コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


【夏の残り香】


 あたしは手で顔を仰ぎながら、真っ暗闇の中を座っていた。
 手の動きに合わせて、浴衣の袖がはたはたと揺れる。それが見えるくらいには、目は慣れている。

「あつーい……」

 まだ通路から人の来る気配はないから、あたしは足元に置いたペットボトルに手を伸ばす。口紅がつくから、ストローを刺したままだから蓋が閉められないのが不便だけれど、しかたがない。
 少し喉を潤すと、話し声と足音がし始める。あたしは急いでペットボトルをまた柱の影に置いて、変わりに鈴を拾い上げた。
 チリーン、とそれは振ると綺麗な音を立てる。
 声が、一瞬止む。
 足音も、一歩立ち止まる。
 もう一度、二度、と鳴らす。
 チリーン、チリーン――。
 声は止んだまま、足音は再び歩き出したのを確認して、うっすらと通路に灯された明かりに下に、あたしは歩み出た。

「いらっしゃいませ……」

 目の前に姿を現したあたしの姿に、家族連れの人たちは一瞬驚いて、それから少し笑ってくれた。


 * * *



 あたしは夏休みの間、派遣のバイトに勤しんでいた。
 どこも短期だから、今日のバイトもたった三日の仕事だ。お化け屋敷の臨時幽霊。
 といっても、スーパーであまっている駐車場を借りてやっている催しなので、設備はしょぼい。(大きいテントを組んでいるだけだ)
 けど、近所には小学校とか団地があって家族連れがターゲットだから、それくらいが気安くていいのかもしれない。
 現に、あたしの格好も猫の耳のついたフェイクファーの気ぐるみに浴衣、それから普段はしない派手なお化粧という出で立ちだ。
 初日に姿見の前でくるりと回ってみて、怖いというより、フワフワの獣耳と暗い朱の浴衣は可愛くて、あたしは随分とこの仕事を気に入ってしまった。
 けれど、舞台用の厚化粧に阻まれて汗が出ないから、またパタパタと火照った顔を仰ぐ。

「なれたー、みなもちゃん?」 

 薄ぼんやりの光の下、ひょこ、と包帯で目以外を隠したお化けが出てきた。

「二日目ですからね」

 笑うと、先輩バイトの包帯のお兄さんは頷いた。先輩といっても、たった三日間の間だけだけど。
 初日は緊張しながらこの暗闇で突然現れたお兄さんに、驚かされてこっちが悲鳴を上げた。
 あたしも二日して化け猫が板についてきたらしく、闇も怖くなくなってきていて、今日は突然の包帯男の来訪にも余裕があった。

「昨日もそうですけど、今日もお客さん少ないですね」

 あたしがそう零すと、お兄さんは苦笑する。

「だっていまお盆だもの。幽霊も都会の人も、田舎に帰省中でしょ」

 厚着のあたしと負けず劣らず包帯だらけの身体は暑そうなのに、お兄さんは会ったときと変わらず涼しそうだ。
 やっぱりベテラン(らしい)だとその辺は違うのかな、と首を傾げる。

「お客さんも少ないけど、幽霊バイトも少ないからね。さてさて、もう少しがんばろうじゃない」

 そういってお兄さんは悪戯っぽく笑って(包帯だから、あたしの予想では)また暗闇に消えていく。
 通路の方を伺えば、再び人の気配。
 それに気づいて、お兄さんも持ち場に戻ったのだろう。
 暗がりのなか、くすくすと薄く聞こえる笑い声だけは、酷く“幽霊”らしいのに、あたしにはちっとも怖くない。
 ああ、きっとあたしも今はこの闇の一部だから?
 それがなんだか楽しくて、あたしは聞こえてくる笑い声に伴奏を付けるかの様に、リンと鈴を鳴らした。


 * * *


 三日目。たぶん、最後のお客さんだったのだと思う。
 手を引かれた子どもが振り返ってバイバイと手を振るので、あたしも答えた。

「みなもちゃん、アイス食べる?」

 今日も神出鬼没のごとく顔をだした包帯のお兄さんの手には、コンビニの袋がさげられていた。

「食べます!」

 衣装の暑さから反射的に応えたけれど、まだ勤務時間なのに着替えて外のコンビニまで行ってきたのかしらと、とふと考える。 
 お兄さんが袋から棒アイスを出す。
 一個のアイスに二つの棒が付いていて、お兄さんがそれを二つに割って、片方をあたしに差し出した。
 ひんやりとした手から受け取って、涼しさに単純なあたし疑問は泡沫に消える。

「ついつい懐かしくてさ。昔は友だちとお金半ぶっこでよく買ったなーって」

 お兄さんはしゃくしゃくとアイスを食べ始める。
 不思議な形のアイスをまじまじと見てから、あたしも一口、くちに含む。
 さわやかな、甘いラムネの味。

「あたしは初めてです」

 自然と笑顔になりながら、あたしはお兄さんに応える。
 ほんのすこし、間があった。

「……くそぅ、ジェネレーションギャップか」

 悔しそうな声に、あたしは笑った。
 あたしはお兄さんから少し昔の話を聞いた。お兄さんがこの辺で生まれてずっとここにいること。
 あたしは地べたに座って、下駄をからころと鳴らしながらそれを聞いた。暑くて、けど空気は軽くて心地よかった。
 はんぶんこのアイスがなくなって、お兄さんは立ち上がる。

「さて、戻らなきゃ。いつかまたね、みなもちゃん」

 最後のお客さんと同じ風にお兄さんは手を振って、あたしが声をかける暇もなく姿は闇に消えた。
 事務所に戻ろうかどうしようか手持ち無沙汰に食べ終わったアイスの棒を弄ぶ。
 ふと、棒にかすれた文字が刻印されていることに気づいた。

「あ、あたり」

 自然に、お兄さんとまたアイスをはんぶんこしようと思って、あたしは事務所に戻る通路を歩き始めていた。


 * * *


「今日まで、お疲れ様です」

 事務所で、受付をしていたお姉さんが、あたしの所属する派遣事務所に渡す書類を書いてくれている。
 あたしは、事務所でお兄さんの姿を見つけられなかったので、思い切って聞いてみる。

「あの、包帯の幽霊役のひとって、もう帰られましたか?」

「え? ……ほうたい? そんなスタッフ、うちにはいなかったと思いますけど」

 りん、とあたしの耳の奥。三日間ずっとなっていた鈴の音がした。


 * * *


 帰り道、あたしはあたりの棒をコンビニで交換した。
 初めてで、ほんの少し恥ずかしかった。
 たった三日間の夢を見ていた駐車場に戻ると、テントの解体作業が始まっていた。
 アイスを袋から出して、あたしは不器用にそれを二つに分けた。
 お兄さんみたいに、綺麗にはんぶんこにはならなかったから、大きいほうを、そっと駐車場のアスファルトに置く。暗闇の中、昼間の熱を吸ってそれは段々解けていく。
 小さなアイスをあたしは舐めながら、ぬるい風の中片付けられていくテントを眺めいていた。