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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


死を呼ぶ絵画

■オープニング

 アンティークショップ・レンの一角にある画廊コーナー。そこに飾られている多くの絵画は、やはり他の品々同様「いわくつき」の作品ばかりだ。
 ある1枚の絵は、バラバラ殺人事件の加害者の自宅に飾られていたものだという。
 同じ画家の手による2枚の絵も、やはり買い取られた先で殺人や傷害事件が起こり、祟りを怖れた関係者の手で「レン」に持ち込まれたものだった。
 果たして「殺人を招く絵」は実在するのか……?

 ◆◆◆

 藤田・あやこはその絵をじっと眺めた。
 それは「夜の墓場」と題された10号の油絵だった。
 真夜中の森と思しき場所。夜空には血のような三日月が浮かび、バラバラに切断されて地面に転がった人間の首や手足を赤く照らし出している。
 確かに不気味な絵ではある。
 だが、これを部屋に飾ったからといって、本当にバラバラ殺人を犯したくなる者がいるだろうか? カンバスについた血痕にしても、本物かどうか怪しいものだ。
(うさんくさい話ねえ……『呪われた絵』なんて箔をつけて、逆に好事家に高値で売ろうって魂胆じゃないかしら?)
 試しに、あやこは霊視を試みた。彼女の特徴である黒と紫のオッドアイのうち、左側の紫の瞳には特殊な霊感が宿っているのだ。
 右目をつむり、左目だけで改めて絵を凝視してみる。
 その結果――。
「きゃああああ!」
 あやこは悲鳴を上げて一歩飛び退いた。
 たったいま「視て」しまった凄惨な情景――ついさっき食べたランチの中身を、その場で戻してしまいそうだ。
「おや、何か見えちまったかい?」
 店主の碧摩・蓮(へきま・れん)が、悠然とキセルをふかしながら尋ねた。
「だからいったろ? こいつは例の殺人事件の現場に飾ってあった絵だって」
「ちょっと待って……あの事件、確かまだ裁判中でしょ?」
 気を取り直して、あやこは蓮に問いただした。
「おかしいじゃない? 警察が、事件の証拠品を外部に持ち出すわけないわ!」
「そういわれたって、現に持ってきたんだからしょうがないだろ? そうさねえ……だとすれば、警察や裁判所より力を持った誰かさん……てことになるけど。ま、あたしにゃどうだっていいことさ」
(警察より力を持った……?)
 あやこはそんな「組織」の一つに心当たりがあったが、あえて口には出さなかった。
「人間が自分の体験を記憶するように、物にも記憶があるんだよ。あんたが今見た光景は、おそらくその絵に刻みつけられた、殺人事件の光景なんだろうね」
「でも……それはたまたまこの絵が現場に飾られていたってことで、必ずしも殺人の原因になった証拠にはならないでしょ? 現に、あの事件の加害者には『夫の不倫』っていうれっきとした動機があったんだし」
「ごもっとも。だからあたしは『いわくつき』とはいったけど、『この絵が人を殺した』なんていった覚えはないよ?」
 さすが裏の世界でもその名を知られた骨董品屋の女店主だけあって、一筋縄ではいきそうにない相手だ。しかしそのことで、却ってあやこの探求心がますます刺激された。
「あなた、さっき『封印』がどうとかいってたじゃない? 封印できたってことは、この絵に隠された秘密も知ってるんじゃないの?」
「おっと。さっきのはあたしの説明不足だったね」
 蓮がすまなそうに手を挙げた。
「封印というか結界というか……この場所には『物の時間を止める』効力があるのさ。いや、別に時計が止まったりとかそういう意味じゃないよ? その『物』だけが持つ固有の時間を凍結させて、真に相応しい持ち主が現れるのを待つ……だから、どんな呪われたアイテムだって、ここに在る限りはただの骨董品なのさ。もっとも、この結界はあたしが作ったわけじゃない。正確にいえば、元々そういう『力』を持った土地の上にこの店が建てられ、あたしはまあ、その番人役ってとこかねえ?」
 それを聞いて、あやこはがっかりした。
「殺人絵画」の秘密とその封印方法さえ判れば、何か新手のビジネスに利用できるかもしれない――そんな下心が、ないわけではなかったからだ。
 ただし、彼女は実業家であると同時に科学者でもある。一度わき起こった好奇心を、そうたやすく抑えることはできない。
「事情はだいたい判ったわ。じゃあ自分で調べるから、その絵を売ってちょうだい。いくら出せばいいの? 言い値で買うわ」
「悪いねえ。そいつは売り物じゃないんだ」
 フウー……。口から紫煙を吐きつつ、蓮が答えた。
「この絵を持ち込んだお客に、頼まれてるんだよ。いつか必ず引き取りに来るから、その時まで誰にも売らず預かっといて欲しいって」
(仕方ないわねえ……)
 あやこは同じ画家が描いたという、他の2枚の絵に視線を移した。
 どちらも薄気味悪い絵だ。
 そのうち一方、「闇からの眼差し」と題された一枚に目をつけた。
「なら……これを頂ける?」
「あいよ。ああ、お代はいらないから」
 あっさり承諾すると、蓮は口許に意味ありげな薄笑いを浮かべた。
「……どうせ、すぐ戻ってくるんだし」

 梱包された油絵を抱え、最後に店を出るとき、あやこはふと気になり蓮に尋ねた。
「そういえばさっきの『夜の墓場』……あの絵を預けにきたお客って、どんな相手だったか覚えてる?」
「他の客の素性は明かせないよ。うちにも信用ってもんがあるからね」
「見た感じだけでいいのよ。ひょっとしたら、私の知人かもしれないの」
「さうさねえ……ま、えらく風変わりなお客だったよ。それがまだ中学生みたいなお嬢ちゃんなんだけど――」
 クスクス笑いながら、蓮は片手でOKマークを作り自分の片眼に押し当てた。
「こう、怪盗ルパンみたいな片眼鏡なんかしちゃってさあ……ひょっとして、あれが今の若い子たちの流行りなのかい?」
(片眼鏡……!)
 間違いない。日本広しといえども、そんな女子中学生はただ一人だ。

 ◆◆◆

 帰宅するなり、あやこは一般回線とは別に設置した盗聴防止用の特殊電話機を取った。
「もしもし、IO2日本支部? ええ、私よ……科学局主任の鍵屋博士をお願い」
 鍵屋・智子(かぎや・さとこ)――小学生時代に飛び級で博士号を取得した希代の超天才少女。奇しくも、あやこと同じIO2科学局に籍を置くオカルティック・サイエンティストでもある。
 もっとも担当の部署が違うため、今まで顔を合わせたのはほんの数回だが。
〈もしもし、鍵屋よ。いったい何の用?〉
 5分ほどして本人が出た。研究に没頭しているところを呼び出されたのか、えらく不機嫌そうな声だ。
 とりあえず蓮の店で見た『夜の墓場』について尋ねると、
〈ああ、あの絵? 確かに私が預けたものよ。元々は警視庁の依頼で調査した絵だけど〉
「警視庁から?」
〈最初は例の殺人事件の証拠品として押収されたんだけどね。鑑識を担当した警官が、前から折り合いの悪かった同僚を刺したのよ〉
「何ですって?」
〈幸い軽傷で済んだから、何とか警察内でもみ消したらしいけど……他にも色々あったらしくて、結局始末に困った警察のお偉方がIO2に回してきたってわけ。だからあの事件の調書や裁判記録の中から『夜の墓場』に関する記述は全て抹消されてるわ。別に物証は他にも揃ってるから、裁判に支障はないしね〉
「で……あなたは調査したのね? あの絵を」
〈Aクラスの霊能力者3人に霊視させてみたわ。結果は、あなたも視た通りよ。ただし被害者の怨念だの、その他の怨霊が憑いてる気配はなかった。つまり普通の人間が所持したところで、心霊学的には何の問題もないってこと〉
「他に何か原因は考えられないの? たとえば、黄色顔料のリチウムは精神不安定を招く副作用があるし……」
〈X線検査、毒物反応、ウィルス感染――色々試したけど、全部危険性ゼロ。問題があるとすれば、描いた奴のセンスが最悪ってことくらいかしらね?〉
「じゃあ、なぜあの店に預けたのよ?」
〈実際に被害が出ているものを『何も判りませんでした』じゃ、こっちも科学者の名折れですからね。ただ、今はメインの研究が忙しくてとても手が回らなくて――いずれ腰を据えて再調査するつもりで、あそこに預けたの。長年取り組んでた時空間歪曲理論についての研究がまとまりかけてて――ああっ! 忙しいから、その話はまた後でね!〉
 返事をする間もなく、電話を切られてしまった。
 無礼といえばあまりに無礼な態度だが、智子の変人ぶりはあやこも承知のうえなので、別に腹も立たない。
「まあいいわ。私だって科学者ですもの……自分で謎を解いてやる」
 梱包を解き、もう1枚の油絵「闇からの眼差し」を寝室に飾ってみた。
 それは黒一色に塗られたカンバスの中で、右上に小さく描かれた目玉がこちらを見つめている、ただそれだけの絵だ。
 殺人現場に飾られていた絵だと思うとあまりいい気分ではないが、やはり怨霊や霊障などの気配は感じられない。
「にしても……うすっ気味悪い絵ね。こういう絵を描く画家って、なに考えてるのかしら?」
 とりあえずしばらく様子を見ることにして、その晩はそのまま床についた。

 ◆◆◆

 それからひと月ほどは別に何事もなく過ぎ、あやこ自身、絵のことなど殆ど忘れかけていた所へ、全く別のトラブルが降りかかってきた。
 彼女が経営者として全国的に展開しているブティック店。そのうち都内のある支店を任せていたマネージャーが、店の金を持ち逃げし行方をくらましたのだ。
 ギャンブルで巨額の借金を抱え、そのうえ前々から店の金を横領していた事実も発覚した。
 警察への被害届けと事情聴取。迷惑をかけた取引先へお詫びの挨拶回り。動揺する一般店員や他の支店へのフォロー――。
 まる一日事態の収拾に奔走し、帰宅は深夜となった。
 シャワーを浴びてそのままベッドに横たわるが、疲労より怒りのために目が冴えてなかなか寝付けない。
(畜生! あの男、絶対に許せない――!)
 前から気にくわない奴だとは思っていた。自分のファッションセンスを鼻に掛け、しかも社長であるあやこを年下の女だと侮ってか、いつも小馬鹿にしたような態度を取っていた。それでも、マネージャーとしてはそこそこ有能だったから今までクビにせず雇っていてやったのに――まさか、こんな形で裏切られるはめになるとは。
 ふと顔を傾けると、壁に飾った「闇からの眼差し」が視界に入った。
 ――心の中で、もう一人の自分が語りかけてくる。
(そうよ。警察に逮捕されたって、所詮あの程度の犯罪じゃせいぜい懲役どまり。どうせ釈放されれば、どこかで同じことを繰り返すに決まってるわ。なら、いっそ私がこの手で……)
 IO2の情報網を駆使すれば、警察より先に奴を発見するのはたやすい。持ち逃げした金などすぐに底を突いてしまうだろうから、「きちんと謝罪すれば告訴は取り下げ借金も肩代わりしてやる」とか何とか理由をつけて、人気のない山奥にでも誘い出し、あとは――。
 あやこはハッと我に返ってベッドから跳ね起きた。
「な、何……? 私、今いったい何を考えてたの……?」
 震えながら立ち上がり、部屋の照明を点け改めて壁にかけた油絵を眺めやる。
 一見、カンバスを真っ黒に塗りつぶしただけの手抜きのようにも思えるが、よく観察すればその「黒」は赤・青・黄……あらゆる色の絵の具を混ぜ合わせて作られた、全てを呑み込むかのような「闇色」だ。
 その混沌とした色彩が。カンバスに塗り重ねられた絵の具の作り出す微妙な陰影が。そして右上から月のように見下ろしてくる眼球が――。
 その全てが、あやこに向かって語りかけてくる。
 ――「コロシテシマエ」と。
「……!」
 大慌てで絵を壁から外し、新聞紙で幾重にも包み込み、あやこは汗だくになって息をついた。
(祟りなんかじゃないわ。……これは!)

 ◆◆◆

 翌日、あやこは車で朝一番に蓮の店へと乗り付け、新聞紙にくるんだ例の絵を叩きつけるように返品した。
「おや。思ったより早かったねえ」
「あんた、この絵が何だか知ってたんでしょ? 知ってて私に譲ったの!?」
「まあまあ。朝っぱらから、そう大声で騒ぎたてなさんな」
 骨董品屋の若き女店主は、キセルに火など点けつつ、呑気そうにいった。
「ふざけないで! この絵のせいで、危うく私は人殺しに……」
「でも、あんたは思いとどまった。そうだろ?」
「そ、それは……まあ」
「あたしだって売る相手は選ぶよ。ヤバいと感じたら、いくら金を積まれたってあの絵は渡さなかったさ」
「……とにかく、あの絵を描いた画家に会いたいわ。連絡先、教えてくれるんでしょうね?」
「そりゃま、構わないけどさ……」
 そのとき、カウンターに置かれた電話のベルが鳴った。
「はい、こちらアンティークショップ・レン……え? 藤田・あやこさん?」
 蓮が受話器から耳を離し、あやこの方へ差し出してきた。
「あんたにだよ」

〈おはよう、あやこ。家にかけてもいないから、案の定こっちにいたのね〉
 鍵屋・智子だった。日本支部の専用回線からかけているらしい。
 研究の方は一段落したらしく、今日は打って変わって上機嫌だ。
〈事件のことは聞いたわ。災難だったわねえ〉
「そんなことより、あの絵の謎が解けたわ! サブリミナルよ!」
〈……〉
「故意か偶然かは知らないけど、あの画家の描いた絵は、誰かに対して殺意を抱いた人間の深層意識に働きかけ、背中を押してしまう……要するに心理的トラップだわ!」
〈フフッ。……どうやらあなたも、私と同じ結論にたどり着いたようね〉
「気づいてたの!? なら、何で……」
〈立証のしようがないからよ。いいこと? 同じ画家の作品を、コンクールや展示会で過去何百人、何千人という人間が見ているのよ? その中で10件や20件、何か事件が起きたとしても……統計学的には『偶然』の範囲内に収まってしまう事象に過ぎないわ〉
「だからって……」
〈それに、凶行に及ぶ直前の人間心理なんて、それこそ破裂直前まで膨らんだ風船のようなもの……たまたま最後に針を刺したのがあの絵だとして、それは画家の責任かしら?〉
 電話の向こうで、智子の声が淡々と告げた。
〈むろんIO2としてもう手は打ってあるわ。例の画家の作品はダミーの画商を通して全てIO2が買い取り、レプリカにすり替えた上で市場に流す……ついでにいえば、本人が描いたもの以外にサブリミナル効果が及ぶことはなさそうだから、写真にとった画像が雑誌やインターネットに流されたところで何の害もないはずよ。ゆえに、IO2はこの事件の重要度をCランクに格下げした……あなたも、この件からはもう手を引きなさい〉

 電話を切ったとき、ちょうど店の奥から戻ってきた蓮が、あやこの前に一枚の紙を差し出した。それは美術雑誌からのコピーで、ちょうどあるコンクールで最優秀賞を受賞した学生画家を大きく紹介したページだった。
「ほれ。この『新城影樹』ってのが作者だよ。神聖都学院の生徒だそうだから……学校に直接訪ねた方が早いだろ」

『新城影樹、21歳。幼い頃両親を自宅で強盗に殺され、親戚の元で働きながら高校を卒業。その頃から美術部で画才を発揮し、一芸入試で神聖都学園大学部に合格。現在は同大学の美術部に在籍――』
 愛車のハンドルを握りながら、あやこはコピーされた記事の内容を頭の中で反芻した。
 あまり幸福な人生を送った若者とは言い難いようだ。それはあの陰鬱な画風を見ても察しがつく。美大ではなく一般大学の美術部という道を選んだのも、経済的な事情があってのことだろう。
(確かに気の毒だけど……でも、現に死人やケガ人が出てるのよ! 私だって危うく殺人犯になるところだったし……IO2の方針がどうあれ、このまま見過ごすわけにはいかないわ!)
 大学の方へはブティック経営者としての名刺を出し、「今度発表する新モードのデザインに、ぜひ新城さんの協力を仰ぎたい」という名目で何とかアポを取り付けた。
 画壇からも将来を期待される新進画家とあってか、大学側も一般の美術部員とは別に専用のアトリエを設け、新城影樹はそこにいた。
 あやこが入室したとき、影樹は絵筆も持たず、ただイーゼルに立てかけた白いカンバスをじっと凝視していた。さしずめ、新作の構想を思案しているという所か。
「はじめまして。『モスカジ』の藤田・あやこです」
 そう挨拶しても、影樹は彼女を見向きもせず、ただ無言でカンバスと向かい合っている。
 その顔は青白く、21の若者にしてはやや不健康にやつれているが、それ以外の点では何の変哲もないただの人間だ。念のため霊視もしてみたが、特に何かに取り憑かれているわけでも、本人が異能力者であるという気配もなかった。
 あやこはアトリエに他の人影がないことを素早く確認。改めて影樹を睨み付け、今度は語気を荒くして告げた。
「単刀直入にいうわ。あなたの絵のせいで何人も犠牲者が出ているの。今すぐ、絵を描くのをお止めなさい!」
 影樹は、目だけをじろっと動かし、初めてあやこの顔を見上げた。
「ついこの間も、黒眼鏡の連中が来て同じこといってたな……あなた、あの連中の仲間ですか?」
 おそらく、智子が派遣したIO2エージェントだろう。
「何が望みなの? お金ならいくらだって出すわ。何なら卒業後は私の会社で採用して、一生生活に困らないように――」
「間に合ってるよ。これから、僕の絵はあの黒眼鏡の連中が買い取ってくれるそうだから……別に金なんか興味ないけど、誰にも邪魔されずに絵が描けるのなら、僕はそれで充分だし」
「あなた、本当にそれで満足なの? 死んだりケガした人たちに対して、少しでも申し訳ないと思わないの!?」
「呪いの絵だの、サブリミナル殺人だの……あなた方みたいないい大人が、そんな馬鹿げた話本気で信じてるんですか? だいいち、僕は誰も呪ってなんかいませんよ。ただ自分の中に湧いてくる画想を、思いのままカンバスに表現しているだけです。その結果完成した絵を鑑賞して、他人がどういう印象を持とうと……それは、その人の感性の問題でしょう?」
「屁理屈なんか聞きたくないわ! もしこれ以上描くのを止めないというなら、力ずくでも……」
「ご自由にどうぞ。10年前父と母が殺されて、叔父夫婦からは厄介者扱いされて……それでも僕が生きてこられたのは、絵を描くという生き甲斐があったから……それさえ取り上げるというなら、この場で殺された方がマシですよ」
 さすがにあやこも返答に窮した。
 もし相手が異能力者や人外の妖魔なら、まだ手の打ちようはある。しかし、絵の才能を除けば単なる一般人である若者をここで殺せば、今度はあやこ自身が犯罪者となり、最悪の場合はIO2から心霊テロリストとして粛清されかねない。
 ふいに影樹は大きくため息をつき、天井を見上げた。
「もし本当に呪いがあるとするなら……絵を描くこと。ただ描き続けること。それが僕にかけられた呪いなんだろうなぁ。……どんな霊能力者でも、こればっかりは祓えないでしょう?」
 そこまでいったとき、突然大声で「閃いた!」と叫んで絵筆を取り、下絵もなしに猛然とカンバスに描き始めた。もはや目の前にいるあやこのことなど眼中にないようだ。
「……もういいわ。邪魔したわね」
 深い徒労感を覚えつつ、きびすを返してアトリエを出ようとしたとき――。
 ザワッ……あやこは背後に異様な気配を感じた。
 咄嗟に振り向くと、影樹の姿はなく、カンバスに向かっているのは60も近い見知らぬ老人だった。
(え……!?)
 驚いて瞬きした次の瞬間には、アトリエでは何事もなかったかのように元の影樹が絵筆を振るっている。再度左目で霊視してみたが、怪しいものはなにも映らない。
(目の錯覚? でも……)
 一秒にも満たない瞬間ではあったが――あの老人の顔には、確かに見覚えがあった。
 むろんあやこの知り合いではない。
 だがずっと昔、新聞かTVのニュースであの顔を――。
 急いで車に戻り、普段仕事用に持ち歩いているノートPCであらゆる新聞社のデータベースを検索してみる。
 やがて、そのデータは見つかった。
 今から10年前、会社員の自宅に盗み目的で忍び込んだ無職男が、物音を聞きつけた家の主夫妻と乱闘になり、手にした包丁で夫妻をめった刺しにして惨殺した。
 被害者となった夫妻の姓は――新城。
 影樹の両親であった。

 ◆◆◆

 拘置所の透明プラスチック壁の向こうから現れた男は、やはりあの時あやこが目撃したとおりの、小柄で貧相な老人だった。
 だが、この男こそが紛れもなく10年前に影樹の両親を殺した凶悪犯であり、今では死刑囚としてこの所内に拘留されている。
「……俺は、若い頃から絵が好きでよぉ」
 面会を申し入れたあやこがまだ何も聞かないうち、男は独り言のようにブツブツ喋り始めた。
「将来絵描きになりたかったけど……家が貧乏で、それどころじゃなかったんだよなぁ……」
「今は……描いてないの? 拘置所の中でも、それくらいの自由はあるでしょ?」
「それがよぉ、ムショでの作業中、機械に手を挟んじまって……まぁ、天罰ってヤツだなぁ」
 そのとき初めて気づいた。男の右手は――義手だ。
「でもなぁ……時々、夢に見るんだ」
「夢?」
「夢の中で絵描きになってよぉ。俺の描いた絵を、こう立派なコンクールの会場で、大勢の連中が褒めてくれてんだぁ」
 老人のしわくちゃな顔が、乱杭歯を剥きだし満面の笑顔を浮かべた。
「あはははははっ! 聞こえる! 聞こえるぞぉーっ!!」
「申し訳ありません。もうお時間なので……」
 二人の看守が、憑かれた様に笑い続ける男を両側から抱えて扉の向こうへ連れ去った。

 ◆◆◆

「全ての元凶はあの死刑囚だわ! あの男が無意識に生き霊を飛ばして、新城影樹に殺人画を描かせていたのよ!」
 自宅に戻るなり、あやこはすぐさまIO2のエージェントに連絡を取った。
〈しかし、我々が派遣した霊能力者は『何も感じなかった』と……〉
「バースト通信の原理よ! 1日に1度、あるいは数日に1度……コンマ何秒かのほんの短い間、奴の生き霊が影樹に接触してインスピレーションを与えてたの。だから、今まで誰が霊視しても気づかなかったんだわ! ともかく、すぐ拘置所に心霊捜査官を派遣して24時間の監視体制を取って。一瞬でも奴の生き霊が抜け出る瞬間を記録できれば、それで心霊犯罪が立証できるわ!」
〈……上に指示を仰いでみます〉

 電話を置いたあと、あやこは自分の行動が本当に正しかったのか、迷いを覚えた。
 死刑囚の男を心霊フィールド付きの施設に隔離すれば、これ以上殺人画が描かれることを防止できる。が、その代償として影樹は、唯一の生き甲斐である絵の才能を失うことになるだろう。
 蓮や智子は、ここまで気づいていたのか? だからこそ自分に「手を引け」と進めたのだろうか?
(でも、こんなの間違ってる……たとえどんなに辛くとも、彼は自分自身の手で新しい生き甲斐を見つけるべきなのよ!)

 翌朝、折り返しエージェントから電話があった。
〈残念ですが、あなたの要請は却下されました〉
「なぜよ!?」
〈必要がなくなったからです。例の死刑囚は……今朝方、刑を執行されたそうです〉

■エピローグ

 およそ1ヶ月後――高台に車を止め、あやこは灰色の曇天の下に広がる総合病院の施設を見下ろしていた。
 あの朝、男の死刑が執行された同じ時間、アトリエにいた影樹は自分の首を押さえて失神し、命に別状はなかったものの、その後錯乱状態に陥り現在に至るも入院を続けている。
 面会の申請も拒否された。彼は隔離病棟に収容され、安全のため絵筆のような尖った物は決して持たせないとのことだった。
 しかし看護士から聞いた話では、壁に向かって正坐したまま、ありもしない「絵筆」を握って一心不乱に「何か」を描き続けているのだという。
(今でも描いてるのね。あの男が送り続ける、地獄の風景を……)
 骨まで染み通るような寒風に身を晒しつつ、それでもあやこは、いつまでもその場に立ちつくしていた。

〈了〉

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
(PC)
7061/藤田・あやこ(ふじた・あやこ)/24歳/女性/IO2オカルティックサイエンティスト

(公式NPC)
―/碧摩・蓮 (へきま・れん)/女性/26歳/アンティークショップ・レンの店主
―/鍵屋・智子(かぎや・さとこ)/女性/14歳/女性/天才狂科学者

(その他NPC)
新城影樹(しんじょう・かげき)/男性/21歳/学生画家

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、対馬正治です。藤田あやこさん、今回のご参加誠にありがとうございました。度々のご指名お世話になっております。
当初のプロットでは鍵屋・智子の登場予定はなかったのですが、プレイング中のあやこさんの疑問「証拠品が出回る筈はない」にヒントを得て、期せずして2大オカルト科学者の共演(?)と相成りました。ちなみに蓮の店の「封印」に関する設定についてはライター独自の見解であり、公式設定とは無関係であります。
しかし私が書く蓮姐さんはちょっと傍観者的というか、あんまり自分が出向いて人助けするタイプではないようですね……。
では、ご縁がありましたら、またよろしくお願いします!