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<東京怪談・PCゲームノベル>


『悪魔契約書―魂の記憶<髪の対価>―』

 水菜が出ていった翌朝。
 呉・苑香は二人の人物に電話をかけていた。
 一人は、アリス・ルシファール。もう一人は、阿佐人・悠輔だ。
 二人とも、たまに呉家に顔を出す人物だ。水菜とも親しい。
 もしかしたら、二人の元に向うかもしれないと考えたのだ。
 悠輔とはすぐに連絡がとれた。
 連絡を受けた悠輔は、広瀬・ファイリアと共に水菜を捜しに出かけた。
 一人の人間を捜し出すには、東京は広すぎる。
 水菜の金色の髪を探して、悠輔は駆けていた。
 大通りに差し掛かる。
 休日ということもあり、人通りが激しく、喧騒としていた。
 煩い街頭ビジョンにふと目が留まる。そのまま、思いがけない映像に、目が釘付けになる。
 そこに、捜している少女が映っていた。
 画像が悪く見辛かったのだが、あの服装、髪の色――間違いない、水菜だ。
 悠輔とファイリアは顔を合わせる。
 悠輔はファイリアに「早まらないように」と水香達に伝えてくれと伝言を頼み、一人、街頭ビジョンに映し出されたマンションへと向った。

**********

「何があったのですか!?」
 報道後、真っ先に呉家に駆けつけたのは、アリス・ルシファールであった。
 続いて、先の事件で知り合った蒼王・翼、悠輔から伝言を預かったファイリアが訪れる。
 3人を家に上げ、呉姉妹は事情を説明することにした。
「ああーん、もーーーう!」
 ただ頭を掻き毟っている姉に変わり、苑香が事情を話し出す。
 あの盆踊りの日、水菜が男から言われた言葉。
 それを知った水香が、水菜の前で言った台詞……。
 その言葉に、翼は吐息をつき、アリスはジト目で水香を睨む。ファイリアは一瞬言葉を失った。
「何か言い訳は?」
 アリスが言うと、水香はふて腐れながらこう返すのだった。
「別に」
「……別にって何ですか……どうして、そんな簡単に水菜ちゃんを捨てるようなこと言えるですか?」
 小さな声を、次第に大きくさせながら、ファイリアが続ける。
「水菜ちゃんにとって、水香さんはお母さんなんですよ? そのお母さんに自分はいちゃいけないって言われたら、どんなに悲しいか想像付かないですか!?」
 水香は腕を組んで唸り声を上げている。構わず、ファイリアは更に続けた。
「作る人って、自分の作ったものをどうでもいい道具としか見れないですか!?」
「どうでも、よくはないわよ。自分のものだもの、可愛いし。でも、水菜はゴーレムよ。人の作ったロボットと同じようなもの」
「ロボット……そんな、そんな風にしか見れないなら、どうして水菜ちゃんに意思をつけたですか!?」
「人工知能と一緒よ。水菜は私に忠実に作ったロボットのようなものなの!」
 ファイリアと水香では認識が違う。
 ファイリアもまた、人間ではない。魔術師により生み出された魔法生物だ。
 生み出す者は、生み出される者のことなど、考えてはくれない。気持ちも、将来も。そして、愛してはくれない……。
 ファイリアは悔しさで涙が溢れそうになる。
「水香さん、あなたにとって、水菜さんは家族ですか? それともただの制作物なのですか?」
 アリスが水香に訊ねた。
 水香は吐息混じりにこう答える。
「私の家族は両親と苑香だけ。時雨は最高傑作にして、絶対失いたくない愛玩具。水菜は商品。側に置いている水菜は使い勝手のいい道具よ」
 ファイリアはその言葉に強いショックを受ける。
 アリスはなんとなく分かっていただけに、目を伏せて頷いただけだった。
「いちいち情を持ったりしたら、作り出せなくなる。私にはもっと最高の作品を作りだせる能力があるっていうのに」
「驕り、か」
 それは翼の呟きだった。
 水香は睨んだだけで、何も言い返さない。
 翼もまた、それ以上何も言わなかった。
「水香さんがどう思っていても、水菜さんが水香さんを母と慕っていることに、変わりはありません。生み出した者の責任として、帰ってきたら水菜さんにちゃんと謝ってくださいね」
 アリスのその言葉には、水香はふて腐れながらも頷いた。
 開け放たれた窓から、生暖かい風が吹き込んでくる。
 風は部屋を駆け巡り、翼の金色の髪がふわりと揺れた。
「彼女は操られているわけではないようだ」
 風の言葉を聞いた翼が、皆に説明を始める。

 黒い髪、黒い服の男。30歳くらいだろうか。
 水菜は差し伸べられた手を、自ら掴んだ。
 彼女は抵抗することなく、男と共に、マンションへと向う。
 普通の暮らしをしている、普通の人間のようだ。
 男は、水菜の髪を撫でた。
 愛情の篭った目で、水菜を見ていた。
 水菜はずっと、不思議そうな目で男を見ていた。
 水菜は彼を知らない。
 だけれど、彼女の魂は、彼の魂を知っている。
 風で、カーテンが揺れる。
 振り向いて水菜は窓の外を見る。
 声は出さない。
 だけれど、その唇はこう動いた。

「“お母さん”」
 叱られた子供のように、水香は視線を落としたまま、口を噤んでいる。
「お姉ちゃん、行こう。……水菜を迎えに」
 苑香が手を差し出した。
「でも、犯人は私のことが目的みたいだし……」
「大丈夫ですよ、皆一緒ですから」
 アリスも手を伸ばす。
「!? 誰かが犯人と接触したらしい」
 風の声を聞いていた翼が立ち上がる。
 それは多分、悠輔だと思ったファイリアもまた、水香に手を伸ばす。
「水菜ちゃんが待っています! お母さんに会いたいって思っています。側にいたいって思っています!!」

**********

 悠輔は野次馬達の間をすり抜け、警察の目を掻い潜ると、マンションの非常階段へと出た。
 身を屈めながら歩き、水菜が捕らえられている三階へと進み、ドアの前に身を潜めた。
 中の様子は見えない。声も聞こえなかった。
 一旦、ドアから距離を置くと、苑香に電話をかけ、現状を伝える。
 彼女達もこちらへ向っているようだ。
 悠輔は迷う。室内へ入り込む方法としては、非常階段を伝い、ベランダにでて、窓から侵入する方法がよさそうだが、犯人に見つかった場合、犯人が水菜に危害を加える可能性がある。
 迷った末に、悠輔はチャイムを鳴らすことにする。警察は水菜の安全を考え、この場所には近付いてこない。
「どなたですか?」
 平然とした男性の声だった。
「その娘……水菜の知り合いです。あんたが求めている、呉水香の住所を教えてもいい。だから、彼女を解放してくれ。……もしくは、俺と人質を交換してほしい」
 悠輔の声に、男はしばらく黙った。
 待ちかねて、悠輔が再び声を発そうとした瞬間、鎖の外れる音と、鍵の開く音が響き、続いてドアが開いた。
「どうぞ」
 その男は笑顔で悠輔を迎え入れた。
 警戒しながらも、悠輔は部屋に入り込み、男の脇を抜けると水菜が映っていた窓の方へと走る。
「悠輔さん!」
 それは間違いなく、水菜だった。驚きの表情を浮かべた水菜がいる。
「怪我はないか?」
「はい」
 背後に警戒しつつ、悠輔は水菜の側に寄り、彼女を背に庇いながら、男と対峙する。
「そんなに怖い顔をしないでくれ」
 男はソファーに腰かけると、手を前に伸ばした。悠輔に向かいに座れといっているようだ。
 しかし悠輔はそのままの姿勢で男に尋ねる。
「目的は何だ? 何故水菜を攫った?」
「失礼な、攫ってなんていない。……寧ろ、彼女を攫ったのは呉水香の方ではないか?」
 男はにやりと笑う。
 どうやら、悪魔契約書絡みの人物に間違いないようだ。
「で、水香さんの居場所を教えてくれるんだね?」
「……」
「ああ、心配することはない。ちょっと交渉をしたいだけさ。ただ、ミレ……いや、水菜だっけ? 彼女は頑として、契約主の場所を教えてくれなくてねぇ」
 振り向いて水菜を見れば、戸惑いの表情で悠輔を見ている。
「水菜、どうしてここに来たんだ? 知らない人にはついていかないって言ってたのに」
「……知らない人、じゃない、ような気がするんです……」
 水菜は悠輔の言葉に、か細い声で答えた。
「当たり前だ。私達は兄妹なのだからね」
 男はにっこり微笑んだ。
 水菜は首を横に振る。
「違います。私のお兄さんは、時雨だけだと聞いています。お母さんはあなたを作っていません」
「キミが今、お母さんと呼んでいる人物は、確かに私を作ってはいない。だけれど、キミはこの世界に来る前は、私の妹だったんだよ、ミレーゼ」
 男の言葉に、悠輔も戸惑いを隠せない。
 外からは、警察官の説得の声が響いている。

**********

「テレビ見たよ、男の要求が直接『水菜や時雨の魂の解放』じゃなくって、製作者の『水香』ってのが気になるね」
 突如隣から声がかかり、水香は振り向いた。
 駅のホームで、煎餅をかじりながら、よおっ!と手を上げたのは、朝霧・垂という名の少女だ。
「ちょっと、煎餅なんて齧ってる場合!? 私と時雨が大変だというのにっ」
 時雨の腕をぎゅっと抱きしめながら、水香がわめいた。
「はいはい、戦闘になりそうな場合は助けにはいるから安心してね〜、それまでは手出しできる事じゃないからアレだけど……」
 会うなり噛み付かれることには慣れたのか、垂は軽くかわして本題に入る。
「手に持ってるの……ゴーレムの魂を呼んだ本だよね?」
 垂の言葉に、水香が頷く。苑香が垂にこれまでの経緯を話して聞かせる。そして、その後に水香が言葉を続けた。
「この本で、水菜の魂の記憶を呼び寄せることができる」
 垂だけではない。皆が水香の言葉に聞き入った。
「でも、迷ってる。それをしてしまったら、あの子は私のゴーレムじゃなくなる気がして……」
 その場にいた誰もが、結論を出せなかった。
 それはやはり、最終的には水香が決めることだ。
「とりあえず、水菜の記憶をどうこうするまえに、あの男と話し合ってみたらどうかな? 上手くいけば、水菜の記憶を戻さずに水菜のことを知ることができるかもしれないしね」
 垂の言葉に水香は素直に頷く。
 到着した電車に、水香を囲むように一行は乗り込んだ。

 現場マンション前の道路は、野次馬で混雑していた。
 警察の呼びかけが続いているが、マンションから男が出てくる気配はない。
「水香さん、やはり捕まっているのは、水菜さんに間違いないようです」
 一足先に出発していたアリスが、野次馬やマスコミ、警察から聞き出した情報を水香達に話して聞かせる。
 男は一度だけ、水菜に包丁を向けて、ベランダに姿を現したのだという。
 その時、呉・水香の名前を出し、水香の身柄を要求したらしい。
 それは翼が風から聞いた情報とほぼ一致する。
「部屋にいる少年……阿佐人悠輔」
 アリスに続き、翼が室内の状況を語る。
「普通に、会話をしている。争った形跡もない。水菜も無事だ」
 翼の言葉に一同、ほっと胸を撫で下ろす。
「水香と話がしたいようだ……どうする?」
 皆の注目を受け、水香は更に強く時雨の腕を掴んだ。
「相手は……一人?」
「恐らく」
 水香は時雨を見上げる。
 時雨は何も言わない。水香を労わるような目で見ているだけだ。
 そう、彼は自ら自分の意見を言うことはほとんどない。
「ほ、らっ!」
 ぽんっと、垂が水香の背を叩いた。
「話って多分、時雨のことだとは思うけど。……例えば、現状のままではダメなのか、一度返して再び契約させてもらう事は出来ないのか、とか聞いてみるのも良いんじゃないかな?」
「そんなの、相手が了承したとしても、信用できない。というか、向こうで生き返ったりしたら、再び彼がこちらに来ることなんてないと思う」
「でも、水菜をあの男から連れ戻すとしても、とりあえずあの場に行って『戻ってきなさい』って命令をした方が確実だと思うし、男の元には行かないとね。子供を助けるのは親の使命みたいなものだから」
「子供、かぁ……」
 水香は吐息をつきながら、空を見た。
「それも今日で終わるのかな」
 そう呟きながら、水香は一歩、前へ進んだ。
 途端、ファイリアの携帯電話が鳴った。……悠輔の携帯からだ。
「犯人に代わるって」
 そういって渡された携帯を、水香は唾を飲み込みながら受け取った。
「……はい」
「呉、水香さんですね」
「そうよ」
「ではまず、警察を追い返してください」
 陽気な男性の声だった。
 電話の指示通り、水香達は、単なる友人同士の喧嘩のもつれだと警察に伝えることにする……。

 1時間後、警察官同行の上、水香達は男のマンションへ向うことになった。
 男は、玄関の前で待っていた。30歳くらいだろうか。テレビで見た姿より若く見える。
「あの、ここで結構です」
 話を聞かれるとややこしくなるため、苑香が警察官にそう言った。
「いえ、ご一緒させていただきます」
 しかし、これだけ大事になってしまったこともあり、警察官が退くことはなかった。
「大丈夫ですよ。ただの、喧嘩ですから」
 男はそう言って微笑んだ。ただし、黒い瞳を鋭く光らせて――。
「わかりました……」
 どことなく気の抜けた表情になり、警察官達は連れ立って帰ってゆく。
 男がなんらかの術を掛けたようだ。
「水菜ちゃんもそうやって連れ込んだんですかっ?」
 訊ねたのはファイリアだった。
「彼女は自らついてきたんですよ。さ、どうぞ」
 男がドアを開け、皆を部屋へと招きいれる。
 水香に頷いてみせ、最初に部屋に足を踏み入れたのは、翼だ。
 その後にアリスが続き、時雨、水香と部屋に入ってゆく。水香の後には苑香が続き、ファイリア、垂と総勢7人で部屋に入り込むことになった。
「お母さん」
 水香が姿を見せた途端、水菜が声を上げた。
 広いリビングだった。部屋に10人もの人が集まっているというのに、狭いとは感じない。
「バカ、なにやってんのよ、こんなところで! あんたねぇ……」
 水菜を詰る水香の腕を、アリスが肘で突いた。
「仰るべきことが違いますよ、水香さん」
 にっこり微笑んでみせる。
 水香はぐっと言葉を詰まらせる。
 水香の口から出たのは優しい言葉ではなかったが、水菜は安心したような穏やかな表情をしている。
 一先ず、操られたりはしていないように見える。
「水菜ちゃん、迎えにきました」
「ファイリアさん、こんにちは」
 ファイリアはぱたぱたと水菜に駆け寄る。水菜の隣には、悠輔の姿がある。悠輔とファイリアは顔を合わせて頷き合った。
 男は、時雨を見ている。時雨は男の視線をかわし、水香に優しい目を向けていた。
「では、話を聞かせてもらおうか」
 翼が言った。大まかな流れは、風から聞いて分かってはいるのだが、男の行動の趣旨はわからない。深い部分を探ることはできなかった――この男は、一体何者なのか。翼にとって、目の前の男は興味深い人物であった。
「そうですね。ミレーゼ、こちらにきなさい」
 男が水菜に手を差し伸べる。
 水菜は戸惑いの表情を浮かべながら、男の指示に従い、男に近付く。
「水菜、行く必要はない」
 悠輔の言葉に、頷きはするのだが、身体が勝手に動くかのように、水菜は悠輔とファイリアを押しのけて進む。仕方なく、悠輔とファイリアも水菜と共に男に近付いた。
「いい子だね、ミレーゼ」
 男は、水菜の頭を撫でた。水菜は不思議そうな瞳で、男を見上げている。
「彼女の名前は、ミレーゼ。私達の生まれ育った世界については、説明不要ですよね? こちらでは魔界と呼ばれている世界です」
 男は、集まった者達に向けて話し始める。
「私の腹違いの妹でした。しかし、親族間の争いに巻き込まれた私と彼女は、呪術師の術により、姿を変えられた上で下等種族の群れに捨てられ、殺されました」
 誰も声を発せず、黙って男の話を聞いている。水菜は男の言葉の意味が理解できないらしく、目を瞬かせていた。
「私達には、他にも兄弟がいました。その殆どは同じようにして殺されてしまいましたが……その事件以前に、私には病死した弟がいました」
 男が時雨を見る。
「フリアルという名の、優しい弟です。身体が弱く、武術は並でしたが、兄弟の中で一番強大な魔力を持った弟でした」
「それが、時雨の魂……なのね」
 水香の言葉に、男が頷く。
「蘇生術を使ったとしても、私やミレーゼは術により変えられた姿のまま復活します。しかし、その魂は違う。私達兄弟の中で、唯一真の姿のまま復活できる魂なのです」
「時雨じゃなくても、彼の父親とか先祖とかを復活させればいいじゃない!」
「いいえ、魂の記憶から肉体を復活させることができる期間は限られています。もう、時間がないのです。
 男は水香に手を伸ばした。
「その男性は私の弟です。返してくださいますね?」
「私は正当な契約により、彼を得たのよ。弟だかなんだか知らないけれど、今は私のものなんだからっ!」
 水香は男の手を払いのけ、時雨を引き寄せた。
「新たな生を受けている彼等を引き戻そうというからには、それ相応の理由があるんだろ?」
 翼が男に問う。
 男は頷いて語りだす。
「現在、我が国を治めているのは私の子供です。まだ言葉も喋れぬ赤子です。私達を罠に嵌めた親族が、糸を引き操ってきた結果、元々小国であった我が国は僅か数ヶ月で衰退し、隣国の属国と化してしまいました。この事態を打開するためには、直系の皇族の力が必要不可欠です。彼は我が国の唯一の希望なのですよ」
「そんな事情なんてどうでもいいのよ。時雨は私のもの。私のものなんだから!」
「まあ、落ち着いてよ」
 わめきだす水香を制しながら、垂が前に出る。
「ええっと、一応聞くけど、時雨の魂をそちらに貸して、用が済んだらまた返してもらう……とかは無理だよね?」
「はい。魂を取るということは、再びフリアルを殺すことになりますから。それに、彼には国を統治してもらわねばなりません」
「でもさ、あなたの身体を復活させ、かけられた術を解けば、あなたが統治することは可能なんでしょ?」
「私達の身体は、術をかけられた状態ではなく、術により下級生物にされてしまったのです。皇族の力を取り戻す方法はないわけではありませんが、それにはやはり、純潔の皇族の力が必要です」
 男の言葉が全て真実かどうかはわからない。
 一同は考え込む。
「時雨さんはどう思います?」
 そう聞いたのはアリスだった。
「私は、水香様から離れません」
「それは言わされている言葉だ。お前の本当の意思ではない」
 男が言い放つ。
「本当のお前は、あの世界にはそぐわない国を愛する優しい男だった」
 男は、時雨に手を伸ばす。
「こっちに来なさい、フリアル」
 時雨は、水香を見た。水香は時雨を離さない。
 しかし、時雨の足は彼の意思とは反対に男の元へと進みだす。
「ダメだってば!」
 水香が腕を引っ張り、翼は時雨の前に立つ。
 突然、男が小さな笑い声を発した。
「私は、大した力を使っていません。下等生物にされた私の魂は、さほど力を持っていませんから。ですから、これは彼の魂の意思です。ミレーゼも、フリアルも私と共に元の世界に戻ることを願っているのです」
 男は余裕の表情で続けた。
「では、1週間時間を上げましょう。その間に結論を出してください」
「さっき、魂を取るということは、再び殺すことになるって言ってたけど……今、彼は時雨として生きている。その彼の魂を渡すってことは――」
「ええ、『時雨』の体の機能を停止させる、ということです」
 男は、殺すという言葉は使わなかった。
「絶対、嫌だから……っ」
 水香は、時雨を引き寄せた。
 そして、共に走り出す。男の手から逃れるように。
 翼と垂は、二人の後に続いた。

「落ち着いて、水香さん!」
 垂が、水香の腕を掴んで、並ぶ。翼は背後からついてくる。
 野次馬が群がる通りへ下りた時だった。
「やっぱり、水香さんだ」
 女性の声が響いた。
 野次馬の中、黒い服の男性に護られたエルフの女性がいた。……藤田あやこだ。
「ゴーレムの女の子の方は?」
 あやこの問いに答えず、水香はあやこの側につかつかと歩み寄った。
 そして手を伸ばすと、あやこの髪に触れた。
 ぐっと引っ張る。
「痛っ。突然なによ!」
「地毛だ」
「当然じゃない。そりゃ、この間会った時は、事故で髪を失ってたけど、やっとここまで伸びたのー」
 大事そうに自分の髪を撫でるあやこ。
「エルフって偉いの?」
「エルフが偉いかどうかはわからないけど、この身体はエルフ族の王女の身体よー」
 少し得意気に言ったのが運のつきだった。
 突如、水香に腕をぎゅっと掴まれる。
「家に帰るよ、皆!」
「え、え、えっ?」
 訳の分からないまま、あやこも引きづられるように、呉家へと同行することになった。

**********

「じゃ、ここに座って」
「え? え?」
 理由も分からぬまま、あやこは水香の研究室に連れ込まれ、椅子に座らされた。
 水香は帰宅途中、デパートで購入したとあるものをテーブルに置いた。
「動かないでね。私素人だし」
 水香が背後に立つ。
「何が? 何をするの?」
 振り向いたあやこの目の前を、何かが通過した。
 落ちた何かを見たあやこは一瞬固まる。
「か、髪? な、何してんのよーーーーーっ!」
 ざくり。
 ハサミの先があやこの耳元に突き刺さった。
「ぎゃー!」
「動かないでって言ったでしょうがっ」
「や、やめて、それだけは勘弁してっ! 髪は女の命なのよー」
 必死に抵抗するあやこ。
 室内にいるのは、二人の他は時雨だけだ。
 他の人物は居間で待機している。……研究室で何が行なわれているかは、察しがついているだろうが、止めに入ってはこなかった。
「動かなければ、痛みなんてないから! 私の水菜の為に必要なのよ! 可愛いでしょ、水菜。あなたもそう思うわよね?」
「でも、それとこれとは……!」
「なによ、髪くらい提供してくれたっていいじゃない! また生えるし。ちょっと短くなるだけだってばー」
「やだーっ! 助けてー!」
 あやこは、時雨に手を伸ばす。
「時雨、押さえつけてっ!」
「はい」
 時雨は、水香に忠実だった。あやこは強い力で押さえつけられてしまう。
 まな板の上の鯉の如く、あやこの髪がぱらぱらと落ちてゆく。
 長い月日がかかった。
 ここまで伸ばすのに、どれだけ苦労したことだろう。
 毎日のケアも欠かさなかった。
 大切に、大切に育てた、私の髪――。
 ウィィィィィィィ…
「う、うわああああああー」
 いやな音を立てて近付いてきたのは、電動バリカンだった。
「動くと鼻を剃り落としちゃうかもよ!」
 恐ろしいことを言いながら、水香の手が近付き、あやこの髪の分け目に、忌まわしい機械が入り込んできた。
「ちょっと短くなるだけって……」
「数秒前まではそう思ってたんだけどね。この程度じゃ全然足りなそうだから、やっぱ一気にやるのがいいしー」
 無残、あやこの頭は虎刈り状態になっていく。
「うううううっ」
 鏡がないのが幸いだ。
 あやこには、何も見えてはいない。落ちる髪が見えるだけで。
 これは、私の髪じゃない、私の髪じゃない……。必死に現実逃避しようとするあやこ。
「うーん、これでも足りなそうだっ。もっとわかめとか食べて、増やしてから来てよねっ!」
 ああ、なんて身勝手極まりない言葉だろう。はらはらとあやこの眼から涙が落ちる。
 一度、通った場所を2、3度バリカンが通過する。
 そして、その凶器はあやこ目の前に迫った。
「水香様、眉毛は対象外では?」
「えー、そうかなー」
 軽く端を剃り落としただけで、目の前から凶器は去っていった。
 それでも全然嬉しくなんかない。
 忌まわしい機械があやこの頭を撫で回している。
「はい、終了。全然足りないけれど、仕方ないわね。身体についた分も全部落としていってよね!」
 ああ、なんて勝手な言い草なんだろう。
 でも、そんなことはもうどうでもよかった。
 テーブルの上の手鏡をおそるおそる手にする。
 ぴかーん☆
 ……
 ……
 あやこの頭は、蛍光灯の光を反射し、とても美しい光を放っていた。
 それはもう、真珠が放つ独特な美しさの如く。ああ、神秘的でなんて美しいのだろうー!
 ……。
「水香様、このような安物のバリカンでここまで、綺麗に剃り落とされるとは。美容師の才能もおありですね」
「あ、そう思う? 私も今、自分の才能が恐ろしくなってたところ♪」
 二人は、あやこに纏わりつく髪を、最後の一本まで払い落としてくれる。
「初めてのお客様だし、散髪料はサービスしておくわよ」
 水香の言葉に、ぱくぱく口をあけて、抗議しようとするあやこ。だけど、「髪、髪、かみ、かみぃ…」としか、言葉が出なかった。
「先に、お部屋に戻っていてください。必要でしたら、これ、差し上げます。あとこちらもどうぞ」
 時雨が取り出したのは、トイレットペーパーだった。
 違う、ほしいカミが違うッ。それは、トイレで必要なカミだッ!
 いや落ちた髪を貰っても、もう元に戻りはしないのだが。
 もう一つ、時雨に渡されたのは女性用のカツラであった。憎たらしいほどに長い髪のカツラ。
 あやこはそれを受け取って、とぼとぼと皆が待機する居間に戻っていった……。

 その後、水香は時雨と共に、神妙な顔で居間に現れた。
 手には悪魔契約書と、あやこの髪がある。
 あやこは一人、部屋の隅で蹲っている。
 翼と垂から事情を聞き、理由は理解した。だけれど、自分におきた不幸はいまだ受け入れられなかった。
 悪魔契約書と、髪――。
 そう、水香は魂の記憶を呼び寄せる決断をした。
「水菜のだけよ。それもこの程度の髪じゃ、全部の記憶は無理ね」
「本人の意思を尊重するつもりなら、彼女だけっていうのはちょっと解せないけど……」
「時雨も水菜も、今二人の命が宿っている体は、本人の意思なんてあってないようなものなのよ。命があっても人間以外の動物には意思能力がない。それと同じ」
 同じではないと、垂も翼も、あやこも思いはしたが、反論はしなかった。
「水菜、戻ってきてないけれどできるの?」
 垂の言葉に、水香は頷いた。
 翼は念のため風に聞いてみる。――水菜は悠輔達と共にいるようだ。心配はないだろう。
「その本……使うべきではないと思うが」
 翼は悪魔契約書を危険な本だと感じていた。少なくとも、水香のような普通の少女には、扱えるようなものではない。
 だけれど、解決する方法として、魂の記憶。そして……必要なら、魂を返すための契約は、見守ってあげなければならないだろう。
「水香様」
 丁寧な時雨の声が響いた。
「私の記憶を呼び寄せてください」
 それは、時雨が初めて口にした、彼自身の願いであった。
 驚きの表情で、水香が時雨を見上げる。
「私の命が、どんな過去を持っていようと、水香様を慕う気持ちは変わりません。私は水香様の最高傑作ですからね」
 そう言って、時雨は微笑んだ。
「そう、だよね」
 水香は吐息をついて、髪をテーブルに広げた。
「でも、二人の記憶を呼ぶには、髪が全然たりないや。高位種族の髪が必要なんだけれど……」
「それなら私の髪を使ってください」
 そう言って入ってきたのは、報告に戻ったアリスだ。
「変わった種族の血が流れていますので」
 リボンを解いて、髪を水香に差し出した。
 頷いて、水香はアリスの髪を取り、はさみで切り落とした。
「私の髪は、水菜さんに」
 その言葉にも頷いて、水香は本を開いた。
 実験用のアルミ缶に髪を入れる。
 本に書かれた指示通り、時雨の髪と共に、あやこから提供を受けた髪に火をつけた。
 本を通じて送られてくる力に、翼は気付いていた。
 だけれど、悪影響を及ぼす力ではないため、警戒するに留めた。
 続いて、予め切っておいた水菜の髪にも。水菜の髪は、アリスの髪と共に、アルミ缶の中で燃え尽きた。

 静かに見守っていた。
 誰も、何も言わず。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2863 / 蒼王・翼 / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【5973 / 阿佐人・悠輔 / 男性 / 17歳 / 高校生】
【6029 / 広瀬・ファイリア / 女性 / 17歳 / 家事手伝い(トラブルメーカー)】
【6047 / アリス・ルシファール / 女性 / 13歳 / 時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
【6424 / 朝霧・垂 / 女性 / 17歳 / 高校生/サマナー(召喚師)】
【7061 / 藤田・あやこ / 女性 / 24歳 / 女子高生セレブ】

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸です。
ね、狙っていたわけではないのですが、ああああ大事な髪をすみません……(笑)。
ご提供(!?)がなければ、2人共の記憶を呼ぶことは不可能でした。
ご協力感謝いたしますっ!

水菜と時雨は、過去の記憶を夢で見ることにより、少しずつ思い出していきます。
次回は大きな分岐点になると思います。
水香の意思は今回同様ですが、彼女の気持ちは我が侭で身勝手なものです。
水菜と時雨は前身の記憶が戻っても、水香への忠誠心は崩れません(ゴーレムの身体に魂がある場合に限り)。
オープニングは11月中の登録を予定していますが、その前に誰かの話を聞いてみたいようでしたら、ゲームノベル「応接室にて」や、NPC交流メッセージで、お聞きいただければと思います。
発行済みノベル関連アイテムは今後の展開でなんらかの役割を果たす可能性があります。
(赤い栞、悪魔契約書、折り鶴…)
それでは、またお目にとまりましたら、どうぞよろしくお願いいたします。