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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


そうだ、紅葉狩りに行こう


「ほら、見て下さい。綺麗でしょう?」
「こりゃ……また見事に色づいたもんだ」
 見上げる空には茜に黄金。高くなった青空の下に、この世の極楽が広がっている。
「僕は最近異動になってここに来たばっかりなので詳しくは知らないんですけど。でもご近所さんもこんなの初めてだって。不思議だねーって」
「まったく、たかだか葉っぱが色気づいたってくらいで人間は右往左往だな」
 視界を満たす美しい風景に、武彦は感嘆のため息をこぼすしかなかった。


「と、いうわけでだ」
 切り出しは突然で、話の脈絡もあったものではない。
 しかしそれがさも必然であるかのように、武彦は大げさに手を打った。
「紅葉狩りに行きたいヤツ、手ぇ挙げてー」
 ………。
 場に奇妙な沈黙が落ちる。
 それもそのはず。今年は9月の気温の高さが影響して、例年より紅葉はかなり遅れそうだとTVで騒いでいるのを誰もが知っていた。そんな中、『紅葉狩りに行こう』だなんて、裏がない筈がない。
 しかもここは日常的に非日常が不法投棄された廃棄物のごとく山積する、オカルト興信所――もとい、草間興信所。
「なんだお前ら、その目は」
「念の為に確認しておきますが。所長が自腹はたいて遠方のしっぽり温泉街に連れて行ってくれる――なんてオチじゃないですよね?」
「んなわけあるか」
 微かな希望を胸に搾り出した問いの言葉は、一刀のもとに切り捨てられる。しかし、落胆の声は上がらない。なぜなら『あぁ、やっぱり』な感想しか、居合わせた面々の心には浮かんでこなかったから。
 これぞまさに、非日常の中で身についた日常的教訓。
「場所は都内にあるごくごく普通の公園。情報提供主は最近越してきた24歳の青年。これがまた自分の休日にボランティアで清掃活動しちゃうようなすこぶる好青年なんだが――って、それは置いといて。その一帯だけ何故か紅葉が見頃を迎えてるんだ。近隣住民は不思議がるやら、気味悪がるやら、歓迎するやら反応は様々らしいが」
 そこまで言った武彦は、周囲の様子に僅かに微笑んだ。既に皆、真面目な顔で考え込み始めている。こんな姿に草間興信所の依頼解決率の高さは支えられているのを、武彦は誰よりよく知っていたから。
「あぁ、そんな難しい顔はしなくていい。俺の勘だとこれに事件性はないと思うから。だから純粋に紅葉狩りを楽しむってんでも大丈夫だ。とりあえず、手の空いてるヤツは今度の休みに、弁当と秋の思い出話を持って駅に集合な」


「とりあえず、ジャケットはこれでいいでしょ」
 ピンっと尖った耳の先端が、主の心を移すようにぴくぴくと揺れ動く。
 クローゼットの中から引っ張り出した洋服を前に、腕を組んで小首を傾げる仕草は彼女の姿をより幼く見せる。
 十代最後の危うさを秘めたように見える容貌からは少し乖離した彼女の実年齢。しかしそれは決して悪い事ではない。若く見られることは、女性にとって永遠の夢だから。
 たとえその裏にどんな秘め事が隠されていようと、たいていの人はそこまで考えを及ばせる以前に、単純にあやこの瑞々しい美しさに賞賛の声を上げるだろう。
「ズボンは問題外。でもこのスカートだと、ちょっと幼くなりすぎる気がするし」
 男性向けのミリタリーブランド、モスカジで一山当てた女社長。今はブティックやジャズカフェバー、果てはちょっと曰くあり気な芸能プロダクションにまで手を広げ。そんな『今』を彩る最先端にいる彼女だから、些細な外出でも気をつかう。それは『もしも』の事態が発生した場合にも功を奏するように――もちろん、此方側の理由を察する人間など早々いはしないけれど。
「あ、しまったっ!」
 それまで衣服とにらめっこしていたあやこの顔に、微かな緊張が走る。くるりと踵を返し、宙を舞うように滑り込んだのはキッチン。
「……ギリギリセーフ、かな?」
 彼女の黒と紫のオッドアイの視線の先には、酢にしめした秋刀魚。明日のお弁当に添える一品だが、たかだか酢〆と侮ることなかれ。酢に浸す時間でその味は格段に変わってしまう。
「ん、大丈夫大丈夫」
 箸でつまみあげた三枚おろしの秋刀魚の身色を眺めて、あやこは満足気に微笑んだ。


「紅葉狩り、風流だよねぇ。これぞ日本の文化って感じ? シチュエーションが山野じゃなくって街中の公園ってのが、びみょ〜だけど――ま、ここは目を瞑ろう」
 都心の真ん中をぐるりと一周する緑の電車。それから降りたのは、ほんの数分前。灰色の殺風景なビル群の谷間を抜けて歩くこと暫し。
 清水コータは、視界を鮮やかに彩る木々に、ほっこりと笑みを零した。
 さほど幅のない河の両岸に設えられた遊歩道。それに沿うようにして作られた細長い公園の並木は、まさに紅葉真っ盛り。
 一番目立つのは背の高い銀杏だろうか。鮮やかな黄色は、秋特有の高い青空によく映える。その下には華やかに色づいた楓の赤い絨毯が広がっている。
 四季が彩る国に許された、期間限定の絶景。
「にしても。ホントにここだけ時間の流れが狂っちゃったみたいね」
 コータに続いて公園に足を踏み入れたシュライン・エマは、少し困惑気味に眉根を寄せながら辺り一帯に視線を巡らせた。
 真っ先に飛び込んでくるのは隣接するマンションと、学校らしい施設。どちらの敷地にもオフィス街や商業施設と比べると植えられている樹木の本数は格段に多い。それらの葉は、見事なまでに濃い緑を湛えている。葉が落ちる気配など、毛の先ほどもありはしない。
「何か不思議な力でも働いてるのかしら?」
 今度は手元に視線を落とす。肩からかけたハンドバッグにぶら下げてある小さな方位磁石がついたキーホルダー。しかしそれは何の興味も示さないように、北と南の方角を正しく指して動じない。
「綺麗なことはいいことです。しかし季節感に統一性がなくなってしまうのは問題ですね。出来れば元の姿に戻ってもらいたいところですが」
 もちろん、私たちが楽しんだ後にですけどね。
 ちょうど公園に横付けされた車から、そんな含んだ笑いが忍び漏れる。駅集合後、ここまで公共機関を利用して移動してきた一同とは別のルートで現れたのはセレスティ・カーニンガム。
 定番の漆黒の車から優雅に降り立つと、そのまま金に染まった空を仰ぎ見た。
 視力の弱い彼では、その色合いはかろうじて感じられる程度。しかし視覚以外の五感で感じる気配も、違えることなどありようがないほどの濃厚な秋の色。不可思議な力の干渉を許していない、木々そのものの意思。
「ま、深いことは考えなくてもいいんじゃありませんか? せっかくだからこの風景を楽しみましょうよ」
 いつの間に己のポジションを決めたのか。
 眺望を楽しむために置かれたらしいベンチには、既にタブレット型のノートパソコンを広げた藤田あやこが幅をきかせていた。
 不思議なことに興味がないわけではないけれど、それを逐一追求していては身がもたない。何せ彼女の成り立ちにも少なくない謎が秘められているのだから。
 それならば、目の前にあるものを素直に感嘆し、純粋に楽しめばいいではないか。
 秋物のジャケットに少しフェミニンなラインのスカートという今日のあやこの風情とは趣を異にするものの、彼女は男性物のブランドを立ち上げるほどの優れた感性の持ち主。さっそくパソコンに向かって都会に舞い降りた秋の女神たちの姿を写し取り始める。
「まぁ、それもそうね。武彦さんが危険はないって感じたんだったら、それに間違いはないでしょうし」
「あの方のそういうところは獣並みですからね」
 褒めているのか、けなしているのか。当の武彦の姿が未だここにないのを良いことに、シュラインとセレスティが肩をそびやかして笑いあう。
「せっかくだもの、紅葉狩りを十分に楽しむことにしましょ」
「そうですね」
「……って、なんで紅葉狩りって言うの? 何を狩るの?」
 馴染みの二人の間に、ふっと疑問を投じたのはコータ。どうやら彼にとっては、何故ここだけ一足先に紅葉が訪れたのか、ということより『紅葉狩りは何を狩る?』という疑問の方が大事だったらしい。
 しきりに首を傾げては、「ね? ね? なんでだろう?」とセレスティとシュラインを疑問の渦に巻き込みながら唇を尖らせる。
「確かに……なんでかしら?」
「言われてみれば――そうですね」
「それはですね、『狩り』という言葉が自然を眺めることにも使われるからですよ」
 不意に混ざった新たな人物の声。
 その人物の姿を確認する前に、さらなる声が一同に降り注ぐ。
「っかー! お前らちった荷物持てってんだっ! あのなぁ、俺はお弁当運び係りじゃないんだぞっ!!」
 明らかな怒気を孕んだ声。その主は言わずもがなの草間武彦。そんな彼の両手には、随分と重量がありそうな大きな買い物袋。背にはキャンプに出向くようなサイズのリュック。
 いったいどんな貧乏くじを引いたのか。
 どうやら彼は女性陣が用意してきた大量のお弁当を運ぶ役目を、一手に担わされていたらしい。
「あぁ、ちょうどいいところに。申し訳ありませんが草間さん、ついでに私の荷物も車から降ろして頂けませんか?」
 にーっこり、と。セレスティが微笑む音が聞こえたような錯覚が、武彦を襲う。
「草間さんはみんなのアイドルのようね」
 もうどうにでもしてくれと、がっくり肩を落とした武彦の耳に、あやこの堪えきれない笑い声が響く。
「ははは、今日はとても賑やかですね?」
 そんなやり取りを眺めながら、先ほどのコータの疑問に答えを返した青年は、柔らかく表情を緩ませた。


「それにしても、豪華ですね」
 山崎と名乗った青年は、眼前に広げられた『お弁当』に目を白黒させている。
 それもそのはず。
 彼らの眼前に広がるのは、『お弁当』の領域をはるかに凌駕したスペシャルランチ。
「ふふふ、せっかくの紅葉狩りだもの。これくらいは、ね?」
 そう言いながらシュラインは、用意してきた紙皿に山崎の分をひょいひょいっと取り分ける。
 彼女が広げたのは5段になった重箱。それに所狭しと、それでいて色取りを十分に配慮してつめられていたのは、南瓜の揚げ物に栗おこわ。秋刀魚の南蛮漬けに里芋の煮っ転がし、水菜の胡麻和えに玉子巻き。それからさらに和風ピクルスにお漬物、チーズに自家製の鳥ハム。家庭の味を基本として押さえつつ、それでいてお酒のお供も忘れない小粋な奥様心遣い満載の品々だった。
「もし寒かったらこれ、使ってね?」
 その上、肌寒い時用にと膝掛けも準備万端。その横には食後のデザートを納めたタッパに、あったかい珈琲入りの魔法瓶に、公共マナーを配慮した携帯灰皿にゴミ袋までがスタンバイ。
 これをほぼ一人で運ばされた武彦は、さっそく携帯灰皿にお世話になりつつ、セレスティが厳選した食前酒代わりのワインに舌鼓を打っていた。
「あぁ、草間さん。タバコと一緒では本来の味が分からなくなってしまいますよ?」
「いいじゃないか。一番美味いと感じる瞬間は、人それぞれなんだからさ」
 仕方のない人ですね、と言葉では嘯きつつ、セレスティはワインを山崎にも勧める。もちろん、ワインが注がれているのは高級そうなクリスタルのグラス。
 手を滑らせたらとんでもないことになりそうで、山崎はおっかなびっくりでそれを遠慮がちに受け取った。
「お昼からお酒って、贅沢ですね」
 嫌味ではなく、心の底からの感嘆を込めてそう言ったのだろう。ほわりとした微笑には、彼の人の良さがにじみ出る。
「そーそー、至福の一時ってね。大丈夫、こいつにとっちゃたいした贅沢じゃないはずだから、あんたも遠慮なく飲めよ」
「武彦さん、お昼から飲みすぎはダメよ」
「そうです。それにそんな暴飲が出来るほどもってきてはいませんよ。せっかくうちのシェフが心を込めてつくってくれたランチの味が分からなくなったらどうするんです」
 その言葉を合図に、セレスティの持って来た品々のセッティングフォローに回っていたコータが、大きなバスケットを皆の目の前に押し出す。どこかおごそかな雰囲気さえ湛えているその中身は、各界のセレブ御用達一流ホテルが用意してくれたようなお弁当。
「うわー! フォアグラのサンドイッチなんて俺初めて見たよ!!」
 自分が持っていたものの中にそんな秘密があったとは! と目を輝かせたコータは、いの一番で贅沢サンドイッチに手を伸ばす。
「こっちも程よく温まったわよ」
 いったいどれだけの品数が出てくるのか。
 今度はあやこができたてほやほやの湯気が出ている土瓶を差し出した。もちろん、秋の味覚の王様を使った一品、松茸の土瓶蒸しである。
「牛フィレの照り焼きも温かいうちに食べてね」
「え? え? なんでジュージューいってるんですか?」
 新たにあやこが差し出した紙皿の上では、今まさに焼きあがったばかりという風情の牛肉が、食欲をそそる音を立てていた。
 火を起こした形跡など、どこにもないのに。山崎はワイングラスを手にしたまま、肉とあやこの顔を交互に眺めて、これでもかとばかりに目を見開く。
「それは企業秘密♪」
 魔法の呪文で温めたとはさすがに言えず、あやこは次なる力作のお披露目に山崎の意識を誘い込む。
「よかったら秋刀魚の酢〆も食べてね。ちょうどよく漬かってるから美味しいはずよ。それに銀杏豆腐もあるから。ほら、季節ぴったりでしょ」
「でもこれ5人で食べきっちゃったら、食べ過ぎにならない? いくら食欲の秋でもさ」
 広げに広げられた品数は、もう数え切れないくらい。
 ある種、壮絶感を漂わせる風景に、しっかりご相伴にあずかりながらもコータがぼそりと呟く。
「そうなのよ……それが最大の問題なのよねぇ」
 自分の腹具合を案ずるようにさするコータの言葉に、真っ先に言葉に反応したあやこは、しみじみとした長い長い溜息をつきながら両手を頬に当てて、視線をどこか遠い世界へ彷徨わせる。
「紅葉っていったら秋の代名詞でしょ? 私ってば紅葉のてんぷらとか紅葉饅頭とかしか、私知らなかったのよね」
 秋になったら木の葉が色づき、やがて散っていくのは当然のこと。改めてそれらを感慨深く眺めようという思いに駆られるのは、普段それらに接していない人々のすることで。日常的に共にあれば、それもまたごく自然の流れとして生活の中のリズムに埋没してしまう。
 そんな中で育まれたあやこの、心に深く刻まれている秋はと言うと。
「高校の時、カナダに修学旅行にいったのよね……」
 さり気なく、カロリーが低そうなお漬物をつまみつつ、あやこは過ぎた時節に思いを馳せる。
 それは彼女がまだ学生だった頃。
 修学旅行で訪れたカナダ。カナダといえば、そうメープルシロップの本場。国旗にもそのことを高々と歌い上げるようなメープルリーフが見事な赤に色づいている。
「メープルシロップって、サトウカエデの樹液を煮詰めたものなんですよね。私、そのこと全然知らなくって。なんて言うか、紅葉の思わぬ用途に目から鱗で」
 当時のことを思い出してか、頬を淡い紅に染めながらあやこが手近な楓の葉に手を伸ばす。
 都会の真ん中、他より一足先に舞い降りた秋の使者。綺麗だな、とは思うけれど。同時にこみ上げてくるのは、甘いメープルシロップとは真逆に位置する少し苦い思い出。
 皆が興味津々で話を聞き始めたのも分かるから、話をここで止めるわけにもいかなくて。
「まぁ、それで。なんていうか旅行の間中、ホットケーキとかワッフルとかにはまりまくっちゃって。ほら、やっぱり美味しいじゃない。出会いからして新鮮だったせいで、その勢いたるやすさまじく……」
「あぁ、なるほどね」
 ごにょごにょと語尾を言いよどむあやこに、シュラインが「なるほど」と深い頷きを返す。
「分かるわぁ……その気持ちと、事の顛末」
「あ! 食べ過ぎて太っちゃったんっすね!」
 皆まで語りつくす事無く分かり合っていた女性の間に、やっと会話の前後の脈絡が通じた! と威勢よくコータがダイブ。しかも、敢えて避けていた禁句を、まるで宝物を発見したかのように嬉々としてぶら下げて。
 自然、反らされる残りの男性陣の視線。言っちゃいけない、今の台詞は。妙齢の女性に向かってストレートどころか変化球でも投じちゃいけない、絶体絶命どんぴしゃり。
「……まぁね。かる〜く2キロくらいよ。その後、日本の紅葉眺めながら優雅にランニングに励んだわよ」
 ぶちっと短い断裂音。
 ぐっと握り締められたあやこの掌中には、遠い日をしのぶ赤い色。
 そしてそれを振り切るように、彼女はカエデの葉をコータに向かって投げつけた。
「へ? これくれるっすか?」
「どうぞどうぞ、遠慮なく。どうせなら脂肪もオマケにしてあげたいわ」
 あやこの語尾にどす黒く染まったハートマークが見え隠れ。しかしそれに気付いた風ではないコータは、からからと笑いながら「やだなぁ、脂肪なんて豚や牛じゃないんだから」とさらなる爆弾発言を投下する。
 ぴきりと一帯の空気が凍りつく。
「ははは、キミは本当に元気がよくてうらやましいですね」
 このままでは折角の食事が不味くなる。それどころか女性二人の機嫌が果てのない世界まで落ち込んでしまうと察したセレスティが、そっとコータの腕を引く。
 そしてすかさず話の流れを自身の元へと引き寄せる。
「これくらいの腕っ節があれば、ハロウィンのランタンを作るのも簡単でしょうね」
「お、やっぱり外国育ちは違うね。セレスティのとこはやっぱりそういう文化が定着してるのか?」
「最近は日本でも流行しだしましたけどね。でも手作りってのはそうそうないですよ」
 間髪入れずに入る、武彦と山崎の合いの手。二人はわざとらしいほどの笑顔を作り、ほらほらとあやことシュラインをセレスティの話の中に引っ張り込む。
「そうね……最近じゃ、学校行事なんかでも取り入れてるところがあるって聞くけれど」
「街のディスプレイも10月後半になると、黒とオレンジに染まるもんね」
 いつまでもコータを睨んでいても仕方ないと思ったのか、それとも唐突な話の変化にきょとんとしているコータを憎みきれなくなったのか。明らかに意図的に話の流れを変えようとしている男たちの計らいに、女性二人は顔を見合わせ小さく笑んだ。
 降り注ぐ、穏やかな秋の日差し。
 きらきらと輝く水面、その上を泳ぐように渡った風が、さらさらと木々の葉を揺らす。
「そうですね。日本にも随分と定着した感じがありますし……私もハロウィンが嫌いなわけではないんですよ。本来はもっと地味なものなんですけどね?」
 穏やかな落ち着きが戻ってきたのを肌で感じ、セレスティはコータの腕から手を離す。そうして身振り手振りを加えながら、彼にしては珍しい悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「ハロウィンの季節になると、何かとパンプキンなのは別に構わないんですよ。でもね、一つだけ困ったことがあるんです」
 声のボリュームを一段階落とす。
 まるで誰にも知られたくない秘密を打ち明けるように。少しだけ首を前に突き出せば、残りの5人の顔が自然と近付く。
「ご存知です? あの南瓜の中身をくりぬくっていのはちょっとした重労働なんですよ! おかげで筋肉痛というものを経験してしまいました」
 食器類よりも重いものを持つのが似合わないほどの優雅さを、その身に常に纏うのがセレスティ。初見の山崎も、暫し気配に圧倒されて戸惑うほどだった。
 そんなセレスティが筋肉痛。
 しかも、ハロウィンのランタンを作るために南瓜と格闘をして。
「……なんて言うか」
「すごいな」
 セレスティと最も馴染みの深い武彦とシュラインの口から驚愕とも感嘆ともつかない溜息が零れる。
「……似合わない――って言っちゃったら失礼かな?」
 あやこはまじまじとセレスティを上から下までじっくり眺めて、結論に到達した。
 今の自分の体も華奢なことは百も承知だが、それを分かっていてなおセレスティほど力仕事と――強いては筋肉痛とは無縁に思える存在は地球上に存在しないのじゃないかと思ってしまう。
「やっぱり、そう思います?」
 周囲の反応が予想通りだったのだろう。一抹の寂しさをわざとらしく眉根のあたりに滲ませたセレスティが、一人ひとりの顔をじっくりうかがい見る。
 ひたりと視線を合わせられた山崎も、戸惑うように視線を左右に揺らしながら「確かに……そうかもしれません」と遠慮がちな小声でもらす。
「なーんだ、それだったら俺のこと呼んでくれりゃいいじゃん。そういうことだったら、いつだも役にたつよ、俺♪」
 最後に目があったコータは、なにやら思い出したように自分で持ってきた大きな鞄の中をごそごそと漁り出した。
 が、途中で面倒くさくなったのか、鞄をひっくり返す。
 転がりだしたのは、プリンの山。
 コンビニで買ったらしいものから、ちょっとした名店のものらしいものまで。その中から、コータはひょいっと一際シンプルな包装のプリンを摘み上げた。
「これ、俺が作ったの。手先の器用さならどんと来いだ♪」
「それは――心強いですね」
 満面の笑顔に受けて立たれたセレスティ。意外な切り替えしで少々驚いたが、コータの快活な気が心地よくて、今度は自然な笑みがあふれ出した。
「……ていうか、このプリンの山は何?」
 そんなほのぼの空気のすぐ隣で、再び女性二人が凍りつく。
「え? 今日のデザートに決まってるじゃないっすか♪ 俺、プリンには目がなくって。みんなも遠慮なく食べちゃって!」
 えへえへとプリンを前に弾けんばかりの笑顔を振りまくコータ。だが、彼のそんな様子とは裏腹に、あやこの頬は引きつり、シュラインの眉間には深い皺が刻まれる。
 これを全てたいらげたら、いったいどれだけの肉が自分のお腹に――
「つかさ。弁当の時点で十分に許容量オーバー気味だと思わんか?」
 武彦の正論は、ギンっと光ったシュラインとあやこの目力によって吹き飛ばされたのだった。


「なんだかんだで温かい飲み物が嬉しい季節になっちゃってはいるのよね」
 ほっこりとした湯気が立ち昇るティーカップを両手で握り締めるように持ちながら、シュラインが夕方の気配を匂わせだした空を眺める。
 駆け足で近付いてくる、早い夜の気配。足音が聞こえたら、それはどんな音を響かせるのだろう。
「はー! お腹いっぱい! もう食べらんなーい」
「そんな事おっしゃらずに。スコーンをあと一つ、いかがですか? 紅茶にはやはりスコーンですよ。特製のジャムもありますし」
「――頂くわ」
「甘いものは別腹っていうもんなー♪」
「コータ、つっこみはその辺にしとけよ」
 セレスティから発せられた甘い誘惑に逆らいきれなかったあやこに賛同しただけなのだが、武彦から細かなチェックが入る。そのことにほんの少しの疑問を抱きつつ、コータは最後のプリンに手を伸ばした。
「本当にプリン、好きなんですね。お手製プリンも絶品だったし」
「んー、これがあれば世界は平和って感じ?」
 ご満悦そうにカップにスプーンを差し込む姿をにこやかに眺めつつ、山崎もスコーンをご相伴に預かる。
 中に木苺のジャムを抱き込んでいたそれは、柔らかな甘みと仄かな酸味で口の中いっぱいに幸せの歌を響き渡らせた。
「そういえば紅葉って、ホントは『染まる』んじゃなくって『元に戻る』なのよね」
 ひらりひらりと舞い込んできたのは、黄色い銀杏の葉。
 武彦の頭に不時着したそれに手を伸ばし、シュラインは思い出したように呟いた。
「へ? そうなんだ?」
「えぇ。葉緑素を必要としない季節になったら、それが抜け落ちちゃって本来の葉が持つ色が出てくるんだそうよ」
 目の前に黄色の葉をかざす。
 くるくると回して眺めると、心が幼い頃へと引き寄せられていく気がした。
「シュラインさんって物知りっすねぇ」
「ホント、私もそれは知らなかったわ。秋って意外なことのてんこ盛りね」
 それぞれに食後のデザートに舌鼓を打ちながら、あやことコータが素直にシュラインの博識ぶりを評価する。
 そんな二人に、当の本人は照れたように首を振った。
「私も知ったのは偶然なのよ。ずっと子供な頃だったし、忘れちゃっててもおかしくない記憶なんだけど」
 手を高く掲げ、シュラインは握っていた銀杏の葉を離す。秋の妖精は、一陣の風を受けて再び空へと舞い戻る。
「小学校に上がる前のことなんだけど。事故の後遺症で吃音が酷い時期があったのね」
 当時を思い出すように、シュラインは自らの喉をそっと押さえた。
 今は声だけでなく様々な音さえも自由自在に模倣できるように器用な喉。昔々の自分が今の私を見たら、いったいどんな気持ちになるのだろう。
「その時期にちょうどこの話を聞いて。すごく新鮮に感じたの。ほら、秋っていったら物悲しいイメージがあるでしょ? でも本当は隠していた本当の姿を見せてくれる季節なんだって思ったら……愛おしく感じるじゃない?」
 事故、というシュラインの言葉に何かを感じ取ったのかもしれない。
 どこか労わるような雰囲気に変わったのを察し、シュラインは最後をことさら明るく晴れやかな笑顔で締めくくる。
 痛みを抱えない人間など、おそらく皆無だろう。
 しかし時の流れと、悲しみや切なさを埋め尽くすほどの温かな記憶が、全てを優しく覆い尽くしてくれる。寒い季節を間近に控えた大地を、数え切れないほどの落ち葉が柔らかく抱きしめていくのによく似て。
「そういえばコータ君は秋の思い出ってないの? なんだか好きそうじゃない、木に登ったり山を駆けたりするの」
 予想外のところで話をふられたコータが、シュラインの話の余韻を引きずったまま、顔を上げる。
 そのまま暫く考え込み、プリンの最後の一欠けらを口に放りこんでからにかっと笑う。
「多すぎて逆に思いつかないかな。っていうか、今日のこの紅葉狩りが俺的最新の秋の思い出確定で!」
 どうだ、とばかりに人差し指をつきだし声を上げる姿に、シュラインとあやこが目を細めた。
 色々と痛いところを刺激されたコータだが、その明るさと素直さは、十分なプラス評価だ。なんとなく、これまで彼が過ごしてきた中で、コータがどれほど周囲の人々に好意を抱かれていたか垣間見える気がする。
「ところで山崎さんは何かないのですか?」
 最後にお鉢が回ってくることを覚悟していたのか、それまで静観していたセレスティに視線を向けられた山崎は、はにかむように俯いた。
 それから、全てを慈しむように空を振り仰ぐ。
「僕はこうやって自然に囲まれるのが好きなんで、だからこんな風に誰かと楽しい時間を過ごしながら、綺麗な紅葉を眺められるのが一番幸せで、一番贅沢なことだと思います。だからこれまでの秋の思い出も、そんな感じですよ」
 決して多くを語ったわけではないが。
 ただその言葉だけで、彼がどれだけ自然を愛しているかがよくわかった。おそらくは、もっともっと緑の多いところで育ったのだろう。
 それだけに今ある生活に隣接する木々や環境を、大事にしているに違いない。
「だからこの一足早い紅葉も、今日という日を神様がプレゼントするために用意してくれたみたいで、たまらなく嬉しいんですよ」
 偶然が生んだ人生の交差。
 たまたま通りかかった武彦に尋ねられ、そして情報を提供したことが始まり、予想だにしていなかった休日を過ごすことが出来た奇跡。人はそれを小さな幸せと言うかもしれない。けれど、山崎が愛しているのはそんな小さな幸福と、それを包み込む自然たち。
「今日は素敵な時間をありがとうございました」
 そう微笑んだ山崎の表情は、彼を見下ろす木々たちも思わず照れてしまいそうなほどに柔らかく甘やかだった。


「よし、完成っと」
 『紅葉完成品』と名前をつけてファイルを保存し、あやこはにっこりと笑んだ。
 彼女の手元のタブレット型パソコンには、一枚の絵が完成していた。
 主役はもちろん、赤や黄色に色づいた木々。そしてさらに目を引くのは、柔らかな青に始まり、突き抜けるような濃い青、そして茜色へとグラデーションしていく空の色。
 あやこはありのままの状態を表現した。つまり、時間の経過が絵の中に込められたのだ。
「キレイですね」
 不意に頭上から声をかけられ、あやこは首を仰け反らせて背後を仰ぎ見る。
 そこには豪華ランチを共にした山崎の姿。
「帰ったんじゃなかったの?」
「一度は。でも夕飯の買い出しに行くときにあなたの姿が見えたので」
 そう言いながらも山崎は、あやこの手元を覗き込む。薄暗くなりかけた世界に、ディスプレイの放つ光が、彼女が生み出した色彩をより鮮明に浮き上がらせる。
「なんか幻想的ですよね。一日の風景がぎゅーっとつめこまれてて」
「ありがと。納得いくまで時間をかけた甲斐はあったかな?」
「それはもう、勿論!」
 山崎の絶賛をまんざらでもなく受け止めながら、あやこは頬をかく。と、随分冷たくなった体温に、時間の経過を実感した。
「はい、これどうぞ」
 流石に寒いわね――そうあやこが思ったのを見越したのか、絶妙のタイミングで山崎が手に下げていた買い物袋から何かを取り出す。
「今日の昼食のお礼です。とは言ってもそこの自販機で買ったやつなんですけど」
 照れたように笑う山崎から、あやこの手へ渡されたのはコーンポタージュの缶。買いたての時は随分熱いはずなのに、口にしたそれはとても心地よい温度で。
「せっかくだから、これいります?」
「あ。ぜひ!」
 データ送付のメールアドレスを交換しながら、あやこは温かな飲み物の恋しさに秋の深まりを感じるのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/ 女 /
    26 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム/ 男 /
    725 /財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4778/清水・コータ(しみず・こーた)/ 男 /
    20 /便利屋】
【7061/藤田・あやこ(ふじた・あやこ)/ 女 /
    24 /IO2オカルティックサイエンティスト】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。初めまして、もしくは毎度お世話になっておりますWRの観空ハツキです。
 この度は、『そうだ、紅葉狩りに行こう』にご参加頂きましてありがとうございました。
 気が付けば、平野部でも普通に紅葉している季節になってしまいまして――書いている間に流れた月日をしみじみ感を漂わせまくっております。
 我が家の近所では、今まさに見ごろのようで。近所の神社の銀杏の大木が、それは見事な金色に染まっていて圧巻です。

 藤田・あやこ様
 初めまして! この度はご参加下さりありがとうございました。納品がぎりぎりで申し訳ないです。これも観空仕様ということで(汗)
 素晴らしいお弁当に、ずっしり胸に迫る思い出話。色々な意味であやこさんは感情どっぷり入りながら書かせて頂きました。勢いあまりイメージを壊してしまっておりましたら申し訳ございません。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたら公式フォーム等からお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回はご参加頂きありがとうございました。