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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


蜜目

 細い路地を奥へ奥へ、潜っていくとアンティークショップ・レンはある。だから、帰るときにもやっぱり細い路地をずっと抜けていかなければならなかった。
「これ、持っていきな」
買い物を追えて店を出ようとしたとき、主人の碧摩蓮が一個の飴玉を投げてよこした。おまけ、ではなさそうだ。
「近頃外の路地に妖怪が出るんだよ」
行きの客には大人しいのだが、帰るときに限って姿を見せる。アンティークショップ・レンの出入り口は一つだけなので避けようがなかった。
「蜜目って言って、なんでも願いを叶えてくれる奴なんだけどね」
叶える代償に目玉を一つ欲しがる妖怪だった。願いごとがなくても目玉を欲しがるので、無事に路地を抜けるためには目玉の代わりに飴をやらなければならない。
「目が惜しけりゃ飴を投げるんだね。ただし、あんたが片目を差し出しても構わないくらいに狂おしい願いごとがあるのなら…」

 ナイスキャッチ。心の中で二人は同時に呟いた。それくらいに見事な軌跡を描いて白い犬が飛んだ。大きな口を開けて、羽角悠宇の投げた飴玉に飛びついていった。
「バド!」
飼い主の初瀬日和がおすわり、と呼んだが遅かった。一応バドは命令どおりにしゃがみこんだのだが、既に飴玉は口の中。包み紙だけは器用に吐き出している。舐めるということはしないのでガリガリと噛み砕いてしまった。
 路地は人と人がすれ違うとき体を斜めにしなければ肩の触れ合うほどに細く、二人で立ち尽くしているような場所ではなかった。だが悠宇と日和の足は動かない。いや、動きたくとも、目の前にいる妖怪が邪魔をしているのだった。
 蜜目という妖怪は一見すると小柄でかつ中世的な顔立ちをしており、大人しそうな印象を受ける。けれど蓮はこう言っていた。
「怒らせると恐いからね」
あの人が言うからには、そうなのだろう。
「日和、お前の分はあるよな」
「うん」
アンティークショップを出るときに、蓮からもらった飴は二つ。悠宇の分と、日和の分。バドは店の外にいたので貰えなかったのだが、動物は蜜目の食指に働かないのだろうか。
 うっかり飴を投げてしまったのは悠宇の失敗である。路地の薄暗い壁を通り抜けてきたように現われた蜜目、小さな右手の掌を上に突き出してきたので、悠宇はポケットの中の飴を通行料代わりにと放ったのだった。それをキャッチしたのが不運にも蜜目ではなく日和の愛犬だった、というわけ。
 日和の分の飴はまだ残っている。二つとも悠宇が持っていなくて本当によかった。
「お前だけ先に帰れよ。俺はなんとかするからさ」
「でも」
蜜目は片目を奪う妖怪なのだ。万が一を考えると、一人で帰るなんて日和にはできない。
「大丈夫だって。いざとなりゃ店まで戻って、蓮さんにもう一つ飴を貰ってくればいいんだから」
あの人がそんな融通を利かせるはずはないとわかっていたが、悠宇は明るく笑った。悠宇が妙に優しくなるときは、日和が不安になるようなことを仕出かそうとするときだった。愛犬のリードを握り、日和は静かに悠宇を見上げる。
「…私、路地を抜けたらまた戻ってくるから。悠宇くんの分の飴、買ってくる。だから無茶なことはしないでね」
絶対にしないでね。健気な願いである。わかった、と悠宇は頷いた。眉間に不安の皺を寄せて、日和は蜜目の手の平に自分の飴を乗せた。

 通行料の飴を差し出して、路地を抜けていく日和。それを見送る悠宇の心中には次から次へと不安が沸きあがってくる。
「日和の奴、急いでるからって無闇に走るんじゃねえぞ?転んで、手の平でも擦りむいたら……」
「この妖怪、いつまで待ってくれるんだろうなあ。痺れ切らして、襲ってきたりしないよな?」
「…にしてもこの犬は、緊張感てやつが欠けてるよな」
とめどない不安であったが大雑把に分けるとこの三つだった。一つを打ち払っては次の一つがまた泡のように膨らんで、心で主張するのだ。
「わうっ!」
そしてなにより、ある意味一番得体の知れない不安が今足元で尻尾を振っている。なんとなくではあるが、悠宇は思っていた。
「犬にも通行料っているのか?」
通行料の飴玉はそもそも、目玉の代わりだと蓮は言っていた。本来は目玉を奪われ、ただし引き換えに願いを叶えてもらう。果たして動物に、目玉と引き換えになるほどの願いというものはあるのだろうか。
「あるかもしれないな、こいつなら」
飴玉一つであれだけ見事なダイビングを見せた犬である。もしも人間の言葉が喋れて、今目の前にごちそうを並べられれば、深く考えず悪魔にだって魂を差し出すかもしれない。いや、魂というのは言いすぎか。尻尾くらい、か。
 犬にとっての尻尾は感情と名前を変えてもいいくらいに、激しく性格を表現している。バドのそれはいつどこで見ても、千切れそうなくらい激しく振り回されていた。さっき、日和が悠宇にバドを預けて一人路地を後にしたときだけ淋しそうにうなだれていたが、悠宇が残っていたおかげか今はまた復活していた。
 悠宇はさっきから石のように固まり、ただこちらを凝視している蜜目をちらりと見やった。瞬きすらしない。さりげなく通り過ぎてしまえばやり過ごせるのではないだろうか、そんな発想が悠宇の中に浮かんでくる。
「……」
静かに一歩、前へ踏み出してみた。だがその一歩が蜜目の領域を侵したらしく、蜜目は素早く悠宇に向かって右手を突き出してきた。一歩戻るとその手は下がる。まるで敏感なセンサを取りつけたおもちゃのようだった。
 こりゃ日和が帰ってくるまでにらめっこか、と悠宇は後退りをした。

 だが悠宇はちらりと上を見た。路地は四階建てのビルと七階建てのビルにぎゅっと押し潰されそうな格好でほんのわずか生き延びている。もう夕方近い東京の空には青色はほとんどなく、雲らしきものが少しかかっている。細長く切り取られて息苦しそうだ。
 真正面から路地を通り抜けるのではなく、上へ行けば逃げられるかもしれない。
「わん」
問題はこの犬を残していけないということだ。犬は当然空を飛ぶことなんてできないし、二十キロ近い大型犬なので抱え上げるだけでも一苦労、悠宇の翼では多分運べない。いや、重さだけなら運べるとは思うのだがこの犬が運ばせてくれないだろう。
「空を飛べるなんて知ったら、どんだけはしゃぐか」
尻尾を振り回すだけでは足りないから顔中をなめられ、噛まれ、振り回す足には蹴られひっかかれで無傷では済まない。
 昔、フリスビーで遊んでやったときのはしゃぎようは凄まじかった。フリスビーをくわえて帰ってくるたびに全速力で頭から突撃してくるのだ。日和には絶対フリスビーを持たせてはいけない、と強く誓ったほどである。
「……」
握っているリードに沿って視線を走らせ、犬のつぶらな瞳を見やると犬は遊んでくれるのかという期待に表情を輝かせた。動物に表情がないというのは嘘だ、この犬は今間違いなく笑っている。実に不吉な笑顔だ。この犬とは、遊ぶのでも命がけなのである。
「…日和、早く帰ってこないかなあ…」

 手に乗るくらいの瓶だろうか、その瓶いっぱいに詰まった飴を持って日和が戻ってきた頃、悠宇のほうはといえば待ちくたびれてバドに顔をなめられるがままであった。悠宇がバドのなすがままとは、余程に退屈していたのだろう。
「悠宇くん、ごめんなさい、ごめんなさい」
戻ってくるなり謝る日和。かなりの時間をかけてしまったのはしかし、日和だけの責任ではなかった。説明したかったが、口がうまく動かない。
「あのね、あのね…」
走るのと説明とを一度にしようとするが、どちらも日和にとっては苦手なことで、苦手なことをまとめてできるほど器用な性格でもなかった。アスファルトに小さなひびわれがあるのに気づかない。
「危ない!」
悠宇が叫んで飛び出そうとするのと蜜目が反応して悠宇に手の平を差し出すのと、リードを振り切ってバドが駆け出すのとは同時であった。
 蜜目のせいで、悠宇は先に進むことができなかった。目玉はくれてやるものかと心の中で強く叫んでいたから、蜜目が通行を拒んだのだ。しかしバドは、動物に通行料は必要なかったらしく犬はつまづきかけた日和に飛びついていって、華奢な飼い主にだけは飛びつく加減を知っているらしい、正面から倒れ込みそうになったのをその白い大きな体で支えた。日和はぎゅっと、バドの首に抱きつくような格好になる。
「わん!」
珍しくもお手柄である。
「ありがとう、バド」
愛犬の頭を撫でる日和に、離れた場所から歯噛みをする悠宇。別にバドを羨むわけではなかったけれども、日和を助けられなかったという事実が悔しいのだ。
「日和、飴はどうした!」
「飴…あっ!」
飴の入った瓶は、つまづいたとき手の中から飛んでしまっていた。どこへ行っただろうか、と首を巡らせるとアスファルトに落ちて、幸い割れてはいないのだが蓋が開いて中の飴が転げ出している。なおかつそこへ。
「バド!」
「おい、止めろ!」
またおいしい匂いがする、とばかりに犬が、尻尾を振りながら鼻先を近づけていく。このままではまた元の繰り返しだとばかりに二人は制止の声を上げるが、この犬が命令を聞くわけもない。
 その後どうにか取り返した瓶の中には犬の噛み砕いた欠片だけが、量に換算すると二つ分ばかり残っていた。これで大丈夫なのだろうかとびくびくしながら瓶ごと蜜目に手渡すと、蜜目はしばらく瓶を睨んでいたが、おまけで通してやろうという気にでもなったのだろうゆっくりと姿を消していった。
 思いがけないおやつにありつけた犬は帰り道、ぐったりしている日和と悠宇に挟まれながらも嬉しそうに笑っていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3524/ 初瀬日和/女性/16歳/高校生
3525/ 羽角悠宇/男性/16歳/高校生

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
蜜目という妖怪は創作なのですが、もう少し設定を細かく
したほうがよかったかなと反省しています。
曖昧であることが自由度の上がるわけではないということです。
今回、悠宇さまと日和さまの立場が逆だったら
どうなっただろうかなんて考えたりしました。
悠宇さまの場合は多分、日和さまのようなやり方では飴を
手に入れられなくて、どうしようもなくて最終的には自分の目を
差し出そうとしてしまうかもしれないなあとちょっと
恐い想像になりました。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。