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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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神無月の終わりに
ぴちゃ……ん……
「神無月には神々が、出雲へ……」
ぴちゃ……ん……
「けれど本当は、大国主系統以外の神々はいなくはならぬという……」
ぴちゃ……ん……
「この杯は誰のために酒を集める――?」
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「神無月の終わりに、出雲へは行かなかった神たちの宴席で使われる杯、か……」
ぴちょん
ぴちょん
何もない空気中から、常に雫が垂れ落ちて杯を満たす。
それでいて、杯から酒がもれる様子はない。
「本当に神様が来るのかねェ」
蓮は煙管をくわえて、台に置いた杯を見つめた。
ぴちょん 雫が落ちる。
「……神の宴席となれば騒がしいだろうねえ。う……ん、人間も混ぜてくれるのかねェ」
それから、と蓮はつぶやく。
「神目当ての誰かも来るかもねェ。人かもしれない、怪魔かもしれない」
神様ならそれぐらい簡単にいなせそうだが。
「………」
蓮は煙管を口から離し、天井を仰いで考えた。
「……一応、警戒する人材でも、募集してみようか」
ぴちょ……ん
何も知らずに、雫は落ちる――
■■■ ■■■ ■■■
蓮から連絡をもらった天波慎霰[あまは・しんざん]は、がしがしと髪を乱した。
「あー……カミサマ関連かあ……」
彼は山海の奥地、天狗の里に住む天狗である。山界でも他の神々をもてなす機会はあったので、こういう時の作法なり、席の配置なり何なりには少々うるさかった。
「神様が来るとなりゃ、しっかり接待しなきゃな」
彼は鈴城亮吾[すずしろ・りょうご]に連絡を取った。
「今度は何だよー」
出会ってからつきまとわれまくっている天狗からの携帯電話連絡に、亮吾は気の進まない様子で話を聞いていた。が、やがて、
「神様の宴会?」
と興味を持った。
「おうよ。だから亮吾、ちとお前のネットワークで、神様の宴会用料理を用意してくんねえか?」
「それ、俺たちも参加できるのか?」
「参加できるらしいけどな、失礼のないように!」
神様には厳しい慎霰はぴしっとした声で言う。
亮吾は慎霰の珍しい様子に驚いた。
だが、神様の宴会への興味が消えることはなかった。
「オッケー、任せとけよ」
アンティークショップ・レン宛だな、と亮吾は確認して電話を切った。
当日――10月31日。
「こんにちは、蓮さん」
「いらっしゃい、シュライン」
朝早くからやってきたシュライン・エマの姿に、蓮は微笑んだ。「早いね」
「遅いくらいかと思ったのだけれど……神様の宴会なら真夜中から始まっているかもと思って」
時刻はまだ朝の4時。朝霧がかかっている不思議な朝だ。
「それで、お話の杯は――あら?」
シュラインは改めて店の中を見て、目をぱちくりさせた。豪華な料理がずらっと並んでいる。正式な上座、下座にのっとった配置だ。
「今朝届いたのさ、さる料亭からね」
「料亭……?」
「鈴城亮吾くんを知っているかい? 彼が怪魔のネットワークから神様にも喜ばれる料理を作れる料亭を見つけ出して、注文しといてくれたらしいよ」
「ああ、亮吾くんね」
最近慎霰とともによく見かけるようになった中学生の顔を思い出しながら、シュラインはうなずいた。
「料金は……あいにくうちもちらしいんだけど」
蓮は肩をすくめて苦笑する。
「私もいくつか食材を持ってきたのだけれど」
シュラインはそっと荷物から取り出した。
農家からもらった夏や秋の野菜を漬けて作った茄子漬け、ミョウガ甘酢漬け、青菜漬け。
「お供えしておこうっと」
綺麗に片付けられているアンティークショップの棚に置き、手を合わせる。
それから、場の中央を見た。
赤い杯があった。
空中から雫を垂らす、不思議な杯。
「面白いいわれの杯ね。天津神系列の神様方がいらっしゃるのかしら」
んー、と蓮は煙管の煙を吐き出してから、
「……大国主とはたがった系統の神たちだから……天照大神が降ろしたニニギの周辺じゃないかねェ」
「意外と数が少ないのかしら?」
「まあねえ。天照から神武天皇までが近いから」
「神様を呼び捨てにするんじゃねーよ」
すとんと、ドアの外に上から飛び降りてきた少年がいた。
慎霰だった。彼はまず料理の配置を見て、腕組みをしうなずくと、今度はドアの入り口に何かを撒き始めた。
「それはなあに? 慎霰くん」
「山海植物の種。清め用。あと異質な存在が入って来た時の察知用」
「慎霰。あんたならかかる費用、どこからか奪ってきそうなものなのにねえ」
「ばっか言え」
慎霰は蓮に向かって胸を張った。
「今日の俺は普段の俺じゃねえ。人間を脅して作らせたり、盗んだ金使ったりするもんか。神様にそんな穢れたものは出せねえだろ」
「おやおや」
蓮は片眉をあげた。「見上げた心意気じゃないか」
「当然のことだ」
この――と慎霰は並んだ料亭の料理を見る。
「これにかかった金。亮吾、誰に請求した?」
「全部うちだよ」
それを聞いて慎霰はがしがしと首の後ろをかき、
「ちょいと高いだろ。――はした金ンしかならねえだろうけど、後で俺も労働して少しは返す」
おお、と蓮とシュラインは正直言って驚いた。
シュラインは微笑んで、
「慎霰くんは根は真面目だものね」
「そーゆー問題じゃねーの」
慎霰はちっちっと指を振った。「要は神様って存在がどれだけ尊いかとゆーなあ」
「始まってる!?」
と新たに少年の声がした。
鈴城亮吾。少し寒いこの時間、頬を真っ赤に染めて息を上げている。走ってきたようだ。
「よ、亮吾。料亭ありがとな」
慎霰が手をひらひら振った。
「苦労したんだぜ」
亮吾は首をすくめて、「ああよかった、まだ始まってないんだな――」
『始まっておるよ』
声がした。
ぎくりと慎霰が背筋を伸ばし、シュラインと亮吾がえ? ときょろきょろとあたりを見渡す。
ふーっと煙管の煙を吐き出した蓮は、
「ありがたいことだねえ。こちらの準備が整うまで待っていてくれたようだ」
『人間が我々をもてなしてくれるなど久しゅうことだからな』
気がつくと、用意されていた料理の前の座布団に、うっすらと人影が見えた。
その影はどんどん濃くなり、やがてはっきりと――
人の形になった。
「うっわー、何か大和時代!」
亮吾が無遠慮な声を上げて、慎霰に口を塞がれた。
「ばっか、相手は神様だぞ! 神妙にしろ神妙に!」
そして慎霰は亮吾から手を離すとその場に座し、両手をついた。
「このたびは皆様方、よくぞいらっしゃいました。どうぞごゆるりとおくつろぎください」
『いい心がけの天狗じゃ』
やや上座よりの位置に座っている神が、好々爺の顔でそう言った。
『わしはアメノオシホミミ。天照大神の息子じゃ。天狗の仔よ』
あ、やっぱり――とシュラインが内心つぶやく。
天津神系統だわ、と。
『天狗。そなたの名は』
上座に座っている青年神が、凛とした声で問うた。
「天波慎霰にございます」
『慎霰と申すか。私はアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト。アメノオシホミミの息子じゃ』
――通称ニニギノミコト。つまりは最初に葦原中国、地上を支配した神である。
シュラインは低い姿勢で慎霰の近くに行き、正座して手をつき深く頭を下げた。
亮吾は戸惑ったあげく、見よう見まねで慎霰とシュラインのように手をついた。
『そちらの女子。そなた、名は』
とやや下座に位置している女性神が問う。
「シュライン・エマと申します」
『ふむ。わたくしはアメノウズメ。女同士仲良くしようぞ』
――天岩戸事件で、ストリッパーをこなしてみせた女性神か。
『そっちの小僧は誰ぞ』
ほぼ下座にいる、がたいのいい男神が亮吾を指差した。太い声だ。
亮吾はびくっとしながら、
「す、鈴城、亮吾……」
『亮吾か。はっはっは、そんなに怯えるな! 我々は機嫌がいいのじゃ』
『タヂカラオ。お主がしゃべればみな怯える。――そちらの娘御は我らの杯を護ってくれた者じゃな』
オシホミミと対座にいる落ち着き払った長いひげの老人が、蓮を見た。
「どうも。神様たち」
神を前にしても一切態度を変えない蓮を、プライドの高いアマノウズメ以外は大いに気に入ったようだった。
『わしはオモイカネ。杯を護ってくれてありがたい』
「あたしはただどんな品も大切なものだと思っているだけさ」
くすくすとひそかにシュラインが笑っている。
――オモイカネ。天岩戸事件の時に、知恵を出した知恵神。
他に天岩戸事件の際に尽力したアメノコヤネ、フトダマ、イシコリドメ、タマノオヤ。そしてアメノイワトワケ、下座にサルタヒコ。
『3名とも、顔を上げよ』
ニニギの声がした。
3人が顔を上げる。
『……このようにもてなしてくれたことに感謝する。お主たちも、混ざって楽しんでゆくがよい』
「混ざっても……よろしいのですか」
シュラインが唖然としてつい言ってしまう。
がははは、とタヂカラオが笑った。
『女子は多い方がよい。若い者も多い方がよい』
『まてタヂカラオ、それはわたくしでは足りないという意味か!?』
すかさずアメノウズメが噛み付いて、いや、いやいや、と慌ててタヂカラオがなだめている。
慎霰はすかさず動いていた。
「では、失礼して」
さっと下座のサルタヒコの横を通り過ぎ、中央に置かれている杯を持ち上げる。
とても甘く、それでいて辛い香りがする。
慎霰はほぼ膝立ちの姿勢でそれを上座のニニギの元へ持っていった。
「どうぞ、お受け取りください、アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト」
『ほう、私の名をすべて読み上げられるとは大したものだ』
頂こう、とニニギは杯を受け取った。
くい、と一口で空にする。
途端に、部屋中に酒の匂いが広がった。
『――ふう。この杯の酒はいつになってもうまいな』
『当たり前ですぞニニギノミコト。我々が心をこめて作った杯にて』
イシコドリとタマノオヤが自慢げにニニギに言う。
イシコドリ――八咫鏡を作った神。
タマノオヤ――八尺瓊勾玉を作った神。
これに草薙の剣を含めれば、有名な三種の神器となる。
空になった杯には、また空中からぴちょんぴちょんと酒が降りだした。
それを見下ろしていた慎霰は、ひそかに思っていた。
(俺も、こういう風に人間から接待されたいなあ……。今回、何か褒美でも貰えないかなあ……)
『おい小僧』
タヂカラオが亮吾を呼んだ。
びくっとした亮吾を手招きして、
『わしと力比べをしよう』
――亮吾は幸か不幸か、日本神話に詳しくなかった。
タヂカラオが何者かを知らなかった。
「は――はい」
即座にネットワークを使って怪魔やグレムリン仲間に聞けば分かっただろうに、亮吾の頭は緊張でそこまで回らなかった。
『では――うむ。人間で言う腕相撲とやらをやろうかな?』
するとその場にいる神がどっとわいた。
『タヂカラオ! お主その少年の腕を折るつもりか?』
……その言葉の意味も、亮吾の頭の中ではぐにゃぐにゃに歪んだ。
「う、腕相撲ですか……」
『来い来い』
助けを求めて慎霰を見ても、慎霰はにやにやしながらこちらを見るだけ。
亮吾は覚悟を決めた。どしどしとタヂカラオの元へやってきて、にらむようにタヂカラオを見る。
『おお、いい目だ』
タヂカラオはにやりとする。
『では、ええ――』
いつの間にか店の奥に行っていた蓮が、そこそこ高い箱を持って戻ってきた。
「場はこれでどうだい」
『おお、気が利くねえ』
腕相撲の準備が整ってしまった。
亮吾はどきんどきんと緊張しながら、タヂカラオの対座に座った。
タヂカラオは肘を乗せ、
『さあ、肘を乗せろ、小僧』
「―――」
びくびくびく。亮吾は手を震わせながら肘をつく。
即座にタヂカラオに手をつかまれ、亮吾は「わっ」と声を上げた。
『小僧、いかんぞおもっと度胸をつけぬと』
『……タヂカラオ、いじめるのも大概にせい』
隣でオモイカネが嘆息した。
『僕が合図を出しましょう』
サルタヒコが近くまで寄ってきた。
『では――始め!』
勝負は一瞬で終わった。
亮吾は自分の腕がしっかり台座におしつけられているのを、他人事のようにぼんやり見ていた。
がはは! とタヂカラオは笑った。
『修業が足りんな! 亮吾!』
「………!」
亮吾は顔を上げる。初めて名前を呼ばれたような――……
タヂカラオはその大きな手でくしゃくしゃと亮吾の頭をかき回した。
くすぐったい感触だった。
ふと――部屋の酒の匂いが濃くなった。
見ると、ニニギの父オシホミミが杯を受け取って、飲み干したところだった。
亮吾はくらっと来た。だが、誰もそれに気づかなかった。
『シュラインとやら、そなた踊れるか』
アメノウズメがシュラインを見る。
「え……いえ、踊りの方はとんと……」
『まったく、それでも女子か。わたくしが見本を見せるからよく見ておけ?』
アメノウズメはふっと自分の対座の男神を見る。
『わしが歌うのか?』
と見つめられたアメノコヤネ。――天岩戸の時、祝詞を唱えた神である。
祝詞と歌はまったく別物なのだが。
『祝詞も歌も同じじゃ。歌ってくれ、アメノコヤネ』
『無茶を言うものじゃ……』
再び蓮がやってきて、桶を差し出した。
アメノウズメがむっとしながら、それを奪い去った。
――天岩戸の前で踊り狂った時、アメノウズメは裏返した桶の上に乗りそれを踏み鳴らしたのだ。
あの時と同じように桶をひっくり返してそれに乗り、アメノウズメは踏み鳴らし始めた。
『これアメノウズメ。あの時のように脱ぐでないぞ』
オモイカネが注意した。『ひとの子がおる』
『分かっておりますとも、オモイカネ殿』
とん、とんとん、
仕方なくアメノコヤネが歌いだす。
伸びのいい声と、踏み鳴らされる桶のリズムがうまい具合に噛みあった。
とん とんとんとん
とんとん とん
アメノウズメは艶やかにその肢体を振る。
シュラインは喜んだ。ぜひ神々の踊りや音、そのリズムを知ってみたいと思っていたのだ。
やがてどんどんと他の神たちが歌い重ねる。合唱になった。
その中心でなまめかしく踊るアメノウズメ。
――酒の匂いが増した。
見ると、オモイカネが杯を空にしていた。
『こら亮吾、お主も楽しんでおるか!』
上機嫌のタヂカラオに呼ばれて、
「………、………、………、あ、俺のこと……ですか。はい……」
亮吾はやたら遅い反応をした。
『うまい料理じゃな』
ニニギが新鮮な魚料理を口にしながらつぶやいた。『まっこと見事な料理じゃ』
「この日のために、用意させたものですので」
慎霰が頭を下げる。
『うまいのう、そち』
オシホミミがほっほと笑った。
踊りがいったん止まり、
『わたくしも料理を食しようぞ』
アメノウズメがふうと吐息をつきながら席に戻った。
酒の匂いがまた広がった。――オシホミミの隣に座っていた、イシコドリが杯を空にしている。
『お主にも飲ませてみたいものじゃ、なあ亮吾』
タヂカラオがばんと亮吾の背を叩けば、
「背を叩かれれば内臓が飛び出す……違う、お腹と背中がくっつくぞ」
『あん?』
「くっついてぺっちょんぺっちょん……骸骨みたい」
亮吾は目がとろんとしていた。
ふと気配を感じて、はっと慎霰が入り口を見た。
(――誰か来た!)
入り口にまいた山海の種が知らせて来る。怪魔だ。
慎霰は笛を取り出した。唇に当て、静かに始まりやがて勢いのある音を出す。
『おお? いい音じゃ』
とアメノウズメが言ったが――
慎霰は軽く頭を下げただけで、すさささっと店の入り口にまで走っていった。
彼の笛の音は敵を捕らえる――
が。
入り口で捕らわれ、ばたばた手を振っていたのは、明らかに雑魚の怪魔3匹だった。
「………」
慎霰は少し考え、そのまま笛を吹き続けた。すると雑魚怪魔たちは店に入ってきた。
『む?』
オシホミミが不思議そうな顔をする。下座のサルタヒコが場所をあけた。
笛の音に捕らわれたまま雑魚怪魔は場の中央に行き――
突然踊り出した。
慎霰の笛の音のリズムが変わる。激しいテンポに。
それに合わせて怪魔たちがすっとんすっとん足を上げ下げ両手を頭の上でくるくる回し踊る。
神々が盛大に笑った。
『ははは! よいぞ天狗の仔よ!』
ニニギが上機嫌に笑った。
その間にシュラインはイシコドリから受け取った杯がいっぱいになるまで待ち、次にイシコドリの対座タマノオヤに勧めた。
タマノオヤが杯を空にする。
またまた部屋の酒の匂いがきつくなる。
『おい亮吾、主もあの天狗の友人か? あれは大切にしておいた方がよいぞ!』
タヂカラオがひときわ大きな声で笑いながら、傍らの亮吾に言う。
「……らあ(なあ)」
亮吾は突然タヂカラオに迫った。「らああんら。りっからりまんー? そんらーの、いらの世ではー、るうじれえのー(なああんた。ちっから自慢ー? そんなーの、今の世ではー、通じねえのー)」
『……亮吾?』
「今はれっとわーくのりらいらよれっとわーく。俺りらいらのらいちらんーなの。わらるー?(今はネットワークの時代だよネットワーク。俺みたいなのが一番ーなの。分かるー?)」
『ろれつが回っておらん。何を言っているのか分からんぞ』
『酔っているのだろう?』
タヂカラオの隣席のアメノウズメが冷静に言う。
はあ!? とタジカラオが声を上げるのをよそに、亮吾は今度はアメノウズメのところへ行き、
「あんらはー、きれいらけろー、プーライロー、ららそうー(あんたはー、綺麗だけどー、プーライドー、高そうー)」
『……本当に何を言っているのか分からぬな』
分からなくて正解なのだ。亮吾はとても失礼なことを言っているのだから。
しかしちゃっかり「きれい」という単語だけは聞きつけて、
『まあ、わたくしを賛美しているのは分かった』
ふふんとそう言った。
亮吾は突然タヂカラオとアメノウズメを両手で抱きかかえて、あーっはっはと笑った。
ぎょっとして慎霰が笛の音を止めた。
「りょ、亮吾?」
その瞬間怪魔の束縛が解けた。一斉に怪魔たちが神々に襲いかかる。
しかしフトダマがすぐに注連縄を取り出し、
『この中に入って来るでないわ』
びりびりびりっ!
神々の直前で、怪魔たちは激しい電撃のようなしびれを感じてそのまま息絶えた。
「あ、あ、申し訳ありません……!」
慎霰が大慌てになる。
『よいよい。楽しかったぞ天狗の仔よ』
ニニギが笑って言った。
(――そう言えば、慎霰くんと同じように蓮さんも神々を狙う誰かの侵入を心配していたのよね)
シュラインは杯を慎霰に返しながら、唇に手を当てた。
(私も警戒しなきゃ。足音を確認……できないか、皆さんもう席についていらっしゃるし。アメノウズメさんとサルタヒコさんぐらい――)
……サルタヒコ?
サルタヒコと言えば葦原中国に降臨するニニギ一行を案内した神だが。
何か小さな作業が必要なたびに、さっきからちまちま動いているのだが。
シュラインの敏感な耳が聞きつける。
(最初の足音と――違う!)
シュラインは迷った。これぐらいのことに、神々が気づかないはずがあるまい。気づいていてサルタヒコを放っているのか?
それとも気づかれないぐらいの術者なのか?
シュラインはそっと宴席の外側に出て、アメノオシホミミに近づいた。一番温厚かつ冷静そうだったので。
「あの……よろしいですか?」
『なんじゃ、シュライン殿』
好々爺のオシホミミがくるっと首を回してくる。
シュラインは顔を寄せ、小さな声で、
「サルタヒコ様は……」
『ああ、あれはよいよい』
オシホミミは軽く笑った。『入ってきている、と言いたいのじゃろう?』
「―――」
『よくお気づきになった。立派な娘御じゃ』
「――誰が、お入りになっていらっしゃるのでしょうか?」
『コノハナサクヤヒメじゃよ』
オシホミミは柔和な表情になる。『我が息子の嫁じゃ』
「息子の嫁……では」
『ニニギの嫁じゃ』
サルタヒコは突然場の中に入ってきて、慎霰に『杯を下さい』と言った。
慎霰もサルタヒコの異変には気づいていた。どうしたものかと耳を澄ましているとシュラインとオシホミミの会話が聞こえてきたので、安心してサルタヒコに杯を渡す。
サルタヒコは、次の順番のフトダマを無視して、もう一度ニニギの元へ行った。
『どうぞ……』
ニニギは片眉をあげた。
『そなた、我が愛する妻とてこの宴席での順番を崩すことは許さぬぞ?』
『………』
サルタヒコの姿をしたコノハナサクヤヒメは、ぽろりと一筋の涙を落とした。
『なぜ……アメノウズメ様以外の女はこの宴席に呼んで頂けないのでしょうか』
『それが前々からの決まりごと』
『寂しゅうございまする』
『耐えるのもまた妻の仕事』
そうじゃそうじゃとタヂカラオが言った。
『アメノウズメなど、この歳で夫もおら――ぬっ!?』
『タヂカラオ。そなたの女性遍歴を並べ立ててやろうか。あげく妻1人いないことも』
アメノウズメの拳を脳天に受けて、タヂカラオは縮まった。
フトダマが軽くくすくす笑って、
『いいではないですかニニギノミコト。差し出された杯をはねつけるのは男のすることではございませぬぞ』
自分の番を無視されたというのに気にする様子もなく。
む……と困った顔をしたニニギは、
『……分かった。一杯だけだぞ』
と杯をあおった。
酒の匂いがまた広がる。
『ではお前の手にてフトダマにしっかり杯を渡すよう』
杯を妻の手に戻し、ニニギは腕を組む。
『はい――はい』
コノハナサクヤヒメはまた涙を流した。
そそくさとフトダマの前に行くサルタヒコを見ながら、
『ああいういい嫁を持てよ、なあ亮吾』
タヂカラオががしがしと亮吾の髪をかきまぜると、亮吾は突然立ち上がって、
「あーあーあー。れんぱじゅしんちゅー。なにーかいまのぐんらんがぐれむりんをいじめてるってー。このやろーぐれむりんのたいしょーはおれらぞー」
「亮吾……お前酒に弱すぎ……」
匂いだけでどんどん酔っていっているらしい友人の姿に、慎霰ががっくり床に手をつける。
「おーれんぐ。れんぐー。おまえおれにつきまとっれー、ほれれるんらろー」
「おう惚れてるぞ。お前のからかいやすさに」
言って慎霰はべしべしと亮吾の頬を両側から叩く。
「ららいららー、1らい10れんー」
今度は頬を両側から人差し指の関節でぐりぐりやる。
「ぐりぐりしららー、1らい20れんー」
「お前の値段の基準安すぎ。おらおらおらおら」
今度は耳を引っ張った。「1らい50れんー」と言われた。
タヂカラオが腹を抱えて笑っていた。
『わしはあそこに並んでおる――』
オモイカネが軽く目を店の棚の上にやった。
『漬物が食べたいのう』
「あ――よろしければどうぞ」
最初にお供えしていたシュラインが、慌てて漬物を下ろす。
茄子漬け、ミョウガ甘酢漬け、青菜漬け。
『ニニギノミコトもどうじゃ。オシホミミ様も』
『うむ、頂こう』
『ふむふむ』
「あ……量が足りない――」
『気にするな娘御』
彼らは綺麗に3等分して供え物を食べた。
『うむ、うまい』
とニニギが満足そうに言った。
シュラインは胸をなでおろした。
――フトダマが杯を空にした。酒の匂いがまた充満する。
「はらひれほれ〜」
亮吾が立っていられない状態になり、タヂカラオにぶつかって倒れた。
『こぉら小僧! わしが飯を食えぬではないか!』
律儀に受け止めて、タヂカラオが怒鳴る。
『天狗。そなたの友人であろう、そなたがどうにかできぬか』
アメノウズメが呆れ果てて慎霰に言う。
慎霰は笛を鳴らし始めた。亮吾の体が操られ、その場で踊り始めた。
怪魔より人間の滑稽な踊りの方が笑えるものだ。神々から失笑がもれてしまう。
『ふふ、いいリズムだこと。あの笛の音もいい。これシュライン』
アメノウズメがシュラインを呼んだ。
「はい……?」
『先ほどのわたくしの踊りを見ただろう。共に踊ろうぞ』
「え、え、」
有無を言わせずアメノウズメはシュラインを、亮吾が踊っている場に引きずり込んだ。
『天狗の仔よ、もう少し踊りやすいリズムにしてたもれ』
慎霰はそのリクエストに応える。
「私、本当に踊りは――」
『馬鹿を言うでない。踊りとは楽しむことじゃ。型などないのじゃぞ』
「………」
シュラインの胸に、その言葉は強く響いた。
『見たところそなたは音とリズムには強そうじゃ。踊れる』
「――はい」
アメノウズメが踊りだす。
シュラインは見よう見まねで踊りだす。
それはアメノウズメのようにうまくいかず、なまめかしくも艶やかでもなかったけれど――
『よいぞ! シュラインとやら!』
タヂカラオの声が飛んだ。
フトダマの拍手が鳴り止まない。
『慣れぬ者の踊りというのも一興なのだな』
感心したニニギたち上座の者も、やがて拍手をしだした。
シュラインは心から楽しんでいた。慎霰の笛の音はとても楽しくて。
すぐ傍で操られている亮吾の存在も、楽しさに華を添えていた。
サルタヒコ――の姿をしたコノハナサクヤヒメが、アメノコヤネに杯を差し出していた。
アメノコヤネが杯を空にする。ぷはっと若い彼は豪快に酒臭い息を吐いた。
またまたまた酒の匂いが部屋中に――
そしてまた。
亮吾が豹変した。
ばたっとその場に倒れた。
「!?」
慎霰が笛の音を止める。シュラインとアメノウズメが驚いて動きを止めた。
「許容量超えたか……?」
慎霰が恐る恐る友人をひっくりかえすと……
目が完全にうつろな中学生がいた。
「亮吾? おい、亮吾!」
呼びかけても反応がない。意識がない。
『おやおや』
これはいかんの、とオシホミミが立ち上がった。
『ちょっと、待っておれ』
亮吾の目を閉じさせ、その目の上に手を置いて何事かをむにゃむにゃ唱える。
そして、そっと手を離した。
亮吾はすっと、瞼を上げた。
「亮吾くん! よかった――」
シュラインがその手を取ろうとすると、
「……うっせ」
亮吾はその手を振り払った。
「りょ、亮吾……?」
慎霰が一歩退く。のろのろと立ち上がった亮吾から立ち上るオーラが只者ではない。
「おれに〜、」
またろれつの回らない状態のまま、目が据わって。
「近づくら!」
突進、慎霰を突き飛ばした。
慎霰はニニギにぶつかりそうになったところで、慌てて翼を出し上へ飛んだ。
「し、失礼いたしましたニニギノミコト!」
『ふむ』
ニニギは亮吾を見つめる。
亮吾はばっとタヂカラオを見て、
「さっきはよくも〜」
『え? いや、落ち着け? 亮吾』
「てえええい」
突進。タヂカラオはとっさに亮吾のズボンのベルトを持ち、料理に当たらないよう持ち上げた。
「こら〜卑怯らろ〜」
空中でばたばた暴れる亮吾。
アメノウズメが苦い顔でオシホミミを見て、
『どうして完全に癒してくださらなかったのですか』
『いや。この状態の方が面白いかと思っての』
ほっほ、と好々爺は笑う。
そこから亮吾はひとしきり暴れた。料理を蹴飛ばそうとするのですんでのところでフトダマの注連縄結界で神々が護られる。
亮吾は携帯だけでネットワークを使い、怪魔たちを呼び出した。
大慌ての慎霰は怪魔たちを全部笛の音で操り、丸薬に変化させる。
亮吾が注連縄結界に挑もうとするので、シュラインが超高音域の声を発生させて亮吾を失神させた。
『おや……』
オシホミミが腰を叩いて、『もう終わりかの。つまらぬのう』
慎霰は丸薬に変化させた怪魔たちを元に戻し帰らせてから、
「どうかこの者の無礼、お許しを」
と失神している亮吾の隣でニニギに向かって手をつき謝った。
『すべては我が父のいたずら心が起こしたこと』
ニニギは落ち着いていた。『その者の落ち度ではあるまいよ』
『ほっほ』
オシホミミはまったく反省の様子がない。
まったく、とオモイカネが深くため息をついた。
神々は料理を簡単に空にしていく。
杯はアメノウズメ、アメノイワトワケ、タヂカラオ、そして――元に戻ったサルタヒコに回った。
『よい杯でした……』
サルタヒコがにっこり笑うと、そこで宴会は終了となった。それが決まりごとらしい。
『今回は人の子がいたおかげで、例年より楽しいものとなったな』
『うむ。何か礼をせねばなるまい』
「そのようなこと」
慎霰がすかさず頭を下げる。「我々は皆様方をおもてなしするためにいる者」
『だからと言って、礼をしてはいかんという決まりはあるまいよ』
オシホミミは息子を見た。
ニニギノミコトは少し考えた後、
『そうだな……そなたに千里眼の能力を与えよう、慎霰よ』
「千里眼、ですか」
『このトウキョウと呼ばれるようになった地すべてを見通せる目だ。必要な時に使えばよい』
刹那、慎霰は目がちかちかと光ったのを感じた。
「―――!」
思わず目を押さえると、それも少しの間で止んだ。
恐る恐る目をぱちぱちさせる。――何も変わらない。
『使おうと願った時にしか使えぬからな』
ニニギは言った。
『シュラインにはわたくしから』
アメノウズメが懐から何かを取り出した。
『女の香りを高める匂い袋。――想い人がいるのならその人の近くで使うとなお効果的ぞ』
受け取りながら、シュラインは頬を赤くした。
『で、そこの倒れている少年だが――』
『見たところ、防御に優れていないようだ』
とフトダマが言った。『この注連縄でも渡そうか』
これを使えば自分が結界を張りたいと思ったところ全体に結界が張れるよ――と、意識のない亮吾に囁いて、注連縄を少年の傍らに置く。
『では』
サルタビコが杯を場の中央に戻す。
慎霰は亮吾を引きずって。シュラインとともに下座へ行く。
神々はそれが儀式のように、深く頭を下げた。
その姿がうっすらと――消えていく――……
しん、と店が静かになった。
杯はもう、酒の雫を受け止めない。
「あの杯は、もう役目を終えたのかしら?」
シュラインは蓮に訊いた。
「さあねえ」
蓮は煙管の煙を吐き出しながらつぶやいた。
「来年の10月あたりから、また始まるんじゃないかねぇ?」
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「うおお、千里眼すげー」
慎霰が感動の声をあげていた。「てか俺元々千里眼みたいなもんだけど、すげー」
「だから何で俺の後ついてくんだよ!?」
亮吾が怒鳴る。
「……お前、本当に31日のこと全部忘れたのか?」
慎霰は真剣に訊いた。
「うるせえな、忘れちまったんだからしょうがねえだろ」
面白そうだったのになあ、と悔しそうに亮吾は言う。
「親に怒られてまであんな朝早くに行ったのに……」
「その注連縄もらったんだから、何かの時に使えよ?」
「うー……よく分かんねーけど、分かった……」
で、と亮吾は慎霰を見やる。
「さっきからその千里眼とやらで、何見てんの?」
「働きやすそうな店探してる」
「働くぅ!? 慎霰が!?」
「失敬な」
どがんと亮吾の脳天を叩きながら、「今回は神様のために使ったお金だからな。穢れた金は使えねえの」
「………」
亮吾はこの天狗のことを少し見直した。
「でも……」
「あん?」
「だからってなんで俺の登校に引っ付いてきながらそんなことしてんだよー!」
いつもと同じように、亮吾の怒鳴り声が響く、響く……
「武彦さん」
「ん?」
草間武彦は、婚約者に呼ばれて新聞から顔を上げた。
シュラインはにっこり微笑んで、
「昨日のお話でもどうかなって」
「ああ、聞きたいな」
「……隣に行っていい?」
「どうぞ」
草間の隣に座り、彼にもたれかかるようにして軽く目を閉じる。
「ん? シュライン香水変えたか?」
草間が敏感にそれに気づいてくれた。
シュラインはアメノウズメがくれた匂い袋の効果に頼るかどうか迷ったあげく――とりあえず一度使ってみることにしたのだ。
「いい香りだな。何というか……色っぽい」
「……でも、これが私だとは思わないでね」
「うん???」
「何でもない。それでね、神様たちは――」
シュラインの面白語りが始まる――
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1928/天波・慎霰/男/15歳/天狗・高校生】
【7266/鈴城・亮吾/男/14歳/中学生】
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回は依頼にご参加くださりありがとうございました。
お届けが大変遅くなり、申し訳ございません。
自分としても難しいお題に挑戦してしまったので、少し書くのに苦労してしまいましたが、シュラインさんが踊りを楽しんでくだされば嬉しいです。
よろしければまたお会いできますよう……
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