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<東京怪談・PCゲームノベル>


赤の鈴 〜赤し・灯し・証〜

 あなたがほしいあなたがほしいあなたがほしい。
 あなただけがほしい、だから。
 ──── ほかにはなにも、いらない 。


*******************


「以前よりも、大変な状態のようですね」
 その言葉とは裏腹に態度はひどく落ち着いたもの。
 彼の人からの熱風にそよぐ髪を軽く押さえ、綾和泉汐耶は眼前に迫り来る状況を冷静に見つめていた。
「お久しぶりです。お変わりないようで」
「ああ、そっちも息災のようで安心した。今回も見事に鈴を手中に収めてくれ。期待してるぜ、汐耶」
「では少し、退っていてもらえますか。巻き込まれてからでは、助けにくいので」
「正論だ。承知したぜ」
 ハッ、と征史朗が声を上げて笑う。何故このタイミングで笑うのか理解しかねて眉を寄せるが、指示通りに彼が後方へと移動してくれたのでまあ良しとしよう。
 銀縁のブリッジを押し上げたのは気無しに。ただの硝子越しに夜の暗がりを注視すれば、池の中を一歩一歩近づいて来る赤い衣の人。纏う炎はますます勢い盛んで、火の舌先がとぐろを巻いて立ち昇り、宛らそれは竜巻の様。彼の人の身を中心に、炎の嵐が渦巻いていた。
 彼の人は、両腕をだらりと肩からぶら下げゆるりとした足取り。心持ち顎を上向けたその表情が焔の明かりで見て取れて、それは薄っすら微笑っていた。目を細めて唇を横に引き、口角に媚態を含ませた嫌らしい笑み方。にたぁ、と恍惚とも取れる表情に、汐耶は少々不快感を覚える。
 そうして凝視めていて、気付いた。目が、何かおかしい。……ああ、そうか。
「その左目、どうされましたか」
 初めてかけたのはそんな言葉だった。
 彼の人の左目は先ほどから瞼が持ち上がっていない。縫い合わせられたかのその閉じ方、汐耶は察した。あれは恐らく光を、失っている。
『……嬉しい』
 と、彼の人が腕を伸ばし、それを大仰に自身へと巻きつけながら甘く呟く。
『あなた、案じてくださった……嬉しい、わたしは、嬉しい』
「いえ、そういった意図はありませんが」
『嬉しい、あなた……』
 彼の人が歩みを止め、ぎゅうと自身を抱き締める。愛しそうに、抱く。
 陶酔し切ったかの声音、そして幸福の表情は、こちらの言葉や視線を正しく受け止めているとは思えない。自身の築いた城の中で、自身の描いた夢だけに浸っている。
 自分はそういった我侭を今までに何度か目にしてきた、独りきりで世界が完結してしまっている、円環を閉じてしまっているからこその──無垢の仮面を被った、狂暴。
 耽溺、という言葉が脳裏を過ぎる。そういうことかと、汐耶は彼の人を“理解”した。
「力尽くも、出来なくはないんですけれど」
 轟、轟。炎を孕む風の音が強くなっていく。右足を引いて半身に、構える。
「どの道いただくのならば、きちんといただいたほうが善いでしょうしね」
「って、冷静貫いてくれるのは心強いが、汐耶」
 背中から征史朗が呼びかける。
 彼の人の髪に結ばれた鈴が一際高く鳴った。
「来るぜ」

 ──── “ 燐 ”。

 爆発的に風が巻き起こる。竜巻は螺旋状に周囲へと広がり、痛いほどに熱い突風が汐耶を襲う。
 咄嗟に両腕を交差して顔の前へ、踵に力を入れて持ちこたえたがバサバサバサッと髪や服の裾がはためいて、激しく蹴立てられる水面と飛沫。思わずきつく目を瞑った。
「!」
 次に双眸を開いた時には鼻の先に影。鴉の濡れ羽を思わす長い髪に、蝶の影を黒く染めた赤い着物、“燐”という音を聞くと同時に汐耶の身体は彼の人の懐へと乱暴に抱き込まれる。
 抗う暇も無い。ちりり、と髪が焦げる匂い。一瞬、息が止まる。
『お慕いしておりましたあなた、あなたが恋しいあなたが愛しい。あなた以外は要りませぬ、嗚呼……あなた』
 轟、と吹き荒ぶ風の音。抱き寄せられた時に刹那火の舌先を感じたが、どうやら彼の人自身が発火しているわけではないらしい。証拠に自分は燃えていない。
 ────ならば、この風が火を纏うのか。
 汐耶は彼の人の腕の中、胸に押し付けられた頬を無理矢理捻り、突風に枝ごと揺すられている木々の並びと、その梢に向かって飛んでいく千切れ火の乱舞をぐるり、見渡す。肩越しに背後にいたはずの彼を探したが見つけられない。風に悲鳴は混じらなかったから、身を隠して無事でいると判断してよいものか。
『あなた以外は燃やしましょう。あなた以外は燃えてください。……ねえ、あなたもそう、望んでくださいますよね?』
「……言葉ならびに行動、自分勝手ですね」
 ぐ、と彼の人押し退けようと手に力を籠める。逆に彼の人は引き寄せる力を強めた。自分が押し切れないとはこの細腕、なかなかに手強い、さてどうしよう。
 と、覗き込まれる視線に気付いて、その近さ、首を捻って目を逸らす。視界の片隅、眼前に濁って煌く片目があった。はあ、と彼の人の吐息すら聞こえる距離。あの嫌らしい微笑が、すぐ鼻の先。
『睦言を、囁いてくださいます?』
「遠慮します」
 彼の人が自分を抱き締めたまま、池の中心へを後ずさる。引き擦り込まれて膝まで池に浸かった。すり鉢状になっているのか中央付近は思ったより深い。
 息苦しさに、掴んだ赤い袖へとぎりり、爪を立てる。正直喋るのが困難な圧迫感だが、仕方ない。
「な、まえは?」
『え?』
「名前、教えて、くれますか」
 オオ、と突然彼の人が呻いた。恐らく、歓喜と喜悦に。
『嬉しい、嬉しい、あなたがわたしを知ってくださろうとする。何を捧げても、光を捧げて証を見せてすらわたしに振り向いてくださらなかったあなたがわたしを、わたしの名を……嬉しい』

 ────けれど、ごめんなさい。

 彼の人の両手が無造作に頬を包んだ。ぐいと引き上げられて、視線を逸らせないほど間近で固定される。
 見張り、瞳孔まで開いた一つ目が迫る。紅を引いた唇が笑みを象ったまま耳の下にまで裂けていき、その隙間から舌先がしゅうぅと、まるでくちなわの様に伸ばされて。
『名は、捨てました。人であることを捨てた時に、嗚呼、あなたのタメにこンな姿にナってしマッた時に、捨テまシタぁァ』

「……“解り”ました」

 そう言って汐耶の瞼が伏せられた瞬間、その足元から波紋の形で池の水がざあっと波立った。
 竜巻の軌跡を押し潰し嘗め尽くし、汀にまで到達した波は端で一際大きく跳ねる。ざあんっ。飛沫が風渦巻く中空へと直立し、頂点を極め、そして次の瞬間、重力を無視して円の中心へと一斉に襲い掛かった。
『なっ……!』
 彼の人は咄嗟に上空を、自分目掛けて落下してくる波を驚愕の眸で見上げる。その隙を汐耶は突いた。
『あア……!』
 彼の人の拘束を振り解き、ドン、とその胸を押す。
 突き飛ばされた表情は苦悶の歪み、汐耶へ伸ばした指先は空を切る。あなた、と口走った紅の唇の動きだけが見えて、声は、叩きつける水の轟音に呑み込まれ、身体共々水底へと沈んだ。


*******************


 あなたはひどいあなたはひどいあなたはひどい。
 あなたどうしてそんなにつめたいの、ならば。
 ──── ほかにはだれも、いらない 。


*******************


 彼の人を池に沈めた後、汐耶は背後の木々を見回した。火が飛ぶ様を目にしたが、今のところ葉や枝を燃え落としている木は見つけられない。何故? 風は凄まじかったものの火は到達せず、ということか。
 それとも────。
「何をしたのか、訊ねて良いものか?」
 男の声は案外近くで聞こえた。
 数メートル離れた水の中、全身濡れ鼠の征史朗が尻餅をついた格好で、額に張り付いた髪を掻き上げていた。
 汐耶は少々目を瞠る。大の大人が、なんてまあ。
「ああこれか。そりゃあおまえ、嵐の中火が飛んで来てみろよ、水に逃げるのは道理じゃねえか」
「それもそうですね、賢明な判断でした」
 納得に頷いて、征史朗に答える。封印したんです、と。
「嵯峨野さんと同じですよ、火に水をかけたまで。水があったのでそれを媒体にあの人の炎を封印しました。……ということですよ、あなたも、解りましたか?」
 ぱしゃん、と水を拳で打ち付ける音がした。
 汐耶が視線を向けた先に、征史朗と同じく、いやそれ以上に水浸しとなった彼の人が池に半身を沈めている。手足を突いて、ぱしゃんぱしゃん、恨めしそうに隻眼で睨みつけながら、ぱしゃんぱしゃんと水面を砧の如く打つ。先ほどまで裂けていた口は、元の、紅をさした小振りの唇に戻っていた。
「説得と言うか、会話すら侭ならないうちに襲われましたからね。ある程度は抑えさせてもらいました」
『ひどい人……あなたへの想いの焔を消してしまうだなんて、嗚呼、あなたはひどい』
 オオオ、と今度は悲嘆の声を上げて彼の人が顔を覆う。その腕からまた風が巻き起こり、そこに赤い火が絡み付き──かけたところで掻き消える。濡れた彼の人の身体は最早、水の鎖に縛られているも同じだった。
「答えてほしいんですけれど」
 スラックスが益々濡れていくのを厭わずに、爪先で水を掻き分けながら汐耶は彼の人に歩み寄る。腕を組み、赤い空に舞う黒い蝶と、黒髪の中で光る紅玉の輝きを見下ろしながら続けた。
「“あなた”って、誰ですか。私に誰かを重ねて、見ているんですね?」
『あなたは……だって、あなた』
「私には綾和泉汐耶という名があります。そちらのように名前を捨ててしまってはいませんから、“あなた”なんて呼ばれても、返事はしません。
 それより何より、教えてほしいですね。燃えてほしいとのことですが、何の理由も無しには納得いきません。正当な理由を、お伺いしたいものです」

 ────見上げる瞳と濡れそぼつ唇が、ふるりと震えた。

『……やっぱり、“あなた”はひどい人』


*******************


 どうしてもどうしてもと、焦がれたあなたがおりました。
 産み落とされてより独りきりであったわたしを、あなたは拾い育ててくれた。
 この世の理、情と機微。あなたはわたしに世界を教えてくれた。
 だから、わたしの世界はあなただった。

 わたしはあなたの世界になりたくて、あなたに言葉を尽くして懇願した。
 どうぞどうぞ、わたしをあなたのものに。

 ────あなたを、わたしのものに。


『 だのにあなたはこう言った 』


 私はいけないよ。
 身が病にね、冒されている。
 もうすぐ旅立つ死に体を求めては、おまえまで斃れてしまう。
 だから、もっと善い人を、おまえを最期まで見届けてくれる人を探しなさい。
 おまえの瞳は二つある。私だけを見ていては、いけないよ。


『あなたはひどい人。わたしの想いだけでなく、自身の価値まで否定した。
 わたしの愛したあなたを否定した ────だから、願った』

 わたしとあなた以外、燃えて消えて、なくなってしまえばいい。
 そうすればあなた、わたしにそんな冷たい言葉をかけなくて済む。
 あなたの他の人をだなんて、そんな無体なことをわたしに告げずに済む。
 そうでしょう?


*******************


「阿呆だなおまえは。そりゃあ、女フる時の常套句じゃねえか」
 あまりに直球な感想を漏らした征史朗に、汐耶は眉を寄せひとつ息を吐く。
「嵯峨野さん、余計なことを仰って燃やされても、助けませんよ?」
「おまえが封印、してるんだろ? おまえは正しいことを口にするからな、虚言はないと俺は踏んでいる」
「解除も出来ますが」
「ハハ、じゃあどうやっておまえを口説いたら物騒なこと言わないでくれるか、教えてほしいな」
「黙っていてください」
 軽口をいなして、彼の人に向き直る。
 赤い人は声を上げて泣いている。宇津保の瞳からも透明な雫は流れ出づるのかと、そんなところに目を留めた。
『あなた以外燃やしたんです……皆、皆、あなたとわたしの周り、総てを燃やした。
 あなたは驚いて、わたしの前で泣いた。悲しそうに、寂しそうに、辛そうに。
 ねえ、どうしてですかあなた。これでもわたしを受け入れてくれませんか。……この目を、』
 ずるり、と左手が頬を滑り落ち、閉じたままの瞼が露になる。
『この目すら、あなたへの証にと抉り、捧げましたのに。
 あなた以外見る必要はないと、あなたを映すだけにしましたのに』
 下唇が小刻みにわなないて、────ぽかり。開いた瞼の下より、空の眼窩が現れた。
 暗い暗い小さな闇、突きつける様に見せつけてくる彼の人の、哀れとすら形容できる懇願の仕草。
 汐耶は暫しそれを凝視めた後、力なく首を横に振った。
「……そうやって、自分勝手に重い荷を、相手に負わせたのね」
 そう呟いただけで汐耶は視線を彼の人から逸らし、天を仰ぎ見た。
 空に月、彼方に黒い金堂の陰、そして地には水晶と紛う水銀色の池。光と闇と彩りと、そして目の前に──視線を戻して、赤い人。

 赤。

 赤は、強い色だ。
 彼の人の想いもまた強く揺るぎ無く、故に、相手だけでなく自らを傷つけてもなお止まない。名を捨て人の姿を崩しても止め処なく、燃え盛ること果て無い想い────執着。
「そうだ、その執着を、俺は欲するんだ」
 不意に、征史朗が言葉を投げ入れた。
 何時にない熱をその口調から感じたのは、恐らく勘違いではなかったのだろう。
「この世にあるありとあらゆるモノは、総て、人の想いより創られる。それが呪いであれ祝いであれ、人の想いが満ちるからこそモノは際限なく、美しい。俺の作る人形も、俺の願いを何時だって酌んでくれるからこそ、美しい」
 一息に言い切った彼が続ける、汐耶おまえは“ヒトガタ”というものを知っているか?
「何処かで聞いたか読んだような気もしますが、詳しくは」
「ならば教えてやろう。ヒトガタとは、つまりは“人形”。体温・内臓を持たない以外はほぼ人間と変わりないが、意志を持ち思考をし、感情がある。人形よりはヒトに近い、しかしヒトよりもずっと美しく、ヒトの目を愉しませるために生まれた至高の人形。俺は、それを作っているんだ」
「人形職人ということですか?」
「まあ簡単に言うとそういうことだな。俗には区別して、ヒトガタ師と呼ばれている。──尤も、それを生業としているのは、最早俺しかいないわけだが」
「今度、文献を探してみましょう。……それで、この状況で私に説明した理由は何でしょう?」
 ハハッ、とまた征史朗が声を立てて笑う。
「そうだな。強いて言えば……俺を識って欲しかった、で、いいか?」
「……構いませんけれど」
 髪を一振り、雫を飛ばし、彼は立ち上がると岸へと上がり腰を下ろした。胡坐の上に肘を突いて、顎でくいと示す。
「ほら“おまえ”、熱くて赤い想いが呼んでるぜ」

『……“あなた”』

 “燐”とまた鈴が鳴った。彼の人が片膝を立て、脚に力を、身体を持ち上げて、立ち上がる。
 恋しい人を呼ばう瞳は、自分の向こうを透かし見る彼方の視線。
『“あなた”以外要りません。燃えて……燃えてください、わたしとあなたの他は、総て、』
 近づいて、歩み寄って。焦点を自分に絞らぬまま、彼の人の濡れた身体が汐耶を抱き、包んだ。
 息も出来ないほど、縋った。
『……燃やしてしまうから……どうか、わたしの想いを殺さないでください、“あなた”』
 服に肌に、水が染み渡っていく。彼の人が首筋に鼻先を埋め、柔らかな唇が鎖骨を食む。
 しかし汐耶は微動だにせず、抱き返しも、一瞥も呉れてやることもなく。
「私、言いましたよね。誰かの、何かの代わりになりたくはないんです。私は私ですもの」
『……では。では、どうすればいいのです……形代でも求めなければ、この、受け容れられず燻ったまま、燃えることも消すことも出来ないわたしの、“あなた”への……あの人への、心は』
 肩口がじわりと、滲む様に濡れていく。彼の人の重みが汐耶にかけられていく。受け留めてほしい、抱き返してほしいと幼子の様に強請る。
 そして漆黒の髪に埋もれる鈴がひとつ、孤独に鳴き続ける。燐、燐、燐 ────……。

「それは、嘘だわ」

 鈴が、止まった。
 汐耶はそのままの、甘やかさぬ声音で告げた。
「どうすればいいかと問うこと自体、あなたは嘘をついている。その答は既に、あなたの中にある。違いますか?」
『…………』
「不思議に思っていたの、燃えてほしいと炎を振りかざしながら、何故水の中を進んできたのかと。本当に燃やしたいのならば、私に説得も封印も行う隙を与えないほど早く……それこそ初めから、辺りを火の海にしていれば都合が良かったでしょうに。
 けれど、あなたはそうしていない。現に私も嵯峨野さんも無事で、あなたは今、水に封じられて火を使えない。────状況から導かれる結論は、ひとつ」
「ハナから燃やすつもりは無かった?」
 征史朗の答に、頷く。
「何でだ? そいつは想い人に深く入れ込んでいる、証に片目を取り出すくらいにな」
「私は解ったことを述べたまでですから、その先は──あなたが、説明する気があるのでしたら」
 体から彼の人の手を、腕を、丁寧に剥がしていく。あんなに縋ったそれらにはもう力は籠めらておらず、容易く離すことができた、項垂れ黙すその人を。
 手を放すと、その身は崩れる様に膝を折った。水飛沫が、ぱしゃん、上がった。
「……鈴を、呉れますか?」
 伏した面が首を横に振る。嫌、嫌、とぐずる手が己の髪の結び目を引っ掴み、鈴を引き千切った。
 黒い髪がはらり、赤い着物に広がり、散りかかる。
『これは証。“あなた”に……あの人にあげたもの。
 誰にも渡せない、渡したくない、あの人にしか、嗚呼、あなた、あなた……』
「……思うのですけれど。そんな悲しい声では、呼ばれたほうも、辛いんじゃないかしら」
『……あなた』


*******************


 赤い血に塗れた瞳と、赤い炎の燃え盛る家々を見渡して、あなたは泣いた。
 私が悪かったのだ。すまない、すまない。
 おまえを大事にしていたのに、掛け替えの無いものと慈しんでいたのに。
 幸せにしてやろうと選んだ道が、おまえを苦しめ業を負わせ、人でなくした。
 私が誤ったのだ。すまない、すまない。
 ────こんなに、おまえを愛しく思っていたのに。


*******************


『……ええ。ええ、解っていましたよ。
 愛した人にそんな風に泣かれて、どうしてこれ以上罪を重ねられましょう。どうして、涙を無碍に出来ましょう。
 こんなに、わたしだって……わたしこそ、あなたを────』

 おおお、と彼の人の悲哀に満ちた声が漏れる。
 その身から、徐々に赤い光が滲んでいくことに汐耶は気がついた。炎の色に発光して、飛び立っていく、その形は宛ら蝶の様。赤く光る彼の人の髪が、肩が腕が、指先が、身体全体が、大小無数の蝶と化して舞い上がっていく。

『……や、さま』

 と、乱れ飛ぶ蝶の中から彼の人の声が聞こえた。それは掠れた声ではあったものの、明瞭りと、汐耶の名を。

『汐耶、様……』
「……はい。何か?」
『わたしは……誤りましたか?』

 蝶が飛ぶ。赤い蝶が夜空高く、金色の、唯一の真円へ向けて飛び去っていく。
 汐耶はその、焔の如き軌跡を見上げ、餞の心持ちで呟いた。

「──── 人を好きになるのは、間違いでは、ないわ」



 総ての蝶が天空に消えた後、汐耶は水底からあの鈴を拾い上げた。数は前回と同じく、二つ。
 説明は、恐らくつけられる。
 彼の人はこれを想いの証だと言った。ならばひとつは彼の人の証、もうひとつは。
「勘が外れたな。両想いだったってことか」
 いつの間にか歩み寄って来ていた征史朗が、掌からひとつを礼も口にせずに奪っていく。傍若無人な振る舞いを見咎めるも、しかし文句は無い、そもそもこれは彼が欲していたものなのだから。
 汐耶は掌の上で鈴を転がしてみた。血潮色に燃えたままのそれからは、執心を思わせる色とは反して、澄んだ、優しい音がした。
「そういえば、この鈴ですが」
「あン?」
「何の為に集めているのですか。これで二つ目ですが、最終的には幾つなのかも疑問です」
「ああ、これは全部で四つある。つまり今回で半分だ。で、目的ってのは、俺の、」
 言い差し、突然征史朗が息を呑んだ。その表情が瞬時に凍りつく。膝ががくんと折れたのはそれとほぼ同時だった。
 和装の男は地に片膝をつき、前屈み。肩で大きく息をしている姿が、彼の尋常でない様子を容易に伝える。目の前でやおら苦しみだした男に、さすがに汐耶も呆気に取られる。どうするべきかと逡巡、せめて背中を摩らなければと、我に返ったところを征史朗は片手を上げることで制した。
「……構うな、平気だ」
 確りした口調で言い返し、それでも再び立ち上がるまでに随分と長い時間を要した。額に滲んでいる汗は、残り香ならぬ名残の熱のせいなんかじゃないだろうに、不敵な笑みを取り戻した口許が一切の問いを拒否していた。
「ああ、見苦しいところを見せたな。……そうだな、助力願っている手前だ、教えてやるから聞いてくれ」
「……わかりました」
 汐耶は追求を諦め、諾とそう頷いた。
「俺の願いは、この世で最も美しいヒトガタを作り上げることだ。俺の心の総てに答え得る、俺の、俺のために生まれる至上のモノを、俺はどうしても完成させなくちゃならない。
 その故に、ヒトガタに必要不可欠であり最も重要な材料であるこの、」
 征史朗の拳の檻の中で、鈍く音が鳴った。
「鈴を、俺は所望する。誰にも、譲らない」
 彼はにやりと口角を吊り上げる。それが俺の総てだ、そんな形に唇が動いた気もした。


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 夜の岸辺に佇むは、やはり独りきりの白い影。
 名無花は無言で川面を見遣る。総ての感情を生まれた時より持たないかの氷の面で、まどろむ半眼で河を、流れる時の刻みのみをただ見つめて。
「……まろうどよ。まろうどはその男を、真に救うこと叶うだろうか……?」
 それきり彼女は、総てを秘するかの厳かさでまた、口を閉ざした。

 ────そんな、夢を見た。


 了


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1449 / 綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや) / 女性 / 23歳 / 都立図書館司書】


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■         ライター通信          ■
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綾和泉汐耶様
こんにちは、ご無沙汰しております。ライターの辻内弥里です。
この度は当ゲームノベル「名無花の世界 〜赤の鈴〜」にご参加くださいまして誠に有難うございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
ご自身をしっかりと確立していらっしゃる汐耶さんのプレイングに、少しでも添えておりますでしょうか。今までのお付き合いの中で、汐耶さんには冷静で正確で、そして女性らしい情愛も備えていらっしゃる方、という印象を持っております。それが外れていないことを、また上手く文章に出ていることを祈ります……ナムナム。
それでは、今回はどうも、有難うございました。宜しければまた、征史朗に会いにきてやってくださいませ。