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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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水晶の杯
●オープニング【0】
「いや。うちでは扱った覚えはないねえ。見たこともないさ」
アンティークショップ・レンの店主である碧摩蓮は、差し出された写真をしばしじっと見つめてから首を横に振った。
「そうですか……これはどうも」
そう言って写真を自分で見直すのは、灰色系のややくたびれたスーツに身を包む中年男――桜桃署の刑事・築地大蔵警部補。傍らには同じく桜桃署の刑事である月島美紅巡査の姿もあった。
2人が揃って来ていて、かつこの様子。どう見ても店の品を買いに来た訳ではない。明らかに聞き込み捜査だ。
「でも、それはいい品だねえ。……美術品としては」
ぼそりと蓮が言った。写真に映っていたのは細かい細工の施された20センチほどの水晶の杯であった。確かに美術品としての価値は高そうに見える。
「ですよね。とっても綺麗で……ええと、19世紀半ばのヨーロッパの品でしたっけ、おやっさん?」
「18世紀、ですね」
尋ねてきた美紅に対し、苦笑しつつも大蔵が答えた。
「あ、そうでしたね。でもそんなに古いのに、こんなに綺麗で凄いですよね」
「……綺麗は綺麗ですけどね。私はどうも好きじゃないですよ、これは」
水晶の杯の美しさに少しうっとりしているらしい美紅と違って、どうも大蔵はお気に召さない様子。
「ふうん……18世紀の品かい」
2人のやり取りを他所に、思案顔になる蓮。そんな蓮に、写真を懐に仕舞いながら大蔵が言った。
「では、もしこの品を持ち込んでくる者が居たら、すぐ署の方へご連絡ください。相手は人を殺している可能性がありますから」
大蔵たちが今日ここへ来た理由。それは、この水晶の杯の持ち主が先日殺害されてしまったからだ。正月の情報屋殺しと同じ手口で。しかも、水晶の杯を奪っていて――。
「ああ、連絡すりゃいいんだね?」
「お願いします」
美紅が蓮にぺこりと頭を下げた。
そして2人が去った後、蓮がやれやれといった口調でつぶやいた。
「……年の功か、さすが刑事の目かねえ。あの娘より見る目あるよ、ありゃ」
その口振りからすると、蓮もあの水晶の杯はお気に召さないようだ。
「あんな品、よく作ったもんだ。美しさの影に、巧妙に禍々しさを折り込んでるじゃないかい……」
眉をひそめ、険しい表情になる蓮。感じ取っていたのだ……あの水晶の杯に隠された闇を。
「ちょっと調べてもらった方がいいかもしれないかねえ」
蓮の頭に、こういうことに興味のありそうな連中の顔が次々に浮かんできた――。
●調べてもらうにあたって【1】
「こんにちは、お久し振りです」
店に入るなり、碧摩蓮にそう挨拶してきたのは秋らしさ漂う着物に身を包んだ天薙撫子であった。ちょうど月島美紅や築地大蔵警部補が帰った直後、入れ替わりである。
「おや。いい所に来たもんだねえ」
と言って笑う蓮。それはそうだろう、頭の中に浮かんできた顔にさあ連絡しようかという時に、向こうからやってきてくれたのだから。
「……どうかされましたか?」
蓮の反応にきょとんとなる撫子。そこで蓮は、先程ここで行われたやり取りなどをかいつまんで説明した。詳しい説明は重複を避けるため、人が集まってから改めて行うつもりだったからだ。
「それは……少々気になりますね」
話を聞いた撫子が思案顔になり、押し黙った。何が気になるって、美紅たちが捜査で聞き込みをしているという点である。
(……今回も美術品絡みですし、もしやお正月の事件と関わりがあるのでは)
そんなことを撫子が思っても、仕方のないことであろう。
「ああ、ちょっと待ってくれるかい? 他の連中にも、今から連絡してみるからさ」
蓮は撫子が押し黙ったのを、調べるべきが悩んでいるのだと取ったようだ。だからこそこんな言葉が出てきたのであろう。
そして蓮が何人かに連絡し、少しして実際に店にやってきたのはシュライン・エマと露樹八重の2人だけであった。ちなみに八重は、シュラインのポケットに入っての移動である。
「途中でシュラインしゃんとばったりなので、連れてきてもらったでぇすよ♪」
ちゃっかりとしてますね、八重さん。
「足を運んでもらって悪いねえ、2人とも」
「え? 2人?」
シュラインが蓮と撫子の顔を交互に見て、少し驚いたように言った。電話では『ちょっと調べてほしいことがある』としか言われてないので、一瞬今回依頼しているのは撫子なのかと思ってしまったからだった。
「ああ、連絡する前にちょうど来たのさ」
蓮が苦笑しながら撫子を指差し、シュラインに言った。それでシュラインの疑問がたちまち氷解した。
「ええ、偶然と言いますか……必然と呼ぶべきでしょうか、この場合」
静かに告げる撫子。偶然と呼ぶには、あまりにもタイミングがよい。撫子がつい『必然』と言いたくなる気持ちも分かる。
「じゃ、最初から説明させてもらうよ」
と言って、蓮は今回の経緯をきちんと3人に説明した。たちまちシュラインと八重の表情も変わってくる。
「それってまさか……」
シュラインが眉をひそめ、ぼそっとつぶやいた。
「以前蓮さんが尾けられてたの、この杯と勘違いされたからじゃ?」
「断定はまだ出来ないだろうけど、あたしも一瞬それがよぎったのは確かだよ」
頷く蓮。去年のことだ、蓮たちが怪しい男に尾行されたのは。飛王と名乗ったその男は、蓮たちが運んでいた品物を何かと勘違いして尾行していたのである。その場にはシュラインと八重も居たから、それはよく覚えている。
「『屋根の上のストッキング』しゃんもご健在のようでぇすかぁ……」
むぅ、と八重が考え込む。えー、以前にも言いましたが、『ストッキング』じゃなく『ストーキング』です、八重さん。
「まだ断定は出来ないけどさ」
蓮が八重に向かってそう付け加える。過度な先入観なく調べてもらえるよう、配慮してくれているのだろう。
「水晶製、なのですよね」
確認するように撫子が蓮に言った。
「ああ、それは間違いないよ」
きっぱりと言い切る蓮。物を見る目は確かなのだから、水晶製であることは疑いようのない事実だ。
「水晶の杯と言われれば、酒の神の逸話思い出すけど……」
シュラインが言っているのは、ローマ神話でのバッカスにまつわる逸話のことだ。だがそれを知っている者からすれば、物騒な代物ではあり得ない。無論、シュラインもそう思っていた。
「装飾や形とか、詳細を覚えていますか?」
「ああ、だいたいはねえ。細かいこと確かめたいんなら、実際に写真を見せてもらった方がいいだろうけどさ」
そう言って蓮は、写真で見た水晶の杯について説明する。台座から上に向かって伸び、緩やかな曲線を持つ3つの膨らみを経て、高さの半分辺りでようやくワインなどが注がれる部分へ入る。杯の随所に幾何学系の細かい紋様が施され、真上から見るとちょうど注がれる部分の淵と、台座の部分がともに六角形になっているということである。
「1つの水晶から、丸々削り出された品ですか?」
「だねえ。美術品として見れば、たいした代物さ……あれは」
シュラインの質問に、蓮は含みある言葉を返した。
「実物見たことあれば、もっと教えてあげられるんだけどねえ。何分、写真だと一面からしか見られないからねえ……」
とはいえ、写真で見ただけにしては上等過ぎる説明である。さすがはアンティークショップの店主といった所か。
「そういえばでぇすね……18世紀ヨーロッパって、あまり治安がよくなかったのでぇすよ」
八重がふと思い出したように言った。
「いろんなことが『べんりー』になったでぇすが、そのせいで『自分たちだけがえらい』なんて勘違いしちゃって、まわりの国を馬鹿にしたり革命がおこったり」
18世紀といえば、歴史上忘れてはならぬ出来事がいくつか起こっている。まずは1760年代に始まったとされる、イギリスの産業革命。そして1789年のフランス革命。前後するが、新大陸アメリカでは1776年に独立戦争が始まっている。そうそう、ロシア帝国が始まったのもやはり18世紀の前半だ。
「あ、怪しげな魔術なんかも横行してたのでぇすよ? イヤンな時代だったのでぇす……」
八重がしみじみとつぶやく。18世紀の怪しげな魔術で恐らく一番思い浮かぶ人物は、錬金術士と呼ばれたサンジェルマン伯爵ではないだろうか。何しろ、不老不死であるだとも言われているのだから……。
ともあれ、そのような人物が社交界に出入りしていたことを考えれば、当時の上流階級・知識層と魔術との関係も推して知るべしか。
「むー……その水晶の杯もきっとオカルトがらみなんでしょーかー」
難しい顔をして八重が言うと、蓮が小さく頷いた。
「……ま、そんなとこだろうさ」
「水晶製となると、魔術的要因のある品物なのでしょうね……」
思案顔でぽつりと撫子がつぶやいた。そうであるなら、件の品には何かが封じられているのか、あるいは何らかの力が秘められているのか――。
かくして、3人は各々の方法で調査を開始した。
●それは、忌わしき名前なりや【4】
「え? もう1度仰っていただけますか?」
「だからさ、欧州から素晴らしい品がこの日本にやってきたのさ。バブルの頃に」
シュラインが目の前の初老の男性に聞き返すと、男性は面白そうな表情を浮かべて再度言った。ここは都内某所にある男性の事務所、シュラインはある話を聞くために訪れたのである。
それは当然、水晶の杯に繋がること。実はシュライン、執筆業の伝手を使って、骨董美術本編集部やその繋がりから特にヨーロッパに詳しい人物や、ヨーロッパからやってきた外国人などを紹介してもらい、片っ端からアポイントを取ってこの数日行脚していたのだ。
「ああ……バブルの」
納得したように頷くシュライン。当時の日本といえば、ジャパンマネーでちょっと眉をひそめるようなことも色々とやっていた時期だ。その時期なら、そういうことがあっても珍しくはないだろう。
「それはもしや、水晶製……ですか?」
「おやおや、さすが編集部の彼の紹介だ。よく知っているお嬢さんだね」
シュラインが突っ込んで尋ねると、男性は嬉しそうに笑みを浮かべた。やはりこういった人物は、分かっている者に聞かれることが嬉しいのであろう。
「そうとも、水晶の杯らしいね。何でもスイスにその物があったらしいんだが……それを僕が知ったのが、ほんの数年前でね。その時には元の所持していた家もなくなって、結局写真すら見ることは出来なかったよ。どこの誰が今は所有しているかも分からないし……」
苦笑いを浮かべる男性。つまり、この男性が言っている杯が、今調べている杯と同一かはまだ分からない。
「……それについて、何か逸話はありませんか?」
シュラインは静かに男性に尋ねた。
「逸話かい? そうだねえ……本当かどうかは知らないが、あのヒトラーが欲しがったそうだよ。だからスイスだったのかな」
笑いながら男性が言った。どうやら男性はこの逸話を本気にしていないようだ。しかし、シュラインの反応は違っていた。一瞬驚いてから、ぎこちない笑みを浮かべて絞り出すように声を発したのである。
「ヒトラーですか……」
笑い事じゃない。ヒトラーといえば、オカルト好きだと言われている。そのヒトラーが欲しがったという話が事実だとすれば……。
(何か、恐ろしい力を秘めているんじゃあ……)
そうシュラインが考えてしまうのも、無理からぬことである。
●捜査の進捗【5】
蓮に話を聞いてから10日ほどが経った。3人は桜桃署の近くの喫茶店にて、美紅と顔を合わせていた。ちなみにこの時の八重は、小学生サイズになっていたが。
「ありがとうございます」
ぺこりと美紅が頭を下げた。
「おかげで、あの水晶の杯がどこからどう経て被害者の元に来たのか、分かるかもしれません」
「つまり、その神社にあったことは間違いないのですね?」
撫子が聞き返すと、こくっと美紅が頷いた。
「よい情報を教えていただいたおかげです」
そう美紅が言うように、撫子は自分の調べたことを美紅に伝えていた。本当はそれとなく状況を伺うだけにしようと思っていたのだが、手に入った情報がかなり大きかったので美紅に伝えたのだ。
その情報とは、約1年ほど前にその神社へ水晶の杯が寄贈され、2ヶ月もしないうちに別の人物へそれが譲られていってしまったということ。その裏には、何やら裏社会の人物が神社にちょっかいをかけていたようで……。
「今は、被害者の元へ行くまでの経路を辿っている所です。ただ、東北からいきなり四国に次の持ち主が飛んでいますから……時間がかかりそうで」
少し困った表情になる美紅。管轄違いは本当に面倒だということだろう。
「ところで……」
シュラインが口を開くと、美紅は分かっていますといった口調でこう言った。
「あ、はい、被害者の傷の件ですね。お察しの通り、着衣は傷付かず肉体だけが貫かれ……お正月の事件と同一犯と思われます」
美紅の表情は固い。
「やっぱりストッキングしゃんでぇしたか」
口の回りをパフェのクリームで真っ白にした八重が、むぅと唸った。その通り、殺害の犯人は飛王であるだろう。
「……邪な目的に使われなければよいのですが」
極めて神妙な表情で撫子がつぶやいた。実は先日、美紅から水晶の杯の写真を見せてもらった際に、龍晶眼にて霊視を試みてみたのだ。霊視の妨害があっても耐えられるよう、意識を強く込めて。
それで見えたのが……真の闇という光景。いや、闇なんて生易しい代物じゃあない。
あれは……虚無だ。一般人が万一見てしまったのなら、即座に発狂してしまうほどの虚無。どうやら幾何学系の細かい模様が、何らかの効果を発揮してしまっているようだ。
いったいそのような代物を使って、何を行おうとしているのだろうか――。
●密かに進みし事態【6】
都内某所、薄暗い一室にその男は居た。細いフレームの眼鏡をかけた、銀髪の前髪を上げているロマンスグレーの紳士だ。
「ふふ……ようやく手に入ったか。今度の計画には、決して欠かすことの出来ない品だ」
男は手にした水晶の杯……あの水晶の杯を満足げに見つめながらつぶやいた。
その男の名はこう言う。
ニーベル・スタンダルム、と。
知る者は知っているはずだ。
この男が、虚無の境界における古参構成員で、決して小さくない力を有していることを。
けれども、ニーベルが何を行おうと企んでいるのか。
それを知る者は虚無の境界でも、今はまだごく一部に限られている……。
【水晶の杯 了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 整理番号 / PC名(読み)
/ 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま)
/ 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0328 / 天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
/ 女 / 18 / 大学生(巫女):天位覚醒者 】
【 1009 / 露樹・八重(つゆき・やえ)
/ 女 / 子供? / 時計屋主人兼マスコット 】
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■ ライター通信 ■
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・『東京怪談ウェブゲーム』へのご参加ありがとうございます。本依頼の担当ライター、高原恵です。
・高原は原則としてPCを名で表記するようにしています。
・各タイトルの後ろには英数字がついていますが、数字は時間軸の流れを、英字が同時間帯別場面を意味します。ですので、1から始まっていなかったり、途中の数字が飛んでいる場合もあります。
・なお、本依頼の文章は(オープニングを除き)全6場面で構成されています。他の参加者の方の文章に目を通す機会がありましたら、本依頼の全体像がより見えてくるかもしれません。
・今回の参加者一覧は整理番号順で固定しています。
・大変お待たせさせてしまい申し訳ありませんでした。ここに爆弾にも似た内容をお届けさせていただきます。
・今回実は、タイトルからあえて外したものがあったのですよね。【虚無の影】という文字を。ええ、そうです。お察しの通り、これもその系列のお話です。それも、ちょっと洒落になってない内容の。
・何やら虚無の境界が企んでいるようですが、それはもちろん皆さんはまだ分からないことです。無論、ニーベルが裏で動いていることも……。
・今のペースでゆくと……順調にいって来年春辺りでしょうかねえ? いえまあ、何がとは察していただけると嬉しく思いますが。
・シュライン・エマさん、130度目のご参加ありがとうございます。骨董品・美術品方面から、ヨーロッパに詳しい人物を訪ねていったのはとてもよかったと思います。何だか、とんでもない歴史上の人物の名前も飛び出しましたし。
・感想等ありましたら、お気軽にテラコン等よりお送りください。きちんと目を通させていただき、今後の参考といたしますので。
・それでは、また別の依頼でお会いできることを願って。
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