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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


暗闇と水音に惹かれて

 夏に読書という習慣は案外秋よりもいい風習であると考えられる。
「随分と調べ上げられているものだな…」
 夏には日傘、そして影になった場所で寛いでいる女性は分厚い地理のページを捲りながら感心したというようなため息を幾度かついた。
 暑い日差しの中を駆け回るのは良い事だとこの国の古き時代には言われていたそうであるが、こうして昨今の情報誌やまれに見るメディア類を漁ると日陰で涼む事の方が重要に思えるのは致し方ない。
(涼むというよりは随分と違うだろうが)
 ページを捲る指が止まり、真紅の瞳がとある一ページに釘付けになる。
 内容は鍾乳洞。暗い洞窟の中を明かりで照らし出した写真やその岩肌の質、そして実際にその場へ行った人間のレポートや事細かな成分分析までが記されていた。
「水も流れているのだな」
 洞窟の中にある物は大抵が石やその類の物であってすぐに水という言葉は思い浮かばない。いや、もしかすれば夏の暑さがシリューナ・リュクテイアの思考回路を低下させていただけなのかも知れなかったが、目に飛び込む水分性質。澄んだ水の記述は自分の脳を覚ますいい材料になったのかもしれない。

「ティレ、水ばかり飲まずとも良い場所があるぞ」

 いつも思いつきのように発せられるシリューナの言葉に一度大きな音が室内で起こったかと思うと次には裸足の足がぺたぺたと勢いの衰えた急ぎ足で向かってくるのが分かる。
「水ばかりなんて飲んでません! うー、お姉さまこそ読書ばかりでばててしまいませんか?」
 浅黒い肌はとても元気が良さそうだと言うのに、ファルス・ティレイラの声はどことなく沈み足の露出が激しい服とキャミソールで何度も呼吸を繰り返していた。
「まだまだ修行が足りんな、ティレ」
「むぅ」
 残暑の中、最初こそティレイラは元気良く飛び回っていたものだが後半に差し掛かるとその元気はどこへ行ったのだろう。いつの間にか仕事が無いと思うとシリューナの家で涼み魔法で作られた水を喉に流し込むようになっていた。
「さて、修行の一環…とは言わんが出かけるぞ」
 シリューナの細い足が立ち上がるがシックなロングスカートに隠れて露出は殆ど消え去ってしまう。瞳だけで支度をしろとティレイラに言えば明らかに不満の色を隠せない声が弟子の喉から唸る様に響きだす。
「ティレ、お仕置き…か?」
「へ? あ、いやですっ! 行きますっ!」
 お仕置き。別段シリューナの使い魔やそういう類でもないが、ティレイラは自分の大切な弟子である。ただ弟子だからと言ってすぐにお仕置きというのもなんではあるが、結局の所それが自分の趣味ならぬ愛情表現なのだから仕方が無い。
 弟子がそれに気づいて居るか居ないか等はとりあえず隅の方にでも一旦置くしかないだろう。
「支度は軽装でも構わんが少しばかり荷物もちを頼むぞ」
 出かける支度の為室内に戻ってしまったティレイラの後ろをシリューナの言葉が追いかける。後から、はーい、と長い返事が帰りどうやら弟子の元気も多少なりとも戻ったかと口元を緩ませながら自分も歩く事に不自由しない格好へと支度へ取り掛かるのだった。



 以前シリューナは美術館でティレイラを宝石に変えてしまった事がある。勿論宝石だけではなく色々な種類の石類にしてみたが、結局その魔法を解いた後でお仕置きでもないのにひどい、との弟子からの苦情を受け、笑みを浮かべながらその後の埋め合わせとして巷で有名らしい菓子店へと足を運んだのだが。
「お水を取りに行くのに鍾乳洞まで…ですか?」
 師匠の行くところには必ず何かがある。そう踏んでいるのかいないのか、結局ティレイラはいつものように無垢な視線をシリューナに投げかけてくる。
 魔法で水などいくらでも作れるだろう。つまるところティレイラはそれが言いたいのだ。シリューナの魔法の腕は確かであるし、何よりそれは日本という国の東京で流れる水よりは数倍美味しい。
「魔法水精製の研究だな。 今よりも良いものが飲みたいだろう?」
「はいっ!」
 素直な返事が返ってきてシリューナの研究心もまた一段と高まる。と言いたい所だが、弟子への悪戯心も高まるというものだ。
(鍾乳洞に流れる…水…か)
 瞳を細め空を見る。人間の掟に従って身近な鍾乳洞まで電車を乗り継ぎ田舎道を歩いて数時間、目的地は目前に控えている。
「ジュースも美味しいですけれどお姉さまのお水はもっと美味しいですからね」
 夏バテは何処へやら。或いは単に現金なだけかもしれなかったが、あれだけだるい姿勢を見せていたティレイラは魔法で作られた水筒を肩からさげ、シリューナよりも前に進み鍾乳洞の入り口を潜った。

「わあ! お姉さま凄いですっ! ここって涼しいっ!」

 鍾乳洞の中は人気が無く、元が狭い鍾乳洞であるからか奥へ続く細い道にティレイラの体が綺麗に収まっているかのように思える。
(人気の無い場所を選んで正解だったか)
 大抵こういう場所は観光スポットとしてなんらかの立て札やガイドがおりシリューナにとってそれらは不快、ないし研究材料を汚す邪魔者でしかなかった。が、この鍾乳洞は深い作りになっているものの道幅が狭いため観光向きとはされず表に危険を知らせる立て札がかけられただけとなっているのだから、研究材料収集にはもってこいの場所と言えるだろう。
「それは日が射さぬ場所だからな。 ああ、微かに流れる水の音も良い物だ…」
 外は日照りが続いており、日傘無しでは到底歩きたいとは思わなかったがそこは魔法を得意とするシリューナである。道筋こそ人間の掟に従ったとはいえ、手に持った日傘は完全に日光を遮断し寧ろ涼む風すら吹かせる代物を持ってきたのだから。
「外界から遮断された世界というものは一段と違った空気を持っているからな。 少しは気分が良くなったか? ティレ」
 弟子の足に追いつけば暗闇の中で溶けてしまいそうな黒い髪が嬉しそうにシリューナを見上げてくる。
「はい! でもまだここにはお水無いんですね」
「ああ、奥に行かねば手に入らぬようだな」
 ティレイラの活動的な姿勢を見せるかのようなショートパンツから覗く太腿が活発に鍾乳洞の奥へと走り出す。
「あまり急くと危ないぞ」
 シリューナは自分のペースを崩さずあくまで鍾乳洞の隅から隅までを値踏みするかのように進んでいく。
「でも涼しくて。 とっても気持ちい…わわっ!」
 べちん。というなんとも情けない音が鍾乳洞の中に響いた。この後泣き声でもなく、丈夫な娘の少々苦悶に満ちた声が辺りに行き届いたが相変わらずの弟子にシリューナは軽くため息をついた。
「私を見ながら走るな。 …転んでから言っても遅いだろうが…」
 ティレイラは随分と自分に懐いている。それが性格的に合っているのかまたは別の所に波長の合う何かがあるのかは分からなかったが、弟子はよくシリューナの方を見ながら歩いたり走ったり、時にはそれで失敗事をやらかす事もある。
 それは羨望の眼差しであったり、友愛の眼差しであったり全てが無垢な彼女らしい視線だったが、シリューナには今ひとつ別の形の愛情になってしまうようで。
(そういえばあの水筒は布袋だったな…)
 鍾乳洞の水を持ち帰る為に持った水筒も勿論シリューナ手製の魔法が仕込んである一品だ。
 通常の水筒とは違い、アルミだのの金属で出来ていないそれは魔法が染み込みやすい自然の製品、つまり布地で作られており中にはその見た目以上に水を蓄える事の出来る優れものなのだが元が布である限り丈夫かそうでないか問われれば口ごもる程度の耐久力である。
 簡単に言えばシリューナが耐久性に手を抜いただけなのだが。

「ティレ、怪我は無いか?」
 口元に涼しい笑みを浮かべたシリューナにティレイラが気付くなら今までどんなに苦労しなかった事だろう。
「あ、はい。 ごめんなさいお姉さま」
 後から追いついてきた師に何処までも無垢に頭を下げるティレイラは、夏バテから開放された涼しげな身体で今度はシリューナの後ろを子猫のようについて進むようになった。
「大事が無いのなら良い。 歩くのに辛くは無いな?」
「はいっ!」
 咎められない事に気分を良くしたのだろう。奥へと行く途中でたどたどしい歩きにも活力が戻ってくる。元が人ではないティレイラにとって転んだ程度の事は怪我にもなる事は無い。確かに痛みを感じはするがその時位だろう。
 進めば進む程闇の立ちこめる鍾乳洞内に静かな足音が二つ響く。肌を掠める風は暑さから冷たさへと変わりひんやりとした雫すら落ちてくるようになっていた。
「わわ、お水が冷たいですっ」
 鍾乳洞から流れ出る水は何も下からだけではない。上から落ちる水滴の一つに身を震わせたティレイラが大きな瞳を見開きながらシリューナにくっついてくる。
「当たり前だろう。 …さて、そろそろ水筒が必要になってきたようだな」
 ティレイラに渡せと手を出せば布製のそれがシリューナの手に丁度良い大きさでおさまってきた。
(…矢張りな)
 ふいに口元を歪ませる様に不適な笑みを浮かべ、シリューナは突き当たりにある水の溜り場へと水筒を浸す。
「? お姉さま、どうかしたのですか?」
 少女は鍾乳洞の奥深くに閉じ込められてしまった妖精のように、無言で水筒を眺めるシリューナに一瞬怯えの視線を投げかける。それもそうだ、本来なら水が溜まる筈の水筒の下から入れても、入れても水が流れ落ちてくるのだから。

「ティレ、転んだ先に落としたな?」

 びくり、とティレイラの身体は精神的なショックで固まり、師の悪戯心に満ちた視線に赤い瞳は泳ぎだす。
「え、ご…ごめんなさいっ、まさか破れるなんてっ」
 素直に謝りつつも、この後どうなるか分かっているだけありティレイラの言葉には何処となく言い訳じみた物も含まれている。自分は悪くない、いや、悪かったとしても出来るなら。
「お仕置きだな」
「そ、そんなぁーーっ!」
 落胆の声を発したと思えば瞬時にティレイラの身体は鍾乳洞の石と化した。目を見開き口を大きく開けた少々残念な格好ではあったが、彼女らしい露出の高い活発な服装はこの鍾乳洞に相応しく映えた。
「だから気をつけるように言っただろう?」
 その声が少し遅くとも。シリューナは容赦無くティレイラにお仕置きをする。それは師匠心に危なげのある彼女への戒めでもあったがどちらかと言えば趣味という範囲にも入る。兎に角、それを毎度の如く受けている筈のティレイラがあまり進歩しないのはなかなかどうして、そんな師の対応をも敬愛しているからであろうか。
「ここは涼しいからな、十分水も空気も楽しめるぞ?」

 二人きりで。
 手で掬った水を岩肌となったティレイラに流しかけながらシリューナは妖艶な瞳で物を言えなくなった彼女への抱擁をする。冷たい、いつもの弟子とは違うそれが面白い。
(だがまた機嫌を取らねばならんな…)
 今はまだ何も知らないティレイラだが。もし彼女がシリューナをもっと良く見ていれば気付くであろう。
 弟子に持たせた水筒とは違う、もう一つの布袋が師の懐に隠されている事を。


END