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<東京怪談ノベル(シングル)>


人形師はかく語りき



1.
 ひどく寂れた公園だった。
 昼ならばそれでも近所の子供たちが遊びに訪れるのかもしれないが、いま目の前に映っている光景からはそんな映像を浮かべることは難しい。
 申し訳程度に置かれている錆の目立つ遊具がある他にはこれというものも見当たらず、人はおろか虫の声ひとつ聞こえない。
 感受性の強いものならば、まるでこの場所自体が生き物という存在を拒絶しているようにさえ感じるかもしれない。
 そんな公園には、しかし今夜は来客があった。
 ペンキの剥げた木製のベンチにはふたつの人影。それを照らすためにあるように傍らに設置されているたった一本だけ存在する外灯は厭な音をたて時折点滅を繰り返している。
 ジリ、という音をたて明かりが一瞬鈍り、また戻る。
「──静かな夜ですわね」
 それを合図にするように、腰かけていたひとりが口を開いた。ひどく大人びた口調が、銀色にたなびく髪の間から覗く幼い少女の顔とはあまりにそぐわない。
 どの国の民族衣装なのだろうかと考えても明確な国は浮かばないような装束を身に纏い、その服から出ている肌は陶器のように白い。
 だが、その奇妙な服も幼い声が使うにはあまりに大人びた口調も、少女が用いるには相応しいもののように思える。
 そんな少女からの言葉に、隣に腰かけていた男は戸惑った顔を向けるだけだった。
 こちらは何処にでもいるような学生といった風情で、少女の連れとしても同じ場にいるものとしても相応しいとはあまり思えない。
 自分よりはるかに年下の少女に男は完全に気圧されているようで、どうして自分とこの少女が一緒にいるのかわからないという表情をしており、それを見た少女はやはり大人びた何処か艶さえもあるような笑みを返す。
「静かな夜ですわ。お話をするにはとても相応しいと思いませんか?」
「話……?」
 やはり戸惑ったような男の声に、少女は微笑みながら腕に抱いていた『ソレ』を撫でた。
 腕の中にあるのは一体の少年の姿をした人形。
 そんなものに縁のない男にもその造りの精巧さ、見事さがわかるような人形の頭を撫でながら少女は言葉を紡ぎ始める。
「そうですわね。あれはいつ頃のことでしょう。気が遠くなりそうな昔のことなのに、私にはつい昨日のように思えるのですよ」
 ジリ、と外灯がまた鈍い音を立てた。



2.
 その村にいた頃、コッペリアはなんという名で呼ばれていたのか覚えていない。
 コッペリア・オウレン。
 バレエ音楽の『コッペリア』と『偶人』のピンイン読みであるオウレンを組み合わせたいまの名を誰が果たして最初に呼んだのか、そしてそれをいつから使用しているのかもはっきりとは覚えていないが、コッペリアはこの名が気に入っていた。
 コッペリアは人形を題材としたもので、偶人とは中国語でやはり人形を指す言葉だ。
 これほど自分に相応しい名はないとコッペリアは思っている。
 だが、どんな名だったにせよ、村ではコッペリアを名で呼ぶものはいなかった。
 村人たちはもっと相応しい呼び名──人形師と彼女を呼んでいた。
 村外れにあったコッペリアの住まいには夥しい数の人形がおり、それらはすべて彼女の手によって作り出されたものだった。
 男の人形もあれば女のものもある、老人もあれば子供もある。それらすべては恐ろしいほどの精巧なものばかりで、村人たちはその見事さを当初は褒め称えこぞって彼女の作り出す人形を求めた。
 コッペリアは、彼らの望みのまま人形を作り与え、その出来に不満を抱くものなど誰もいるはずもない。
 まるで生きているようだ。
 彼女の人形に対してそう評するものは多かった。
 男、女、老人、子供。どの人形もまるで人と見間違えるような出来栄えであり、耳を澄ませば彼らの息遣いが聞こえてきそうなほどだと言う者もおり、人々はますますコッペリアの人形を求めた。
 だが、人の気持ちほど移ろいやすいものはない。
 きっかけのひとつはある噂だった。
 夜中や人のいないとき、コッペリアの作った人形がひとりでに動くことがある。あの人形は、本当に生きている。
 人形が動いている姿をその目で見たものはいない。だが、その噂を一笑に付するにはコッペリアの人形は見事すぎた。
 あの人形ならば、生を持ち動いてもおかしくはない。あの人形は、あの女は、普通ではない。
 疑惑は畏怖へと容易く変化する。
 ある日、村人たちはひとりの退魔師を呼び寄せ、招かれた退魔師は村人が差し出した人形を見るなり無言でそれを破壊した。
「この人形はただの人形ではない。人の魂が籠められた魔性のものだ」
 人形を壊した後、退魔師はそう村人に告げた。
 その言葉を聞いたためだろう、破壊された瞬間に人形が悲鳴をあげたなどと後に言い出した者もいたそうだが、コッペリアは愚かなことを言う者もいるものだと思ったものだ。
 人形たちは悲鳴などという無粋なものはあげない。身体が壊されれば中に込められた魂が浄化されてしまう、ただそれだけのことだというのに。
 そう、退魔師の言葉は紛れもなく真実であり、コッペリアの作る人形には人の魂が籠められているものが多かった。無論、村人に求めに応じて作った人形の中にも。
 村人の家を廻り、退魔師はコッペリアの人形を次々と壊していった。村人たちは恐れるだけで己の手で人形を壊すことなどできるはずもなく、すべてを退魔師ひとりに任せた。
 彼らの家にあった人形の全てを壊した後、退魔師はコッペリアの住まいへとその姿を現した。
「私の人形を随分と多く壊されたようですわね」
 入り口の扉を開き中に入ってきた退魔師に対して、コッペリアは背を向け作業をしたままそう言った。
 だが、その声に怒りはない。彼女にとってどれだけ丹精を込めて作った人形であったとしても、それが破壊されたところで動かすような心は存在していなかった。
「あれらを壊すことが彼らの望みだ」
「私にあの人形たちを望んだのもあの方々ですわよ? なのに、いまは恐ろしいから壊してくれ退治してくれとおっしゃる。本当に人間というのは自分勝手ですのね」
 コッペリアの言葉に退魔師は返事をしない。最初から会話などする気はないのだろう。
 その身体がこちらに近付いてくるのに気付いてもコッペリアは振り返りもせず手を動かしている。
 その手が作り出しているのはやはり人形。だが、それは村人たちに与えたものよりも彼女がいままで持っているものとも比べものにならない出来だった。
 人でもかくやと思うほどの美しさでありながら、しかし無機質の人形であることがその美しさを一層際立たせている。
 間違いなく、それはコッペリアがいままで作った人形たちの中でも最高傑作だと自負して言えるものだった。
 いくら恐れを抱いている村人たちでも、これを目にすれば恐怖など掻き消えてしまったことだろう。
 しかし、彼らの前にその人形が姿を現すことはなかった。
 ぐい、とコッペリアの身体が人形から引き剥がされる。
 最後の仕上げも完了し人形は完全な姿を退魔師の前に現していた。ただひとつ、内に魂が籠められていない以外は。
 その姿を、退魔師は一瞥した。
 一瞥、それだけだった。
 ただそれだけの後、退魔師はなんの躊躇いもなくその人形を打ち砕いた。
 その姿に、コッペリアは食い入るような視線を投げかける。
 あれだけの人形、作ったコッペリアでさえ初めてあれほどの満足を得たものをただの一瞥だけで破壊した男の姿。
 その男が、コッペリアのほうを向き初めて彼女の目を見て口を開いた。
「帰ってこい。そなたはまだ魔性になりきっていない」
 その言葉に、コッペリアはくすりと笑みを返した。
「帰る? 貴方様は私に何処へ帰れとおっしゃるのです?」
 微笑みながらコッペリアはくるりと背を向ける。途端、その腕を強く掴まれた。
「待て!」
 だが、逃がすまいとするその手をするりと解き、コッペリアの姿はその家屋からも村からも消え去った。



3.
 ジリ、という外灯の音が耳に届き、男は夢から醒めたように目をしばたかせた。
 少女の話を聞いている間、自分が瞬きをしていたかどうかも男にはよくわからない。
 少女──コッペリアが話し終えるまで、男は口などなくなったように黙りこくり彼女の話を聞き続けていた。
「帰ってこいとは、おかしなことだとは思いませんか?」
 そんな男の様子などお構い無しに、コッペリアの話は続く。
「あの方は私に人形作りをやめよとおっしゃりたかったのですわ。けれど、そんなことできるはずがないでしょう? だって、私は人形師ですもの」
 ねぇ? と微笑みかけられた男はどう返事をして良いかもわからず、ただじっとコッペリアを見た。
「けれど、私はあの日から一度たりともあの方のことを忘れたことはありません。私の腕を掴んでくださったあの方の熱……」
 うっとりとコッペリアはそう言いながら、腕に抱いた少年の人形を抱き締めた。
 その目には、何かに憑かれたもの独特の光が浮かんでいる。
 その光を見たとき、ようやく男は背筋に冷たいものが走ったが、コッペリアはそんな様子にも気にも留めていない。
「それ以来ずっとあの方を探しているんですの。私が作ったあの人形を眉ひとつ動かさず壊されたあの方の魂……あの魂を手に入れ、私があのとき以上の人形を作り上げてそれに籠めることができればどれ程素晴らしいものができると思われます?」
 熱に浮かされたような、けれど口調は穏やかなままコッペリアは言葉を続ける。
「そのためには、今度は本当に魂の入った人形が沢山必要なんですの。とても沢山の人形が、それに籠めるための沢山の魂が……」
 話しながら、ゆっくりとコッペリアの顔が男のほうを向く。同時に、腕に抱えている人形もこちらを向いた。
 逃げなければ。ようやく男の思考がそこに到達したときには、しかし手遅れだった。
 コッペリアの赤い目が、男の目を覗き込み、その口がにっこりと微笑みながら動く。
「貴方様の魂、この子によく似合いそうですわ。下さいませ」
 その言葉が放たれた瞬間、人形の目が微かに大きく見開かれたと感じる間もなく男の意識は人形の目に引き込まれ、そして、虚ろな目をした身体がベンチから崩れ落ちた。
 コッペリアの目からは先程まで語っていたときの熱っぽさは消え失せていた。ただ、その腕の中にある最後の仕上げを完了させた人形の頭を優しく撫でてから、足元に転がっている骸と化した男の身体を無視して立ち上がり、闇へと向かっていく。
 その姿が夜の闇へと溶けた瞬間、ジリ、と外灯が一層鈍く厭な音を放ち、消えた。