまり好く方では無かったが女性的なラインが見える服をすらりと立ち上げ、シリューナはそれだけを告げて弟子を半ば強引に外へ連れ出したのであった。



「でもお姉さまが美術館へ、だなんてびっくりしちゃいました」
 日差しに刺されながらも肌の色の黒いティレイラはとても健康的な少女に見える。実際、日傘も挿さずに歩く姿は元気の象徴とでも言おうか。
「ほう、よく行ってはいるだろう?」
「むむっ、でもお姉さまが普通の所に連れて行ってくださる事はめずらしいんですっ」
 例えばそれは魔法の実験であったり、実験後の過程であったりとシリューナが美術館と言えばつまりティレイラが楽しむより彼女で楽しむ場所が二人の定型になりつつある。
 そういう事もあってか、弟子は美術館と聞くと身を翻すような驚き方をしたものだが、涼む為と言えば二言返事で頷き、現在に至るのだ。
「近所の美術館だからな、さほど期待はできんだろうが彫刻展がやっているというのが少し楽しみではあるかもしれん」
 人の造る芸術という物が嫌いなわけではない。寧ろある程度の興味があるからこそ、その美術館への道を歩むシリューナだが矢張り、自分にとっての美術品は弟子であるティレイラなのかもしれない。彼女の失敗やそれでも挫けぬ心は何より美しいものを感じざるを得ない。
「むう、彫刻展ですか」
 ティレイラも美術品が嫌いなわけではない。好き、とも言いがたかったがシリューナが彼女の知らぬ所で一番の美術品と思うように、彫刻という品は見る側というより見られる側としての経験が豊富すぎるのだ。
「なにをぐずっている? 入るぞ」
 はい。と後を追う背中に何かを楽しみにする姿は見えず、どちらかというと反省に似た色合いが見て取れた。ティレイラが見られる側になるという事は即ち、何かの失敗や魔法の誤作動が多いのだから。もし、この美術展の中で自分のような彫刻があったのならどうしようと。市民が通う場所ではある筈の無い妄想でさえ肩がすくむのが分かる。

 今時の若い、いや、それがどのような世代でも美術館という場所に足を運ぶ者は数少ない。当の館内は客を呼び寄せようと必死に動いているというのに、どちらかと言えばこの場よりは図書館の方に人気がある。というのが現状のようだ。
「わあ、なんだかすっごく綺麗ですっ」
 入る時の緊張感は何処へ行ったのだろう。客足が無い事によって保たれる静けさと、同じく使い古されていない赤い絨毯にティレイラの瞳は宝石のように輝くばかり。
「なかなか、と褒めても良いだろうな」
 この美術展自体は数人の作家が寄り集まって開かれたどちらかと言えば質素な物らしかったがシリューナの瞳に移る彫刻はどれもなかなかに個性のある品物ばかりであった。

 女性の蹲るなんとも奇怪な姿に男性の物言いたげな表情。衣服は古代ローマを思わせるものから現代に至るまで様々な彫刻が作家ごとに展示の場所を決められ四方に並んでいる。
 シリューナはその彫刻の一つ一つを流すように、けれど何か思いを含んで見ていたが、ティレイラはどちらかと言えば彫刻よりも美術館の建築様式の方が気になるらしい。
「お姉さま、見てください。 ここの窓から見える風景って素敵!」
 どの作品を見るわけでもなく、多少見ても首を捻り『何をしているのでしょうか』等と軽い感想を口にするのみ。
(ティレは本当に。 駄目だな、いや、あれこそがここの最大の美術品になるだろうが)
 美術品を楽しむという事の知らない弟子。けれども明るく聡明なその姿はいつ見ても、どの形になったとしても美しく相応しい評価を与えられると、シリューナはそう確信している。だからこそ、この人気の無い空間に一時の美しさを添えてやろうではないかと、少しばかりの悪戯心を持って。
「ティレ、こっちに来なさい」
「はい? お姉さま、そっちに何か面白い物でもあるのですか?」
 四方に分散する美術館の作品展。シリューナはその作品群の一つではなく、中央奥に位置するただの四角い大理石の前に立っていた。
「面白い…そうだな。 面白いかもしれん」
 ふむ。とシリューナはティレイラの頬にその細い指を滑らせる。
「わわっ、今日は私何もしてませんよっ! 失敗も…何も…」
 もごもごと口ごもる姿のなんと愛らしい事だろう。そうではない、と言ってしまうのが勿体無い程に弟子の頬は師匠の相変わらずである悪戯趣味に恐れおののいているようだ。
「彫刻を見ていてな、どれもなかなかに美しいものであったが」
 シリューナの口は元々が男のような、凛とした所があるのだからその声で囁かれると例え同性であっても恥じらいを見せずにはいられない。
「お、お姉さま…」
 シリューナがまだ全て言い切らぬうちからティレイラの頬は染まり、右手を困ったように額に置き。何より風に吹かれぬままの白いワンピースがすらりとしたその身体を映えさせていた。

「矢張り、お前が一番美しいと思うぞ」
「あ…」

 ティレイラは次にありがとう御座います。と言いたかったのだろう。ただ唇を少し開き幼い中に妖艶な姿を見せたまま彼女は文字通り固まってしまったのである。
 硝子越しの大理石の中、先程の照れた姿の少女が一人。睫も髪の一本すらも美しく再現される姿は彫刻家でなくとも美しいと賞賛するであろう。
「嗚呼、矢張り美しい…」
 そう、これはシリューナの仕掛けた魔法だったのだ。
 師であるシリューナはティレイラを滅多に褒める事はない。だからこそ弟子も簡単に頬を染めたというのもあるが、何より一度美術展という舞台に彼女の『姿』を置いてみたかった。
「他の者には決して見せぬぞ、ここは私だけの空間だからな」
 弟子の彫刻見たさに美術館全てを魔法空間に変えてしまう師匠も珍しいであろう。だからこそだろう、シリューナのティレイラに対する愛情は何よりも深い。
(見る者は私一人…ならばこの子に相応しい色をつけてみたらどうなるだろう…)
 単純に色をつけるという事は塗料を塗る。という事ではない。シリューナからしてみれば色をつけるという事は、魔法でただの大理石を宝石の色に変化させるそういう事なのだ。
「ティレ、お前は何色が良い?」
 元にはしっかりと戻すつもりだ。石である彼女も美しいが自分を慕ってくれるティレイラも捨てがたい。いや、それが良いのだ。赤い瞳は太陽のようでシリューナより随分と眩しく見えるだろう。
「だが、それでもお前の光ならば美しいやもしれぬな」

 魔女のような。実際は魔法を使う女性の口元に妖艶な笑みが零れた。広い空間内でシリューナの作品が一番目立つ所に『展示』されているのだから。客はただその作者だけ、宝石の色も好き勝手に変えられる。後に弟子の膨れっ面が拝めそうだがそれもまた一興であろう。
「この場の太陽となっておくれ」
 赤い、ティレイラの瞳が彼女の身体全てに侵食し始める。美しい、それ以上に贅沢な芸術。



 静けさの保たれる道を歩く女性と少女が二人。足を鳴らしながら歩いてゆく。一人は優雅に、もう一人は元気良く。
「なんだかちょっとわくわくしてきちゃいました!」
 そう言う少女は街中を歩きつくしているというのに、女性と出かけるだけで嬉しいというような、まるで懐ききった猫のように微笑みながら前を歩く姿に声をかけた。
「お姉さま、何処へ行かれるのです?」

 これが、ティレイラの数時間前。シリューナの悪戯の後もきっとこの笑顔は戻ってくるであろうが、今しばらくは展示室の芸術品となっているだろう。
 愛する師匠の、これが心の示し方であるのだから。


END