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■ 不夜城奇談〜発生〜 ■
「黒い靄か…」
もう間もなく秋を迎えようという週末の午後、慎霰は閑静な住宅街の一角に建つ茶系色の屋根の上で、そんな呟きを洩らした。
空は快晴。
気温も太陽が南天に差し掛かるほどに上昇し、厳しい残暑は今日も猛暑日の気配を漂わせていたが、今の彼には何のその。
天狗という妖怪達の主である以前に、高校生という立場にある以上は、学生の――その範囲はともかくとして“本分”を疎かにし過ぎるわけにもいかず、何ものにも縛られずに動き回れるのが週末だけならば一分一秒も無駄には出来ない。
「ふぅん…まぁ、その調子であいつらの情報を更に集めてくれ」
言うと、慎霰の傍から黒い影が動き、消える。
小鬼と呼ばれる妖怪の一種だ。
彼が言う「あいつらの情報」。
それは数日前に遭遇した奇妙な二人連れのことである。
互いに名乗る時間すら無い僅かな邂逅だったが、しばらく様子見していた慎霰は一方的に彼らの名を知っていた。
影見河夕(かげみ・かわゆ)と緑光(みどり・ひかる)。
その名を手掛かりに、東京中に広がる妖怪達の情報網を使って二人の正体や現在の所在地を掴もうとしていたのだが、彼らのことを調べれば必ず禍々しい気を放つ黒い靄状の異物の情報も上がってくる。
初めて二人を見かけた時にも、彼らは靄状の何かを蹴散らして回っていたな…と思い出しつつ、軽い息を吐いた。
どうやら東京に来てまだ日が浅いらしい彼らの情報は思うように集まらず、慎霰の我慢もそろそろ限界に来ようとしていた。
「まだるっこしいな…」
軽い舌打ち。
そうして彼もまた、自ら情報を集めるべく雲一つ無い青空に黒い翼をはためかせた。
■
とある妖怪から有力な情報が入ったのは、それから二時間程が経った頃。
ここ数日、失踪者が続出していると連日の報道番組で警戒を呼び掛けていた町名に慎霰も「そこだ」と直感した。
飛んでみると、確かに周囲には禍々しい気配が満ちており、その酷さは、感受性の強い人間ならば惑わされ姿を消しても何ら不思議ない。
「これは…」
上空から辺りを見渡す慎霰は眉を顰めた、――その時だった。
「っ!」
後方には情報を持ってきた小鬼が付いて来ていたはずだった。
それが消えた。
一瞬の差で。
「下か!」
下降する。
追う。
人気のない住宅街、隅に見えた小鬼。
その足に纏わりつくは、黒い靄。
「出やがったな…!」
慎霰は天狗火の宿る小刀を取り出し、更に速度を上げた。
「俺の仲間に手ぇ出してタダで済むと思うな!」
声を荒げ、更に増す速度。
――……!
それが見えるわけでもないのに、黒い靄が息を飲んだように感じられた。
慎霰は空から地へ直下降し、瞬時に向きを変え、アスファルトを蹴る。
「失せろ!」
放たれた炎球。
だが。
「! すり抜けた…っ!?」
小鬼を傷つけることに躊躇はした。しかし確かに捉えたものに無傷で残られては納得がいかない。
「テメェ…っ」
更に妖術を重ねようと印を結ぶ。
呪を唱える。
そうして今正に発動しようという直前。
「天狗少年?」
「!」
不意の声に思わず動きを止めてしまった、一瞬の間。
「なっ…」
突然に小鬼を縛っていた靄が炎上したのだ。
それだけが、接触していた小鬼には一切の傷をつけることもなく。
「なんだ…?」
無意識に呟かれた言葉と、近付く気配。
「素晴らしい動きでしたが、残念でしたね。あの魔物を滅せるのは僕達だけなんですよ。――ところで」
言葉の合間に、慎霰の頭から足の爪先までを見遣った青年はにっこりと微笑む。
「やはりあの晩の天狗少年ですね?」
「げっ、光…!」
思わずその名を口にしてしまうと、相手は口の端を緩める。
「おやおや、いつの間に僕の名前を?」
楽しげに話し掛けて来る栗色の髪の青年の、何とも恐ろしい笑顔に、慎霰は不本意ながら身動きが取れなくなってしまった。
「では彼の名前も既にご存知なのでしょうか?」
手の平で指し示された方向には、漆黒の髪に、黒のはずなのに透き通って見える黒曜石の瞳を持つ青年。
「か、河夕だろ…?」
「正解です。では貴方のお名前は?」
もはや逃がすまいという意思がひしひしと伝わってくる笑顔に慎霰の頬は引きつる。
一方、少し離れた先に佇む河夕は眉間に皺を刻みながら頭を抱えていた。
■
かくして彼らは互いの事を知ることとなる。
二人は慎霰の名を。
慎霰は二人のことを。
彼らは自らを“闇狩一族”の狩人と名乗り、問えばその役目を存外素直に話し出した。
慎霰が何度も目にして来た黒い靄状のものを一族は“闇の魔物”と呼び、人間の負の感情を糧とするために悪意を持った人間に取り憑き、人身を我が物として悪事を働くのが従来の魔物の性質だったが、魔都・東京においてその生態には何らかの変化があったと語る。
そのために本来であれば容易に掴める筈の魔物の気配も探れず、地道に街中を歩き回りながら浮遊している魔物を一つ一つ狩っていたのだそうだ。
「要領悪ぃ…」
思わず本音を漏らした慎霰に、河夕は「言うな」と額を押さえたが、光は楽しげに微笑み返して来た。
「ええ。ですからね」
そうして向けられる笑みは、肩を抑えられているわけでもないのに遠ざかる事を許さない力を帯びており。
「いま貴方が此処にいるという、その情報源でもって協力して下さると、とても助かるんですよ」
どうして此処にいるのかと尋ねられた慎霰は、妖怪達から入手した情報だと答えた。
二人の所在地や、動向。
彼らの在るところには必ず見られる黒い靄。
先にも言ったように、魔物の気配が掴めずに四方八方へ移動している狩人達にしてみれば、その中でこうも的確に自分達の居場所を突き止めた妖怪達の情報網は限りなく理想に近い救世主だ。
光の、まるで獲物を狙う獣のような鋭い眼光もそのため。
慎霰は辛うじて二歩下がり、河夕に低く問い掛けた。
「何なんだよアイツ、目がマジだぞ」
「おまえも言ったろう、要領が悪いって。あいつも相当イラついているんだ」
「自分達でどうにかしようとか思わないのかよ」
「どうにか出来るなら、とっくに対処しているさ」
それこそ光がな、と目で語って来る河夕に、慎霰も納得するしかない。
「目の前で堂々と内緒話をされるというのも何ですねぇ」
それを相変わらずの笑顔で言う相手に応えたのは河夕。
「…光。いい加減にその顔は止めろ」
「何か問題がありますか?」
「気色悪い」
「それは傷つきますね。僕は精一杯の友情を表現しているつもりなんですが」
「それが気色悪いと言っているんだっ」
そうして、あの晩と同じく自分を無視して会話を進めていこうとする二人に慎霰は声を荒げそうになったが、それより早く小鬼に袖を引かれて我に帰り、もう一つの情報を思い出した。
闇狩の居る処には必ずついてくる黒い靄の異様な気配。
「そうだ…おまえら、この近くに居ついている魔物も狩っていくつもりなんだろう?」
悪事を働く闇の魔物。
それを狩るのが役目なら早々に終わらせろと暗に告げれば、二人の反応は慎霰の予想に反した意外なもの。
「…この近くに魔物が?」
「いるんですか?」
「…って、この小鬼が言ってるぜ?」
三者三様の顔を見合わせて、終いには全員の視線が足元の小鬼に集まった。
■
「あー…、確かに居るな」
「居ますね」
「…何で判んないんだよ」
「それは僕達が聞きたいですよ、まったく」
彼らがやって来たのは、この住宅街に在って全く違和感のない普通の一軒家の前。
だが意識を集中して視れば、そこに居るのは闇の魔物に他ならなかった。
「無数の人間の気配…失踪者か。死者は居ないようだが…」
「しかし妙ですね。魔物が人間を誘っているなら狩人に気付かれないわけがないのに」
「だから言ってンだろ。中に死霊がいて、そいつが人間を呼び込んでるって」
慎霰が小鬼からの情報を多少の上から目線で言ってみせれば、光に微笑まれて後退り、河夕は軽い息を吐く。
小鬼によってもたらされた情報を要約すると、この家には一月程前まで両親と兄弟の四人が暮らしていたが、十歳の少年が事故死し、家族は思い出深い家で暮らし続ける辛さに絶えかねて遠方に越していった。
その後、黒い靄が家族についていこうとした少年の魂を囚えてこの家屋に居ついたと、この近辺を寝床にしている小鬼は言うのだ。
「魔物が通り掛かったところに家族を追う魂が在って、魔物は生態変化のおかげで今までと違う力を手に入れていた。これ幸いと死霊の寂しさを利用したって?」
「自分で人間を招かなければ狩人には気付かれない、…非常に知能の高い魔物ですね」
揶揄するように光が言うのは、魔物に知能などないことを知っているからだ。
魔物が感知するのは負の感情、人間の悪意のみ。
作戦とも呼べる狡猾な手段を魔物自身が思いつくはずはない。
「…作為的なものを感じるな」
「非常に不愉快です」
言い合いながらも、ならばどうしようかという話になる。
「…死霊が家に憑いた魔物に囚われているというなら、一緒に消すしかないだろう。人間の輪廻に還してやれないのは気の毒だがな」
彼らの能力は対闇の魔物にのみ有効であり、それ故に魔物を滅ぼせる能力を持つのは唯一闇狩のみ。
それが、一族の存在意義だと聞かされた。
だから河夕が険しい表情で言うのは、魔物を狩る役目を負った狩人の言葉。
しかし慎霰にはそれを素直に聞き入れるつもりはない。
「こういうケース、初めてなんだろう?」
今までに前例が無いというなら試さない手は無い。
「子供が自分で抵抗する意思を取り戻せば、解放してやれる可能性はあるよな?」
真っ直ぐな視線を受けて、――狩人は、ここは天狗の少年に任せようと決意した。
家屋の中は深淵なる闇の世界。
どこまでが床で、壁で、そして天井なのか。
外観は普通の建物でも、一歩、中に踏み込めば瘴気漂う魔の巣窟。狩人達は失踪した人々はまだ生きていると判断したが、これで正気を保っていられるのかと考えると疑わしい。
それほどまでに濃く、残酷な気配が辺りには充ちていた。
その中で、慎霰は印を組む。
魔物によるものか、囚われた少年によるものか区別はつかないが、必死に助けを、家族を求める精神攻撃を、狩人達の援護により避けながら明朗と呪を唱える。
「オン・ヒラヒラ・ケンヒラケンノウ・ソワカア――」
全身から漲る強い気は闇に支配された空間を捕縛し、邪なるものを逃さない。
(…思い出せ…)
慎霰は胸中に語り掛ける。
(魔物に囚われる以前の、おまえ自身の気持ちを思い出せ――!)
発動する術。
蠢く意思。
「退いた…!」
不意に狩人の声が上がる。
微かに揺らぐ子供の姿が、…叫ぶ。
―― タ ス ケ テ ――
伸ばされる手に、手を。
想いには心を。
「これで終わりだ……!」
河夕の一刀は慎霰の術から逃れようとする魔物を斬る。
辺りは白銀の輝きに呑み込まれた。
■
闇の魔物から解放された魂は慎霰の手を借りて陽の沈み行く空に消えていった。
これから家族の傍に帰るのか。
そうして四十九日を終えれば幼い魂は人間の輪廻に還る。
失踪していたとされる人々も、今頃は彼らが呼んだ救急車によって病院に搬送されるなど、それぞれに手当てを受けている頃だろう。
「東京中の妖怪達の情報網もさることながら、慎霰君自身の能力も魅力的ですね」
赤く染まりつつある空を仰ぎながら光が言い、これには河夕も頷く。
「おまえさえ構わなければ協力してもらいたい」
「どうすっかなぁ」
ここは確実に自分の方が有利と確信して笑う慎霰に、狩人達も失笑。
「では、気が向いたらここに連絡を」と携帯番号が書かれたメモ用紙を光に手渡されるが、慎霰は河夕を見上げて嫌な顔。
その素直たるや、かえって光からの好感度を高めるほどだ。
「コイツは嫌だ。おまえの連絡先を寄越せ」
「無理だ」
「なんで」
「河夕さんは携帯電話をお持ちじゃないんですよ」
意外な理由に目を丸くする。
「持てばいいじゃんか、便利だぞ?」
しかも狩人達の現状を考えるに、そういったものを有効利用した方が色々と効率的だと思う。
だが河夕は頑として聞き入れない。
「何でだよ、いつでも何処でも連絡取れンだから損ないだろ」
「僕もそう言うんですがね」
珍しく意見の一致する二人に、河夕が眉を顰めて低く呟くのは。
「…だから要らん」
そうして浮かべる、意味深な困り顔。
慎霰は何かを察する。
これはとてつもなく面白い話題になりそうだ。
「何だよ河夕! なにが“だから”? なになに?」
「うるさい、構うな!」
「いーや聞きたいね、正直に言え!」
「僕も聞きたいですねぇ」
どうやら光も慎霰を援護することに決めたらしく、河夕は思いっきり顔を顰めて足早に歩き出す。
「帰るっ」
「待てって!」
言い放って背を向ける河夕を、楽しげな笑顔で追う慎霰と、完全に楽しんでいる光。
もう間もなく秋を迎える晩夏の夕暮れ。
並んだ影は同じ方向へと消えていった――。
―了―
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【登場人物】
・整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 /
・1928 / 天波慎霰様 / 男性 / 15歳 / 天狗・高校生 /
【ライター通信】
こんにちは、改めまして「発生」へのご参加に感謝致します。
ありがとうございます。
二度目の狩人達との邂逅によって、もしかすると河夕の弱みを握れそうな慎霰君ですが、今回の物語はお気に召して頂けましたでしょうか。
ついつい会話が弾んでしまい、自分を抑えるのが大変です(笑)。
リテイクありましたら何なりとお申し立て下さい。
またお逢い出来ることを願って――。
月原みなみ拝
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