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『御札長屋にようこそ』
斎藤零司の日記より
9月18日
今日、天狗が空から降ってきた。
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今年の夏は暑かった。それはもう、本当に。
そして、もう9月も半ばだというのに今日も暑い。それももう、本当に。
そんな厳しい残暑の中、天波・慎霰(あまは・しんざん)は姿くらましの術を使い空を飛んでいた。
「あーくそ、暑ぃ……」
ぼやきながら、慎霰はのろのろと空中を行く。
姿くらましと飛空、ふたつの術を同時に操ることなど、普段の慎霰にとってはどうということもない。しかし、あまりにも暑すぎる環境は集中力を奪っていくもので。
「んー……?」
ふと気がついた時――いや気を失った時、慎霰は術の制御を失い、誰の目にも明らかなように自由落下をしていた。
◇◆◇
どんがらがしゃーん!
雷を思わせる轟音が家のすぐ前から聞こえ、斎藤零司は慌てて長屋の外に飛び出した。
「大丈夫か? 親父さ……ん……?」
そこで零司が目にしたのは、珍しくも少々驚いているらしい保護者と、その視線が注がれている大破した屋台、そしてそこに埋もれている自分と同じくらいの少年――慎霰の姿だった。
「……何が起きたんだ?」
「これが上から落ちてきた」
そういいながら高原義男は慎霰のそばにしゃがみ込んだ。上と言われて零司は素直に上を見る。そこには電線すら通っていない、夏の青空が広がるばかりだ。
「……上、空しかないけど」
「そうだな」
相槌を打ちながら、高原はぺちぺちと慎霰の頬を軽く叩いた。
しばらくの時間、親子の間を重い沈黙が襲った。零司も高原もあまり口数の多い方ではないので二人でいても静かなことはままあるが、この沈黙はそれとは種類が違う。何だかだんだんいたたまれなくなってきたので、長屋の顔役・真野宮進が「天誅!」と叫びながら現れた時、零司は心底ほっとした。
「遅くなって悪かったな、零司、高原の旦那。もう大丈夫だ」
屋台に埋もれている少年に向かって真野宮は札を投げつけながらそう言った。高原の屋台が完全破壊されているこの状況の何が大丈夫なんだろうと思わないでもなかったが、とりあえず零司は素直にうなずく。
何もない空から落ちてきた少年。
こういう事の扱いは確かに自分や高原ではなく、真野宮達の領分だろう。こんな、空から落ちてきて、真野宮の札を食らい、なおかつそれでも立ち上がろうとしている少年など――
「なぁにが天誅だ! 俺ぁそんなもん受けなきゃ何ねえ覚えはないぜ!」
自分を押さえつけようとする痛みのおかげで慎霰は目を覚ました。……まだ少し頭がくらくらするが。
投げつけられたのは縛符だ。身体が重い。慎霰をこの場に縛り付け、肉体的な動作はもちろん、術の使用まで禁じようとしてくる。この術者の力量はまだわからないが、札の威力は本物だ。
「やかましい、小僧! この界隈で破壊活動する奴ぁ、神様だろうが鬼だろうが俺の札でとっ捕まえるって決まりなんだよ」
「神だの鬼だのなんかと一緒にするな! 俺は天狗だ!」
「天狗!?」
脇から驚きの声が上がったが、とりあえず無視する。今はこの術者をどうにかする方が先だ。「俺の札」と言っていた。つまりこの縛符は自作か。ならば、相当の手練――いや、それとも札作りのスペシャリストか?
「ほう、天狗とは今時珍しい。なら、もう二重三重に縛らなきゃならんか……」
術者はスッと札を構え直した。
まずい。
これ以上縛符を使われては、本当に身動きがとれなくなってしまう。頭がガンガンと痛むがここは先手必勝、妖術で――
「進さん。あまりいじめてやるな」
にらみ合う慎霰と真野宮の間に割って入ったのは高原だった。
「高原の旦那。これはあんたの手に負えるような奴じゃない。俺らの仕事相手の部類だ」
「まだ子供だ」
「人間じゃないんだよ、こいつは」
「それに、日射病にかかっている」
「旦那、騙されて……は?」
思わず口をぽかんと開けて真野宮は高原を見た。自分では気づいていないが、慎霰も同じような表情を浮かべている。
「さっき、頬が熱かった。暑さにやられて落ちてきたんだろう」
「落ちてって親父さん」
と、これは零司。ちなみに先刻「天狗!?」と驚いていたのも零司である。
「天狗なら空を飛ぶ」
「いやそれは確かにそうかも……そう、なのか?」
零司にしてみれば、そんなことより高原がそんなに簡単に人外の存在を受け入れたことの方が重要なのだが。
「進さんや、巫女のお嬢、拝み屋のボンみたいな仕事をしている人間がいる。小野さんのようなひともな。なら、天狗がいたっておかしくはない」
そんな高原の言葉を聞いて、はあ、と真野宮はため息をついた。
「商売道具壊されたっていうのに、この旦那はまったく。ガキ相手だと途端に甘くなるんだから……」
その言葉にカチンと来たのは慎霰だ。
「誰がガキだって!?」
黙って聞いていれば、さっきから子供だガキだ日射病だと好き放題言ってくれるではないか。
……ん? 日射病?
そう言えば、自分は何故こんなところにいるんだった?
「うぅ……水、飲みてぇ…………」
頭に血が上ったせいか、再び慎霰の記憶は闇へと落ちていった。
◇◆◇
「う……ん?」
「お、気がついた。冷たい麦茶、飲むか?」
布団の上で慎霰は目を覚ました。額の上には冷たい手ぬぐいが置いてある。起きあがってみると、そこは古き良き日本家屋といった風情だった。少し、いや、だいぶ狭かったが。
布団のそばのちゃぶ台に向かっていた少年と目が合った。先ほど、慎霰が天狗だと知って驚いていた奴だ。他の人間の姿は家の中には見当たらない。
「さっき、俺に札投げつけてガキ呼ばわりしたヤツは?」
「真野宮さんなら――」
「外か? 外なんだな!」
少年――零司の言葉をろくに聞かず、慎霰は飛び出していった。残された零司は勢いよく閉められた長屋の戸を見て、「……ま、いいか」と宿題に没頭することにした。
その数分後。
「真野宮さん、居なかっただろ」
「ああ……」
「仕事に戻るって言ってたから」
「そうか……」
涙目になった慎霰と、困ったようにティッシュを差し出す零司が長屋の中にいた。
「それで、親父さんに叱られてきたんだ?」
「叱られてすらいねえよ!」
半泣きで慎霰は怒鳴り散らす。
「凄まれただけだよ! 術を使って屋台やドンブリ直してやったのに『あ?』の一言はねーだろ! 何だよあの迫力! 何者だ、お前の親父は?!」
「元ヤクザ」
あまりにも簡潔すぎる零司の答えに慎霰の怒声がピタリと止んだ。
「今はただの屋台のラーメン屋だけどな」
「――……俺はただの人間のチンピラ――しかも現役ですらねえ相手に、かばわれて凄まれて怯んで逃げてきたってわけか」
ガクリと膝をついて慎霰はホトホト涙を落とした。その肩に手を置き、零司は彼にしては優しく声をかけてやる。
「天狗でも元ヤクザは怖いのか?」
――その言葉は慰めにすらなっていなかったが。
「馬鹿野郎! 怖いもんか!」
「怯んで逃げてきたんだろ」
「誰が!」
「お前が。さっき、自分でそう言った」
「…………………………」
「…………………………」
交差する視線。
先に根負けしたのは慎霰のほうだった。
「――……そうだよ。悪ぃか」
「別に。親父さんがおっかないのは事実だから」
ぶっきらぼうな口調は相変わらずだが、その口元には小さな笑みが浮かんでいるようにも見えた。
「何かおかしいかよ」
慎霰は憮然としたまま座り込んだ。ここはあまり居心地がいいとは思えなかったが、まだ身体が本調子ではない。何より、今外に出て行ってはあの高原とまた顔を合わせなければならない。ならばここで、この少年と話して時間をつぶすしかないではないか。
「いや。本当に人間じゃない存在って、霊感とか無くても結構出会えるものなんだなって……」
「何だよ、人間じゃない存在って言い方」
「だって天狗なんだろ?」
一見無愛想そうに見えるが、どうしてなかなか好奇心の強いヤツのようだ。その瞳は興味津々といった光をたたえ、慎霰を見ている。自分が注目されるのは悪い気はしない。その相手が年上ではなく同世代だというならなおさらだ。
「俺は元は人間だぜ? 今だって学校にも通ってるし」
だから慎霰は自分のことを語って見せた。案の定、零司はその話題に食いついてくる。
「へえ。学校。……天狗の学校か?」
……まだ微妙に勘違いしているようだが。ヤクザの息子のくせに天然なのだろうか、こいつは。
「違ぇよ! 普通の学校だって。高校1年なんだよ、俺は」
「同い年なのか」
「何? お前も高1?」
こくり、と零司はうなずいた。同い年だとわかると途端に慎霰にも親近感がわいてくる。通っている学校の名を聞けば、零司の学校は慎霰も耳にしたことのある進学校だった。
「へえぇ。お前、頭良いんだなあ」
「いや、そんなことは……」
「照れるなって!」
バンと背中を叩いてやる。零司は生身の人間にしては身体を鍛えている方らしく、少々遠慮した慎霰の力では動じもしなかったが。
「今度勉強教えてもらいに来ようかな」
「……お前、自分が家に迷惑かけたって自覚、あるんだろうな?」
「そんなもん、壊したもん直したんだからチャラだろ、チャラ」
カラカラと慎霰は笑うが、零司は「親父さんが何て言うかだよな……」と嘆息する。
「――……人がせっかく忘れていたことを思い出させるんじゃねえよ」
「人じゃないだろ、お前」
いやそう言う問題じゃなく、と突っ込みに突っ込み返しをしようとして、慎霰は零司の目が笑っていることに気づく。
「おい、もしかしてお前……?」
ぷ、と耐えきれなくなったのか零司が吹き出した。何だ、普通の笑い方もできるのか、と慎霰は少し驚く。
「あははは。悪い悪い。お前があんまり親父さんのこと怖がってるから、つい、さ」
「ついって……」
「親父さん、別にお前に凄んだわけでもお前のこと怒ってるわけでもないと思うぞ」
おっかないからと言ったのと同じ口でそんなことを零司は言う。
「だってさっき――」
慎霰が言いかけた時、がらりと表の戸が開いて高原が長屋の中に入ってきた。
「あ、親父さん」
その零司の呼びかけで、完全に慎霰は固まってしまった。顔が上げられない。高原の視線を受けるのが怖い。完全に蛇ににらまれた蛙状態だ。
そんな慎霰の肩をぽんと叩く手があった。零司だ。
「大丈夫だって」
「……何が」
「親父さん。別に怒ってないみたいだけど」
その零司の言葉におそるおそる顔を上げた。高原は、先刻慎霰が直したドンブリを腕に抱えて、慎霰達をじっと見ていた。
「嘘つけ! 目一杯こっち睨んでるじゃねえか!」
小声で慎霰は零司に食ってかかった。しかし、零司は胸ぐらを捕まれても平然としたもので、大丈夫大丈夫と繰り返すばかりだ。
「身体」
ぼそりと、低くけれどよく響く声で高原が言った。
「もう大丈夫なのか?」
「俺はてめえのことなんざ、怖くも何とも……って、は?」
高原が発したのは、間違いなく慎霰のことを気遣う言葉。その意味がしばらく理解できずに慎霰は混乱した。そんな慎霰の様子にはお構いなしに高原は先を続ける。
「これ」
と、手にしたドンブリを指す。
「こういう事をすると、余計に消耗したりはしないのか?」
「それくらいの術、どうって事……って、え?」
「親父さんは、日射病で倒れたお前を余計疲れさせたんじゃないかと心配だったんだって」
慎霰の狼狽ぶりが気の毒になったのか、零司が通訳に入る。
「壊れたものを直してもらえたのは、当然ありがたいよな?」
これは高原への問い。高原は小さく、しかし確かに首を縦に振った。
「だってさ」
「じゃ、じゃあ、なんでガンとばしてきたりなんか――」
ふう、と零司がため息をついた。
「そこに大きな誤解があるようなんだが――うちの親父さんは、あれがいつもの顔なんだ」
「は?」
零司の言葉に、慎霰は思わずまじまじと高原の顔を見つめた。
顰められた眉。
鋭い眼光。
むっつりと引き結ばれた口。
どう見ても不機嫌そうなこの顔が?
「だから言っただろ。親父さんは『おっかない』んだって」
今にも笑い出しそうな声でそう教えてくれる零司の背中を、今度は遠慮なしに慎霰がどつきたおしたことは言うまでもない。
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斎藤零司の日記より
9月18日
今日、天狗が空から降ってきた。
名前は天波慎霰。なかなかおもしろくて、良い奴だった。
親父さんも気に入っていたようだし、出来るならまた会ってみたいと思う。
<END>
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1928 / 天波・慎霰(あまは・しんざん) / 男性 / 15歳 / 天狗・高校生】
【NPC / 斉藤・零司 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【NPC / 高原・義男 / 男性 / 50歳 / 屋台のラーメン屋】
【NPC / 真野宮・進 / 男性 / 35歳 / 札師】
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ライター通信
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はじめまして、天波・慎霰様。
このたびはゲームノベル『御札長屋にようこそ』にご参加下さり、誠にありがとうございました。
誤字・脱字の指摘、リテイクは遠慮無く申しつけ下さい。
改めまして、御札長屋にようこそおいでくださりました、天波様。
ラーメン屋親子との絡みをメインにということでしたのでこのようなお話になりましたが、いかがでしたでしょうか?
あんな容姿の説明で、あんな雰囲気の設定を持っているくせに、高原は子供好きだし、零司は……結構イイ性格をしているしで、もしかしたら天波様のご期待を裏切ってしまっているかもしれません。一応、高原にも、それから同じく年上の真野宮にも突っかかっていってもらったのですが……。予想とは違うお話になってしまったかもしれませんが、それでも楽しんでいただけたら幸いです。
それではまた機会がございましたら、よろしくお願いいたします。
追記:本文及びPCデータ、ライター通信で天波様のお名前を間違えておりました。
PC様の基本とも言うべき情報を勘違いするなどと言う大変失礼なことをしてしまいました。
申し訳ありません。
お詫びして訂正いたします。
沢渡志帆
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