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社長と私・5
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……桜、僕の為に死んで欲しいんだ」
ここは、時々社内では出来ない話や、秘密裏に計画をするために使っているある建物。
無論来たのは初めてじゃない。セキュリティだけじゃなくて、呪術的結界までしっかりされているある種の要塞。雅輝さんに呼び出されて、一緒にここまで来てそこで唐突に言われて言葉。
しばらく思考がすっ飛んだ後、私はじっと目の前にいる雅輝さんの顔を見る。
「………」
真面目で辛そうな表情。
これは、冗談じゃない。そう分かったから、冷静になれた。本当なら取り乱したり、もっと慌てたりするべきなのかも知れないけれど、雅輝さんはこんな悪趣味な冗談を言うような人じゃない。それはちゃんと分かっている。
でも、何も分からずにただ死ぬ前に、どうして死んで欲しいと言われたか、その理由が知りたかった。
「それは、私が死ぬ事が雅輝さんの為になるって事でしょうか?」
「僕がこんな事を冗談で言うと、桜は思っているのかい?」
いや、それはない。
雅輝さんは確かに、Nightingaleに入るときにこう言った。
僕の下に就くということは、それだけの覚悟が必要だよ。今までのように『友人』ではなくて『部下』……いや、場合によっては『道具』になることだってある。その覚悟が、桜にはあるのかい?
部下なら、その力を雅輝さんのために存分に使う。
道具なら……いらなくなったら捨てられる。うん、その可能性をちゃんと分かっていて、私はNightingaleの一員になった。
でも、捨てられるのが、死ぬのが怖くないと言われれば嘘になる。
鼓動が高鳴り、耳元で脈打つ音がする。
震えそうになる手を必死に押さえて、私は雅輝さんをじっと見た。落ち着くために動かした足が床に敷いてあるタイルにぶつかり、カツンと硬質的な音を立てる。
「私の異能は有益だと自負してますけど、残りの人生を雅輝さんの為に使うよりも、今この場で私が死ぬ方が有益だとの判断ですか?」
私の異能は、ここではかなり使える方だと思っている。
絶対感覚と絶対記憶。一瞬でも見た物は絶対忘れずに、それをほぼ完全に再現できる。変装だってほぼ他人になりきれるし、潜入や暗号解読、読唇術、無音行動と、諜報活動に関しては他の追随を許さない自信もある。
だからこそ覚悟を持って雅輝さんの下に就いたんだけど……沈黙が耳に痛い。
………。
どれぐらい黙っていたんだろう。雅輝さんは、小さく溜息をつくと少し目を伏せて、ゆっくりと、だけどはっきりした声で私にこう説明をした。
「どうやらこれから、ずっと戦ってきた相手と本気でやり合うことになりそうなんだ。多分……人死にが出るどころの騒ぎじゃ済まない」
それは、誰となんだろう。
雅輝さんには秘密が多い。子供の頃からの知り合いである私ですら、雅輝さんの過去をほとんど知らないし、一体何の目的を持ってNightingaleなんていう組織を作ったのかも知らない。
ただ、異能を持っていたり人間じゃないというだけで、居場所がないなんていうのは可笑しいという話をメールで少ししたことはあるけれど。
……私が知らない何かと戦うんだろうか。
それについて聞いてみたかったけど、雅輝さんが言葉を続けてしまったので私は黙って話を聞いた。
「その時に、桜の『絶対記憶』の能力は危険なんだ。相手に捕まってしまったときに、桜が覚えていることを、相手に知られる訳にはいかない……桜の能力はとてもありがたいものではあるけれど、相手が無理矢理記憶を引き出す手段を持っていた場合は、両刃の剣になってしまう。僕の言っている意味は分かるかい?」
雅輝さんの目に、悲哀の色が見えた。私は小さく頷き、床のタイルに目を落とす。
雅輝さんの言っていることは、間違っていない。
私の絶対記憶は、五感で得た情報を機会より精密に記憶する。会議でかわされた話、出したコーヒーの種類、書類の枚数、その中に何枚ミスプリントがあったか……それは今までずっと会社と雅輝さんのために使ってきた。他の会社との会議のときに、ごまかされていた書類の中身や、不利な条件を見つけて助けたことだってある。
スーパーコンピューター何十台分もの容量を持つ私の記憶。それを逆に利用されてしまったら。
その中のほとんどは、私が生きてきた些細な出来事だったり、普通に生活してきた記憶ばかりだ。例えば一ヶ月前の社食のランチメニューがミックスグリル定食で、デザートはティラミスだったとか、親友と一緒に行ったカラオケの曲順とか。多分そんなの知ったところで、何の得にもならないと思う。
でも、その膨大な記憶の中に私は確かに雅輝さんのことや、かなり深い会社の秘密を持っている。今でも思い出せと言われたら、すぐに出てくるソフトのコードや、篁本家である雅輝さんと分家との騒動……他にも色々思い出すことは出来る。それらはきっと、雅輝さんが言うところの「戦い」で知られてはいけないことなんだろう。
……痛いな。
痛いのが、心なのか別の場所なのか分からない。
だって自分が自信を持っていた能力が、逆に雅輝さんを苦しめる材料になるなんて思ってもみなかった。
「一つ聞いてもいいですか?」
「桜が納得するまで聞いてもいいよ」
こんな時にまで、どうして気を使ってくれるんだろう。私に死んで欲しいと言ったその口で、雅輝さんは優しい言葉をかけてくれる。
「もう、私が不要って意味じゃないんですよね?」
いらないって言われるのは怖かった。そう言われてしまったら、私は本当に一人になってしまう。唯一の肉親であったじーちゃんも死んじゃって、天涯孤独だった私を拾ってくれたのは雅輝さんなんだから。
「……何も起こらなければ、ずっと僕のために働いて欲しかったよ」
そっか。
私が顔を上げると、雅輝さんはやっぱり目に悲しみの色をたたえたまま、それでも表情を崩さず私を真っ直ぐと見ていた。
その無表情を「冷たい」とか「無慈悲だ」という人がいるかも知れない。でも、それは違う。
ある種の大きな組織を率いるのなら、たった一人の事で取り乱していたら、きっと気が狂う。それは普通なら「優しい」で済むのだろうけど、そんな人が頭の組織はすぐにダメになる。
ある時は寛大な慈悲を。
そして切り捨てなければならないときは、冷酷な無慈悲を。
「……了解です」
……覚悟は出来た。
私はいらない子なんかじゃない。それが分かっただけで、もう充分。
何も起こらなければ、きっとずっと雅輝さんの下で働けた。でも、私の能力が枷になるなら、切り捨ててもらった方がいい。私を守るために雅輝さんを守る手が薄くなるぐらいなら、そのぶん雅輝さんを守ってもらいたい。だって雅輝さんは、こんな所で死んじゃいけない人だから。
「すまない」
その抑揚のない声に、私は肩をすくめて笑う。ここで泣いたり喚いたりして、最後に嫌なところを見せたくない。一番最後に残る表情は、出来れば笑顔を思い出してもらいたい。
「いいんです。あ、痛いの嫌なんで、拳銃貸してもらえます?」
その言葉に答えるように、懐から差し出される小口径の拳銃。それを受け取るとき、お互いの指先が微かに触れ合った。
冷たい手。
でもその冷たさが、私には確かに熱を持って伝わってきて。
そんな事に心で苦笑して、私は受け取った銃をこめかみに当てる。こめかみに拳銃なんて初めて……映画みたいに現実感がない。小口径の弾は基本固く出来てるから、頭蓋骨に跳ね返って死に損ねることもないと思う。それに、私に躊躇いはないんだし。
「あ、そだ。伝言お願い出来ますか?」
「いいよ。僕に出来るのはそれぐらいだから」
そんな顔しないで。泣き笑いみたいな穏やかな表情。
でも、今、この表情は私だけのものなんだ。誰にでもない、私にだけ向けられた雅輝さんの感情。
「……親友に先に逝くって謝っといて下さい。それとじーちゃんの墓の世話、お願いしますね。命日には好物の苺大福供えとけばいいですから」
「ちゃんと伝えておくし、やっておくから安心していいよ。約束は破らない」
大丈夫。疑ってませんし、知ってます。きっとじーちゃんの墓に私も入れてくれるだろうし、ずっとお参りしてくれるなら安心よね。向こうに行ったら、じーちゃんに何言われるかがちょっと怖いけど。
あと、最後の心残り。
これだけ聞いたら、私は安心して引き金を引ける。こめかみに拳銃を当てたまま、私はにこっと笑ってこう言った。
「それと……雅輝さん、私の事好きですか?」
雅輝さんは、何も言わず、一つだけ小さく頷く。
多分、私が聞きたい「好き」と、雅輝さんの「好き」は違うんだと思う。でも、それでも構わない。雅輝さんはこんな時に嘘をつかないのは分かっているし、その「好き」が、妹みたいだったり友達としてでも、何を悲しむことがあるんだろうか。
「エヘ、それだけ聞ければ満足です。それじゃ頑張って下さい」
嫌われてないのなら、好きでいてくれるなら、それだけで満足。
私はもう一度にっこり笑うと、躊躇なく引き鉄を……。
………。
「うおっ、夢かよ……」
目が覚めたとき、私はベッドから半分ずり落ちたすごい寝相だった。パジャマの前ははだけてるし、布団は体にかかってないし、ちょっと誰も泊まりに来てなくて良かったわ。
ずるずると体を起こし、乱れた髪をかき上げながら大きく息をつく。
なんて夢……雅輝さんが命の危険がある仕事はさせても、自殺しろなんて言う筈ないのに。夢は深層心理の表れだとか云々言うけど、しばらく忙しかったり色々あったりしたから疲れんのかな。なんか詳しく診断して貰ったら、全部欲求不満で済まされそうで、ちょっと嫌だけど。
「あー、久々に夢見悪かったわ……って、ちょ!目覚まし止まってるし」
うっわー、超セーフ。あの夢見て起きてなかったら、私完璧寝坊してたわ、夢見悪かったけど私グッジョブ。これからシャワー浴びて歯を磨いて……朝ご飯食べる暇はちょっとないから、行きにコンビニでパン買って行こ。服はその辺の服を着ていけば、後は会社で制服に着替えられるし。
取りあえずテレビを付けてニュースをチェック。新聞を開いて、株価の所だけはちゃんと目に入れる。情報はシャワー浴びながらでも整理したらいいし。
そんな日常動作をしながら、私はこんな事を思ってた。
もし、夢の通りのことがあったら、私は引き金を引くんだろうか?
……って、まさかねー。でもあんな夢見る程依存してて、大丈夫か私。いくら雅輝さんと子供の頃から知り合いで、恩があるっていってもあれはちょっと人に言えないわ。迂闊に「こんな夢見ちゃって」なんて言ったら、皆ドン引きよ。逆に私が聞かされてもドン引きするってーの。
だけど。
不思議と嫌じゃなかったのはなんでだろ。つか、死んでくれって言われたらもうちょっと躊躇ったり、暴れたりしてもいいんじゃないの、無意識下の私。しかも、どさくさに紛れて何聞いてんのよ。うっわ、夢の中なのに今になって恥ずかしくなってきた。
「いやいやいや、シャワー浴びてこよ。のんびりしてたらパン買う暇もなくなるわ」
あー、夢の中とはいえ思い出すと恥ずかしいから、この記憶は何処か記憶の箱にでも入れて鍵掛けて、重石でも乗せとこ……って、まずい、顔がにやける。
頷いてくれたのは、夢の中の雅輝さんであって現実の雅輝さんじゃないんだってば。
もう……朝一で雅輝さんに会うのに、どんな顔しよ。
落ち着け私。
fin
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前回のノベルでの心境を元に、夢の中でそれを言われて……とのことで、こんな話を書かせていただきました。
実際そんな命令をすることはないでしょうが、無慈悲な部分と優しい部分の二面がありますから、今後どうなっていくのでしょう。桜さんの真っ直ぐな部分がなんとも眩しくあります。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。
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