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<東京怪談ノベル(シングル)>


あかつき

 1904年、夏。
 日露戦争のまっただ中、日本陸軍と海軍が駐留し、艦隊が港で停泊する朝鮮半島と露西亜国境近くの小さな軍港の一つに天野 鷹一(あまの・たかかず)……後のナイトホークは、自分の所属している部隊と共に駐屯していた。
「海戦か……」
 海戦の開戦前日の夜。
 本来であればもっと気持ちが高揚するものなのかも知れないが、戦闘前は大抵気持ちが沈む。
 元々自分は臆病者だ。それを誤魔化すために無理矢理士気を上げ、死にたくないから敵を殺す。大きな戦闘があると、今度こそ自分が死ぬのではないかという気持ちの方が強くて、とてもじゃないが勝つなとどと思えない。
 そもそもこの海戦だってそうだ。
 戦力差で無謀と言われたが、どうしても避けられない戦闘だからやる。まあ砲弾の矢面に立つのは自分達陸軍ではなく海軍なのだから、気が楽と言えば楽なのか。
「どっちにしろ、死ぬときは死ぬしな」
 ナーバスになっているところを、部下に見られる訳にはいかない。鷹一がふらっと立ち上がると、上官でもある友人が近づいてきた。
「天野軍曹、そろそろ時間だ」
「了解」
 陸戦では切り込み隊長をしているので、部隊での鷹一の信頼度は高い。ナーバスになっているのは多分部下も同じだ。それを「自分達は絶対勝つ」と思わせ、戦いに出さなければならない。
「全員集合!」
 部隊を集めると、上官から戦闘前の説明が始まった。
 作戦については何度も言い含めてあるが、確認は大事だ。今回自分達は海戦中の街内部及び、周辺の治安維持や警戒等にあたる。
「天野軍曹から、一言!」
 さて、ここからは自分の仕事か。
 緊張している肩の力を抜き、されど戦意は喪失しないように。その叱咤激励は長く生き残っている自分がやる方が、部下達にも「自分達は生き残れる」と思わせることが出来るからだ。
「今回自分達の仕事は、海軍が如何に働くかにかかってる……常日頃俺ら陸軍を馬鹿にしている奴らが、口ばっかなのかを見られるいい機会だな」
 陸軍と海軍の仲が悪いのは、もう宿命みたいなものだ。大きな戦闘はどうしても海軍が関わるが、上陸してしまえば矢面に立つのは自分達……住んでる場所が違うのだから、理解し合えと言うのが無理な話だ。鷹一自体も、海軍が好きかと言われると答えに困る。
 口ばっかなのを……という鷹一の言葉に、笑いが漏れる。
 この状況で笑えるなら、まだ生き残る確率はある。だが油断は禁物なのでそこに気合いを入れさせねば。
「海軍が凱旋しても、我々がこの街を守れねば意味がない。露西亜軍もそれは分かっているだろうから、警戒を怠るな。いいか!」
「おう!」
 皆が気合いを入れたその時……。
「おー!」
 一人気の抜けた、可愛らしい調子の声が上がった。部隊にこんな甲高い声の者がいただろうか……気合いの入れ直しかと思ってその声がした方向を見ると、そこには以前の戦闘で出会った緑の髪で背中に天使の羽根をはやした少女、ファム・ファムが部下と同じように右手を高く上げていた。
「なっ……!」
 何故こんな所に入ってこられたのか。思わず鷹一が驚くと、部下達が不審そうにその方向に目をやる。
「どうかしましたか、天野軍曹」
「お久しぶりですぅ」
「何でもない……一同解散!持ち場に着け」
 ここで不審な行動をしたら、自分が怖じ気づいてると思われ士気が下がる。
 皆が走り去ったのと同じように、鷹一はファムの首根っこをひっ掴んで、人気のないところへ連れ出した。
「おい、ガキがこんな所をうろつくな」
 建物の影でファムを下ろすと、ファムは少しふくれっ面で鷹一の目線まで浮かび上がる。
「他の人には認識できないとお教えしましたのに〜」
「時と場所を考えて出てこい。ただでさえピリピリしてるんだ」
「もー、わがままさんですね」
 何だか気が抜ける。
 この天使のような容貌の少女は、確か『地球人の運命を守る仕事をしている』らしい。この前会ったときは信じられなかったが、流石に二度目だと慣れる。というか、慣れなければやってられない。
「で、今日は何の用だ。作戦中だから、手短に頼む」
「察しがいいと助かりますぅ。何度もお願いしているのに、なかなか信じてくれない方も多いんですよ」
 自分だって信じがたいが、事実は事実として受け取った方が長生きする。そのあたり鷹一は現実主義者とも言えよう。
 ファムは小さな体に不釣り合いな大きな本を出すと、パラパラとページをめくり始めた。
「今日はですね、一人の脱走兵を思い留まらせて欲しいんですぅ」
「脱走兵?」
 まあよくある話だ。表向きはお国のためにと言っても、誰だって死ぬのは怖い。自分だってその恐怖を、無理矢理闘争本能に変えてここまでやっている。
「異国で脱走たぁ、またいい度胸だ」
 上手く逃げ切れればいいが、味方にも敵にも追われる身。ましてここは冬になれば零下の地だ……人里につけばいいが、そうでなければ待っているのは結局死だ。
 そんな事を思っていると、ファムはしょんぼりと本を閉じる。
「元々気の弱い方なのですが、悪い邪気にあてられて逃げる運命に変わりそうなのです。でもその方、次の戦闘中に戦死した上官の代わりに砲撃手を任されて、放つ一発が戦局を大きく左右する結果になります。だから発覚する前に止めて欲しいのです」
 戦局を大きく左右する?
 その言葉に鷹一は顔を上げる。
 元々この戦闘は、無謀とも言える戦力差で負け戦が濃厚だ。だが、戦局が大きく変わるという言葉を信用するのなら、勝てる……いや、生き残れる確率があると言うことなのか。
「どうなさいましたぁ?」
「なあ、そいつがいれば戦争に勝てるのか?」
「み、未来はお教えできないのですぅ」
 慌てるファムに、鷹一が笑う。
 どっちにしろ負ければ死ぬ。生き残って帰れる確率があれば、たとえ少なくてもそっちに賭けた方がいい。今までそうやって生き残ってきたのだし、戦局が変わるなら変えてもらわねば。
 ふぅと溜息をつくと、鷹一はファムの頭をポンと撫でた。
「戦局が変わるってなら乗ってやるさ。誰だ?」
 脱走兵の一人や二人に気合いを入れ直すのは楽そうだ。そもそもそういうのは自分の仕事でもある。
 今回は楽そうでいいなと思っていると、ファムはぱぁっと笑ってこう言った。
「そうですか。助かりますぅ。で、ですね、海軍二等兵の……」
 ちょっと待て。
 脱走兵と言うからには、てっきり陸軍の誰かかと思っていたのだが、相手が海軍とは……やっぱり厄介な仕事か。
「どうなさいましたぁ?」
 突然うんざりとした表情になった鷹一に、ファムが不思議そうな顔をする。
「どうしたも何も、俺は陸軍だぞ」
「ええ、だからお願いに来たのですぅ。同じ海軍の人では運命が変わってしまうのですー」
 どう変わるのか聞いてみたいたいところだが、おそらくファムはそれを教えてはくれないだろう。溜息をつきつつも、鷹一は一応ファムに厄介さを説明しようとした。
 したところで、誰か別の者に頼みに行く訳ではないだろうが、ファムに言い聞かせながら、自分に言い聞かせる意味が強い。
「あのな、海軍には勝手に介入できないし、派閥争いもある。殺し合わないだけで、陸軍と仲はすごい悪いぞ」
「知ってます。でもそこを何とか頑張って下さい」
 何とか、か。
 まあファムの言う通り「何とか」頑張れば、自分が生き残る確率も上がるのだろう。
 前にお願いされた「露西亜兵を残らず殺して欲しい」よりは、少なくとも楽そうだ。これでお願いを聞かずに運命が狂えば……。
「馬鹿馬鹿しい」
「何か言いましたか?」
「いや、独り言だ。説得するのはいいが、俺はそいつのことを全然知らないから、何か説得材料をよこせ。人によって殴ってやる気が出るのも、反発して士気が下がるのもいるから、ただ説得してくださいじゃ俺も困る」

 ガサガサ……。
 走るたびに足下の草が揺れる。
「あれか……」
 まだ若い二等兵が走っていた。
 逃げてどこに行くのか。そんな事を考えている余裕はないのだろう。
 こういうとき、無駄に頭のいい兵隊は困る。戦力差、天候、自分達の士気などからどちらに風が吹くかを悟ってしまう。まあ、風の向きなど現場でいくらでも変えられるのだが。
 隠密行動は鷹一も得意だ。そうじゃなければ切り込み隊長などやっていないし、それで今まで生き残ったりもしていない。
 そっと斜めに近づくと、鷹一は銃剣を構えた。
「そこの脱走兵、止まれ」
 ビクッ。走っていた足が止まる。
 構えるときにわざと銃剣の音を響かせた。普段そんな事をしたら自分の居場所を気付かせてしまうが、今回は「いつでもお前を殺せる」と言うことが分かればいい。
 鷹一は銃剣を構えたまま、静かにその背中に声を掛ける。
「脱走兵がどうなるか、知ってて逃げてるんだろうな」
 返事はない。多分背中は冷や汗でびっしょりなのだろう。その銃剣がいつ襲いかかるのか、その恐怖に怯えながら。
「……貴様は逃げてここで死ねばいいかも知れないが、故郷にそれを伝えたら、一家郎党住む場所がなくなるかもしれないな……その覚悟があるのか?」
 ガサッ。足下が動いた。
 ファムからは家族と故郷の事を説得しろと聞いていた。家族愛と郷土愛が強い人で、軍に入ったのもその為だと。
『その人に武勲を立てさせてあげて下さい』
 羨ましい話じゃないか。
 軍を出たらやくざ者になってのたれ死ぬしか選択肢がないから、死ぬまで軍にいるしかない自分に比べて、上手く生き残れば除隊して帰る場所がある。
 しかも天使に武勲を立てさせてあげてくださいなどと言われているとは……本当に羨ましい話だ。
「今戻るなら見逃してやる。持ち場に戻れ」
「………」
「故郷でお前の帰りを待ってる奴がいるんだろう。何も死ぬと決まった訳じゃない……それとも、ここで俺に殺されたいか?陸に上がった海軍の河童め」
 これで自分が陸軍にいると分かったかもしれない。海軍兵を河童などと言うのは自分達ぐらいな者だ。まあ、自分が何者か分からなければいいんだし、戻った後でわざわざ誰に止められたのか聞きに来る阿呆もいないだろう。
「生きて武勲を立てろ。それが今のお前に出来ることだ……回れ右!」
 元々真面目なのか、それで二等兵はくるっとその場から振り返った。ニヤッと笑いながら、鷹一はだめ押しにもう一声掛ける。
「駆け足!」
 そのまま、また走っていく姿を見送り、鷹一はそっと立ち上がった。
「……軍にいる限り、戦争から逃げ切れる場所なんてねぇよ」
 戦争から足抜け出来るなら、とっくに自分だってやっている。異国の地でそんな事をする度胸があるのなら、生きて武勲だって立てられるだろう。
「全く、羨ましい……」
 小さく口の中で呟いたときだった。
「ありがとうございますぅ。これであの人も持ち場に戻って、運命も変わらずにすむのですぅ」
 ふわっとどこからともなく現れたファムが、ぺこりとお辞儀をする。
 実はこの後、彼のがむしゃらな一発が戦況を大きく変え、そのお陰で日本海軍が盛り返し、無謀と言われた海戦の勝利に繋がっていくのだが、それは鷹一には言えない話だ。
 鷹一は銃剣を外し鞘に収めると、小さく溜息をつく。
「いや。奴が砲手になって戦局が変わるなら、俺も生き残れる確率が上がる……それだけだ」
 結局、自分はファムの願いを聞きつつ、自分が生き残れる策を探しているだけだ。
 戦争をやっているのだから、それが卑怯とか言う気はない。卑怯でも何でも、生きた兵士は死んだ英雄より使える。
「運命が狂わなかったのですから、何でもいいのですぅ。ところで、前回もお礼が出来なかったので、今回こそ……」
 その時だった。
「敵襲!」
 街の方から攻めてきたか。
 さて、ここからは自分達の仕事だ。切り込み隊長がいなかったでは話にならないし、ここからなら走れば奴らに不意も打てる。
「その話はまた今度だ」
 これからこっちの戦争だ。お礼とやらをのんびり考えている暇はない。
「じゃあ、生き残ってたらな」
 鷹一はファムの方を見ずに、そのまま真っ直ぐ自分の部隊へと走っていき、ファムがぽつんと取り残される。
「またお礼できませんでしたぁ……」
 まあ、この戦闘で鷹一が死なないことは知っている。次に会ったときこそは、ちゃんとお礼をしなければ。
 ファムは明け始めた空と、鷹一が走っていった方を見てこんな事を思っていた。
 今日もまた、熱くなりそうだ……と。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
今回は海軍脱走兵を、陸軍であるナイトホークが説得するとのことで、こんな話にしてみました。ファムちゃんの台詞から、何となく彼が武勲を立ててそれで勝てるということを察していますが、ずっと軍にいるのでそのあたりの回転が速いのでしょう。
お礼は今回も断りましたが、普通に何かお礼をと言われてもあんまり実感がなさそうです……当時は飯が食えればいい人なので。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。