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煙草の中の麻薬
草間興信所の入り口を、ゆっくり開けた人物がいた。
草間武彦は顔を上げた。――そして軽く手を挙げる。
「よう。久しぶり」
「久しぶりだな」
長身に煙草をくわえた青年は、のんびりと草間の座っているソファに近づいてくる。
「何だ、何か用か?」
草間は広げていた新聞を閉じた。
ケニー、と相手の名を呼んで。
「重大な用だな」
ケニーと呼ばれた青年は、煙草を一本取り出し草間の口にくわえさせた。ついでにライターで火もつけてやる。
「どうも」
ヘビースモーカー同士仲のいい2人は、どこか通じ合うものがある。
「で、どんな重大な用だって?」
「麻薬がな」
「……突然出てくるには重大すぎる言葉だな。麻薬が?」
「紙に麻薬を包んで販売する。よくある手口だ」
「――そうだな」
ケニーは煙草の煙を吐き出した。
「最近、怪魔用の麻薬というのがはやりだしたらしい」
「……はあ?」
草間はすっとんきょうな声をあげた。「怪魔が麻薬?」
「ああ。幽霊やら魔物やら吸血鬼やらが煙草型の麻薬を吸っている」
「……それを吸うとどうなる?」
「ハイになるのは人間と同じだな。それに加えて飛躍的に能力が高くなる」
「それで――」
俺にどうしろと? と草間は眉をしかめて言った。
「放っておけないだろう?」
ケニーはにやりと笑った。
「その煙草の出所を探してほしいんだよ。俺も手伝う……それを吸う怪魔が邪魔をするようなら処分だな」
草間は、煙草の煙を吐き出して、はあとため息をついた。
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瀬下奏恵[せした・かなえ]は私服警備員である。
今は夜。今日も巡回コースにあるコンビニをチェックしに行こうと夜も明るいコンビニに歩いていくと、缶ビールを持ってコンビに前の駐車場に座り込んでいる2人の男がいた。
彼らの周りには、すでに空になった缶ビールや缶チューハイがごろごろ転がっている。酔っ払い具合も大したものだ。
奏恵は早速注意をしようと彼らに近づいた。と――
男の1人がビールをくいっと飲んで。
「――なあ、知ってぇかぁ?」
「あにを〜?」
「最近さァ、魔物やら幽霊やらも、ヤク、やるようになったらしいぜぇぇぇ」
だみ声で聞き取りづらいが、奏恵は慣れている。眉を寄せて今聞こえた言葉を頭の中で繰り返した。
(……魔物や幽霊が、薬をやり始めた?)
「ヤクをさァ、煙草ォにしてサ、スパスパ吸ってやがるんだと」
言ってぎゃはぎゃは笑う男。
奏恵は表情を引き締めた。酔っ払いの言うことではあるが、気になる話題だ。
「やつらァなんてェ、ただでさえ狂ってンのに、さらにトぶンだぜぇ。たまんねえなァ」
コンビニの明かりがやけに明るい。その中を男たちに向かって静かに歩く。
男の1人はまたビールを飲んで、ぶっはぁと息を吐いた後、ふと近づいてくる奏恵に気づいたらしい。
「あんだぁ」
「……警備会社の者です」
言った途端、ぎくりと男2人の顔が引きつった。慌てて立ち上がろうとしたらしいが、酔っ払いすぎて足がもつれて転んでしまう。
奏恵はびしっと警杖をつきつけ、
「あなたたちの処分は置いておくとして――まず、訊きたいことがあります」
「な、な、な、なんだァ」
奏恵は静かに、息を吐いた。
「……先ほどの魔物たちの吸う煙草型の薬の話は、どこから聞いたのですか?」
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ケニーによって煙草をくわえさせられた草間の前に、
「はい、武彦さん、灰皿」
と興信所の事務員シュライン・エマが、灰皿をすっと差し出した。
彼女ももちろんケニーのことは知っている。シュラインは彼を見て、
「しばらくぶりだと思っていたけれど……また妙なご依頼ね」
「すまんな」
ケニーはぷかーっと煙草の煙を上げながら軽く肩をすくめた。「あのぶっ飛び家族を養っていくための商売なんだ」
「どこからかの依頼なのね?」
「怪魔が大嫌いな奴からのな。最近怪魔がパワーアップしたという情報かぎつけて、その理由までは自分でつきとめたんだよ。その先の実務行動を任された」
「怪魔と麻薬のつながりは分かっても、その先ができないなんて奇特な人ねえ」
「まあ、退魔師でも異能者でもないからな」
ケニーの言葉にシュラインは微苦笑し、そして唇に指を当てた。
「んー…やっぱり常用してると禁断症状も凄い筈よね? 依存者なら、入手後それ程離れてない場所で使っちゃうと思うの」
言いながら立ち上がり、パソコンの前に行く。
「何から始める気だ? シュライン」
草間が彼女を見た。
「まず怪魔が関与してると思われる、最近特に凶悪で衝動的な事件ピックアップするわ」
パソコンでニュースを見渡せば大体分かる。ゴーストネットOFFはもちろん。後はそういう事件を好んで取り扱う個人サイトやら、警察官のサイトやら、某匿名掲示板やら。
「――うん、あるある。薬が始まったの、事実みたいよ」
シュラインは大きな東京都内地図を取り出してきて、その中に、気になる事件が起きた場所を書き込んで行く。
「現場検証に行きたいんだけど……」
「お前1人でか? それはやめろ」
草間が難色を示した。電話に手を伸ばし、「今から助っ人を呼ぶから」
とシュラインを制した。
「さすが、あんたもシュラインは大切にするんだな」
ケニーが煙草を揺らしながら唇の端を吊り上げると、草間は赤くなり顔をしかめた。
「阿呆。元々シュラインの異能は戦いには向いていないし――、た、大切にするならみんな平等だ」
テーブルに広げた地図の前で、シュラインがため息をついている。それが聞こえたのだろう。
「い、いや、その」
「心配しないで武彦さん。今は仕事のことを考えて――私1人で行ったら危険度が高くなる可能性くらい、自覚してる」
「………」
さて、とシュラインはもう1度パソコンの前に向かって、さらに情報を集め始めた。
草間は何も言わず、電話番号を押していた。
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「呼んだ、かー」
興信所に入ってくるなり第一声、のんびりとした声で言ったのは、夜崎刀真[やざき・とうま]だった。
「よんだ、かー?」
その後ろからひょこっと、銀髪にリボンをかけた、全体的に何となくふわふわした印象の少女が顔を出す。
「よんだ、かー」
小柄な少女は楽しそうに刀真の口真似を続けた。
「瑠宇は黙ってろ」
その頭を背後に押し込んで、刀真は興信所内にいるメンバーを確かめた。
「よお……刀真」
草間が疲れた様子で手を振ってくる。「相変わらず瑠宇連れか」
「離れねえんだよ、こいつ」
刀真に頭を押し付けられたまま、「む〜」とうなっているのは龍神瑠宇[りゅうじん・るう]である。
刀真はそれを無視して、
「どちらサマ」
と草間のデスクを見た。
そこでは長身の見知らぬ男が、煙草をくわえて腕組みをし、面白そうに刀真を見ていた。
その男は笑みを浮かべ、
「龍連れとは面白い助っ人だな、草間」
「あ? あれはおまけだと刀真が常々」
「スカなおまけだ」
刀真は真面目にうんうんうなずいた。「スカが5連続続いたような気分になれるおまけだ」
「ふえ? どういういみー? トーマー」
刀真の手から自力で脱け出し、瑠宇はまたひょこっと顔を出して訊いてきた。にこにこ笑っている。
「……いんや、別に」
刀真はさらっと話をそらした。
「で、結局あんたダレ」
「ケニー。今回草間に依頼した張本人だ。というわけで間接的に俺がきみを雇ったことになる。よろしく」
ケニーは軽く手を挙げた。
「あっそう……で、仕事内容は」
「電話で話したろう?」
「ヤクでぶっとんだ怪魔がどーとか? なんか、そっちのねーさんの護衛をしろって話だったけど」
新たに得た情報を地図に書き込んでいたシュラインが顔を上げる。
「あ、刀真君。ごめんね、ちょっと夢中になってて気づかなかったわ」
「どーでも。それより何であんたの護衛?」
――話を聞いて、刀真は遠い目で言った。
「俺がガキの頃、地元で英国が阿片ばら撒いた時も嵌った妖怪がいてなぁ……」
げふっと草間がむせる。
刀真は普通の少年に見えて、実は100歳を軽く超える仙人である。
「どーぴんぐはズルいよね、うん。すぽーつまんしっぷにのっとってないからやっちゃダメだよー」
瑠宇が間抜けなことを言い出す。
微妙にケニーのツボに入ったらしい、くっくっとケニーは煙草を口から離して笑った。
「んで護衛? の話だけどさ」
刀真は頭をかきながら言った。「俺、どっちかってぇと自分を護るのに精一杯なんだよなあ。このスカオバケもいるし」
「すかおばけってなーにー? トーマ」
「黙ってろこの怪力頑丈しか能がありませんよ居候オバケ。で、つまるところ護衛ムリ」
「ああ? じゃあお前を呼んだ意味ないじゃないか」
「俺は俺で聞き込みしてやるよ。俺の分野の怪魔もいるしな」
「ああ……」
草間はうなずいた。「そうだな。広く調査した方がいいかもしれない」
「昔、TVでやってたよね? お薬やめますか、それともニンゲンやめますかーって」
「お前元々人間じゃねえだろ」
瑠宇につっこみながら刀真はシュラインの広げていた地図を見る。
「この書き込んである場所は何の位置?」
「最近起きた、怪魔に関係しそうで、さらに普段より凶暴、凶悪な事件が起きた場所。私が現場検証に行きたいところ」
ふむ、と刀真は腕を組み、
「俺はここら辺を避けて聞き込みしてくるわ。見落としがねえように」
「お任せするわ」
「んじゃ早速」
行くぞ居候オバケ、と刀真は瑠宇を呼ぶ。
「いそーろーオバケじゃないもんっ」
ぷりぷり怒りながらも、何も分かっていないのだろう、幸せそうな顔で瑠宇は刀真についていく。
「じゃーな。何か分かったらこの興信所に電話すっからな」
「分かった。気をつけて行ってこいよ」
「心配すんな。俺は自分のことが第一に大切だ」
草間を苦笑させて、刀真と瑠宇はそのまま出て行った。
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「シュラインの護衛をどうするかなあ……」
草間はぎしっと椅子の背もたれに背を預けて、空中に視線を飛ばした。「俺がしてやりたいところだが、俺も怪魔には強くない」
「あんたは管制塔だ。ここから動かない方がいい」
「……そう言えばお前はどうするんだ、ケニー」
「俺は複数行動が得意じゃない」
ケニーは苦笑した。「まあいざとなったら、俺がシュラインの護衛をしてもいいんだが……」
その時、草間興信所の扉が開いた。
「草間。パチンコで儲けて来た分分けて――」
言いかけたのは黒冥月[ヘイ・ミンユェ]だった。両手に荷物を持ったままぽかんとケニーを見つめ、
「……何でお前がここにいるんだ?」
「仕事の依頼に来た」
「なんだ冥月。お前もケニーと知り合いか」
草間とケニーの間に漂う雰囲気は、「依頼のために今日初めて来ました」というようなものではなかった。
冥月は呆れ、草間の前に『分け前』を置きながら、
「お前の顔の広さには時々感心する。だがこの手のばかりだから“怪奇探偵”なんだ」
「そしてお前もその1人ってか」
草間が笑った。瞬間、アッパーカットが草間のあごを捕らえた。
武彦さん! とシュラインが慌てて椅子から落ちた草間を助けに行く。
「――で、お前の依頼というのは何なんだ」
冥月は何事もなかったかのような顔で、ケニーの方を向いた。
話を聞いた冥月は、しばらく沈黙していた。
ケニーが目を細める。――いつもの冥月と、違う。
やがて冥月はひとつ大きく息をつき、
「――麻薬は嫌いだから手伝ってやる」
と言った。
ん? と草間が不思議そうにした。彼も冥月とは長い縁だ。彼女の変化ぐらい分かる。
冥月はおそらく――
猛烈に怒っている。
彼女は長い髪をさらっと後ろへ流し、腕を組んだ。
「その手の捜査手法は決まってる。吸ってる奴をかたっぱしから締め上げればいい」
草間が手を打った。
「なら冥月。お前シュラインと一緒に現場検証に行ってこい」
「現場検証?」
シュラインが事情を話した。ふん、と冥月は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「――分かった。そういう事件が起きた辺りには怪魔も出やすいということだからな」
「最終目標はもちろん」
ケニーが視線で冥月を促す。
冥月は言葉を受けた。
「シンジケートつぶしか。いいだろう、やってやる」
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和田京太郎[わだ・きょうたろう]は今日も何事もない学校生活を終わらせ、帰宅しようとしていた。
何事もない。そう、彼にとっては何事もない。
何事もない、と言い聞かせているのかもしれない。
――どこかの中学生が、執拗に自分の後ろをつけてくるのも、別に悪意がなさそうだからいいと放っておいたのだ。
ところが――突然それが変わった。
京太郎は気配でそれを感じて、舌打ちした。これは、とっとと逃げるべきかどうか――
鈴城亮吾[すずしろ・りょうご]は中学生だ。
もちろんそこらへんにいるごく普通の中学生――ではない。魂がグレムリンという精霊と混じりあっている、後天的な異能者である。
そんな彼が現在行っているのは、和田京太郎という高校生につきまとうこと。
(あれは……ネットワーク内じゃ有名な風鬼と雷鬼の間に出来た子じゃね……?)
ネットワークというのは彼のグレムリン能力。グレムリンネットワークだ。どんなものかと言うと、グレムリンたちによる怪魔情報回線。その情報量は圧倒的な量を誇る。
そのネットワークに、京太郎は引っかかっていた。だから亮吾は好奇心むき出しで学校帰りの彼の後をつけていた。
そこへ、
「おい、そこの子供っ」
声がかかって、亮吾はびくっと肩を震えさせた。
突然がっと肩を寄せられ、ひそひそ話をするかのように顔をよせられて、
「なんだなんだお前、京太郎に気があんのか? ストーカーかぁ?」
にやにやと笑う顔。
亮吾はそろそろとその顔を確かめて、ひっと身を縮めた。
――ネットワークにすぐ引っかかる。外見年齢は京太郎と変わらないが、こいつは天波慎霰[あまは・しんざん]――人里離れた天狗の里で育てられた天狗だ。
亮吾はたはっと頭に手をやって、何とかごまかそうとした。
「違う違う〜。帰る道が同じだけですって」
「それにしちゃ、わざわざ電柱に隠れたりこそこそしてたな?」
「えーと、人に姿見られんのが嫌いなんです」
「ここは京太郎以外とりあえず人通ってなかったぞ?」
あんたがいたじゃん、という言葉をぐっと飲み込んで、
「癖なんですよ〜」
「お前嘘下手」
ずばり言われた。
そして慎霰は、彼が現れて以来走り出していた京太郎に向かって、
「お〜い、京太郎ー!」
と大声で呼びかけた。
京太郎は知らん顔のままもの凄い勢いでその後姿を消そうとしている。
慎霰は懐から笛を取り出した。
そして、おもむろに吹き出した。
――亮吾には聞こえた気がした。はるか向こうで、京太郎が滑って転んだ音が。
笛の音は続く。楽しげに旋律を奏でる。
――だんだん京太郎の姿が戻ってきて、亮吾は驚いた。
しかも、戻ってきた京太郎は変だった。
……踊っているのだ。
「し〜ん〜ざ〜ん〜」
踊りながら近くまで来させられてしまった京太郎は、まさに鬼の形相で慎霰をにらみつける。
ようやく笛を吹くのをやめた慎霰は、
「よかったなっ! 京太郎」
と両手を腰にあてて、がははと笑った。
「あんっ!?」
「お前の恋人候補だ!」
ぽんぽん背中を叩くのは亮吾。
「健気にもずっとお前の後ろを追っていた……その心情いかばかりか……」
「俺にそのシュミはねええええええ!!!」
京太郎の渾身の拳は、するっと慎霰によけられて電柱に当たり、電柱をへし折った。
「……あ、ヤベ」
「……逃げとこ」
「……え、俺もデスカ」
3人はこそこそとその場を離れた。
そしてやって来た場所はなぜか草間興信所の前だった。
ちょうどそこから、3人の人物が出てくるところだった。
冥月に、シュライン。そして見知らぬ長身の男が1人。
「……あら、慎霰君。京太郎君。――そちらは新しいお友達?」
シュラインが亮吾を見て言う。
「あ、えと、俺は鈴城亮吾って言いマス」
それを聞いた京太郎と慎霰が、
「ふうん」
「お前そんな名前だったの」
「……お友達じゃなかったの……?」
シュラインが苦笑する。
「いやたった今からオトモダチ」
慎霰がぱんぱんと亮吾の肩を叩き、「で、どこに行くんだ?」
目の前の大人3人をぐるっと見渡した。
シュラインが事情を説明がてら、ケニーを3人に紹介する。
「3人とも面白い子供だな」
どんな出生、どんな異能者とも聞かされない内に、ケニーは京太郎、慎霰、亮吾を見て目を細めて笑う。
慎霰は不審そうな顔になり、ケニーを警戒した。
――麻薬は、自分たちの勢力外の異種にバラまけば、連携を乱す武器にもなるもの。
治安維持の退魔組織でもないのに、出所を探って、どうするつもりなんだ?
「何か言いたそうだな?」
ケニーは片唇の端を吊り上げた。
「………」
「俺には関係ねえ」
京太郎はすぐに回れ右をして帰ろうとする。
その襟首を、むんずと慎霰がつかんだ。
「ダメだ。お前も協力」
「何で」
「何でもだ」
「……俺どうなんの」
亮吾がぶすっとしている。
ケニーが片眉をあげて、
「捜査を手伝うと言うのなら、君らにだって報酬は出るぞ? 広がる前に是が非でも抹消したいものだからな、人手が欲しい」
「別に金なんていらね。ほんじゃ」
「行くなって言ってんだろ京太郎」
亮吾もな、と慎霰にすごまれて、亮吾はこくこくうなずいた。
「うるさいガキどもだな」
ずっと黙って、ただ腕組みをし爪先で地面を叩いていた冥月が、イライラした声で言った。「やるのかやらんのか。さっさと決めろ」
「俺はやらな」
「3人ともでやってやらぁ」
「えああああ?」
亮吾まで変な声になった。
「やるんだな。なら能力全開にしてぶっつぶすぞ。麻薬の売人だけじゃない、シンジケートまできっちり」
冥月は鬼気迫る勢いで慎霰に迫る。
「分かってる」
慎霰はにらみ返した。
「――よし」
冥月はシュラインに、「行くぞ」と声をかけ歩き出す。
残ったケニーは3人の少年を見下ろして、「ふむ」と腕を組む。
「きみたちは、この状況でまず何をする?」
「……俺は情報収集」
慎霰がケニーをにらんだまま言う。
「俺も情報収集だな」
亮吾が少し考えて言った。「うまくいきゃバイヤーとの接触もできるし、取引現場にも行けるぜ」
そこまで来て、京太郎は渋々と、
「……俺は囮捜査ぐらいしかできねえよ」
とぶっきらぼうに吐き捨てた。「それより、あんたはどんな力があんだよ」
「俺か? 俺はこれくらいだな」
ケニーはスーツの内側を見せた。
ホルスターが見えた。入っているのは――リヴォルバーS&W。
「それで怪魔相手に戦えんのか?」
「普通にも相手は出来るが……特殊弾丸も持っているのでな」
「………」
「俺と亮吾がいい相手と場所見つけ出して、京太郎に囮になってもらって、んで俺たち全員でつっこむ。あんたも含めてだぜ、ケニーさんよ」
慎霰がケニーの胸元を腕で押した。
「ふむ」
ケニーは煙草の煙を吐き出してから、面白そうに目を細めた。
「いいだろう。俺はきみたちと同行しよう」
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警備員の奏恵は相変わらず巡回警備を続けていた。
そして、例の怪魔と麻薬との関係についてを仕事の合間に調べるようになっていた。
警備員の仕事を続ければ続けるほど、人間の口からも色々な情報が入ってくる。ある日コンビニの前ででろんでろんに酔っ払いながら泣いている青年がいた。いわく、「俺のばあちゃんと仲良くしてた犬型の魔物が、なんか魔物の仲間に誘われて麻薬をやって、あげくばあちゃんを殺しちまった」。
――こうなってくると、怪魔が麻薬を吸っている可能性を否定できなくなってくる。
(今まで巡回警備で怪魔と出会ったことはないけど)
麻薬を吸った怪魔はその行動範囲を広げているかもしれない。奏恵は巡回警備にさらに力を入れるよう、上司に進言した。
上司には不思議そうな顔をされたが、最近凶悪な事件が増えているのも事実だったので、受け入れてもらえたようだ。
最も――敵が怪魔だけに、異能者の警備員を増やさなくては意味がないような気もしたが。
仕事の合間のパソコン。
一番チェックするようになったのは、もちろんゴーストネットOFF。
やはり怪魔と麻薬の噂が増えてきていた。奏恵は自分も書き込んだ。
From:巡回警備員
内容:最近流行っている怪魔と麻薬のつながりについて、売人や取引現場の情報求む。
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「………?」
ふと、シュラインが足を止めた。
「どうした」
冥月が振り向く。シュラインは彼女の後ろで、ノートパソコンを器用に片腕に乗せて操作していたのだが。
「私たちの他にも、怪魔と麻薬に関することを調べている方がいるみたいだわ」
冥月は、軽くふうんと言っただけだった。
「そりゃあここまで凶悪な事件が続けば噂も飛び始めるんじゃないのか」
「そうね……ゴーストネットOFFではすでに定番の噂になっていたし。でも」
うーん、とシュラインはキーボードの上に手をかけたまま、柳眉を寄せた。
「……どうせなら、共同戦線張れたらいいかな、とか思うのだけれど」
「そいつもケニーのように依頼されて動いているんじゃないのか? だとしたら私たちが逆に邪魔だぞ」
「ハンドルネームが『巡回警備員』になっているから……」
「なんだそれは」
冥月は眉をひそめた。「まさかただの正義感で動いている人間、とかいう気か?」
「さあ、それは分からないけれど。でも一応コンタクト取ってみようかしら」
シュラインはカタカタとキーボードを叩いていく。
ここは一週間ほど前、2人分の残虐引き裂かれ死体が発見された現場だった。ビルとビルの間である。今は花が添えられている。
冥月は辺りを見渡し、
「物陰が多すぎる。逢瀬でもしていたのか知らんが……怪魔の餌食になるわけだ」
その時――
ぐげぎゃぐぇあぎゃぎゃぎゃあ!
とても人間のものとは思えない奇声が上がり、シュラインの動きが思わず止まった。
それを皮切りに、物陰から次々と奇声を上げる怪魔が飛び出してきた。
しかし冥月はちらと軽く周りを見渡しただけで、
「邪魔だ」
影から突き出る影槍で串刺しにした。
シュラインはなるべくそちらを見ないようにして、パソコン画面に集中し、キーボードを叩く。
串刺しにされた怪魔たち――人間の体に猫や蛇など、複数の生物が合体したような形をしている――は、まだ生きていた。どうやら冥月がわざと急所をはずしたらしい。
「……生命力も高いな。こいつら――ああ、爪も牙もある。ビンゴだ」
言うなり、冥月は1体の魔物を貫いていた影槍を消した。
どさっとその魔物が落ちてくる。
「さて」
冥月はその腹を踏みつけた。
「……お前ら、薬やってんだってな?」
ぐぎ……
ぎりぎりと奥歯を噛みしめる音がする。
影槍で刺された場所から血が噴き出していた。
「………」
冥月は冷めた顔で、容赦なくその怪魔を影で締め上げた。
ぼきっと嫌な音がする。影の中で骨がねじ切れた。ばきっと音がする。関節がはずれた。
「吐け」
冥月は零度の声でその怪魔の目を見つめた。
「……お前らにその薬を売ったのは、誰だ」
怪魔がぼつぼつと冥月に答えを吐き出した頃、
「コンタクトが取れたわ」
シュラインがパソコンの画面を見て少しだけ微笑んだ。
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刀真は地道に聞き込みをしていた。
「よう、10年ぶり。また一段と老けたな、坊主」
「誰が老けたか」
そんなことを言い合える友人だが。
その正体は中華系マフィアの老人だった。
刀真は最近出回っている最新ドラッグの噂について尋ねた。
「――そうなんだよトーヤ坊。最近それで縄張りが荒れて荒れて困ってんだ」
中華系マフィアと言えばこの東京にはうじゃうじゃいる。だが互いに縄張りを保って、ぎりぎり平安を維持している状態だ。
「知らねえか? 売人の居場所とか。取引現場の場所とか」
「ばいにーん。とりひきげんばー」
幸せそうな声を出すのは瑠宇である。刀真は手刀でずびしっと瑠宇の脳天を叩いた。
「いったーい! トーマのばかっ」
頭を抱えて瑠宇はきゃあきゃあとわめいた。
老人は無精ひげをざらざらと撫でつつ、
「うむ……売人の居場所が広くてなあ」
「広い?」
「あちこちにいるという意味だ、トーヤ坊」
縄張りももちろん無視してな、と老人は吐き捨てる。
「……やつらの縄張りが出来つつあるってぇことは、ねえのか?」
「それが、不思議とやつらは縄張りを張ろうとはせんのだな。常に他人の縄張りの中で商売をして、そこの縄張りの連中が乗り込んでくると逃げる」
「ふーん」
「それと、あれだ。やつらは買いに来る奴を待ってるんじゃあなくてだな。自分から売りに行ってやがる」
「……わざわざ怪魔を探して?」
「怪魔を探すこと自体は難しくねえんじゃねえか?」
「まあなあ」
刀真は腕を組んだ。
聞いた限りでは、何やら敵さんはこの辺の縄張り荒らしを目的としているようにも思える。
「そー言えばだ、その新型怪魔用ドラッグってのは一体どんな作りなのよ?」
ふと思いついて、刀真は訊いた。
「普通のドラッグと大して変わんねえんじゃねえの。コカインに……そうだなあ、なんか怪魔に効くモンでも含めたんじゃねえか?」
「含めたねえ……下手に調合したら効果が消えちまう可能性があるわけだから、うまくやった調合師がいたわけだな」
「ちょーごー? チョコに生クリーム入れる感じ?」
「アホか居候オバケ。そんな例えは当てはま――」
言いかけ、刀真は少し考えて、
「る、な。この場合」
ぽりぽりと頭をかいた刀真は、
「これぐらいでいいよな。情報収集なんて」
「ぷー。早く帰っておやつのじかんー」
「悪いがオバケに食わせるための金はない」
「えー」
「トーヤ坊」
瑠宇とバカなことを言い合っているところに、老人が口を挟んだ。「もう1つ重要なことがあるぜ」
「あん?」
「――売人は『人間』だ。そこんとこよろしく」
じゃ、潰すのよろしくな、と老人は笑顔で言った。縄張りを荒らす連中を消してくれる都合のいいやつと誤解されたらしい。
「……俺はアルバイトだっつの。ったく……」
刀真は瑠宇を連れて、老人に背を向けた。
老人から完全に離れてから、草間興信所に連絡するつもりだ。
「お薬とかタバコとか、何がいーんだろーね? ケーキのほーがあまくておいしーよ〜♪」
「甘いもん嫌いなやつがいるだろうが。……ま、結構楽な仕事だったかね」
頭の後ろで手を組んでのんきにそんなことを言うと、
「いっすんさきはやみ!」
瑠宇が意味不明なことを言った。
「何言ってんだお前……」
と刀真が呆れた瞬間――
刀真の目の前を、物凄い速さで通り過ぎたものがあった。
「―――!?」
刀真ははっとそちらを振り向く。
明らかに普通ではない雰囲気をまとう猿が、こちらをにらんでいる。きききっと、その唇を開きやけにとがった牙を見せている。
――猿にあんな牙はねえ。
刀真は戦慄した。あれは、間違いない。
怪魔だ――
「逃げるぞ、瑠宇!」
言って瑠宇の手を引き猿の反対側へと走り出そうとした時、再び眼前を、とても目では捕らえられない速さで何かが飛んだ。
気がつくと向かおうとしていた先に、さっきと同じような猿がいた。こっちは先ほどの猿より一回り大きい。
「なに、なに? あのお猿さん」
「敵だ!……くそっ!」
前後から、一斉に2匹が襲いかかってくる。
前後を取られ、刀真はとっさに空蝉の術を使い、かわした。
瑠宇は刀真の危機感を敏感に察知して、先に非実体化し、猿の攻撃をかわしていた。
刀真は空蝉で移動した先にいる。
猿はすぐにそちらを向く。
気がつけばわらわらと、猿たちが増えている。
「トーマ、右! あ、ちがう左!?……ってあれ……えと、オハシもつほーがどっちだっけ?」
「もうお前帰れ!」
刀真は瑠宇を怒鳴りつけながら、変わり身と空蝉の術を駆使して逃げに徹した。
「俺は疲れるのも痛いのも嫌いなんだよっ」
「あ、待ってトーマ〜」
――相手が少しでも理性を保っている怪魔だったら、少しは相手をして売人について聞こうかとも思っていたが、まさか知能の低そうな猿怪魔にまで売ったなんて。
いや、本当に売ったのか?
猿に薬をやるような知性なんかないだろうし、そもそも金なんか持ってないはずだ。
「何なんだよ、あいつらあ……っ!」
刀真はやけになって、瑠宇の手を引きながら脱兎のごとく逃げた。
幸い、逃げ切ることには成功したようだが――
後になって、刀真は青くなった。あの場所には中国マフィアの友人がいた。やつが猿共に襲われていたら――
慌てて他の縁をたぐって様子を探ると、どうやら彼も生き延びたらしい。
それを知って、刀真はふうと安堵のため息をついた。
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シュラインと冥月が約束の場所へ行くと、そこには礼儀正しそうな、背筋をぴんと伸ばした凛々しい女性がいた。
――彼女だろうと、シュラインは直感で感じた。そしてまっすぐ近づいていく。
「失礼ですが、『巡回警備員』さんでいらっしゃいますか?」
シュラインは名刺を取り出しながら尋ねる。
女性は自分も名刺を取り出しながら、頭を下げた。
「はい。瀬下奏恵と申します。よろしくお願いします」
シュラインはゴーストネットOFFを通じ、また秘密の裏回線も使って、事情を話し彼女と直接会う約束を取り付けることに成功していたのだ。
名刺を交換しながら、シュラインは自己紹介と冥月の紹介を済ませる。
冥月はすこぶる不機嫌だった。
それは別に、奏恵を疑っているというわけではなく。
――先ほど捕まえた怪魔から、ろくな情報を得られなかったからだ。
ぼつ、ぼつと怪魔が落とした言葉は、
『売人はあっちからやってくる』『居場所は知らない』『縄張りも知らない』
ただひとつだけ気になることと言えば、
『売人は人間』
それだけだ。
3人は近くの喫茶店に入り、奥まった場所を選んで座った。
「早速ですが瀬下さんの方では、どんな情報を得ていらっしゃいますか?」
「はい。売人がとても広範囲に渡って出没しているらしいということ。この東京ではたくさんのマフィアがおりますが、そのマフィアたちの縄張り内にも平気で入り込んでいるということ」
冥月が足を組んで、ふんと鼻を鳴らす。
「中国系マフィアだろう。一度捕まればシンジケートもすべて潰れているだろうにな」
「ところがどうしてか、1人として捕まった売人がいないんです」
奏恵は真顔で言った。
「……最近のマフィアは腑抜けだな」
「ご注文はお決まりでしょうか」
ウエイトレスの笑顔が間を遮った。
シュラインはウエイトレスに全員分のコーヒーを頼んだ。
そしてウエイトレスが消えてから話に戻ろうと座りなおしたところ、携帯電話が鳴り出した。
着信:草間興信所
「もしもし」
『シュラインか。今刀真から連絡があったんだが』
「武彦さん?」
シュラインは奥を向いた。察して、奥側の席にいた冥月がシュラインと席を替わった。
草間は刀真から、売人はあちこちにいること、縄張りがないこと、自分から出向いてくること、そこの縄張りの者が出向くと逃げること、売人は人間であること、を告げた。
『中国系マフィアが困っているそうだ』
「ええ……」
刀真の情報は大体冥月と奏恵の集めた情報と一致する。
『それからな。刀真の弁では怪魔用のドラッグにするために腕のいい調合師がいたんじゃないかという話だ』
「―――」
『ついでに言うと刀真は猿怪魔に襲われたそうだ。そいつらもどうも問題の煙草を吸っていそうで――あんな知能のなさそうな猿怪魔が自分から薬を欲しがるわけがないし、そもそも怪魔に金はないだろうと言っている』
「ああ……うん、そうね。でも武彦さん。『お金』があればその薬を手に入れられると知ったら知能の低い者ほど人間を襲って『お金』を手に入れて売人を心待ちにするんじゃないかしら」
『それもあるな』
草間は電話の向こうで煙草を吸っているようだった。ちゃんと灰皿を使っているかしらとシュラインは心配になった。
『――刀真のな』
「え?」
『情報源は、中国系マフィアの一員だったらしいんだが』
「ええ……それが?」
『刀真が猿怪魔に襲われた時近くにいたもんだから、猿共の餌食になったんじゃないかと心配したとか、刀真が苦笑していたな』
「―――」
武彦さん、それって。
――ああ。
2人はどちらともなく、電話を切った。
「どうした、シュライン」
冥月がしばらくうつむいていたシュラインに声をかける。
「――問題の煙草を売る売人は、自分から怪魔に近づく」
シュラインはつぶやくように言った。
「そして大抵の場合、その場で煙草を吸わせることに成功しているんだと思うの」
「それがどうした?」
「そこに、そこを縄張りにしているマフィアが近づいてきたら、どうなると思う?」
冥月が口をつぐんだ。奏恵が目を見張って、
「それは、もしかして」
シュラインはノートパソコンを開いた。そしてカタカタとキーボードを叩き始めた。
そして唇を噛んだ。
「――どうして最初から気づかなかったのかしら」
もちろんその場から、マフィアが持つような銃器火器はあらかじめ取り除かれ、マフィアと分からないようにされていたものの――
ハイになった魔物はいつもより残虐に人間を殺す。
それこそ、身元も分からぬほどに。
「……マフィアが怪魔相手の売人どもに送ったのは、どうせ下っ端だろう」
冥月がつぶやく。
「その内業を煮やして幹部クラスが出てくるかもしれない」
「どちらにしろ」
奏恵はシュラインと冥月をかわるがわる見ながら、言った。
「……敵はマフィアの力を、削っているわけですね?」
「銃目当てという線もあるがな」
冥月が鋭い目つきでシュラインを見る。「おい――」
「現場検証を続けましょう。瀬下さん、ご協力願えるかしら」
「はい、もちろん」
奏恵は強くうなずいた。
「お待たせいたしました」
景気づけのコーヒーが運ばれてくる――
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京太郎、慎霰、亮吾、そしてケニーはまず『麻薬煙草を吸っていそうな怪魔探し』から始めていた。
「妖怪ネットワークで吸ってそうなやつはすぐに分からぁ」
慎霰がそう言って、亮吾と京太郎を見る。
亮吾がうーんと目を閉じ耳をふさぎながら、
「んー、んー。おお、いるいる麻薬吸ってる怪魔。バイヤーはっと……」
「何だお前、すげえな」
慎霰が普通に感心して言った。京太郎はどうでもよさそうだった。ただ、仕事中にかけるサングラスの用意をしているだけだ。
ケニーが微笑する。と――
ふと、彼は笑みを消してちらと背後を見やった。
「……悪いが3人とも。俺はちと野暮用を済ませてくる……ここで待っていてくれるか」
「はあ?」
「――何が聞こえてもこちらには来ないように」
釘を刺し、ケニーは身を翻しビルの角を曲がって姿を消した。
「何だよあれ……」
慎霰が顔をしかめる。その間にも亮吾はグレムリンネットワークを駆使して、
「ん。バイヤーの気配しねえ。何でだ?」
「取引場所とか分かんねえのか」
京太郎が初めて口を利いた。
「取引場所ね。取引場所取引場所……」
亮吾は再び耳を澄まし、回線を――精霊の声を聞き取ろうとした。
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ケニーは3人の少年からかなり離れた、廃ビル群の続く場所にまでたどりつくと、足を止めた。
後ろから、くすくす、くすくす、と笑い声が聞こえた。
「どうしてあの3人を離しましたの? 4人でかかってくれば、わたくしにも勝てるかもしれませんのに」
ケニーはゆっくりと振り向く。
そこに、紫煙をくゆらせる少女の姿があった。
その煙。紛れもない――煙草。
淑女に相応しいドレスを着ていながら、一方で何故か拍車付きブーツ、ガンベルト、そして両手に持つ銃――コルトS.A.Aバントラインスペシャル。
かちゃ、かちゃ、と拍車を鳴らしながら、少女は清楚に歩いてくる。
「……自分の身を護ることを最優先するならそうしたろうが……」
ケニーはゆったりとした構えで少女と対峙した。
「4人で戦えばあなたを倒しやすくなる分、少年たちに被害が出る」
「あら、あなたは?」
「……俺に言いたいことがあるのじゃあないのか?」
片唇の端を吊り上げるケニー。それを聞いた美しい金髪の少女は、その赤い瞳を細めて微笑んだ。
「麻薬売人探しなんて……余計なことはさせませんわ。それよりも、わたくしと戦いましょう?」
少し小首をかしげて、にっこり笑い。
「――ケルドニアス・ファラ・エヴァス様」
ケニーは片眉を上げた。
「……よく知っているな」
「アメリカでは少しばかり有名でしたもの」
くすくす、くすくす、と少女は笑う。
「――同じイギリス人ですのにね?」
「200年以上の時を生きているあなたにしてみればほんの小僧だろう」
「まあ。17歳の淑女に何てことを仰るのかしら」
くすくすと笑いながら少女は言った。
ケニーは肩をすくめた。
「一応、名前をお尋ねしてもいいかな、お嬢さん?」
「アナベル・クレムですわ。よろしくお願いしますね」
片足を少し後ろに引いて、両膝を曲げる西洋風のお辞儀。
そしてアナベルはすっと膝を立て、
「さあ。貴方も銃を抜かなくては危険でしてよ」
「心配ない」
ケニーは両手をぶらつかせた状態で向き合った。
「これが俺の通常の構えだ」
アナベルは微笑んだ。瞬間――
―――っ!
アナベルの撃った弾丸は、瞬時に抜かれたケニーが撃った弾丸によって空中で撃ち落とされた。
アナベルの顔が狂喜で弾けた。
「よくお見えになりましたわ――! さあ、美しい戦いを始めましょう!」
跳弾が廃ビルの壁を利用して飛び交う。アナベルはどこまでも技術にこだわった。
「あなたの命中率が100パーセントなら、今のわたくしの弾の命中率は120パーセントですわ」
弾丸は目標の相手に向かい、避けられれば跳弾してさらにもう一度目標に向かう。
おまけに、アナベルの扱う銃は2丁。
跳弾の嵐だった。
ケニーはとりあえず、跳弾の嵐を避けていた。
「反撃してくださらないと面白くないではないですか」
アナベルは弾丸を使おうとしないケニーに不満そうな顔をする。
「まさか、戦う気がないと仰るのですか?」
はたして彼女は気づいているだろうか。これだけの跳弾の嵐を、かすり傷ひとつ残さずすべて避けきっているケニーもすでに戦闘状態にいるのと同じだということを。
ケニーは目を細める。
場所の状態、彼女が使用している弾、彼女の癖を見抜ければ、大体彼女がどう跳弾させる気かも分かってくる。
時折楽しげに混ぜる優雅なガンスピン。それをする直前の癖や。
連射をする時に見せる前兆や。
あとは彼女の動き。構えと引き金を引く指とハンマーを起こす親指と。
それを右手左手、両手を見極める。
もちろんそんなこと、常人にできるはずもないのだが――
「……もうっ。わたくしを馬鹿にしていらっしゃるのですか!」
アナベルは両の手に持つ銃を乱射して、四方八方から跳弾、ケニーに集中するようにさせた。
ケニーがようやく――
リヴォルバーのハンマーを起こした。
―――
ばらばらばら、とケニーの周囲にアナベルの弾とケニーが相殺した弾が落ちる。
アナベルは「まあ」と頬を染めた。
「全部撃ち落とすなんて……やっぱり貴方は思った通りの方だわ」
ケニーはいつの間にか次の弾をつめていた。
アナベルは嬉々として、次から次へと銃弾を放ち始めた。時折、優雅で美しいガンスピンも混ぜる。彼女の弾込めも、常人ならざる速さだ。
しかしそれも想定内。
ケニーは廃ビルの物陰に隠れ、また違う物陰に隠れ、自分に当たりそうな弾だけ次々と撃ち落とした。
使う弾は最小限。
連射は当たり前、目にも留まらぬ速さの弾込めも当たり前、やがてケニーの銃弾も跳弾するようになり、アナベルの足元の地面に突き刺さるようになった。
アナベルは小首をかしげながら後退して移動する。その間も銃の乱射は止まらない。
あちこちで、バチッバチッバチッと弾同士が衝突して落ちる音がした。
お互いに神業的な銃の使いこなしだった。
ふと、跳弾したケニーの弾が、アナベルを通り過ぎた。
弾は、廃ビルの内側に吸い込まれていった。
「あら……もう右腕の力の衰えですの?」
アナベルは微笑みながらも、乱射を止めなかった。
――再び、ケニーの跳弾が派手にはずれた。廃ビルにまた吸い込まれていく。
二度目にきて、アナベルは警戒した。――跳弾が飛んでいった方向が、まったく一緒だったから。
しかし、その時にはもう遅かった。
ケニーはもう跳弾させずに、まともにその廃ビルの、狙っていた箇所一箇所に残りの弾を全弾命中させる。
がしゃん、と音がした。
柱の部分だったのだろうか。廃ビルの一角が――崩れた。
ぼろぼろとコンクリートが落ちてくる。そしてのぞいた廃ビルの一角の向こう側。
日光が――
差し込んだ。
それはライトアップするかのように、アナベルにまともに当たった。
「―――!」
アナベルは真っ青になった。
自分の足元にくる跳弾で、アナベルを後退させたのも、全部このためだったのだ。
アナベルは吸血鬼――
お約束のように、日光には弱かった。
「ひ、卑怯ですわ――! わたくしは純粋なガンファイトを望んでおりましたのに……!」
言った瞬間、
ハンマーが起こされる音が6回連続で聞こえた。おそろしく握力がなくては到底できないリヴォルバー6連射。
6発の弾すべてが。
無防備になったアナベルの、右手のコルトの銃口に撃ち込まれた。
「―――!」
真っ青になる暇もなかった。銃は大爆発し、アナベルの右半身を大火傷させる。
アナベルの右腕がぼとっと落ちた。
「………」
アナベルががくっと地面に膝をつく。
「……元々貴女は二丁拳銃だったのだから」
ケニーは煙草をくわえなおした。「これぐらいの頭は必要だ。――麻薬を吸っている怪魔相手に、卑怯も何もない」
冷酷な返答。
アナベルは放心した後――さっと残っていた左の銃を、背を向けようとしていたケニーに向け、瞬時に引き金を引いていた。
―――
冷酷な銃口は、横腹越しにその弾を相殺した。
振り向きもせずに。
「貴女に売人の話を聞いてもいいかと思ったんだが」
背を向けたまま、ケニーは言った。「口を割らないだろうと思ったからな……この手を使えば」
「………」
アナベルが、醜くなった顔をさらに歪ませて、その牙を見せた。
「誰が貴方などに教えるものですか……っ」
「では、ここでさようなら」
ケニーは歩き出した。
彼は――無傷だった。
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「待たせたな」
帰ってきたケニーは、やけにのんびりしていた。
鼻のいい慎霰が、
「……硝煙の匂いがするぜ」
ケニーをにらみやる。
「気にするな。――進展はあったか?」
「んー」
亮吾が首を大きくひねりながら、「取引現場、何だか一定してねえんだよ。ごちゃごちゃしてて分かりづらい」
「草間さんからの報せは?」
京太郎がケニーに尋ねる。
ケニーは携帯電話を取り出し、草間興信所へかけた。
『よう。お子様たちのお守りはうまく行ってるか』
「馬鹿言え。この子たちをまともに相手にしようとしたら俺だって危険だ。――それで、そっちにはどれだけの情報がある」
草間は刀真からの情報と、シュラインからの情報をまとめてケニーに伝えた。
「分かった」
『お前のところでは何か見つかっていないのか?』
「……ないな。だがその情報を利用すればうまく取引現場を捕まえられそうな気配はある」
『そうか。……任せた』
「了解」
電話が切れる。
「何だって?」
慎霰が腰に手を当てて尋ねた。
「売人は決まったところで待っているのじゃあなくて、自分から怪魔に売りつけにいくんだそうだ」
「あー」
亮吾が嫌そうな顔をした。「どーりで取引現場があっちゃこっちゃにあると思った」
「ついでに売人は人間だそうだ」
「……どーりでネットワークに引っかからないと思った」
「ってぇことは」
慎霰は口元に手を当てた。「もう中毒になってて、売人が来るのを心待ちにしてそうなやつを探すのが一番か」
「それなら俺見つけられるぜ?」
「亮吾に任せた」
慎霰はぽんと亮吾の肩を叩いた。「俺と京太郎とそこの朴念仁は、現場で働くからよ」
「朴念仁か」
くっくっとケニーが笑う。心底楽しそうな顔だ。
慎霰はむっとしながらも、亮吾がターゲットを見つけ出すのを待っていた。
「――見つけたっ」
嬉しそうに亮吾は言った。「麻薬依存は大量にいるけど、そんなかでも今、何でか金を持ってうろついてる怪魔。みーっけ!」
「どんな奴だ?」
「ええと、人狐だな」
亮吾はにっとして言った。
彼ら4人はその人狐のところへとやってきた。
正しく言えば慎霰、亮吾、ケニーは少し離れたところに待機し、京太郎だけがその人狐に近づいた。
細長いひょろっとした人狐は、血走った目で、しかしものすごく幸福そうな顔をしている。それでいながら、あっちへ行ったりこっちへ来たり挙動不審だ。
「おい、お前」
京太郎はぶっきらぼうに話しかける。
途端に人狐が不機嫌になる。
「なんだガキ。人が気分いい時に邪魔すんな」
「……その気分よくなれるモンをくれる人間が、近くこの辺に来るのか?」
すると人狐はぱあっと顔を明るくし、
「そうなんだ。どこにいてもいい、俺の薬が切れそうになったら来てくれる。もちろん金を用意しておかなきゃヤクくれねえけど」
「どこで稼いだ金だ?」
「俺は外見人間だからバイトしてっけど。足りねえからこないだ人間襲った」
にっこりと、当たり前のように人狐は言った。
京太郎は内心ものすごく気持ち悪くなったのを押し隠し、少し黙った。
「なんだ、お前も欲しいの? けっこう高いよ」
――右から左へ聞き流して、風の動きを読む。
「んー、俺らみたいに人間の知能持ってるやつからは金取るんだけどさあ、知能持ってないやつにはタダで配ってるらしいんだぜ。なんか不平等じゃね?」
――この人狐の周りに、伏兵がいないかどうか――
「でもそれも理由のあることだとか言ってたから我慢すっけどさ! で、お前は金あんの」
ふっと京太郎は、誰かが近づいてくるのを感じて振り向いた。
「やあ、タラカ君――」
「あ、バイさん」
人狐にバイさんと呼ばれたのは、人間。紛れもない人間だ。
「あ、俺タラカウシラってんだ。子供、よろしくな」
人狐に自己紹介されたがそれはいいとして。
『バイさん』はにこやかにタラカと京太郎を見比べた。
「お友達かな? タラカ君」
「違う。でも噂でも聞きつけてきたんじゃないの?」
知ってるみたいだから――とタラカは軽く言った。
バイさんは目を細める。京太郎を見て、
「……そうか。君も欲しいのか」
「……ああ」
京太郎は慎重に答える。
「じゃあちょっと待っててくれ」
とバイさんはタラカに先に金を出させ、代わりに5本の煙草を渡した。
交換された金は25万ほどだろうか――
(意外と安いな……)
タラカは早速一本口にくわえてライターで火をつけると、
「ああ……すげえ、ああもう、人間殺したくてたまんね」
京太郎は内心眉をしかめた。
……ここで京太郎に反応しないということは、京太郎を人間扱いしていないということである。何だか癪に障る。
「さて」
売人はこちらを向いた。よく考えたら『売人』だからバイさんなのかもしれない。下らない。
「君、名前は?」
「……何でいちいち名乗らなきゃならねえんだ?」
仏頂面で言ってやると、売人は笑った。
「ははは、そうだな。君は初心者だね?」
「……まあな」
「じゃあまずサービスの1本だ」
売人は1本取り出した。ついでにライターも取り出し、京太郎に手渡そうとする。
――京太郎は警戒していた。
さっきから風の動きを読んでいた。伏兵が――いる。
ここは小さな公園。周囲は木々だ。
木々に隠れて、何かが大量にいる。
とりあえず1本受け取り、
「……あっちにも数人いるの分かるだろ」
少し離れた場所、公園の出入り口にいる慎霰たちを示した。
「ああ、彼らはお友達?」
「お友達。やつらも欲しがってきた」
「だが――」
売人は目を細める。
「人間が混じっているようだが?」
「俺たちの表面上の保護者なんだよ」
京太郎は適当な嘘をつく。「金がいるんだろ? 俺たちは外見ガキで、大した金は持ってねえからな。金銭的なものは全部あの人間に頼ってる」
「人間に取り入っているのかい」
「仕方ねえだろ。この東京で目立たずに生きようと思ったらそうするしかねえ」
「――この煙草を吸ったらもう『目立たずに』は生きられないよ」
言いながら、売人は慎霰たちの方へ歩き出した。
京太郎はもらった1本をポケットにつっこむ。あとで成分を調べるかなにかするかもしれない。
「おや、今すぐ吸いたくはないのかい」
「……今は気分が悪ぃ」
振り向かずに言ってきた売人に、京太郎は吐き捨てた。
やがて、売人は慎霰たち3人にたどりつく。
人好きのする笑顔で「やあ」と言いながら、ケニーの横に立つ。
慎霰と亮吾は愛想笑いを浮かべていた。
「君たちも始めてだね? 最初の1本はいつだってサービスだ」
売人は煙草を2本取り出していた。笑いながら、
「幸い保護者殿は煙草がお好きなようだし、ぜひ煙草を教えてもらいなさい」
背後にいる京太郎には見えていた。
売人の、慎霰たちに渡そうとする煙草を持つ手とは反対の手が、ケニーの脇腹にナイフをつきつけているのを。
「1本の効き目は大体3日で切れる。そうしたら今度は自分がお金を用意して待っていなさい。場所はどこでもいい、お兄さんか仲間の誰かが君たちの居場所を見つける――」
「いくらー?」
亮吾が訊いた。
「1本5万円ね」
「高いって」
「……大丈夫、君たちなら自分で稼げるようになる」
意味ありげに売人は唇を吊り上げる。
「では僕は帰ろうかな。また――」
瞬間、
「来るぞ!」
京太郎は叫んだ。周囲の大気が一気に動いた。木々に隠れていた怪魔たちが襲ってくる――
狙いは決まっている。
たった1人、邪魔者である『人間』――ケニーだ。
売人はケニーの手首をつかみ、背後へと放り投げた。
だが――ケニーの手は振り払われた形となっただけで、彼はまるで体勢を乱さなかった。
京太郎はすかさず仕事用サングラスをかけて周囲を見渡す。木々に隠れていたのは猫又だ。尾が3本やら4本やら何本もある、普通の猫の2倍の体格の猫が一斉に走ってくる。
得意の格闘は意味がなさそうだ。拳銃で戦うと弾の消費も激しそうである。
タラカが目を血走らせて、ケニーを襲う。
ケニーは真正面からタラカの額を撃ちぬいた。
亮吾は早々に逃げに入っていた。どうやら亮吾に戦うすべはないらしい。
慎霰はケニーに「足止め!」と叫んだ。
それから慎霰は素早く京太郎の横を走りすぎる。通り過ぎざま、彼は囁いた。
「お前は売人の気を引くようにしとけ」
聞くなり京太郎は拳銃を取り出し、売人に向けて1発。かすめるように撃つ。
売人が振り向いた。その顔が引きつっていた。
京太郎は猫又の大群たちとは離れるように移動して、売人の体にかすめるように2発、3発。
ケニーは完全に売人の意識が京太郎にそれた瞬間に、銃で売人の足を撃ちぬいた。――足止め。
その間にも、ぎゃーと鳴く唾液を飛び散らせた猫又たちが尋常ではない速さで迫っていた。
慎霰は大量の猫又相手に妖術を使った。
睡眠効果のある妖術で猫又たちを一気に眠らせる。
そしてすぐ振り向き、足を撃ちぬかれたことで地面につっぷした売人を確かめ、近くの植物から大量の蔓を伸ばしその体を拘束した。
公園が静かになった。
京太郎が、仕事用サングラスをはずした。
出入り口の陰に隠れていたらしい、亮吾がおそるおそる出てきた。
「すげえ……」
と彼はあっという間に静かになったその場を見渡す。
「……猫又たちが目を覚ます可能性は?」
ケニーが銃をしまい慎霰に訊く。
「かなり深く眠りに落とした。ただしその麻薬とやらがどれだけ交感神経を刺激してるかが問題」
慎霰はすでに死んでいるタラカを見やり、
「ひとつ訊くけどな、ケニーさんよ」
「何だ」
「あんた、なんで麻薬潰しなんかやってんだ。別に退魔師でも何でもないだろ」
ケニーは一瞬不思議そうな顔をしたが、それから、ああ、とようやく気づいたような顔をした。
「言ってなかったか。俺も雇われだ――怪魔が死ぬほど嫌いな人間からのな。その人物が先に煙草の存在を知って、抹消しろとのお達しというやつだ」
「………」
「まさか、俺がこの薬を使うつもりだとでも思っていたのか?」
「………」
慎霰は売人を戒めていた蔓をほどいた。
「……後はあんたに任せる。報酬渡せよな」
「報酬は俺の依頼人から出るさ。心配するな」
ケニーは売人のあごを持ち、顔をあげさせた。
「うう……」
売人はまだ意識があった。ケニーは片唇を吊り上げた。
「さあ、吐いてもらおうか――お前さんの知っていること、すべてな」
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「……吸っている奴の近くにいても、それが人間では売人が察知して近寄ってこない」
冥月はぎり、と奥歯をきしらせた。
「私たちは全員人間――」
シュラインが柳眉を寄せる。
シュライン、冥月、奏恵。
3人で揃って、問題の煙草を吸ってたった今人間を殺したばかりの人型怪魔2匹ほどを、ビルの陰からうかがっていた。
殺した人間から金を奪っている。――麻薬が要る時期ということ、なのだろう。
奏恵が悔しそうに涙をこらえていた。目の前に殺されゆく人間がいるというのに、間に合わなかったのだ。
シュラインや冥月は、悲しいことにこういう事態にも慣れていた。だから、思考を次に切り替えるしかなかった。
「一度興信所に戻ろうかしら。刀真君は次のバイトがあるからって帰ったそうだけれど――ケニーたちの状況は分かっていないわ」
「待ってください」
奏恵はシュラインの腕をつかんだ。
必死の顔だった。
「私に囮をさせてください。あの怪魔の傍に――。まだ、売人が来ないとは限りません」
「何を危険なことを言っているんだ?」
「私は、お2人に比べてとても弱そうだと思うんです。こういうことに関して場数を踏んでいませんから。だからひょっとしたら」
「あの怪魔たちに殺されても知らんぞ」
冥月は迷惑そうな顔をする。
シュラインは逡巡したあげく――
奏恵の目をまっすぐ見た。
「瀬下さん? 100%死の危険があります。本当にご覚悟はおありね?」
「はい」
シュラインはうなずいた。そして、
「……冥月さん、瀬下さんが危険になったら即助けてあげて」
「な……っ」
「瀬下さん、お願い。あの怪魔たちに話しかけて取り入るような感じから始めてちょうだい」
「分かりました!」
「おい、正気か!」
冥月が声を上げるのも構わず、奏恵はビルの陰から出て行った。
ちっと冥月が舌打ちして、影も利用し、慎重に奏恵と怪魔たちの動きを見張る。
怪魔たちは禁断症状が出ているようだった。
「う……ああああ、畜生、早く来てくれ……っ苦しい、この世界は苦しい」
「金は集めたんだよお、早く来てくれよお、もう頭んなかぐちゃぐちゃでたまんねえよお」
奏恵が近づいた怪魔2匹は、頭を抱えてもはや会話不可能だった。
2匹に取り入るつもりだった奏恵は困ってしまった。
……足元に、身元がとうてい分かりそうにない遺体がある。静かに黙祷して。
ふ……と。
気配に気がつき目を開けると、目の前に知らぬ女性の顔があった。
「待たせたわね……苦しかったの? 2人とも」
頭を抱えていた怪魔2匹が、ぱっと顔を輝かせた。
「金だ! 払うから、早く、早く!」
「はいはい。大丈夫よ……用意してあるから」
ルージュを唇に乗せた女性は薄く微笑んで、怪魔たちが差し出す金を受け取るとまず1本煙草を渡した。
そしてライターを取り出し、彼らのくわえた煙草に火をつけてやる。
「――ああ……」
「極楽だ……」
怪魔たちはその場で腰をぬかしたように、座り込んでしまった。
女性は男たちの差し出した札束を数え、
「――全部で8本分ね。仲良く分けなさい」
と男たちの手に3本ずつ握らせた。1本ずつは今吸わせている分だろう。
奏恵は呆然とその様子を見ていた。今までずっと来なかったのに、一体なぜ?
「それで……」
女性は奏恵に向き直る。小首をかしげ、にっこりと笑い、
「あなたは初心者かしら? 初心者にはまず1本サービスを――」
と煙草を1本奏恵に差し出し――
その瞬間。
影が、女を取り巻き拘束した。
「………っ!」
女はしまったと鬼の形相になる。
奏恵は唖然としながら、自分が受け取った煙草を見下ろしていた。
「おいシュライン! あの瀬下って女――!」
「私だって知らなかったのよ! というより、あの様子じゃご本人も自覚症状がないんだわ……!」
冥月とシュラインは走った。奏恵と売人の元へ。
薬をもらったばかりだった2匹の人型怪魔が、壮絶な相貌になって奏恵を襲おうとしていた。
「よくも俺たちにヤクをくれる売人を――!」
「!」
奏恵は警杖を伸ばして素早く2匹ののどを突いた。
がふっと2匹が呼吸を乱して動きを止める。次の瞬間には2匹は影に包まれ、冥月によって殺された。
「貴様が……っ売人だな!」
冥月は怒りのオーラを隠しもせず、女を影の帯でぐるぐる巻きにし、地面に押し倒した。
そして、何かを叫ぼうとしている女にまたがり、その顔を拳で殴りまくった。
「冥月さん!」
「そこまでしてしまっては――」
シュラインと奏恵の声も聞こえない。ただひたすら殴る。
唇を噛んだ。噛み切りそうなほどに噛んだ。殺してやりたいほど憎い。けれど今は殺せないから拳だけがうなる。
相手が女だとか、そんなことも関係ない。
人間相手とか、そんなことも関係ない。
相手の顔があざでぼろぼろになり、唇が切れたところで、
「冥月さん!」
シュラインがその手首をつかんで止めた。
「……っ……っ……っ」
冥月はその胸を激しく上下させていた。
「そこまでで充分よ。ね」
シュラインに穏やかに言われて、冥月は脱力した。
奏恵は冷静に戻っていた。
「よく分かりませんが、運よく煙草も1本手に入りましたので……」
シュラインは内心ほっと息をつく。――よかった、彼女は自分が人外であることにまだ気づいていない。
下手に気づくものではない。少なくともこんな時に。
深呼吸をした冥月も、次には冷静な判断力を取り戻していた。
「……このまま影で締め上げるぞ女。死にたくなければお前たちの元締めを吐け」
売人の耳元で囁く。
びくりと体を震わせた女売人は、最初こそ何も言わなかったが、
徐々に影で締め上げられ――、みし、みし、と体のどこかがおかしな音を立て始めた頃。
ようやく怯えの表情とともに口を開いた。
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草間興信所に、メンバーが揃っていた。
コンビニのバイトがあると先に帰ってしまった刀真と瑠宇をのぞいて、シュライン、冥月、奏恵、ケニー、京太郎、慎霰、亮吾。
「……成分は。コカインを元に何か混ぜものをしているみたい」
シュラインが集まった煙草を1本1本開きながら成分調査をしている。
冥月とケニーが売人から聞き出した薬の総元締めは一致していた。
草間が椅子に腰かけて、煙草をふかしながら言った。
「知能のある怪魔からは金、近づいてきたそこの縄張りの連中からは銃器、知能のない怪魔は手なづけて自分たちの護衛に」
それは、東京内で縄張りを張って均衡を保っているマフィア、もしくはヤクザたちの――下っ端たちがひそかに集まってできた小さな組織。
下っ端で終わるには、血の気がありあまりすぎていた者ども。
怪魔を利用し、この東京をかき回すために――
「近づいてきた縄張りの連中を殺すのは、自分の顔を見られないようにするためでもあったろうな」
ケニーが壁にもたれながら言った。「それぞれ、自分の組織の縄張りに薬を配っていたのだから」
「勝手しったる自分の家、ってか……」
草間が煙草を灰皿に押し付けた。
「さて、と」
ケニーは壁から背を離し、ぐるりと集まっている人々を見る。
「これから元締めをつぶしに行くが――ついてくる者は?」
怪魔が大量にいる上に、銃やナイフは当たり前の世界に飛び込むことになるだろうということで、元締めの元へ特攻したのは多少限られた。
草間、ケニー、冥月、奏恵、京太郎、慎霰。
とりわけ冥月が怒り狂って、アジトを荒らし回った。
草間とケニー、奏恵は主に人間を、冥月、京太郎、慎霰は主に怪魔を。
強力すぎる特攻隊に、アジトはなすすべもなく陥落した。
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「怪魔の麻薬の流通経路から、普通の麻薬のシンジケートもつながったわ。ダメージを与えられそう」
一連の仕事を終えた時、シュラインは草間にそう言った。
少年たちは報酬を後日渡すと約束した後、帰らせた。
ケニーはどこかに電話をし、
「――よくやった、だとさ」
と携帯をパタンと閉じるとともに肩をすくめた。
「金は本当に出るのか?」
「その点は心配するな草間。あっちは怪魔の動きなんぞをいちいち気にしている享楽豪遊金持ちだ」
「……お前の依頼主が一番気になるな」
――壁にもたれてずっとうつむいていた冥月が、
「私はもう帰るぞ」
と壁を押した。
「俺も帰るかな。――また連絡する、草間」
ケニーが煙草をくわえながら友人に軽く手を挙げる。
「できれば次は妙な依頼は持ち込まずに来いよ」
「ここは問題を持ち込む興信所だろう?」
「ものによるんだ!」
ケニーはくくっと笑って、身を翻した。
興信所の玄関を出たところで、ケニーは冥月の後姿を見つけた。
「……家まで送ろうか?」
「貴様の冗談はタチが悪いな」
剣呑な声が返ってきた。ケニーは笑った。
そして――ふいに冥月の右手を取り、
「――腫れているな。何か硬いものを連続して殴っただろう」
冥月はケニーの手を振り払った。
「腫れるわけがあるか! そんなうかつな殴り方を私がするわけ――」
言いかけて、はっと口をつぐむ。
誘導尋問だ。
「……誰から訊いた」
「別に。ただ、アジトでのお前さんの暴れっぷりが見事だったんでな」
「―――」
冥月はうつむいた。
「……私の故郷……」
「ん?」
「麻薬漬けにされて、使い捨てにされる子供が多かった」
「………」
「麻薬に手を出して壊れた同僚も多かった。好きでやったわけじゃないやつも多かった……」
しばらくの沈黙の後。
「そうか」
素っ気ないケニーの返事が、ありがたかった。
冥月の足が止まっていた。
「やはり家まで送るか」
「いるか、そんなもの!」
「そんな表情で1人で帰るより傍に誰かいた方が、周囲の人間の目は引かないだろう」
言われて、冥月は自分がどんな顔をしているか気づいた。
けれどそれは、絶対に認めたくない表情で。
「行くぞ」
ケニーは当たり前のように歩き出す。
なぜか――、冥月の足はそれに引かれた。
2人は並んで、歩き出した。
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1837/和田・京太郎/男/15歳/高校生】
【1928/天波・慎霰/男/15歳/天狗・高校生】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4425/夜崎・刀真/男/180歳/尸解仙/フリーター】
【4431/龍神・瑠宇/女/320歳/守護龍/居候】
【6911/アナベル・クレム/女/231歳/吸血貴族/ガンスリンガー】
【7149/瀬下・奏恵/女/24歳/警備員】
【7266/鈴城・亮吾/男/14歳/中学生】
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回はやはり細かいところでの作業をやっていただきました。人数の問題で、長いわりにはプレイングがあまり反映されていませんが、少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
ご参加ありがとうございました!
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