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ドールハウス(全三話) 第二話
■序
想い。思いやり。あなたのために、ただそれだけに。
ほんとう?
それは、その人のため?
それとも、あなた自身のため?
誰のため?
■旅立ち
「せめて、準備してからにしましょう」
あやこは、ドールハウスに向かって語るようにそう告げた。少しでも、と気が逸っている薫を押しとどめる。
「明日、もう一度来ます。薫さんも、それでいいですね? 私に考えがあるんです。ちょっとだけ準備と調査をさせて」
無策で行くのではこれまでの被害者と何ら変わりない、と強めに言う。
薫も渋々だが納得したようだった。
また明日ここで、と言う。レティシアにはそれまで、誰もこの館に触れさせないように、と頼む。一日なら、と彼女も言ってくれた。
外へ出ると、日はもうとっぷりと暮れていた。薄暗闇の中、寂しげに電灯と家々の明かりが道を照らしている。
あやこなりに推論が思い浮かんだとは言え、明日まで、残された時間は僅か。
徹夜してでも、準備する必要がある、か。
短く、一つ息を吐く。気合を入れなおして、あやこは家へと急いた。
そして、次の日の午後。
久々津館の扉をくぐると、既にそこには薫がいた。その隣にはレティシアが立っている。
「こんにちは」
薫のかけてきた声には、固さが感じられた。声の中から緊張の色がかいま見える。
「遅くなってごめんなさい。準備に手間取ってしまって」
そう答える。あまり寝てはいないが、意識はしっかりと冴えている。
じゃあ、ドールハウスのところへ。
「待って」
そう言いかけた口が、レティシアからの声で遮られた。
聞きたいことがある。彼女はそう切り出す。昨日あやこが話した、ドールハウスについての調査結果についてだった。
昨日、あの後。灯が中に捕らわれた久々津館常連の少女であるアリス・ルシファールとテレパシーで連絡を取ったところ、いくつか分かったことがあったらしい。
館の主のように振舞う、13歳のアリスよりなお幼い少女、アヤ。無邪気でありながら、かいま見せた異常な膂力と迫力。
明らかに彼女が重要な人物であるのは間違いない。
確認したいのは、その少女のこと。あやこが調べた過去の所有者、またはその関係者に『アヤ』という名前があるかどうか。
思い出そうとするまでもなかった。よく覚えている。
過去の所有者リストのうち、一つだけ。気になっていたもの。
唯一、亡くなった少女。
その名が、『アヤ』。
伝えると、さすがに驚いているようだった。
「なんらかの関連があるのは間違いないわね……分かった。私のほうでもっとこの少女の周辺において調べておくわ。集めた情報は灯経由で伝えるから」
そしてドールハウスの置いてある、昨日と同じ部屋に移動する。
「お願いね。無事を祈っているわ」
その言葉を背に、あやこと薫は、同時にドールハウスへ手を伸ばした。
浮遊感が二人を襲う。
黒い霧に視界が覆われていく。
視界と意識は混濁し、どこかへ落ちていくような感覚とともに、二人は意識を失っていった。
■邂逅
あやこが目を覚ますと、辺りの様子は一変していた。
倉庫代わりの殺風景な部屋から、絨毯が敷かれ、シャンデリアが下がった派手な部屋に変わっている。全体に、いかにもアンティークといった雰囲気が漂っていた。
まだ霞む視界に目をこすると、その端に倒れた人影が目に入る。
誰、と思うまでもない。薫だ。
近寄り、抱き起こす。軽く意識を失っていただけのようだった。ほどなく目を覚ます。
「ここは……?」
目をこすりながら聞く薫に、多分、ドールハウスの中だと思う、と答える。言いながら、自分でも確信する。このいかにも洋館という佇まい。聞いていた話もあいまって、そうとしか思えない。
「とにかく、まずは調べてみないとね。何があるか分からないから、あまり騒がないようにはしないといけないけれど」
その提案に、薫も黙って頷く。兄を助けるために気は逸っているようだが、それで失敗しては元も子もないと分かってはいるのだろう。ただ、実際に兄の姿でも見たら、どうなるかは分からない。気をつけないといけない。薫は、見た目に反して、感情に任せて暴走するきらいがある。
まだ多少感じていた目眩が収まるのを待って、部屋を出る。あやこが先頭を切り、周囲を警戒する。
廊下には等間隔で、出てきた扉と同じものが並んでいた。どうやらもっとも端の部屋にいたらしく、二つほど扉を過ぎようとしたところで、降りの階段と、吹き抜けが見えてくる。その向こうにはこちら側と同じ数の扉が見えた。
降りてみようか、逡巡する。そのとき、何かを感じた。
――声だ。
(このドアの向こう、誰か、いますね)
薫も気づいたらしい。吹き抜けの手前、今まさに通りすぎようとした扉の向こうから、物音と、人の声が聞こえる。
扉に近づこうとする薫を手で合図し、止める。気配をできるだけ消して、耳を近づける。
「きゃあっ!」
声があがる。軽く、衝撃。それは、あやこの背中に。
言葉は、扉の向こうの見知らぬ相手のものではなかった。薫の声。
バランスを崩したのか、あやこの方に倒れこんできたのだ。完全に不意打ちのような形になってしまう。不覚。
しかも、最悪なことに。
あやこと薫。二人分の重さを受けて、扉は、ゆっくりと傾ぐ。押し開けられ、二人はもつれ合うようにして部屋の中へと転がり込んだ。
「あー! また、女の人だ! 今度は二人も!」
大きな声が上がる。倒れたままで見上げると、小走りにこちらへ走り寄る少女の姿が見えた。明るめの茶色がかった黒髪をボブカットにしたその少女は、満面の笑みを浮かべている。
「うーんと、じゃあじゃあ、あなたはお母さん! それで、あなたはね、えーと……おばさん! ね!」
あやこと薫を順に指差して、快活な声が語る。
「わたしは、アヤ! よろしくね」
ぺこりとお辞儀する。
その向こうに、もう一人、姿が見えた。こちらも、歳の頃なら同じくらいの女の子。黄金色の髪をツインテールにまとめている。目の前のアヤと名乗った少女よりは随分と落ち着いた雰囲気を持っていた。
アリス・ルシファールだった。
アリスも軽くお辞儀をすると、二人の前に進み出て名乗る。そしてそのまま、あやこの耳に顔を近づける。
(――とりあえず、合わせてください、お願いします)
あやことしては、10歳は越えていそうな子にお母さんと言われるのは甚だ心外だったが――このアリスという子は、例の、館に捕らわれたという少女なのだろう。何か思惑があるに違いないと判断して、渋々頷く。
「じゃあ、ね! お母さん、こっちで遊ぼう! ね!」
柔らかな手が、優しい力で握ってくる。本人は必死なのだろうけど。
あやこの手を引っ張る。
どのみち、飽きるまで遊んであげるつもりだったし。
それは、灯から館の中の様子を聞いたときから思っていたことだった。飽きるまで遊んであげることで発散させてあげることができれば、状況も変わるかもしれない、そう考えていた。
はいはい、と返事してついていく。
それから、数時間。
「ねえねえ、今度はなにする?」
アヤは一向に飽きる気配もなく、にっかり笑って告げる。
こっちの方が疲れてくるし、飽きてくる。あやこが周囲を見回すと、アリスも同じような――いや、もっと疲れた顔をしていた。当然か。あやこ達がここに来るまでの間も、彼女はずっと相手をしていたのだろう。
「そろそろ、ご飯が食べたいな」
ぽつりと、アリスがそう漏らす。
「ん? そう。わかった。じゃあ、かがりといっしょに準備してくるね!」
そう残して、たったった、と駆けていく。
扉の閉まる音を残して、部屋が静寂に包まれた。
「ふう、行ってくれた……さてと――改めて、私は、アリス。アリス・ルシファールといいます。貴方がたは……灯さんの言っていたお二人ですか?」
そう挨拶したアリスに、あやこと薫はそれぞれに自分の名を名乗った。ある程度の情報は灯から伝わっているらしい。
改めて、情報交換をする。ほとんどは灯を通じてお互いに知り得ている情報だったが、やはり実感を伴った生の言葉は違う。
その中で、アヤについての確認。
以前の所有者の中にいた、少女の名前と同じ。他にもアリスが雑談の中で聞き出したことと照らし合わせてみると、その少女であることは間違いないだろう。
主のごとく振舞う、彼女こそが全ての原因なのか。アリスは背後に他にも何か関わっているのではないかとも言ったが、それでも彼女が重要な位置にいることは共通の認識ではあった。
しかし、だからといって問題が解決したわけではない。
一つ、薫の兄はどこにいるのか。これはおそらくだが、アリスが見たという椅子に縛り付けられていた男が怪しかった。背丈などの特徴も、妹である薫の言うそれとほぼ一致している。
そしてもう一つ。
そもそも、館の脱出方法。アヤが怪しいとは言え、どうすればここから出られるのかは分からないまま。どうすればいいのか。
ここでもアリス、あやこ二人から出たのは、アヤは寂しいのではないかということだった。遊びに付き合ってあげて、満足させれば。
まずそれが第一命題。もう一つは、薫の兄、勉を助け出すこと。この二つをポイントに、作戦を練る。役割を決める。
そうしていると、アヤが戻ってきた。連れ立って、食堂へ行く。
給仕らしき女性がいた。アリス曰く、久々津館の住人、炬(かがり)だそうだ。元々人工魂で感情に乏しかった彼女は、身体と離れたことで何かしらの異常をきたしているのでは、ということだそうだ。話しかけても、虚ろな反応しかなかった。
意外と豪勢な食事を済ませた後。元の部屋へ戻ると、アリスがアヤに話しかける。
「叔母さんとお母さんは、ちょっと疲れたみたい。別の部屋で休みたいって。いいかな?」
小首をかしげてしばしの間考え込むアヤ。
ほどなく返ってきた答は、肯定の頷きだった。
なるべく愛想よく挨拶をして、あやこと薫は部屋を出る。
もちろん、嘘だ。アリスが遊ぶ相手をする役。二人は、その間に勉を救出する作戦だった。単純だが、今のところアヤと炬以外に人は見かけていない。試してみる価値はあった。
あらかじめアリスに聞いておいた部屋へ向かう。あれから状況が変わってなければ、彼はそこに縛られたままのはずだ。
扉を開ける。その瞬間、注意して、という言葉を掛ける間もなく、薫が駆け出した。
その先には、予想通りの光景。椅子に縛られて座る男。
慌てて戒めを解くと、男は崩れ落ちるように屈みこんで、大きく息を吐く。
「か、薫……どうしてここに」
その問いに、涙ぐみながら答えようとする薫。だがそれを、あやこは遮る。
「感動の再会は後。まずは移動しましょう。ここ他の部屋と変わらないように見えるし、あの子はアリスが見てるはずだけど、何があるかわからない」
勉の手を取り、助け起こす。
「あ……っ!」
小さな声があがる。薫の声。扉を指差す。ちょうど背を向けるような格好になっていたあやこが振り向くと。
開け放たれた扉の前に、小さな姿。けれどもそこから発せられる圧力は、その可愛らしい見目とは裏腹に、激しく噴きつける。肌がざわつく。
アヤだった。しかし、それは明らかに先程までのアヤとは違っていた。
「その人は、まだお仕置き中なの。かってに放しちゃだめ」
どうする。
戦うか。しかし、薫と勉を守りながらだ。相手の力も分からない。
「もう、逆らわないよ。言うこと聞く。お父さん役、やるから、ね、アヤ」
勉が言い募る。どうやら、父親役を命じられたらしい。
「そうそう、縛られててかわいそうに見えたから、ついつい解いちゃったの。お仕置きの邪魔をするだなんて、そんなこと思ってないわよ、うんうん。それに、お母さんとお父さん、二人ともそろってたほうがいいでしょ?」
あやこもフォローする。フォローになっているかはいまいち分からないが。
「……しょうがないなあ。アヤのためだし、許してあげる。でも、今日はここからでちゃ、だめだよ? アヤはもう少しお姉ちゃんと遊んでるからね」
軽やかな、けれどなぜか冷ややかにも感じる声でそう告げると、アヤは部屋を出て行った。
とりあえず許してはもらえたようだ。
しかし。
勉はへたり込んだままだった。疲れているらしい。それに、今また部屋を出てアヤの機嫌をわざわざ損ねることもない。
「とりあえず、少し休みましょう。アリスが心配だけど……」
ここに現れたということは、彼女の監視(というか、お守り)から抜けてきてるということだ。トラブルが無ければいいが。
けれど、その心配は杞憂に終わる。
どれくらい経ったろうか。長いようにも感じたが、ほんの一時間くらいだったかもしれない。
「あっ――ここにいたんですね。良かった。助け出せたんですね」
扉が開く。身構えた三人に、そんな言葉がかかる。アリスだった。
「あんまり、無事ってわけでもないけどね……」
あやこが事情を説明し、アリスのほうは大丈夫だったかと尋ねる。
「でも、アヤちゃん、ずっと私と一緒でしたよ」
意外な返答。作戦のこともあって、さっき疲れて寝付くまで、ほんの少しも目を離さないようにしていたとのことだった。部屋を出たこともないという。
ならば、さっきのアヤは何だったのか。
勉曰く、捕まったときも、さっきと同じように雰囲気が一変していたという。アリスが来る数日前。食事の後、ふと気になって台所を見ようとしたところ。あの、給仕をしている表情の無い女性に阻まれ、そしてアヤに見つかった。睨まれると身体が動かなくなり、、そしてこの部屋に運ばれ、縛り付けられたという。
あの異常さ、怪力は、あやこ達だけではなく、アリスも勉を助けようとしたときに見ている。疑う余地はない。
また、館の中に他の人間がいたかどうかは分からないという。姿は見ていないが、同じようにどこかに捕らわれている可能性はある。それに……最初にあやこと薫が見つかったとき。あのとき、薫は誰かに押された気がするという。それで倒れこんでしまったのだと。
まずは、アヤをどうにかすること。相手をしてあげて、満足させるだけで大丈夫なのか。
以前と違うのは、ここには四人いること。あやことアリスはこういう事態に対しての経験もある。作戦を立て、連携できれば。誰か見つかれば、その人たちも戦力になるだろう。
レティシアの言っていたことも気になる。
――炬はね、まだ人工魂が身体に馴染みきっていないの。あんまり長い間身体から離れていると……戻れなくなるかもしれない――
それがいつかは分からないが、のんびりと構えているわけにもいかないようだった。
――続。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【6047/アリス・ルシファール/女性/13歳/時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
【7061/藤田・あやこ/女性/24歳/IO2オカルティックサイエンティスト】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/相原・薫/女性/20歳/大学生】
【NPC/相原・勉/男性/25歳/無職】
【NPC/アヤ/女性/???/館の中に住む少女】
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■ ライター通信 ■
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伊吹護です。
引き続きご参加ありがとうございました。
第二回です。状況が劇的に変わったかというと微妙なところですが、最終回、第三回も、ぜひ宜しくお願いします。
藤田あやこさんへ。展開上、炬とまともな接触ができなかったこと、またそういった能力をあやこさんが使えるかどうかは不明でしたので、リンクの件は採用できませんでした。キャラクターシートに書いていない特殊な能力を使った行動の場合は、どうしてそういったことができるのか、その説明を簡単につけていただければと思います。
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