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<東京怪談ノベル(シングル)>


「花を買う少女」

「あーあ。こんな天気じゃ、お客さんも来ませんよねぇ」
 降りしきる雨、どんよりと曇った空を見上げ、一条・里子は退屈そうに独りごちた。
 パートで勤める花屋の店主が所用で外出のため、本日は彼女が一人で店番である。だがあいにくの空模様のため、朝から客足はさっぱりであった。
「あの……お花、ください」
 心なしおどおどした細い声が、店先からかけられた。
「どうもいらっしゃいま……せ?」
 いつものように明るく応対しかけた里子の眉が、訝しげにひそめられた。
 そこに立っていたのは、黄色いフード付きレインコートを目深に被った小さな子どもだった。声からして、おそらく五、六歳の幼女だろう。
(この子……人間じゃない?)
 家では夫や娘と暮らす平凡な主婦である里子だが、同時に彼女は過去幾多の心霊事件を解決してきた優秀な霊能力者でもあった。
 そして今、店先にいるのは一見何の変哲もない小さな女の子だが、里子の霊感は少女が明らかに「この世のモノ」ではないことを告げていた。
 ただし、妖魔や怨霊といった邪悪な気配はまるでない。幼い霊はしばしば無邪気さゆえに霊障を引き起こすこともあるが、この子からはそんな危険も感じられなかった。
(なら……無理に除霊する必要もないですね。普通にお客さんとして接してあげましょう)
「どんなお花が欲しいんですか?」
「あのね……仏さまに上げるお花」
「お仏壇にお供えするんですね? 少々お待ち下さい」
 里子は店の一角に備えられた仏花コーナーのバケツから、予め白菊をメインにアレンジされた花束を取ってきた。
「はい。五五〇円になります」
 ぎこちなく少女が差し出してきたのは、かなり古びているが本物の千円札だった。
「お嬢ちゃん、このお店初めて?」
「いつも買ってたお店がつぶれちゃって……お花屋さん、さがしてたの」
「そうなの……じゃあ、またいつでも来てね」
 仏花と釣り銭を渡すと、少女はペコリを頭を下げ、店を出て行った。
「毎度ありがとうございましたーっ!」
 歩道の彼方へ去りゆくテルテル坊主のような後ろ姿を見送りつつ、里子はふと引っかかるものを感じた。
 少女の霊じたいは、確かに邪なものではなかった。しかし彼女が立ち去った後の空間に、ほんの微かではあるが、里子を不快にさせる気配があったのだ。
 あたかも残り香のごとく、黒く禍々しい妄執の念が。

「五、六歳くらいの小さな女の子が、連続して行方不明になっているらしい」
 里子がその噂を耳にしたのは、それからひと月ほど後のことだった。
 娘が通う神聖都学園においても、幼稚園部の女児数名が失踪しているという。
 噂によれば、子どもたちが姿を消すのは決まって雨の日。だが肝心の目撃者がいないため、事故か誘拐か変質者の犯行か、警察でも困惑しているという。
(雨の日……小さな女の子……)
 いつもどおり家族で楽しい夕餉の食卓を囲みながら、里子は内心穏やかでなかった。

 それから三日後、再び空は灰色の雲に覆われ小雨模様の一日となった。
 夫には「今日は帰りが遅くなります」と携帯で連絡すると、花屋を出た里子は愛用のワインレッドの傘を差し、失踪が多発している住宅地に向かった。
 彼女とて、望んで心霊絡みのトラブルに関わっているわけではない。時に友人知己の依頼で除霊を行うことはあっても、できればごく普通の主婦として、平和に暮らしていきたい。
 だが、今回ばかりはわけが違う。霊能力者以前に一人の母として、己の娘を含む街の子どもたちを悪しき存在から護る決意で立ち上がったのだ。
(さてと、「霊感主婦りっちゃん」出陣と参りましょうか――)
 普段は意識的に閉じている霊的回線を開放し、周囲の気配を探る。やがて雑多な低級霊のノイズに混じり、記憶に新しい霊気の波動を察知した。
 見覚えのあるレインコートの幼い少女。そして彼女に腕を引かれ、魅入られたようについていく同年配の女の子。
(どこに行くつもりかしら……?)
 こっそり後をつけると、たどり着いた場所は、霧雨の中に煙る無人の廃アパート。錆びた鉄階段を昇り、少女たちは二階の一室へと消えていった。
 あのアパートの噂は聞いている。何でも、最後の入居者だった男性が五年ほど前に自殺してから借り手もつかず、近々取り壊すという話だったが――。
 二人が入った部屋の扉を見ると、入り口前の廊下にしおれた菊の花束が供えられていた。
 間違いない。あの日、里子が少女に売った花だ。
 力任せに扉を蹴りつけると、元々安普請だったのか、鍵が壊れてあっさり開いた。
「な……何です? これは……」
 六畳一間の室内狭しと、失踪した幼女たちが横たわっている。手近にいた一人に駆け寄ると、どうやら単に眠らされているだけのようだ。
〈誰だおまえは? 大人の女に用はねえぞ〉
 里子は顔を上げ、「声」の主をキッと睨み付けた。
 天井からロープでぶら下がった、中年男の首吊り死体。青黒く膨張した顔に半ば飛び出した眼球、ダラリと伸ばされた舌が顎の辺りまで垂れている。
 いや、死体ならばとうに片付けられているはずだ。
 そこにいたのは、五年前に自殺した男の地縛霊だった。
「そうやって死ねば……辛い現実から逃げられると思ったのですか?」
 自殺者の魂に安息などない。彼らは自らが命を絶った同じ場所で、永遠に同じ苦痛を味わい続けるのだ。
「貴方の苦しみは自業自得です。子どもたちに何の怨みがあるんですか?」
〈怨み? 勘違いするな。俺はただ……自分の娘を取り返したかっただけだ〉
 呪詛の念と共に、男の生前の記憶が断片的に里子の意識へと流れ込んできた。
 酒乱とギャンブル癖が原因の離婚。
 裁判の末、当時五つだった娘の養育権は母親に委ねられ――。
「待って下さい! それじゃあ、あの子はいったい……?」
「アレは……離婚したすぐ後に、せめて娘の身代わりにと思って買ったんだ。初めのうちはずいぶん可愛がったもんだが……所詮人形は人形。娘の代わりにゃならねえ」
 ――ガシャン!
 物音に振り返ると、あの少女が床に倒れていた。レインコートからはみ出た白く細い腕は、白磁でできた球体関節。
「何てことを……たとえ人形さんだって、一度人に慈しまれた物には魂が宿ることもあるのですよ! 現にあの子は、貴方を弔おうとお供えの花まで――」
「知ったことか。とにかく俺はここから動けねえから、アレを使って娘を連れ戻す。たとえ東京中のガキをさらってもな!」
 完全に精神が破綻している。実の娘なら既に成長して幼女ではないはずだが、今の男にそれを説明しても理解さえできないだろう。
「……許しません!」
 もはや里子の怒りは頂点に達していた。
 掌を広げて前方に突き出すと、縊死体の姿を保っていた男の霊が、彼女の霊力によりみるみるうちにテニスボール大の黒い人魂へと圧縮される。
「うぎゃああ!? ま、待て! さらった子どもはみんな返すから――」
「問答無用です!」
「ギエエェーッ!!」
 地縛霊は里子の掌で握り潰され、砕け散って現世から消滅した。
 急いでレインコートの娘を抱き起こすと、フードが外れ、おかっぱの黒髪と市松人形の白い貌が露わになった。
〈あたし、ただお父さんの役に立ちたかったの……でも、お父さんは……〉
 それを最後に、人形の意識もぷっつりと途絶えた。
「ごめんなさい! 最初に会ったとき、私が気づいてあげられれば……!」
 魂を喪った少女人形を抱き締め、里子はその場に泣き崩れた。

 その後、眠らされていた子どもたちも徐々に意識を回復していった。里子が匿名で通報した警察に保護され、全員無事に家へ帰されたという。
 そして里子自身は、あの少女人形を持ち帰り、家族にも内緒でそっと供養してやった。
 思えば、孤独のうちに自殺した男にも一抹の哀れはある。
(なぜ、死を選ぶ前に気づかなかったのでしょう? たとえ人でなくても、自分を愛してくれる誰かがすぐ傍にいたことを……)

 それから数週間後――。
「あの……ごめんください」
 いつものように花屋で店番をしていた里子に、一人の少女が声をかけてきた。
 どこか見覚えのある、おかっぱ頭の可愛らしい女の子だ。
「あ、いらっしゃ……え? 貴方は!?」
「あのときは、ごめんなさい。それと……ありがとうございました」
 少女はペコリと頭を下げ、同時に幻であったかのように消え失せた。
(今度は人に生まれ変わって……きっと幸せになってくださいね)
 晴れ渡った青空を振り仰ぎ、里子は優しげに微笑んだ。

〈了〉


【登場PC】
 整理番号:7142 PC名:一条・里子(イチジョウ・リコ)

【ライター通信】
 はじめまして! 対馬正治です。今回のご依頼、誠にありがとうございました。
「そこにいるだれか」「切ない話」をテーマに心霊話を……とのご要望でしたので、その点を踏まえつつ、ライターお任せの部分はかなり自由に楽しみながら書かせて頂きました。こういう「現代怪談系」のお話は個人的にも大好きですので。
「霊感主婦りっちゃん」、平凡な主婦としての日常性と、霊能力者として闘いに赴く際の凛々しさのギャップが非常に魅力的ですね。もしご縁がありましたら、いつかまた彼女の活躍を書いてみたいな……などと思っております。
 では、ご意見・ご感想などお聞かせ願えれば幸いです。