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<東京怪談・PCゲームノベル>


白の鈴 〜此の岸辺より君に手を振る〜

 恋すれば 我が身は影と なりにけり

 さりとて人に 添はぬものゆゑ


“ …… せいし、ろう ……”


 きみの傍を離れぬ影になっていたのなら、

 我が心、とこしえの至福を得られたのか。


*******************


 腕を捕まれ、ぎりぎりと締めつけつ痛みに耐えながら。
 嘉神しえるは、きり、と。決意を宿した瞳の矢を、真っ直ぐに、向かい合う征史朗へと引き絞って──放つ。
「あとひとつだと、言ったわよね。ならばこれが、最後の鈴?」
 そうだ、と彼は首肯する。以前、凍りついた世界で見たときよりも明らかに顔色が悪い、むしろ、蒼白。燃える如き夕刻の金色に照らされて、透ける様な肌がもう、彼の間近き最期を有り余るほどに表している。彼のものであるはずの不遜さ、雄雄しさが、最早借り物のように似合わぬ、白。
 最後の鈴、此れを手中に収めれば彼の願い──彼のために生まれる至上のヒトガタを創るという念願が、ついに、叶うのだろう。それ故に自分は、夢の浮橋を渡り彼の元へとやって来た。あの汀に佇む白い名も無き花に導かれ、遣わされて彼と、『縁』をもった。
「その終わりが白、だなんて……ねえ、これも縁かしら?」
 力が一層強まる、足の堪えが利かない。もう肘の上まで鏡の中に引きずり込まれながら、それでもしえるは淡い微笑を口許に浮かべた。
「白、にはどんな意味があるんだ? 何物にも染まらぬ、何物とも交わらぬ、独りきりの色か?」
「……そうね」
 征史朗の、肌蹴られた襟元へと指を置き。そこから掌を滑らせると──肩を強く、ぐっと掴む。
「一緒に来たら、教えてあげるわ。……って、悠長なことは言ってられないわね。飛び込む覚悟はよくて?」
「ははっ……願ってもない」
 征史朗が、縋る様にしえるの身を抱く。
 ひとつの影となった二つの身体は、絡まるようにして鏡の中へと吸い込まれた。


*******************



 十五の歳に、初めて“命”を生み出した。
 神でも自然でも、男女和合に拠ってでもない。
 人が、人の傲慢にして哀切なる、愚かな叡智が産み落とした、“命”。
 人の形をもつモノ。ヒトをカタどる、人でない、モノ。

 それが、ヒトガタ。
 人の祈りと願いと罪と情とが混沌と交じり合った、人形。

 もう一度、逢いたい。
 潰えてしまった未来を、夢見たい。
 そんな想いが禁忌を犯し、やがて手に入れた“命”を創り出す秘術。
 人の身代わりとして生まれていったそれは、幾世もの間知る人のみに愛され、伝えられ。しかし何時しか、観賞用の愛玩具と成り下がっていった。
 忘れられていく技。最早不要と葬り去られていった歴史。それでも捻くれた性の者は細々と生き延びて、人ではない美しきヒトのヒトガタは、またその親たるヒトガタ師は、ただの人形師として現代に辿り着いた。
 その最後の一族が、嵯峨野。
 自分を、この命と願い溢れる美しい世界へと産み落としてくれた、消えてゆくべき血統。

 十五の歳に初めて、自分はヒトガタを生み出した。
 当時唯一のヒトガタ師であった祖父の手解きを受け、父母や他ならぬ祖父自身が止めるのも振り払って。
 自分は一体の美しいヒトの生を、この世に享けさせた。

 ────そして自分は、その瞬間に自身の終焉の姿を、悟った。



*******************


 降り立った鏡の中の世界は、元居た場所と相違のない、秋の景色だった。
 しかしぐるりを紅葉に彩られた其処は、霧の様にそぼ降る小雨に包まれていて。────それはまるで涙の雨。
 豪奢に裾を広げる十二単の女が、紅葉の褥に倒れ伏せ、両手で顔を覆っているのは泣いているから。うう、うう、と苦しそうな嗚咽が漏れ聞こえ。
 ────あの鏡の中の女が、目の前に、在った。

「……鈴の世界は、」
 しっとりと髪を濡らす雨の粒子を額に受けながら、しえるは天を仰ぐ。
 黄金に似た朱色の陽光、など見えない此処に在るのは果ての見えぬ曇天。
「此処は、貴方の執心が……そして躊躇いが創り上げたものだと聞いたわ。そして私は、此処を壊し、貴方を進ませるために居るのよ、ね」
 ああ、と答が返るまでに一拍の間があった。
 自分を剛い女だと、彼は言う。その猛々しい言葉が、弱さに迷い、情に哀切さを内包する──この空からの涙の様に絶え間なく身を濡らしていく、儚くも永遠の信念だというのならば。
 そう、自分は“つよいおんな”だ。彼の望む通りのことを、きっと自分は為し得るのだろう。
 総ては、自分の知る結末──未来に向かって、正しく流れ行く。
「……そう思うから、こそよ。貴方のために、なんてことは言わないの」
 人の意のままなんてゴメンよ? しえるは雨に潤う頬を拭い、傍らの征史朗を振り仰ぐ。
 彼は刹那、何かを耐える様に目を閉じ。しかし次に開いたときにはいつもの様、唇の端を力強く吊り上げ、拳をひとつ握り締めると。
「誰のためだろうと構わないさ。俺は鈴を手に入れる、そして願いを叶える。必ず……ああ、必ず」
 ぐ、と一際力を込められた手を彼は開く。しえるはそこに自分の掌をパシンと当てると、
「そうやって堂々と構えて、待ってなさいな。最期まで“貴方”で在り続けなさいな嵯峨野サン……いえ、征史朗」
 一歩を踏み出した爪先に、

「しえる」

 落とした視線。足の下に折り重なった幾枚もの紅い葉、黄の葉が濡れていた。朽ちて崩れて毀れて落ちて、森羅万象の源へと還っていくのを待つだけの欠片がただ黙って眠り伏し、雨の滴をしとどに受けているのを、自分は見つめた。

「為されるのがおまえの手によってであることを、俺は幸いに思う。訪れてくれたのがおまえで、良かった」

 ゆっくりと、ひとつ瞬きをして、口許を緩ませる。
 意識的にそうした、という自覚が、いつの間にか頬が強張っていたことを自分に気付かせて、苦笑する。
 心は決めてきたつもりだった。迷いも持ってはいないと自負していた。
 これは夢、そして既に終点の定まった過去。如何してだか自分の元に流れ着いてしまった残像に、自分はただ、立ち会っているに過ぎないのだから、感傷も感情も、それこそこの雨に流されてしまえば────。
 何てことを、俯いて呟く自分だったら、彼と約束などしなかったのだろう。
 そう、今自分が指先に、手に、身を支える脚に力を入れようとしているのは、ただの流木になるつもりなど毛頭無いからだ。一枝投じたところで大河の行方は変わらない、けれど一枝挿したことで僅かながら、しかし確実に変化を起こす。
 良かれ悪しかれ水は枝の形に身を裂き、枝も水の重みを一身に受けるのだ。

 自分は、その為に、此処に呼ばれた。
 自分は、その縁に手繰り寄せられて、彼に巡り逢った。

「……ええ。だって私と貴方の“縁”、だもの」
 彼を見ないまま、背中の向こうへと投げ掛けた。
 そうして歩みだしたから、もう、振り返る必要は無かった。


*******************



 初めて創り上げた“命”に、自分は顔と姿と瞳を授けた。
 向かい合えば何処かで見憶えたような錯覚。首を捻り、やがて納得した。
 ああなんだ、自分は、自分の目鼻立ちをこれに──モノという鏡に映したのか。
 ならばおまえは俺の片身。影の様に添い、覗き込む俺だけを見返し、俺だけのモノであり、俺だけの為に在れ。
 そう言い聞かせようとしたら、その片身はやおら瞼を閉ざし────す、と糸で引かれたかの自然な落下。
 散花の様に倒れ伏したそれを呆然と見つめるしかなかった自分に、祖父は諦観を滲ませた口調で説いた。

 残念だが、おまえのモノは、欠陥品。
 生のほとんど総てを眠りの中で過ごさざるを得ない、儚き命の白い花。
 ────おまえは、“これ”に名すらつけてやれなかったのだ。



*******************


 女は、変わらず泣いていた。
 纏う衣があまりにも綺羅びやか過ぎて、振り乱れた黒髪とそれとの対比が、一層哀れを引き立てる。泣き続けて声も嗄れたのか、漏れ来る嗚咽も既に小声。打ちひしがれたその姿、まるで萎れた花だった。
 朽葉の上を近づいていく自分の気配に頓着しないのは、自分の悲しみで胸が一杯だからだろうか。やおら彼女が腕を振り上げ、恨みの砧か地に打ち付ける、拳にあわせて鈴が鳴る。

 ──── ……“淋” 。

「酷いわね。人を無理矢理招待しておきながら、放っておくの?」
 声を掛けると、どうやら聞こえていたらしい。しゃくりあげる肩の動きをそのまま、彼女はこちらへ首を捻り、雨と涙に濡れた瞳の上目遣い。上気した頬には幾筋もの涙の痕と、蜘蛛の巣の如く張り付いた黒い髪。色白の顔に紅と黒とがよく映えていた。
『……うらやま、しい』
 女の口が、動く。
「何が、羨ましいの?」
 問いかけると、彼女の眦からまた雫が盛り上がる。呼応して、雨足が少し強まったように感じた。
 刺す様に地を、頬を叩く雨。睫から滴る雫に瞬き、拭って、もう一度毅然と問いかける。
「白い鈴の貴女、何が羨ましいの? 鏡を覗いた私に貴女は言ったわ、じゃあ、私が羨ましいの? ……鏡の向こうで“生きている”私が、羨ましい?」

 生き続ける私が羨ましい? ────ねえ、あなた。

  此処は、彼の世界。
  やがて果てようとしている彼の、迷いが作り出した世界。
  想いに執着する者、生に執着する者。
  緑と赤と青の鈴にそれぞれ籠められた、消えて逝ったもの達の叫びよ。

 ────そして彼の、強く脆いからこそ声に出せぬ、残心よ。

 消えてしまった、と。
 彼女が呟いたような気がした。微かな声、雨音に紛れ聞き逃すまいと、耳を傾ける。
『……妾の、片身が、消えてしまった。影たる妾だけを遺して……いってしまった』
 おおおお、と再び顔を覆う彼女が、背を弓形に天を仰ぐ。淋、と鈴が高く鳴り、音が雨すら弾く様。
 かげ、としえるは復唱する。
「そういえば、鏡の影、という言葉がこの邦にはあったわね」
 先ほど征史朗が翳し、自分が目を合わせ、そして引きずり込まれた鏡。古来より人は銅の合金を磨き上げ、そこに己の姿を映した。今の物の様に明瞭りとした像を結ぶことは出来なかったその面に、宿った朧な自らを、人は“影”と名付けたのだろう。
 しかし、映しこむ相手がいなければ、鏡は無。鏡の世界は独りきりでは存在出来ない。例えば天の使いが片翼では生きられないように。
 だから、鏡の内側で泣く彼女は、影なのだ。
 外側に居た誰かが映し残した──置いて逝かれた、片身の形見の、影。
「自身という半身を得て初めて生まれられる……貴女は、影」
『妾は……影』
 しえるは、落ち葉を踏みしめ一歩、彼女に近づく。
「同じ姿のもう一人を彼岸へと失った、影?」
『……“わたし”を亡くした妾など、最早影にもなれぬゆえ……』

 淋しい、と。
 彼女は泣いた。


*******************



 生まれて初めて、淋しい、と思った。
 失うのは、淋しい。遠くに行かれるのは、淋しい。
 しかし自分は、同時にもうひとつ、別の感情を知った。
 それは、美しい、と感嘆する心。

 そう、この世界は美しい。
 人が想いを込めただけ、人が願いを放っただけ。
 この世界は光り輝き、美しさを増す。
 自然に生まれたものも、確かに荘厳な美を持つだろう。
 けれど、それ以上に人の作り出したものはかけがえなく美しい。
 人が想いを込めただけ、人が願いを放っただけ。
 この世界は何よりも光り輝き、美しさを増すんだ。

 ヒトガタは、生まれてくるべきではなかった、と父は言った。
 命という、神様の領域に人が踏み込んではいけなかった。だからヒトガタが求める“代償”は、ヒトガタ師に科せられた罰なのだ。
 そう言って、技を──業を得なかった父は自分に背を向けた。そして自分も、そんな父に背を向けて、次のヒトガタを作り始めた。

 自分は、人が自然に勝つことを希求した、のかもしれない。
 人の想いは何より強いのだと。この世で一番美しいのだと────確かめたくて、自分は、ヒトガタ師となった。



*******************


 せいしろう。
 ……なんだ。
 私も、貴方と同じ数の鈴を貰ったわ。今も、手元に残してある。
 ああ、そうか。
 鈴を渡したくない、と、言い募ってた人達は皆、色々な言葉を並べたわね。泣いたり、諦めたり、無理矢理奪おうとしたり、そうね、人の数だけ表し方がある。鈴に色があるように、人の心にもまた、様々な彩りがあるんでしょう。別々の身体で、別々の道を歩み、もがき、進んでいく人だもの。それは、当然のことよね。

「でも、ひとつ、確かだと解ることは」
 す、と頭上に蛇の目の傘が差しかけられて、傍らを見れば征史朗がそこに居た。風邪ひいちまいそうだ、と穏やかに笑む彼からは女の様なのたうつ哀切さは感じられない。
 それが、しえるを安心させた。自分が今から為すこと、言葉にすることは彼を傷つけるためのものではないと──約束を守ることになるのだと、確信する。
「……そうでなきゃ、やってられないもの」
 懐から、緑と赤と青の鈴を取り出す。掌に載せ、その重みと冷たさを肌に確りと滲ませて。
「誰もが皆、望む言葉はとても幼いのよね。好きな人と愛し合いたい、長く生きていたい。どれも特別な想いじゃない、生きていれば自然に望むことよ。
 私だって、共に在りたい人がいる。その人と出来るだけ長く一緒にいたいし、そのために自分を大事にもしたい。
 皆同じよ、誰もが願うわ。執着や想いが鈴になるのだとしたら、私たち総てが鈴を持っている。……だから」
 征史朗の傘を取り、為すに任せてくれた彼からそれを譲り受ける。独りきりだと泣いて濡れる彼女に傘を差しかけ、覆いに気付いて上げたその顔に、
「白い鈴の貴女、どうか泣かないで。淋しさを抱いているのは、貴女だけじゃない。半身を恋い求め、苦しんでいるのは、なにも貴女だけの孤独じゃなくてよ?」

 ────“林”、“燐”、“霖”。

 しえるの手から零された鈴が、それぞれの色に添いそれぞれの想いのままに、澄んだ音を立てて落下する。
 “淋”と、唱和したのは女の白い鈴。女は、涙に濡れた両手で鈴を受け止め、しかし自身が何故反射的にそうしたのかわからないといった困惑の表情を浮かべている。
 彷徨った末に向けてきたのは迷いの瞳、しえるはそれを慈母の微笑で断じた。
「この鈴は、総て双つ対になって残ったもの。それと同じ、貴女も同じ。今は遠くに行ってしまったけれど、貴女にはもう一人の貴女が、確かにいたのよ」

 だから、淋しい淋しいと鈴を鳴らさなくてもいい。
 羨ましい羨ましいと、生き続ける私を妬まなくてもいい。
 あなたの鈴も、必ず双つ、相通じ合う想いの結晶として遺るのだから。
 だから。

「白は素色、この世界の一番最初の色。緑、赤、青、世の光総てを集めた色よ。
 “貴方”の鈴は独りきりの色じゃない、だから怖がらず、新たな生を歩き出しなさいな────征史朗」

「……ああ」

 “凛”、と鈴が一際高く大きく、周りの紅一面に鳴り響いた。
 今まで聴いたことのない、そして妙なる音色で女の白い鈴が────否、彼女の手の中にあった鈴総てが、手首の鈴諸共にそれぞれの色で発光している。
 しえるは驚きに目を瞠り、その弾みで傘を取り落とす。しかし咄嗟に腕で廂を作り、眩しさを堪えながら見逃すまいと視線を逸らさない。
 四つの光は徐々に中空へと浮き上がり、自分の頭上高く、輝く様はまるで太陽。雨が光に圧されて止んでいく、足元の紅葉がふわりと舞い上がり、周囲の木々が光を風と受けてさんざめく。
 しえるは見上げた、見つめていた。
 鈴の光はやがて収束を始め、そして最後に一瞬の強い閃光。思わず瞑ってしまった目を慌てて開くと、黄金に色を変えた光が真っ二つに割れ、そして自分へとゆっくり舞い降りて来た。

 ──── “ 凛 ” 。

「……な、に?」
 目線と同じ高さに、双つの黄金の光はあった。
 硬質で、しかし円やかで温かい、黄の光。眩い煌きは少しずつ収まっていき、両掌で受け止めたときにはもう、そのモノの形が明瞭りと判るまでに落ち着いていた。
「これ……」
 瞬き、手の上のモノを凝視する。
 それは、二つ同じ形をした黄玉色の、美しい鈴だった。

『 「 やっと……手に入ったか 」 』

 ────そして、世界は暗転した。


*******************


 気が付くと、自分は深い夜の底にいた。
 闇の中を歩き、辿り着いた、静かに流れる川の、あの岸辺。
 全身雪白に包まれ瞳に紅い光を宿す名も無き花──”ななか”と出逢った場所に、自分は立っていた。

 ────黄の鈴を二つ、握り締めて。

「礼を言う、まろうど。あれの念願、遂に叶った」
 視線を、手の中の鈴から目の前へに佇む人物へとゆっくり動かす。
 声には聞き覚えがあった。自分を征史朗の元へと送り、助けてやってほしいと頼んだ者。彼に縁深いと明かし、けれどもそれ以上を語りはしなかった蓬髪に白無垢の、彼女。
「名無花サン……だったわよね?」
 呼びかけて、その瞬間にはっと息を呑んだ。。
 まるで死に装束の様な白を常に纏っていたその姿、しかし今目の前に居るのは煌びやかな女の衣装。そう、先刻まで雨の紅葉の中でひたすらに泣き続けていた女の衣そのものを、何故か彼女は着していた。
「……貴女は、誰?」
 心持ち顎を引きながら、しえるは問いかける。
 疑問を言葉にしながら、もうひとつ、気付いてしまった事実に今度は柳眉を寄せた。
 似ている、のだ。
 今までそんなこと思いつきもしなかった。初めて逢った時には当然、二回目三回目には注意深く凝視めなかったせいか。いやそれとも、今だから気付けた、のか。
 似ている。男女の差はあれどその切れ長の目──柔和ながら情熱を孕む黒曜石と、まどろんでいるかの紅玉の半眼という、表れ方の違いはあれど。その瞳が、鼻の形に薄い唇、頬の感じ、顔立ちそのものが。
 似ている、名無花は────征史朗に、よく、似ていた。
 しえるは、戸惑いを滲ませた声音で再び口にした。
「貴女は、誰なの?」

「それは、俺が初めて創ったヒトガタだ」

 返答は背後から投げ掛けられた。
 誰が答えたかなんて振り向くまでも無かったが、振り返らずにおれようか。案の定そこには征史朗がいて、つまり自分は名無花と征史朗の間に立っていた。
 名無花は動かない、自分も動けない。征史朗だけが歩みを進め、自分へと、近づいてくる。
「俺が15の歳に初めて作り上げた最初の、俺のモノ。
 爺に欠陥品だと言われたそいつは、長い命のほとんどを眠って過ごさなくてはいけない、つまり、生れ落ちた始めから骸の様なヒトガタだったよ。だから俺は、名すらつけることが出来なかった。そのまま別れた、行き先も知らなかった。
 まさか、こんな夢の中で再会することになろうとは、」
 彼が下草を踏みしめ立ち止まる。
 ハッ、と鼻で小さく笑って、言った。
「また逢えるだなんて、思いもしなかったぜ。……名も無い、俺の花」

 ──── 俺だけを見返し、俺だけのモノであり、俺だけの為に在れ。
 ──── 影の様に身に寄り添い、常に、共に。

「まろうど、鈴を」
 眉ひとつ動かさないまま、名無花は真っ直ぐに示した指を自分へと──黄の鈴へと向ける。
 掌中の珠が、天井に輝く真円の光を受けて、きらり、黄金に煌く。
「鈴のうちひとつ、其の男に呉れてやってくれ。それが、その男が命を賭し求め続けたもの。妾の中にも在る、ヒトガタの、魂の器」
「たましい……?」
 そうだ、と受けて征史朗が首肯する。
「言うなれば、心臓。ヒトである魂を注ぎ、モノである身体に繋ぎ留める、つまりヒトガタがその身で生きていくために欠かせない“縁”。それがその、鈴なんだ」
 ドクン、と鈴が鼓動を打ったような気がした。
 勿論それは錯覚だったのだろうけれど、知ってしまったから熱を感じた。
 征史朗が次に作るのは彼の遺作となるヒトガタ。そして彼が最期に遺し、使命を課したヒトガタはあの銀髪に紫電の瞳をもつ、自分のよく知る、彼。
「じゃあ、これは、」
 思わず口をつきかけた続きを、しかし紡がなかった。それは未来の話、声に出すのは憚られたから。
 代わりに、心の中でそっと呟く。脳裏に、彼の不遜な笑みを浮かべて。

 ユキ、これは、貴方の心臓なのね?
 私は、貴方の命の核を、集めていたということ?
 ……本当に、ね。大層な“縁”、じゃなくて?

 ぎゅ、と。右手で鈴を、やがて彼が彼となるための魂の御座を包み込む。
 これは、ひとつは自分のもの。今まで自分が、征史朗と、鈴を持つ者たちにかかわってきた証。
 そして、もうひとつは。彼に────約束のままに。
「手を出して」
 少し早口に、それだけ言う。
 彼は黙って、開いた掌を差し出す。
 すると途端に激しく咳き込む音。もう片方の手で口を押さえ、指の間から僅かに紅い筋が滲んでいく。大丈夫だと誤魔化してもくれない苦悶の表情。
 しかし躊躇はしない、遠慮もしない。彼が彼岸へと近づいていくのを見ても、此岸に残る自分は目を逸らさずに。背中を押して、さあ踏み出しなさいと促して。
「受け取って、頂戴な」
 黄の鈴を、彼の手に、置く。
 5本の指で、掌で、決して離さないようにと握り締めさせる。
 覆った自分の手の中で、ぐ、と最後に力を入れたのは彼自身。苦しげな喘ぎは消えていて、顔を上げれば初めて出逢ったときと同じ不敵な笑みと目が合った。自身の為すべきことを確信し、肯定し、迷わぬ男の力強さが、そこの口許には浮かんでいて。
「白の意味を、先刻教えてくれたな」
「ええ、そうだったわね」
「では、黄の意味を置き土産に伝えよう。これは黄の鈴、命の鈴──そう、“生”の鈴だ」

 命をモノへと与える能力。
 それが嵯峨野の血が有する、罪の業。
 ────しかし、業でも、構わない。

「この世で一番美しい命の花を咲かせる。それが俺の願い、命、そのものなんだ」

 朗々と言い切った征史朗にしえるは目を伏せ、そして唇の端を綻ばせて。

「……じゃあ、“行ってらっしゃい”」

 鈴を握った手で彼の胸をトンと押す。
 “凛”と春の花の様に優しい音色が、はなむけの指先から零れた。


*******************


 果ての見えない夜の川の上に、いつの間にか橋が架かっていた。
 暗い暗い、底の知れぬ深い川を横切る、苔生した古木の橋は夢の浮橋。遙か彼方の対岸へ、辿り着く先が夜闇の中へと吸い込まれていってしまうほど長い橋を。
 彼岸と、此岸。 征史朗は向こう岸へと渡って行った。
 夜の中へ消えて行く彼の背中を、見つめ続けて、やがて見失い。そうして姿総て、残像すら瞼から掻き消えてしまった後に、自分は、彼の形見であり、また彼の片身である鈴を、掌の中で転がした。
 再びの静寂の中、“凛”と今度は涼やかに、音が、漣の様に夜を震わせた。
「まろうど」
 不意に呼ばれた。なあに、と答える。
「まろうどが妾の夢に相逢うてくれて、僥倖であった。妾は影、夢の中に漂う、半身に添えぬ蜃気楼。
 妾ではあれの手助けをしてやれぬ、生まれ落ちた其の時より、あれの願いを裏切り続けている妾では何も出来ぬ。それこそ、泣いてやるくらいしか、出来ぬ故」
「私ね、そういう風に自分を簡単に卑下する人って、好きじゃないの」
「…………」
「いいじゃない。結果として、貴女は私と出逢い、私は鈴を集められたんですもの。──ね?」
 言いながら、ちらと横目で伺う。白皙の頬に泣き跡はもう見つからない。いや、そもそもあれは本当に彼女だったのか、それともただの夢の女だったのか。

 そう、夢。総ては夢。
 最初に自分は明瞭りと自覚していたではないか、自分は夢を見ているのだと。
 この場所も、征史朗と共に見たあれらの場所も、だから所詮夢なのだ。醒めれば消える、跡形もなく。
 影の様に曖昧で朧な、頼りない、夢────。

 ────なんて、ね。
 ────でも、だけれど、でしょう?

 初めに名無花はこう言った。自分が消えぬようにと願えば、この鈴は消えないと。夢は夢でしかないけれど、夢を生きる心は夢ではないのだと。
 そして自分は泣く女にこう言った。大事な人は今は遠くに行き二度と逢うこと叶わないのだろう、けれど誰もが、もう一人という掛け替えのない存在を、想い出の中に抱き続けることが出来るのだと。

 だから、この鈴は。
 この記憶は、彼と出逢い彼に触れたという確かな感触は。

「消えないのよね。ええ、憶えているもの……忘れないでいて、あげるもの」

 軽く、手を上げる。既に行ってしまった彼に向かって、それを。

「また逢える日を、待ってるわ」

 ────別れの挨拶と約束にと、手を振った。


 了


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女性/22歳/外国語教室講師】


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■         ライター通信          ■
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嘉神しえる様

こんにちは、お世話になっております。ライターの辻内弥里です。
この度は当ゲームノベル「名無花の世界 〜白の鈴〜」にご参加くださいまして、そして全話にお付き合いくださいまして誠に有難うございました。
途中色々とご迷惑をおかけし、時間もかかってしまいましたが、こうして最後まで書ききらせていただけて本当に感謝しております。
「鈴」はこれにて了となりましたが、如何でしたでしょうか。ユキが生まれる一歩手前までの物語、また征史朗と名無花との出逢い、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
「鈴」でお会いするのはこれで終わりですが、宜しければまた本編のほうにも遊びに来てくださいね。ユキと蓮さん共々、お待ちしております。
それでは今回は本当に有難うございました。