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<東京怪談ノベル(シングル)>


   「インフェルノ 〜人間たちの断罪場〜」

 ミシミシと、骨の軋む音が聞こえた。
 首が、背中が、手や足が、本来とは違う形に捻じ曲げられ、押しつぶされ、悲鳴をあげているのだ。
 プツプツと毛穴が盛り上がり、瞬く間に全身が長い毛に覆われていく。
 痛みと恐怖で叫び声をあげるが、漏れたのはすでに人の声ではなかった。
 

 気がつくと、みなもはどこまでも続くだだっ広い草原の中に立っていた。
 周囲には困惑した様子の動物たち。ただの動物ではなく、どれもすでに絶滅したはずの動物ばかりだった。
 みなも自身、青灰色の美しい毛並みに、ウシ科でありながら鹿に似たスマートな体格と後ろにゆるくカーブした長い角を持つアンティロープ、絶滅したブルーバックの姿をしている。
 立派な角を持つションブルグジカや美しい毛皮のシマワラビーなど生息地が違う草食動物たち。2メートルの巨大な鳥モアや体重1トンの原牛オーロックスなど、時代もまるで違うものも見られた。
 そしてその集団の前にただ一人、異質な雰囲気を漂わせる人間の姿があった。
「これから、罪深い人間のための贖罪を行なう!」
 宣誓、とばかりに高く手をあげ、猟銃を手にした男は言った。
「今現在、1年に1種の動物が絶滅していると言われている。密猟は今でもなくならない。それを高値で買うヤツらがいるからだ。絶滅危惧種は毎年更新されていく。保護されていなければ殺してもいいと考えるからだ。平気で住む場所を奪い、そのため彷徨う動物たちを殺していくからだ。お前たちに、本当の罪深さが理解できていないからだ!!」
 熱い演説に、動物たちは顔を見合わせて戸惑っている。
 言っていることはわかるが、戦争のない国で『戦争はよくない』というのと同じ。誰もが遠い世界のことだと思っているのだ。
 『確かにそうかもしれないけど、自分たちには関係ない。密猟者でもなければ、無意味に動物を殺した覚えもない』そんな空気が漂っていた。
「どうすればお前たち理解できるのか。TVじゃダメだ、本でもいけない。身近なものとして受け止めようとしない。精々『可哀想』の一言で終わってしまう。ならば実際に体験してもらおう! 絶滅した動物たちの気持ちを。どのように追われ、どのように狩られ、どのように消えていったのかを、恐怖と苦痛と共に思い知るのだ!!」
 ドォンッ。
 銃声がして、動物たちは一斉に逃げ出す。
 宙に向けて放たれたものだが、立ち止まって確認するものはなかった。
 人を動物の姿に変える。そんな無茶を実現し、どことも知れない場所に連れて来られた。これが、ただの冗談のはずがない。
 自分の姿が動物に変わっていくときの紛れもない痛み。現実に、動物の姿になっている自分。
 それを考えれば、どれほど平和ボケしている人間でも、逃げ出さずにはいられないだろう。
「どうかしてるよ」
「何でオレが」
「何もしてないのに」
 元は人間だった動物たちの叫びが、草原に響く。
 だけど……きっと理解しようとしないから、自分には関係ないと考えるから、何もしようとしなかったから。
 それこそが罪だったのかもしれないと、走りながらもみなもは思った。
「追ってこないね」
 不意に、子供の声が聞こえてみなもは思わず足を止めた。
 広い草原を散り散りに逃げたため、沢山いた動物の姿はまばらになっている。
 声をかけてきたのは、小さなウサギワラビーだった。すごいジャンプ力でみなもの目の前でぴょんぴょんと飛び跳ねている。
 元々体格は小さいようだが、声色からして幼い少女のようだった。
「あなたも、攫われてきたの?」
 尋ねると、こくりとうなずく。
「いくつ?」
「8歳」
 ――こんな、小さな子供まで。
 みなも自身まだ13歳なのだが、その幼さに愕然とする。
 罪を理解させるためなら、もっと大人を選べばいいのに。この年齢で、何もしなかったことが罪だなんて、あまりにもひどすぎる。
 だけど、と。みなもはふと考える。
 狩られる動物には、子供だっていたのだ。毛皮のため、肉のため。母親を殺すついでに……。狩るものにとっては、そうなのかもしれない。大人も子供も、関係ないのだ。
「あたし、海原 みなも。13歳よ。あなたは?」
「わたしは……」
「やめといた方がいいわよ」
 大人びたクールな声が響き、振り返ると上半身のみにシマがある茶褐色のウマ、クァッガがいた。
「ここでは毎日沢山の動物が死んでいくし、私たちは殺されるために連れてこられたの。仲良くなるだけ無駄よ。お互いが死んだとき、哀しくなるだけ」
 随分と冷めた言い方だった。
「あなたは……以前からここに?」
「一週間ほど前よ。ここでは長生きしてる方なのかもしれないわね」
「長生き? 一週間で?」
 ウサギワラビーの少女が、驚きの声をあげる。
「でも……狩る人は、あの人だけなんじゃないんですか?」
「違うわ。何人かいる。数人で追い込んだり、罠や銃、ボウガンを使ったり、猟犬も。……今では法律で違反されているようなことも平気でするから気をつけて」
 少女とみなもは顔を見合わせ、かすかに眉をひそめる。
 戻る方法は? などと、訊ける雰囲気ではなかった。そんな方法を知っていて、実行できるものならとっくにしているはずだろう。
 ここでは、生き延びるだけでも精一杯なのだ。
「喉かわいた……」
 ぽつりとつぶやくウサギワラビーに、クァッガの女性はため息をつく。
「ついてきて。向こうに川があるわ。だけど……水辺は動物が集まるから、狙われやすいの。注意しなくちゃダメよ」
「ありがとうございます」
 みなもの言葉に「私も喉が渇いただけよ」とお尻を向けたまま答える。
 どうやら、悪い人ではなさそうだった。
 深く広い川を目の前にして、駆け寄ろうとしたときだった。
「伏せて!」
 小声だが鋭い言葉に、みなもは慌てて足を折る。クァッガに長い角が見えるからと注意され、顎を地面につけて顔をできるだけ斜めに倒した。体自体はクァッガの方が大きいのだが、50センチもある角は隠れるのに適していない。
 元々小さなウサギワラビーは、伏せた二人の前で少しだけ身を丸めている。
 対岸では、20から30本にも枝分かれした80センチ以上はある角を持つションブルグジカが猟犬に追われて水に入っていくところだった。
 ションブルグジカは泳ぎが達者なようで、対岸に残された猟犬を見てホッとする。
 だが、クァッガは真剣な眼差しで見守り続けている。
 猟犬と共に追っていた2人の狩人が、銃を片手にボートに乗り込んだ。
 ションブルグジカは泳いで逃げるが、いくら泳ぎが達者とはいえ陸上ほど速く逃げられるわけではない。あくまで、水の中まで追ってこられない敵から逃れるためのものなのだ。
 ドォンッ。
 銃声が響き、空気が揺れる。
 川の水に、赤いものが混じっていく。
 必死にもがくションブルグジカの身体に更なる銃弾が打ち込まれ、沈む前に、とばかりに網を投げ出す。角に絡まり、捕らえられ。ボートに乗せられたときには虫の息のようだったが、それでも必死に逃げようとうごめいていた。
 三人は、獲物を得て満足した様子の彼らに気づかれないよう、その姿が完全に見えなくなっても尚、息を潜め続けた。
 恐怖で動けなかった、というのもあるかもしれない。
 ようやく呪縛が解けた頃、クァッガが言った。
「水、飲む?」
 ウサギワラビーは無言のまま、激しく首を振るのだった。


「寝た方がいいわよ」
 日が暮れて、上空に星が輝く頃、クァッガが言った。
 二人は昼間見た光景が忘れられず、首を振る。
「いつ襲われるかと思うと……」
「大丈夫。夜は、人間だって寝てるわ。それに視界は悪いし、寝てる動物を襲うのはおもしろくないでしょうからね」
 あまりフォローにもならないフォローだった。
「夜は寝て体力を回復させておかないと、昼間襲われたときに逃げられないしね。とりあえず、私は寝るから」
 そう言って眠りに入るクァッガに倣い、二人もまた寝る体勢に入る。
 見かけた草食動物のほとんどは草原に住み、みなものブルーバックもそうなのだが、草原というのがこれほど恐ろしい場所だとは思わなかった。
 草むらに身を隠すには、あまりに頼りない。森や洞窟の中なら、どれほど安心できるだろう。そこですら、見つかればそれまでなのだろうけど。
 風の吹く音が、草の擦れる音がやけに大きく聞こえてくる。その度、狩人がやってきたのかと心臓が飛び跳ねる。
 それでも、眠れるようにならなくてはならないのだ。明日もまた、生きていくためには。


 日が昇るとすぐに移動をして、草を食む。用心しつつも水辺にいって、また移動。どこに逃げても同じかもしれないけど、1つの場所にとどまることは怖かった。
 普通の動物なら同種の群れで行動するはずが、種族の違うもの同士で連なって。周囲に細心の注意を払いながら、懸命に生きようとしていた。
 ガシャンッ。
 突如、大きな金属音と共に叫び声が響いた。
「どうしたんですかっ!?」
 暴れ出すクァッガに駆け寄り、草に隠れていた足元を見てぎょっとする。
 トラバサミだ。
 現在では使用は禁止されている罠で、足を踏み込むとそれを挟み込むようにして捉えるもの。キツネやタヌキに使われるイメージが強いが、草原に住むワラビーなどにも使用されたという。
 細い足が捕らわれ、血を流すのを見ても、どうすることもできなかった。
 人間の手なら外せるだろうが、今の自分たちにはそんな器用さはない。手当てをしてあげることもできないし、鎖を引きちぎって自由にしてやることさえできない。
 だけど……罠がある以上、狩人はここに必ずやってくるのだ。
 逃げることもできない、彼女の元へ……。
「行きなさい」
 振り絞るように、クァッガは言った。
「でも……」
「私の不注意で、あなたたちが巻き添えを食らうことはないでしょ。いいから行って!」
 怒鳴るように言われ、みなもはウサギワラビーの少女を見る。
 ――確かに、このコを巻き添えにはしたくない。だけど……。
「生きるのよ。こんなところで、死んでたまるもんですか。私だって……私だってまだ、死なない!」
 言うなり、クァッガは自分の足に噛みついた。
「お姉ちゃん!?」
 少女の目をおおうかわりに、みなもは前にたちはだかった。
「……行きましょう」
 一言、そういうのがやっとだった。
 彼女は捕らえられた足を噛みちぎるつもりなんだ。何かの本で、そうして逃れるキツネやタヌキがいると読んだことがある。
 自分の足を噛みちぎるなんて、恐ろしいと思うけど。捉えられれば殺されて皮をはがれるのはわかっているから。だから、そこまでして必死に逃げるのだ。
 ウサギワラビーの少女にそう説明してやる。だからすごく痛いだろうけど、彼女は死なないんだよ、と。 
 だけど……その怪我を治療する術はないし、足の速さで逃げ切るしかないか弱い草食動物がその先生きていけるかというと、難しいだろう。
 ドサッ。
 足元に気をつけながらも慎重に歩いていると、地面に何かが落ちてくる。
 リョコウバトの死骸だった。矢で射抜かれている。
 ぞわっと、寒気が走る。
 今落ちてきた。今、射抜かれた。
 武器を持った狩人が、すぐ近くにいるのだ!
 逃げようにも、どちらに逃げていいのかわからないし、何より音を立てて見つかるのが怖い。
 みなもは屈み込み、息を潜めた。
 ウサギワラビーの少女も、状況を察知して身を硬くする。
 ガサッ。
 草がかきわけられ、人間の姿が見える。
 二人は一目散に逃げ出した。
「獲物がいたぞ! ブルーバックとウサギワラビーだ!」
 言葉と共に、ドッ、ドッ、と地面に矢が刺さっていく。
 ボウガンだ。これも本来狩猟では禁止されているはずだが、ここでは今更だ。
 逃げ切ろう、逃げ切れるはず。足の速さなら人間よりも……。
 ドスッ。
 悲鳴があがった。
 ウサギワラビーが転がるように倒れこむ。
 振り返ると、足に矢を受けて血が出ていた。よりにもよって、足に。
 小さいけれど人間を飛び越えられるほどのジャンプ力を誇るウサギワラビー。だけど、足を怪我してしまったら……逃げ切れるはずがない。
 涙をいっぱいに浮かべて、少女はみなもを見る。
 クァッガの女性のように「行きなさい」などとは言えるはずもない。口にはせずとも、その瞳は「置いて行かないで」と語っていた。
「ブルーバックは撃つなよ、せっかくの毛皮に穴があく」
 毛皮。動物どころか、生きたものですらない。
 彼らにとって、あたしは毛皮なんだ。ショウブルグジカが、角であったように。
 血を流せば痛い。死ぬのは怖い。仲間が死んでいくのはつらいし、哀しい。
 それはあたしたちが人間だったからじゃない。どんな動物だって、そうだったはずなのに……。
 みなもは怪我をしたウサギワラビーにそっと寄り添った。
 しかしすぐに捕らえられ、引き離される。
 ロープで縛られ、運ばれていく姿はまるで、生贄のようだった。 
 もう、逃げることはできない。これから殺され、皮を剥がれるのだ。
 涙を流し、目を閉じて。これが夢であることを祈った。どうか、目を覚ませば全て元に戻っているように。
 人の罪深さも恐ろしさも、十分すぎるほどに思い知ったから……。