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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


虚飾の声“side=A”―不夜城奇談―


 ■

 その日、月刊アトラス編集部の長である碇麗香は、東京総合電波塔の正面に立っていた。
 数日前に原因不明の爆発を起こし、展望台の硝子壁が全壊した塔は、現在、関係者以外の立ち入りを禁じて修繕作業を行っていた。
 普段であれば地方からの観光客で賑わっているはずの土地に、不気味な沈黙の帳が下りている。
 それはまるで、展望台を全壊させた爆発と同日に判明した奇妙な事件が、いまだ終わっていない事を訴え掛けて来るようだった。

 自殺しかけた少年、人を殺しかけた女性、…それほどまでに思い悩んでいた人々の傍で唐突にラジオ番組が流れ、彼らの凶行を回避させた。
 放送時間も番組名も不明のラジオに「救われた」という投書が、怪奇記事を専門に扱う編集部で目立つようになったのは必然だったように思う。
 しかしその後、少年に自殺を考えさせるまで追い詰めた同級生、女性に殺意を抱かせた女子大生らが次々と失踪し、今日から三日前、この電波塔の爆発事故と同日、彼らはこの場所で発見された。
 ラジオが原因と思われる失踪者三十四名、全員がだ。
「……“十二宮”か…」
 修理中の塔を見上げて麗香が呟くのは、失踪していた彼らが搬送先の病院で警察の質問に対して口にし、失踪時の状況など誰もがあやふやな説明しか出来ない中、共通した唯一のもの。
 そしてその名を、麗香はずっと以前に聞いたことがあり――。




 ■

 普段に比べれば人気のない東京タワーは、しかしその凄惨な姿を一目見ようと集まった野次馬達の賑わいの中で、その異様さを更に増し、彼女の、――天薙撫子の眼前に佇んでいた。
 数日前の、あの夜の光景が脳裏で幾度も繰り返される。
 人の命を“命”と思わない十二宮の行為。
 自我を封じられたまま、地上百五十メートルを飛ばされた彼らは、幸いにも無傷で保護されたけれど、それは様々な幸運が重なったからであって、一つ間違えば此処は血の海になっていた。
 そしてそれは、終わりではない。
 十二宮が個人の名ではなく、組織の名だと知れた今、敵の計画が見えないところで着々と動いているのは明らかだ。
 なのに。
「…っ…」
 なのに撫子は、その戦前から外れようとしている。
 しかも自らの意志ではなく、異界の者達の独断によって。
 事情を知り、敵を知り、一度は関わった戦から手を引けと言われ、…それを即座に拒めなかったのは、自分の力が及ぶ敵ではない事を理性が悟っていたからだ。
「このままでは…」
 何も出来ない。
 弱音ともとれる言葉を胸中に漏らしそうになった撫子は、ふと視界に揺れた人影に気付き、視線を向けると同時に目を瞬かせた。
 そこに居たのが様々な事件の折に顔を合わせる友人、シュライン・エマと、月刊アトラス編集部の長、碇麗香だったからだ。
 自分と同じように東京タワーを見つめて佇む二人の姿に、一つの予感がする。
 もしかしたら。
 それも、同じに。
(お二人も闇狩の皆様をご存知なのでしょうか……?)
 そんな疑問を呟き、彼女達に直接声を掛けようとした、矢先だった。
「きゃあああああっ!!」
「!?」
 耳に飛び込んできた突然の悲鳴に少なからず驚かされ、振り返る。
 叫んでいた女性の視線の先を確認し、目を見開く。
 ビルの屋上に、いま正に飛び降りようとしている若い女性の姿があったのだ。
「あの方は…」
 その顔を見てハッとした。
 遠目で確信は持てないけれど、その女性を数日前に見た覚えがあった。
 その時は夜で。
 ――居たのは、現在は破壊された東京タワーの展望台。
 あの夜の、失踪者の一人。
「落ちるわ!」
「…っ」
 撫子の目の前で、女性は空に一歩を踏み出した。
 落ちた、――そう見えた、確かに。
「今のは…」
 だが上空からは誰も落ちて来ない。
 何も無い。
 周囲に広がるざわめきに呑まれそうになりながら、走る。
 その視界の端に、やはり二人。
 一足早く建物の正面入り口に着いた撫子は扉を開けて彼女達を待つ。
「碇様、エマ様」
「あなた…」
「天薙さん」
「ご無沙汰しております」
 生まれながらの丁寧さで挨拶するも、動きは俊敏。
 事の大きさは撫子も充分に承知していた。
「あなたも見たの?」
「ええ、白い翼を」
「有翼人かしら」
「または天使」
「この東京じゃ何が居てもおかしくはないけれど」
 三人が言い合うのは、飛び降りようとした女子大生を空中で受け止めた“影”の正体についてだ。
 そう、あの女性は確かに飛び降りた。
 だが正体不明の白い翼に、尋常ではない速度で攫われ、難を逃れたのである。
 結果的には人命救助だ。
 とは言え、それだけで彼女を救ったのが善人と信じてしまうのは危険なのだが。
「とにかく急ぎましょう」
 三人は誰に合わせるでもなく、それぞれの速度を保ったまま屋上までの階段を一気に上り詰めるのだった。




 ■

 一番最初に屋上の扉に手を掛けたシュラインが勢い良く開け放つと、その先に開けた空間から強い風が流れ込んできた。
「…っ」
 青い空を、それまでよりずっと近くに感じながら、数分振りの日光に目を細める。
 その視界の右端に横たえられた若い女性と、傍らに膝を付いている三十歳前後の男。
 外跳ねの長い金髪を背に流した派手な外観は、これから舞台に上がろうというロッカーを連想させるのだが、彼女達の到着に気付いて向けられた瞳は、真っ直ぐだ。
 悪人ではない、と。
 それは直感。
 翼は見えないが、彼があの影の正体だろうか。
 彼もまた、自分の知らないところで狩人達と繋がりがあるのだろうかと、様々な予測と可能性が脳裏を過ぎる。
「貴方…」
「よォお嬢さん方。早いお着きだァな」
 笑顔で朗々と語る口調は陽気な江戸っ子。
 美嶋・紅牙(みしま・こうが)と名乗った男は、近くに来るよう手招きすると、横たわる彼女を指し示す。
「知り合いかい」
「直接ではないけれど」
 返す麗香の隣で、撫子も確認する。
 横たえられた女性は、先日のラジオに憑いた闇の魔物による失踪事件の被害者の一人、木下友子(きのした・ともこ)に間違いなかった。
「ん…」
「お。気付いたかい」
 息を詰まらせるような声を漏らし、ゆっくりと目を開ける友子に全員の視線が集まる。
 その中に朗々と響くのは紅牙の声。
「若い御嬢さんが自殺たぁいただけねぇなぁ。一体全体、何があったい?」
「私…っ…」
 そうしてようやく意識が覚醒したのか、見開かれた瞳は次第に細まり、大粒の涙を零す。
「…わたし…ヤダ……こんなこと…するつもりじゃなか…っ…」
「こんなことって、…自殺を?」
 麗香の問い掛けに首を振る。
「違…、わたし…知らなかったの…、なか…っ…のに…」
「何を知らなかったの?」
 シュラインが尋ねると、彼女の涙は呼応するように溢れ出る。
「あの…あの人に…っ…恋人がいるなんて知らなかった……っ」
 両手で顔を覆って泣き出す彼女が、闇の魔物により攫われたのは、彼女が交際していた相手には別の女性がおり、その女性の恨みを買ったが故だった。
 だが彼女はそれを知らなかった。
 自分が誰かを傷つけている事を魔物に攫われて初めて知ったのだ。
「も…、ど…したらいいか…っ…また傷つけたり…恨まれたり……っ…怖くて…!」
 怖いから、自ら命を絶とうとしたと彼女は言う。
(なんてこと…)
 撫子は細い指先で口元を覆う。
 肝心なことを見落としていたのだと気付き、愕然とした。
 敵は、十二宮ばかりではない。
 むしろ人の負の感情に取り憑く魔物こそが、一般の人々にとっての脅威ではないか。
 彼女を攫ったのは闇の魔物――負の感情を喰らう異形の物。
 もしもそれが、いまだ彼女の内を侵食しているのだとしたら…?
(精神汚染…)
 それは予感ではなく、確信。
「…お前さん優しいねぇ」
 だが撫子が言葉を選ぶより早く、再び紅牙の朗々とした声が響く。
 木下友子は潤んだ目を丸くして彼を見上げる。
「何百何千人に怨まれようが、痛くも痒くも無いって奴もいるのによ…、その優しさがありゃあ、これから先、お前さんに幸せにしてもらえる人間がたくさん現れるさ」
「…でも……、でも、私…」
「そんな未来を今ここで捨てちゃあ、いけねぇよ」
 声が、浸透する。
 そのあまりにも穏やかで優しい。
 寄せては引く波のように響くものが“能力”であることを撫子は察した。
「死なないでくれるとオジサン嬉しいねぇ」
 にっこりと微笑む表情、その視線に含まれる波長も、声と同じ。
「おじさん人殺しの魔物だからよ。たまに人助け出来ると、心底ありがてぇって思うのさ」
「まも…の…?」
 聞き返す友子に、紅牙は笑みを深める。
 同時、彼女の唇から零れたのは、…笑い声。
「ヘンなの…魔物って…」
 クスクスと笑える事が、彼女の負の感情を宥めて行く。
 その変化に誰もが安堵した。
 彼女は大丈夫だ。
 きっと、やり直せる。
「…帰りましょう、送って行くわ」
 シュラインが安堵した表情で手を差し出す。
 友子は素直にその手を借りて立ち上がった。
「……ご迷惑をお掛けしました…」
「迷惑だなんて言わないの」
「そうですわ」
 撫子は、シュラインとは逆の手を取り、告げる。
「辛い事をお一人で胸中に溜め込まないで下さい。どうすれば良いかはゆっくりと考えましょう。私で宜しければお手伝い致します」
 真摯な眼差しを向け、細い手をしっかりと包み込んだ。
 その手から。
 温もりから、流れる癒しの波を撫子本人は知らないけれど。
「ありがとう…ございます…」
 その言葉を口に出来る彼女なら、絶対に大丈夫だ。
「じゃあ行きましょう」
 シュラインに促されて、屋上を下りようとする被害者。
「ぁ…、エマ様」
 その精神汚染について気付いているだろうかと案じた撫子が声を掛けると、彼女は微笑んで見せた。
「大丈夫、任せて」
 その返答は、彼女もまた“この件”に関わっていることを教え。
「give and takeの件は、また次の機会にね」
「ええ」
 彼女と麗香の遣り取りは、予感を確信に変える。
 そうしてゆっくり振られる手と、遠ざかる笑みが、事態の動きを如実に物語るように感じられるのだった。




 ■

 シュラインが友子を連れてその場を離れた後には、撫子と麗香、そして美嶋紅牙と名乗った男だけが残される。
「貴方の素性も気になるところだけれど」
 麗香は、紅牙に探るような視線を向けつつ尋ねる。
「まさか十二宮の関係者じゃないでしょうね」
「!」
 だが、その名に反応したのは、言われた本人よりも撫子だ。
「碇様、その名前をどこでお聞きに…?」
 撫子の問い掛けに、麗香は普段と変わらない様子で応じる。
「その口ぶりだと、貴女もシュラインと同じなのかしら」
 それは問い掛けのようで、麗香自らが納得するための言葉でもあり。
「…とりあえず、どこか落ち着ける処で話しましょうか。こんな寒空の下で話す内容でもないわ」
「はい…」
 頷くも、彼はどうするのだろうという気遣いから紅牙に視線を移した。
「美嶋様は如何されますか?」
「俺ぁ遠慮するさ、通りすがりのオジサンに深刻な話は向かないんでね」
 屈託のない笑みを浮かべて言う紅牙は、それきり彼女達に背を向けて屋上の端に移動する。
 直後、その背に現れたのは一対の白い翼。
「まぁ、また縁があれば会おうや」
 陽気に言い残して空に羽ばたく姿は、まるで天使。
 彼は自身のことを魔物と言っていたけれど、それもどこまでが本気だったのか。
(不思議な方…)
 内心で呟くうち、麗香が軽い吐息と共に声を掛けて来る。
「さて、私達も行きましょうか」
「ええ」
 麗香に促されて、撫子も屋上を後にした。
 長い階段を、差し障りのない言葉を交わしながら下り、そうして正面出入り口に差し掛かったところで、不意に麗香の足が止まる。
「あれは…」
 彼女の呟きを聞き、その視線の先を辿ると、東京タワーの手前。
 こちらに背を向けて携帯電話を手にした、金髪碧眼という一際目立つ容貌の男がいた。
「あの方は…?」
「矢鏡慶一郎。顔見知りの軍人」
 麗香は言いながら、その男に声を掛けた。
 彼女の呼び掛けに間を置かず応えた慶一郎は、電話をしまうとすぐに彼女達の傍へ歩み寄ってきた。
「少しばかりご無沙汰してしまいましたかな。――こちらのお嬢さんは」
「天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)さん。可愛いからって、口説いたりしたらダメよ」
「これは手厳しい」
 冗談か本気か、些か不思議な二人の遣り取りに撫子が困惑してしまうと、慶一郎は薄く笑い、物腰柔らかに名乗った。
 差し障りのない挨拶ながら、その人柄は悪くないと知れる。
「つい先ほど、エマさんとも、お会いしましたが」
「ええ」
「あの女性を宙で受け止めた何方かもご一緒されるかと思っていましたが、…あの白い翼は、もしやそちらの撫子さんが?」
「いいえ」
 問い掛けには撫子自らが否定した。
「あの翼は、美嶋紅牙(みしま・こうが)様と仰る男性の方ですわ。その…直接的には先ほどの女性と関わってはいらっしゃならいそうで、…先にお帰りになりました」
「そうですか」
 短く応えた慶一郎は、何かを思案する素振りを見せる。
 一方、二人の遣り取りを黙って聞いていた麗香は、しかし何かに思い当たったように指先を口元に当てた。
「……十二宮」
「!」
 唐突に口にした名に、彼が見せた変化。
「やっぱりね」
 麗香は満足そうに頷く。
「現場検証は忙しいのかしら? せっかくだから聞いて貰いたい話があるんだけれど」
「…お付き合いしましょう」
 慶一郎の返答は明瞭だった。


 ***


 そうして、慶一郎が現場の許可を取ってくるのを待って近くの喫茶店に入った三人は、隅の席に着き、互いに、相手が口を開くのを待っていた。
 東京タワーがあのような状態で観光客が流れて来る事も見込めないこの日、店内では閑古鳥が鳴いており、誰に話を聞かれる心配も無いだろう。
 それでも念のためにと、撫子は密かに薄い結界を張ることで情報の漏洩を防ぎ、それに気付いているのか否か、慶一郎と麗香はカップに口を付けて、完全に一息ついたという様子。
 撫子も自ら注文した紅茶を一口飲み、ここは自分から話を切り出そうと決意する。
「…碇様は、どちらで十二宮の名前をお知りになられたのですか?」
 緊張した面持ちで問うも、聞かれた本人は動じない。
「五つの頃」
 そう答える麗香の口調は、不自然なまでに自然だった。
「祖父から聞かされたの。将来、十二宮という名前を聞く事があれば人類は終わりを迎えるのかもしれない、って」
「…五つの頃にですか?」
「そうよ」
 慶一郎の確認にも、やはりあっさりと頷く。
「面白い祖父だったの。四角四面な性格で融通が利かない人だったって、祖母や母は今でも言っているわ。――そんな人だから、刑事なんて仕事を選んだのは正しくもあり、間違いでもあった」
 麗香の話は続く。
 そんな祖父、碇正一(いかり・しょういち)が少なからず変化したのが、今から三十年以上も前。
 当時四十四歳だった碇氏は、地元で相次いだ失踪事件を追う内に、これが組織的なものであり、失踪者は全国数万人に及ぶことを突き止めた。
「その組織が十二宮ですか」
「ええ」

 ――…何十年か前に私達が一度は壊滅させたはずだったんだが…

 麗香の言葉に重なって聞こえたのは、問題の夜に撫子達の前に現れた闇狩一族の始祖、文月佳一という名の水主の声。
「失踪者はどんどん増えて行くのに、警察は組織の名を掴んだものの、それ以外のことは全くと言っていいほど判らないまま。その名前だって、偶然に接触した不審人物が残したもので、事実、それが組織の名前かどうかも断定はされていない」
 それでも碇氏は、唯一の手掛かりであった「十二宮」の名を追い続けたという。
 そして、その年の冬。
 失踪していた数万の人々が北の大地で一斉に発見された。
 全員が無傷だったものの、誰一人失踪していた間の記憶を持たず、聴取した中で唯一共通していたのは「十二宮」の名前。
「…似てますわね、今回の件と…」
「ええ、そっくりよ。展望台の爆発が、当時は大地震だったという違いがあるだけで」
「地震……?」
 失踪者が発見される直前に、北海道全土を強い地震が襲ったのだと、麗香は補足した。
 過去に、似た事例があった。
 そう聞かされた慶一郎は難しい顔で口を開く。
「…実は、今回の、この事件。どうも組織の中の一部が暴走しているような気がするのです。もちろん確証があるわけではありませんが…」
「…と仰いますと?」
 撫子は硬い声音で問う。
 この時代の十二宮と接している彼女にはそれが組織の名であることも、彼らの目的も既に聞いて知っている。
 それ故に慶一郎の発言は気掛かりだった。
「もしも碇氏が突き止められた十二宮と、この時代の十二宮が同一のものであれば、果たして同じような手段で攫った人々を返してくるでしょうか」
 過去と現在、同じ組織ならば敵対する者達も同じに存在していることを彼らは知っているはず。
 にも関わらず同じことを繰り返すのは――。
「私には、今回の十二宮は、過去の真似事をしただけに過ぎないように思うのです」
「何のために?」
「さぁ、そこまでは」
 苦笑交じりの返答に、麗香は何かを云いたそうにしたが、結局はただ受け止めた。

 ――…彼らの目的は、人類を滅亡させて地球を守ること……
 ――……もし今後、十二宮の関わる異変に介入した場合は、里界は君達を戦力とみなすし、十二宮も完全に君達を敵とみなす……

 撫子の脳裏に再び蘇える声。
 関わるな、と釘を刺された。
 これは地球に魂の根源を持たない他部族の者同士の戦。
 地球の民が関わり、無用の傷を負う必要はないのだと。
 だが。
「……っ…」
 思い出す、魔物に憑かれた少年の霊。
 子供を案じた母親の生霊。
 そして魔物による精神汚染で苦しんでいる者は、恐らく先ほどの彼女だけではない。
 動かなければならない。
 知っているからこそ。
「碇様、実は…」
 撫子は意を決した。
 ここで退くという選択肢など、もはや自ら切り捨てて。
 しかしその意気込みを、麗香は眼差しで受け止め、言葉で拒む。
「私には何も話す必要は無いわ」
「え…」
 驚く撫子に、麗香は言い切る。
「祖父は、十二宮を人間による組織だと思っていた。私もそう思っている。――けれど事実がもしも違うのなら、私には話しを聞いたところで何も出来ないの」
「碇様……」
「私が知るのは結果だけでいいのよ」
 そうして彼女は名刺を差し出す。
「念のために渡しておくわ。祖父は、捜査の一部始終を日記という形で、私に残した。将来、十二宮の名前を聞く事があれば資料として使えとね」
「…それが、お宅に?」
「あるわ。あまりに字が汚くて読む気もしないけれど」
 嘆息交じりの言葉と、気持ち。
 その裏腹な表現に胸の内側が温かくなる。
「それでも祖父の残した情報が必要だと思ったら、この番号まで連絡を。日記を貸してあげるわ。その代わり、祖父の集めた情報が記事になりそうな時には余すことなくこちらに寄越しなさい」
 たぶん、それは本気なのだろう。
 あまりにも判り易い態度に、慶一郎は声を殺して笑い、撫子の口元も緩む。
「判りました…、その時には、どうぞ宜しくお願い致します」
 頭を下げた彼女に、周囲の空気も心なしか和むようだった。




 麗香の部屋には、おそらく遠からず訪れることになるだろう。
 だがその前に、自分の力で調べられることは調べようと決めた。
 天薙の名で集められる情報も、可能な限り集めよう。
 どんな些細なことでも構わない。
 今は一つでも多くの“十二宮”と呼ばれる組織の欠片を集めたかった。
 そしてこれまでの失踪者の情報を集め、今回の木下友子のように思い悩む人々のアフターケアも考える。
 この件は、狩人の彼らにも知らせた方がいいだろう。
「やはり…放ってはおけません…」
 闇に沈む空を仰ぎ、撫子は決意する。
 厳しい眼差しは月明かりに射され、奥深くに宿る儚くも美しい強さを抱き締めていた――……。




 ―了―

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【登場人物】
・0328/天薙撫子様/女性/大学生(巫女):天位覚醒者/
・7223/美嶋紅牙様/男性/お祭り男&竜神族の刺客/
・6739/矢鏡慶一郎様/男性/防衛省情報本部(DHI)情報官 一等陸尉/
・0086/シュライン・エマ様/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/

【ライター通信】
このたびは「虚飾の声」にご参加下さいましてありがとうございました。
撫子さんには気持ち的にとても助けられているライターです。今回もお逢い出来て大変嬉しかったです。

なお今回のタイトルですが…
・side=A⇒碇女史との会話中心
・side=B⇒精神汚染解除・狩人参加
・side=C⇒情報収集・水主参加――となっております。
碇女史の祖父につきましては当方の個人設定ですので、この点はご了承下さい。

それでは次回の「不夜城奇談」シリーズでまたお逢い出来ます事を祈って…。


月原みなみ拝

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