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<東京怪談ノベル(シングル)>


Cacophony

 どれぐらい振りにここに来たのだろうか。
 疲労困憊した頭で考えながら、黒 冥月(へい・みんゆぇ)は、とぼとぼと午後の街を歩いていた。すれ違う人たちは、皆冥月の姿を見ては、うさんくさそうな目をして振り返る。
 仕方あるまい。
 疲れた顔にすり切れた服。その足で大通りから小路を一本曲がると、蔦の絡まった三階建てのビルに木の看板が見えてきた。
 蒼月亭。
 その店の前で掃除をしている立花 香里亜(たちばな・かりあ)を見て、冥月がほっとしかけると、顔を上げ目が合った香里亜は、一瞬不快そうに眉間に皺を寄せると、パタパタと慌てて店の中に入ってしまった。
「あっ……」
 無論呼び止める暇などない。
 仕方なく入り口に向かうと、プレートは「Closed」にされていて、鍵までしっかりとかかっていた。
「お、おい」
 別にそんな事をされても、入ろうと思えば影を伝っていくらでも入れる。だが冥月はそうせずにドアに背を向けている香里亜に向かいノックをする。
「開けてくれないか?」
「………」
 返事はない。
 もう一度ノックをし、溜息混じりに呼び掛ける。
「何を怒ってるんだ。他の客に迷惑だぞ」
 すると不機嫌そうな声がドア越しに響く。
「……別に。今は私一人でお店番ですし、お客様は誰もいません」
 タイミングがいいのか悪いのか、店内には客もいないようで、どうやらマスターも出払っていて留守らしい。他に客が来てくれれば……とも思うが、当たりを見渡しても人の気配もない。
 何となく、香里亜が怒っている理由に見当はついていた。
 二週間ほど一切外部と連絡の取れない状況で、自分でさえ疲労困憊し命を落すかも知れなかった、かなり危険度の高い仕事。敵に香里亜の居場所を知られたくないので、連絡を絶っていたのだが、多分それのせいなのだろう。
 少し前に、冥月は香里亜と約束をした。
 勝手に、どこかにいなくなったりしないと。
 二週間も連絡を寄越さないのなら、黙っていなくなったと思われても仕方がない。溜息混じりに天を仰ぐと、空はどんよりと低く雲がかかっている。
「……仕事だったんだ」
 そう言った瞬間だった。カチャ……と鍵が開き、表向きいつも通りの香里亜がこう言う。
「そうですか……と言うか、普通にそうですよね。どうぞ」
 いっそ、責められた方が楽だったかも知れない。
 ドアは開いたが店の中にはいつもかかっている曲もなく、何だか重苦しい雰囲気が漂っている。久しぶりに会えた嬉しさで抱きつこうとするも、香里亜は猫のようにするっとカウンターに入ってしまう。
「いつものブレンドでよろしいですか?」
「あ、ああ……急な仕事でな。連絡する前に敵に携帯は壊されるし、現地では傍受されてて、連絡もさせてもらえなかった」
 何に言う訳でもなく呟くと、香里亜はじっと冥月を見て静かにこう言った。
「どうして冥月さんは、痴話喧嘩の言い訳みたいなことを言ってるんですか?」
「どうしてって……」
 それは、香里亜が怒っていると思っているからだ。
 でもそれを口に出してしまうのは、憚られるような気がした。確かに香里亜の言う通り、これではくだらない痴話喧嘩の言い訳のようだ。実際仕事だったのも、それが危険だったのも本当のことなのに、妙に上滑りして現実感がない。
 いつものようにコーヒーミルを用意して豆を挽きながら、香里亜は小さく溜息をつく。
「おはようから、おやすみなさいまでお互いメールし合うぐらいの仲ならともかく、普通に探偵さんとかやってるなら、二週間ぐらい連絡取れなくなるのは、割と普通ですよ。そんな事で怒っていたら、お店の仕事なんてやっていられません」
 やっぱり罵られたり、怒られたりした方が気が楽だ。
 普段通りにしてくれているように見えて、何だか妙に距離がある。いつものカウンターが高い壁のようだ。だから、どうしても冥月は言い訳めいたことを言ってしまう。
「危険だから、私も無理しなかったんだ」
「冥月さんが危険な仕事って、それは何だか恐怖の大王が寝坊してやってきたみたいですね。でも、そんな状態なら、誰だって安全が確保出来るまで無理はしませんよ」
 ボロボロの服と疲れた顔を見たのか、そっと温かいおしぼりが差し出された。
「でも、これでも終ってすぐ来たんだぞ」
 ……沈黙。
「……やっぱり怒ってるだろう」
 今まで冥月が見た香里亜の怒るところは、もしかしたらまだ本当に怒っていなかったのかも知れない。
 色々な表情を知っている気にはなっていたが、ある意味これはどんな態度を取られるよりも痛い。まるで針のむしろに座らされているようで、チクチクじわじわと痛みが染みてくる。
「もし私が怒っていたら、どうするんですか?」
「心配かけて悪かった。お詫びに何でもするから。香里亜の入れてくれた珈琲が早く飲みたいんだ」
 ガリガリとコーヒーを挽く音と、ねじ巻き式の時計の秒針の音だけが、店に響き渡った。
 時折大通りを通る車の音なども入ってくるが、静かすぎて耳が痛くなりそうだ。香里亜はゆっくりと時間を掛けてコーヒー豆を挽くと、同じように時間を掛けてコーヒーを入れ、香ばしい香りの立つカップをそっと冥月の前に出す。
「何でもとか、気軽に言わないでください」
「………」
 それは意外な言葉だった。
 湯気の立つコーヒーを前に冥月が黙っていると、香里亜はじっと真剣な表情で自分を見つめている。
「もし、ここで私が『前の約束はなしにして、二度と顔を見せないでください』とか言ったら、冥月さんはどうするんですか?別に、本当にそう言ったりする訳じゃありませんけど、約束ってのはそんな気軽なものじゃないんです」
 約束。
 つい「何でも」などと言ってしまったが、そんな事は絶対言われないだろうということを、自分は心の何処かで思っていたのではないだろうか。
 でも、もしそう言われてしまったら、自分はどこに行けばいいのだろう。
 どう答えていいのか分からず黙っていると、香里亜は最初に見せたように眉間に皺を寄せ冥月を睨みつつ、次の言葉を繰り出す。
「私が怒っているのは、お仕事ならお仕事で連絡が取れなかったって堂々としていればいいのに、変に私の顔色をうかがったり、お詫びに何でもするとか冥月さんが気軽に言うことなんです。私、そんなに子供ですか?」
 全部言い終わると、香里亜はふうっと大きく息をつく。そしてクッキーと一緒にケーキの皿を差し出すと、すん……と一度だけ鼻をすすった。
「さっきのは例えですから、本気にしないで下さい。あと、別にお詫びとかはいらないです……おかえりなさい」
 一言だけ言うと、香里亜はキッチンの方に引っ込んでしまう。
 冥月もそれを引き留めることが出来ずに、ぼそっとこう言うことしかできなかった。
「ただいま。本当に悪かった」
 悪かったのは……仕事で連絡を取れなかったことではなく、顔色をうかがってしまったこと。気軽に何でもするなどと言ってしまったこと。
 人の絆は切れやすい。それを痛いほど知っていたはずなのに、何処かで安心感を持ってしまっていたのかも知れない。
 コーヒーを飲みながら、冥月は小さく香里亜にこう言う。
「なあ、一つ聞いていいか?」
「なんですか?」
 くぐもった声が聞こえる。
「どうして、最初に私を閉め出したんだ」
「それは、冥月さんには内緒です」
 もしかしたら、本当はずっと連絡しなかったのを怒っていたのか、それとも何か別のことに対して思うところがあったのか。
 それを知る術がないまま飲むコーヒーは、何だかいつもより妙に苦い……。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
二週間連絡のなかった冥月さんを、香里亜が怒るということでしたが、かなり悩んだ末にプレをかなり弄って書かせて頂きました。ご了承下さい。
本来であればずっと扉越しにとのでしたが、そのまま行ってしまうと、かなり困った子になってしまうと言うのと、性格として、どちらかというとこちらの方に怒ると思い、カウンター越しの会話になっています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。