コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


     桜の記憶

 桜というのは、しばしば美しいもののたとえに挙げられるが、その下に可憐な女性が立った場合は彼女の引き立て役に徹するのが礼儀というものである。沈黙の美こそ、傍らにあって女性をいっそう輝かせるのだ。その点で言えば、一本桜と呼ばれるここの桜は少々饒舌すぎたかもしれない。とはいえ、人の姿をとって現れるその化身の存在感は幽霊のようにどこか希薄で、何かを語るより人々の約束や誓いを見守り、記憶することこそが己の役目と信じていた。
 桜は決して主役にはならない。桜の樹の下、そこを訪れる者の隣に佇むのがその役目である。
 それなのに、と一本桜の下でその化身の姿を探していた女性――藤田(ふじた)あやこは考えた。
 「こうしてお客が来ても姿を見せないなんて。」
 昼間なら少女の姿をした桜の化身・桜華(おうか)が出てくるはずだが、何故か今日はその姿がない。あやこは見る影もなくなった髪――失われた『女の命』――を悼むように形の良い頭部を撫で、本来は自分の物ではない真珠のような瞳で天を仰いだ。
 そして、顔を上げたままその目を見開き、凍りつく。視界いっぱいに広がる枝という枝、青々とした葉とがっしりとした幹に無数のおぞましい存在を見つけたからである。桜の幽霊の代わりに一本桜に宿っていたのは、数え切れないほどの毛虫だった。
 あやこは、この毛虫たちが移り気を起して桜の樹から一家総出で我が身に引越ししてきては大変だと、飛び退るようにして桜から離れた。
 ――ちょうど、その時。幽霊らしく衣擦れの音もさせず、桜華があやこの目の前に舞い降りてきたため、すわ、巨大な毛虫でも降ってきたのかと一瞬あやこは身構えた。うっかり広げかけた白い翼が服を引っかけ、破りかけている。
 「驚いた! 出てくるなら声くらいかけてよ。」
 不器用に翼をたたみながら訴えるあやこに、しかし、桜の化身は困惑の表情を浮かべただけで、そこには知人に向ける親しげな色は見受けられない。
 「声をかける……そう、それが礼儀というものだろう。だが、わたしはあなたに『久しぶり』と言うべきなのか、それとも『はじめまして』と言うべきなのか、判らない。」
 そう呟いた桜華の戸惑った様子に、あやこは自分の容姿が以前とずいぶん変わってしまったから、誰か判らなかったのだろうかと考える。だが、次に桜の化身が申し訳ないといった顔で発した言葉は、必ずしもそれだけが原因ではないことを物語っていた。
 「わたしは多くの人々を知っているはずなのに、ほとんど思い出せない。あなたは……誰?」

     †††††

 「記憶喪失?」
 東京のどことも知れぬこの広場に根付いてからの記憶が断片的に、しかし、実に多く桜華自身から失われていることを聞き知ったあやこは、驚愕まじりにその単語を口にした。
 「ただの物忘れじゃないのね?」
 そう尋ねた彼女に桜華は首を振り、
 「わたしの記憶が失われることはない、幹に刻まれる年輪が消えることのないように。」
 と答え、陽光にかすむような表情を浮かべて呟いた。
 「年輪が消えるということは歴史がなくなるということ。わたしが見守ってきた約束のすべてが失われるということ。それだけは絶対にあってはならない――それは死よりも辛く、何より重い罪。」
 人間の記憶野と違い、決して失われることなく刻まれ積もっていくという記憶力を持つ桜の精には、本来記憶喪失という現象はありえないのである。
 あやこは、どことなく暗い影をその顔に落としている幽霊を見て一つため息をつき、
 「原因はきっとあれね。」
 そう言って桜にびっしりとついている毛虫に視線を移した。こみ上げてくる嫌悪感に耐えて観察の眼を向けてみると、その毛虫たちが明らかに普通の虫などでないことが判る。おおむね虫というものは感情など窺えない生物で、彼らと人間の間で意思の疎通を図るのは地球から冥王星へラブレターを送る行為にも等しく困難で、よしんば返事があったとしても色よいものであるはずがないだろうことは想像に難くないが、この毛虫たちときたら感情豊かに倦怠感を漂わせ、陰鬱なため息をついては悲愴感を所構わずまき散らしていたのだった。
 蛾は醜く嫌悪すべき対象であり、蝶は美しく賛美の価値ある生物である、などという人間が作り出した実に主観的な美意識により、一部の虫の間に生まれた格差社会は、若い毛虫たちの将来を見据える目を曇らせ、目標を失わせたのである。定職を持たず、意欲を手放し、不平不満を呟く彼らは、一本桜のため込んだ記憶や人々の誓いで糊口をしのぐより他に生きる術を知らないようだった。
 「何たる怠慢。まるであの人間のよう。」
 毛虫の不満に耳を傾け、そう唸った桜華の脳裏には、自称オカルト専門の探偵という中年男の姿が思い浮かんだに違いないが、文字通り虫食い状態のその記憶には、もはや彼の名前はなかったようである。
 「あの人間……何という名前だったろう……?」
 あの男のことは忘れておいてもいいんじゃなかろうかと内心思いながらも、あやこは記憶を失ってすっかり意気消沈している桜華に少なからず同情し、また、気力を喪失している若い毛虫たちを一念発起させようと、意を決した。
 「若者よ、起業せよ!」
 拳を振り上げ、声高らかに宣言したあやこに、桜と毛虫たちの注目が一斉に集まる。
 「こんなところで親のすね――もとい、桜の記憶をかじっていていいと思ってるの? 記憶は無限にあるわけじゃない。無限にあるのはただ一つ、可能性よ!」
 かくして、職と財産全てを失い、女の命たる髪まで失った頭部が眩しい藤田あやこ二十四歳、語学力を生かして毛虫との意思の疎通を軽やかに実現し、商魂逞しく彼らを指導することとなったのである。
 「まず、第一に改善すべきはあなたたちの礼儀ね。」
 あやこは鋭い視線を向けると、野放図に徘徊し、倦怠感と嫌悪感を振りまいている毛虫に規律を教え、隊伍を組ませることにした。集団を取りまとめるのに規律というのは、実に有効な手段である。突然のことに呆気にとられていた毛虫たちは、魔力でもこもっているのではと思えるほど威厳のあるあやこの号令で飛び起き、這い回るのをやめて大慌てで号令に従った。やるべきことを自ら見つけられず、敷かれた線路の上を歩むことに慣れきっていた彼らは、良き指導者の下では実に従順だったのである。
 「姐さんについていきます!」
 毛虫の言葉で若者たちはそう宣言し、あやこは彼らを桜の樹から離す手段となり得る主導権を見事、手中に収めたのだった。
 そのあまりの聞き分けの良さに感嘆し、桜華が毛虫に悩む桜仲間へ毛虫駆除の専門家として藤田あやこを売り込むと依頼が殺到、たちまち桜たちは毛虫によって花咲く頭を悩ませることはなくなり、一本桜の化身はひとまずこれ以上記憶が失われる心配から解放された。また、あやこは各地の桜の樹から集めた毛虫という労働力を大量に手に入れることができたのである。それを利用してあやこは警備会社を設立、その名も『kMC毛虫の警備保障社』だ。
 手始めに無料で泥棒退治を請け負い、毛虫の強力な無言の威圧感を生かして泥棒という泥棒をことごとく皮膚科送りにすると、利益を放棄した活動であったことも効を奏したのだろう、口コミで毛虫に対する好印象は瞬く間に広まった。そして、それはやがて会社に対する確実な信頼へと変わったのである。
 もちろん警備の面でも実績は抜群だ。何しろ、利用価値があると判って好印象は植え付けられたものの、毛虫の容姿には誰もが慄き、恐れをなす。皮膚科のお世話になりたくないと考えるあくどい賢人は、こぞってkMCの前から引き下がったのである。また、毛虫以外の高価な警備機器は不要とあって、経営の面でも負担が軽いのが良かった。かかるといえば毛虫たちの食費をはじめとする維持費くらいだろうか。
 企業は瞬く間に拡大し、それで築いた資産でもって、あやこはさらなる事業を考え出した。成虫となった蛾を漢のブランドとして確立し、警備兼男性衣料会社の社長となったのである。

 「社長、おれたちここまで来たんですね!」
 立派なビルの最上階を占める社長室にて、感極まった毛虫の一匹が毛虫語でそう言うと、
 「そうよ、あなたたちと私で作り上げたんだから自身を持ちなさい。毛虫は嫌われるのが常だけど、私から見れば幼虫は背筋が張って一本気、成虫はパンダ模様で可愛くタレント向き――個性は必ず生かせる場があるの。そして、それを見分けられるのが一流なのよ。」
 「さすがです、社長!」
 答えて言ったあやこの言葉に、従業員たる毛虫全員がどこからともなく感激の涙を流した。
 こうして、自信を得た毛虫たちは次々と桜の記憶を吐き出し、それは無事に本来の持ち主の下へと返ることとなる。一本桜は消えてはならない年輪を取り戻し、毛虫たちはニート脱出、あやこも無職から一転、セレブへと華麗な変態を遂げた。地面を這い回っていた蛾の幼虫が華やかな蝶になったのである。
 しかし、男性衣料会社のブランドロゴは『蛾』の我の字を強調し、炎の縁取りが施された、機能美で野郎なイメージを通した。彼らははたから見れば美しい蝶になったのかもしれないが、毛虫は所詮蛾にしかならず、あやこはその点にこそ価値を見出したのであり、従って蝶になる必要はなく、蛾のままで良かったのである。
 そんな我を貫く姿勢が評価されたのだろうか、あやこのブランドはアウトドア派に人気があった。男たちはブランド品に身を包んで山や森へ出かけていくが、そこで桜の樹にめぐり会っても、その『蛾』だけは桜たちから嫌煙されることはなかったという。





     了





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【7061 / 藤田・あやこ (ふじた・あやこ) / 女性 / 24歳 / ホームレス】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

藤田あやこ様、お久しぶりでございます。
この度は「桜の記憶」にご参加下さりありがとうございました。
以前とは随分とお姿が違い大変驚きましたが、カリスマ性あふれる指導力と独創性に満ちたプレイングは健在で、今回もとても楽しく書かせていただくことができました。
よもや毛虫で起業されるとは思いもよらず、その素晴らしい発想力に感動するばかりです。
嫌われ者の彼らが、藤田あやこ様のお力になれたことを非常に嬉しく、また誇りに思います。
ただ駆除してしまうのではなく、彼らを生かしてくださってありがとうございました。
毛虫共々大変喜んでおります。
毛虫が大量発生する季節になれば、また彼らは社長の下にはせ参じるに違いありません。
その時はまたよろしくお願い致します。
それでは最後に、作中で密かに起きたエピソードを一つ。

 ――ひとまず記憶が失われる心配からは解放されたが、未だ昔の記憶が毛虫たちの腹の中にあった頃。
 ――「また記憶が失われる可能性がないとも限らない。」
 ――そう言って、桜の夜の化身が冴えない中年を真似て日記をつけ始めたとか、始めなかったとか……。

ありがとうございました。