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<東京怪談・PCゲームノベル>


探し物は


 どこかで水の音が聞こえた気がした。

 夏もそろそろ終わりだというのに、異様に寝苦しい夜。
 暑さに耐性が無いのが祟ってかなかなか寝付けない。
 かといって翌日のことを考えると、寝ることを放棄するわけにもいかず、ベッドの上で寝返りを繰り返していた彼女は動きを止めた。
 耳をすませてみるが、天井を向いて寝転がった彼女には、さっきまでと同じ、かち、かち、と規則正しく時を刻む時計の音しか聞こえてこなかった。

(…気のせいね)

 はあ、と軽い溜息をついて、再び睡眠に入る努力をしようと目を閉じた。
 その耳に。
 
 ぽちゃ、   ん

 はっきりと届いた、何かのしたたり落ちる音。
 はっと目を開いた彼女の目の前には、何か。
 ぼう、とそこだけ空気が密度を変えたかのような、何か。

 彼女はその『何か』を怯むことなく凝視した。
 未確認物体に何か文句でも言ってやろうかとも思ったが、全身だけでなく舌すらも強ばり、言葉が出てこない。
 それは、だんだんと形をはっきりとさせていく。
 どうやら青年…それも、あまり健康的でない姿をしていた…まあ、こういったものが健康的だとしたら、それはそれで不気味極まりないとは思うのだが。

 青年は、彼女の耳元に何事か囁く。
 呼吸すらもままならないような、絞り出すような苦しげな言葉を彼女が耳にしたと同時。

(…沈む!)

 部屋は、水に浸食され、背を預けていたベッドの感覚さえ消え失せる。
 呼吸が苦しい。
 彼女は水に引き込まれながら、首にまとわりつくネグリジェを何とか振り払い、そしてそのまま意識を失った。


 ※ ※ ※


「ひ、ひゃああああああああああああっ」

 今日も今日とて、骨董品店では少女の声が聞こえていた。
 専らぐうたら店主を叱る為に上げられるその声は珍しく、なりふりかまわず、まごうことなく、悲鳴、と呼ばれる物である。

 その声に、普段叱られている店主は一瞬びくりと身をすくませ、それから手にした本を置いて店へと通じる引き戸を開けた。
「どうしたんだい、文音君。君にしては珍しい声が…っておおおおおっ」
 軽口を叩きながら、文音の悲鳴の元を見た店主鷹崎は、思わず一歩後ずさって扉に背を預ける羽目になった。
「たっ、たっ、たっ、たっ…!こ、こっ!こっ」
 壊れたレコードのように、視線の先を指さして、文音がもごもごする。
 ああびっくりした、などと呟きながら鷹崎が頷いた。
「うん、水死体じゃないかな」
 あっさりすぎる。
 絶句する文音をよそに、我を取り戻した鷹崎は、唐突に現れた闖入者を観察しだした。

 花瓶やらを巻き込んで、骨董屋の床に横たわるのは一人の女性。
 黒い髪をべったりと頬に貼り付かせ、まさに今の今まで溺れていましたといわんばかりだ。
 ビキニの水着から露出した肌は血の気を失い、とてもまだ命が有るようには思えなかった。
 どうしたもんかなー、昨日買い取った骨董品になんか妙なモンでもくっついてたかなー、などと失礼な事を考えながら彼女を眺めていた鷹崎の視線がふと止まる。
「…おや、これは」

 透明な、青白い、うで。

 どうも男性のものであるらしいそれが、しっかりと彼女の細い首に食い込んでいた。
「き、い、ひゃああああああああああ」
「あ、文音君、落ち着きなさい…とりあえず、何か服を用意してあげてくれるかな」
「ひゃあひゃあひゃあ、…って、え?」
 鷹崎の視線を追って、しっかりばっちり腕を目撃してしまった文音が再び高音波を発生させる。
 店主は苦笑してから、夏だというのに着込んでいた羽織を脱いで、床に横たわる女性をくるむと、抱え上げる。
「このまま水着で床で、と言うわけにはいかないだろう。…どうも彼女、生き返ったみたいだから」

「は…?」

 文音のぽつんとした声が響いた。


 ※ ※ ※


「さて、落ち着いたかな」
 彼女…藤田・あやこは目の前に座る和服の男の問いに頷いた。
「それは何よりだ。ええと…藤田さん」
「何かしら」
「苦しくないのかな」
「何の事かしら」
 座卓に向かい合った鷹崎から熱い茶が出される。
「……その首の所に貼り付いてるのは、何なのか聞いても構わないですかね」
 彼は困ったように笑みを浮かべた。 
 文音から服を借りて、とりあえず先程までの水死体ぶりは解消されたものの、彼女の首には今もしっかりと透明な男の腕が巻き付いている。
「それに答える前に、一つ確認させてね。…ここは骨董品屋だって言ったわよね。…痰壺とかも置いてるのかしら」
「…は…。…いやまあ、取り扱わない事も無いですが」
 唐突な質問に面食らいながらも鷹崎が肯定すると、あやこはうんうんと満足げに頷いた。
「…痰壺っていうのは、痰を取る壺…なのよね?」
「…はあ、まあそうでしょうけど。…何ですかいきなり」

 鷹崎に促されてあやこは、昨夜己の身におこったことを説明した。
 金縛りに合い、青年の亡霊と会ったこと。そして青年があやこに告げた事。
「…は、痰壺の汚名返上…?」
 説明を受けた後も鷹崎の胡乱気な表情は変わらなかった。
 しかし説明をした側のあやことて、何が何だか分からないのだ。
「…何だかそれが心残りみたいなのよね、この腕の持ち主…」
「…何というか、変わった心を残す霊ですねえ」
 痰壺とは、文字通り痰や唾を吐きいれる壺の事だ。
 改正結核予防法の施行に伴い改正されたが、結核が流行した当時、予防の為に人の集まる場所には設置を義務づけられた程のものである。
「…つまりは、そういう事なのかしら」
「…痰壺職人…というのはさすがにアレだから、もしかしたら医師だったとかですかね…」
 あやこと鷹崎は顔を見合わせて溜息をついた。
 青年霊の行動が難解すぎる。
「…とりあえず、痰壺と聞いて良いイメージの人はあんまりいないでしょうし…」
「…まあ、用途が用途だからね。いくら医術的に役立っていたとしても、なかなか汚名返上は難しい…所ですか」
「見た目も、そんなに差違は無いでしょうし…」
 あやこはもう一度深い溜息をつく。
「…いや、そうでもないですよ」
「え?」
「少し待って下さいね」
 鷹崎は言い残し、席を立った。

 待たされることしばし。
 
 出ていった時と同じ唐突さで鷹崎が戻ってくる。
 あやこは、彼の着物の肩に着いていた綿埃や、帰ってくるまでに響いた何かが崩れるような音や、文音の悲鳴などには触れないことにして、鷹崎の手元の桐箱を見つめた。
「…取り扱わないことも無い、と言ったでしょう。以前買い取ったんですがね」
「…痰壺を?」
 疑わしげな彼女の言葉に苦笑をこぼして、鷹崎は再び座に着く。
 かたん、と小さな音を立てて箱を卓の上に乗せた。そっと覆いを取り除く。
「充分骨董品として、価値が有る物だったのでね」
 現れたのは、両手で持てる程の壺だった。
 とっくりを大きく、少し平たくしたような、丸い花活け壺の上にどんぶりを乗せたような形状をしていた。
「奇麗な色ね。翡翠みたいだわ」
 あやこの素直な感想に鷹崎はうん、と頷く。
「高麗末期の翡色青磁ですよ。深いが、澄んだ良い色合いでしょう」
「…そうね、これ、痰壺なの?」
「ああ、その筈だよ。一端すぼまった口の上に、じょうごのような物がついているでしょう。実用の為なんでしょうねえ」
 鷹崎が頷く。
「そう…。分かった、それを貰うわ」
「貰うって。…結構良い値がするんですが。……というか君、財布すら持ってないんじゃないですか」
 何しろ水着一枚で現れた彼女だ。
 彼のもっともな問いと、その後に告げられた金額に、あやこはふふん、と笑って見せた。
「こんな事もあろうかと、水着の内側にカードを縫いつけてるのよ。…あ、カード払いでも大丈夫かしら」
「…こんな事ってどんなことです全く。…まあ、お客様には違いないのですね。よし、契約成立だ」
 
 商談が纏まった所で、二人の視線は自然とあやこののど元へと向かう。
 …が、依然としてそこにはあり得ない腕が存在していた。

「…どうしろって言うのかしら…」
「甘いな、君は今、私から価値のある痰壺を買い取った、だけじゃないですか」
「…他にどうしろっていうのよ」
 鷹崎が無意味に胸を張る。
「所有しているだけなら名誉も汚名も在った物じゃないと思いますがね。愛が足りない。愛が」
「……」
 あやこはげんなりとした顔をした。この男は唐突に何を言い出すのか。
「一言で青磁と言っても色々有るんです。そも、青磁とは中国で発達した陶磁器であるのだがね。現在は石灰バリウム釉に珪酸鉄を着色剤として澄んだ色を出すことも出来ますが、本来は灰釉を厚がけして作られる」
 しかも止まらない。若干飲まれながら彼女は頷いた。
「発色は非常に不安定、一度に焼成した中で、この痰壺のように美しく完成度の高い色合いになる物は本当に極一握りだ。わかりますかね」
「…え、ええ」
「長い年月をかけて職人達の努力と工夫により、様々な青磁が生み出されてきたが、得にこの、高麗末期の青磁というのは特に珍しいです。粉青沙器へと切り替わっていったからね。俺はこの翡色青磁というのが非常に好きでね。高麗青磁独特の幽玄優美な姿を良く表現していると思いませんか」
「……」


 ※ ※ ※


 解放されたのは半日後くらいのことだった。
 暴走する店主を止めたのは後かたづけに奔走していたらしい文音で、平謝りされた。
 鷹崎のうんちく話というか、愛の暴走というか、ともかく長話のせいですっかり骨董品…とりわけ例の痰壺の魅力とやらを理解してしまった。
 じっとながめていると飽きないのだ、これがまた。

「素晴らしい壺ですね」

 不意に声がかけられた。
 相手は彼女の社長室を訪れていた客人で、応接用のテーブルの上に飾られているそれに目を留めたらしい。
 美しい花を見事に生けられ、そして尚、その花に負けることのない美しい姿に、あやこは満足げに笑みを見せた。

「ええ、自慢の一品なんです」


 

 そういって嬉しげにその痰壺を自慢する彼女の首に、もうあおじろいうでの姿は見えなかった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7061/藤田・あやこ/女性/24歳/女子高生セレブ】

【NPC/鷹崎律岐/男性/24歳/骨董屋店主】
【NPC/藤本文音/女性/17歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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藤田・あやこ様

はじめまして。新米ライターの日生 寒河です。
この度は骨董屋にご来訪頂き、誠にありがとうございました。
あまり無い題材で、調べているうちに楽しくなってきてしまいました。

口調などの不備が無い事を祈りつつ、それではまたお会い出来る日をお待ちしております…。

日生 寒河