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ひと夏の思い出と懐かしい友人
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夜だというのに蒸し暑い日だった。昼間と違って日差しは無いが、それでも不快だと思う位には暑い夜だ。
煩わしい通りを過ぎ去ると、人気の少ない通りへと道は続く。その道を藤田・あやこは黒髪を揺らしながら歩いていた。
夏場特有の生温い風が彼女の横を通りすぎる。人気の無い通りと言う事もあり、辺りはとても静かだ。
「ん?」
何となく視線を向けた先にある誘蛾灯を見つめ、あやこは数秒動きを止めた。
一匹の蛾がふらふらと誘蛾灯に向かって飛んでいる。その蛾を見てあやこは我にかえる。
そして、蛾の元に向かうため地をけった。
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「あなた、なにかんがえてるのよ……」
憮然とした瞳であやこは青年を見つめる。蛾を救うため地をけったあやこは間一髪の所で間に合った。
そのまま誘蛾灯から離れた場所に移動すると蛾を開放する。あやこが蛾を開放したと同時に、蛾は羽を数度はためかせ見目麗しい青年へと姿を変えたのだ。
「なにを……と、言いますか……」
習性ですかね……。どこか苦味を含ませた曖昧な笑みを浮かべ、青年はあやこに答える。そして、エルフとは珍しい……。と呟いた。
そのまま二人は何をするでもなく、ただ話をしていた。
青年は服飾デザイナーだと言う。一握りの蛾だけが蝶になれる格差社会に悩んでいるのだとか。
蛾も蝶も同類だと言うのに、人間の勝手な美意識が差別を生んでいる。あやこは一つ溜息をつき、遠くを眺めた。
「毒があるからよ」
「茶毒蛾とか極一部だよ」
「汚い印象があるからね」
「サツマニシキガとか綺麗な奴も居るのにいい迷惑だよ!!」
淡々と続く会話のはずだった。あやこが何気なしに言った一言に青年は激しく反応をかえす。
それにあやこはちらっと視線を送り、青年を一瞥して元の位置に戻した。
そして、偶然あやこの視線にコギャルが移りこむ。
今が一番楽しい時期!! と言わんばかりに笑顔を浮かべ、友達とお喋りしているコギャル達。
「ブランドの問題かなあ……」
あやこが呟いた。特に意識したわけではないが、その言葉に青年の肩が弾かれたように揺れる。
「私も本当は王女なのにホームレスよ、人間中心の社会は辛いわあ……」
世の中結構理不尽よね〜。そう続くはずだったあやこの台詞は、青年が勢い良く彼女の肩を掴んだ事で中断させられた。
「おおそうだ!! 閃いたぞ!! やりましょう姫、リベンジだ!!」
何を閃いたのか問いただしたくなるが、興奮状態の青年に聞けそうも無い。
こうしては居られないと青年はあやこの肩から手を話し、何処からとも無く取り出したスケッチブックに何かを描き始める。
青年がスケッチブックに描いていくものを見つめ、あやこもまた何かを閃いたのだった。
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「汚れたイメージはミリタリーマニアに受けるわ」
二人してせっせと携帯にペイントしながら、あやこは意気揚々と言った。
青年がスケッチブックに描き込んでいたのは蛾のイラスト。それをあやこは携帯のペイントに使えないかと考えたのだ。
そして、そのあやこの考えは的中する。
あやこと青年のやりとりを見ていた数名が、携帯にペイントを始めた所で食いついてきたのだ。
思わずにやけだす頬を誰が止められよう。
その後、口コミで情報が広まり、次々に彼らにペイントを頼む人々で溢れかえる。
これは行ける!! そう強く確信すると、売り上げ金を元にあやこはTシャツを購入し、青年はそのTシャツにプリントする蛾のイラストを描く。
今までの時が嘘のように忙しい毎日が続いた。気付けば男性がデザインした洋服やグッズが売れに売れまくった。
最初は道端から始まった二人の店は次第に大きくなり、そして世間でも有名な大企業へと発展していった。
忙しい毎日だった。過去を振り返る事も無く。未来を夢見る暇も無く。ただ、今日という日を忙しなく過ごして来た。
会社はどんどん大きくなり、いつしか支店も出来き、ネカフェ族だったあやこは一流セレブの階段を面白い程の速さで駆け上がったのだ。
今のあやこは青年と豪華なマンションの一室に住んでいる。
窓の外を見れば、地上は高いビルに囲まれていて見えない。
忙しい日々だ。時間が出来るとそう思ってしまう。
ちらっと椅子に座っている青年をみやれば、どこか遠い所を見ていた。
最近、青年はよくそんな表情をするようになったとあやこは思う。
何故だか知らないが、別れの予感が脳裏にちらついて離れない。
こんなにも上手く行ってるのに、何故か感じる悲しい予感。
視線を青年から窓の外に戻し、あやこは目を瞑った。
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「どこの恩返しよ」
広い室内にあやこの怒りのこもった声が響く。
季節は夏を終えようとしている。青年と向かい合ったあやこはやるせなさと憤りで胸をいっぱいにした。
青年は、蛾の地位も向上した。自分は残りの寿命を産卵に費やしたい。と言った。恋人の元に帰るのだそうだ。
そしてあやこに、来年は子供達が安心して飛べる誘蛾灯の無い社会を頼むと告げた。
「どの種族の男も我侭ね」
何処か諦めたような呟きが、あやこの口からこぼれる。
どんなに言葉を投げかけようとも青年が気を変えないと悟ったのだ。
そのあやこの呟きに青年は、すまない。と、最初にあった時と同じ、何処か苦さを含んだ曖昧な笑みを浮かべたのだ。
(「最後までこの男は……」)
ぐっと掌を握り顔を伏せる。そしてきっと顔を上げて青年に握った拳を向けた。
「あなたも頑張りなさい」
溜まっていた溜息を吐き出し、にっこりと微笑む。それに青年も穏やかな微笑みを返したのだ。
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そういえば、去年の今頃だったか……。青年の作ったブランドのドレスを身に包み、あやこはステージに上がる。
あやこの姿がステージに現れると、割れんばかりの拍手が周りから起こった。
それに手を振って笑顔を浮かべる事で返しながら、あやこは一年前の夏に思いを馳せる。
思えば、あの蛾の青年を救った事で自分の人生は大きく変わってしまったのだろう。
今となっては懐かしい思い出だが、当時は何もかもに一生懸命だったのだ。
ステージの真ん中にぽつんと置かれているスタンドマイク。そのマイク部分に手を重ね、あやこは旋律を紡ぎだす。
蛾の青年とあやこが生み出し、そして青年があやこに託した会社。
その会社の新作のキャンペーンソングをあやこは紡いでいく。
街頭に群がる夜の蝶……蛾。それはひらひらと夜の帳の中で舞い続ける。
そんな蛾の中から数羽、あやこのステージへと向かって飛んでくる姿が視線に飛び込む。
向かってくる蛾を見つめ、この観客の中にあのひと夏の友人が居るような気がした。
(「気のせいよね……」)
軽く目を瞑って思考を切り替える。再び見開いたあやこの瞳に翳りは無く。ライトを反射しているかのようにキラキラと輝いている。
静かな夜に、あやこの紡ぎだす旋律だけが響いていた。
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