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<東京怪談ノベル(シングル)>


少女のレリーフ(番外編)


 その日、私はお姫様に出会った。

 駅から歩いて十分程のところに、小さな建物がある。個展会場であるこの場所は、私たち美術学校の生徒の間で「人が入れるおもちゃ箱」と呼ばれていた。
 建ってからさほど年月は流れていないこの建物も、風に舞う埃のせいで白い壁がややグレーがかっていたが――私の記憶の中ではいつだって新しいままだ。
 中学二年生の頃からここは私の癒しの場所になり、高校生になった今でもそれは同じだった。嬉しいときも悲しいときも、休みの日にはここに来て、色んな人たちが作った創作物を眺めていた。

「こんにちは。また来ちゃいました」
「あら、いらっしゃい」
 私より少し年上のお姉さんが微笑んで受付をしてくれた。
「タイミングが良いわね。今日は素敵なものを飾っている最終日よ。私たちが作ったやつなんだけどね、自信作なの」
「わ。楽しみ」
「よぉく見てあげてね。……じっくりとね」

 カツン、カツン。
 ここの床は本当に心地よい音がする。歩いているだけで心が弾んでくるみたいだ。
 見ていても何が描いてあるのだかわからない絵や、大きすぎて視界に入らないキャンバス、何故か上下逆に飾られた風景写真……。
 ありきたりで、でも変わっていて、人によっては宝物になったりゴミになったりするモノたち。それぞれがキラキラしている。
 “一番奥の、目立つところにあるからね。見ればすぐわかるわ……”
 胸が躍るのを抑えて歩いていくと――。
 息を呑んだ。

 青いサラサラの髪と長い睫―― 一糸纏わぬ姿で白い肌を晒している少女がいた。
 心の車輪に感情が飲まれていく、私は足を速めて少女に近づいた。自分より少し年下の少女が裸で座り込み、祈りを捧げている――そんな風に思えたからだ。
 だが近づいてみれば、白雪のような肌は石膏のためだと判った。考えてみれば当たり前だ。私と近い年の女の子が肌を晒せる訳がない。
「でも……」
 まるで生きているみたいだ。青い髪には生気が感じられるし、仄かに赤い少女の唇は、指で触れば柔らかく包んでくれそうだった。
 石膏のため胸はさすがに硬そうに見えるが、それは少女の肌を隠す鎧にも思えた。その石膏を剥ぎさえすれば、中からは温かみのある白い肌が艶かしく現れるような気がした。
 私は少女の周りを動き、見られるところは観察してみた。
 祈りを捧げている指先、腕に隠れがちな胸、完全に再現された小さくていくらか幼さを残したヘソ、それとは反対に大人びてきた太もも、細い足首……。
 ――本当に作り物なのだろうか?
 少女は私を見ていない。瞳は固く閉じられているからだ。
 目を瞑って祈りを捧げているところなのだろう、と言われれば確かにそうだ。だが「恥ずかしくて客と目を合せられないから」とも、「瞬きするのが見つからないように」とも考えられる。
 ――つまり、生きているんじゃないかということだ。

「どう?」
 受付のお姉さんが後ろに立っていた。
「レリーフよ。よく出来ているでしょう?」
「はい。生きている人間みたい」
 私はカマをかけたつもりだったのに、お姉さんは眉ひとつ動かさなかった。
「特別に触ってみてもいいわよ」
「本当ですか?」
「ただし、石膏の部分だけね。他は繊細に作ってあるから、触ると壊れちゃうのよ」
「はい」
 迷わず手が出ていた。
 さすがに人の肌のような弾力はないが、その代わりひんやりと冷たくて気持ちが良い。
 ヘソのところを撫でてから上に移動して、胸の膨らみを掌で覆ってみた。
 ドキドキして、自分の鼓動が煩くて仕方ない。まるで本当の女の子の身体を触っている気分だ。硬くて柔らかさの欠片もない胸だというのに。
 ――ああ、この子の瞼が閉じられていなかったら。
 そしたら目を合せて、その瞳に宿る感情を汲み取れたかもしれないのだ。生きている少女ならきっと恥ずかしがる。
「本当に作り物なんですか?」
 私の問いに、お姉さんは答えない。
 ――知らない方がいいってことなのだろうか。
 もしこれが完全な作り物なら、お姉さんたちの実力は凄いものだし、この少女が生きた人間であるならば、アートとして凄く素敵なものだと思う。
 どちらにしても私は好きなのだ。
 だったら、それでいい。

 この少女を眺めていると、鼓動が速くなる。
 全身を指先でなぞられているようなゾクゾクした感じもする。
 安らぎとは逆の、興奮剤のようなもの。それを少女は持っている。
 私は過去にも、こんな気持ちになったことがある――。
「なんだっけ……」
 そのとき、母親に連れられている子供が彼女を指差して言った。
「おひめさまみたーい」
 ――ああ、そうだ。
 小さい頃絵本で読んで憧れていたお姫様。綺麗で澄んだ身体をしていて、それでいて艶かしい女性。ページをめくる度にドキドキさせられて、いつか自分もそうなりたいと夢を見ていた。
 ――そう、あの感じ。

「この子の名前はないんですか?」
「そうねえ」
 少しの間考えてから、お姉さんは言った。
「みなも、かな」

 みなも。
 私は唇の先で反復した。
 素敵な名前だね、「みなも姫」。


 終。