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<東京怪談ノベル(シングル)>


あなたを想う

 お盆は過ぎたといっても、まだ暑い日が続いていた。
 アスファルトからは陽炎が立ち、日差しは容赦なく照りつける。どことなく空気もまとわりつくような、夏の午後。
「今日は暑いな」
「まだ夏ですから……暑さ寒さも彼岸までって言いますけど、東京だと違いますね」
 黒 冥月(へい・みんゆぇ)は、立花 香里亜(たちばな・かりあ)と共に、ゆっくりと小高い丘の斜面を登っていた。
 香里亜は帽子を被り、膝丈ほどのパンツに涼しげなキャミソール、白い日傘と完全武装だ。そして、傘を持っていない方の手には、白い花で作った花束。
 多分お盆の時期であればここもかなり賑わっていたのだろうが、それが過ぎてしまった後の墓地への道は何だか物寂しい。気温が暑いのに、そこだけが急に秋になってしまったようだ。
 本当は、ここには自分一人で来るべきだったのかも知れない。
 だが、冥月は香里亜をここに連れてきたかった。
 今は亡き、愛する彼が眠る場所に……。

 冥月は香里亜には亡き彼のことを、ずっと隠していた。
 愛する人がいると言うことは、言葉の端々などから匂わせてはいたが、彼が亡くなっていることをどうしても言えなかった。
 理由はよく分からない。ただ、言ったら香里亜が寂しそうな顔をするんじゃないかと言う気はしていた。
「一緒に参ってやってくれないか?」
 やっとそれを切り出せたのは、香里亜に彼が亡くなっていることを知られた、ある夏の暑い日。
 自分を追ってきた組織の追っ手に香里亜が捕らわれ、それを助け出してからしばらくして落ち着いた頃。
「私が一緒でいいんですか?」
 戸惑うようにそう言った香里亜に、冥月は小さく頷く。
「一緒に行って欲しいんだ……香里亜には、彼のことも話しておきたくてな」
 今まで、彼のことは誰にも話したことはなかった。自分の中だけで、留めておくだけの話だった。香里亜が拉致されたときに少し話したが、まだ肝心なことを話してはいない。
 それを全て話そうと思ったのは、多分色々な意味があるのだろう。
 懺悔。告解。そして……。
「………」
 言葉が紡げずに黙り込む冥月に、香里亜が少しだけ頬笑む。
「分かりました。じゃあ、私がお仕事お休みの時にお願いしますね」
 それ以上、香里亜は墓参りに関して詳しいことを聞こうとはしなかった。多分、冥月に気を使ったという他に、詳しいことは墓前で聞くつもりなのだろう。その心遣いがありがたかった。
 彼の墓は、小高い丘の上の墓地にある。
 本当は、景観の良い場所に彼の墓だけ置くことも考えまたのだが、普通の社会に戻る意味を込めて墓地に遺骨を納めることにした。

 人を殺さず、普通の生活に戻ろう……。

 それが、彼の願いだった。
 闇組織から抜けようとしたのも、彼がそう言ったからだ。手を血に染めず、何もかも忘れて、ささやかにひっそりと暮らせばいい。冥月としても、組織の命令にうんざりしていたのと、そう言ったときの彼の表情を見て決意をした。

 ……もう、人を殺したくない。

「……結構歩きますね」
 香里亜の言葉に、冥月ははっと我に返る。
 墓のある近くまでは影で移動したが、丘を自分の足で登るのは、それ自体が慰霊だと考えているからだ。ゆっくりと、景色を楽しむように歩いて登る。
 カナカナカナカナ……。
 ミーンミンミンミン……。
 蝉の鳴き声が空に響く。少し立ち止まり、冥月は自分の後ろを歩く香里亜に振り返った。
「大丈夫か?今日は随分暑いから、苦しくないか?」
 どうして、今年はこんなに暑いのだろう。そんな事を思っていると、香里亜は肩から提げたバッグから袋に入った水筒を出した。
「今日はきっと暑いと思って、アイスティーに氷を入れて持って来ました。スポーツドリンクや、冷やしたおしぼりもあるから大丈夫ですよ」
「準備万端だな」
 今日は猛暑日かも知れない。そんな日に付き合わせてしまったことを申し訳なく思っていると、香里亜は冥月の横をゆっくりと歩き出す。
「途中でへばっちゃったら、彼氏さんに笑われちゃいますから」
 彼氏さん。
 香里亜は亡き彼のことをこう呼ぶ。その親しみを込めた呼び方が、何だかくすぐったいと同時に寂しさを感じさせる。
 もし、今でも彼が生きていたら、香里亜はやっぱり「彼氏さん」と呼ぶのだろうか。
 それとも、名前などで呼んだりするのだろうか。
 今は想像することしかできない光景……だが、それでも冥月は時々想ってしまう。
 組織から無事に逃げ出せて、彼が生きている事を。そうしたらきっと、二人で蒼月亭に行ったりして、香里亜の入れた紅茶やコーヒーを楽しんで。
「石畳や砂利は歩きにくいだろう」
 そんな空想を振り切るかのように、冥月は声を掛けた。手の甲で汗を拭いながらも、香里亜は楽しげに隣を歩いていく。
「そうですね。でも、実家にいたときはお盆のお墓参りで山登りしてましたから、そんなに辛くないですよ。それに、冥月さんに鍛えられてますから」
 しばらく歩くと、見晴らしのいい場所に彼の墓が見えてきた。墓石には、冥月がホワイトデーの時に作ったプレートペンダントが飾られている。日本刀のモチーフに、燻した銀が夏の日差しを反射していた。
「日本の方ですか?」
 墓碑銘を見て、香里亜が聞く。
「ああ……彼は日本で師に拾われたらしい」
「そうなんですね。じゃあ、まずお墓を洗いましょう。水場もあるみたいですし、私スポンジとか持って来ましたから」
 冥月としては線香をあげて、手を合わせるつもりぐらいだったのだが、香里亜はしっかりと墓参りをする気らしい。パタパタと小走りになって水場へ行く背を見送り、墓石に向かってなにげに呟いてしまう。
「貴方も、あの娘を見守っててあげて……」

 二人で墓石を綺麗に磨き、花やろうそくを供え、手を合わせる。
 香里亜は線香の他に、果物などを用意してきたらしい。冥月も久々に自分で作った中国菓子などを墓前に供えた。
「彼氏さん、喜んでくれてるでしょうか」
「ああ、香里亜を連れてくると前々から言っていたからな……きっと、喜んでいるだろう」
 ザワッと風が吹き、鳴いていた蝉の声が一瞬止まった。冥月は墓前の前に正座するかのように膝をつき、そっと墓を見上げる。
「……彼氏さんは、どんな方だったんですか?」
 それは、初めての彼についての質問だった。いつも「いつか紹介してくださいね」とは言っていたが、香里亜は冥月のプライベートについて深く質問したことがない。兄弟子の話が、彼のことだというのは分かっていたようだが、それ以上深い話をしたことはない。
「……彼は師が同じ兄弟子でな。異能がなければ私よりも強かった」
 日本刀の二刀流も、七尺越えの大太刀も易々振るっていた彼。自分が師に拾われたときには、既にある程度の実力があったと思う。
 多分……今でも日本刀なら冥月は彼に敵わないだろう。
 彼は冥月にとって、追いかけるべき大きな背であったと同時に、守りたい程小さな背でもあった。
「……それでも私は彼を守りたくて努力した。私達は殺されても仕方ない事をしていたが、それでも彼を守りたかった。そうしたら『女に守られてられるか』と、もっと修行しだしてな、私も負けじと更に修行して」
 思い出して冥月は苦笑する。
 自分達は暗殺者だった。だから、いつ殺されるか分からないような生活をしていた。
 その中で兄妹弟子でもある彼の存在は冥月の中で大きく、多分彼の中でも自分の存在は大きかったのだと思う。
「素敵な関係だったんですね」
 小さく呟く香里亜に、冥月は顔を俯ける。
「ああ……だけど守れなかった。もうすぐ組織を抜けられると喜び、浮かれて油断して彼から離れて……組織が信用できない事は判りきっていたのに」
 それは、香里亜に出会う一年ぐらい前の話。
 暗殺者をしていることが嫌になり、二人で組織を抜けることを決めた。最初の約束では、自分達は組織に充分貢献したから、後は追わない……それを信用したのが間違いだった。
 思い出せば出すほど、後悔ばかりが浮かんで消える。
 人を殺すことを生業としている組織を信用してしまった事。
 暗殺者時代に、異能の威力を半ば隠していた事。
 異能の存在を隠していたのは、彼が「女に守られてるか」と負けじと修行していた事もあるし、彼の前ではか弱い女でいたかったからというのもある。多分、自分が影を操れると知ったら、彼はもっと自分を高めようと無茶な修行をしたかも知れない。
 そんなプライドの高いところも好きだった。
 でも、そんな事を気にせずに、組織が逆らおうと思わない程全力を見せつけていれば、こんな事にはならなかったのかも知れない。もう、いくら考えても遅いことだと分かっていても、冥月はそう思う。
 他にも沢山の後悔は浮ぶが、冥月は目を閉じ頭を軽く振った。
 組織は甘くない。
 壊滅状態にさせたにもかかわらず、甦って自分を追ってきた。
 香里亜を拉致した時の光景と、彼を死なせてしまった光景が冥月の脳裏に重なる。
「しかも、また同じミスを犯してしまった。香里亜に危険が及ばぬ様に、気をつけていたのに」
「………」
 多分、自分が今ここにいるのは、ものすごく運が良かったからなのだろうと香里亜は思う。もし拉致等という手段ではなく、捕まえた瞬間に殺されていたら……そう思うと、猛暑なのに背中が寒い。
 思わず沈黙したまま香里亜が墓を見上げていると、冥月は俯いていた顔をスッと上げ香里亜の横顔を見た。
「……だが三度目はない。もう絶対危険には遭わせない。再度誓おう」
 そう言って、冥月は香里亜に言われたことを思いだした。

 すまないと思っているのなら、死ぬ気で守って下さい。
 私を生きる理由にしたのなら……そんなあっさり投げ出さないで下さい。

 東京に来て、か弱い少女に怒られて。
「……信じてます」
 香里亜はそれしか言わない。そして手を合わせて、何かを祈る。それを見て、冥月も同じように手を合わせ、彼に話しかけた。
 ごめんなさい。
 この娘を守りたいから、私は当分そっちにはいけない。
 七夕の時も、皆に知られないようにそっと書いた願い事……『川を渡るのは、あと半世紀は待っててくれ』
 生きる理由を、香里亜だけに求めていてはいけないのだろう。
 でももう少し……自分の為だけに生きるには、大事な者を失ってからの時間はあまりにも短すぎて。
「これからしばらく来られないかも知れないけど、見守っていて……」
 夏の日差しが焼き付けるように、背中に降り注ぐ。

「……そろそろ帰りましょうか」
 どれぐらいの間、墓前にいたのだろうか。
 まだ日差しは高いが、吹いてくる風は少し涼しさを運んできていた。帽子を被り直して歩く香里亜に、冥月がふと立ち止まる。
「香里亜に話せた事で……本当に吹っ切れたと思う」
 断言は出来ないが、いつまでも彼を引きずってはいけない。多分彼だってそれを良しとはしないはずだ。
 彼の止まってしまった時間を超えて、自分は歩き出さなければならないのだから。
「まだ彼を愛しているし、悲しくもあるが、もう悩まないだろう」
 視界が涙で歪む。
 冥月は少し前を歩く香里亜の背後から抱付き、半ば彼女の髪に顔埋める形で嗚咽を堪える。
「彼の事で泣くのも、これで最後にする……」
「無理して吹っ切る必要はないんですよ」
「………」
 本当にそうだろうか。そう思いながら声を押し殺していると、香里亜が優しげに言葉を続けた。
「まだ彼氏さんが心にいるのなら、そこは彼氏さんの居場所なんです。そのうち少しずつ思い出になっていくまで、たくさん泣いてたくさん思い出してあげないと……亡くなったらそこで終わりじゃなくて、それからも心でずっと生き続けるんですから」
 心でずっと生き続ける。
 だとしたら、彼は一緒に香里亜を守ってくれるだろうか。
 堪えるように涙を流しながら、冥月はそんな事を想い続ける……。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
亡き彼のお墓に香里亜と一緒に行くと言うことで、こんな話を書かせていただきました。
これで最後、と言っていましたが、香里亜的意見は「無理して吹っ切らないで」という感じなので、何だか未練が残りそうなことを言ってしまいましたが、よろしかったでしょうか?心の何処かに、彼氏さんを残してあげて欲しいなと言う、願いです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。