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真実の欠片
今日もシュライン・エマは、残暑厳しい日差しの中図書館に向かう。
もう暦の上では秋なのに、太陽は刺すように日差しを投げつける。熱されたアスファルトからも不快な湿気が上がり、その暑さに倒れそうになる。
「暑い……でも、本当に熱いのは……」
調べているのは、ある研究所のことだった。
大正時代に焼失した、「綾嵯峨野研究所」
そこは鳥類研究所と名は付いていたが、実際は「鳥の名を持つ者達」を研究していた人体実験施設だと言うことを、シュラインは知っている。そしてそこに、「一目一科一属一種」の鳥の名を持つ彼もいた……。
図書館に入ると、途端に空気が冷たくなった。汗ばんだ体を冷やさないように薄手のストールを羽織ると、シュラインは古い新聞が保管してあるコーナーへ向かう。
「今日こそ見つかるといいんだけれど……」
調べたいものは、焼失したという綾嵯峨野研究所の記事。
その場所での研究が終了したので不審火という形で処分したのか、それとも何か突発的な事故があって放棄せざるをえなかったのか……どうも今また動き出している所を見ると、研究が終わった訳ではないような気がする。
何も終わっていないから、また今始まろうとしている……。
そして、その終わってない研究のために、まだ鳥の名を持つ者達が動いている。
「砂漠で星砂の一粒を探す気分だわ」
夏休みが終わる前のせいか、図書館は学生達が多かった。新聞のコーナーにも子供達が多いのは、何か調べる宿題などを駆け込みでやったりするからなのだろう。いつも何そんな光景も微笑ましいと思えるが、今は別のことを考えていられなかった。
研究所で火事が起こったと言うことは、情報収集で聞いた確かなことだ。研究員が全員焼死したという大規模火災なら、新聞が残っていれば死亡者も載っているかも知れない。
ただ、あの頃は言論統制などもあったので、あまり期待はしていないが。
「全員焼死ってのに引っかかるのよね」
今の建物であれば、それも分かる。塗料が熱されたことによって出る一酸化炭素などで、そんな事も起こるだろう。現にビルの火災で換気が悪かった為に、大勢の死者を出した例もある。
だが大正時代の建物でそれがあるだろうか。きっと何らかの外部的圧力で、研究員の口封じをしたとしたら……そっちの方がまだ納得のいく話だ。
膨大な資料を、シュラインは時間があるときに少しずつ調べる。
やっとその欠片が手に触れたかと思うと、またするりと深みに落ち……。
「難しいわ……」
焦っちゃいけない。
向こうだって大正時代に消えてから、平成の世まで息を潜めていたのだ。そう簡単に尻尾が捕まるようであれば、それはきっと罠。
綾嵯峨野研究所の焼失記事は、全国紙の新聞の片隅に小さく載せられているだけだった。
綾嵯峨野と言う名は華族ではあったらしい。
当時いくつか土地を持ち、研究所にも出資していたようだ。だがその記録はあまりにもあやふやで、意図的に隠してあるようにも見える。
「……旧陸軍が関わっているのかしら」
あの頃、軍部の発言力は強かった。不老不死などの研究をしているのであれば、そこにも関わりがあったのだろう。
……軽い頭痛。
シュラインはこめかみを押さえると、首から下げている遠視用眼鏡をかけた。
不老不死研究……もしかしたら、それには第三帝国も関わっているのかも知れない。
その研究資料系も含め国内外の伝手をたどり、資料を収集する。
異端研究は資料が少ない分、特異な収集家などに集まっているだろう。オカルトや魔術などにも発展していたらしいし、叩けば埃は出まくる。
「不老不死……生者と死者の違いはあれど、霊鬼兵研究分野と枝分かれしたって可能性もあるかも知れないわね」
優秀な霊能者の肉体をつなぎ合わせて作られた霊鬼兵。
それも、考え方によってはある意味不老不死だ。タイプは違えど、やはり不老不死の兵隊というものは誰もが考えるのであろう。そう考えると、知られざるうちにその研究が密かに成功していたとしても、全然おかしくない。
何だか薄ら寒い話だ。
もしシュラインが突然何者かに捕らわれ記憶を消され、永遠の生という枷にはめられたら……考えるだけでも恐ろしい。
自分が何者かも分からずに、永遠に生き続けなければならない。霊鬼兵のように「お国のために」という使命感があるならともかく、そこに何もなければ……。
「それでも、永遠に飛び続けなければならない……」
その絶望を少しでも軽くするために、とにかく欠片を集め続ける。
他の微かな情報、繋がりがないかも知れない資料。
それこそ星砂のように小さな欠片から、真実にたどり着かなければならない。
調べていて分かったのだが、綾嵯峨野が持っていた研究所は、その一つだけだった。記録では当主が鳥好きで、それを自分で研究するための私的な研究所でもあったらしい。
華族であるはずなのに大きな土地も持たず、軍に売ってしまったりしながら、何とか食いつないでいたという記録が残っている。
「やっぱり、軍……」
厄介だ。
だとしたら多分記録はほぼ処分されているだろう。多分食いつないでいたというのも対外的なアピールだ。自分達は落ちぶれていると周りに示すための。
第三帝国の資料が手元に来るには、まだ時間がかかるだろう。もしかしたら、収容所で子供達や双子を集めてやっていたという人体実験も、そこに繋がったりするのかも知れない。
砂漠で欠片を探していたはずなのに、欠片が砂漠になってしまったような錯覚を覚えつつ、シュラインはまた夏の暑さの下歩き出す。
足下に出来る影が、日差しを睨み付けるように濃い。
「シュライン、こっちに手紙来てたぞ」
「あら、ありがとう。武彦さん。今日も暑いわね」
草間興信所に戻ると、草間 武彦(くさま・たけひこ)がシュラインに分厚い封筒を渡してくれた。研究所や鳥の名を持つ者達を調べるということは、前もって武彦に言ってあった。
「あんま根詰めんなよ」
最初資料の送り場所などをシュラインは自宅にするつもりだったのだが、相手が組織であるなら個人宅は危険だという武彦の判断で、頼んでいた資料などは興信所に来るようになっている。
宛先は、シュラインが調査をお願いしていた車雑誌関係の知人だった。
年代車好きな人に、大正頃の自家用車所持者や、それなりに人数や資料乗せられそうな車種などを調べてもらったのだ。
「当たりがあるといいんだけれど……」
その頃は三輪自動車なども走っていたらしい。明治時代はまだ人力車や馬車の時代であったが、大正時代に入ると急速に自動車が普及してきはじめたようだ。
「でも、日本車ってのがほとんどないのね」
聞き込みでは「ハイカラな自動車」と言っていた。だったら三輪自動車ではない。乗り合い自動車などもあったようだが、それはハイカラとは言いがたい。
「軍が持っていた車か、それとも華族の誰かが持っていた車か……」
名簿を見ると自分が知っている名字を一つ見かけた。漢字一文字の名字は目に付く。それをじっと見ていると、武彦が灰皿を持って近くにやってきた。
「何か見つかったか?」
「敵じゃなくて、味方の方の名前を見つけちゃったわ」
それを覗き込んだ武彦は、少しだけ笑うと煙草に火を付けた。
「ああ、代々続いてるって言ってたもんな。堂々としてるのと、隠れてるのはやっぱり見つけられる速度とか違うだろ」
武彦がふぅ……と吐いた煙が宙に消えていく。最初白かった煙は段々境目があやふやになり、そして散ってしまう。
研究所から出て行ったという車は、何を運んでいったのだろう。
人、物、資料……よほど急いでそこから離れる理由が出来たのだ。一つの研究所を焼失させてもいいほどの「何か」が。
そしてそれは口外されてもいいものではないので、口封じに研究員を殺した。でも、きっと研究資料や、真実を知っている者達はそこにいなかった訳で。
「………」
欠片を集め、一枚の絵にする作業。
綾嵯峨野研究所。華族。敵対する家。鳥の名を持つ者達。不老不死の研究……。
「あーっ、ダメ。焦っちゃってるわ」
資料を整理しながら、シュラインは軽く首を振った。そして机に突っ伏しその冷たさを堪能する。
暑いし、熱い。
多分……これは自分の憶測でしかないが、研究所は軍を利用していたのだろう。不老不死を目の前にちらつかされれば、誰だって心は動く。だが軍はその研究を、全て把握できなかった。だから方向性を変え霊鬼兵の開発へとシフトしていった。そうだと何となくつじつまは合う。
そして、研究所が焼失したのは、おそらく見られたくない何かがあったか、何か逃げなければならない理由があったのだろう。
シュラインは鳥たちの能力を知らないが、ちょっとやそっとの相手であれば、おそらく鳥たちだけで太刀打ちできる。
だが、それが通じない相手だったとしたら。
成功例である鳥たちをも凌駕するものが現れたら……。
「その為に、重要なものだけ残して研究所を放棄せざるを得なかったって理由はつくわよね」
これに関しては、知っていそうな者に直接聞くべきだろうか。
よいしょっと顔を上げると、シュラインは集めた資料をもう一度見る。
もう一つだけ、シュラインが気になっていることがあった。それは今こうして研究所のことをおおっぴらに調べているのに、全くと言っていいほど妨害のないことだ。最初、警告されたりするだろうと警戒していたのだが、それもない。
真実にたどれつかれない自信があるのか。
それとも、真実にたどり着くものを待っているのか……。
「………」
しばらく難しい顔をして考えていると、不意に頬に冷たい物が触れた。
「きゃっ!」
ぺたっと触れたのは冷たい缶コーヒーで、それを持った武彦が少し呆れるように笑う。
「少し屋上で休憩しないか?風が出てき始めたし、日差しも柔らかいぞ」
気が付くと、日は結構斜めになっていた。
少しずつ青かった空が紅に染まり、事務所のブラインドの隙間からも夕日が差し込んでいる。
そんなになるまで考えたり、資料を読んでたりしたのか。手渡された缶コーヒーを受け取ると、小さい溜息と共にシュラインは笑った。
「ありがとう、武彦さん。少し外の空気でも吸いに行こうかしら」
「それがいい。考えれば答えが出るもんでもないだろ」
少し風が出て、日中よりは涼しげな風が吹き込んできていた。
屋上の物干しでは葡萄柄の布が干してあり、それも夕日に染まっている。風に揺れる布を見ながら、シュラインは缶コーヒーを開ける。
「ごめんなさい。少し煮詰まっちゃってたみたい」
そう言って日陰に座ると、武彦は少し笑ってシュラインの頭を撫でる。
「情報ってのは、足りなければ補完するし多ければ選ぶことが出来るが、中途半端に提示されてるとそうなっちまうさ。それを分かってやってるなら、やっぱ嫌な相手だよ、その研究所は」
やっぱりこれも一種のトラップなのか。
そう思って少し甘いコーヒーを飲む。苦くて甘いコーヒー……それがまるで今の自分の状態のようで。
「そうだ。IO2からの情報で、また鳥の名を持つ者が出たみたいだ。多分シュラインが関わった、ゴーストネットの事件のことだろうと思うが」
そんな事もあったか。
過去も気にはなるが、今こうして動いているのが現実なのかも知れない。昔からずっと生き続けていたり、不老不死の力を持っていたりするのか。それとも何らかの理由で、記憶を引き継ぎながら代替わりをしているのか。そのあたりも気になる。
「一度、誰がどんな力を持っていたとか整理した方が良いかもしれないわね。それに、過去から続いているのは確かみたいだけど、もう少し大胆に動いてみてもいいのかしら」
「そうだな……そうやって釣り針を動かすことで、大きな獲物がかかるかも知れないし、過去を基点にしないで、現在を基点に変えてみるのはいいかも知れないな。逆引きみたいな感じでさ」
逆引き。そう言われ、シュラインは少し笑う。
「気長に行こう。まだ先は長いし、狡猾な相手を出し抜くつもりなら、より狡猾になるか、さもなくば正攻法が一番だ」
「そうね……やっぱり、事務所に資料が集まるようにして良かったかも」
「………?」
多分、自分一人で調べていたら、真実の欠片の砂漠で途方に暮れていただろう。でも、武彦が側にいれば、そうなったときも自分の位置を知ることが出来る。旅人を導く星のように、躓きそうになったりした自分を導いてくれて。
思わずくすりとシュラインが笑うと、煙草を持ったままの武彦と少し目が合って。
「まだまだ入り口に立ったばかりだもの。大変なのはきっとこれからだわ」
「焦らず行けばいいさ。時間は腐るほどあるし、すぐ掴んだ真実よりは苦労して掴んだ方がきっと価値がある」
そうしよう。
まだ欠片は一枚の絵になるほど集まっていないのだから。
夕暮れの日差しに揺れる布を見ながら、シュラインは缶コーヒーを飲みながら空を見る。
この前のと同じ夕焼けなのに、今日の空は何故か優しく地に降り注いでいるような気がした。
fin
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
研究所や鳥の名を持つ者達の情報収集の続きと言うことで、色々調べたり考えたりしていただきました。過去の情報ははっきりしないことが多いのですが、今現在研究所は少しずつ動いているという感じです。
不老不死という点は、確かに霊鬼兵と同じですね。何故不老不死になったのかという理由もありますので、そのあたりの話が出てくるかも知れません。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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