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■ 不夜城奇談〜邂逅〜 ■
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原色の照明が淋しい人々を誘う夜の街。
風が帯びた酒気は、素面ではとても耐えられないほどに強く、道行く人々の大半は右に左に体を揺らし、行きつ戻りつ、恐ろしいほどの時間を掛けて帰路につく。
中には途中で限界を迎えて倒れ込む者もいた。
――その内の一人に美嶋紅牙は近付いた。
「大丈夫かい?」
江戸っ子弁独特のイントネーションで声を掛ければ、すっかり酒に酔わされた男は片手をふらふらと揺らしながら、言葉にならない声を上げている。
「酒は飲んでも呑まれるな、ってな」
紅牙は男に肩を貸し、ゆっくりと歩を進めた。
泥酔した男を介抱する、…そう見せつつも、彼らが向かう先には夜街の明かりも届かぬ暗がりが広がるだけ。
「…再三、警告したはずだがねぇ」
「んぁ…?」
すっかり人気が失せ、風すら流れを絶つような静けさの中で紅牙は告げる。
「肉を目当てに殺した人魚の数が二十を越えちゃあ、竜神様も怒るってもんさ」
「――…ぁっ…」
男は目を見開く。
気付いたが、遅かった。
紅牙の右手指先から、まるで伸び過ぎた爪のように見えたそれは、赤い凶器。
「……!」
彼自身の気を練ることで具現化させた刃は虚空の闇に軌跡を描き、標的には傷一つ残すことなく死を与える。
身体と魂を分離させるという、異能の力。
「ぁっ…ぁ……」
カクン…と男の足が力を失って倒れるのを、紅牙は静かに見下ろす。
刃は消え、吐息は白く。
……終わった。
身体から切り離された魂は、たとえ竜神の逆鱗に触れた悪党であったとしても、長い時間を掛けつつ、死後のそれと同じ霊界の門へ流れ着くはずだ。
「最近、この手の仕事が増えたな……」
肉の塊と化した罪人に、花を手向ける代わりに一瞥をくれる。
「嫌なもんだ……」
そうして、深い吐息。
命を以って償うことが男の自業自得とはいえ、代償を払わせるために動かなければならないのは紅牙だ。
殺す事は、己が役目。
「まったくな…」
三度目の吐息と共に呟かれる言葉には、苦い笑いが混じる。
「さて…」
長居は無用と踵を返した紅牙は、明日の朝には発見されて周囲を騒がせるだろう男の遺体を置き去りに、夜の街を後にした。
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原色の明かりを背後に、どれくらいの距離を歩いた頃か。
「いい加減にしろ!」
耳を打った若い男の怒声に、紅牙は視線を巡らせた。
聞こえた声には強い苛立ちが含まれており、攻撃的な印象を受けた。
もしもこれが人同士の間に生じたもので、相手が女性だった場合、酷い光景が近くにある可能性も有ったからだ。
(願わくば酔っ払い同士の喧嘩であって欲しいもんだが…)
内心に呟きながら、声の主を探し。
…そうして、彼らを見た。
「ったく次から次へと鬱陶しい!」
怒鳴るのは、夜闇にも埋もれぬ不思議な黒髪の青年。
全身から滲むような白い輝きは常人の目に触れるものではなく、輝きは周囲の闇を散らす。
それを視認する紅牙同様、彼らもまた只の一般人ではないのだろう。
「盛り場に近付くほど闇が濃いのは、普通と言えば普通ですが、……これは少し異常ですね」
返す声も、男だ。
栗色の髪に穏かな声音。
片膝をついて地面から何かを、…埃のような、黒い靄を掬う動作を見せるが、流れるように洗練された動きは、まるで時代を遡った先の西欧貴族である。
「少し? どこが少しだっ! これだけ魔物が横行してりゃ憑かれなくたって死人が出るぞ!」
「そうですねぇ」
物騒な事を大きな声で言い放つ黒髪の彼と、不釣合いな程のんびり、他人事のように語る栗色の髪の青年。
しかし、どちらの纏う気配も緊張感が漂っており、いわゆる戦闘態勢だと知れた。
(“職務中”か…)
紅牙は口元だけで笑う。
おそらく彼らは、先刻の自分と同じだ。
(これは黙って通り過ぎた方が良さそうだ)
胸中で(ごくろうさん)と声を掛けつつ、それきり夜闇に紛れるつもりであった紅牙は、しかし。
「これも十二宮の悪影響でしょうか」
目を丸くする。
何という偶然だろう。
「十二宮…?」
つい先日、ふとした事から聞かされるに至った名を耳にして、漏れた言葉。
同時、声を聞き取った青年達が驚いた顔を向けてくる。
「おまえ…」
「驚きましたね、…まさかそんな至近距離に人がいらしたとは」
参ったな、と溜息一つ。
だが瞬時に生来の陽気な笑顔を浮かべて見せる。
「よォお兄ちゃん達、こんな時間に何してんだい」
特に関わる必要も無いなら適当に流して去れば良いと思っての台詞だったが、黒髪の青年は眉根を寄せる。
その表情に浮かぶのは、強い警戒心。
「……死臭だ。…あんた、人を殺してきたのか」
問い掛けるようで確信した物言い。
紅牙は目を瞬かせた。
(これは参った)と胸中に繰り返し、降参の意も含めて両手を肩の位置まで上げる。
「そう怖い顔をしなさんな。俺ァおまえさん達の敵になるつもりは無いからさ」
にこっと笑んで見せれば、非常に疑わしげな視線を返された。
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紅牙がすすんで自らの素性を明かし、己の一族から課された役目があるのだと告げれば、青年達はそれまでの魔物狩りを中断し、思いの他、あっさりと理解を示した。
「それを一人でやっているのか」
同情ではない。
ましてや、敬意でもない。
淡々と告げられた言葉は、しかし彼らの心情を雄弁に語っていた。
黒髪の青年は名を影見河夕(かげみ・かわゆ)と言い、栗色の髪の青年は緑光(みどり・ひかる)と名乗り、自分達を狩人だと説明した。
人間の負の感情を糧に成長し、いずれは人身を己がものとして血肉を喰らうようになるという“闇の魔物”。
それを狩る事が彼ら闇狩一族の役目だとも。
河夕の声音は、狩人としての責を背負った彼らもまた、時として人間を斬るのだと伝えていた。
そこに伴うものを、彼らは身を以って知っているのだ。
――夜のしじまに、虫の声。
木々の囁き。
それらを決して侵さぬ音域で男達の言葉は交わされる。
「美嶋さんは何処で十二宮の名を?」
「なぁに、たまたま縁のあったお嬢さん方から、その一味かと疑われただけさ」
つい先日の、まだ若い女性がビルの屋上から飛び降りようとした件。
その際に知り合った女性達の名を出せば、狩人も彼女達と面識が有るらしい。
「疑われちまったら、気になりもするさ。そうしたら今度は奇妙な御仁からその名は口にするなと忠告されてな」
「奇妙な御仁…、もしかして水主でしょうか」
「あー…十二宮の所在を探るって言っていたから、その関係か」
「そうだろうねぇ」
呟いた名前に呼応するかのごとく飛来した水の鳥。
それは確かに水主を名乗っていた。
「なるほど。お兄ちゃん達と、あの御仁はお味方かい」
「味方とは恐れ多いですね。水主は僕達の始祖であられますから」
「俺達が十二宮を追うのも水主の命令だ」
「ほぅ?」
上司命令とは、古今東西、難儀なものである。
それを思うと無意識に目元が綻んだ。
「そういうことなら俺も一つ協力しようか」
「協力?」
聞き返してくる河夕に、笑顔を返す。
「俺は東京中の盛り場近辺の地理を把握しているし、異界の扉の位置なんかも確認済みだ。あんたらが追っている十二宮に関係した何かがあれば、すぐにその情報を伝えよう」
「…いいのですか? 僕達には、大したお礼も出来ませんが」
「なぁに。代わりと言っちゃなんだが、こっちの仕事を見逃してくれ。俺も断わることの出来ない指令なんでね」
一本の指を斜めに走らせることで己の役目を伝えれば、光は苦く微笑った後で河夕を仰いだ。
その態度は、判断の全てを彼に委ねるというもの。
そして河夕も。
「あんたの役目に口出しするつもりなど毛頭ない」
言い、差し出された手。
「よろしく頼む」
「お互いにな」
そうして重なる手の温もりは、この縁を通じて生じる絆に、形を与えるかのようだった。
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紅牙が去った後、彼らの居た場所から程近い地点を中心として、辺り一面を覆った輝きがあった。
常人の目に触れることは無い。
それは河夕の全身から滲み出ていた気、そのものだ。
「へぇ…」
彼らに課された使命。
十二宮が使役しているという、闇の魔物を一掃する力には一片の曇りも無い。
まるで冬の夜空に浮かぶ月のように、冷たくも、見守られているような錯覚を起こす波動が感じられた。
「闇狩、水主、十二宮か…」
この世界も騒がしくなりそうだ、と。
紅牙は秋夜の月に目を細めた――……。
―了―
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【登場人物:参加順】
・7223/美嶋紅牙様/男性/お祭り男&竜神族の刺客/
【ライター通信】
こんにちは、再びお逢い出来て光栄です。
今回は狩人達との縁を結んでくださり、ありがとうございます。
実際に紅牙さんの仕事現場に立ち会ってしまいますと、河夕はまず中断させてから「説明しろ」と脅しにかかる恐れがあったものですから、紅牙さんから彼らを見つけて頂くことになりました。
お届けした物語は如何でしたでしょうか。
お気に召して下さる事を願っております。
それでは次回の「不夜城奇談」シリーズでまたお逢い出来ます事を祈って…。
月原みなみ拝
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