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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


[ 月夜の歪 -丁夜- ]


  満月の晩。全ての始まりと同じ場所、同じ時間に扉は開く。
  繋がる場所はきっとただ一つ。
  さあ、探しに行こう。かの場所で 彼を見つけるため――。




 ――……碇麗香からの緊急伝令
  先日から完全単独行動をとり出したらしき桂が、明朝より消息不明。
  心当たりのある者、協力者は至急応援を頼む。



    □□□



「――桂の行く先……ネ」
 麗香の連絡を受け、彼は僅かに考える素振りを見せた。しかし答えはすぐに出る。否、きっとどう考えても答えはそれしかないのだと思う。
 桂が思いつめていた様子なのは、今回の事件が始まった時から思っていたことだった。加えて、興信所での騒ぎの際連絡が取れなくなり――恐らくその先は連絡が又すぐに取れるようになったのだろうが――消息不明となった……それが意味することは、極めて単純な答えだろう。
「事件が始まった場所…桂はソコにいるンじゃないカナ」
 ポツリ言葉に出すと、彼はあの場所へと向かうことにした。



 誰も居ない廃墟。今はただ、桂が独り……佇んでいた。
「……今晩この場所で、後十分もすれば時計は再び動くはず。そうすれば先輩を探しに――」

 ざぁっと風が吹く。吹き抜け状態である廃墟の天井。そこから空を仰ぎ、流れ続ける灰色の雲を見た。今宵の満月を隠し、月明かりを遮っては又、去りゆき。やがて地上へと月明かりを届ける。
 今、桂が立つ場所は三下忠雄が消えた場所。過去の兵と手を、剣を交えた場所。繋がるは恐らく――戦国時代。そんな戦火の中、忠雄は生き延びているのだろうか。今はただ、無事を祈ることしかできない。
 前回の満月から今日の日まで、調べる限りは調べつくした。

「ボクの予想が正しければ、時は1570年代――場所はおそらく……遠江」

 深呼吸し、今一度空を仰いだ。懐中時計代わりにつけている腕時計、その秒針の音が煩く耳に付いた。時刻は23時51分。
 辺りには無数の騎馬隊が現れ始め、ただジッと桂の動向を見守っていた。

「後、少しですから。先輩――――」

 声は小さく、けれど強く…‥。

「いた!」
 しかし決意の表情は、たった一言に崩される。正しくは、安堵の色を含んだ。
「全く、ぬし一人で行ってどうするつもりじゃ?」
「兄貴、此処から過去に行けるんだ!?」
 そして続く二人――正しくは一人と一匹の声というべきなのか……そして最後に響く、優しくも心強い一言。
「独りで抱え込まないでね? みんな、こうしてまた集まったんだから」
「……皆さん…」

 桂が振り向いた先、そこには見慣れた三人と一匹の姿があった。


    □□□


 23時53分――。
 その場に集まったのは、最初の事件から関わった神納・水晶(かのう・みなあき)に人造六面王・羅火(じんぞうむつらおう・らか)、シュライン・エマ。そして、新たに顔――もっとも今は黒い狼の姿をしているが――を見せたのが二階堂・裏社(にかいどう・うらやしろ)だった。
 麗香の指令により此処までやってきた四人に、桂はやがて複雑な表情を見せる。ここまでの事になった以上、後は責任をとって独りでどうにかしようと考えていた矢先の事だ。本当に頼ってしまって良いものか、判断しかねているのかもしれない。
 ただ、こうしてこの場にやって来た以上、四人はそんなことを気にしているわけも無い。
「さっきの独り言少し聞こえたンだケド、1570年代の遠江ってコトは、やっぱこないだ話に出た三方ヶ原の戦いってヤツ?」
「はい…ボクの調べた限り、今晩生じるはずの穴は確実にその辺りへと繋がります」
 水晶の言葉に桂は即答した。今日まで散々調べてきたのだろう。その言葉には自信を持っているように思えた。
「で、徳川方攻めるの手伝えって、言われたよネ、確か」
「そうね……ただ、今この場で考える限り――護身や真田氏の本隊合流への協力以上の事は難しいと判断するわ」
 現時点では推測でしかないものの、恐らく高い可能性でそうなるのではないかとシュラインは言う。
「じゃな。既に遅いともいうのじゃが…歴史を変えることも好かぬ。第一、たしか信玄のもとにおると言っていた忠雄をどうにかすることがあるしの」
 同意した羅火に、シュラインは頷く。最優先されるは忠雄の救出だ。
「穴がいつ閉まるか、仮に三方ヶ原の戦いとして戦闘期間も不透明だし、……そういう点でも、あまり向こうに長居するのは得策じゃないのよね」
 しかし、唸るシュラインに桂が言葉をかける。
「……穴についてなんですが、今回は多分…ですが、気にしなくて大丈夫です」
「どういうことじゃ?」
「前と違い、形式上ボクが意図的に発生させるので、すぐには閉じない筈。穴が完全に閉じるのは月明かりが無くなる頃。ただし、こちらと向こうで時間の流れが全く同じとも限りませんが」
 その言葉に、裏社が夜空を見上げ口を開いた。
「此処が零時に開いたとして…今の季節、この地域の日の出はおよそ六時から数十分の間、と言った所でしょうか?」
「うわ、制限時間ツキかぁ……」
 ただでさえ殺さないよう手加減をしないといけない状況の中、更に時間を気にするというのは相当なストレスが予想され、水晶はぶつぶつと小さく悪態を吐く。
「およそ六時間時間…それが長いか短いか、微妙なとこじゃし……仮にこちらの六時間が向こうの一分だと、救いようが無いのう」
「やっぱり、今此処で考えても答えは出ない――わね」


 23時57分――。
 複数の蹄の音と共に現れたのは真田昌幸だ。話は桂から聞いていたのかもしれない。
「――これは、賛同していただけると解釈して良いのだろうか?」
「イイんじゃない? とりあえず、徳川方に勝てばいいンでしょ」
 水晶はそう言ったものの、他の者もほぼそれには賛同し頷いた。とは言え、実際その同意には裏がある。必要最低限のみの関わり、或いは貸し作りで繋がりを持つこと、ただ加勢するだけではない――考えられる事はいくつもあった。勿論、誰も今この場でそれを声になど出さないが…。
「心強い……戦況がどうなっているか某には想像出来ぬが、行くべき道、なすべき事は決まっている。その力、我等が勝利の為に」
「それにしてもこんな所から過去に行けるなんて…想像もつかないですね」
 ただジッと、時が来るのを待つ皆とは反対に、ウロウロと廃墟を歩き回る裏社は、やがて水晶に手招きされ皆の元へ戻ることにした。時刻は零時一分前。
「どうか、したの?」
 そこで桂の異変に気づいたシュラインは、そっと横から声をかける。
「……前と少し状況が違う…。確かに今日……開く筈なのに、このままだと…」
 シュラインに対し返した言葉ではなかったのかもしれない。独り言のように言葉は続く。満月の力、時刻、角度、場所――あらゆる条件は全て揃っているはずの今日、なのに――…‥。


 00時00分――。
「――……そんな、どうして?」
 手の中の懐中時計をじっと見つめたまま、桂はただ一点を見つめた。腕時計の秒針は確かに真上を通り過ぎている。しかし、手の中の懐中時計が再び動き出すことは無い。
「もしかして、過去に上手く繋がらないんですか?」
 何がどうなれば過去に繋がるのか、草間興信所での光景を見たこともない裏社には分からないことではあるが、辺りに何も変化が起きない事と桂の動揺を見れば嫌でも今の状況は分かった。
「それってこのままじゃ過去にいけないってコトだよネ……うーん、この場合俺手伝えるには手伝えそーだケド? 次元を斬る技…ってトコで」
「なんじゃ? 出来るなら試せばいいじゃろ」
「試してみてもいーケドさ? その前にちょっとでも開いたら、他の方法で無理矢理どーにかできるかもなンだケド……」
 言ってはみたものの、実は確実性の無い提案に、羅火の後押しを受けながらも最後は水晶自ら口籠る。そんな様子を見て静かに続いたのが裏社だった。
「んーー…ならば、応用きくかどうかわからないですけど、俺もちょっとやってみますね。ちょっと開いたらどうにかしてください」
 そう言っては桂の傍に寄り、どの辺りで繋げるべきかの指示を仰いだ。彼自身は次元間の移動というものが可能ではあるものの、今回の試みは初である。
 桂の話に頷くと、時空の流れを繋ぐのも原理は同じと踏み、一気に神経を集中させる。
「……月光不足、というのもあるかも知れないわね…」
 やがて崩れた天井を見上げ、その先で流れる雲を見つめ、シュラインは徐にその場にしゃがみこんだ。時折現れる月、その月明かりを何とか集められないかと、眼鏡を置いてみたり、あれやこれやと近場を動き回ってみる。
 そうした二人の行動から僅か数分後。最初に異変に気づいた桂が、思わず声を上げた。
「凄い…僅かに……歪みが生まれて――」
 裏社の考えは、空間の細い流れを増幅し強化するというもの。実際どこまでできるかは分からなかったものの、思いの外事はスムーズに行きそうだった。元々不安定だった場所だ。つい最近開いた穴と同じものをそこに又作り出すのは、案外簡単なことだったのかもしれない。
「――――っ!!!!」
 裏社が更に力を込めたその瞬間、水晶が小さく口笛を吹き、昌幸が身震いを起こした。反応を見せたのはその二人だけで――もっとも、羅火にとっては珍しくも無い姿なため無反応であったのだが――皆、僅かに垣間見た裏社の姿に対してだ。黒い狼姿でも、人でもないそれは異形の黒竜姿。ほんの一瞬現れたその姿、それを確認できたのは僅か数人だった。
 やがて、雲の切れ間から月が顔を覗かせる。
 同時、空気の流れが変わったと、その場の誰もが気がついた。一目瞭然のことである。今まで何も無かったはずの空間に穴が開いたのだから。

 カチッ‥‥と、桂の手の中で秒針の音が響く。

「おー、……開いた開いたってコトで、ちょっとコレで固定してっと……」
 ブツブツと呟きながらも、水晶は取り出した結界符で裏社が開けた穴を固定し、続いて左掌から鮮やかに出した刀で穴を抉じ開けてみる。なんとも無茶苦茶な方法ではあったが、やがて穴は人が通れるほどの大きさへと広がり、やがて安定を保った。
「これで大丈夫なのかしら?」
「はい、充分だと思います。月明かりはいささか不安ですが…ある程度固定されて今は安定しているので」
 不安そうに呟いたシュラインに桂が微笑むと、穴が開いたことに気づいた昌幸が馬上より桂に告げる。
「まずは我等が行こう。ついて来るが良い」
 そう言いながら、躊躇いも無く穴の中へ次々と入っていく騎馬隊に、桂・水晶・羅火・シュライン・裏社と続いた。


    □□□


 抜けた先――そこは太陽が眩しいほどに輝く場所だった。つまり、日中ということになる。ただし、冬の寒い昼だった。
「無理矢理繋げたせいかもしれませんが、こちらでも月が出れば穴は安定するでしょう。いずれにしろ元の世界で月明かりが無くなれば戻る術はなくなりますが」
「それにしても……一体何処に着いたんでしょう?」
「此処が本当に過去ならば、余程目印になる建物や都、目の前で戦でもない限り状況や現在地が掴めぬのう。ちと、偵察に行かせるかの……」
 桂の言葉の後、裏社が誰もが思った疑問を口にし、羅火が相槌を打ちつつ狗鷲と琥珀を放つ。これで多少周囲の状況が把握できれば良いのだが。よく見れば、そう離れていない場所で昌幸達も相談しあっていた。
「どうも困ってるのは私達だけではなさそうね」
「あの集団も分からなくちゃどーにもなンないじゃん……」
 そう言い一同は周囲を見渡した。自分達の他に何かの姿や気配は無い。どうやらある程度の高台のようだが、この場所が一体何処なのか、すぐに分かるような事は無い。
 ただ、最初に異変に気づいたのはシュラインだった。
「――何か来るわ……相当の数が、もうすぐ…そこまで!?」
「ん、ホントだ。結構でかい気配が一つ…二つってとこ?」
「後は雑魚、じゃろうな」
 気配を察知した二人は、シュラインと同じ方向を見る。気配はこの高台から暫く下った先。
「二人は出来るだけ後ろに」
 桂とシュラインにそう告げ、裏社も二人と同じ方向を見た。
「全部…馬の足音かしら。多分向こうはこちらに気づいてないわ……警戒の様子も無く進んできてる。味方、であれば良いのだけど――」
 しかしシュラインの願いとは裏腹に、まもなくして響く真田の兵と思われる者の声。
「――――前方に徳川勢出現!!」
「いきなり好ましくない状況ね……家康が居なければ良いのだけど」
 出来るだけ後方に下がりながらも、シュラインは迫り来る足音から幾つかの声を聞き分けることに集中した。
「皆の者、まずは我等が本隊に合流する事を一番の目的とする」
 昌幸の声が響く。たったその一言で、先ほどまで再び見知らぬ場所に放り出された兵士達も、以前の士気を取り戻した。
 そして次に水晶・羅火へと向けられた視線。そこには勿論『頼む』という意味が込められている。
「さて、お手伝いカナ?」
 言いながら、水晶は片手で持て余していた刀を持ち直した。多少は出来る相手が居ることを願いながら。
「戦況が読めぬからのう…余り派手にはやりたくないものじゃが、この場を切り抜けるには致し方ないのう」
「あ、兄貴がやるなら俺もっ」
 気配は、そして足音は更に近づいてくる。最早普通の人間である真田軍にも、それは完全に掴めて取れる程に。
 やがて何かを耳にしたのか、シュラインがポツリと呟いた。
「この時代でこの時期、徳川のホンダなんて……本多忠勝じゃない…」
「なんとも…次から次へと武将が湧き出るもんじゃのう……」
 その言葉は決して真田軍には届かぬよう呟かれ、羅火と水晶はそれぞれに反応した。
「多少手合わせ出来るならやっぱ嬉しいンだケド、本気なられたら困るよネ」
「あの、これはどういうことですか?」
 ただ、裏社はまだこの状況を掴めてはいない。というよりも、この歴史に詳しくないと言った方が正解かもしれない。
「多分……まだ三方ヶ原の戦いは始まってないんだわ。これは恐らくその前哨戦の直前。今此処に向かってくる敵兵は、本来なら此処で真田氏が交わるべき相手じゃ――」
 しかしシュラインが言い終わる前、遥か彼方で声が上がる。
「――――武田!? 否、あの御旗は真田だ!!!! 前方に真田勢!」
 その声と同時、馬の足音が徐々に消え、相手方に動揺が走っていることが伺えた。勿論相手にとって、真田が居るならば近くに武田が居る可能性も大いにあると考えてのことなのだろう。
「みんな、此処で本多忠勝を倒すことだけは一番に避けて……でないと、完全に歴史が変わってしまうわ。それも、場合によっては今後真田氏一族にとって不利な状況になるかも知れないから……」
 此処で本多忠勝が歴史上から消える場合、その影響は真田信繁の兄・信之にまで及び、史実で見ればその後昌幸と信繁にも関係する。勿論、最初は徳川軍に影響を及ぼすのであろうが。
 シュラインが昌幸に対しても向けた言葉に、彼は馬上から彼女に問い返す。
「歴史が変わる? しかも我一族にとって……。では、我々は一体どのようにすれば」
「私達で出来るだけ史実と同じ状況を作るわ。とにかく逃げる兵は追わず、逃がすこと。敵武将に深い傷は負わせないこと。もしくは、史実どおり此処に武田の別武将が現れるまで、時間調整をすること」
 もっとも、これが彼女の考える戦いであれば…の話である。既に今の状況を考えれば歴史は悪い方向に塗り替えられ始めている。想定外の出来事であったとしてもおかしくは無い。
「別部隊が…来るのか?」
「時間的には何時になるか分からないけれど、場所はそう遠くは無いはずですから……早ければ数十分、遅くても数時間――ということだから、みんなそう頼めるかしら?」
 ようやく昌幸との会話を切り、水晶に羅火、裏社を見たシュラインは、真剣な表情を一変させにっこりと微笑んだ。後は三人に任せるということだ。
「なんじゃ…とりあえず威嚇でもすれば雑魚は驚いて逃げ出すかのう……」
「威嚇ねぇ……まぁ、過去の経験から俺たちってもうこの見た目とか動作が威嚇状態みたいだケド」
「あ、威嚇なら俺も手伝おうか?」
 尻尾を振りながらそういう裏社の姿はなんともいえないものではあるが、羅火は確かに頷いた。
「ンじゃぁ、早く追っ払うとしよっか」
 そういうと水晶は最初に動き出す。同時、正面の部隊が一斉に退いていく。
「逃がす目的考えればこれでイイんだケド…見事に逃げるもンだね。てゆーか、何か庇ってる?」
 時折、刀をただ持ったまま突き進んでくる水晶を食い止めようと、何人かの兵がやって来るのを峰打ちでやり過ごし、やがて数多くの雑魚兵とは違う気配を持つ者を突き止めた。殺気を押し殺そうともせず、逃げもせず水晶のもとへとやって来る一人の武将。
「これ以上先へは…進ませません」
 出てきたのは、水晶よりは僅かに歳を重ねた男。
「別に進む気も無いンだケド、出来るだけ避けたいコトもあるから、さっさとこの場から消えて欲しいンだよね」
「何を訳の分からないことを……とにかくこの先、武田も真田も進ませやしません」
 そう言うと男は刀を構えた。ただ頑なに、この先は進ませないと言葉を重ねる姿に、この先何があるのか気になるところだが、自分の役割を考えれば雑魚はほぼ蹴散らしたため、目の前の男を追い払えば終わりだろうと考える。
「別に俺真田でも武田でもないし。それにお前、俺にこーやって向かってきてるけどさ、デキるの? 名前は?」
「内藤、――内藤信成。仮にもこの場を任されている身、貴殿にとって不足でないことを願いますが」
「ふーん、じゃあちょっとだけ試してみるカナ」
 トントンとその場で足を踏み鳴らすと、水晶は信成との間をゆっくりと詰めていく。しかし、控えめな言葉とは異なり、信成は様子見をすることも無く一気に間合いを詰めてきた。
「おお、早い早い!」
 目と鼻の先に接近されると同時、信成は刀を構えていた片手を突然離し、その手で水晶の上着を掴み取る。
「うおっ!?」
 一気に腕の力で引き寄せられ、かわすより先に目の前が一瞬真っ白になった。同時に身体が後ろへ飛んでいる感覚に気づく。地に落ちる、というよりも半ば叩きつけられる形で暫く地面を転がり起き上がると、大分信成との距離が開いていたことを知る。
 思わず額を押さえると血が流れていた。相手は勿論兜を被っている、頭突きなどされれば当たり前のことだ。
「良い刀を下げていたようだが、今ではそれも手を離れ、又そのような軽装備でこの先一体何が出来ると――…っ!?」
「あー……いってぇ…」
 しかし水晶が手の甲で額を拭うと、そこに傷は無い。その程度の傷、既に癒したと言うのが正しいのだが。
「頭ガンガンしたぁ……で、何がどうだって?」
 ついでに土埃を払い、水晶は立ち上がると信成に向き合った。またゆっくりと距離を縮めていく。
 二人の間は残り数メートル。消えたと思った刀が水晶の掌から出された時、信成は確かに息を呑んだ。
「――――――っ、あっと!!!?」
 ただ、次の水晶の声と動きは同時。その相手は背後に居るとはいえ、まだ無視できる距離だと思われた。しかし、水晶に対し迫ってきた槍は、その許容距離から繰り出される。
 槍と刀、それらが力強く交じり合い、刀は槍を確かに弾く。甲高い音が響くものの、その槍が持ち主の手を離れることは無い。
「本多殿!」
「内藤殿、早く本隊とお逃げを。この先は、某がお受け仕る」
 信成の声と同時、水晶の背後に居た者が素早く信成の前に立つ。
「ほう、向こうに徳川の本隊がおるんじゃな。それでこんな…」
「それで、こんなにも必死に……守って」
 そして水晶の背後には、羅火と裏社の姿が続いて現れた。
「あれ、二人ともソッチは終わっちゃったわけ?」
「雑魚を蹴散らすくらい、加減しなければ数秒で可能じゃよ」
「残りは主にその武将二人、と言うことです」
 それぞれ本性である赤と黒の竜姿で、二人は水晶の隣に立ち、相手と対面する。
「ふーん、まぁ楽勝楽勝、後はコイツら無傷で逃がせばいいンでしょ?」
「無傷で逃がす、だと?」
 言っていることは正しいものの、水晶の言葉が癇に障ったのか、忠勝が眉を顰めた。
 だが、歴史は今この瞬間も刻まれていく。それは、本来の歴史を取り戻すかのよう、ようやく現れた。
「――そこにおられるのは真田殿かっ!? 一体今まで何処にっ!! それに、どうも見慣れぬ者も居るようだが……この有様はなんなんだ一体っ」
「馬場殿に小杉殿! 本当に、来られたのか……」
 遠くで昌幸が発した言葉から、それは味方部隊と見られる。
「ようやく来たか、本来こやつらと戦うべき部隊が」
「ん、これで安心して真田と本隊のトコに行けるンじゃない?」
「少し時間が掛かりましたが…考えどおりですね」
 水晶は刀を戻し、羅火と裏社はそれぞれ人間の姿に戻り。やがて走ってきたシュラインと昌幸達と合流する。
「此処は彼等に任せて、私達は本隊に合流しましょう」
 そうして一同は、羅火が連れてきた狗鷲と琥珀の導きの元、そしてようやく出会った武田家臣の馬場・小杉の進言により二俣城へと向かった。


    □□□


「真田昌幸、只今戻りました」
「おう、よく戻った。突然消息を絶ったようだが、戻ったようで何よりだ」
 そう言い皆を迎えたのは、他でもない武田信玄だ。昌幸の計らいにより、こうして共の謁見が許され今に至る。
「これでようやく安心して堀江城に向かえるというもの。しかし……その後ろの者達は何だ?」
 昌幸の帰還を喜んだ後、信玄はようやく五人に目を向けた。
「この度この者達が彷徨った我等に加勢し、此処まで導いて下さった。此処より未来の世界の住人とのこと。故に、これから起こる事にもお詳しいようで」
 その言葉に、信玄は笑うことなく耳を傾け続け、やがて口の端を上げては五人を見る。
「ほう……と言う事は、もしやあやつの時代と同じ者達なのか?」
「…っ、先輩は何処に!?」
 信玄の言葉に、桂が思わず立ち上がりかけるが、それを制したのも信玄だった。
「そう急くな。確かこの時間は外に出していたな……此処に連れ戻して来い」
 側近にそう告げれば、暫くした後、見知らぬ男が連れてこられる。しかしそれは、単に見慣れぬ姿だと言うことにすぐに気づいた。見慣れたスーツにまるで向こうが見えないかのようなメガネ姿から一変、メガネを外すと美形のお約束を守り、着物を着こなす三下忠雄がそこにいた。
「なんじゃ、意外と似合っとるのう。違和感なくこの世界の住人のようじゃぞ」
「あああああああ、もしかしてその声っ、みなさんが助けに来てくれたんですかああ!?」
「三下くん…やっぱりお膝元に……」
 そんな彼の姿を見、開口一番そう言ったのはシュラインだった。
 この時代の人間に、男色は当たり前のことである。特に信玄に関してはその手の話が残っていた筈だ。もしやと思ったものの、気に入られようは相当の物らしく、身なりはきっちりとし、尚且つ信玄のすぐ隣に添え物のようにちょこんと座らされる。
「あ、もしかして眼鏡が無いから良く見えてないんですか?」
 裏社が苦笑いを浮かべると、忠雄は何度も頷いてみせ、その様子に思わず桂が涙ぐんだ。すぐにそれは飲む込むものの、暫く堪えていた物が今この瞬間弾けたのだろう。
「とにかく良かった…無事で、本当に……」
「みなさんが来てくれたということは、これで、これでようやく僕は帰れるんですねっ。そうですよね!」
 これまで何があったのかなど予測不能だが、今にも泣き出しそうな顔で信玄の隣を立ち上がり、徐に五人のもとへ走り出そうとした忠雄を、信玄は着物の裾を持ち無言で引き止めた。
「あのさ、三下返してくンない? ほら、俺たちさっき協力したから、今度はソッチが協力してくれる番でしょ」
「こ、こら…御館様の前でそのような口を……それに協力と言ってもまだ我々の戦は始まってもいない。第一御館様の膝元を探していたなど――」
「まぁ、良い。確かに家臣を此処まで無事に導いた、その点に関しては礼を言おう」
 水晶と昌幸のやり取りを見た信玄は、五人に向け感謝の言葉を紡ぐが「但し」と言葉を続ける。
「確かに戦はまだ始まってもいない。この状態で礼にと、これを手放すというのは……幾ら元の場所に戻るとしても納得できんな」
 言いながら、隣に座らせた忠雄の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「これから堀江城出陣…そして今の状況ならば、確実に勝ち戦の筈」
「ああ、忠雄もそれを言った、勝利は確実だと。だからこうして置いている。まぁ、勿論理由はそれだけではないがな」
 勝利祈願マスコットのような扱いらしい、別の意味も含み‥‥。
「強いくせに、なーンか弱気だよねぇ」
「なんと言おうが構わん。戦が終われば、まぁ………………返してやる。それまで待て」
「間が気になるところじゃが、あれくらいの貸しじゃまだ話にならんと言うことか」
 側近や家臣なのか、周囲を大勢の人間に無言のままに囲まれ、徐々に不快感を露にし始めた羅火は、何とかその場に留まりながらも次第に落ち着きをなくしていた。そんな羅火を横目で気にしながら、裏社は桂に問う。
「でもこの先の戦に関わって戻ろうとする…それじゃ多分遅い、ですよね?」
「ええ…まだ余裕はあるはずですけど、こちらの世界で後数日数時間も経過すれば、次の満月まで帰れなくなると思います……戦が終わるまではもたないかと」
 懐中時計とは別、桂は腕時計を見て言った。どうやら、その時計だけはもと来た世界の時間を示しているらしい。ならば早く忠雄を連れ戻った方が良いと、皆が思考を巡らせる。
「うーん……ならば、私と勝負なんてどうでしょう? もしそれで私が勝ったら、今この場で三下くんを返して頂きたいと」
「勝負? 何だ、女が腕で勝負でもするか?」
 シュラインの言葉に、信玄は彼女が見た目に反し腕っ節が立つのかと面白そうに言う。
「そうではなく、えっと…そうですね、数当てを。兜にでも、金を数枚入れ、その枚数を当てるのです」
「ほう…なかなか乙な提案、面白い勝負じゃないか。よし、良いだろう。但し、こちらが勝てば忠雄は返さんがそれで良いか?」
 信玄の発言に忠雄は凍りつき、周囲もざわめいた。ただ、忠雄もそうであるが、シュラインがこの話を持ちかけた理由は、彼女を知るものならば自ずと分かってくる。この勝負は音がポイントだからだ。
 やがて兜と甲州金十数枚が運ばれ、勝負は先に数を言い当てた方の勝ちと決められた。最初こそ、兜の中でぶつかり合う不揃いな甲州金の音を一つ一つ拾うのは難しかったものの、それぞれの音の特性を掴めば安易である。
 シュラインは勿論のこと、信玄も正確な数を掴みかけてきた数度目の勝負。
「勝負有り、ですね」
「なんと…よくもまぁ、当てたな……」
 昌幸の手により進行された勝負。そこに不正は勿論見受けられるわけも無く、信玄はあっさりと負けを認めた。
「これに負けたからと言って、先の戦で負けるわけでもないだろう。未来がそうであるにしても、最初から負けを覚悟で望む戦でもない。それに……やはり忠雄は此処に居るよりも、元の世界とやらが似合いのようだしな」
「ありがとうございます。後……我々の話を、どうか息子さんにお伝えください」
 最後の言葉は昌幸に向けてのもの。彼はきっとそれに意味が有るのだと納得し頷くと、四人と桂に向け礼を告げた。結局元の世界に無事戻ってこれたのも、先ほどの戦を無傷で終えたのも彼等、彼女等のお陰と言う事は勿論思っていたことだ。

 そして六人は二俣城を後にすると、早々に穴の場所へと戻る。
 シュラインが向こうの世界から繋げて来た糸は、戦いの最中に切られてしまったようだが、その辺りは狗鷲と琥珀がカバーした。
 夕暮れ時、既に先ほどの戦いには決着がついたのか、辺りに動く人の姿は無い。
 まずは桂が一度穴に潜り、向こう側に行って戻ってくる。
「大丈夫、元の場所へ戻れます。ただ少し不安定なようなので、離れないようついてきてください」
 その言葉に水晶が続き、次に忠雄、裏社、シュライン、羅火と続く。



「さて、我等も明朝には堀江城へ向け出陣の頃だな――皆の者、準備を」
 穴を抜ける寸前……最後には、遠くに多くの声を聞いた気がした。


    □□□


 六人が元の世界に戻ると同時、不意に穴は収縮を始め、一分も経たずして消え失せた。
 時刻は午前三時前。思いの外早く帰ってこれたと、桂は安堵した。
「それにしても、ぬし…元の服はどうしたんじゃ?」
「実は…向こうに飛ばされたときに色々ありまして……コレに着替えさせられて、多分処分されてしまったんじゃないかと――」
 この時代に着物を着ていようがおかしなことではないが、一つ気になるのは履物を履いているものの裸足というところ。見ていて寒い。
「とりあえず、早く家に戻って着替えた方が良いわね」
 シュラインの言葉に忠雄は力強く頷くと、水晶がふと桂に尋ねた。
「ンと、ところで今回の報告はどーすんの?」
「あ、それはボクの方からしておきますので、皆さん帰ってゆっくりお休みください」
「それにしても、帰るにしてもこんな夜中じゃまだバスも電車も通ってませんよね」
 羅火や裏社は飛んで帰ると言う手もあるが、他の四人は生身の身体である。朝まで外で過ごすのかとも思ったが、そこは桂がきちんとまとめに入った。
「ボクの時計も無事元に戻っているので、少し離れた安定した場所から直接白王社に帰ろうと思っています。皆さんも一緒に戻りますか?」
 それに一同賛成し場所を移動した。


 しかし六人はまだ知らない……ほんの少しの歴史の変化。
 今回些細な事が幾つもあったものの、武田や真田の歴史に特別大きな変化は無い。関わってきた多くの武将達にも、だ。
 ただ一つ。とある寺院の記念館。そこには今、戦国時代の物と称され、薄汚いスーツらしき上下服が展示されていた…‥。



 まだ夜明けは遠い。丙夜、甲夜を辿り、やがて時刻は丁夜から茂夜へ――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [3620/   神納・水晶    /男性/24歳/フリーター]
 [1538/  人造六面王・羅火  /男性/428歳/何でも屋兼用心棒]
 [5130/   二階堂・裏社   /男性/428歳/観光竜]
 [0086/  シュライン・エマ  /女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員]

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■         ライター通信          ■
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 この度はご参加ありがとうございます。ライターの李月です。実に一年ぶりとなってしまい、色々大変だったと思いますが、細かいプレイングありがとうございました。
 穴が開かないは完全に月光不足でしたが、不安定な場所なので能力があれば無理矢理開けるのも一つの手でした。
 史実の時系列的に多少期間でズレも生じている筈ですが、今回からの流れは一言坂の戦い→堀江城出陣→家康出撃辺りの流れになっています。結果的に三方ヶ原の戦い、それに関わってしまい最後まで居た場合は帰れなくなったのですが、無事その前に忠雄を連れて帰ってこれたので、今回で任務完了となります。
 今回個別部分はそれほど…と思ったのですが、結局細かい部分と、戦闘は個別になっています。それぞれの形をお楽しみいただければと思います。
 この依頼に最後まで参加いただけましたPCさんに方に感謝いたします。

【神納水晶さま】
 お待たせしましたが、参加ありがとうございましたー!
 今回戦闘という戦闘は少なかったですが、多少腕を交える形となりました。
 相変わらず最初から最後まで、とても楽しく書かせていただきました。久方ぶりでしたが、イメージ壊してなければと思います…。

 では、又のご縁がありましたら。
 李月蒼