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<東京怪談ノベル(シングル)>


久美子ただいま、奮闘中!

 ここはどこにでもあるファミリーレストラン。
 ちりんちりん、と客が入ると鈴が鳴る。なんとも風流なファミレスだった。
「いらっしゃいませー!」
 元気のいい声が聞こえてくる。
 足早に、肩までの黒髪をツインテールにし、眼鏡をかけた女性が歩いてきた。
「お客様、2名様でよろしいでしょうか?」
「うん」
「お煙草はお吸いになられますでしょうか」
「はい」
「ではこちらの席でお願い致します」
 眼鏡のウエイトレスはてきぱきと客を席まで案内する。
「メニュー表はこちらになります。ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンを押してお知らせくださいませ」
 にっこりと笑う、いい笑顔。
 そして彼女は一礼し、次の作業のために次の作業のためにと足早に店内を歩き回るのだ。

 川添久美子、28歳。このファミリーレストランのウエイトレス。
 明るくはきはき元気よく。てきぱき無駄なく止まらずに。
 久美子はもうベテラン。ウエイトレスとして一級、フロアチーフではないがリーダー格だと認められていた。
 席番表示版は常に注目し、またすべての席に神経を張り巡らせ、どこかで問題がないか、待たせていないか、すべて把握する。
 あ、あの席待たせているわ。
 別のフロアの子に「急いで」と頼む。
 あ、あの席煙草を取り出しているのに灰皿が置いてない。
 急いで客も自由に取れる灰皿置き場から1枚抜き、そのテーブルに置きにいった。
 ふと、ある席に呼ばれ「注文だわ」と思いながら久美子は素早くその席へ行った。
 その席にいたのは、常連客だった。
「――はい、ご注文繰り返させて頂きます。ぴりからカレーライスがおひとつ、ハンバーグセットがおひとつ、エビドリアがおひとつ、シーザーサラダがおふたつ、ドリンクバーがみっつ、以上でよろしいでしょうか」
 いつも仕事の休憩時間に、お昼を食べに来る男性客だ。
 彼らが注文の繰り返しにうんとうなずくと、久美子は笑顔で、
「ではしばらくお待ち下さいませ」
 と言った。
 すると、客の1人が、
「あんたの声は聞きやすくていいよ」
 と笑みを浮かべて言った。
 久美子は改めて微笑む。
 ……ここまでくるのに、ずいぶんかかった。
 ウエイトレスを始めた頃には、注文の繰り返しが中々言えず猛特訓したものだ。あいうえおあお。かきくけこかこ。何度も何度も、口の中の感覚がおかしくなるくらい練習した。
 そのおかげで、今は声優にも負けない滑舌だと自負している。
 自信は、大切なものだ。――笑顔でいるために。
 ――また、新しく席番の電灯がついた。
 さっき一度ついた席番だ。お客様は入れ替わってないはずだから、今度は追加注文かな、そう思いながら久美子は歩く。
 こういう勘も、長年のウエイトレス業で培ったものだった。
 追加注文で呼ばれるか、クレームで呼ばれるか、どっちなのか……

 料理を運ぶのもウエイトレスの当然の仕事である。
 両手に何枚もの皿を抱えるのはお手の物だ。
「クラムチャウダーのお客様」
「ビーフシチューのお客様」
 危なげなく持った皿を、客の前にするっと置く。
 フロア仲間では名人芸と呼ばれる技だった。
 注文の品が届こうとも、嬉しそうな顔ひとつしない客だっている。
 けれどそんな時だって、久美子は忘れない。
「ごゆっくりどうぞ」
 その一言と、笑顔を。

 お昼の時間が少し過ぎて、客足も途絶えてきた頃――
 パフェを作っていた久美子に、新人が泣きそうな顔でかけつけてきた。
「川添さん、クレームです……」
 小さな声で囁かれる声に、「そう」と久美子は新人を慰めるかのような笑顔を返す。
「あたしが行ってくる。元気出して」
「15卓です」
「OK」
 久美子はパフェ作りを新人に任せ、すぐさまそのテーブルに向かう。
 親子連れだった。子供は8歳くらいだろうか。その隣に座る母親は鬼の形相だ。
「お待たせしました、御用は――」
「ちょっと、ここの店どうなってんの!」
 店内に響き渡るような声。
 クレームおばさんによくあることだ。ファミレスではクレームは致命的な汚点だが、久美子は耐える。
「おこさまカレー。何でこんなに熱いのよ! この子舌を火傷しちゃったわよ!」
「申し訳ございません、お客様」
「謝って済むと思っているの!」
 この子の医者代払ってもらうわよ。ついにそんなことまで言い出した。
 舌を火傷したくらいで医者になんか通うことはないだろうに。
 ただ頭を下げるしかない久美子に、
「大体あなた? 主任さんなの?」
「いえ、わたくしではございませんが、主任は今日はお休みでございますので」
「まあ! こんな大変な時にいないなんて怠け者の主任ね。クビにしてしまいなさい。それからあなた」
「はい」
「スカートが短すぎるわよ。それで男性客でも引っかけるつもり?」
 久美子は唖然とした。――スカートの丈など、ただの制服規定だ。
「まあ、引っかけたくても」
 おばさんは嫌味ったらしくじろじろと久美子を見て、
「その歳じゃあもう見向きもされないでしょうねえ」
「………」
 28歳になっても独身。気にしていることをつかれた。
 思わず唇を噛みしめそうになったが、神妙な顔を崩すわけにはいかなかった。
「大変申し訳ございません。料理長に厳しく申し付けておきますので」
「あなたでいいの? 頼りないわね。料理長をお呼びなさい!」
「……分かりました」
 久美子をけなすだけけなして、結局料理長を呼ぶ。
 久美子は厨房へ向かいながら、ひそかにため息をついた。

 このレストランの料理長は男前だ。そのおかげで、クレームおばさんたちも喜んで料理にクレームをつけてくる。
(困ったものだわ……)
 料理長が悪いわけではない。それは分かっているのだ。
 問題は客のモラルで。
 案の定、たった今まで久美子を叱り飛ばしていたはずのクレームおばさんは、料理長を前にして叱るのではなくべたべたとねちっこく引っ付いている。
 フロアのモラルが低下している店には客はこないが、客のモラルが低下している店にも自然と客がよりつかなくなる。
 客のモラルを保つのも、店の責任だとマニュアルには書いてあるけれど。
(……あーあ)
 真似できるものなら真似したい。そんなことを思ってしまって、自己嫌悪に陥る。
 実は料理長には、久美子も憧れているのだ。
(……でも、公私は分けて!)
 よし、と気合を入れてフロア作業に戻ろうとした時。
 ぽん、と肩を叩いてきた存在がいた。
 見ると、客に料理を運ぶ途中だった歳下の青年、フロア仲間だった。
「元気出して。久美子さんの接客、俺好きですよ」
 小さな声で彼は囁いてそのまま通り過ぎる。
 久美子は一瞬ぽかんと動きを止めてから――
 やがて、その顔に笑みを浮かべた。――無理することなく。
 何ていい仲間なんだろう。
 あたしは恵まれている。しみじみとそう思う。
 笑顔、笑顔。取り戻さなくっちゃ。
 違う。もうもらったんだった。
 頑張ろう、もっともっと頑張ろう。
 自分も彼らにとって、『いい仲間』でいられるように!

 久美子は笑顔をふりまく。無償の笑顔を。
 元気をふりまく。皆に移るような元気を。
 明るさをふりまく。大輪の華のような明るさを。
「だって、あたしはこのファミレスが大好きだもの!」
 にっこり笑って仲間たちにも向ける顔――

 にっこりと笑って、仲間たちが返してくれる顔――

 笑顔と元気と明るさと。花丸合格問題なし!
 28歳川添久美子、ただいま大好きな職場で奮闘中!


 ―FIN―