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<東京怪談ノベル(シングル)>


赤い瞳のうさぎ姫とあやかし荘の女友達


 じぃぃぃっっと、色とりどりの『それ』を見つめる。
 『それ』は透明なガラスケースの中に入っていて、つややかな輝きを放っている。

 『それ』──とは、ケーキ。
 スポンジだったりココットだったりカスタードだったりするアレである。
 それをまるで親の仇のように見つめているのは──‥‥

「あの、お客様?」
「やはり買うならば店一番、いえ東京一番とも評されるフルーツたっぷり人気ナンバーワンタルトでしょうか」
「あのぅー」
「いいえ、ここは流行に流されず手堅くイチゴショートケーキに決めておきましょう」
「あの、」
「ですがそれでは面白味がありませんよね。むしろ裏人気リストナンバーワンと言われるレアチーズケーキで!」
「あ、の、おっっ!!!」
 キョトン、と鼻息荒い店員を見返す私は、気付いてなかったのです。
「決められないのならばご相談にお乗りしますが?」
 深沢・美香、二十歳。ケーキを決めるのに二時間もかけてしまいました。


●境界線

「はぁ‥‥またやってしまいました」
 すみませんすみませんと平謝りながらも『女性に人気のケーキはどちらでしょうか?』としっかりちゃっかり訊ねてしまった私の手には白い箱。
 二時間半(結局あれからまた半時間店に居座った)かけて選んだケーキを手にしながら、私の足は重い。
 一昨日までは今日の日を恐れる事なく、物凄く楽しみにしていたのに。『昨日あった事』が私の上に圧し掛かり、こうしてあやかし荘に向かう足も引きずりがちなのだ──‥‥
 ふと街角で足を止めた私は、傍のショーウインドウに映る自分の姿を見つめる。
 すっかり慣れてしまった耳も、尻尾も、今はない。それが無いのを不思議に思いながら、エナメル生地ではない服装を眺める。
 最近はめっきり寒くなったから、思い切ってファー付の新しいダウンコートを買ってみた。
 それだけでも、私にとっては凄く楽しみにしていた証なのだが──顔色は、全く以って冴えない。
 ちら、と手にした白いケーキ箱を確認し、あやかし荘に思いを馳せる。
 ──せめてこのケーキだけでも、喜んでもらえると良いのですが。
 随分と、弱気な想いで。


「え、お休みを頂けるんですか!?」
 どびっくりです、と顔と声と態度で表した私に、店長は苦笑しながら休暇を与えてくれた。
 借金で無理矢理連れてこられた職場だが、今その重責はない。自分の意思で留まっているのだからと給与ももちろん丸々全額手元に入ってくるし、休暇だって自由にとって良いそうだ。
「お友達にでも会ってらっしゃいよ。もうずぅっと働きづめだったでしょう?」
 少しばかり親しくなった先輩ソープ嬢はそう言ってくれたが、咄嗟に浮かんだ友人達には会いに行けないと思った。
 結婚詐欺師に騙された事も、こうして体を売って生活している事も彼女達は知らないのだから。
 そこまで会いたいとも思えない事が自分の今までの人間関係の希薄さを浮き彫りにしているようで、ちょっとだけ落ち込んだ。けれどそこそこに発想が明るい自分である。
 ──あ、歌姫さん‥‥。
 先日知り合ったばかりの友人を思い浮かべ、あやかし荘に行くのを楽しみにしていたのだ。
 其処には一度足を運んだという事実と、お客さんとして、ボイス・トレーナーとして知り合ったという繋がりがある。
 何の疑いもなく、自分は受け入れられると信じていたのだ。のだ、が──‥‥

『アンタってほんとにサイテーな女ね! 男に媚びへつらって生きる! どうせそんなんじゃ女友達なんか居ないでしょ!?』

 刺さる言葉を言われたのは昨日だった。場所はお店。相手は、二ヶ月先輩の、ソープ嬢。
 ひどい、と怒鳴り込んできたのはお客さんにサービスをしている真っ最中の事だった。仕事の最中に部屋に踏み込むのは常識外、というよりありえない事態だったので、客もろとも唖然として見つめていた。プライドを著しく傷つけられた、真っ赤なその顔を。

『あ、あの‥‥?』
『アンタふざけないでよ!!』
『は‥‥え?』
『あたしの客取ったでしょ!? あたしの、あたしの常連さんを──‥‥!!』

 それは、全く身に覚えのない事だった。
 確かに彼女の常連が気紛れに私を指名した事もあったが、『これからは美紀ちゃんにしようかなぁ』とおどけるので『冗談がお好きなんですね』と笑って終わっていたし──でも。
 どこで男の導火線に火を点けるかなど誰にも分からない。
 それ以来先輩ソープ嬢を指名する事はなくなったのだという。度々来るようになったと思っていたが、まさか、彼女の指名を絶っていたなんて──‥‥
 困惑する私により苛立つ先輩嬢に、何て声をかければいいのか分からなかった。誤解です、とか私は別にそんな、と口走れば悉く彼女を怒らせた。
 結果、言われた台詞が先のアレである。

 はぁ、とケーキ片手に元気なく丘を上る私はあやかし荘の知人を友人と呼べる程ではない関係に落ち込む。
 アポを取っていないとご迷惑ではなかろうか? 居ないならまだしも、何か用事があってその邪魔をしてしまったら──‥‥
 不安の芽は幾つもあり、土産に持参したケーキに頼ろうとする自分が情けない。
 ──あ。和菓子の方が良かったでしょうか。
 歌姫さんの着物姿を思い出し、思わずあやかし荘入口でぴたりと止まる。
 ──ここまで来ておいて、踏み込めないのは。やはり自分に自信がないから、ですね──‥‥

 じゃり、と足元で砂が鳴る。
 戻ろうか、進もうか、曖昧な動きをしたその時。

 〜〜‥‥〜〜〜〜♪

 あ。と細く聞こえてくる歌声に顔を上げた。
 この美しい歌声はかの歌姫のもの。ここを訪れた理由そのものである。


●あやかし荘の女友達

 その声は以前聞いたものよりずっとか細く、寂しげに聞こえた。やや古めかしい言い回しなのは昔の歌の為か。
 でも、分かってしまう。これはきっと、恋の歌──‥‥
「歌姫さん‥‥?」
 自分が泣く時と同じように声が震えるから、フラフラと導かれるように躊躇っていた境界線(ボーダーライン)を乗り超える。
 寂しい? 悲しい? 相手への思慕と、そして‥‥喪失感??
 今時珍しい剥き出しの地面を進むと、管理人が世話をしているのか、花壇が見えた。その前に立つ、着物の人影。

 〜〜‥‥〜〜〜〜♪

 きゅう、と胸を締め付けられる歌声だった。多分、そういう雰囲気を出して歌おうとする本物の歌手より。本物の感情を込めて歌う歌姫の方が、ずっとずっと胸に迫る。
 じゃりっ。足元の砂が鳴り、花を抱えた歌姫が振り返る。
「‥‥あ」
 自分の失態とケーキの失敗と、先輩ソープ嬢の歪む顔が蘇る。咄嗟にごめんなさい、が口をついて出そうになるものの──

「やくそく、覚えいて下さったのね〜♪♪♪」

 花より満開の笑顔。

 ──そっか。

「お久し振りです、歌姫さん」

 自分から一歩一歩近づきながら、笑顔を浮かべる。

「これ、お土産なんですけど‥‥」

 ──知らないなら、知ればいい。怒られる事があっても、私以外の誰にもなれはしないのだから。

「まあ〜♪ ケーキ♪♪♪」

 ──きっと壁を作っていたのは、私。

「約束もなしに来てしまってご迷惑ではありませんでしたか?」

「迷惑なんてとんでもな〜い♪ また一緒に歌いましょう〜??」

 歌姫さんの喜んで下さる笑顔があれば、境界線(ボーダーライン)を乗り越えていく事も怖くはありません。