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消えていくまで
1.
投稿名:No Name
内容:
いまから書くことは、なかなか信じてはもらえないと思います。
けれど、これは悪戯でもなければ嘘をついているわけでもないのです。
ある日を境に、私の身体は徐々に消えていっています。
最初は、足の小指でした。けれど、それがいつ消えていたのか私にはわかりません。
消えたとき、痛みがなかったのです。まるで最初からそんなものはなかったように。
気がつけば足の小指はありませんでした。
けれど、そのときにはさほど不安にも思わず、あってもなくても同じようなものだからと嘯いていたのです。
その次の日、片足の指が全て消えました。
その時点で、私は恐怖を覚えました。このままでは全て消えてしまう。
現在、片足はすでになく、反対の足も膝から下は消えました。
いま私に残されているのは両腕と胴体、そして頭です。
全てが消えてしまうのは時間の問題でしょう。
私には私が消えて悲しむものはいません。恐怖は覚えているものの、私自身このまま消えてしまうことに諦めを抱いています。
けれど、黙ってただ消えていくだけの日々をひとりの部屋で過ごすのは寂しいのです。
私が消えてしまうまでの数日(おそらく数日で私は消えるでしょう)ネット上で構いませんので話し相手になっていただけないでしょうか。
2.
「お〜、消えていくんだ! おもしろそうっ」
投稿に目を通したみあおは好奇心いっぱいの目でディスプレイを見つめてそう言った。
これを書いている間も投稿者の身体の何処かは消えていっているのかもしれないと想像してみるとますますわくわくするものを感じる。
助けてくれという文章は内容には何処にもない。どちらかといえば投稿者はいまの状況を諦めに近い感覚で受け入れてしまっているらしい。
ならばみあおがわざわざ助ける必要もないことだと判断し、自分の好奇心の赴くままに掲示板に返信することにした。
『消えていくってどういう感じなの? 別のところも消えた?』
聞きたいことだけを書いて送信し、返事を待っている間もみあおは相手がどんな人間でどういう環境で自分に起こっていることを受け止めているのだろうと想像してみた。
相手の投稿時間を確認すると半日ほど経過している。別の部分も消えていてもおかしくはないし進行していたほうがみあおには楽しい。
もしかすると、この相手は恐怖というものに関して鈍感なのか、まったく感じないためにこんなふうに落ち着いているのかもしれないとも思ったが、みあおには関係がない。
わくわくしながら相手からの連絡を待つみあおにそれが訪れたのは十数分後だ。
『返信、ありがとう。あなたは誰ですか? 信じてくれていてもいたずらでも構いません。あの投稿をした後、残っていた足の指が全部消えました』
いたずらでも構わないという言葉はみあおには少々不本意だったが、それ以外には概ね満足した。
どうやら相手は順調に、といえば聞こえは悪いが身体が消えていく現象は進んでいるらしい。
とりあえず、簡単な自己紹介。都内の小学校に通っていること、投稿主の身に起こっている怪異現象に対して非常に興味があることなどをお気楽とも取れるような文面で書いておいた。
『いたずらでもって失礼だよ。足の指が消えたってことは下から消えていってるの? 他の部分が消えそうな気配はまだないの?』
その反応で、みあおがいたずらでではなく自分の話に付き合うつもりなのだということが投稿主にも理解できたのか、その後もやり取りは続いた。
みあおにとっては好奇心を満たすため、投稿主にとっては消えていくまでの時間をひとりで過ごさないため。
『ところで、あなたはどういう人なの? 何してるの?』
投稿主は男。悲しむものがいないと言っていたがどうやら家族はいないらしい。
恋人はおろか友人にもあまり恵まれていないようだった。
『友達いないの?』
『付き合いとかが苦手だから』
投稿主の書き方は、徐々に砕けたものになっていく。みあおは最初から砕けた文面のままだ。
そんなプライベートなことも聞きながら、みあおは必ずいまは何処が消えそうか、今度は何処が消えると思うかという質問を必ず付け加えることを忘れなかった。
『今日はまだ何処か消えそう?』
『気が付いたら消えてるからわからないけど、明日起きたら多分足がないんじゃないかな』
最初の足が消えたとき、確か投稿主は恐怖したと書いていたはずだが、いまみあおに送られてきた文面にはそんな気配はない。
(この人、身体の前に怖がる気持ちが消えちゃってるのかも)
気が付いたら消えているといえば呑気にも聞こえるが、感情の場合は消えてしまっては気付くことは難しいかもしれない。周囲に彼を気遣うものがいないのならば尚のことだろう。
『じゃあ明日起きたらどうなってるか教えてね!』
報告をとても楽しみにしているということがとても伝わるような内容を送り、みあおはその日はネットから離れた。
このまま消えるまで状況を聞いているのもそれはそれでわくわくするのだが、これだけでは十分な満足が得られるとは思えない。
実際にこの目で消えていく様子を見てみたい。
そう考えながら、みあおは頭の中でいろいろとプランを練り始めた。
3.
『足がやっぱり消えたよ』
呑気なほどの伝言が届いたのは翌日の午前中だった。
やっぱり下から消えていっているんだと思いながらみあおは早速返信する。
『足が両方なくなったら歩けないんじゃない?』
『狭い部屋だから疲れるけど這って動こうと思えば大丈夫だよ』
『食事は?』
『あれ? そういえば、最近なんか食べたかな。腹が減った覚えもないや』
やっぱりこの人、身体以外のものも消えているんだ! と、みあおは楽しい発見をしたように輝いた目でディスプレイに映っているその文字を見た。
下から消えてくのであれば次は何処だろう、腰の辺りからだろうかとみあおは想像してみたが、もしかすると末端から消えていっている可能性だってなくはない。
となれば、次に消えるのは腕かもしれない。手が消えてしまってはネット上でのやり取りは難しい。
そして、何より、やはりしっかりとこの目で見なければ気がすまない。
『ねぇ、家に遊びに行って良い? 身体が消えていくの見せて!』
正直なほどストレートにみあおは相手にそう提案してみた。この目できちんと見、空気なども嗅ぎ取り五感で体感しなければ好奇心が満たされそうにない。
突然の提案に、流石に呑気なことばかりを書いていた投稿主も即座に返信を送ってはこなかったがみあおはじっとそれを待った。
『別に良いよ。住所は──』
ややあっさりと投稿主は承諾の旨と住まいを教えてきた。警戒心というものも喪失しているのかもしれない。
「やった!」
それを見て、みあおはつい喜んでそう言ったが、勿論画面上の相手には伝わらない。
言い出す前から、みあおはとっくにその気だったのだ。そのつもりで、昨日からしっかり『お泊りセット』だって準備済みだ。
これで相手が本当に消えるまでの様子をこの目で見ることができるとみあおはわくわくしながら何時に向かうということや自分の外見特徴を相手に伝えた。
こうなったら一刻も早く相手の家へ行き消えていく様子を観察したい気持ちがみあおの心を占めていた。
「友達の家でお泊りパーティやってくるね!」
何時頃に行くということを相手に伝え、みあおは家の者にそう言ってから早速その家へ向かうことにした。
教えられた住所はマンションの一室だった。高級マンションとはいえないが家賃はそこそこ高そうだった。
呼び鈴を押してしばらく待つ。
待っている間、そういえば相手は両足がないはずだけど這って扉が開けられるのかな? などといろいろ想像を逞しくしていると、扉の向こうから声が聞こえた。
「誰?」
「みあおだよ、遊びに来たよ!」
まるで友達の家にでも遊びに来たような言葉に、相手は警戒する気配もなくなにやらごとごととしばらく手間取っていた後、ようやく扉が開かれた。
「こんにちは!」
「こんにちは、こちらじゃ初めまして」
そう言って無警戒に笑顔で挨拶を返してきた男は何処にでもいる若者にしか見えなかった。
だが、よろしくと差し出されたものを見て、みあおはきょとんと尋ねる。
「手は?」
「え?」
そう言ってから、男は自分が差し出したほうの手を見たが、それは叶わないことだった。
男の左腕は肘から先がふっつりと消えてしまっていたからだ。
「消えてたみたいだ」
ようやくそのことに気付いたらしい男はそんな呑気な言葉をみあおに返した。
4.
「ほんとに消えてるんだねー」
感心したような興味津々といった空気は一切隠さずみあおは床に座っている男の様子をしげしげと観察した。
ネットでのやり取りで聞いていた通り、男の両足、そしてさっき気付いたらしい左手は消えてしまっていたが、物理的なもので切断されたような痕跡はなく、まるで溶けてしまったように傷らしきものも見当たらない。
腕を掴んでみあおはしげしげと眺めてみたが、最初からそんなものはなかったかのように先端は滑らかなものだ。
「みあおちゃんだったよね、何か飲む? あー、でも俺はこんなだから用意ができないな」
どうやら本人はのどの渇きも忘れてしまっているのか苦にはならないようだが、流石に幼い来客に対してのもてなしの気持ちは失われていなかったらしい。
「大丈夫だよ、ちゃんと準備してきたんだから」
そう言ってみあおは笑いながら泊り込みのために準備してきたものをいろいろと並べて見せた。
中にはジュースやお菓子もしっかりある。家族に言ったことは嘘ではなく、みあおにとってはちょっとしたお泊りパーティのつもりだった。
「そういえば、お兄さん名前聞いてないけど覚えてる?」
「小林」
「小林何?」
「……あれ? なんだったっけ」
どうやら名前さえも忘れてしまっているらしいと気付いてみあおは早く泊まりに来て良かったと思った。
この調子で身体と共に様々なことも消えてしまっていたら、みあおとのやり取りや約束も忘れられかねない。
「じゃあ小林で良いや。小林はなんで自分が消えていくことになっちゃったと思う?」
持って来たペットボトルのジュースを飲みながら、みあおは遠慮なく気になることを尋ねていくことにした。
「なんでって言われてもなぁ、なんでだろ」
呑気にそんなことを言っている小林のほうは原因にさして興味がないようだ。
霊気や因果といったものがみあおには『視える』のだが、この部屋に訪れたときもいま小林を目にしてみてもそれらしき原因は見当たらない。
「うーん、霊障とかが原因じゃないのか」
「レイショウ? ああ、怪奇現象か何かのこと? そういうの全然興味なかったんだよね」
「やっぱり原因は小林にあるんじゃないかな」
「そうなのかな」
ふたりが話しているのは消えていくことの原因についてが主だったが、当の小林本人はいたって呑気で悩んでいる空気は微塵もなく、みあおのほうも好奇心で尋ねているだけなので内容はともかく部屋の雰囲気は雑談をしているようにしか感じられない。
「小林は友達いないんだよね?」
「うん、あまりいなかったな」
「友達にはなんて呼ばれてたの?」
「小林」
その答えに、みあおはぴんときたように尋ね返す。
「ねぇ、小林のこと名前で呼ぶ人っていなかったの?」
「名前? 親くらいじゃないかな。でもひとり暮らしして長いし、名前で呼ばれるのって苦手だったんだよね」
「それだ!」
突然のみあおの言葉に、呑気に話していた小林は驚いた顔をした。
「なにが?」
「原因のひとつはきっとそれだよ。小林が『あってもなくても良いや』って思ったことが最初に消えちゃってるんだよ」
思えば最初は足の小指がなくなっていたのが小林が『消えていく』ことに気付いたきっかけだったはずだが、そのときにも彼は『あってもなくても同じようなもの』だと言っていたという。
不要と感じたものが徐々に消えていき、本来なら大切だったはずのものさえも連鎖して消えていっているのではないだろうか。
だが、それでも最初にそれが消えた原因がまだわからない。
「うーん、いらないと思ったから消えたか。そんなこと考えてもみなかったな」
「何か原因とかないの? なくても一緒って思われたからって小指が勝手に消えていったわけじゃないんだし」
みあおの言葉に小林は少し考えている顔をしてみたが、すぐに肩を竦めてしまった。
覚えていないほど些細なことだったのか、それともその原因も消えてしまったかのどちらかなのだろう。
「でも、そう考えると身体全部が消えていくっていうことは、足の小指みたいに俺自身のこともいてもいなくても一緒って思うようになったからかもしれないな」
思いついたように小林はそう呟いたが、その言葉に暗いものはない。
「小林が自分のことが大事だって強く念じたら止まるかも?」
「うーん、そういうものかな」
考えてはいるようだが、小林に焦りのようなものは見えなかった。この事態を完全に受け入れてしまっていて、今更変えようという意思はないらしい。
そして当人がそのつもりならみあおも殊更小林が消えないで済むように力を貸すつもりもない。
ジュースを飲みながらお菓子をひとつ口に放り込んだとき、みあおはようやくそれに気付いた。
「あれ? 小林、反対の手は?」
その言葉に、小林本人もそのことに気付いた。
「消えてるな」
小林の右手はいつの間にか消えてしまっていた。
5.
目の前で消えたというのにそれを見ることができなかったことがみあおには非常に悔しかった。
実際にこの目で消えるところを見るつもりでいたのに、少し目を離した隙を突いたように消えられるとは思ってもみなかった。
「今度消えたときはちゃんと見るんだから」
悔しそうにみあおがそう言っても当の小林のほうは呑気な様子のままだった。
「うーん、でも次辺りが最後かもな」
「最後って、全部消えるってこと?」
「そういうこと。だから、次が見る最後のチャンスだろうね」
そんな風に言われてしまってはみあおは泊まる気でいはしたものの、のんびり寝ることもできそうにない。
寝ている間に小林が全て消えてしまっては何の確認でも体験もできないままだ。
しかし、小林のほうはというと、そんなみあおの考えに気付いているのか呑気なまま口を開く。
「みあおちゃんは俺が消えていくのを直に見たいんだろうけど、消える瞬間っていうのは見れない仕組みなのかもしれないよ」
「なんで?」
「だって、見てるってことはそこにそれが在るってことを誰かが認識してるってことだろ?」
その言葉にみあおは頷いてから、小林が言いたいことがなんとなくわかった。
「えっと、最初になくなったのもあってもなくても良いやって思ってた場所だし、さっき手が消えたときも小林もみあおも手のことなんか気にしてなかったときだから、誰かが気にしてる間は消えないってこと?」
それではみあおが消えていく現象をこの目で見ることは叶えられないことではないか。
不満そうにみあおがほおを膨らませてみせても小林は困ったなという顔をするだけだった。自分に文句を言われても困る、ということだろう。
目を離した好きに小林は消えてしまうかもしれないが、それではみあおがわざわざ見学に来た意味がない。だが、じっと目を凝らしていては小林がいつまでも消えないということではそちらもみあおの目的は果たせない。
「しかたないよ。消えた瞬間は見えなかったけど消える現象は見れたんだから我慢しないと」
まるで他人事のようにそう小林に言われてもみあおは納得できそうになかった。
なんとかして消える瞬間を見えないだろうかと懸命にみあおは小林の動向から目を離すまいとしていたが、長い間そうしていれば疲労も溜まってくる。
小林の家にやって来てどのくらい時間がたっていただろうか。窓から入ってくる日の光は徐々に弱まっていき部屋の中が暗くなる。
先に明かりをつけておけば良かったと思いながら、みあおは立ち上がって部屋の明かりのスイッチを探した。
ぱちん、とスイッチを入れる。途端、明るい光が一瞬みあおの目を眩ませた。
気を抜いていたのはその一瞬だけだ。
「小林?」
返事がない。みあおは慌てて小林がさっきまでいた場所を見た。
小林の姿は何処にも見えなかった。
「ちょっと! ほんとに少し見てなかっただけで消えちゃうなんてずるい!」
結局また消える瞬間が見えなかったことにみあおが悔しがっても返事をするものは誰もいなかった。
あれからみあおは部屋の中を勝手にいろいろと見て回った。
写真らしきものがいくつか見つかったが、小林がいたらしい部分はぽっかりと空白になっている。
消えたのは身体だけではなく存在そのものなのだろうか。そんなふうにみあおは考えてみた。
考えてみて、初めて小林の顔がどんなものだったか明確に思い出せなくなっていることにみあおは気付いた。
さっきまで此処にいて談笑していたはずの相手の存在が確認できなくなっている。
本当に小林という男がいたのか、それともそんな男は最初からいなかったのか。
「小林って、もしかして幽霊だったのかな」
そう呟きながらみあおは主が消えてしまった部屋を出て行った。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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1415 / 海原・みあお / 女性 / 13歳 / 小学生
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■ ライター通信 ■
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海原・みあお様
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
消えていくという奇怪な現象に対して興味津々で元気なみあお様の様子に、投稿主のほうの性格も随分と呑気なものとなってしまいましたが如何でしょうか。
消えていく瞬間は残念ながら見れないままでしたが、お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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