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<東京怪談ノベル(シングル)>


もう一人のあたし(少女のレリーフ・番外編2)


 あたしがいつものアルバイトで“レリーフ”になってから――。
 特殊メイクのバイトをいっぱい経験したとは言っても、三日も個展会場で作品として飾られるなんて初めてのこと。専門家の人に見られるんじゃなくて、素人さんたちがあたしを“作り物”だと思っているんだもん――緊張しない訳がない。
 ここでは、目を閉じていてもその分聴覚や嗅覚、触覚が鋭くなっているのがわかる。
 ――少し動いちゃいそうとか。
 ――女の人のシャンプーの匂いがするとか。
 ――お客さんにじっと見つめられている気がするとか。
 細かいところがどんどん気になって広がっていく。
(まるで大きな万華鏡の中に入っちゃったみたい)
 一時間一時間が長くて、新鮮で。
 息を呑んだり、戸惑ったり、軽く指先が痙攣しそうになったりしながら(これは緊張のせいだ)、あたしは二日目の個展を終えた。
 そして三日目もこの調子で過ごす――筈だったんだけど。
 予定というのは急に変わるもの。
 生徒さんたちの気が変わったみたいなのだ。

「芸術性を高めたいのよ」
 真顔でそんなことを言われたら、断るのは難しい。
(だって、向上心があるって良いことだもんね)
 生徒さんたちの“作品”になることが、今回のあたしのお仕事なんだし。
 求められたことは、きちんとこなしたい。
 そりゃあ、恥ずかしいことなら遠慮したい気持ちもあるけど……。
「具体的にはどうするんですか?」
「もっと作り込んでいきたいの。みなもちゃんは本当の中学生だけど、レリーフにしちゃうとそれが分かり辛いところがあるでしょう? 私たちもみなもちゃんが本物の人間だとバレないように守りに入っちゃって“少女なのは想像出来るけど、詳しくはわからない”ように作っていたところがあったのよ。“これは少女をモチーフにした作り物です”ってね。それって良くないと思うの」
 うーん、確かに。それはあるかも。
 生徒さんたちがしてくれたメイクには、あちこちにレリーフっぽく見えるような工夫がされていた。
 逆を言えば、あたしが、あたしに見えるように――生きている中学生の女の子に見えるようには作られていなかったのだ。
 『作り物のような生きている少女から、生きている少女のような作り物へ』
 コンセプト自体を変えてみたい、ということだった。
(…………面白そう、かも)
 あたしも生徒さんたちの影響を受けているのかなあ。
 作り物になったあたしから、あたしのような作り物になってみたいという、好奇心が沸いてきて――胸が期待で膨れてくるのを止められなかった。

 仕切りなおし。メイクを落としてしまって、また最初からやることになった。
 祈るポーズは同じ。
 でも以前とは違って、石膏を少女の肌のように見せなければならない。
(それって簡単なことじゃないよね)
 あたしの胸から足までを覆っている、固まったばかりの石膏を見下ろす。
 いかにも命が通っていない白色をしているし、第一硬くて、とても女の子の柔らかな肌には思えない。
 ――だけど、それがこの作品の面白いところなのだと生徒さんは言う。
「石膏で出来ているのは明らかなのに、見れば見るほど今にも動き出しそうな人間に思えてくる。想像するだけで楽しいじゃない」
(どうやって?)
「愛を込めて作るの」
(愛を?)
「例えばこのお腹ね……」
 そう言って、生徒さんの指があたしの腹部に触れてきた。そこには彫刻刀が握られていて――。
「ん……」
 ビクッとあたしは身体を反らせた。
 カリカリという小さな音と共に、お腹で地震でも起きているような揺れを感じる。
 ねこじゃらしで触られるのとも違うんだけど――んっ……。
 我慢出来ないくらいにくすぐったい。でも動いてはいけないし。
 行き場のない手で無意識に生徒さんの頭を掴んでしまった。
「駄目よ、今彫刻刀を使っているんだから……大人しくしていてね」
「は……い……」
 余計なことを喋ったら、笑い声が漏れてしまいそう。一度笑ってしまえば、たちどころに身体をよじらせて生徒さんに怒られるのが目に見えていた。
「ほら……良い感じよ」
 言われて見下ろしてみれば、石膏で出来たお腹にはおヘソが出来ていた。
 ちょっと切れ長で、浅い形。
(可愛いなあ)
 と、心の中で照れてしまう。本当のおヘソじゃないのにね。
「前は石膏には手を加えなかったでしょう? 今回はそこを変えていくのよ。くびれとか、指の細い部分や膨らんでいるところ、おヘソ、太ももから足首までの凹凸。実際よりも少し派手に強弱をつけるの。そうすれば石膏の硬さと相まって、丁度良くなるわ」
 なるほど、と息を吐くあたし。
 そうやって一箇所ずつ、命が吹き込まれていって、やがて“あたし”が出来るんだ。
 とてもおかしな感じ。でも楽しみで、自然と笑みが零れる。
「次は胸ね」
「……え?」
 あたしの笑顔が引きつると同時に、生徒さんの含みのある笑い声が聞こえてきた。
「お客さんへのサービスでね。ちょっと胸の手前を彫ってね、膨らみを強調してあげるの」
「い、いいですよ。そんなの……っ」
「あら、みなもちゃんってスタイルの良い女性には憧れないタイプ?」
 う、とあたしは言葉に詰まる。
「そんなことないわよねえ。みなもちゃんくらいの年齢の子なら、気にするわよね?」
「……少しなら……」
 どんどん声が小さくなる。
 実際のところ、時々お風呂上りに自分の身体を鏡で見ては、深い溜め息をついていた。
 ぺったんこではないんだけど、あたしの胸はまだ発展途上という感じで。
 その、つまり、グラマーな女性になれるかは確信が持てなくて。
 だから、あの、憧れがないかっていうと………………あった。
 生徒さんがあたしの耳元で囁く。素直になりなよ、と。
(あたしのお仕事は、生徒さんの“作品”になることなんだから)
 頭の中で今回のバイト内容を反芻する。
 そう、生徒さんの言うことは極力守っていかなきゃいけない。
 あたしが今よりスタイルの良い自分に憧れている――なんて関係なくて、ただお仕事のために、頷く必要があるんだから。
 ああもう、何でこんな言い訳みたいなことを考えてしまうんだろう。
「じゃあ、胸にも少し手を加えましょうね」
「……はい」
 あたしの気持ちを知ってか知らずか、生徒さんはクスクスと笑うのだった。

 最終日。
 後から生徒さんに聞いた話では、会場内は不思議な雰囲気に包まれていたらしい。
 元々ここは非日常的な空気を持っている場所だそうだ。人が入れるおもちゃ箱、という呼び名もあるくらいなのだから。
 だけどいつもの雑多なものではない、幻想的な雰囲気があったのよ――と生徒さんは言った。
 だとしたら、とても嬉しい。
 その日あたしは、前日と同じように目を瞑ってそこにいた。
 指を絡ませ、天へと祈って。
 たくさんの人があたしの前を通っていった。立ち止まったり、通り過ぎたりしながら、足音の波があたしの耳に心地よく響いた。
 最初の二日間のような、恥ずかしさがないのが不思議だった。
(あたしでない、もう一人のあたしが展示されている気分)
 目の前にあるのは、もうただの石膏ではない。
 それは雪のように真っ白で、硬い、生きた少女だった。
「特別に触ってみてもいいわよ」
 生徒さんの声がした後に、誰かの手があたしの胸に触れてきた。
(……あ)
 命が動いた、と思った。
 あたしだけじゃなくて、石膏の鼓動も高鳴るのだ。
 ドクン、ドクンと。
 それは自転車のペダルを強くこぎだしたように、グングンと加速していった。


終。