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<東京怪談ノベル(シングル)>


百年の孤独

 その言葉は、いつ聞いたものだったのだろう。
 コロンビア出身のノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの小説本のタイトル。それから取られたという焼酎の名前。
 ……百年の孤独。

 どうしてその孤独を、一人で受け止めていられなかったのだろう。

「………?」
 月明かりの差し込む廃墟同然のビルで、立花 香里亜(たちばな・かりあ)は、血まみれで倒れている黒 冥月(へい・みんゆぇ)が、人の名を口走ったのに耳を傾けていた。
 感情のこもる、かすれた声。
 多分……胸のロケットに入っている「彼」の名前なのだろう。それは分かったが、やっぱりよく聞き取れなかった。
 もう一度聞けるかと思い顔を覗き込もうとするが、横座りになっていたので体が揺れる。
「あ……」
 その微かな動きで気がつき、冥月は目を開けた。月明かりが目に眩しい。
 頭に感じる柔らかい感触に体を起こそうとすると、香里亜がそっと膝枕をしたままこう言った。
「……気がつきましたか?」
 いつもと変わらぬその表情に、冥月は今まで自分がやったことを思い出す。
 そうだ。
 酒を飲んでいたら自分に客がやってきて、そこで香里亜が影を三回叩いたのに気がついて……後は怒りにまかせて力を振るっていた。自分の所にやってきた者達も、香里亜を捕まえていた男達も、全部自分が殺した。
『全部返り血だ……恐くないのか』
『違う。こんな事が出来る私を、だ……』
 意識を失う前にそんな事を香里亜に言ったような気がする。だが、香里亜が黙って首を横に振っていたのが最後の記憶。
「すまない。過去のことに巻き込んでしまって」
 倒れる前にも謝った言葉をもう一度繰り返す。だが、香里亜はやっぱりその時と同じで、小さく首を横に振った。
「ケガも何もなかったんだから、もういいですよ」
「………」
 良くない。
 もう何もごまかしはきかないだろう。いつまでも沈黙を守っていられるとは思わないし、巻き込んでしまった以上、自分は香里亜に理由を言わねばならない。もしかしたら香里亜は何も聞かないかも知れないが、それでは自分の気が済まない。
「刀の事と共に乗越えたと思っていたのに……駄目らしい」
 情けない。
 結局自分は守ると言いつつ、何も守りきれていない。
 今回はまだ香里亜に対してある程度紳士的に接してきていたが、もし影を叩く前に香里亜が殺されていたら。そうなったとき、自分は一体何が出来るのか。
 また「あの時」のように、「何も守れなかった」という現実と後悔を抱え、生きていくしかないのか。
 自責の念で冥月は、胸元のロケットを痛い位握り締める。
「香里亜……」
「何ですか?」
「私の話を聞いてくれないか?」
 小さな声でそう呟くと、香里亜は膝枕をしたままそっと目を閉じる。
「冥月さんが、お話ししたいことなら」
 黙っていれば、このまま何も変わらぬ日を送れるのかも知れない。だが、そうするごまかしを、冥月は自分で許せそうにもない。
 重い口を開き、冥月は自分の過去……香里亜と出会う一年ほど前の話をし始めた。
 自分が暗殺者だった事。それは生きていくためには仕方がない事だった。貧しい地域で生まれ、生きていくために出来る事など限られている。世界にはそうやって生きていかなければ、明日の糧にさえ困る人間がたくさんいるのだ。
「私は昔、暗殺者……つまり人殺しをしていた。私が唯一愛した男もな」
 何か怯えるかと思っていたが、香里亜はそれを黙って聞いている。
「驚かないな……」
 それはさっき聞いていて知っている。
 冥月が組織の暗殺者で、そこを裏切り本部にいた者を皆殺しにして逃げたということ。
 そして、唯一愛した男というのが、冥月が握りしめているロケットの中にいることも、香里亜はちゃんと知っている。
「ちょっとやそっとじゃ、驚きませんよ」
 そう言って少し笑ってみせると、冥月は仰向けになったまま長い溜息をつく。
「そうか、そうだな……私達はそれが嫌になり組織を抜けようとしたが、約束を破られ襲われ……彼は殺された」
 香里亜からは、どちらが真実なのか分からない。
 冥月が組織を裏切り、本部にいた者を皆殺しにして逃げたのか、冥月が抜けるという約束を向こうが破ったのか。
 でもそれは大して重要ではなく、大事なのは「今、この瞬間」だ。自分は無事だったし、冥月もちゃんとこうしている。それだけでいい。
「私は怒り狂い、組織を壊滅させ日本へ逃げた。香里亜と会う一年前の話だ」
「………」
 一年という期間は、長いのか短いのか。
 刀の事を乗り越えた時に、彼の事も乗り越えたはずだった。でも結局何も変わっている事はなくて、自分は相変わらず逃亡者であって、こうして狙われ続けている。
「今でも残党や、金目当ての奴に狙われる。だから気をつけていたのに……」
 本部を壊滅させたからといって、それで終わりではない。多分本国では既に残党が組織を立て直しているだろうし、かなりの額の報奨金だって出ているはずだ。
 裏社会で生きていけなくなったから、日本に逃げてきたというのに。
「………」
 ふと見上げると、返り血が飛んだのか香里亜の頬に血が付いているのが見えた。ロケットを握っている左手と逆の手を伸ばそうとし、冥月は自分の手が血まみれになっているのに気付く。
 この手で、香里亜に触れていいのだろうか。
 散々人の命を奪ったこの手で。
 そう思い手を下げようとした瞬間、その手を香里亜がそっと握る。暖かくて優しいはずなのに、乾きかけのぺたりとした血の生々しい感触。
 香里亜はその手を握って冥月の胸元にまで手を下ろすと、小さな声で一言だけこう聞いた。
「……どうして、私が?」
 それは被害者の香里亜にとって、至極真っ当な質問だ。中国マフィアとも組織とも関係なく、ただ東京に出てきて普通の日々を生きている香里亜が、何故狙われたのか。
 やっぱり自分は何も守りきれていない。それどころか、香里亜を危険に晒してしまった。
 その理由を言う事を冥月は躊躇ったが、香里亜の真っ直ぐな瞳がそれを許さない。反芻するように、繰り返される一言。
「どうして私が狙われたんですか?」
 ごまかす事は不可能だ。冥月は呻くように言葉を吐く。
「私にとって、一番大切だと判断されたんだ。間違ってない」
「大切、ですか?」
「実際これ程取り乱せば、もう知れ渡っただろうな」
 これで終わりなはずはないだろう。今回の事はまだ宣戦布告に過ぎず、次は自分の能力が通用しない相手が来るかも知れない。
 その時、自分は本当に香里亜を守りきれるのだろうか……。
「……次は殺されるかも知れない」
 その呟きに、香里亜は先ほど言われた言葉を思い出した。
『この女と付き合っている限り、お前もいつか殺される』
 それは多分この事を指しているのだろう。きゅっと冥月の手を掴んでいる手に力が入る。
 怖くない、そんなのは嘘だ。怖いに決まっている。
 さっきだって本当に殺されるかと思った。影を叩いた時だって、パニックにならずに思い出せたから出来たようなものの、本当に息もつく間もなかったら、何も出来ずに死んでいたかも知れない。
 冥月が怖い訳ではない。
 怖いのは、自分が死んでしまうかも知れないという事で。
 香里亜がそんな事を考えてるとは気付かず、冥月は話を続けている。
「彼の墓を見守るだけだった私に、香里亜は生きる理由をくれた……お前まで失ったら、もう生きていけない」
 そうなったときの事を考えるのが恐ろしかった。
 自分が原因で死なせてしまったら、香里亜の父や他の人間に何を語ればいいのだろう。こみ上げそうになる涙を堪えると、冥月の頬に雫が落ちる。
「………」
「……香里亜?」
 返事はない。ただ黙って首を横に振る。
 何が悲しいのか、それとも怒っているのか何なのか分からないが、とにかく涙が出てきて止まらなかった。
「共に過ごすのが楽しくて、離れたくなくて、今まで話せなかったんだ。すまない」
 そんな事が聞きたい訳じゃない。
 別に冥月が犯罪者だろうと、人間じゃなかろうとそんな事はどうでもいい。
「冥月さんは、どうしたいんですか?」
 それを口に出すのがやっとで、香里亜ははらはらと涙を零し続ける。
「………」
 自分はどうしたいのだろう。
 その言葉に胸を突かれ、冥月は思わず香里亜の真っ直ぐな瞳から目を逸らす。
 知り合わなければ良かったのか。
 近づくな……というのはあまりにも滑稽だ。近づいているのも、執着しているのも自分だ。離れれば香里亜に危害が及ばなくなるの言うのであれば、それも致し方のない事か。
「そうだな……外国なら奴らも……」
 その瞬間、冥月の手を握っていた香里亜の手がふりほどかれる。
「冥月さんの嘘つき……守ってくれるって言ったじゃないですか!」
 それを言った瞬間、香里亜は何故自分が泣いているのかを理解した。
 怖い事よりも、先に思ったのは……自分は冥月にとって一体何なのかと言う事。
 生きる理由なのか。
 それとも単に傷つけたくない存在なのか。
 怒っているのは、そこに香里亜自身の意志が全くないからだ。彼の墓を守る事と同じぐらいの存在という重さ、そして傷つけたくないから離れると言う言葉。
「守るとか、いなくなるとか、私の意見とか意志とかは全然関係なしですか?どうしてそこで、守るって言ってくれないんですか?」
「………」
 香里亜が怒ったところを初めて見た。
 その剣幕に、冥月は驚き……そして、自分に呆れる。
 そうだ。生きる理由にしたのは、自分の孤独を受け入れられなかったからだ。百年……いや、永遠の孤独を受け入れられなかったからこそ、東京に来て人と出会い、人に触れあった。そして傷つけたくない、守りたいと思った。
 その気になれば影の空間の中で、ほとぼりが冷めるまで永遠に一人でいられたのに、自分は人と生きる事を選んだ。
「すまないと思っているのなら、死ぬ気で守って下さい。私を生きる理由にしたのなら……そんなあっさり投げ出さないで下さい。冥月さんは外国に行けばそれでいいかも知れませんけど、他の皆さんはどうするんですか?」
 冥月は答えられない。
 そこに香里亜が言葉を浴びせかける。
「……人と付き合うって事は、そういう事なんです」
 そうだ。
 そうだった。
 確かに自分は外国に行くなり、ほとぼりが冷めるまで何処かに行けばいいだけかも知れない。だが、香里亜は既にマークされている。多分他に付き合いがある連中も同じだ。
 人と付き合うという事は、そういう事。
 そんな簡単な事すら忘れていた。もうこれは、自分一人だけの問題ではないのだ。
「………」
 多分今ここに彼がいても、同じような事を言われて怒られるのかも知れない。やっと動くようになった体を起こし、冥月は香里亜に目線を合わせる。
「……すまない。悪かった」
「本当に悪いと思ってますか?」
「ああ」
「もう、いなくなればいいとか言いませんか?」
 何だか彼女に怒られている彼氏のようだなと思いつつも、冥月は小さく頷く。照れくさいので何か言ってはぐらかしたくても、今の香里亜にそれは通用しそうにない。茶化したら、多分今以上に怒られる。
「いなくなるとか、知り合わなければ良かったとか、もう言わないから許してくれ」
「だったら、責任持って守って下さい。私だけじゃなくて、他の皆さんも」
「………」
「返事は?」
 そういえば、こんな風に怒られるのも彼に怒られて以来か。自分の手で涙を拭う香里亜に、冥月はやっと笑って小さく頷いた。
「……はい」

 香里亜を送る別れ際、冥月は最後にしっかりと釘を刺された。
「これで明日突然いなくなってたら、冥月さんとはもう絶交ですからね」
 今回のでかなり心配されたり、警戒されたりしてしまったらしい。だがそれも仕方のない事だろう。
 百年の孤独を受け入れられなかったから、自分は今ここにいる。
 胸に残る痛みと苦さは、甘んじて受け止めなければ……。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前回のゲームノベルの続きという事で、過去を語り、傷つけたくないために離れようとする冥月さんを説得という事で、このような話を書かせていただきました。
泣くだろうというのはありましたが、香里亜の性格ですと慰めとかそんな陳腐な事は言わずに、怒るだろうなと。「いなくなれば終わりではない」と言う事を知ってますし、逃げたくないから東京にいる香里亜の背景を考えて、こうなりました。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。