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<東京怪談・PCゲームノベル>


     桜とオバケとおっさんと

 「今夜はハロウィンだな……。」
 家と呼ぶには大きすぎる館の一室、手の込んだ造りの窓からガラス越しに夜空を見上げながら青年はぽつり、とそう呟いた。諏訪海月(すわかげつ)という名を今は持つ細身のその青年は、頭に巻いたタオルから垂れている長い銀色の横髪を無造作に払いのけ、わずかに目を細めて、海の底より黒く澄んだ空に浮かぶ月を見やる。
 今日は一段と月が綺麗だ。
 感嘆にも似た気持ちで海月はそう独りごち、自分の髪と同じく淡い銀色の光を放つ夜空の主役に視線を留めたまま――しかし、その孤高の輝きに言い知れぬ胸のざわめきを感じた。予感と言ってもいい。もしも神と呼ばれる存在がいるならば、その者がこの街に住む大半の人々に与えた『代わり映えしない退屈な日常』とは一線を画す何かが起こりそうな、研ぎ澄まされた感覚の扉を得体の知れない者が叩いたような、そんな気がしたのである。
 だが、海月はあえてそれを口にしようとはしなかった。予感を言葉にした途端、それが現実となって館の戸でも叩きそうな気がしたからである。まして今夜はハロウィンだ、どんな化け物が訪ねてくるか知れたものではない。
 そこで、ただ静寂に身を沈めることにしたのだが――次の瞬間、電話の呼び出し音によってそれはあっけなく破られた。
 海月はけたたましい声をあげている電話機に目を向け、何故かその電話の内容が日常のものとは違うだろうことを確信する――まさに彼が先ほど感じた予感は、扉を叩く音ではなく電話の呼び出し音となって現実と化したのだ。
 しかし慌てる様子もなく、海月は落ち着いた足取りで電話機に歩み寄り、受話器を取り上げた。
 相手は自称オカルト専門の探偵、雨達圭司(うだつけいじ)。何やら取り乱しているらしく、早口に一本桜の化身がどうのとまくし立てているが、今ひとつ要領を得ない。判ったのは、とにかくすぐ来てほしい、ということだけである。
 「……ああ、分かった。今すぐ行く。」
 海月は短くそう答えて電話を切った。
 ……いつも通りの展開か。
 そう思いながら上着を手早く着込む。あの男はいつだって面倒な用件で連絡をしてくるのだ。もしかすると、奴こそ年中家々の戸を叩いては甘い報酬をねだる、いたずら好きの化け物なのかもしれない。海月はそんな楽しくもない憶測を頭の片隅でしながら館を出ると、すぐさま一本桜と呼ばれる桜が立つ広場へと向かった。

 十月も末になると夜の風は冷たく、澄んでいる。今朝までは雨が降っていたが、今はそれもすっかりあがり、道に水溜りとしてその痕跡を残すばかりだった。空も大気も道も汚れを洗い流し、すっきりとしている。そのせいか普段よりもいっそう煌々と青白い光を投げかけてくる明るい月を頼りに、足早に歩きながら海月はふと、行く手に見える人影に気付いて目を凝らした。闇の中でもはっきりと判る、紫色の長衣と先の尖った三角の帽子。長い金髪が秋風にあおられ軽やかに舞っている。
 いかにもハロウィンの夜に似つかわしい魔女の仮装のようであったが、海月はその姿にただならぬ気配を感じ取った。距離を詰め、すれ違いざまに帽子の下の顔に目を向けたが、広い帽子のつばに隠れ、その表情を窺い知ることはできない。ただ紅を差した赤い唇が微笑みの形を取っただけである。
 海月は向けられたその微笑に一瞬の戦慄を覚えたが、しかし、先ほどの切迫した様子の電話を思い出し、足を止めることなく魔女の傍らを通り過ぎた。彼女が肩越しに自分を振り返り、未だ意味ありげな笑みを投げかけてくるのを背中に感じながら……。

 海月が一本桜の広場に着くと、待ってましたとばかりに雨達が駆け寄ってきて、
「桜佳(おうか)が飛んでいっちまった。」
 と叫んだ。言われて桜の樹を振り返ってみると、確かにいつもはそこにいるはずの桜の化身が見当たらない。
 「飴をやったら吸血鬼のような姿になって飛び去った、と言っていたが……。」
 海月が電話の内容を思い出しながら簡潔にそう口にすると、多少は落ち着きを取り戻したらしい中年男は、その通りだというように大きく頷いた。
 「おれはいつも通り家を出てここへ来たんだが、その途中で飴を貰ってな。だがおれは甘い物はあまり好きじゃないし、今日はハロウィンで、桜佳も……まあ、桜の化身とはいえ化け物のようなものだから、丁度いいと思ってその飴をやったんだよ。そうしたら、急に様子が豹変して……土色の目が真っ赤になり、犬歯が伸びて、背中には黒い羽が生えた。」
 「なるほど。」
 身振り手振りを交えて話す雨達に、海月は考え込むような語調で相槌を打つ。
 「そのタイミングから考えると、食った飴が怪しいな……。それをくれた者というのは?」
 「魔女の仮装をした女だ。」
 決まり悪そうに雨達はそう答え、これに海月は柳眉を上げると、片手を額に当ててため息をついた。
 「魔女から貰った飴、か。出来すぎだな……というか、ソイツ、本物なんじゃないか?」
 「……やっぱり? でもその時はただの仮装だと思ったんだよ。普通の人間のおれに、本物かどうかなんて分かるわけないだろう? そりゃあ、知らない奴から貰った物を食わせたおれも悪かったけど……。」
 子供のようにもごもごと言い訳をする雨達の言葉を聞き流しながら、海月は先ほど、来る途中ですれ違った魔女のことを考えていた。確かに雨達なら気付かなかったかもしれないが、陰陽師としての能力もある海月には、彼女が『魔女の仮装をしているただの人間』ではなかったと確信できる。最初に電話で魔女の話を聞けていたら、あのままやり過ごしはしなかったものを、と内心歯噛みしないでもなかったが、雨達の無能ぶりをここで責めても始まらない。
 一体どうしたらいいんだ、と唸る頼りない探偵に海月は、
 「その魔女は、紫の衣装をまとった金髪の女か。」
 と確認するように尋ねた。この言葉に雨達は目を丸くする。
 「その通りだが……どうして分かった?」
 「来る途中でそれらしい奴とすれ違った。今ならまだ、探せば見つかるだろう。」

 海月は吸血鬼の姿になった桜の化身・桜佳の捜索を雨達に任せ、件の魔女の行方を追うことにした。元凶が魔女の寄越した飴にあるだろうことは明白だったからである。
 幸い、帽子の下で薄く笑っていたあの魔女の独特の気配は、目印として申し分ない。海月は人ならざる者たちを狩る役を前世から担い、そういった気を探る術には長けていたし、また、魔女はわざと魔力の痕跡を道々に残していったようだった。
 広場を出て感覚を研ぎ澄ますと、目には見えない足跡のようなものが点々と、どこかへ導くように続いている。海月はそれをたどりながら、迷路の中で迷わぬようにと繰り出された糸をたぐるかのごとく、進む。その糸が、女郎蜘蛛が巣に誘い込むために張り巡らせた罠でないとも限らなかったが、追跡をやめるつもりはなかった。
 やがて、はじめに出会った時と同様何の前触れもなく、海月はその視界に魔女の姿を捉える。見覚えのない不気味な洋館の前で、やはり魔女は妖しげな笑みを浮かべて立っていた。
 「Trick or treat!」
 よく通る声で女が高らかに叫ぶ。これに対し、海月は静かな口調で答えた。
 「それは菓子をねだる子供が言う言葉じゃないのか。おまえは『菓子を渡す方』だろう……さっき俺に会う前に、男に飴をやったな?」
 「その通りよ、プリースト様。」
 魔女は笑い、礼儀正しくお辞儀をしてみせた。一方海月は、プリースト――聖職者と呼ばれて眉を上げる。
 「俺は陰陽師で、万屋だ。」
 海月が訂正すると、魔女は面白がっているのか不思議がっているのか、小さく首を傾げて「そうなの?」と呟いた。
 「あなたには普通の人間にはない力があるようだし、銀を身につけている。銀は魔を祓うのよ。だから……あなたはあの男を助けるためにわたしを追ってきたプリーストかと思ったわ。……でもまあ、あなたが何者であろうと問題ではないわね。あなたの推測通り、わたしはあの人間に飴をあげたわ。もちろん、ちょっとした仕掛けのある飴だけれど。男前になっていたでしょう?」
 「飴を食ったのは、おまえがあれを渡した人間じゃない。」
 どうやら雨達が飴を食べたと思っているらしい魔女にかすかな苛立ちを覚えながら、海月はぶっきらぼうに言葉をついだ。
 「彼はあの飴を一本桜という桜の化身にやったんだ。そのせいで桜の化身が吸血鬼のような姿に変わったらしい。飴に人間用の術をかけたのかもしれないが、たとえ術を受けたのが人間でなくても、おまえなら元に戻せるんじゃないのか。方法があるなら教えてほしい。」
 「……桜の化身が食べた、ですって?」
 海月の言葉を興味深げに聞いていた魔女は、驚き、呆れたような口調でそう言って肩をすくめてみせた。
 「まさかあの男が別の者に――それもそんな特殊な存在にあげてしまうなんて、思いもよらなかったわ。……でも、その桜の化身とやらが肉体的に人間と同じなら、元に戻す方法はあるわ。肉体的に人間と構造が違うなら副作用が出るかもしれないけれど、そうでないなら心配は無用よ。あの飴の効果は水を飲めばすぐに消えるようにしてあるの。水を飲まない人なんていないでしょう? まあ、水を飲まなくても夜が明ける頃には自動的に効果は切れるけどね。ハロウィンのいたずらは一夜限りのものよ。」
 「ということは、最悪の場合でも日が昇れば元に戻るということか。」
 魔女が頷くのを見ながら海月は、桜佳がはたして人間と同じ身体的構造であっただろうかと首をひねった。確か昼間の桜の化身で実体を持たない桜華(おうか)と違い、夜の姿である桜佳は飲み食いもできる実体を持った存在だったはず。それならば、さほど問題はないかもしれない、と漠然と推測した。もっとも、桜佳は夜しか出現できない存在であるため、夜明けを待ってはいられないだろうが。
 海月は楽観的すぎるだろうかと考えながらも、何故か今日ばかりは酷いことなど起きるとはとても思えなかった。ハロウィンの夜にはささやかないたずらがつきものだが、決してそれが翌日まで後を引くようなことはないのである。
 「飴の効果は怪物の姿になって、人を驚かせたくなる、というだけのものよ。きっと街ではちょっとした騒ぎになってるでしょうけど、ハロウィンの夜は賑やかでなくちゃね。」
 魔女はそう言って例の妖しげな笑みを浮かべてみせたが、そこに悪意のようなものは微塵も感じられない。あるのは、ただ純粋にいたずらを楽しむ心だけのように海月には思えてならなかった。
 「わざと俺に分かるように『道しるべ』をつけたのは何故だ?」
 終始愉快そうな口調に毒気を抜かれつつも、魔女の真意を探ろうと海月がそう問いかけると、女は口調を変えることなく楽しげにこう答えた。
 「あなたが面白そうな人間だったからよ。道で会った時、わたしがただの人間ではないと気付いたんでしょう? わたしの正体を探ろうとしたのは、あなただけ。だから、話をしてみたくなったの。」
 無邪気に笑って言うと、魔女は背後の洋館を振り返り、
 「あと、新しい住人になってくれるかしらって思ったからよ。わたしはこの館の主なの。良かったらあなたも住まない? 毎日がハロウィンのように賑やかよ。」
 と両手を広げ、示してみせる。
 これには海月も苦笑して、遠慮する、と短く答えた。彼にもこの洋館に負けず劣らず立派な家があり、そして何よりそこには、帰りを待つ者がいるのだから。
 そんな海月の返事に、魔女は心底残念そうに「そう。」と呟いた。
 「それじゃあせめて、名前を聞かせてもらえる?」
 「海月。海に月と書いてかげつ、だ。」
 そう答えると、魔女は感慨深げに海月の名前を呟き――やはり帽子の陰で口元しか見えなかったが、確かに微笑むと、
 「では、海月。また来年会いましょう、その銀色の髪と同じくらい綺麗な月が懸かる、ハロウィンの夜に。」
 そう言ってきびすを返し、不気味な――いかにもお化け屋敷といった構えの洋館の方へ消えていったのだった。

 それから間もなく、雨達から桜佳を捕まえたという連絡が入り、海月は安堵の息をついた。
 どうやら空を飛ぶというのはひどく疲れるものらしい。まして桜佳は普段、本体である桜の樹がある広場からは出ないため『外の世界』の騒々しさに慣れていない。はじめのうちこそ街行く人々を驚かせたようだが、やがて人気のない方へ移動したようである。人々の証言を聞いてそのあとを追っていた雨達は、人目を避けるようにして羽休めをしていた桜佳を何とか見つけ、力ずくで捕まえたのだ。
 海月はその場所を雨達から聞いて駆けつけ、魔女に会って解決策を得たことを伝えた。
 「どうすればいいんだ?」
 そう尋ねる雨達は体格だけは良く、すっかり押さえ込まれた桜佳は虚しい抵抗を繰り返すばかりである。そんな桜の化身に、海月は両手を差し出してみせた。
 そして、口の中で小さく何事か呟く――と、周囲の木々や道にたまっていた雨水が一斉にその両手に集まり、泉のようにあふれ出した。閉じた指のわずかな隙間からいくつもの雫がこぼれ落ち、澄んだ月の光を受けて星のように輝く。海月はそれが桜佳の口に入るよう、静かに両手を傾けた。
 空と大気と道の汚れを全て洗い流した清らかな雨水は、目を丸くして雨達が見守る中、桜の化身を見舞った不運な魔法の効果をも綺麗に消し去っていく。海月の能力でもって集められた雨水がその手からすっかりなくなる頃には、桜佳は人間と変わらぬ元の姿に戻っていた。
 それを見て雨達は深々と息をつき、ついでにやりと笑うと海月に拳を突き出す。海月もそれに軽く自分の拳を当て、小さく笑った。
 「水を飲ませれば良かったのか? そんな簡単なことだったなんてな。あの魔女、一体何をしたかったんだ。」
 どこか呆けたような顔をしている桜佳を解放し、雨達が言う。腑に落ちないといったその様子に、海月は小さく肩をすくめてこう答えた。
 「いたずら、じゃないか? ハロウィンの主役は化け物たち――俺たちはそれに付き合わされただけさ。」

 こうしてハロウィンの夜は終わり、またいつもの日常が戻ってきた。桜佳は広場に帰り、特に件の飴による副作が出た様子もなく何事もなかったかのように日々を過ごしている。雨達も相変わらずぶらぶらしているようだ。
 海月は窓に映った自分の髪と、ガラスの向こうの月を重ねて見ながら、魔女が最後に残した言葉を思い返す。そして、その言葉の通りに来年も出会ったなら、はたしてその再会を喜ぶべきか、憂えるべきかと半ば真剣に考えた。前世では化け物と戦う役を担っていたというのに、一方的とはいえ得体の知れない魔女と再会の約束をしたのだから、奇妙なものである。
 海月は、これも運命とやらが仕組んだハロウィンのいたずらなのかもしれないと思いながら、小さく苦笑を浮かべる他なかった。



     了




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3604 / 諏訪・海月(すわ・かげつ) / 男性 / 20歳 / 万屋と陰陽術士】


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■         ライター通信          ■
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諏訪海月様、お世話になっております。
この度はハロウィンシナリオにご参加下さりありがとうございました。
ハロウィンということでシナリオ名も魔女の動機もおふざけが過ぎた観があり、クールなお人柄をぶち壊しはしないかとドキドキ致しましたものの、大変楽しく書かせていただきました。
また、力ずくではなく話し合いで解決を図っていただけたことを、個人的にとても嬉しく思っております。
敵対心を向けられなかったせいでしょうか、魔女は海月様に非常に関心を持ったらしく、勝手に再会の約束まで一方的に取り付けてしまいました。
もしまた出会うことがありましたら、お付き合いいただけると魔女共々わたしも大変嬉しく思います。
その時はどうぞよろしくお願い致します。
それから、作中の「プリースト」(priest)という語は一般的な日訳である「聖職者」(聖職にある者。神官・僧侶・主教・司祭など/大辞林 第二版)の意味で使わせていただきましたことをここに明記しておきます。
それでは最後に、もう一つのハロウィンの夜の最終幕を少し。

 ――お化け屋敷のような古い洋館の一室に、怪しげな液体入りの試験管を片手に魔女が一人。
 ――「来年はもっと派手なことをしないといけないわ。また彼に見つけてもらわないと。」
 ――そう言って窓をふっ飛ばしては実験に励み、館の住人たちの眉をひそめさせたとか。

ありがとうございました。