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スクランブル・ハート
「にゃあ」
聴こえてきた可愛らしい声に、まれかがピクンと肩を震わせた。そのまま立ち上がって玄関の扉を開けると、先日追いかけっこをした野良猫が、ちょこんと玄関先に居座っている。
「サナ、サナぁ!! 見てっ、ほらぁ、あの猫!」
「はぁ? ……うっわ、ここまで来てやんの」
「きっと、このコもまれかと一緒で、紗名のこと気に入ったんだぁ」
――つい先日。
まれかが猫と追いかけっこをして以来、なにかとその時の猫が彼垣家の玄関先へと遊びに来るようになっていた。
一体何が気に入ってここへやってくるようになったのか紗名にはわかりかねたが、それでも何にだって嫌われるよりはマシだというものである。
たとえ、興味が無かろうとも。
何より、まれかが嬉しそうに猫を抱きかかえて鼻歌を歌ったりしているものだから、紗名もそれを咎められずにいる――というのが、現状ではあったのだけれど。
「にゃあ」
「かわいい〜! にゃあ、にゃあ!」
「にゃ」
「えへへぇ……」
ポロンポロンとギターを鳴らしながら紗名はチラリと、はしゃぐまれかへと視線を向けた。
猫の鳴き声に合わせて、にゃあにゃあと口にしている少女は、とても楽しそうで、意識は腕の中の猫に集中しっぱなしのようだった。
――いや、別に。面白くないわけじゃないけどな!
一瞬ギターを奏でる指が止まった自分に、紗名は慌てて心の中で言い募る。
面白くないわけじゃない。
第一そんな理由も――ない、はずだ。少なくとも、今の紗名にとっては。
別に、まれかが猫に夢中だろうが、他の誰かに夢中だろうが、俺に何の関係があるってんだ。
そう思ったというのに、
「犬のほうがいいじゃん。言うこと聞くし、主人に忠実だしさ」
思わず紗名は、そんな風に口を開いていた。
――いや、別に。本気でそう思ったから言っただけだけどな!
自分の発言に、どこか言い訳めいたことを心中で呟いていると、やがて、まれかがキョトンと紗名を見つめた。
「……な、なんだよ」
まれかの目にキラキラと星が灯ったような気がして、紗名はぐっと息を呑む。
まずい。この展開はまずい。
「サナぁ、もしかしてぇ」
――ほら、来た!
「この猫ちゃんに、嫉妬してるのぉ?」
「するかッ!」
猫を抱えながら、ほくほくとした笑顔で語りかけてくるまれかに、紗名は冗談じゃないとばかりに言い放つ。
手にしていたギターを置いて、大体なぁ、と口を開いた。
「どうしてそこで、嫉妬になるんだよ。
俺はただ、犬のほうが好きだって言っただけだろ」
「えー、だってぇ、なんだかサナ、詰まらなさそうだったから……。
まれかがサナに構ってあげないから、サナぁ、寂しくなったんでしょぉ?」
「にゃ」
えへぇ、と頬を染めて摺り寄って来るまれかと、少女の声に応えるように鳴く猫に、紗名は「ちがあう!」と声を上げる。
「猫も『にゃ』じゃねぇええ!
とにかくっ、俺は猫より犬。犬派!」
「ぶぅ〜。サナ、つまんなぁい!
だったら、まれかはぁ、猫派だもんっ。猫のほうが、追いかけたくなるもん。
ちょっと気まぐれでぇ、かーわいいの」
「気まぐれなんて言うこと聞かないし大変なだけだろ。絶対犬だね!」
「ねーこ!!」
「いーぬ!!」
お互いムキになってしまえば、加速するのにはすぐだった。
犬だ猫だと言い合って、間に猫が「にゃ」と言ってみたり、まれかが紗名にタックルを食らわせてみたり、そのせいで紗名がぐったりしてみたり、途中そんなこともあったりなかったりしてみた、が――。
「もうっ!」
最終的には、膨らませた頬から「ぶふぅ〜」と空気を抜いたのは、まれかの方だった。
◇
「もぉ〜。サナは我儘なんだからぁ」
そう言って、まれかに頭を撫でられたのがほんの数分前。
紗名は相変わらず猫とじゃれるまれかを、どこかぼんやりと見つめていた。
まれかと一緒に住むようになって、気がつけば大分経っている。
つい先日も、まれかがいなくなったんじゃないかと思って随分落ち込んだ――認めたくは無いが――のは事実だ。
――いや、決して、決して俺はロリコンじゃないけども!!
そうやって否定しているのを、最近むなしいだなんてこれっぽちも思っちゃいないけど! いないけどな! ほんとにな!!
焦点の合わない瞳に慌てて渇を入れて、違う違う! と首を振ってみる。
「サナってねぇ、照れやなのぉ。ね〜」
「にゃ〜」
けれど、視線は再び、楽しげに猫と会話? しているらしい少女へと向かっていく。
ちょっと、想像してみようか。
もしもまれかが紗名と同じ年くらいで、それで、本当に恋人だったとしたら。
紗名のことを心の底から好きだといってくれて、バイトから帰宅したらいつもご飯が出来てるくらい家庭的で、シンガーになりたいという紗名の夢を馬鹿にせず、それどころか応援してくれて、しかもかなり可愛い。
「……」
悶々と、紗名の頭の上に想像図が描かれていく。
白いエプロンなんかしちゃって。
ときには可愛いネグリジェなんか着ちゃって。
やってくるわけだ、紗名の元に。目をキラキラさせながら。
『おかえりなさぁい、サナぁ!』と、帰宅直後に抱きついてくるまれか(仮24歳)。
『サナぁ、絶対夢は叶うから! まれかぁ、サナのこと、ずっと応援してるからぁ!!』とお玉片手に摺り寄って来るまれか(仮24歳)
『ねぇ、サナぁ……。まれかねぇ、一人で寝るの、怖いのぉ……』と枕を抱き締めて以下暗転まれか(仮24歳)
「……なんてこった!!!!」
「きゃあっ!?」
紗名が衝撃の表情で出した声に、まれかが思わず肩を弾ませた。
「な、なんてこった……て、ふえぇ……ど、どぉしたの……?」
腕の中の猫と共に、訝しげに視線を向けるまれかを気にせず、紗名はわなわなと震えた。
おそらく背後にベタフラでも背負ってそうな雰囲気で。
目なんか白目になっちゃってそうな表情で。
――なんてこった! かなり好みじゃないか!!!!
今頃気がつく驚愕の事実。
呆然と遠くにあるまれかの想像図を眺めるようにしながら、紗名は胸をときめかせる。
24歳の男として、これほどまで羨望されそうな状況があるだろうか。
答えは否だ。
まれかがそれなりの年齢でさえあれば、こんな美味しい状況はまずない。ない。あり得ない!
「……ナ。サナ」
「………」
「サナぁ!」
「――うわっ!!!」
ぼんやりとしていた眼前に、まれかの顔がアップになって、紗名は思わず声を上げた。
頭の上に沢山のっかっていた、想像の中の24歳まれかが一瞬にして散っていった。
「ま、まれか!」
「?? サナぁ、どうしちゃったのぉ…?」
「にゃ〜」
まれかと猫が、心配げに紗名の顔を覗き込んでいる。
――少女の、まれかの、顔が。
「……」
「……サナ??」
これが、理想と現実って、やつですか。
「うおぉおおおお……!!」
唐突に泣き崩れる紗名に、まれかが慌てて近寄ってくる。
「さ、サナ!? ど、どうしたのぉ!?」
「違う、違うんだああああ……! 今のはナシなんだぁ……!」
「サナぁ……!?」
「にゃ、にゃあ?」
――こうして。
この日の終わりは、サナの地の底からの声で締めくくられた。
ますますドツボにはまっていく紗名と、そうとも知らずにのほほんと暮らすまれかの生活は、まだまだ続く――のかも、しれない。
- 了 -
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