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<東京怪談ノベル(シングル)>


うしのくび


 ひとり、と誰かの指先がまた触れ、そして離れていった。
 周囲で忙しなく何か布が裂け続ける音と、そしてまた誰かの確かめる指先の感触。

 ──どうして?
 
 見開いた目には、東京では見られなかったほどの満天の星空。

「──しいわ‥‥やっぱり若い子牛の肉は──ね!」

 何の、はなし?

 先ほどまで笑顔で会話をしていた女が、肉食獣の目をしている。
 獰猛な目は、同一人物なのかすらよく分からない。けれどそれはとても純粋で他意のない──餓え。

 既にどれほどの『あたし』が奪われたか分からない状態で、かろうじて動いた首を動かせば、白と黒のまだらが見えた。

 ──どうして? あたしは‥‥人間では、ない、の?


●遭難

「痛ッ!」
 ぴりっとした痛みに顔を顰め、足元を見たみなもは大きな溜め息を吐いた。
 プリーツスカートから伸びる白い足に、幾つもの赤い筋が走っている。指でなぞれば、ぬるりとした液体が絡みつく。言わずもがな、靴は既に泥に塗れ、白いソックスも無残な様相を呈していた。
「疲れた‥‥」
 街に居れば人目が気になる格好も、今は全く気にならないくらいに休みたい。

『本当は外から来たもんには教えん道やけど、みなもさんには助けてもろたから教えたげる』

 バイトで知り合った同世代の少女は好意でこの道を教えてくれた筈である。
 なのだ、が。
 カアカアカァ。頭上でカラスが旋回し。電車や車のエンジン音も聞こえないこの山間の道端で。
 四時間の迷子。
「‥‥‥‥」
 素直に来た道を戻れば良かった、と──気儘にアルバイトを渡り歩き、地方も歩き慣れた筈のみなもは──軽く近道を教えた少女を恨んでしまうくらい、疲れ果てていた。


●山のなかの村

「そらもっと飲めるじゃろうに、お客人」
「あ、あのもうもうあたしっ」
 一体どこをどう間違ってこうなったのか。
 肉体の疲労もピーク、四時間の遭難に付き合わされた心もピーク。故に疲れ果て、何処とも知らない集落に辿り着いたみなもは恥も外聞も捨て、一服の茶を所望するどころか茶の間に上がりこんで宴会に参加していたりする。
 とりあえず自然な流れで限界にきていたお手水と、一杯の水を願ったみなもであったが、滅多に来客のない集落ではこの程度の歓待は当然の事らしい。
「ごめんねぇ、この人、みなもちゃんが可愛いんで浮かれてるのよ」
 何と東京出身と言う女性は、目の前の酔っ払い男性の奥方になった、みなもと同じ遭難者である。
「こらっ、あんたもういい加減にし!」
「お前なんかわしより飲むくせに」
 仲の良い夫婦の掛け合い漫才が見れただけでも、あの苦労は報われるだろう。

「ごめんなさい、あの料理、変わった味付けで苦手だったでしょう?」
 泥酔して眠り込んだ旦那を放置し、みなもの為に寝床まで用意してくれた奥さんに恐縮しつつ、慌てて首を振った。
「い、いえ‥‥その、確かにちょっと食べた事のない味だなあって思いましたけど。この村の特産なんですよね?」
 煎餅のように薄い布団では今夜は寒いかもしれないな、と思いつつ敷かれていくその様子を眺めて待つ。
 来客がそうない為か、えらく古いその寝巻きは質素な浴衣のようなものだ。ところどころ黄ばんでいるのは──致し方ない。
「この辺はあまり農作物も育たないし、かといって家畜を飼えるほどのお金もないから」
 ──冷える、な。
 ひやりとするのはこの部屋に暖房器具がない為か、それとも。
「ねぇみなもちゃん。うしのくび伝説、って知ってる?」
 底冷えのする微笑みを浮かべる目の前の女性のせいか。


●牛の頚

『牛の首‥‥ですか』
『そう。東京の都市伝説。貧しい村の、食糧確保物語』
 ──やっぱり、寒い。
 布団の中で首をすくめ、自らの体を擦る。先ほどから全然温まっていない。
『出来たのは戦後かしら、それとも飢饉後の江戸時代かしらねぇ‥‥よくある、食人に至る話』
 よくあるだろうか、と思ったみなもは口を挟めず黙り込む。伝説、というより怪談話を持ちかけられ気分だ。
『貧しい貧しい村にやってきた異邦人に、牛の皮を被せてね』
 ──寒い。
『食べてしまうの』
 ──怖い。
 謡うように語っていた女がみなもの目とぶつかった時、冷水を浴びせられた気になった。意味の分からない、恐怖。
 ──あんな現実からかけ離れた話、現実なわけないのに。
 今やったら確実に犯罪だろう物語に怯える必要などない。けれど先ほどまで朗らかに笑っていた女の笑顔が今はとてつもなく怖かった。
『ねぇ、みなもちゃん。私は友達と四人でこの山に登ってきたの』
 そうですか、と相槌を打つ事も忘れた。
 ──笑顔なのに。
『でも、この村にいるのは私ひとり──ねえ?』
 きゅ、と上がる口角。
『他の三人はどこへ行ったと思う?』
 よにんがいまはひとり。
 それは‥‥子供にも出来る計算だった。

「ありえませんって」
 ぱしぱし、と妄想に入り込みそうだった思考を無理矢理浮上させ、精一杯の強がりでみなもは笑い飛ばす。
 あの奥さんはただ私を怖がらせようと少し怖い顔をしていただけ。旦那さんは酔っ払って意識をなくしているし、村の人は──
「あ、れ?」
 そう言えば、しんと静まりきった村。どんちゃん騒ぎをしても誰一人として覗きに来る者はなかった。それどころか、
「見、見かけましたっけ──?」
 焦ってこの集落に駆け込んだあたしは、肝心な事は何一つ確認していなかった。


●悪夢

 しん、と物音一つ立たない部屋にあたしはいる。眠れずにぼけっとしていたのか、それともこれが夢なのか。
 分からないまま、あたしは『その時』が来るのを待つ。
 次第にどやどやとこの部屋、いや小屋に入り込んでくるのは複数の人間。
「ああ、いい子にしていたね。まさか牛のお前に逃げ出すなんて発想はなかったと思うけれど」
 この女は‥‥ああそうだ、昼間私を歓待してくれた、助けてくれた女だ。
「ほう、こりゃあ別嬪さんな牛じゃなぁ。ほうほう、毛並みもいいわい」
 年老いた老人のカサカサな掌がみなもの体を遠慮なく触っていく。
 髪。頬。耳。肩。胸の膨らみに──頚。
「牝は牡牛と掛け合わせて子を作らしてもいいんじゃがなぁ」
「長老、それは駄目じゃ。せっかく集まった皆もそれじゃあ納得せんじゃろう?」
 体のあちこち──それこそセクハラと訴えても良さそうな箇所を触られても、それは全くいやらしくはない。何故なら。
「うぅん。確かに肉は久し振りじゃものなぁ──‥‥」
 彼らが見ているのは、『牛』という食料なのだから。

 小屋から引き出され、肉付きの悪い村人の中晒し者にされてもそれは仕方がないのだ。
 ──あたしは、牛だから。
 ほら、真っ白だった肌には、黒いまだら。
 頚には粗い編み紐がかけられている。
「おぉ、美味そうじゃあ!」
 年若い娘を目にした男の姿ではない。その目は純粋に、胃袋を満たす食料を見つめている。
 どれだけ節くれだった指が毛皮の上からその柔らかな膨らみを掴んでも、細いその手足を撫でても、狂喜するその瞳の奥にあるのは、餓を満たす喜びに満ちていた。
「う──あ」
 声が出ない。助けを求めるように頚を振れば、自分を見つめる村人の複数の目とぶつかった。逃げ場が、ない。
 更に頚を振れば視界に家は映らず、先ほどまで居た小屋すら見当たらない。
 ──何故。どうして。
 ──ここは、どこなの。
 くん、と紐を引っ張られ、ぐ、と喉が詰まった。そのまま引きずられ、横倒しにされる。
「おかあちゃん、お腹へったあ!」
「待ちなさい‥‥あと、もうすぐじゃ。皮を剥いで、内蔵を取って、肉を皆でわけにゃ」
 思うだけで涎が出るのか、こくりと唾を飲む音があちこちでする。投げ出されたみなもの足を執拗に擦る男もいたが、それはどう解体しようかと悩んでいるようだった。
「まずは皮を剥がんとなあ〜」
 酔い潰れて居た筈の親父が、その白い肌に凶器を食い込ませた。
「いっ‥‥!!」
 濃厚な血の臭いが漂う。ばりばりと剥がされているものが自分の皮などと誰が信じてくれるだろう?
 白い柔らかな皮を剥がれた箇所が熱い。
「あ‥‥あ、」
 仰け反らせた頚が月光を浴びた。震える唇からは涎が垂れ落ちる。
「おお‥‥久し振りの肉じゃあ!!」
 何故、あたしをこんな風にして喜ぶ人間がいるのだろう。


●真実

「‥‥ぁ、‥‥ぁ」
 叫ぼうと思っても声が出ない。足のつま先から頚の下まで数十もの指が蠢き、あたしの頭の中の隙間を埋めていく。
 ──もう足はない。腕もない。胴はどれほど残っているのか。頚はかろうじて繋がっているが、それだけだ。
 ぱくぱくと開く口。それを何の感慨もなく村人が眺めている。
「さ、てと」
 とうの昔に何の感慨もなく捨てられたと思われるみなもの服が、ぼろきれとなって視界の端に映った。
 男達がみなもを取り囲む。図体のでかい男達に囲まれ、乾いた涙の川にまた透明な雫が流れ落ちる。
「最後は、頭じゃな」
 振り上げられた凶器が、月の光を反射した。

「‥‥‥‥っ!!!」
「あ、起きた」
 がばりと起き上がると、夜空どころか太陽が天高くのぼっていた。明るい。
「え? ──あ?」
 ちかちかする目を瞬くと、自分を不思議そうに見つめる幾つかの目があった。──狂気の見えない瞳。
「お嬢ちゃん、こんな何もないとこで何やってんの?」
 籠を担いだ老婆が心底不思議そうに訊く。黙って周囲を見れば、集落どころか建物は何一つなかった。
 ──ゆ、め?
 その証拠に太陽を浴びた体は温かく、指も足もちゃんとあった。人間の、ゆび。
「何してたんか知らんけど、この辺りはもう村ないで」
 土砂崩れで流されたからな。
 はよ帰りや、と帰っていくその後ろ姿を呆然と見送りながら、みなもはよろよろと立ち上がる。
 ──夢?
 道に迷って、そのまま自分は眠り込んでしまったのだろうか?
 釈然としないまま、みなもは歩きだす。いやにリアルに鮮明に記憶に残っていても、這わせた指の先には頚はちゃんと繋がっているのだから。
「痛ッ!」
 遭難の悪夢、再び。足の痛みに顔を顰めて下を見ると、其処には、


「い──いやあああああああああああっっっっ!!!!!!!!」


『ねぇ、みなもちゃん。私は友達と四人でこの山に登ってきたの』

『でも、この村にいるのは私ひとり──ねえ?』

『他の三人はどこへ行ったと思う?』

 悪夢に捕らわれているのは、あたしだけではない。