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<東京怪談・PCゲームノベル>


     出会い桜

 毎日休まず天に昇る勤勉な太陽は、一日の勤めを終えて疲労の赤色をにじませながら、しぼむように夜の闇を引いて地平線の向こうへと滑り落ちていく。瑠璃垣羽桜(るりがきはおう)が、万屋をしている弟子の手伝いを終えて帰途に着いたのは、そんな疲れきった太陽がすっかり寝床へ引っ込んだ頃だった。
 「今回の依頼も厄介だったわ。」
 自分と同じく激務を終え、一足先に眠りについた太陽をねぎらうように夜空を見上げると、苦笑しながらぽつりと呟き、羽桜は携帯電話を取り出して帰宅の旨を告げるメールを弟子へと送った。送信完了の文字を確認し、立ち止まって携帯電話をポケットにしまう。そして顔を上げ――羽桜はその視界に一本の桜の樹を捉えた。長く艶やかな黒髪の上にちょこんと乗っているカウボーイハットを少し持ち上げ、周囲に目を配る。彼女が今立っているのは、どうやら空き地のようだった。桜の樹の他に樹木は一本もなく、人気もない。
 しかし、すぐに羽桜は桜の下に人ならざる者がひっそりと佇んでいることに気付いた。ハッカー先生や道場主など様々な顔を持つ羽桜だが、陰陽師という特殊な能力もある為、その人影が人間ではなく、傍らに堂々とそびえる桜の樹の化身だと一目で見抜く。
 その視線に気付いたのか、桜の下の人ならざる者は少年のような姿で、老人のような眼差しを、穏やかに羽桜へと投げ返してきた。その遠慮のない――しかし、思慮深い土色の瞳を見据え、羽桜は夜の闇にも呑まれぬ黒髪を揺らすと、細身のしなやかな手足を軽やかに翻して桜の化身の下に歩み寄り、
 「昔に貴方に会った事があるわよね?」
 と静かに問う。これに桜の化身――桜佳(おうか)はわずかに目を細め、羽桜の端正な顔を注視すると、やがて、懐かしむような微かな笑みを浮かべて頷いた。
 「闇色に染めてもあなたの髪は銀糸の輝き。姿が変わり夜の闇に沈んでも、あなたの魂は同じ光をたたえている。懐かしい色だ。」
 桜佳がそう言うと、羽桜の若い女性の姿に、年齢の判然としない銀髪の、美しい男の影が重なる。にこやかな表情の奥にどこかしたたかさと、そして深い愛情が窺えた。
 今ではない時代、今とは違う名で呼ばれていた頃の姿が、羽桜の身体と替わろうとしている。それはろうそくの火が瞬くようにちらちらと揺れ、置き去りにされた時間をも振り返る深い瞳で桜佳が見守る中、次第に和装に身を包んだ男の姿へと変わっていった。それと同時に記憶も『前世』と呼ばれる過去に遡る。

 彼女――いや、『彼』は、普段の落ち着いた物腰からは想像できない、柄にもなく取り乱した様子で人を探していた――彼の弟子にして、息子の姿を。
 人に仇なす化け物退治を生業とする陰陽師である彼は、この日も無事に仕事を終え、達成感と拭いきれない疲労を抱いて我家の戸をくぐったが、ふと、弟子がいなくなっていることに気付いたのである。出かけるにしては遅い時間であったし、さりとて家中探してみても見つからず、不意に言いようのない不安を覚えて外へと飛び出した。迷子を心配するような年でもなかったはずなのに、何故か脳裏に浮かんだ弟子の後ろ姿に、目には見えない重責のようなものがのしかかっているように思え、不安になったのだ。
 ただ一人弟子の姿を求めて、しかし、あてもなくさまよい歩く。そうして、やがて彼は開けた草地にぽつりと一本立つ桜の樹を見つけたのだった。
 日は落ち、辺りは宵闇に沈んでいるというのに桜はほのかに光を発しているようにも見え、その静かな明かりは彼を招いているようにも感じられる。探している者の姿はそこになかったが、彼はその光に誘われるまま桜の下へと歩を進め、真っ直ぐに伸びた幹に手を当てて乱れた息を整えた。目を瞑り、今度は瞼の裏に浮かんだ若者の姿に軋みにも似た胸の痛みを覚える。
 彼の弟子もまた、同じく化け物を狩る役を担っていた。楽な仕事では決してなかったが、弱音を吐いたことは一度もない。彼ら父子にはその役を果たすに必要な力も、技術も、誇りもすべて揃っていたのだから。
 ――だが、と彼は心の内で呟く。化け物の首を狩り、自らも血を流し、その失われた血の代わりに得られるものが、一体どれほど我らの心を慰めてくれるというのだろう。人々の賞賛の言葉と尊敬の眼差しの奥には一種の恐れが潜み、同業者からは妬まれ、また受けた返り血の鮮やかさは、自分の流した血の多さを知った時よりも心を凍てつかせる。そんな動揺を、弟子も抱えてはいないだろうか。
 化け物を狩るが為、何か悩みを抱えてしまってはいないか、と彼は弟子の身を案じた。
 上品な面立ちの顔を隠すように落ちてくる月光のような、涼やかな銀髪を払おうともせず、彼は一時息を止め、顔を上げる。そして桜の問いかけるような光に応え、しかし、誰にともなく言葉を紡いだ。
 「あの子は悩みを抱えてしまう故、心配なんです。」
 どんな苦境でも弱音を吐くことはせず、胸の内に抱え込んでは自分で解決しようとしてしまう弟子の性格を、彼はよく知っていた。また、それが『師』として、あるいは『親』として信頼していないということではなく、強いが為に人に頼ることをしないだけだということも。
 陰陽の術に長けているだけでなく、その心もまた強く、ゆるぎない子供――実子ではなかったが、自分と同じ陰陽師として育ててきたことを後悔はしていない。『息子』はやがて日本一と呼ばれる使い手になるだろう。だが、その呼称が我が子に課す重責を、苦悩を思うと、胸を痛めずにはいられなかった。
 彼自身も陰陽師として様々な辛苦を抱え生きてきたが、そういった負の物事に対して彼は良くも悪くもしたたかであったし、また、清廉潔白なか弱い善人というわけでもない。それが彼の強みでもあった。だからこそ、そういった重みは『師』として、そして『親』として彼が代わりに背負ってやりたかったのだが――時折『息子』が見せる表情から、それが完全に成功しているとは思えなかったのも事実である。若者もまた一人の陰陽師として、苦悩を抱えているようだった。
 「私が抱えさせているのならば、親失格ですね……。」
 桜以外誰も聞く者のない言葉を呟いて、彼は一度樹を見上げると、瞳を閉じ、静かについていた手を離した。
 我が子を探さなければ、守らなければ、という決意の下に桜の樹から離れていく――その姿が陽炎のようにぼやけ、揺れる。ざ、と音を立てて一陣の風が吹き抜けると、そこにはもう銀髪の男の姿はなく、黒髪をなびかせた羽桜が佇んでいるばかりだった。
 『彼女』は瞳を開き、傍らの桜の化身に向かって微かに笑みを浮かべてみせる。
 「そして、あの子は私よりも先に死んでしまった。」
 あれほど必死になって探して、守りたいと思っていたのに、その身を案じていたのに、その手はかつて羽桜が差し出した腕をすり抜け、人の世を去ってしまったのだ。師であった羽桜の過去を残して。
 もしかしたら、あの時人目もはばからずがむしゃらに弟子を探したのは、予感であったのかもしれない、と羽桜は思った。決して見失ってはいけなかったのではないか、と。守りたいのならば、その姿を見失ったりしてはいけなかったのだ。だから目の前であの子の魂も見失ったのだと、思えてならなかった。
 弟子を、息子を守れなかったという思いが今の羽桜の心に影を落としている。
 現在は違う名と違う姿、しかし以前の自分を彷彿とさせる銀色の髪を持つ青年を思い浮かべ、今度こそは守るのだと、羽桜は痛いほどの強い思いで決めていた。
 「今度死ぬ時は、私が先に。」
 そう呟く彼女の頭上から、桜の花びらが音もなく大地に舞い散る。その光景はまるで、涙をこぼさない彼女の代わりに桜が泣いているかのようだった。
 「順番がそれほど大事なのか。」
 黙然と見守っていた桜佳が不意にぽつり、と言葉を発した。
 「死とは生ける者全てに平等のものだ。それに、わたしから見れば人の一生は短い。死は……早いか遅いかの違いでしかないよ。」
 そんな言葉に羽桜はしばらくの間黙していたが、やがて、決意の窺える声音でこう答えた。
 「それでも構わないわ。同じ悲しみを味わうために『今』を生きているわけじゃないもの。」
 そう言って微笑む――と、ポケットの中で携帯電話が無機質な電子音を立てた。取り出して液晶画面を見てみると、先ほど送ったメールの返信が表示されている。気をつけて帰れ、というような味気ない内容であったが、その文面に知らず顔をほころばせ、羽桜は携帯電話をしまいこんで、本気とも冗談ともつかない口調で「偉そうに。」と呟いた。それを聞いて桜佳も小さく笑う。
 「子供はいつか親を追い越して、偉そうに言うようになる。それは子供が一人前になったからだ……と昔会った人間が言っていたよ。だから、あなたは立派に子供を育てたということなのだろう。あなたたちはとてもよく似ているよ。今も昔も、同じように守りたいものを持っている。だから……あなたの息子はあなたを責めたりはしないだろう。」
 意味深な言葉を残して、桜の化身は羽桜に背を向けた。待つ者の下へ帰れ、というようなその背に微笑み返し、羽桜も桜に背を向け、歩き出す。
 隙間などないほど花を咲かせていた枝の下から抜け出し、隠されていた空を見上げると、そこには銀色に輝く月が浮かんでいた。その光は、偉そうに言うようになった今の弟子の姿を思い起こさせる。これほど眩しければ、二度と見失いはしないだろう。
 そんなことを思いながら、羽桜は確かな足取りで守るべき者の下へと帰っていった。



     了





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4642 / 瑠璃垣・羽桜 (るりがき・はおう) / 女性 / 25歳 / パソコンと体術と銃の師匠】


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■         ライター通信          ■
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瑠璃垣羽桜様、はじめまして。
この度は一本桜を訪ねていただきまして、ありがとうございました。
以前お弟子さんがいらっしゃって以来、お師匠様はどんな方なのだろうと密かに興味を持っておりましたので、こうしてお会いできて本当に嬉しく思います。
前世のお話を拝読させていただきましたところ、お弟子さんもお師匠様も、仕事に真面目で誠実で、それだけにいろいろと苦労なさっているようにも感じましたが、それ以上に人のことを思ってらっしゃるところ、優しさなどに大変心惹かれました。
とても魅力的な方々です。
しがない物書きである凡人のわたしには考えも及ばない悩みを抱えてらっしゃるようで、そんな自分がこのような内面に関わるお話を書かせていただけることに「大丈夫なのか、自分!?」と不安になったりも致しましたが、精一杯書かせていただいたつもりでおります。
お気に召す表現をできていたら良いのですが……。
何はともあれ。
こうしてお会いできたことを嬉しく思います。
また機会があれば是非お立ち寄り下さい。
どちらのお姿でも、桜は古き友人を歓迎致します。
それでは最後に、桜の独り言を少し。

 ――古き友を見送って、桜佳は楽しそうに一人呟いた。
 ――「わたしたちは人間たちに置き去りにされるばかりだが……
 ――彼らのような人々と『過去』を語れるのは嬉しい、それがたとえ悲哀の色を帯びていても。」

ありがとうございました。