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夜長の出来事
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街中を強い風が一迅、吹き抜けた。ひゅうと、軽やかな音を立て、日付が変わって人の隙間をすいすいとすり抜けて行く。風にスカートが翻り、何人かの女性が小さな悲鳴を上げた。
「……っだ…!」
風は止まったが、それと同時に看板に派手にぶつかる少年が痛さに思わず声を上げた。周りにいた人々は其の声の主へ思わず視線を向けたが、既に少年は姿を消していた。残ったのは、少しひしゃげた居酒屋の看板だけだ。
そして再度、強い風が街中を吹き荒れた。
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「チクショー…、ついてねぇな…」
一人、地下鉄の駅前公園前でぼやく一人の男がいた。名前は新垣嬰児。薄手のコートを尻に引いてガードレールに腰を吸えている。終電でも逃したのか、不機嫌そうに煙草へ火をつけようとした時だ。
「ってぇ…何処見てんだっ」
どんっ、と背にぶつかる衝撃に新垣の身体がよろける。ぶつかった主へ文句の一つでもつけようと、振り返った、が…新垣は持っていた煙草をポロリと落とすだけに留まった。
「丁度良い!盾になってもらうぜ」
「な、ちょ、コラァァァァ!!!」
…何故なら、にやりと口端を上げたぶつかってきた男に肩口を捕まれたのだ。一瞬の間を空けて、新垣は大きく叫ぶが抵抗しようとも新垣の方が力が弱いようで、ビクともしない。なんだなんだと、慌てふためいていれば背後から風が吹き荒れた。風はつむじ風となって公園の土を巻き上げる。公園には熱さの所為か、誰もいなかった…はずだが、つむじ風の中心、いつのまにやら人影が忍び込んでいた。
「いい加減観念しやがれ!盗人が!…?…仲間まで連れてきやがって」
風がふわりと天へ昇った時、それと同時に声がした。わずかばかり高い、声変わりした手のような少年の声だ。現れた姿も、声から想像できる通りの少年、黒髪を風に靡かせながら、びしりと新垣たちを指差した。新垣は違うと声を上げようとしたが、肩を掴んでいた男の手が口を塞ぎ失敗と相成った。少年は厳しい顔つきで男を睨み据え、今にも飛び掛って来んばかりの迫力。
「一対一じゃ、面倒だからな…お前こそいい加減諦めな!」
男は勝手に新垣を味方と言うような口ぶりで話を進める、新垣はその間ずっと男の腕を叩いていたのだが、少年には既に男の仲間と認められてしまったようだ。少年の双眸が鋭い矢のように新垣へと突き刺さる。
「馬鹿言ってんじゃねえ…二人掛りでも、この天波慎霰がやられて堪るか!」
活きの良い声を上げて、少年…慎霰が黒塗りの鞘から夜露に濡れたような煌きを持つ小太刀を抜いた。刃の周りには黄金の靄…妖気が漂っている。慎霰が構えを取れば、刃は見事な金糸の線を描いた。
「良い度胸じゃねえの、ガキの癖に」
「減らず口、叩けるのも今の内だぜ?」
慎霰は勝気な笑みを浮かべ、男との間合いを計るように進退を繰り返す。新垣と言えば、慎霰の持つ妖刀に目を見張っていた。抵抗も慎霰から繰り出されよう攻撃の事は頭に入ってきてはいないようだ。男は新垣を引っ掴んだまま、体の向きを常に慎霰へと向け攻撃に備えている。新垣はふと、…男のもう片方の手、何か掴んでいる物がきらと街灯の明かりに光るのを見止めた。金の独鈷杵、それもまた靄のような薄い妖気を放っている。
「そいつはな…お前なんかが持って良い代物じゃない!」
戒める声を上げた慎霰から、再度強い風が吹き荒れた。ごうと風は啼いて公園の木々を揺らす、少し気圧されたか…男の足が一歩後退した。それを慎霰の鋭い双眸は見逃さず、隙を突かんと姿勢を傾け小太刀を振るう。金糸が新垣と男の目の前を掠め…
キィン!
高い音が鳴る、硬質な物同士がぶつかり合った音。男は無論、新垣を目の前へと差し出したのだが、血の一つも流れ出ない。
「…あっぶねぇ…」
新垣は深く息を吐いた、金の煙が上げられた新垣の左手首に燻ってから、すぐに空に混ざって消えた。新垣は、慎霰よりも手首の数珠が木になるようで、右の手で左手首を擦っている。
「…な、んだ、お前…」
呆気に取られているのか、慎霰が新垣へと声をかけた時、今度は新垣を捕らえていた男が大きく腕を振り上げた。独鈷杵を使うつもりの様だ、大きく男は足を踏み出し目の前に立っていた新垣を後ろへと跳ね飛ばす。
「ッハ!俺に持っちゃいけない物なんてねえよ!!」
ドン、腕を振り下ろした際の衝撃波は物凄い、あの独鈷杵も妖具の類か。…間一髪で攻撃を避けた慎霰は、衝撃波の風に乗り男より離れた所で着地を。ザザッと地を擦り、低姿勢のまま男達の方向を睨み据える。
(…クッソ…?……何だ、ノビてやがる)
独鈷杵を奪った男は、力の凄さに感動しているのか独鈷杵を見つめているが…その後方では、茂みの中に倒れたまま動かない…新垣がいた。慎霰の小太刀―――忌火丸を受け流す事が出来るような、数珠を持っている男なんて寝ていてくれた方が良い。あのくらいで気絶するなら、すぐに始末も出来るだろう。…問題は、大きな力を手に入れて、今まさに有頂天の最中だろう男の方だ。
「お前みてえなちっさい男に、その独鈷杵は勿体無い。さっさと寄越せ」
「まぁだ、そんな口を利くのか?俺の力を見たろ」
小馬鹿にしたような笑い声を上げる男に、慎霰の眉根に皺が寄る。あれはアイツの力じゃない、独鈷杵の物だ。それを判っている故か、慎霰の表情には恐怖も何も無い。ただ、どうやってこの問題を解決するか、少し考えるような表情だ。
「いい加減に…しろよ?リーチの長さじゃさあ…」
慎霰の口端も、男に対して馬鹿にしたような笑みを作った。そして、慎霰は駆け出す、振るわれる小太刀【忌火丸】、金糸の線が暗い中に描き出された。金の弧は水の波紋のように夜気を切り裂いて男のほうへと向かう。男の目の前に金色が拡がった、とっさに目の前に掲げた独鈷杵のお陰で金色の波紋は霧散する。
「ハッハ!そんな程度の攻撃でこの俺がっ…ッウ?!」
男は勝利の雄たけびを上げるように高笑いを、しかし、金の霧が晴れた時、目の前に慎霰の姿は無い。目線だけを動かして探そうとする前に、背に焼けるような痛みが奔る。目を見開いた男の視線の端、金の妖気を纏う切っ先がするりと伸びる。首先に冷やりとした感覚、男は思わず独鈷杵を落とし、両手を挙げた。
「…頭悪ぃな、アンタ。攻撃ってのはさ、ここ、使わなきゃ」
とんとん、慎霰は男の背後で米神を突いてみせ、ふふんと、耳元で鼻で笑ってから、足で男の背中を蹴り飛ばして独鈷杵から離れた場所へと追いやった。…男は蹴り飛ばされた場所で、背中の激痛に身を捩って悶えている。声を出すのもやっとなのか、か細い声でヒーヒーと鳴いているのを横目に、慎霰は溜息を吐いた。
「全く、近頃の奴は…さっさと、持って帰るか」
新垣の事など全く忘れた慎霰は、腰を屈めて独鈷杵を手に取った。…が、手の感触に違和感、手に取った独鈷杵を見れば、慎霰の手に絡みつくように紫の妖気がじわりと滲み出していた。
「なっ?!んだ、コレェ!」
聞いていた話と違う!思わず独鈷杵から手を離した慎霰の指には、未だ紫の妖気が絡み付いている。コン、と音を立てて独鈷杵は地に落ちて………いない。独鈷杵は地に落ちるすれすれで、暗い紫色の靄に包まれようとしていた。慎霰は目を見開いて、手を伸ばす。…暗い靄は広がり、慎霰の距離感覚は麻痺していた。目の前に在るはずなのに、掴んだ感触はなく、慎霰の手はただ空気を掴んだだけだった。
「?!まだ、まだ他に…っ」
慎霰は漸く思い出した新垣の方を振り向くが、新垣は会いも変わらずノビたままだ。…兎に角、今は独鈷杵を取り戻す事だけ考えるべきか。もう一度、慎霰は独鈷杵へと手を伸ばした。
「!あと、ちょっと…!」
指先に硬い感触が触れる、眉を跳ね上げ慎霰はもっと奥深くへと腕を闇の中へと突き入れた。ぐっと、硬い感触、掌に伝わる細かな装飾、間違いない、独鈷杵だ。腕を引き上げれば、黄金の独鈷杵が紫の光を反射する。状態はどうであれ、取り返せた事に慎霰の頬も緩む。
「よっしゃ!取れた…っっ?!!」
「……いい、加減に…しろよ…ガキィ!!!」
街灯の光を遮り慎霰の上に暗い影を落とすのは、先ほどの男、動きは鈍いが…既に腕は振り上げられ、手には拳大の石が握られている。何時手に入れたんだ!何て思う暇もなく、それは慎霰へと振り下ろされた。
『ゥ…ッウワアアア?!!!!』
さて、叫んだのは誰なのか、声は二重に重なっていた。そう、殴りつけようとした男も叫んだのだ。むしろ、叫び声の主たるは男の声で…慎霰は、息を飲んで小さくうめき声のような物を上げただけだった。…叫んだ男は、石をごとりと地上に落とし尻餅をつく。一重の双眸は恐怖に剥かれていた。
「どういう事だ…っ?」
男の様子に首を傾いだ慎霰は、ようやく男の視線が自分ではなく、少し上空に注がれている事に気付く。…ゆっくりと、慎霰も黒の双眸を、上へと…。
「…でっけ」
そこにあるのは大蛇、街中の公園に見合わない巨大な身体をくねらせ宙で男を睨み据えている。思わず慎霰は声を漏らしてしまった。…しかし、一体何処から?視線をゆらりと、首も回して、大蛇の身体を辿る。身体は段々と、段々と細くなり、終いには人の腕ほどの太さに………いや、人間の腕になった。其の腕は、薄手のコートを羽織った、根元が既に、地毛の黒さを取り戻している金髪の…茂みでノビていたはずの、男。
「お前…仲間割れか?」
「馬鹿言うな、………見ず知らずの奴とどうやって仲間割れしろっていうんだ」
「…………は?」
…どうやら、慎霰はやっと事の次第を把握する事が出来たようで、それでもまだ戦闘態勢からの頭の切り替えが上手く行っていないのか、目がうろうろと彷徨っている。そして、やっと独鈷杵を握ったままでぽんと手を叩いて理解の意を示した。
「紛らわしいなあ、今度は気を付けなよ、おっさん」
「お前、おっさんとは失礼な奴…」
へらっと笑いながら独鈷杵を慎重にしまう慎霰の言葉に、新垣は少し眉根を寄せながら腕を振るった。大蛇に変化していた腕は一般男性の腕にしゅるりと戻る。其の様は珍しいのか、慎霰はじろじろと新垣の腕を見つめ
「それさあ…どうなってんの?」
「魂を憑依させてるだけ」
「憑依?腕だけに?」
「腕って言うよりはこの数珠だな…それより、お前の其の独鈷よく見せろよ」
「!やだね!また盗まれでもしたらご神木に合わす顔が…」
……非常に賑やかしく話をしている二人に忘れ去られた一人の人物、やっと抜けた腰が元に戻ってゆらりと立ち上がる。背の痛みは未だ消えないが…なんとしても、目の前の二人に傷の一つは負わせなければ気がすまない……。そう、先ほど新垣の蛇に猫騙しをくらって動けなくなった男。まだしつこくも狙いを定めているが、…思った以上に満身創痍だが男の意地で立ち上がり大きく叫んだ。
「コラアアア!!!!お前ら!俺を無視するんじゃねえ!!」
「だから――……あ?何だ、未だいたのかよ…」
「凝りねえ奴だな」
「うるせえ!!!俺を馬鹿にしやがって…覚悟しやがれぇ!!」
二人ともに呆れたような言葉を掛けられ、男の怒りもいよいよ最高潮。頼りない足つきながらも、ぐっと腕を振りかざした。よければ済む事だが…、男の怒りに少しくらいは報いてやろうじゃないか。慎霰は素早く印を組み、にこりと笑った。
「馬鹿に…じゃなくて、相手にしてないだけだぜ?」
「ッこの、クソガキィィィィ!!!!」
「…もう秋だねえ、篤と味わいな!!!」
シュンと、慎霰の指が縦に空を切る。同時に男の身体がズゥンと上へと持ち上がった。いや、足場が急に高くなったのだ。男はよろけ、一歩後退すれば…ふわりとした、不思議な踏み心地………
「なっなんだぁぁぁ?!」
男の足場には何故か巨大なキノコが生えている、おまけのように、男の頭頂部にも一本のキノコが。見た目、エリンギか?…などと新垣が呟いているが、慎霰はまだまだ何かするつもりなのか、次の印を組み始めた。
「秋って言えば、やっぱりコレだろ」
慎霰の指は今度は横に空を切った。強い風が吹き荒れる、未だ赤くは成っていないはずなのに、何処からともなく紅葉や銀杏の葉がふわり、ひらりと舞ってくる。………いや、段々とその数は増して、いまや赤い竜巻のようだ。キノコの周りを取り囲み、中が見えないほどに荒れている。
「………」
やっと、中が見えてきたときには、木のこの上に乗った男は蓑虫のように赤い葉に包まっていた。と言うか、包まれていた。どうやら、身動きも出来ないようで、うごうごと足の先だと思しき部分が蠢いている。キノコはだんだんと下がり、慎霰がぺいと手で空を扇げば一迅の強い風が吹いた。ソレは本当に物凄かったのだろう、男の身体は宙に浮き、公園の一番の大きな木の枝へと引っかかる形で落ち着いた。
「やー、一足先に秋を味わえるなんて、お得だね」
「全くだな」
男はすでに抗う気力も無いのか、ぐったりと木の枝に引っかかったままで動きはしない。漸くひと段落付いた頃には、既に夜は明けそうだ。朝陽に空が白み、夜を空から追いやろうとしている様がある。…ふと、新垣は右腕の腕時計を見た。………文字盤には微かな罅が入り、有り得ない時間で停止したままビクともしていない。しかも、右腕の数珠にも罅、紐など既に切れそうなほど擦り切れている。
「う、アアアーーー!!!お、お前のせいだぞ!何て事してくれるんだ!!」
「え?いや、それで受け止めたのおっさんじゃん!」
「うるせぇ!今度会ったら絶対にベンショーして貰うからな!!覚えとけよ!!」
「ええ?!マジかよ!!!」
息巻きながら慎霰に三文役者の捨て台詞のような言葉を吐いてから、新垣は地下鉄の駅入り口へと走っていく。駅の入り口に入るまで新垣は何事か叫んでいたが、慎霰の知る所ではない。
「変なおっさん……あーあ、俺も帰るか…浄化してもらわないと、な」
懐にしまった独鈷杵をぽんと叩く、紫の妖気は恐らくあの男の意識が、この純粋な妖具に悪影響を与えてしまったのだろう。取り戻したことだ、神木が何とかしてくれるはず…。ぐっと、慎霰は膝を曲げてから跳ねた足は地に着地はしない。ぶわりと、公園に強い風が舞う。紺から水色、黄色、白へと変化する空に大きな黒い翼をはためかせた。先ほどの妖術の残りか、一枚の紅葉が街中へと…吸い込まれるように姿を消した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1928/天波・慎霰/男性/15歳/天狗・高校生】
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■ ライター通信 ■
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■天波・慎霰 様
初めまして、ライターのひだりのです。此度は発注有難う御座います!
元気、活発、的な感じを強く描写してみましたが如何だったでしょうか。
元気…と言いますか、少々テンションが高めになりました。
妖術も9月には言ったという事で、秋バージョンにしてみました。
楽しんでいただければ、幸いです。
これからも精進して行きますので、機会がありましたら
是非、宜しくお願い致します!
ひだりの
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