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<東京怪談・PCゲームノベル>


救いの一転機


 街が赤く染まり、影が長くなって闇を迎えている時。
 街の一角。大通りから外れ、わき道にそれた路地裏で。一瞬、光が爆発した。だが、それに気づいた者は誰もいない。いや、一人だけ――。

 その道は住宅街へ伸びる幾多の一本。横からそれるとすでに影が何重にも重なり闇が訪れた袋小路があった。
 ダンボールや廃棄されるしかない物が散らばり、数十分前の夕立でびしょぬれになっている。鼻を刺激する臭いがないだけましだ。中央の足場は、大人十人ほどしかない狭さ。まるで、人間に捨てられた墓場。
 そこに、場にそぐわない一人の少年。
 暗闇に浮かび上がった顔は誰が見ても、思わず息を飲むような神秘的な佳麗さがあった。男としての色気はまだないけれど、成長すればまず間違いなく、今まで以上にもてるだろう。
(すごい、美少年……)
 物陰から見つめていた女――藤田あやこが心の中で呟きをもらす。暗闇の中でも昼間のように鮮やかに見ることができるその目。ちょうど少年から死角になっており、垂直に伸びる建物の角から食い入るように焦点が絞られていた。

 少年は見物客がいることなど知らず、その手を伸ばし壁の闇に向かって手の平を開く。白い光が生まれ辺りを照らす。
 その時、初めてあやこは気づいた。
(な、なんなの、あれは!)
 少年だけに注目していたので分からなかった。
 呼び出した光は少年がずっと凝視していたものを写し出していたのだ。
 一言で言えば――黒い霧。
 もやもやと空中の一箇所に集まっている。増殖しようと広がっていたそれは、手の光を受けて範囲がせばまっていく。侵食がおさまってきていた。テニスボールぐらいの大きさまで凝縮すると、少年は懐から何かを取り出した。護身用とも思える小刀だ。――そう確認した矢先、一瞬で黒い霧を切る。早業であやこの目には捉えられない。
 黒い霧はその姿を保てないのか、さらさらと粉のように落ちていく。僅かな風が流れて舞っていった。
(本当に何なの)
 思わず、一歩を踏み出す。ところが、その先には散らかされたゴミ。吐息さえも聞こえる静寂さに異質な音が響く。
 瞬時に隠れるが、少年が振り向いたのと同時だった。
 背筋にぞっとする瞳が投げかけられた。背中ごしでも心を見透かすような瞳は壁をすり抜けて直撃する。
 冷水を浴びせられたままでは体に悪い。あやこは観念して、おずおずと姿を現した。
 ミニスカートから露出した足が魅力的な女性。黒髪が闇に近くなる刻限でも、その色は溶け込まずむしろ輝いている。
「お前、誰だ?」
 美少年には似合わない言葉が訝しげに尋ねる。全身で気を張っていた。
「ご、ごめんなさい。盗み見るつもりはなかったの」
 少年の瞳とあわせることができずに、うつむいた。
「実はこの辺を歩いてたら、一瞬光ったのが見えて、何だろうと思って……」
「そう、ですか」
 少し肩の力を抜いて。
「驚かせてしまったみたいですね。すみません」
 先ほどとは違う言葉遣いで、律儀に頭を下げて謝った。
「ううん、いいの。突然出てきた私が悪いんだし」
 慌ててあやこは否定する。
「でも、さっきのって何?」
「やっぱり、気になりますよね……」
 まいったな、と困り気味に頭に手を添える。
 小さく息を吐くと、真剣な表情で説明し始めた。

 あやこが見た光は”魔”を封印した時のものだった。
 ”魔”とは人の心に宿る憎しみや悲しみを糧にして現れる悪魔みたいなものだ。人の中にその芽はすでにある。身近な人が亡くなったり、誰かを殺したいなどという想いに囚われてしまった時それが芽吹く。もし、芽吹けば”魔”にとりつかれて精神を壊してしまうか、知らずのうちに他人へ感染させてしまう。

「そんな……」
 ぎゅっと拳を握る。
 説明している少年自身も胸がしめつけられ苦い表情を浮かべていた。
 あやこは、震えながらうつむく。自分の知らないところでそんなことが起こっていたのだ。そして、この少年は私たちの平和を守っていた。
「……さっきのは、何してたの?」
「”魔”が過ぎ去った後でも、振りまかれた毒が残っているので浄化していたんです。黒い霧を吸い込めば、たちまち”魔”が復活しますから」
 黒い霧はいわば、子供なのだ。花が花粉を飛ばすような。
「……と言っても、信じられませんよね」
 少年は淋しく苦笑いした。あやこは頭を横に振る。
「信じるわ。私も……」
「え?」
 ぱちぱちと瞳を瞬き、目の前の女性を見た。
「私は、元人間なの。今も戦争しているエルフ族王女の体を借りているわ」
 改めて少年は、不躾だと分かっていても女性の顔をじっくり見てしまう。
 彼女の瞳は嘘をついてなどいなかった。むしろ透明に澄んだ瞳――
「俺も、信じます。人間ではないと気づいてましたが、まさかエルフなんて」
「え、気づいてた?」
 あやこは目を丸くして身をのりだした。
「はい、あなたから漂うオーラが人間のものではなかったので」
「……あなた、オーラが見えるのね」
 お互い微笑みあう。この頃には互いに警戒心など吹き飛んでいた。
「私は藤田あやこ」
「俺は封禅天理」
「封禅? 珍しい名前ね」
「え……まあ」
 目を逸らして顔が沈む。天理の瞳は暗いものが落ちている。
 あやこは何か気に障ることでも言ったのかと首を傾げた。


「!!」
 天理が突然、空を見上げた。その顔には今まで見たものとは違い、眉を寄せ目は厳しい。
「なに……?」
 返答はなかった。しばらくして、ゆっくりあやこと目線をあわせ。
「また、……”魔”が現れました。というよりも、強まった」
「どこに」
「ここから南西の方角です」
 それを言ったのもつかのま、駆けようとする。が、あやこの横ですぐに立ち止まって振り向いた。
「藤田さんも行きませんか」
「え?」
「藤田さんの力を借りることになるかもしれません。ここで出逢ったのも縁ですし」
 ふわっと笑みをこぼす。蕾から花びらが広がったような笑顔。
 つられて、あやこも返した。
「私で良かったら」
「ありがとうございます」
「いいえ。私も存在理由を得て嬉しいわ」


    *


「ここですね。”魔”の気配がします」
 天理が示した場所は街の外れにある、どっしりと構えた屋敷だ。
 大地主が居住していたのかと思われる邸宅。だが、無人になってから何十年も経っているようだった。老朽化し、今にも崩壊寸前。敷地は広く、子供がかくれんぼできる庭園と池があったことすら分からないほど、草が腰までのびて手入れされてもいない。どこからか迷い込んだゴミも無残に散らばっていた。。
 けれど、赤い日差しに照らされて館の全容が浮かび上がり、見る者を切ない水に落とす。まるで悲しみに潰されて泣いているかのように。
 あやこは眉間に一本刻み、ちくっと心が痛む。屋敷とは全然接点がないはずなのに、遥か彼方で戦い傷ついている王女の姿が脳裏に浮かんだ。
 天理が玄関へ足を運ぶ。あやこも慌てて後を追う。

 玄関は鍵がかかっていなかった。いや壊されていたのだ、鍵穴が。扉全体が傾き、ガラスも割れ室内が丸見えになっている。
「これは、もしかしたら……」
「え?」
「え、あ、いや」
 いつのまにか独り言を口走っていたのに気づき。
「何でもありません」
 急いで訂正した。
 天理は外れた扉を乗り越える前に、あやこに目線を合わせた。
「”魔”はどこにいるか分かりません。気をつけて下さい」
「ええ。……それよりも」
 一歩踏み出そうとしていた天理を止める。
「その敬語、やめてほしいな」
「変、ですか?」
「ううん、くすぐったくて」
 天理はしばらく目をさまよわせて。
「……分かった」

 気を取り直して、館の中へ。
 どこもかしこも埃まみれで、砂すら入り込んでいた。廊下は白っぽく、空気をたてただけで舞い上がりそうだ。中にいるだけで喉がざらついてくる。蜘蛛の巣がはり、壁にはカビが広がっていた。床もところどころに抜け落ちて、足元に注意しないとすぐ踏み外す。人がいた頃は清潔に磨かれていただろう内装は見る影もない。朽ち果てるとは、こういうものなのか――。
 夕日によって影が濃くなり、廊下の奥は見えなかった。何か出てきそうな、暗闇。

 天理は訝しげに廊下を注視した。一つの疑惑に不審を抱く。
「幽霊屋敷みたい……」
 あやこの一言で考えを止めた。
「これから夜になるし、もっと怖そうだ」
 二人同時に悪寒が走る。
 まだ猛暑が続いているのに、”魔”の手が背中をなぜたような寒々しさ。
「早く、済ませよう」
「う、うん」
「まずはどこを探すべきか……」
 無理やり話題転換させる。
「”魔”の気配で強いところは分からないの? 居場所とか」
「……」
 天理は顎に手を添えて考え込む。瞳を伏せた。
 風が足元から館の中へと吸い込まれていく。巣穴に引き寄せるように。
 数秒後、ふっと息をつく。頭を横に振って。
「だめだよ。館全体に気配が充満してて居所が分からない」
「そう。じゃあ、”魔”が闇なら……害虫が好む陰湿な場所に行ってみない? 全てを回るのもいいけど、この広さだと明日になっちゃうわ」
「どこを探すか提案はある?」
「うーん……。トイレ、床下、屋根裏、土蔵かな」
「そこから当たろう」
「あ、待って。偵察用を放っていい?」
 二人で広い屋敷を回るのは一苦労だ。少しでも加勢がいた方が助かる。
「そんなこと出来るのか?」
「ええ。――『出てきて』」
 後半は誰かに告げた。日本語ではない。音がまるっきり違い、それでいて川のせせらぎのように染み通る声だ。
 しばらくすると、パタパタと羽ばたく音が辺りを埋めるように集まり始める。
 天理は見回すが誰もいない。確実に二人へ距離を縮めてるというのに。
 廊下の角から何かが飛んできた。黒いざわざわとうごめく物体、いや、固体の集まりだ。
 羽が生えて色とりどりの模様が描かれている。何かは一目で分かった。
「蛾!?」
「ええ。蛾の集団。私、羽模様を象った男性向けのミリタリーブランドを経営しているの。それで縁があるのかな。もしかして、苦手?」
「まあ、どちらかと言えば……。ごめん」
「ううん、いいの。苦手な人が多いのは事実だし。蛾ってね、蝶よりも種類が多いのよ。蛾と蝶をあわせて三千五百種類。その中で蝶は二百五十種類あまり」
「少ないね」
「ええ。他は全て蛾なの。世界全体では蝶の二十から三十倍といわれてる。それだけ、羽模様も蝶より多いわ」
「すごい、知らなかったよ」
 話しているうちに蛾は玄関を埋め尽くすほど大量に集まってきていた。
『みんな、”魔”という闇を探して』
 また音の違う言葉があやこの口から漏れた。
 指示を受け、鱗粉を撒き散らしながらバラバラに飛んでいった。
「これで異変を見つけてくれると思うわ」
「藤田さん、操るなんてすごいなあ」
 そこには感嘆している笑顔があった。
 あやこは頬を少し紅に染めて照れる。
「あの子たちは手伝ってくれるの。とても感謝してるわ」


    *


 二人は四ヶ所を調査し始めた。
 まずはトイレ――
 男女別になっており、手前と奥、二つずつある。玄関に近いところに一つ、奥に一つだ。お客用と別に分けられていたのだろうか。
 全て見てみたが、どこも異常はなかった。
 次は屋根裏だ。
 この館は一階建て。廊下をくまなく探し、ないかと思われた矢先、やっと見つかった。隣の家屋に移り、真っ直ぐ続く廊下の突き当たりだった。
 がっちりと閉じられた扉の先に屋根裏への階段。もあっと埃が舞う。吸い込みすぎて咳が出るほど何年も開けられていない場所だった。
 階段を一段登るとギシッと軋む。二人一緒では崩れるかもしれない。
「一人ずつ登ろう」
「じゃあ、私から!」
「いや、駄目だ」
 乗り出そうとしていたあやこの腕を掴む。
「何があるか分からないから俺が行く」
「……分かった」
 ちょっと納得いかない様子でしぶしぶ承諾する。
 天理は小型のハンディライトをポケットから取り出す。
「いつも持ってるの?」
「うん。”魔”が現れるのは昼とは限らないから。どうしても必要になる」
 もう一本、あやこにも差し出す。
「私には必要ないわ。暗闇は昼間のように見えるから」
「そうなの?」
「うん」
 大きく笑顔で頷く。
「良い目を持ってるね。羨ましいよ」

 天理は一段一段、慎重に登っていく。すぐに空間がひらけた。
 左右に明かりを照らして、全体を確認する。幸い、”魔”はいなかった。
 下の部屋よりも狭く、十畳ほどだ。荷物が積み重なって乱雑に置かれてあった。
 屋根裏を見回して、あやこが階段からあと一歩のところで手をかす。
「ここは物置部屋ね」
「うん」
 屋根裏は下の階よりも蜘蛛の巣が多かった。蜘蛛も居心地がいいのだろう。
 あやこがじっくり見回していくと、ふと気づく。
「あれ? あんなところにリボンが……」
 青のギンガムチェックのリボンを手にとった。
 手の中のリボンを二人で凝視する。
 レースがついて可愛い。だけど、なぜか埃に埋もれもせず、真新しかった。
「新品同様だ。なぜ、こんなところに……」
 二人は目をあわせる。一瞬とても怖くなった。今にも崩壊しそうな館に新品のリボン、しかも”魔”が巣食っている場所。嫌な胸騒ぎがよぎる。
「本当に早くした方がいいかもしれない」
「何か起きてるわ」
 それ以上何も言えなかった。口にすれば現実になるような気がして。
 お互い予感が当たらないでほしいとそれだけを願う。


    *


 土蔵や床下も見て回った。その二ヶ所も示しあわせられたかのように、落ちていたものがあった。
 鏡と鍵だ。
 床下には手の平ぐらいの砕け散った鏡の欠片。曇っておらず、自分の姿がよく見えた。一ヶ所に固まり、人為的に置かれたような節。
 二つ目の鍵は、土蔵に。無造作に放置された金属製の錆びた鍵。日本式の家屋には似合わない洋風だ。まるでお城の鍵のように豪華。こちらも見つけやすかった。

 また玄関から入り直す。
「この三つ……何か関連性はあるのかしら」
「どうだろう。共通点がないように見える。家主のことが少しでも分かるならいいんだけど」
「あ! そういえば」
 ミニスカートのポケットから紙切れを差し出した。
「土蔵の奥でこんなものを見つけたわ」
 それは、セピア色に変色した白黒写真。家族写真だ。祖父、父と母、そして七歳ぐらいの女の子が写っている。
 二人はすごく幸せそうだと感じた。
「もしかして、この人たちが住んでた?」
「そうじゃないかと思うんだけど」
「するとなぜ、この家は捨てられたのだろう?」
 何かが起こったか家人に危険があって家を捨てたとしか考えられなかった。

 その時、一匹の蛾があやこのそばへ近寄ってきた。どうやら偵察後の報告らしい。
 しばらく、あやこは蛾と話していたが。
「封禅くん、この奥に扉があるみたい」
「扉?」
「この家って和室ばかりで障子とふすましかないでしょ? トイレと屋根裏に行くところ以外で扉があるのはそこだけ。それに、この子たちでも入れないの」
 蛾が入れる隙間がないということだった。
「まさか、そこに」
「もしかしたら……」
 あやこは克明な瞳で強く頷く。
『案内して!』
 蛾は二人の前を飛び出した。小さな体で人間の速さにあわせるように先導する。


    *


 もう外は暗闇に包まれ、鮮麗な太陽は落ちていた。暦の上では秋だというのに、今日の夜は熱帯夜だ。まだ蒸し暑さは続く。

「ここだわ」
 目の前は開かずの間。
 ノブを回しても開けられない。なめらかな木造の扉はまるで分厚い鉄のように、体当たりしてもびくともしなかった。
 ここで諦めたくはない。なんとか開ける方法をと丹念に扉とその周囲を調べた。
 すると、その扉はよく見れば鍵穴がある。一見しただけでは分からない穴だ。
「これは……」
 天理は息を飲む。
「差し込んでみて」
 あやこの声に押されて、手に入れた鍵を穴に押し込んでみた。
 カチャ
 回してみると、うまく鍵が開く。
 二人はピリピリと緊張した。何が出てくるか分からない。そして、最悪の事態になってないことを祈りながら。
「藤田さん、いい?」
「ええ」

 一気に扉を開けて飛び込んだ。
 ぞわっと鳥肌が全身に走る。”魔”の気配が一段と濃くなった。
 窓は閉ざされ、カーテンをしきられ、廊下よりも暑い。この部屋は密室だ。
 あやこはあることを思い出し焦りが生まれた。この体である限り、どうやっても切り離せないもの――

 部屋はそれほど広くなく、この一室だけがフローリング。ここも朽ち果てるカウントダウンに例外とはならず、何もかもが崩れ、壁紙も剥がれている。
 奥に何かが立てかけてあった。布が全体を被せてあって見えない。家具はそれのみだ。
 そっと、天理が邪魔している布をゆっくり引く。
 現れたのは曇りのない全身鏡。ライトから漏れた光に、僅かに照らされた二人の姿を鮮やかと映し出す。
 あやこははっきりと写った自分の姿に微笑する。――自分の体ではないのだ。今は幾分慣れてきたとはいえ、まだ違和感がある。改めて再確認してしまう。どこかで戦っている王女がいるというのに、心が痛かった。

「さっきの鏡は……」
≪この鏡を示していたの≫
「誰だ」
 鏡が闇より黒く染まる。同時に白装束の着物姿で少女が姿を現した。
「あなた……写真の……」
 少女は僅かに微笑む。
 二人の予想通り、最悪の事態になっているらしい。
「あなたね、私たちにキーワードを残したのは」
≪うん。もう時間がなくて……。そんな時にお姉ちゃんたちが来たから≫
「そんな……」
 少女は必死に私たちへメッセージを残そうとしていたのだ。
≪助けて! もう、もう……人を殺すのはいや!≫
「玄関の鍵が壊されていたのは誰かが侵入したんですね?」
 ピクッと少女が反応する。手が震えていた。
≪うん……≫
 清らかな涙の雫で頬を濡らす。
 やはり、と天理は思った。最近、この家に侵入した誰かがいるのだ。埃と砂に混じって、廊下にうっすらと足跡が残っていた。だが、侵入した形跡はあっても、帰った跡は見られない。
≪私はこの家の娘だった。私が死んだせいで、家族がバラバラになって家も……≫
 うつむき加減で話す少女。
 突然顔を上げて両手をぎゅっと拳にする。
≪私はずっと、この家にいたのに! 誰も気づいてくれない≫
 幽霊になってもなお、家族に話しかけていたのだろう。それも叶わなくて家族が散っていくのを間近でみていた。そして、悲しみに囚われてしまった。
「そんな時、”魔”が?」
≪私のせい……。ただ、この家を守りたかっただけなのに≫
 少女は”魔”にとりつかれながらも自我を保っていた。かろうじて。そして、”魔”が侵入してくる人間を襲う光景を見ていたのだ。
 人間を襲うのは、養分を摂るためだと言われている。精気を吸い自分の糧にとして。吸われた人間は遺体も残らず消滅する。
≪どうして! 私は、殺したく、ない!≫
「落ち着いて」
 天理とあやこがなだめようとするが、さめざめと泣くばかり。
 気持ちは分かるのだ。状況は違うが、天理も祖母に理解されてこなかった。こんな能力はいらないのに。ただの普通の人間でいたかった。あの一族に生まれたばかりに、と恨んだこともあった。
 過去の事件を思い出せば、”魔”には深い憎しみがある。能力があるからこそ、あの事件があったのだ。

「封禅くん!」
 はっとする。
 少女の悲しみと罪の意識から、”魔”が現れていた。
 二人は後ろに飛び間合いをとる。
 少女を覆い隠すほどの黒いもやが鏡全体を取り巻く。それは徐々に固体となって、何本もの黒いリボンとなった。当たれば、しなやかな鞭となって痛いだろう。
 鏡から突き出す何重ものリボンの束はゆらゆらと踊っている。
 少女が「やめて」と叫んでも”魔”を止めることはできない。
「まずは”魔”を切り離さないと」
「切れなかったら?」
「俺の能力は封印。少女の魂は救われぬまま奈落に落ちる」
「それは絶対にできないわ」
 汗がじわりと出てきた。あやこに残された時間も少ない。けれど少女を放っておくことなど自分が許さなかった。
 ”魔”のリボンが二人に向かって、ひゅるっと風を切る。とっさに避けると、それは床にドスドスと突き刺さった。あやこと天理は次々襲ってくるリボンから舞うようにかわす。どこか隙がないかと探すが、まるで二人を近づけさせまいと休まず打ち込んでくる。
(貧乏くじを引く者ほど優秀なのよね。逃れようと必死に働くから。この”魔”も同じことだわ)
 ピッとリボン状の刃物が腕を掠める。
「いたっ!」
 一瞬、顔を歪めた。
 少しの考え事が命取りになる。
「大丈夫?」
 連続攻撃をものともせず逃れてる天理は声をかけた。
「大丈夫よ!」
(やっぱり”魔”との戦いに慣れてるわね。余裕だもの)
 攻撃を受けてる最中、器用に靴をぬぐ。
 体を動かすたび、汗がぶわりと吹き出す。あまり空気の通らない部屋ならなおさらだ。しかも、今日は熱帯夜なのだから――
(ふ〜、素足でも暑い)
 彼女は両膝に生体動力炉があり暑さに弱い。このままでは戦えなくなってしまう。
 天理の足手まといは嫌だった。少女を見殺すのも。
 ミニスカートに忍ばせておいた優美な細工のかんざしを取り出す。そっと息を吹きかけた。すると、銀色に眩しい霊剣に変化して、きらりと輝く。
「封禅くん! あのリボンに攻撃しても女の子は傷つかない?」
「うん! あれは”魔”のものだ」
 あやこが小さく呟くと霊剣から、銀の弾丸が周囲にいくつも生まれた。形状は丸いが、狼が恐れを抱くものと同じ。それを間隔をあけながら”魔”のリボンに大きく投げる。

 バンッ!

 火花が散る。
≪ぎゃあ!≫
 少女の声を借りて、”魔”がわめく。
 天理もお札で触手部分のリボンを滅していく。うごめく”魔”を横目で見ながら言う。
「銀の弾丸、効果あるみたいだ」
「ええ。”魔”と一見無関係そうなIT技術者たちは困難な仕事に光明がさしたとき、銀の弾丸が放たれたと表現するわ。銀は先端技術が平伏するほど強力よ」
 ”魔”は怒り狂ってリボンのスピードを上げ、それでもあまり届かないと知ると、鏡から這いずりでようとする。
 天理はあやこに合図を送った。
 触手を華麗に避け、その先を霊剣で切る。”魔”は我を忘れ少女から一瞬離れた。それを見逃さず、あやこは少女と完全に切り離した。
 ”魔”が振り返ってあやこに手が伸びる。
 そのとたん、天理の結界が発動し、”魔”を覆った。無理やり動こうとするが、強力な鎖で動けない。
 攻撃があやこに集中している隙にお札で結界を張っていたのだ。”魔”の周囲だけに。
 すばやく左手に錫杖を出現させた。全てが白く光り、輪郭のみしかその姿を視認できない。それを”魔”に突き立てる。
 ガ、ガガ、ガガガガガガ
 小刻みに揺たと思ったら、体が膨れ上がり破裂する。その瞬間、白い光が部屋中に広がった。
 あやこはとっさにまぶたを伏せ、腕で影を作る。直視できないくらいの眩しさ――

 光がおさまると、すでに天理が”魔”の毒を浄化しているところだった。この部屋だけではない。屋敷全体だ。毒は広く分布しているために一部屋だけではまた”魔”が復活してしう。
 あやこは鏡の中の少女を探す。
 相変わらず泣いていた。アヒル座りで。
 僅かに微笑んで、目線を同じにするようにしゃがむ。
「もう”魔”は追い払ったわ。大丈夫よ」
 優しい声音で語りかける。あやこは暑さで限界だというのに、少女のことが気がかりで踏みとどまっていた。
≪うぇ、ひっく……こわ、かった。こわかったよー≫
 涙声で訴えたそれは恐怖心だった。今まで何年も”魔”にとりつかれていたのだ。
「そうだね、もう十分苦しんだ。天国に行こう? ね?」
 少女はあやこをじっと見つめた。ぼやけた視界の中で。
 母のような微笑みはとても暖かい。
「……うん、行く」
 あやこは手を差し伸べる。その手を受け止め……そして鏡から離れた。
 そのとたん、半透明の少女は光の砂のようにきらきらと煌き、「ありがとう」を残して消えた。
 少女は天国へ行けたのだ。
「すごいね、藤田さん」
「封禅くんだってすごいと思うけど?」
 二人は朗らかに笑った。


    *


 天理はあの開かずの間を出てから始終黙ったままだ。
 目線が少し下向きになり、どこか落ち込んでいるようだった。
「どうしたの?」
「え? いや、その」
 目線をあわせようとしない。こんな天理は初めてだ。
「話して」
 顔を間近まで詰め寄って、眉尻を上げる。
 それに気圧されて口を開く。
「あ、うん。……能力を、持っていたくないんだ」
「そんなに役に立ってるのに? 仕方なくやってるの?」
「違う。”魔”から救いだせる魂があるのは嬉しい。だけど……」
 口をつぐんでしまう。
 それ以上、言葉としてあやこの耳に入ってこない。
「何を悩んでるかは分からない。でも聞いて」
 仁王立ちで少年の前に立つ。
「闇の力を人は恐れて不安になるけど、幾年も続く闇もろうそくを点せば容易に吹き飛ぶの。仮に闇の力が積み重なれば光は呑まれてしまうはずだわ」
 天理を指差して。
「あなたの存在自体が、すでに松明よ」
「……」
 返答することができなかった。
 あやこの瞳に嘘偽りなどない。心の底からの真の言葉。
 だからこそ、天理は動けなかった。
 痛みの走った心がすっと溶けてしまう。ありえないくらい簡単に。
「ありがとう」
「え?」
「なんか、だいぶ楽になった」
 いつもの天理の笑顔に戻る。


    *


 ”魔”がいた形跡などない館。浄化されたことで清浄な空気が流れる。
 敷地内から外へ出た二人は満点の星空を眺めた。東京にしては、ここは星がよく見える。
 あやこは体を伸ばす。とうとう、もう一つの武器、オペラグラスを使わなかった。いや、使わなくて良かったのかもしれない。少女の前では――。これは人魂を射出するものだから。

「ん〜、サウナのようだったわ。外の方が少しは涼しいー」
「今年の夏は長引くね」
「早く夏が終わってくれないかな」
 ぱたぱたと手で扇ぐ。
 天理はあやこに向き直り。
「今日はありがとう。夜中まで付き合せてもらって、ごめん。助かった」
 万人が惚れてしまいそうな花咲く笑顔。
 あやこはちょっと頬を染めて。
「ううん。私の方こそ」

 こうして、館の記録は一族本家の奥で記されしまわれた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)      ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 7061 // 藤田・あやこ / 女 / 24 / 女子高生セレブ

 NPC // 封禅天理 / 男 / 17 / 付属高校二年、一族次期当主

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■         ライター通信                   ■
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藤田あやこ様、はじめまして。
この度は、当異界のゲーノベ「救いの一転機」にご参加くださり、ありがとうございました。
プレイングを拝読した時、「一層、面白くなりそう」だと思いました。あやこ様のイメージに近づけるべく、面白い作品になるよう何度も発注書などを読み込んで書かせて頂きましたが、どうでしょうか。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。

水綺浬 拝