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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


月裏の宴



 近隣で『開かずの幽霊寺』と囁かれるその建物には荒廃の色が強く、肝試しに足を踏み入れることさえ躊躇わせる。
 今にも崩れ落ちそうな屋根も煤けた壁も、あやかしの存在より倒壊の恐怖を誘う。それほど寂れた廃寺に、草間武彦は足を踏み入れようとしていた。
 依頼主は言う。ここ一帯の土地は自分が買い上げ、あとはこの寺を潰してマンションを建てるだけなのだと。
 なのに工事は行われない。赴いた者が門をくぐる事すらできない。くぐれたとしても、敷地内に足を踏み入れたと思った瞬間、気付けば門扉に背を向けて外に出ていた、という有様らしい。
 草間の仕事は、この寺の謎を解明し、工事への着手を可能にする事。
 そこまではよくある依頼のひとつでしかなかった。問題はその後だ。草間の調べでは、その寺がどの宗派に属し、誰の手によっていつ建てられたのかすら判明しなかった。
 現代、この国において、調べても調べても素性が知れないなどという事はまずありえない。それがこうまで見事に分からないとなると、逆に何としてでも素性を突き止めてやりたくなる。
 本来ならば、こんな正体の掴めない仕事からは手を引くべきなのだが、草間には、自分がこの場所に「呼ばれた」のだという感触があった。
 鍵もないのに、押しても引いても頑に閉ざされたままだと噂の門扉は、土埃にまみれて錆が浮いている。
 触れる事すら不吉に思える黒い鉄製の扉は、草間が触れただけで軋みながら開いた。さながら彼を飲み込まんと口を開いたかのように。



 草間の目に映るのは、荒れ放題の庭と、打ち捨てられたような寝殿造の建物と、夜空に浮かんだ満月だけだった。
 昔は趣向を凝らして整えてあったのだろうに、その荒みぶりがもの悲しい。干からびた池。中島を繋ぐ橋は朽ち果てていた。
 雨曝しになった中門廊の濡れ縁には、何故か東西ともに人形が等間隔に並べられている。
 草間が正殿に近づくたび、人形は音もなく倒れていった。あるものは首だけをころりと落とし、あるものは五体を分解させて崩れ落ちる。随分と趣味の悪い出迎え方だと思ったが、不思議と悪意は感じなかった。
 むしろ悪戯に近い稚気めいたものを感じる、と草間が苦笑しかけた時、まるでそれを否定するように唐突に光が消えた。
 晦冥の中、草間は月が消えてしまったことに気がついた。馬鹿な、と反射的に身構え、一歩を引いた足元で水音が響く。
 おかしい。池の水は枯れていたのに、どうして水音が──。そう訝った瞬間、耳元で、金属をこすり合わせたような、神経に障る声が唐突に問う。
「侵入者ヨ、汝ニ問ウ。其ノ足元ニ在ルモノハ?」
 瘴気混じりの吐息が耳にかかった瞬間、思わず悲鳴を上げなかった自分を誉めてやりたいと草間は思った。
 腐臭の入り混じった金気臭さが鼻を打つ。仕事柄嗅ぎ慣れたそれは、紛れもなく血の匂いだ。じりっと後退ると、靴底に粘るような感触。
「己ガ、何処ヘ足ヲ踏ミ入レントスルカモ分カラヌ愚カ者ナラバ、早急ニ立チ去ルガイイ」
 声は殺気を孕んで尖る。草間はほとんど反射的に身を屈め、自分の足元にあるものを手に掬い、口にした。
「足元に在るものは──ただの水だ」
 挑むように言い放った途端に光が戻った。禍々しい気配は消え、代わりに、月明かりに照らされた美しい庭が目の前に広がる。滑らかな曲線を描いた築山はふっくりと苔に覆われ、その裾には夜目にも白い流水模様の白砂。
 身じろぎした草間の足元で波紋が広がり、清水に映る月が歪む。自分は池の中に足を突っ込み、呆然と佇む形になっていた。慌てて池を出ると、目の前を青い炎が横切った。
 淡い燐光の尾を引きながら、炎は建物の中へと消えていく。まるで草間を誘うように。見れば、先程まで倒壊寸前の荒ら屋だったそれは、古めかしくも手入れの行き届いた立派な屋敷に変貌していた。
 草間は意を決し、濡れた靴を放り出して、中へと足を踏み入れた。



 まるで無人のように静かだ。
 そのくせ、何かの蠢く気配や視線を感じる。草間は努めて毅然と顔を上げて廊下を進む。
 だが、何やら厳重な封印の施された怪しい部屋の前を通り過ぎた時、その中から「助けて」だの「出して」だの囁かれるのは流石に気味が悪かった。戸をカリカリと掻く無数の音から強いて意識を逸らし、先へと進む。
 先程から、屋敷のそこここに、よく知った人物の気配を微かに感じる。だが、もしも草間をここへ招いたのが彼女なら、どうしてこんな真似をするのかが分からない。
 草間は足を止め、試しにその名を呼んでみた。
「翠」
 闇は沈黙したままだ。草間は返答を諦め、探索を始めてやろうと決めた。だが、廊下の角を曲がった所でありえない物を見つけ、思わず立ち止まる。
 突き当たりに洋風の扉があった。純和風の建物の中の明らかな異分子。さあ探れとでも言わんばかりのその扉に、草間は警戒しながら近づく。
 木彫りの獅子がくわえた金の円環を握り、そっと開けた。中に人の気配はない。あるのはただ──。
「……何だ? これは」
 思わずそう呟いていた。深紅の天鵞絨が張られ、黄金で縁どられたそれは、どう見ても玉座にしか見えない。
 それだけならまだしも、部屋には何故か黒塗りの棺が置かれていた。草間は暫し考え込んだ後、つかつかとそれに歩み寄り、棺の蓋を開く。勿論、中に何かが潜んでいる可能性も考えたが、この部屋の存在があまりにも不稽で、注意を払うのも面倒になりかけていた。
 想像に反して中身は空だ。安堵混じりの溜息をついてそれを閉じかけた時、草間は蓋の裏に刻まれた金色の文字を見つけて手を止めた。まだ真新しいのだろう、文字は鮮明で『Dear marchioness』とだけ書かれている。
「親愛なる、侯爵?」
 草間は思わず考え込み、すぐにそれを放棄する。このでたらめな幽霊屋敷のからくりは、少々考えた所で判明しそうにない。
 『侯爵』の部屋を後にし、草間は半ば自棄のようにあちこち探索し、最後に巨大な酒蔵に行き当たった。
 どう考えてもその酒蔵の容量は、この屋敷の中に収まるようなものではない。派手に法則を無視した、滅法に無秩序なこの屋敷の持ち主の正体を、草間はようやく確信した。
 ずかずかと中に立ち入り、そこに置かれた酒を手当たり次第に引っ張り出す。持てるだけ抱えて振り返ると、そこに黒猫が佇んでいた。
『よく来たな、武彦』
 その声は間違いなく陸玖翠のものだった。草間は怒ったように答える。
「随分な招待だ。これくらい貰わなきゃ割に合わん」
 黒猫は小首を傾げた。
『好きに持って帰れ。……ヴィルからは何も聞いていないのか?』
「何にも」
 『な』に力を込めて草間は答える。黒猫は、ふいっと尾を向けた。
『こちらへ』
 導かれるまま渡殿を通り、正殿へと足を踏み入れると、御帳台に女性が寝そべっていた。
 それが自分の友人である事に、草間はすぐには気がつかなかった。それは彼女が、現代人には馴染みのない狩衣姿だったからか、それとも珍しく髪を下ろしていたせいか。あるいは、いつもは感じない色香が漂っていたからか。
「すまない。脅かせすぎただろうか。ヴィルからせいぜい不気味に出迎えてやってくれと頼まれたのでな」
 翠はそう言って、手の中の扇をパチンと閉じた。と、水干姿の娘が現れ、酒の肴と酒器を載せた膳を置いて消える。おそらくは翠の式だろう。
「そのヴィルアはどこだ? 文句の一つも……」
「ここにいる」
 草間が言い終えないうちに、真後ろからそう声がした。驚いて振り返ると、見慣れたスーツ姿のヴィルア・ラグーンが愉快そうな表情を浮かべて立っていた。
「豪胆な所を見せてくれたな。あの闇の中、自分の足元に在る物を問われて、まさかそれを口にするとは思わなかったぞ」
 全て鑑賞されていたという訳か。草間は憮然と答える。
「仕方ないだろう。真っ暗闇だったんだから、あれくらいしか確認する方法を思いつかなかった」
 言って、草間はその場にどっかりと腰を下ろした。
「そもそも、あれくらいでいちいち驚いてたら、おまえ達の友人なんかつとまるか。で、わざわざ二人がかりで俺をこんな所に呼び出した理由は?」
「こんな所とは御挨拶だな。私の家は、武彦のお気に召さなかったか」
 翠の言葉に、草間は一瞬呆ける。
「分からぬのか?」
 草間が抱いていた酒瓶を奪い取り、その栓を抜きながらヴィルアは言った。
「月夜に誘いときたら、目的は酒盛りに決まっている!」
 突き出された杯を条件反射で受け取り、草間は嘆息する。らしいと言えばらしいが、できればもっと穏便に呼んで貰いたい。
「酒盛りはいいが、途中にあったアレは何だ? ここには王様でも住んでるのか?」
「玉座と棺桶の事か? あれは私の椅子とベッドだ。翠がくれた」
 眉を顰めながら翠を見ると、彼女は小さく笑う。随分と冗談のきつい贈り物だが、ヴィルアは気に入っているらしく上機嫌だ。
「侯爵ってのは?」
「私の事だ」
 しれっとヴィルアが答えるのに、翠が言を継ぐ。
「マクバーン公爵家令嬢。某国で初の女侯爵となったのがヴィルだ」
 言われ、草間はぽかんとする。かの国の歴史書を紐解けば、必ず記されている名前。生きていればきっと公爵家を継いでいたであろうに、謎の死を遂げた。彼女の死は未だに歴史家達の討論を紛糾させる。それが生きて──しかも人ならぬ身となって目の前にいると言われて驚かない人間がいるだろうか。
「昔の話だ」
 気のない口調でヴィルアは言い、手酌で杯を満たす。
「おまえもここに住んでるのか?」
 話の矛先を変えたくてそう訊ねると、ヴィルアは目だけで頷いた。ふうん、と呟いて、草間は手元の杯に視線を落とす。
「俺は……案外、おまえ達について何も知らなかったんだな……」
 知っている気でいた。その本質も、素性も。けれど、それは彼女達の持つ過去の一部でしかなかった。こうして招かれるまで、草間は彼女達がどこで暮らしているのかも知らなかったのだから。
 翠は目を細めて草間を見る。ヴィルアは何を思ったか、一気に杯を空にしたかと思うと、草間に向かって突き出した。
「注げ」
 尊大な口調だが、不思議と憎めない。やれやれという感じで、草間は自分が抱えてきた酒瓶の中から、彼女が一番好みそうな銘柄を選んで注いでやった。
 それに口をつけて、ヴィルアはニッと笑う。
「これはその酒の中で、私が一番気に入っているものだ。知っている、というのはこういう事ではないのか?」
 つられて草間も破顔した。確かにそうなのかもしれない。過去を穿鑿するのは詮無い事だ。
 草間は何も訊ねなかった。こうして彼女達の住処に招かれたという事は、それだけ心を許してくれたという事なのだろうと思ったから。
 宴は朝まで続いた。特に話らしい話はしなかったし、大いに盛り上がったわけでもない。けれど、その時間は心地よく、酒の味を引き立ててくれた。ついつい飲みすぎて明け方の記憶が飛んでいたが、世にも珍しいヴィルアの寝顔を見たような気がする。眠り込んでしまった草間に袍を掛けてくれたのは翠だったか。
 悪くない。そう思った。



 依頼主に対する言い訳を道々考えながら、目的地に着いた。
 まさかあれは自分の友人の家だとは言えない。しかも只者ではないからあの土地は諦めろとも言えない。とりあえず機嫌だけでも伺うかと思いながら依頼主の事務所を訪ねると、そこは無人と化していた。
 必要な物だけ持ち出して、慌ててどこぞへ逃げ出した、という様相だった。評判の良くない不動産屋だったから、悪事が露見しかけて夜逃げしたのかもしれない。そう思いながら事務所の中を歩いて回ると、散乱した書類の中に一枚、真っ二つに引き裂かれたものがあった。
 何となく拾い上げて見て、草間は絶句する。例の土地の権利書だ。依頼主の身に何が起こったのかを一瞬で理解して、思わず苦笑を零した。
「やりすぎだぞ、翠」
 言いながら、笑みを抑えきれない。叩けば埃の出る輩だったのだから、これくらいのお仕置きはあってもいいだろう。
 帰り道、草間はちょっと奮発して、いい酒を買った。夜になったら翠に電話しよう。ヴィルアを連れて飲みに来いと誘ったら、二人はどんな顔をするだろう。勿論、事務所にではなく、草間の部屋に、だ。
 あの荘厳な屋敷と、狭苦しい草間の部屋とでは雲泥の差だが、たまにはこういうのもいいだろう。
 こうして互いに裏を見せ合ううち、深まっていくものがある。そんな気がしていた。




■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【6118/陸玖・翠(リク・ミドリ)/女性/23歳/面倒くさがり屋の陰陽師】
【6777/ヴィルア・ラグーン(ヴィルア・ラグーン)/女性/28歳/運び屋 】