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<東京怪談ノベル(シングル)>


   「アルカディア 〜動物たちの理想郷〜」  

 その動物園は、神出鬼没の移動式で、絶滅したはずの動物たちが集められているという。昼から夕方までの半日しかやっていないようで、そのため、客となるのは偶然居合わせたものか、招待されたものだけとなる。
 開園する度に新たな絶滅動物が増えているともいわれるか、その実態は定かではない。
 ――実際に、そこに行ったもの以外には。


 サーカスのそれに似た、大きなテントが、昨日まではなかったはずなのに、一夜にして完成していた。看板には『アルカディア』と書かれている。
 理想郷の名を冠するその場所が、何なのかもわからないまま、あたしは導かれるように中へ入っていった。
 おだやかな風が吹きぬけ、草の匂いを運ぶ。
 一体、どうやって運んできたのか……背の高い木々や、足元を覆う一面の草原。天井近くは鳥たちが飛び交い、動物たちがゆったりとした動作で草を食んでいる。
「……動物園……?」
 だけど、そこには檻もなければ、柵さえなかった。
 コンクリートをむき出しにした地面でもないし、ガラスに阻まれてもいない。
 動物たちはただ自然に、穏やかに生活しているのだった。
「ここは、一体……」
 あたしは、立ち尽くしてしまった。
 3メートルはある、翼を持たない巨大な鳥、モア。1トンはありそうな巨体をした原牛、オーロックス。他にも、教科書などで見たものや見たこともないものまで……そこにいる動物たちは、絶滅したはずのものばかりだった。
 よたよたと、丸い胴体に大きなお尻と小さな翼をした鳥が歩いてくる。不思議の国のアリスに出てきたドードーだ。
 童話の世界に紛れ込んでしまったような感覚だった。無言のままその光景に魅入っていたあたしは、いつの間にか周囲を覆い始めていた霧の存在にも、まるで気づけなくて。ようやく認めたときには、すでに意識が朦朧としていたのだった。


「ここでは、過剰に増えすぎた人間の代わりに、絶滅した動物たちを保護してるんだ。人間と動物の身体を入れ替えてね」
 目が覚めたあたしに、『園長』さんが言った。白髪交じりで恰幅のいいその人は、見た目は少し怖いけれどしゃべり方は穏やかだった。
 座り込み、姿を変えたあたしたちの、目線に合わせて語っている。
「意識が人間のままなのは、反省を促すための贖罪だよ。絶滅していった動物の98パーセントは、人間の手によるものだ。そして1600年以降、その勢いは加速していっている」
 400年の間に、絶滅した動物は確認されただけでも600種以上。絶滅の恐れがある動物となると、5500種近くにもなるという。
「海原 みなも、13歳。君のデータはすでに入手ずみだ。家族の下には、君の姿に似せた猿を送り込んでおく。『猿真似』をさせるわけだ。その後行方不明になれば、ここが疑われることはないからね。……同じ場所に長くいることはないとはいえ、あまり注目を浴びるのは危険すぎる」
『――どうして、そんなことをあたしに?』
 声にならない声で、あたしは尋ねた。
 青灰色の、ビロードのような毛並みをした身体で草の中に横たわったまま、顔だけをあげる。
 姿が動物になると、人間の言葉も話せなくなるらしい。
 だけど園長さんは、それが聞こえているのかいないのか。
「君たちにこうして事情を説明するのは、動物として見世物にされた際に、少しでも納得してもらうためだよ」
 と、静かにつぶやいた。
『納得なんて、できるわけがないじゃないか!』
 隣にいた子が、少年の声で叫んだ。後ろにゆるく曲がった角を持ち、鹿に似たスマートな体型のウシ、アンティロープの一種であるブルーバック。青灰色の美しい毛皮をした、今のあたしと同じ種族だ。
 だけどやっぱり言葉は通じていないようで、園長さんはそのまま立ち上がり、背を向けた。
『くそ!』
 彼は、後ろ足でガッガッと地面を蹴った。
『動物が絶滅してるから人間を動物にするなんて、意味がわかんねぇよ。こんなところで監禁されてたまるか! 絶対に逃げ出してやる!』
『……あなたも、最近ここに来たんですか?』
 憤っていたオスのブルーバックは、声をかけると動きを止めて。
『数時間前。動物にされて、お前と同じ説明をされた』
 不機嫌そうな様子で吐き捨てる。
『なぁ、お前だって嫌だろ。納得できないだろ? 一緒に逃げようぜ。他のヤツらはあてにならない。洗脳されてるんだ。でもきっと、協力すれば……』
 必死の声かけに、あたしはどう答えていいのかわからなかった。
 辺りをぐるりと見渡す。それだけでも、ここの動物たちがどれだけ大切にされているのかがわかる。
 イキイキしていて、楽しそうで。人間に戻りたいとか逃げ出したいとか、そんな不満はないようだった。
 洗脳、と。言われればそうなのかもしれない。だけどあたしも……どうしても戻りたいとは、思えなかった。
 もちろん、家族もいるし友達もいる。大切なものはちゃんとあった。
でも……自分が人間であることの意味は。何のために生きて、どんな風に死んでいくのか。何もかもが曖昧で、不安定で。
 『動物として生きろ』と言われれば、そういう道もあるのかもしれないと思ってしまう。……人間としての自分に、強い執着がなかったのだ。
『……もういい、好きにしろよ!』
 何も答えないあたしに、彼は一言怒鳴って顔を背ける。
 あたしはどうしていいのかわからなくて、とりあえず足を折って地面に横になった。
 何だか、すごく疲れてしまった……。
 出入り口やテントに開けられた穴のような窓から差し込む夕陽を浴びながら、あたしは草原に頭をうずめた。


『おい、起きてるか?』
 いつの間にか眠ってしまっていると、誰かが呼びかけてきた。
 目をあけ、首をあげて相手の姿を確かめる。
 朝陽を背にした黒い影は、昨日のブルーバックに間違いなかった。
『……他のヤツから聞いたんだけどさ。この動物園は、開園ごとに絶滅動物をつがいで増やしていくらしい。日によって何種類になるかはわからないけど、ともかく毎日のように人間が行方不明になっていくってわけだ。俺たちみたいな被害者が、どんどん増えていくんだよ』
 幾分冷静さを取り戻した様子で、彼は切々と語りだす。
『放っておいてもいいと思うか? アイツは人間を狩ってるんだぜ』
 ただ逃げ出そうというだけではなく、一晩考えた彼の案はまず逃げ出し、その後で皆を解放する。もちろん、全員が人間に戻れる方法を園長から聞き出す、というものだった。
 共に皆を救おうと、正義をかかげ説き伏せてくる。
『それは、人間の視点で見てるからよ』
 赤、青、黄色の美しい羽毛をしたミイロコンゴウインコが、彼の角にとまりながら声をかける。声色からして、20代くらいの女性のようだった。
『ここでの生活も、悪くはないわよ。本当に、楽園のよう……。人間がどれだけ罪深い存在だったのか、考えさせられるわね』
『園長の考えに洗脳されてるだけだろ。俺たちは動物じゃない。人間の視点でものを見て何が悪いんだよ』
 頭を振って否定する少年に、女性のインコはため息をつきながら飛び立ってしまった。
『……そういえば、ここには肉食の動物はいないんですね』
 不意にその事実に気がつき、あたしはつぶやいた。
 絶滅した動物は、沢山いる。肉食動物はもちろん、海洋動物なども。園長さんが再生し、保護しているのは草食動物だけなんだろうか。
『テントが違うのよ。同じところで保護したら、殺し合いをしちゃうでしょ。肉食動物に与えられる餌は、大量繁殖してるものみたい。鼠とか、鹿とかね。確か、鳩やアライグマもそうなんだっけ?』
 インコは木の枝にとまりなおしてから、そうつぶやく。
 絶滅動物を保護して、大量繁殖しているものを餌にする……生態系を正常な形に戻すには、確かに有効な手段なのかもしれない。
『肉食動物のフロアにも檻がないみたいだから、さすがに見学にはいけないけどね……。園長が噛み殺されることがないのは、やっぱりあの人がそれだけの人物だからだと思うわ』
 彼女の言葉に、ブルーバックの少年は「洗脳されてるよ」と呆れたようにつぶやく。
『まぁ、どう思うかはあなたたち次第よ。元に戻る方法があるかどうかはともかく。新しく来る人を無視するのも歓迎するのも、助けようとするのも自分たち次第。危険な行為でない限り、園長も止めに入らないと思うわ』
 そういい残して、インコは飛び立っていった。
『……お前はどうする?』
 尋ねられ、私はやっぱり返答に困る。
 そのとき。
 テントの中の空気が変わった。
 一瞬、全ての動物たちが動きを止め、しんとして……そしてまた、元に戻る。
 だけどあたしとブルーバックの彼は、緊張を解くことができずにいた。
 動物の姿になることで、感覚も同じになるらしい。自分たちのテリトリーに、『侵入者』が入ってきたのを敏感に感じ……そして、恐怖を覚えた。
 草原を踏みしめる足音が、まるで化物が近づいてくるような畏怖を与える。
 硬直したままのあたしたちの前に、その人物は現れた。
「……すげぇ。ブルーバックまでいやがる」
 それは大学生くらいの男の人だった。自分を眺めるその目はどこか血走っていて、全身を寒気が走る。
「あの毛並み! 乱獲されるだけはあるぜ。これ、売ったらいくらになるんだろうな? いや……毛皮よりは剥製か。できるだけ傷はつけないようにしなくちゃな。それに、ただ売るだけじゃもったいない。世紀の大発見として、テレビに出れば……金も入るし有名にもなる!」
 ぶつぶつとつぶやきながら歩み寄ってくる男。
 『助けよう』と考えていたはずの彼も、隣で怯えているのがわかる。
 サッ、と。ポケットから抜き出されたナイフが光るのを見て、その恐怖は頂点に達した。
 周囲の動物や鳥たちは一斉に鳴き声をあげ、駆け出し、飛び立つ。
 だけど、あたしたちは動けずにいた。
 足が震えて……立っているのもやっとだった。
「まずはお前からだ!」
 男はナイフを手に、あたしに向かってくる。
 横を、駆けていくものがあった。どん、と。角を全面に押し出しながら、ブルーバックの少年が男に体当たりしていた。
『逃げろ!』
 勇敢な彼の行動に……応えることは、できなかった。他の動物たちが、離れた場所から『早くこっちに!』と声をかけてくる。
 だけど振り返ることもできない。震えるばかりで、動くことはできなかった。
 逃げなければ次は自分の番だとわかっているのに。
 振り上げられたナイフが、少年を狙う。
 顔を背けることはできないけれど、その光景の続きを見ないよう、あたしは必死に目をつむった。
 ドォンッ。
 そのとき、銃声が辺りに響いた。
動物や鳥たちのざわめきが聞こえ、どさ、と何かが倒れこむ音が続く。
目を開けると……男はナイフを落とし、うつぶせになっていた。腹部から、じわじわと赤いものが滲み出ている。
「……大丈夫かっ!?」
 微かに煙の出る猟銃を手にしたまま、園長さんが叫んだ。
 あたしは、そのまま地面にへたり込んで。横倒しになっていた少年は、頭を持ち上げる。
「怖い思いをさせてしまったな。怪我はなかったか?」
 駆け寄り、銃を横に置いて声をかけ、少年が小さくうなずき返す。
「それはよかった。銃を使いたくはなかったんだが、間に合いそうになかったんでな。あぁ、本当に……無事でよかった」
 ぎゅっと、抱きしめられながら。彼は抵抗を見せはしなかった。
 しばらくの抱擁の後。園長さんは横で呻いている男の頭を銃の柄で殴りつけた。
「……これだから、人間はダメなんだ。これだから……」
 立ち上がり、男の上半身をつかむ。
「彼は、動物にはできない。動物には、しちゃいけない……」
 ぶつぶつと、何度もつぶやきながら男を引きずっていく。
 ふっと、『肉食動物に与えられる餌は、大量繁殖してるもの』という言葉が頭に浮かんだ。
 今この世界で、何よりも繁殖し、害悪となっているのは人間に他ならない。
 あたしたちは、園長さんと男が消えていく先を無言のまま見送った。
 『人間の男』が『餌』になるであろうと状況を前に、誰も異論を唱えるものはいなかった。あの、ブルーバックの少年でさえ。
 それこそが自然の摂理であるかのように、素直に受け止め。平穏を取り戻したあたしたちは、足元の草を食み始めるのだった……。