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<東京怪談ノベル(シングル)>


甘藷談話



■ 十一月某日 AM ■

 いつの間に鈴虫の声が聞こえなくなったのだろう。
 晩秋、木々の葉擦れと小鳥のさえずりが響き渡る中。自室から出た綜月漣は、のんびりと縁側へ向った。
 微かに鋭さを含む陽光が庭先に差し込んでくるものの、吹き抜けてゆく風はどこかひんやりとしている。
「秋深し……といったところでしょうか。そろそろ冬支度を始めた方が良いかもしれませんねぇ」
 この頃は秋と冬の境目があまり判然としませんし、と漣はそんなことを呟きながら庭先へと下り立った。
 眩い陽光と冷涼な風のアンバランスさは秋独特のものだ。その空気を感じ取りながら、漣は頭上から絶え間なく降り注いでくる紅葉を見上げると、やがて雨戸に立て掛けてある箒を手に取った。
 この時期、庭の手入れをしてもあまり意味が無いことは重々承知していたが、今日はどうしても落ち葉をかき集めなければならない理由があった。
「庭の落ち葉を集めておいてくれとは……永君も突拍子もないことを言いますねぇ」
 仔細を教えては貰えなかったが、秋に落ち葉集めと来れば、永が何をしようとしているのかあらかたの想像はつく。
「焚き火か焼き芋か。どちらかでしょうねぇ」
 漣は口元に軽い笑みを零しながら、客人が来る前にと一仕事を始めたのだった。



■ 十一月同日 PM ■

『漣さんの家、行きますさかいに。庭の落ち葉かき集めて待ててや』
 藤宮永が電話で綜月漣にそう告げたのは、つい昨日の事だ。
 父の弟子が持参した大量の薩摩芋をどう消費すべきか考え、ここは漣の自宅で焼き芋でもと思い至ったのが事の次第である。

 綜月邸へ向う道すがら、永は、電話口から返された漣の言葉を思い出していた。
『唐突ですねぇ。何事ですか?』
 そう言いながらも決して驚いている様子を感じさせない漣に、永は鉄壁笑顔と口調で答えた。
『今言うたら面白ないやん。明日になればわかる事やし、楽しみにしといてや』
『……胡散臭いですねぇ。永君がそういう口調で仰る時には必ず何か裏がありますし』
『裏てなんや、裏て。そない言うたら漣さんこそ腹黒ちゃいますの?』
『何をいいます。僕が腹黒いのは昔からですよ……まぁ、明日まで楽しみに待つとしましょう』
 そんな腹の探りあいのような会話を繰り広げた後、漣と会う約束をとりつけると、永は電話を置いたのだ。

 読書の秋、スポーツの秋と色々あるが、食欲の秋に勝るものはない。
 綜月邸の庭先で、紅葉見物がてら焼き芋を楽しむのも一興、と思いながら、永は手にしていた袋へ視線を落とした。袋には、男二人でも食べきれないほどの薩摩芋が入れられている。その重さで、袋を握る掌から血の気が引いている事に気付くと、永はよっこいせと掛け声をかけながら袋を持ち直した。
「ま、漣さんのことやから、言わんでも察しはついとるやろ……それにしても。夏が過ぎると、途端に日の入りが早うなるなぁ」
 つい数ヶ月前まで、この時分であれば灼熱の太陽が周囲を照り付けていたものだ。けれど今、竹林の合間を縫って降り注ぐ日差しは柔らかで、地面は艶やかな朱金の色に染め上げられている。
 綜月邸へと続く小道の両脇で、遅咲きの竜胆がぽつりぽつりと紫色の花を咲かせているのを見ると、永は静かな笑みを零した。
「いとはなやかなる色あひにてさし出でたる……秋の風情やな」
 都心から離れた場所だからだろうか。綜月邸の近くでは、季節の変わり目をことさら深く感じ取る事が出来る気がする。
 永は玄関の呼び鈴を押す事はせず、そのまま左手に逸れると、中庭へと続く木戸を開いた。

 途端に視界へ飛び込んできたのは、秋の色に輝く庭の木々と、その中央にこんもりと積み上げられた落ち葉の山。これは漣が永の言葉を受けて、日中のうちに集めたものだろう。
 永がその葉山へと歩み寄ると、家の内からのほほんとした声が聞こえてきた。
「おや、随分と遅いお出ましですねぇ。待ちくたびれてしまいましたよ」
 永はゆっくりと声のした方へ視線を向けると、やがて鉄壁の笑顔を浮かべた。
「相変わらず艶な庭や。ここやったら、人待つ時間もおつなものやろ、漣さん」
「待つ相手によりますねぇ。おいでになるのが婦女子であれば、また話は別ですが」
 永に負けず劣らずの腹黒笑顔を浮かべた漣が、縁側へと歩み寄りながらそんなことを言ってくる。
 正直、この男が浮き足立って婦女子を待つなどという姿だけは、どう頑張っても想像出来ない。永は中庭へと降りてきた漣へ向けて、軽く袋を掲げて見せた。
「父のお弟子さんからぎょうさん貰いましたんや。それで焼芋なぞどうか思たんですけど……純朴な思いつき、迷惑やったやろか?」
 漣の事だ。嫌と思ったなら、自分が電話をかけた時点で断っていただろう。そうする事をせず、きっちり落ち葉の山まで作って待っていたのだから、迷惑というわけでもないはずだ。にも拘らず、漣の心中を窺うような言葉が永の口をついて出てきたのは、電話口で見破られそうになった『裏』の一面が脳裏を過ぎったからで。
「うちで焼いたら後片付けが大変やし、ご近所さんにも煙行くしなぁ」
 永は漣には聞こえない程度の小声でそんな事を呟く。
 漣は永へと近づくと、取り出された薩摩芋を見て紫の瞳を細めた。
「落ち葉をかき集めろというので、何かと思っていましたが……やはり焼き芋ですか。良い色ですねぇ」
 鮮やかな赤紫色に土の柔らかい香。永の手にした薩摩芋を見て、漣がのほほんとした笑顔を浮かべた。


*


 落ち葉の中に薩摩芋を紛れ込ませて火をつける頃、既に空は燃えるような茜色に染まっていた。
 はじめこそ、無言で火をつける作業に没頭していた二人だったが、落ち葉の山から勢いよく炎が昇り始めると、どちらからともなく安堵にも似た溜息を零した。
 次第に香ばしい匂いと、むせ返るような煙が周囲に充満し始める。
 永は燃え出だす炎を己の視界に留めると、ふと感じ入ったように呟いた。
「炎燃える形の火二つとは、そのまんま単純な字やと思いますけど、人の歴史を考えると奥深いものや思います」
 漣は永の言葉を聞くと、風上へと場を移してのんびりと言葉を返した。
「人の歴史とはまた、大仰ですねぇ」
「そうやろか? これを手に入れへんやったら、今の私らは無いやろうしなぁ」
 炎は時折激しく火の粉を散らし、常にその形を変えながら空高く舞い昇ってゆく。
「けど……炎という字が痛みの意を含むよう、前へ進むにはそれが伴うてきた事も確かやなぁ……と、そこら辺もう焼けてるん違います?」
 手にしていた木の枝で、永が落ち葉の中から焼き芋を掘り起こすと、丁度良い焦げ具合の薩摩芋が中から姿を現した。永は木の枝で漣の足元までそれを転がすと、外気に触れさせて熱を冷ます。そんな永へ向けて、漣がのほほん口調で言葉を放った。
「……永君は、文字から物事を汲み取るのがお好きですねぇ」
 唐突な漣の言葉に、永は何事かと呆れたような表情で漣を見据えた。
「それ生業にしとりますねん。当たり前ですわ」
 書家の家に生まれつき、書に親しみ、文字に親しんで成長してきた。永にとって文字は己の一部であり、全てでもある。文字と事物を結びつけて考えるのは、永にとっては至極当然の事だった。
 漣は掘り起こされた焼き芋を暫く眺めていたが、やがて軍手をはめるとしゃがみ込み、それを手に取った。
「ああ。そういえば永君は書家でしたねぇ」
 忘れていたと言わんばかりに漣は永へそう呟くと、手にした焼き芋を永へ放ってきた。受け取った焼き芋は熱すぎず、冷たすぎず。程よい温度を保っている。
「では僕が画家だからでしょうか。僕にとってこの文字は、二人の人間が両手に棒を持って争いあっている絵のように見えます」
 言って、連は手にしていた木の枝で地面に何かを綴り始めた。
 何事かと永がそれを覗き込むと、そこには『炎』の字に似せて、木の枝を持った二人の人間が描かれていた。
「人が争いあっているとはまた……『火』の本来の意味は、上に火の粉を散らした形やねんけど……まぁ、確かにそう見えん事もないなぁ」
 字形解釈の面から言えば、漣の言っている事は正ではないのだろう。だが、今ここで解釈について答弁しあっても意味のないことだ。
 むしろ先人の意見に捉われず、字源や字形の全てを無にして白紙から『炎』の文字を見るのも面白い。
「人間が生きていくには痛みも必要でしょう。精神的な痛み、肉体的な痛み。それらを乗り越えて人間は成長し、今日の世の中を築き上げていったのですからねぇ……ああ、永君の前にある芋も調度良い焼き具合ですよ?」
 珍しく真面目な事を言っていると思えば、ふと流し目で永の足元を指差してくる。
 永が足元へ視線を落とすと、再びのほほんとした漣の声が聞こえてきた。
「まぁ楽しい事だけを選んで漫然とした生を送ると、僕のような存在が出来上がってしまうわけですから。是非とも若い方々には痛みと共に前へ進んでいってもらわなければとは思います……が、実際のところ、他人の人生など僕の知った事ではありません」
 きっぱりと切り捨てるように言い放った漣へ、永は呆れたような表情を見せた。
 炎の文字に関して話題を振ったのは自分だが、そこから世情の話になるとは思わなかった。そこで止まれば良いものを、最後の一言で突き崩すのだから、綜月漣という男の腹の底がわからない。尤も、それは自分も同じなのだろうが。
「漣さんの極論はそこなんやな、きっついわ」
「人の痛みに敏感で共に嘆く人間も居れば、容赦なく突き放す人間も居るというだけの話です。……永君はどちらの側の人間でしょうねぇ」
 そう言って、漣はニッコリと満面の笑顔を浮かべた。

 自分が冷徹なのか否か。そんな事は今まで考えた事などなかった。
 この男の事だ。親兄弟でさえも『他人の人生』といって、いとも簡単に切り捨てるかもしれない。
 生半可な気持ちで他者へ手を差し伸べたところで、己に出来る事などたかが知れている。そうであるならば、漣のように谷から蹴落とすのもまた、一つの優しさのようにも思えた。だが、漣のように徹底して他者を突き放す事など自分に出来るだろうか。
 自分も漣同様腹黒い面を持ち合わせているとは思うが、その点だけは、自分と漣とを隔す一線のように、永には思えた。
「噛めば噛むほど……というんは漣さんみたいなお人の事をいいますねんな」
「お互い様です。これでも永君が関西弁使いだと知った時には驚きましたからねぇ。しかも随分と容赦ない性格のように思いますが?」
 まだまだ探れば色々と出てきそうで面白いですよと、漣が笑う。
 自分の書く文字が力を持つという事を話したところで、漣は驚きもしないだろう。だが、永はその言葉を鉄壁笑顔でさらりとかわし、漣へ向き直った。
「ところで漣さん、焼芋だけやのうて茶くらい出ませんの? 何や最近、私の扱いが適当なん違います?」
「ああ、お茶が飲みたかったんですか? 夕刻ですし、焼き芋に合う日本酒でもと思っていたんですがねぇ」
 酒は私だけにして、永君にはお茶を持って参りましょうか。とのほほん笑顔で漣が告げてくる。それを聞いた永は、目を据わらせて漣の笑顔に対峙する。
「あんまりいけずやと、芋が喉につかえても知らんで?」
「その時は永君に庭の片付けを全てやって頂きましょうかねぇ……まさか食い逃げなさるおつもりだった。なんて言いませんよねぇ」
 どうやら、掃除の手間を省きたくて漣の自宅で焼き芋をしようとしていた永の魂胆は見抜かれていたらしい。
「芋持ってきたんは私なんやし。掃除くらい漣さんがしてくれはっても良いんちゃいますの?」
「それはそれ、これはこれですよ。僕は朝から落ち葉拾いをしていたんですからねぇ」
 互いに言い合い、束の間の沈黙の後で苦笑を零しあう。
 永は冷ましていた焼き芋を二つに割ると、それを口に頬張った。
「……どうでも良いけど、夕暮れの茜色に芋……絵にならん取り合わせやわ」
「それを言うなら、いい年をした男が二人だけで焼き芋を食すというのも、あまり嬉しくない取り合わせのように思いますが」
 頭上からは絶え間なく紅葉の雨が降り注ぎ、その葉裏に朱色の陽光が反射して、綜月邸の庭は黄金色に輝いている。
 炎が今の文明を作り出し、今日の自分達がいる。
 これから先、自分の人生にどんな痛みが待ち受けているのかはわからないが、その痛みさえ、生きる糧に変えて書家として成長していけたらいいと、永はそんなことを考えながら、沈み行く夕陽を眺め続けた。




<了>