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<東京怪談・PCゲームノベル>


家庭教師がやってきた 2

「参ったな……」
 生まれてこの方、これほど頭を抱えたことはないんじゃないかという気分で、如月竜矢は今日も頭を抱えていた。
「あの家庭教師……あそこまで厳しいとは思わなかった」
 月女神。ユイ・ニュイシェンという名の中国人女性が本家の命で紫鶴の家庭教師に来てからまだ一週間。
 ニュイシェンはその厳しさをいかんなく発揮していた。
 紫鶴が理解しなければ大量の宿題で補習。それでも理解していなかった場合は1日ご飯抜き。体罰は当たり前で、最近では紫鶴の頬に赤いあざができている。
 ……次期当主に対する態度ではない。
 けれど、彼女が本家の命の家庭教師だと思えば納得する。
 彼女は――最初から、こういう家庭教師として送り込まれてきたのだ。

 ある日、竜矢は紫鶴に聞いてみた。
「辛いでしょう。本家に言いつけておきますが?」
「何を言っているんだ、竜矢」
 紫鶴は両頬を真っ赤に腫らしたまま、にこにこ笑顔で言った。
「シェン殿は毎日新しいことを教えてくださる。とても楽しいぞ?」
 そもそも、とお昼のパンをちぎりながら、紫鶴は竜矢を指差す。
「竜矢はいつも優しすぎた。きっとこれくらいが普通なのだろう? 世間では」
「いや……世間的に見ても厳しいと思いますが……」
「私はシェン殿が好きだぞ」
 ――紫鶴の心が自分から離れつつあると、竜矢は感じていた。
 いいことだと祝わなければいけない。彼女の竜矢依存は直さなくてはならないことだ。
 しかし――何かが間違っている気がして――
「あら紫鶴、竜矢」
 シェンが姿を現して、紫鶴はぴしっと背筋を伸ばした。
「紫鶴。だめよ、朝の問題3個も間違えたでしょう。このサラダは没収」
「……サラダは大好きなんだが」
「Disapproval!(駄目よ!)」
 紫鶴は渋々、サラダがメイドによって没収されていくのを見ていた。
 ――毎日、毎食、夜寝る前までのみっちり勉強、こんな調子だ。

 とりあえず紫鶴の最近の様子を、知り合いたちには知らせておいた。
 何より紫鶴の親友であるノワールにはしっかりと知らせた。ひょっとしたら遊びに来てくれるかもしれぬと思い。
 ノワールは――
 すぐに遊びに来るようなことはせず、いつものように手紙を書いてくれた。
「姫。ノワールさんからの手紙――」
 廊下でシェンと何かを話していた紫鶴に声をかけると、
「本当か!」
 紫鶴は飛びあがって喜んだ。
 竜矢は微笑んでノワールからの手紙を渡した。紫鶴はそれを早速開いてみようとして――
「紫鶴」
 シェンに止められた。「その手紙は後よ。罰ゲームのこの屋敷1周。ちゃんとやってらっしゃい」
「あ――はい」
「お手紙は私が預かるわ」
 紫鶴は何の疑いもなくノワールの手紙をシェンに渡した。そして、屋敷の外へ出るために廊下を走って行った。
 紫鶴の背中が消えてから、
「……ノワール。Her is precious friend of Shiduru.(彼女は紫鶴の大切な友達ね)」
「そうですよ」
 竜矢はシェンの手にある手紙を不安に思いながら見つめる。
 シェンは――
 くす、と笑って。

 びりっ。

 手紙を、破り去った。
「シェン!」
 竜矢が大声を出す。シェンが手紙の残骸を床に落とす。その時、
「シェン殿、ちょっと訊きたいことが――」
 紫鶴が戻ってきて、ノワールの手紙が裂かれている様を見て硬直した。
「Oh,紫鶴」
 シェンは大げさに両手を広げ、
「私は止めたのよ、だけど竜矢がね……。勉強に熱心になっている紫鶴には、友達と文通している暇はないって」
 紫鶴を抱きしめながら言う。
「竜矢が……?」
 紫鶴が不審そうに世話役を見る。「お前がやったのか……?」
 竜矢は怒りで真っ赤になった。
「そんなわけがないじゃないですか!」
「しかし、シェン殿がやるはずがない。……お前か? 正直に言うべきだ」
「正直に言っています! 俺じゃない!」
「………」
 紫鶴はシェンを見ると、
「……竜矢の言うことだ、間違いはないだろう。シェン殿か……?」
「違うわ紫鶴。竜矢の方よ」
「………」
 どちらでもいい、と諦めたように紫鶴は言った。
 そしてシェンの腕から抜けると、しゃがんでノワールの手紙を拾い集めた。
「ノワール殿、すまない……」
「私からもお詫びしたいわ……」
 シェンはいかにも同情しているかのように紫鶴に寄り添った。

 このままじゃいけない。
 竜矢は危機感を感じる。
 このままでは、姫はシェンの言いなりだ。
(相談しなくては――)
 ノワールたちに。そして他の友人たちに。
 どうか、紫鶴の目を覚まさせてくれ、と。

 ■■■ ■■■

 黒冥月[ヘイ・ミンユェ]は、紫鶴邸の入り口で待っていた竜矢を見るなり、呆れたように笑って言った。
「嫉妬か? 情けない」
「………」
「私も昔は座学も厳しく指導された。紫鶴がいいなら好きにさせておけ」
「………」
「紫鶴はどこだ?」
「……いつものあずまやに。ノワールさんと紫音さんもご一緒です」
「分かった」
 すでに勝手知ったる他人の庭。冥月は竜矢の案内を必要とせず、いつものあずまやへと足を向けた。

 *

 危惧した状況にある――
 竜矢から連絡をもらい、榊船亜真知[さかきぶね・あまち]は、急いで紫鶴邸へやってきた。
 今日は黒榊魅月姫[くろさかき・みづき]も一緒だった。
(あの時、きつく釘を刺しておくべきでしたね)
 魅月姫は舌打ちする。
 紫鶴邸の入り口では竜矢が待っていた。
 魅月姫は、
「貴方が付いていながら何をしていたのですか」
 と竜矢に厳しく囁いた。
「申し訳も……」
 竜矢は片手で顔を覆う。
「紫鶴様はどちらに?」
 亜真知は尋ねる。
「いつものあずまやです」
「ではあっちね」
 魅月姫にとっても勝手知ったる他人の庭。魅月姫は亜真知にあずまやの方角を指さし、
「竜矢、ニュイシェンはどこに?」
「――もうすぐあずまやに合流されるかと」
「なら一緒に行けばいいわね」
 亜真知と魅月姫は急いであずまやへと向かった。

 *

 最後にやってきたのは、以前ニュイシェンの様子を見にきてくれたミリーシャ・ゾルレグスキーと、前回は用事があって来られなかった柴樹紗枝[しばき・さえ]だった。
 彼女たちをあずまやに案内して、今日来るはずの客は全員だ。

 ■■■ ■■■

 あずまやでは、紫鶴が相変わらずの元気いっぱいの笑顔で客人たちを迎えた。
「みんな! どうしたんだ? 今日は。竜矢から突然パーティと聞いて驚いたんだが……」
「………」
 紫鶴の隣にはノワールが座っている。そのノワールの隣には紫音。ノワールと紫音には、事情をあらかじめ竜矢が伝えていた。
 ノワールとは反対側の紫鶴の隣には、冥月が堂々と座って、紫鶴の髪を撫でていた。
 ミリーシャが、竜矢の用意した飲み物の入ったカップを手に取りながら、じっと紫鶴を見つめている。
「? どうしたのだ? ミリーシャ殿」
「………」
 ミリーシャは首を横に振る。
 ニュイシェンは、まだ来ていない。
 亜真知は、今回、紫鶴の相手を魅月姫に任せるつもりだった。自分はニュイシェンを相手にするつもりで、じっと待つ。
 魅月姫は、
「今日は櫛を持ってきたわ――紫鶴、あなたの髪を梳いてあげましょう」
 と紫鶴の背後に回った。
 和風の櫛。
 ――背後に回るとなおよく分かった。
 紫鶴は、隣にいるノワールと微妙に席を離している。
 紫鶴の性格で申し訳ないと思わないわけがない。自分たち客人がくるまでに何回謝ったのだろう。
 さらさらの、赤と白が入り混じった髪を手に取った。
 気のせいか、ぱさついていた。
「―――」
 ゆっくりと櫛で梳いていきながら、魅月姫は囁く。
「紫鶴、勉強は楽しいかしら? シェンはあなたと真剣に向き合ってくれているかしら」
 紫鶴は振り向こうとして慌ててやめ、
「うん、楽しい」
 と答えてきた。「シェン殿も、しっかり私に教えてくれている」
「………」
 信じきっている。普段真面目で、そして世間知らずだからこその無邪気な信頼。
「厳しさは時には必要です。でもそれは相手と真剣に向き合いおもんばかっての事があってです。思いやりのない厳しさは偽りでしかありませんよ」
「………?」
 紫鶴はそこにきて、さすがに振り向いた。
「どういう……意味だ? 魅月姫殿」
 ――ああ、察することも出来ていない。
 思いやりのない厳しさだと、欠片も思っていないのだ、この子は。
「………」
 魅月姫は櫛の動きを止めた。
 ――シェンはノワールからの手紙を破いて、あまつさえその犯人を竜矢に押し付けようとしたという。
「……ノワール、シェンは……貴女に謝ったの?」
 隣の金色の髪の娘に問うと、ノワールは振り向かないまま、こくりとうなずいた。
「……世話役の躾がなっていないくてごめんなさい、と」
 と答えたのは紫音だ。
 そこまでいってさらに竜矢のせいにしたのか。魅月姫は静かな憤りとともに、
「嘘を付くなんて躾がなってませんね」
 とつぶやいた。
「紫鶴、あなたの素直さや誰でも信じられる純真さは美徳です。でも世の中にはそこに付け込む者もいる事を覚えておきなさいね」
「え?……うん……」
 紫鶴は首をひねる。
「あなたは結局、誰が手紙を破ったと思ったの?」
 魅月姫は訊いた。
 紫鶴はつまった。
「それは……」
 その反応に、吐息をつくしかなく。
 竜矢がちょうど屋敷から出てくるところのニュイシェンを迎えに行っているのを確かめてから、
「――さて、あなたと竜矢の関係、絆は薄っぺらなものなのかしら? よく考えて思い出してみなさい」
 魅月姫は少し厳しい声音で言った。
「竜矢……」
 紫鶴は寂しそうな声でつぶやいた。

 やがて、ニュイシェンが笑みをたたえて、
「皆さん、ご機嫌よう」
 とあずまやへやってきた。
「ハオ ジュウ ブー ジェン ラ(久しぶりだな)」
「ニー ハオ(こんにちは)」
 冥月と亜真知が順番に挨拶をする。
 ニュイシェンは微笑んで、
「ニー ハオ マ(お元気ですか?)」
 と応えた。
 亜真知は「ヘン ハオ(元気です)」とにっこり微笑み、冥月は肩をすくめて「ハイ シン(まあまあだな)」と返答する。
 ニュイシェンが、席に座る。
 竜矢は彼女のために飲み物を淹れる。
 亜真知がそっと彼女の方を向き、
「ザン メン イー チー タン イー タン シン ブ シン(少しお話しませんか)」
 とにっこりと微笑みかける。
「シン(いいですよ)」
 ニュイシェンはカップに注がれた日本茶を飲み、「ああ、おいしい」と一息ついた。
「ここからは紫鶴様にも分かるようにお話しましょうか。――シェン様、実はわたくしも家庭教師をしておりまして。参考にぜひ教育方針などをお伺いしたいのです」
 ――わざと、紫鶴に分かるように。
 ニュイシェンはしかし、余裕でまだ飲み物を飲んでいる。
「私の教育方針ですか? それはもちろん、徹底的に教え込むことです。まして紫鶴は今まで教育らしい教育を受けていないのですから。その遅れを取り戻すために色々考えています」
 ことりとカップをテーブルに置き、そして紫鶴に向かって微笑んで、
「少しでも早く新しいことを知りたいのよね、紫鶴は。ちょっと間違ったらすぐに訂正してあげないと、素直すぎてすぐに信じてしまうのよ」
「そうですね、紫鶴様は確かにそういう方ですけれど」
 でも、と亜真知は膝の上で両手を組み合わせて毅然とした態度でニュイシェンを見つめた。
「教育とは向上心を如何に持たせ自ら進んで行う様にするかにあると考えます。ただ知識を詰め込むだけでは身に付きません。ましてや躾と称した行き過ぎた体罰に平気で嘘をついたり、一般的な見識を持たない者に押し付けな指導をする等は以ての外と思います」
「まあ」
 ニュイシェンは、わざとらしく肩をすくめた。「私はそんなつもりでは教育していませんわ。嘘もついておりません」
「それは嘘だな」
 冥月は静かに指摘する。「明らかな嘘だ」
 ――少なくとも手紙を破ったことに関しては。
 そして彼女も披露する。教育というものに関して。
「罰とは相手にプラスになる様にする物だ。必要な栄養素を摂らせないのは知力、記憶力、健康、体力等を低下させる。食事を抜かせるのは生徒にはマイナスにしかならんと思うが」
 腕組みをし、少し首を曲げて、冥月は続ける。
「お前は紫鶴を教育する為に来てるんだよな。なら罰の内容も配慮すべきじゃないのか、先生?」
 あら、とニュイシェンが笑った。
「紫鶴は普段からよく食べるから、私が抜いた分をとっても一人前はちゃんとあるわよ?」
「う、うん。私は食べすぎだと前から竜矢にも――」
 紫鶴がついつぶやく。しかし、
「――抜いて一食分ある。それも嘘だな」
 冥月はかつて培った相手の嘘を見抜く技法で淡々と言い返した。
「それと手紙を破った犯人が誰かは知らんが、友人は心や情緒、人間関係を学び培う上で大切だ。教師なら生徒の情操面にも気を払うべきだ。今後そんな事が起らない様に注意してやってくれ」
 アドバイスをするかのようで――突き刺すように。
 最後に片唇を上げて、
「しかし朝から寝るまで勉強か。そんなに付きっきりが必要なのは、実は教えるの下手か?」
 ニュイシェンが苦笑した。
「そ、そんなことはない! シェン殿はとっても教えるのが上手で――」
 紫鶴が隣席の冥月に訴える。
 冥月はそんな少女の髪を撫でた。
「教師の質を問うのも」
 ちら、とニュイシェンを見、
「世間一般の常識」
「………」
 紫鶴が目をぱちぱちさせる。
「――誰もが通る道なんだよ」
「私は紫鶴の性格を考えて、紫鶴に合った方法で勉強を教えているだけよ」
 ニュイシェンは言った。
「そうでしょうか。失礼ながら、あなたのやり方を押し付けているようにしか思えません」
 亜真知が告げる。
「でも、実際この数日間で紫鶴の知識は信じられないくらい増えたの。うまく行っている証拠」
 ね、と紫鶴に向かって子供のような笑みを向ける。
 うん、と紫鶴は笑顔を浮かべてしまう。
 はあ、と冥月は顔に指を当てて嘆息した。
「紫鶴。知識は詰め込めばいいというものじゃないぞ。ちゃんとその活かし方を教えてもらっているか?」
「活かし……方?」
「その様子だとまだまだだな。先生、知識を詰め込む前に少しずつの知識と同時にそれの活かし方を教えてやれ」
「そうですわね。勉強は、役に立ててこそ勉強ですもの」
 亜真知が冥月の言葉に続く。
「………」
 2人を相手にして、ニュイシェンは少しつまったようだった。

 ――ずっと黙って聞いていた柴樹紗枝が、突然口を開いた。

「あのね紫鶴」
「え?」
「私って、ほら、サーカス団の猛獣使いでしょう?」
 紗枝は紫鶴に笑ってみせる。
「動物って、直接言語は通じない。どうしてもね。分かるような気がしても、やっぱりあくまで『気がする』ていどなの」
 もっとも、完全にパートナーと化した動物だと本当に会話が通じる時がある。
「動物も、人語を解することがあるの。でもそうなるまでにすごく時間がかかる。意思の疎通が可能になるまで、すごく、すごく」
「紗枝殿……」
 紫鶴は、何故今その話題なのか分からず不思議そうだったが、興味深そうに聞いていた。
「出会った時から」
 紗枝はこんこん、と指先でテーブルをつつく。
「身振り手振りで、一生懸命、動物たちと心をつなぐ」
 こんこん、こんこん。
「――心をつないでからじゃないと、動物は言うことを聞いてくれない」
 こんこん、こんこん。
「一方的に押し付けても、間違ったことしか覚えてくれない」
 こんこん、こんこん。
「――私もね、相手の気持ちをおもんばかってあげたいと思うの」
 だって、と紗枝は笑顔で紫鶴に言った。
「長い付き合いになるんだもの。相手の気持ち、分かりたいでしょう? 猛獣使いなんていうけれど、実際には友達みたいに……お互いを大切にし合って」
「うん、そうだな」
 紫鶴は納得したようにうなずいた。
 ――しかし、肝心の紗枝が言いたいことは通じてないに違いない。
「よっし! ミリー」
 紗枝は勢いよく立ち上がり、隣席の親友を呼んだ。
 ミリーシャが顔を上げる。
「大縄跳びしよう」
 と突然紗枝は言った。
 ミリーシャは驚かなかった。ただ、うなずいた。

 紗枝がどこからともなく大縄跳びの縄を取り出す。
 回す役は竜矢と――
「私がやるわ」
 紫音が立ち上がった。
「まずは私とミリーがやるね。ミリーとはサーカスで結構な付き合いになる。それをふまえて、よく見てて」
 せーのっ
 大縄が回り始めた。
 紗枝とミリーシャは見事に息を揃えて縄を跳んだ。一度も足に引っかかることなく、リズムを合わせて。
 片足跳びや、空中回転までも見事にやってみせた。
「――ごめんなさい! 私の手が限界!」
 紫音が回すことに音を上げるまで、2人は跳びきった。
「じゃ次、紫鶴、私と一緒に跳んでみよう?」
 回す役が紫音から冥月にバトンタッチされ、紗枝は紫鶴を呼ぶ。
 今度は紗枝と紫鶴のコンビで、せーのっ――
「あ……れ?」
 紗枝に合わせて跳んでいるつもりだった。
 しかし、紫鶴はすぐに足を縄に引っかけた。
「す、すまない紗枝殿」
「いいのよ。もう一回やってみよう」
 大縄が回る。
 少女が跳ねる。
 今度は少し慣れて、最初は平気だった。しかし、
「あっ」
 ――やはり途中で2人のリズムは合わなくなり、どちらともなく足を縄に引っかける。
 もう数回繰り返したが、少しずつ記録は伸びても、やはり紗枝とミリーシャほどには無理だった。
「じゃあ今度。竜矢さんと私が回す役交代するから、竜矢さんと跳んでごらん?」
 冥月は紗枝のやりたいことを理解しているのか、回す役をずっとやることに文句は言わなかった。
 紗枝が回す役となり、竜矢が紫鶴と向かい合う。
「竜矢……」
 紫鶴の気まずそうな目が、青年の目を見ようとしつつも空中を泳ぐ。
 竜矢は――

 ――嫉妬か? 情けない
 ――あなたがついていながら

「姫」
 優しい声で呼びながら、紫鶴の両肩に手を置いた。
「大縄跳びなんて初めてですね。楽しんでやりましょう」
 紫鶴ははっと世話役の目を見た。
 合わせて竜矢は笑みを見せた。
 紫鶴はみるみる笑顔になり――
「うん!」
 ――そして始まる、13年の付き合いになる2人の縄跳び。
 最初こそうまくリズムが取れなかったものの、紗枝が相手の時とは格段に違う速さで紫鶴は竜矢と息が合うようになった。
 たまに足を引っかけても、紫鶴は「あははっ」とぺろっと舌を出し、
「今のは、竜矢が悪いんだぞ? 私を見ていないから」
「姫ですよ。姫こそ俺の足よく見ていなかったでしょうが」
 笑いながら悪態をつきあう。
「――そろそろ、いいかな」
 紗枝はにっと笑って、「紫鶴」と呼んだ。
「今度は、シェンさんと一緒に跳んでみて」
「シェン殿と……?」
「まあ」
 ニュイシェンは少し慌てたようだった。「無理よ。私、ヒールだし……」
 ぽんっと紗枝の手品。突然現れたローファー。
 面白そうにひそかに冥月が唇の端をあげる。亜真知は振袖で口元を隠し、魅月姫は無表情ながらも目を細め、ノワールが顔をあげた。
「シェン殿! 大縄跳びは楽しいぞ。やろう!」
 紫鶴の無邪気さが、今度は槍となる……

 不思議なものだ。
 2人も何とか息を合わせようと思っていても、何故できないのだろう。
「おかしいな……」
 紫鶴が申し訳なさそうにニュイシェンを見る。「シェン殿、ひょっとして足にお怪我でも……」
「いえ。いいえ……」
 まったく連続して跳べない2人。ニュイシェンは紫鶴から顔をそらす。
 ――他の客人たちは、ニュイシェンの壮絶な表情を受け取った。
 冥月が笑みを浮かべる。
「紫鶴。2人共が息を合わせようとしてもだ、例えば片方が胸の内に何かを思っていると失敗することもたくさんあるんだぞ」
「え? わ、私だろうか」
 紫鶴はわたわたと慌てた。
「よく考えてみなさい、紫鶴」
 魅月姫が言った。「これからでもいいわ。今すぐでなくてもいい。ただ、よく考えてみなさい」
「………?」
 魅月姫は亜真知の方を向いて、そっと笑った。
 亜真知もそっと笑い返した。
 ニュイシェンが屈辱に満ちた顔で、唇を噛んでいた。
 そしてローファーを脱ぎ捨てヒールに戻すと、
「紫鶴!」
 声高に生徒を呼んだ。
「はい!」
 最近はそれが癖になったのか、紫鶴がはっと反応する。
「午後の勉強の時間よ」
 ニュイシェンはまるで他の人々にも宣戦布告するかのように、ゆっくりと言う。
「……あなたは立派な当主になりたいと言った。そのためには今のスピードでは間に合わないのよ。下につく者たちよりもより多くの教養がなくてはならない。そう言ったのは、紫鶴自身だったわね?」
 紫鶴が真顔になる。
「はい」
 えたりとニュイシェンの唇が笑みをかたどった。
「……ならパーティはお客様だけに楽しんでもらって、私たちは失礼しましょう。あなたのご友人なら、あなたの決意もよくご存知なのでしょう?」
 試すようにニュイシェンはまず冥月を見る。
 冥月は内心舌打ちした。しかしゆったりとした表情を返し、
「時間をうまく使った勉強をしてやってくれ。紫鶴の剣舞は体力も使うのでな」
「―――」
 ニュイシェンは冷たい顔をして、行きましょうと紫鶴の肩を抱き屋敷へ身を翻した。
「あ、あの、皆、楽しんでいって――」
 紫鶴は無理やり屋敷に連れて行かれながら、肩越しに振り返りつつ、それだけを言った。

 ■■■ ■■■

「しっんじられない!」
 紗枝は憤然としていた。「紫鶴の気持ちも分かるけど、このままじゃ紫鶴の思い通りになんか到底ならないわ!」
「本当に素直すぎる子なんだから……」
 魅月姫が深くため息をついた。「立派な当主になるという決意は知っているけれど、当の本家から送られてきた家庭教師だということを失念しているわね」
「………」
 ミリーシャが竜矢を見た。
「何でしょう?」
 視線に気づいた竜矢がミリーシャに視線をやる。
「紫鶴……少し……痩せた……?」
「ああ、はい。痩せましたね。元は本当によく食べる方だったんですが、まあ剣舞はそれだけの消耗がありますのでそれぐらい食べなくてはいけなかったわけで……」
 今は、と竜矢は苦々しく言う。
「今までの、半分ほどしか食べていませんから」
「………」
 ミリーシャは軽くあごに指先を当て、
「毎日……自分の……部屋……から、出てる……?」
 竜矢は少し考えて、
「出てこない日もありますね。宿題漬けで」
 ミリーシャは少し考えてから、
「紫鶴……手の甲に……たくさん……傷、あった……」
「手は一番叩かれやすい場所ですから。――ペンや教科書の角で叩かれるから痕がつくようなんですが」
 そこまで聞いて、少女は小さくうなずいた。
「栄養失調……軟禁状態……明らかに……拷問……」
 気を、つけて……と、銀髪の少女は竜矢に言う。
「屋敷の……主導権……あの人に……握られつつある……」
 それから――
「紫鶴……洗脳されかけてる……」
 冥月が片眉を上げた。
「……お前も、過去に何かあった人間か」
「………」
 ミリーシャはぽつぽつと語りだす。自分の過去を。
 薬物投与による洗脳。その後遺症によって、表情が出なくなってしまったこと。
 紗枝が、親友の告白に口を両手で覆った。
 冥月の眉の間にきつくしわが寄った。彼女は麻薬、薬物系統を心の底から嫌悪していた。
 亜真知と魅月姫は何も言わない。
 ――人間ではない自分たちに、言えることはないと分かっているから。
 ミリーシャは、言葉を失っている竜矢に向き直った。
 その一瞬、彼女の表情が動いたような気が、した。
「あの子の……笑顔を守って……」

 すう、と息を吸う音。
 大きく、息を吐く音。

 ――はい。
 青年は強いまなざしでうなずいた。

 その竜矢の手に、冷たい手が触れる。
 ノワールだった。彼女は竜矢の視線をこちらに向けると、ポケットの中から手紙を取り出した。
 封筒に入っていない。便せんを小さく折りたたんでいる。
 元々紫鶴との文通をすすめてきた友人にでも教わったのか、かわいい折りたたみ方だった。
「……これなら、あの教師にも分からないように渡せる」
 ノワールはその手紙を、しっかりと竜矢に握らせた。
「……お願い」
 ノワールは握らせた青年の手をぎゅっと握って、赤い瞳をまっすぐに竜矢に向けた。
 竜矢はうなずいた。手の中にある確かな友情の証を感じながら。

 ■■■ ■■■

「――ん? どうしたんだ? 竜矢」
 夜になり、いつものごとく宿題で夜遅くまで起きていた紫鶴の部屋を、世話役が訪ねていた。
 竜矢は微笑み、
「今日の大縄跳びは楽しかったですね」
 紫鶴は笑顔になり、「ああ!」と言った。
 ――紫鶴の頬に、また赤いあざが増えている。
 竜矢は大切な少女の傍らまで歩いていく。
「姫、どうぞ」
「何だ?」
 差し出した手紙。今度こそ、ニュイシェンに見られない場所で。
 紫鶴も同じ愚は犯したくないと思ったのだろう。その場で手紙を広げた。

 ――騙されないで。あなたはあなた。あなたが一番大好きな人は誰?

「ノワール殿……」
「姫」
 ノワールからの手紙を見て困惑したような顔をする紫鶴に、竜矢は強く呼びかけた。
「私が、必ずお護りします。必ず……」
 葛織紫鶴という娘がこの世に生を受けてから13年間。
 たった1人、彼女の味方でい続けた青年の、それは新しいスタートだった。


 ―続く―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1593/榊船・亜真知/女/999歳/超高位次元知的生命体・・・神さま!?】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4682/黒榊・魅月姫/女/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
【6788/柴樹・紗枝/女/17歳/猛獣使い&奇術師?】
【6814/ミリーシャ・ゾルレグスキー/女/17歳/サーカスの団員/元特殊工作員】

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■         ライター通信          ■
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黒冥月様
今回もご参加ありがとうございました。笠城夢斗です。
冥月さんは厳しい座学、体罰などは否定なさらないタイプだと予想しておりましたが、紫鶴の援護にも回って下さって嬉しかったです。
シリーズはまだ続きます。主に紫鶴と竜矢の関係を問う展開になるかと思いますが、よろしければ次回でもまたお会いできますよう……