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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


◆ 『おかあさん』の意味 ◆

 いつも思う。不気味な道。帰り道。深夜。頭上から降ってくる違和感。それは幾ら自転車を走らせても振り切ることは出来ず、しかも増えているようにさえ感じる。
 見られている。誰かに。
 正体は分からずとも、あれが嫌なものなのは分かる。決して暑くなく湿度も高くない今夜、短い黒髪が額にべたりとくっつく。
 汗が止まらない。見られている。嫌なものに。空から。空から。空から。ようやっと自宅に到着すると自転車を放り捨てて、自分の部屋へ転がりこむ。
 カバンを放り投げる。着替えもせずベッドに飛び込み毛布をかぶる。見られている? 今は? 大丈夫、誰もいない。今は、一人だ。
 大きく息を吐く。さっきまでの違和感は無い。ここは安全だ。ゆっくり休もう。そうだまずは着替えを‥‥

『  !  !  !  !』

 ひっ、と小さく声が漏れる。部屋のドアに強いノック。急ぎ物陰に隠れるが、一向に止まない音。来たのは誰? 目的は何?
 恐る恐るドアに近づき、覗き穴を見る。と、ノックはぴたりと止み、夜の静寂が戻って来る。覗き穴の向こうには、女性がいた。

 ・ ・ ・

「三島・玲奈さんね? 最近、何か変わった、おかしなことがあるでしょう?」
 来訪者は突然そう言った。覗き穴越しに視線で射すくめられ、ドアを開けて中に通してしまった。彼女‥‥高峰・沙耶は、これもまた出させられてしまった紅茶を前に、手をつけずに問いを発した。いや、問いというよりは、確認のようなその言葉。
「何年も前から‥‥何も無い所から見られている気がするの。今日も、さっき空からたくさんの視線が降ってきて‥‥それが気になって、何もうまくいかなくて‥‥」
 得体の知れない来訪者の問いに、何故か答えてしまった。突然の状況に抵抗を感じないのは沙耶が纏う空気故か、無数の視線の恐怖に玲奈自身が壊れてしまった故か。
「ああ、やっぱり‥‥貴女は、狙われているのよ」
「狙われてる‥‥? それって」
「敵は不運を努力で補う貴女が目障りなの」
「敵? 敵って、何なの? どういうことなの?」
 事態がさっぱり理解出来ない。だが、沙耶は話をどんどん先へと進めてしまう。混沌とした頭の中にさらに困惑を詰め込み、しかし呆けるなと棒を突き立てられ無理やりかき回されているようだ。
「これをごらんなさい」
 そう言って示されたのは、新聞だった。その記事には『百億光年先の銀河発見さる』と大きく見出しが付けられていて。沙耶は温くなりだした紅茶を冷えた温度計で掻き混ぜながら、続ける。
「知ろうとする行為は、常に現実を脅かすの。現実の現象は観察されることで、観察者に都合よく意味付けされる」
「‥‥つまり、客観的な真実はありえないってこと? コンピュータが計測しても、ノートの上で数字で計算されても、それは結局それを行った、観察した人の主観となって、現実そのもののあり方に泥を塗る」
 辛うじて、その話の意味だけは分かった。その話が敵とか狙われているとか、物騒な話にどう繋がるのかは分からないが。
「そう。それが界鏡現象。空の向こうの人々と私達が、互いを曖昧で矮小な望遠鏡の視界で覗きあって、互いの世界の現実に泥を塗りあった結果」
 この報告書に書かれているもの全てがそう。沙耶はそう言って報告書の山を指すが、その量は1冊見てみようという気持ちすら失わせる。この報告書に書かれている怪現象はすべて、玲奈が遭っているあの視線も含めて全て、空の向こうからの干渉の副産物なのだという。
「あの。あたしは狙われてるって、さっき‥‥それはどうしてなの?」
「貴女の不屈の精神が、捻じ曲げられそうなこの世界の現実を現実のままに引き止めているの。結果、この世界の変化は向こうに比べて小さく、空の向こうの世界は観察され続けて捩れていく。向こうは自分達の現実を守るために、こちらの観察者や貴女の存在が邪魔で仕方ないのよ」
 よく、分からなかった。話の上辺だけなら何とか追っていける。だが、それがどういう意味を持つことなのかは‥‥
 鳴り響いた携帯電話の着信音に、思考を中断される。沙耶は通話の向こうで話される言葉に短くだけ応答し、通話を切った。そして。
「総攻撃が始まったわ」
 そう告げた。
「総攻撃?」
 沙耶に指で示されるままに窓から空を見上げた玲奈は息を呑んだ。いつもは玲奈を睨みつけるだけだった空が、今は玲奈を押し潰そうと実体を持っている。空を埋め尽くす妖怪達。
 玲奈が沙耶の方を振り返ると、視界に映ったのは立ち上がった沙耶と、部屋へ踏み込んで来る多くの人達だった。IO2。彼らは一斉に玲奈を取り囲むと、腕を掴み、肩を押し、外へ連れ出そうとする。
「やめて! やめてください!」
 些細な抵抗は役に立たず、玲奈を押し込めた車は真夜中の暗闇を走り出す。侵食され月明かりすら失われた世界で、一筋のライトが道を切り開く。
「あの敵に対抗するには、貴女の細胞が‥‥不幸の免疫が必要なのよ。どんな不幸にも対抗できる、貴女の体が」
「嫌です、やめてください! あた、あたしはっ!!」
 車内のベッドに固定された玲奈の頬を、沙耶がそっと撫でる。その指に噛み付かんばかりの勢いで玲奈は暴れるが、しかし腕と脚の拘束具はびくともしない。
「このままでは皆死ぬわ! この世界の全てが食い尽くされ、踏み荒らされて、全てのものが亡くなる」
 玲奈の抵抗がビクンと止まる。沙耶の言葉の中にあった、『死』という言葉が混乱した意識に冷水をぶっかけた。
「あたしは‥‥あたしは死ぬの?」
「体は死ぬわ。細胞は培養するから、その意味では生き続けるけれど‥‥三島・玲奈としての体は死ぬ。でも、替わりの体‥‥永遠の命と無限の翼をあげるわ。いつでも、いつまでも、どこでも、どこまでも行ける、替わりの体を」
 車は止まった。玲奈は外見ではよく分からない何かの施設に運び込まれた。その一室では、10人くらいの白衣の人間たちが待機していて。おそらく、彼らもIO2の関係者なのだろう。彼らはテキパキと何かの準備を進め、玲奈は見覚えのある場所にいるような気がして天井を見つめていた。
 白衣の男が玲奈の髪に鋏を入れた。何の遠慮も無く切られていくショートヘア。そうだ、ここはドラマでよく見る‥‥
「脳を摘出します」
 手術室。人の命が救われ、また奪われもする場所。
 意識が途切れた。これから先起こることを、脳が想像するのを拒否したのだろう。

 ・ ・ ・

 目の前にいたのは、見たことのない美少女だった。目覚めた玲奈はベッドの上にいて、起き上がり、その美少女を見つけ、そして。
「ここはどこ? ‥‥って聞きたいのね?」
 まさに玲奈が尋ねようとしていた疑問を、美少女はそのまま真似た。
 ベッドのある白い部屋を見渡してみる。何もない殺風景な部屋。そして、視界を流れる見慣れぬ黒髪。肩まで伸びた、長い髪。触れてみようと、伸ばした手。
 手。見知らぬ肌、爪、掌の皺。普段見慣れているはずのそれらが、何か違う。自分の体ではないような‥‥
「紹介するわ。貴女のお母さんよ」
 美少女の隣に立つ沙耶が、そう言った。「は?」というような表情を浮かべる玲奈に、IO2の科学者だという、藤田・あやこと名乗った美少女が言葉を続ける。
「あなたの細胞は、培養して妖怪軍団抹殺のための特効薬として使わせてもらったわ。ここはね、その特効薬を運搬するために、培養技術を応用して作った船の中よ」
「ひどい!」
 両手で顔を覆う玲奈。彼女がショックを受けるのも当然だ。自分の体が心と切り離され、他人に好きなように弄り回されているのだ。あの妖怪軍団と人間の戦争の終結という大きな役割を果たしたと言われても、すぐに割り切れるものではない。それは、長らく一緒に生活してきた親兄弟との別離にも似た感覚。
「あなたの心は、私のクローンに移植したわ」
 だから、母親と。沙耶はそう言ったのだ。だが、親子の繋がりとはそういうものなのか。確かに血は繋がっているだろう。同じ血が流れている。病気や怪我の折には輸血も臓器移植も問題なく行えるだろう。だが、そんな物質的な繋がりだけが、親子という関係を規定するものだろうか。所詮、ドナーはドナーじゃないのか。
 玲奈の脳裏に浮かぶのは、赤子をあやす画像。嬉しそうに笑う赤子と、笑顔の母親。
 沙耶は言っていた。皆死ぬと。地球上全ての人が。男も、女も、老人も、赤ん坊も、善人も悪人も全ての人が。でも、その全てを玲奈は救った。母親と赤子の笑顔を、人々の降伏を玲奈は守りきった。

 でも、私の幸福は、どこ?

 前途あるお嬢さんですから、承諾書無しで精一杯やります! そう言った医師の奮闘が、玲奈の心を新しい体に結びつける努力が頭の中に蘇った。
 以前の体の代わりに、新たな体と百億光年を渡る翼を手に入れた。窓の外に見える燕の翼を広げた船。
 私はこれから何処へ行くのだろう。玲奈は自問自答する。以前と同じ生活には戻れない。何処へ行ける? どこへでも行ける。一人でなければ。支え合う家族が有れば。

 退室しようとしたあやこの背中の翼に、玲奈は少しふらつく足で飛び込んだ。小さく驚きの声をあげて、あやこは立ち止まる。
 親子の繋がりとは、物質的な繋がりだけで規定されるものではないはずだ。だから、元々はそういった繋がりの無かった玲奈とあやこも、家族にきっとなれる。一番必要なのは、心の繋がり。お互いに相手を信じ、愛し、手を差し伸べあう、心の繋がり。

「おかあさん」

 あやこの背に顔を埋めながら、玲奈は小さく甘えてみた。
 おかあさんは、おかあさんなのだろうか。
 返事を待つ間の怖い時間は、すぐに終わった。

 ・ ・ ・

 すっかり温くなった紅茶を一口飲んで、沙耶は机の上に広げていたレポートを閉じる。
 こうしてまた、高峰心霊学研究所に界鏡現象の報告書が1冊、増えることとなった。